腹腹時計

   VOL.2

      東アジア反日武装戦線KF部隊(準)



    目 次

基調提起 …………………………………………………………………………2
──中枢殲滅戦を軸とした大衆的反日都市ゲリラ戦の展開を!──

日帝本国における反日武装闘争史(抄)………………………………………11

反日武装闘争の勝利のために(1) ………………………………………………15
──東アジア反日武装戦線狼&泊烽フ組織的観点からの総括──

反日武装闘争の勝利のために(2) ………………………………………………28
──反日都市ゲリラ兵士の守るべき原則=心得について──

反日赤軍への転生を!……………………………………………………………37
──日本赤軍77・5・30路線転換に対する我々の見解──

緊急アピール ……………………………………………………………………65


<基調提起>
中枢殲滅戦を軸とした大衆的
反日都市ゲリラ戦の展開を!

(一) キソダニ・テメンゴール作戦の切り拓いた地平

 (1)その戦術的意義
 一九七八年九月二八日東京地裁七〇一号法廷に検事側証
人として、間組の八田昌夫が出廷した。この男は一九七五
年二月二八日当時庶務課長で、現在は総務部長らしい。検
察官の「犯人への被害感情は?」という問いに対して、「怨
み骨髄に達しています。極刑に処して欲しい」と泣きを入
れた後で、弁護人の反対尋問に対して次のように答えた。
「コンピューター、情報機器機能は九階に集中していた。」
「デー夕は全部焼けた。プログラムカードも全部壊滅し
た。」「コンピューター設備のうち特に高価な磁気テープも
高熱で使用不能になった。」「コンピューター業務は同年六
月一杯まで中断。その間、他処で行なった。」「九階の館物
の修復は六月一〇日頃までかかった。」「この事件の影響で
取引きが中止になったことはなかったが、痛手は非常に大
きかった。」「被害は約一五億。それは館物・施設の被害額
であって、情報的な被害は一切含まれていない。情報的な
被害は計り知れない額である」……。
 一九七四年八月マラヤ共産党武装勢力は、テメソゴール
・ダム及びこの付近で工事中の東西ハイウエーの建設を、
「人民の利益に反する」と糾弾し、テメソゴール・ダム建
設現場へ向かう間組の資材搬入トラックをダイナマイトで
爆破した。同年一二月九日にほ、テメソゴール・ダム建設
の間組宿舎を武装攻撃、日本人一名が死亡した。この闘争
の前後、ケアラルンプールの日本大使館・間組・三菱商事

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事務所などに「ダムエ事の即時中止と技術者の総引上げ」
などを要求した反日ピラや要求書が配布された。これに対
して、間組は、「完全な保安対策が講じられない限り工事
はやれない」とゴネて、マラヤ共産党武装勢力に対する反
革命弾圧を現地政権に強く要求した。一九七五年一月には、
日本大使館に、「日本政府がダム建設に借款、援助の中止
をしなければ、日本人にかかわる面白からぬ事故が再発す
るだろう」という警告文がとどいた。にもかかわらず、同
年二月一四日、間組は現地反革命軍に守られて工事を再開
した。
 東アジア反日武装戦線の三戦闘部隊は、マラヤ共産党武
装勢力の12・9間組攻撃の報に接するや、日帝本国人とし
てこの戦いに戦闘呼応し、間組のテメソゴール・ダム建設
工事を具体的に阻止することの重要性を確認し、ただちに
準備活動に入った。そして、12・9から約三カ月後の一九
七五年二月二八日、間組本社6F(海外工事局)、9F(電
算器室)及び大宮工場に対して同時爆破攻撃を決行した。
 このキソダニ・テメソゴール作戦の戦術的意義の第一は、
三戦闘部隊の初めての共同作戦として、相互の戦士的な信
頼関係の上に立って、三戦闘部隊の総力を結集し、技術性
の粋を尽して克ちとられたという点である。
 戦術的意義の第二は、一九七五年に入り、一段と強化さ
れた敵の事前弾圧的警戒体制を巧みに縫って、緻密に計画
され、周到に準備され、大胆に実行され、ほぼ作戦計画ど
うりに成功したという点である。
戦術的意義の第三は、中枢殲滅戦への質的飛躍の実現とい
う点である。
 キソダニ・テメンゴール作戦は74・8・30の三菱重工爆破
作戦の限界を乗り越えた。三菱重工爆破作戦は、日帝の中枢
的侵略企業である三菱重工に対する爆破攻撃という絶対的
な政治的正当性をもっていたにもかかわらず、新左翼的なカン
パニア主義・象徴主義から自らを明確に区別し得ていなかった
ために、爆破対象を厳密に絞りきれず、中枢殲滅戦として
作戦を立てられず、殲滅すべきでない通行人を多数殺傷し
てしまうという戦術的限界を露呈してしまった。
 キソダニ・テメソゴール作戦ほ、中枢殲滅戦の方向で立
案されながら、中枢殲滅戦としては未貫徹であった三井物
産爆破攻撃の方向性を継承し、さらに発展させ、三菱重工
爆破作戦のカンパニア主義的象徴主義的限界を明確に乗り
越えた。この質的飛躍は、何よりも、マラヤ共産党武装勢力
の12・9戦闘というつきつけと、それに何としてでも具体的
に応え、肉薄せんとした、三戦闘部隊の思想的内圧が結実
させたものであった。
 (2) その戦略的思想的意義
 このようにして日帝本国内に登場したキソダニ・テメン
ゴール作戦の戦略的思想的意義を、現時点で、我々は次の

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ように確認している。
@ まず第一に、キソダニ・テメンゴール作戦は、一九七
四年八月及び一二月九日のマラヤ共産党武装勢力による、
日帝のマラヤ再侵略の先兵=間組に対する武装攻撃を、日
帝本国人に対する戦闘指令(つきつけ)として受けとめ、
具体的に戦闘呼応するものとしてあった。すなわち、まさ
に、日帝本国中枢において、日帝の侵略活動に具体的に打
撃を与えるという事実行為をもって、歴史的にも現在的に
も日帝の侵略を許容し、それに寄生してきた日帝本国人として
の反革命性の自己否定・自己批判実践を貫徹し、被植民地
化攻撃を受けているアジア諸国人民の革命戦争に合流し、
世界革命勝利の思想的物質的前提条件をつくり出していく
ものとしてあった。
A 日帝の<アジア→世界>への新植民地主義侵略は、目
に見えるようなかたちで、一挙になされるものでほない。
それは、容易には侵略とは映らない、個々の企業の長期に
わたる侵略活動の具体的蓄積の総体としてある。それ故に、
我々は、この日帝の新植民地主義侵略の総体を形成してい
る個別具体的な侵略活動をこそ、具体的に攻撃し、阻止し、
粉砕し、この個別的戦闘の具体的勝利の蓄積を通して、内
外呼応して日帝を撃つ狭撃陣型を構築し、日帝の生命線た
る新植民地主義侵略を、総体として粉砕していかなければ
ならない。キソダニ・テメンゴール作戦はこの方向をさし
示した。
B キソダニ・テメンゴール作戦は、個別企業に対する武
装攻撃ではあったが、単に個別企業に対する攻撃戦術の次
元を越えて、日帝の新植民地主義侵略総体と根底的に対決
する戦略的質をもっていた。すなわち、キソダニ・テメン
ゴール作戦は、日帝の新植民地主義侵略を軸とした反革命
戦略を具体的に破産させ、世界帝国主義打倒・日帝撃滅の
世界革命戦略を物質化させんとするものであった。
 マラヤ「辺境」開発のためのテメンゴール・ダム建設は、
日帝の新植民地主義侵略の典型である。マレーシア経済の
見かけだけの繁栄、それは、まさにUSA帝・英帝・日帝の
金融・独占資本による新植民地主義支配がもたらしたもの
であり、外国資本の搾取・収奪の下で、人口の80%が極貧
層という状態がつくり出されている(世界帝国主義の中枢
帝国が、政治的には主権国家として独立している周辺諸国
を、資本輸出・貿易・経済援助等によって経済的に従属化
し、現地支配層と癒着して、現地人民を搾取・収奪すると
いうのが新植民地主義の特徴である)。そして、このよう
な中にあって日帝金融資本が、より一層現地支配層と結び
つき、日帝の新植民地主義侵略を推し進めるべく、現地政
権の「工業化」政策を資金的にバックアップし、間組に請
負わしたのが、テメンゴール・ダム建設であった。
 当時のマレーシア・ラザク政権にとって、このマラヤ「辺

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境」侵略=テメンゴール・ダム建設は、東西ハイウエー建
設工事とともに「後進農業国」から「中進工業国」への飛
躍を賭けた第二次工業化計画の目玉事業であり、それゆえ、
その成否は、ラザク政権の政治生命をも左右する工事であ
った。さらに、それ以上に重要な目的は、このテメンゴー
ル・ダム建設および東西ハイウエー建設工事によって、テ
メンゴール峡谷一帯を湖水の下に沈め、原生林や山岳を切
り拓き、マラヤ共産党武装勢力の根拠地を破壊するという
ことにあった。テメンゴール・ダムおよび東西ハイウエー
建設工事は、その経済的効果とともに、ゲリラ根拠地の破
壊という政治的軍事的狙いがあったのである。
 ラザク政権が、日帝金融資本からの円借款を頼りに、こ
の反革命工事に注ぎ込んできた資金は年間四千万ドルに達
した。これに加えてラザク首相は、一九七五年六月、年間
二億ドルのテメンゴール防衛特別予算を認可している。こ
のこと一つとってもラザク政権にとってのテメンゴール・
ダム建設工事の重大性は歴然としている。この工事の成功
は、自らの政治的経済的地盤を固め、マラヤ共産党武装勢
力の力を殺ぐという一石二鳥の効果をもっていたのである
から、このような熱の入れようは当然であったろう。
 他方、日帝にとって、このテメンゴール・ダム建設工事
は、ラザク政権への円借款と結びついていた。すなわち日
帝金融資本による、マレーシア経済に対する支配力の強
化、新植民地主義侵略の戦略的布石であり、今後の東南ア
ジア再侵略の成否を占う試金石でもあった。それ故、どん
な犠牲を払おうとも、日帝の威信にかけても必ず成功させ
なければならない工事としてあった。マラヤ現地と日帝本
国内での幾たびかの武装攻撃と警告にも拘らず、一九七五
年七月一日海外経済協力基金が総額八八億円の第二次借款
の供与を決定しているのは、その現われである。
 間組のマラヤ「辺境」侵略を先導し、現地政権の窓口に
なったのは日帝独占資本の中枢部隊=三菱商事であった。
三菱商事は、すでに戦時下の南ベトナム、ラオスでの、反
革命側に立った工事経験をもつ間組の、まさに、その戦時
下における工事経験を買ったと言えよう。間組にとって、
このテメンゴール・ダム建設工事は、単に一個別企業の請
負った工事としてあったのではなく、まさに、日帝の国家
的政治行為としてあったが故に、一個別企業の利害を度外
視してもやり切らねばならぬ工事であった。と同時に、不
況・国内市場の狭あい化による海外侵略の必然的傾向とい
う情勢の中で、この工事の成功いかんは戦時下南ベトナム
・ラオスでの実績を踏まえた上での、今後の間組自身の中
東方面へまで手を広げた、海外戦略をも左右する戦略的布
石としてあった。
 それゆえ、間組にとって、テメンゴール・ダム建設は、
たとえマラヤ共産党武装勢力の再三の警告があり、さらに

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武装攻撃を受け、社員の家族に死者が出ようとも、決して
止める訳にはいかない工事としてあり、現地反革命軍の尻
を叩いて強行せねばならぬものとしてあった。間組に対す
るマラヤ共産党武装勢力の攻撃は、まさしく日帝の新植民
地主義侵略の反革命的本質を暴露した。すなわち、間組は、
現地政権に対して、マラヤ共産党武装勢力への徹底弾圧を
要求し、目帝反革命軍の現地派遣にかえて、現地反革命軍
に防衛されて工事を行なうことによって、その反革命性を
自己暴露したのである。
 そして、マラヤ共産党武装勢力の、間組に対する武装攻
撃に呼応・合流した、東アジア反日武装戦線三部隊のキソ
ダニ・テメンゴール作戦ほ、マラヤ「辺境」侵略の後方根
拠地たる日帝本国の、間組本社という侵略活動の中枢を武
装攻撃することで、日帝を内外呼応して挟撃する陣型をつ
くり出しつつ、侵略活動に具体的打撃を与え、また、間組
の幹部をして、「海外に活路を見出すしかない。こんなこ
とで海外の建設工事を中止したりする気持は絶対にない」
( 75・3・1付毎日。副社長竹内談)と、日帝のアキレス
腱の所在と、日帝の新植民地主義侵略の反革命的本質を言
わしめた。
C キソダニ・テメソゴール作戦は、マラヤ人民の血債的
つきつけに対して、日帝本国人が真に応えるべき道を示し
た。
 日帝反革命軍は、マラヤ占領中、数十万にものぼるマラ
ヤ人民を殺害し、厖大な量の天然資源等を強奪した。そし
てこのオトレマエはまだついていない。マラヤ人民は日帝
本国人に対して血債を要求している。「日本帝国主義がわ
が国の人民に対して犯したこれほど深い罪ほ、今日に至る
まで未だ清算されておらず、また日本帝国主義が借りたま
まにしている山よりも高い血のつぐないは今に至ってなお
つぐなわれてはいない。二九年の年月が過ぎ去った。しか
しわが国の人民はこの深い恨みを永遠に忘れはしないだろ
う」(『陣線報』一九七一年一月一日)と、マラヤ共産党
は、マラヤ人民を代弁して言っている。キソダニ・テメン
ゴール作戦は、日帝本国人が、体を張って、命がけで、オ
ノレの歴史的現在的反革命性を実践的に自己否定せんとす
ることによって、マラヤ人民の血債要求に真に応えようと
したのである。
 間組は、その創業時から東アジア諸国人民に対する日帝の
侵略反革命と伴にあり、その一端を具体的に担い、日帝の
膨張とともに膨張し今日に至っている。
 間組は、先ず、日帝本国における鉄道土木工事を中心と
した、日本人下層労働者に対する使い殺しのタコ部屋的奴
隷労働によって土建資本としての土台を築き、日帝の朝鮮
侵略の開始とともに朝鮮へ侵出し、以降朝鮮人労働者に対す
る使い殺しのタコ部屋的労働によって多数の朝鮮人労働者

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の命を奪い(なかでも当時の新興財閥日室コンツェルン野
口遵の朝鮮水力電気KKから鹿島組等とともに請負った赴戦
江ダム・長津江ダム工事が有名である。──朴慶植著『日
本帝国主義の朝鮮支配(下)』、現代史出版会刊『朝鮮人強制
労働の記録』参照)、巨額の資本を蓄積した。また間組が
朝鮮で請負った工事の多くは日帝の侵略植民地支配の根幹
ともいうべき軍事鉄道網であった。
 さらに、日帝の中国大陸への侵略拡大にともない、間組
は、日帝反革命軍にぴったりとよりそって、中国大陸へ侵
出し、反日パルチザンの武装攻撃から日帝反革命軍に防衛
されつつ、中国人労働者に対する使い殺しのタコ部屋的奴
隷労働によって、多数の中国人労働者の命を奪い、巨額の
資本を蓄積した。
 一九四一年以降は、日帝の侵略戦争拡大にともない、朝
鮮・中国大陸のみならず、台湾・タイ・フィリピン・ビル
マへも侵出し、日帝反革命軍に対する全面的な軍事協力を
行なうとともに、日帝本国内においても、朝鮮人・中国人
(約二千人)を強制連行し、使い殺しのタコ部屋的奴隷労
働によって軍関係工事を行ない、多数の朝鮮人、中国人(約
百数十人)を虐殺し、巨額の資本を蓄積した。
 一九四五年八月一五日以降、間組は他の土建資本と共謀
して、侵略戦争中の朝鮮人・中国人強制連行、虐待、虐殺
の責任追及から逃れるため、組織的に証拠湮滅を計り、逆
に多額の国家補償を強奪した。USA反革命軍の工事を請負
うことで、戦後の発展の土台を築いた間組は、日帝本国内
においては日本人下層労働者を強搾取・虐殺(例えば、一
九六九年、東京都の荒川放水路の第二新四つ木橋建設現場
で八人の出稼労働者を水死させている)しつつ、日帝の新
植民地主義侵略の一環として、内戦状態の南ベトナム、ラ
オス、マラヤに侵出し、現地反革命政権と結託し、革命勢
力に敵対した。
 間組の今日は、まさに、東アジア諸国人民と日帝本国人
下層(無産)プロレタリアートの血と屍の上に築き上げら
れている。
D キソダニ・テメンゴール作戦は、間組の、東アジア諸
国人民に対する侵略反革命史、なかでも朝鮮人・中国人の
強制連行・虐待・虐殺に対する歴史的怨念を晴らし、かつ
一九四五年一〇月の木曾谷における中国人の反日武装蜂起
の革命的伝統を継承・発展させんとするものであった。
E キソダニ・テメンゴール作戦は、間組によるタコ部屋
的奴隷労働によって酷使され虐殺されてきた山谷・釜ヶ崎
等の日帝本国人下層(無産)プロレタリアートの怨みを晴
らし、一方では日帝の土建資本に搾取されつつ、他方で
は日帝の東アジア侵略の先兵となってきた日帝本国人下
層(無産)プロレタリアートが自らを解放する戦いの根
源的方向を実践的に示した。

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 (二) 問われている課題

 (1) 戦闘指令
 キソダニ・テメンゴール作戦以降、日帝の新植民地主義
侵略下の人民・戦士たちは、われわれ日帝本国人に、いく
つもの戦闘指令を発している。主要なものに次のようなも
のがある。
@ 一九七六年二月二三日、ミンダナオ島北西部の工業都
市イリガン市で、モロ民族解放戦線戦士が、水力発電所工
事現場を武装攻撃した。この水力発電所工事は、フィリピ
ン電力庁がアジア開発銀行の融資と日帝侵略企業(導水管
関係の栗本鉄工所、ダム建設指導のための熊谷組、建設機
械納入維持の日立建設機械等)の協力を得て行なっていた
もの。この工事は、土地買収をめぐって地元イスラム教徒
の反対闘争に合い、半年以上遅れてようやく始まったが、
マルコス大統領の至上命令で陸軍一個大隊が警備していた。
A 一九七七年七月二三日。西パプア独立軍は、夜明けを
期して、エルツプルグ銅山(フリーポート・インドネジア
会社──日本の銅山八社が買鉱融資を行なって開発)を武
装攻撃した。西パプア独立軍指導の下に同鉱山のダイナマ
イトを入手したゲリラ達は、先づ同鉱山の電話線を切断し、
銅山から銅鉱の積出港アマパパレ迄一〇四キロにわたって
施設された(銅山は海抜約三千米の地点にある)直径一〇
cmの粉礦輸送パイプラインを破壊し、これと併行して山元
から二八Kの低地にある石油貯蔵所及び送油設備のほか鉱
山の諸設備も爆破した。これらの攻撃によってフリーポー
ト・インドネシア会社は、実に百万ドルもの損害を受け、
毎日、日帝本国を主な仕向地として船積する銅鉱七七〇万
ドル分はアマパパレ港に備蓄されていたものから船積みし
なければならなくなった。
B 一九七八年五月一七日、FARN(民族抵抗武装勢力)
は、インシンカ社長松本不二雄を捕捉し、同年一二月七日
には、インシンカ取締役経理部長鈴木孝和を捕捉した。イ
ンシンカはエルサルバドルで、最大の紡績合弁企業であり、
一九六七年設立、日帝側(東レ、三井物産、蝶理、岐染)
とエルサルバドル産業開発公団が、それぞれ五〇%の出資、
資本金約二六億円で、日帝本国から合繊原料を輸入し、現
地の労働者を低賃金で使って、ポリエステル・レーヨンの
織物を作り、ニカラグア、コスタリカ等中米五ヵ国で作る
中米共同市場へ売り込み、利潤は日帝本国に送金するとい
う三国間貿易を利用した典型的な新植民地主義企業。「日
本人は、しぼれるだけしぼって、利益は全部日本に持って
いく」とエルサルバドルの人民は批判している。
C 一九七八年一一月五日。イランの人民が、イラン日本
国際銀行(東銀二〇%出資)、日本料理店弁ケイ、三井物
産支店を攻撃。パンダルジャプールの石油コンビナート(三

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井物産が出資)の建設現場では、「日本人は帰れ」のなぐ
り書きが表われた。
 これらの戦闘指令(つきつけ)に対して、残念ながら、
われわれ日帝本国人は呼応し切れていない。われわれはこ
のことを痛烈に自己批判し、一日も早く戦闘体制をつくり
出さねばならない。なぜなら、日帝本国人は総休として、
歴史的にも現在的にも、被植民地人民に寄生しているが故
に、日帝中枢を武装攻撃する事実行為で、オノレの歴史的
現在的反革命性を実践的に自己否定することを通してのみ
オノレを世界革命主休として形成し得るのであり、反日の
大義に志願し、被植民地人民の戦闘に、日帝本国内から呼
応・合流していくことによってのみ、世界革命の展望を切
り拓くことができるからである。
 (2) 何をなすべきか
 われわれは、問われている実践的課題を次のように考え
ている。
 第一に、キソダニ・テメンゴール作戦が切り拓いた中枢
殲滅戦の地平を断乎として継承し、発展させ、日帝中枢に
第二・第三のキソダニ・テメンゴール作戦を実現させるこ
と。
 第二に、この中枢殲滅戦を軸としつつ、反日武装闘争を
より大衆化し、その裾野を押し広げ、大衆的反日都市ゲリ
ラ戦として発展させること。
 第三に、この中枢殲滅戦を軸とした大衆的反日都市ゲリ
ラ戦の発展を支える非公然支援網を、日帝市民社会の内部
に定着させ拡大させること(なぜなら、前戦部隊の質的飛
躍。量的拡大は、非公然支援網の拡大に大きく依存してい
る)。
 第四に、国外反日武装勢力との組織的結合である。
 調査不足・訓練不足・準備不足のまま、気だけあせって
中途半端な戦闘をやることは避けねばならぬが、また戦闘
を先へ先へとのばす待機主義も否定されなければならない。
反日武装闘争は、決してむずかしいものではない。十分な
調査、十分な訓練、十分な準備を行なうならば、数人でも、
あるいは一人でも、勝利的に展開することができる。要は、
反日武装闘争の勝利を確信し、反日兵士としての第一歩を、
ためらわずに確実に踏み出すことである。
 同志諸君! ただちに非公然地下体制を構築し、中枢殲
滅戦を軸とした大衆的反日都市ゲリラ戦を展開しょう!
 友人諸君! 大衆的反日都市ゲリラ戦の勝利の鍵を握る
非公然支援網を広範につくり出そう!
 (三) 我々の任務
 75年5・19弾圧によって狼″大地の牙″さそり″
は、その組織性を解体してしまった。バラバラに解体してし

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まったわれわれの克服へ向けての作業は先ず、個々人の自
白・屈服の自己批判・総括として問われた。われわれは、
そのことを確認し、個々が自白・屈服の自己批判・総括を
深める中で、真の意味での組織再建を克ちとるべく努力し
てきた。
 われわれの自白・屈服からの克服、組織再建へ向けての
努力を支えてきたのは、何よりも自らが担った戦い、なか
んずくキソダニ・テメンゴール作戦に対する衿持であり、
K戦士の5・19の戦いであり、F戦士の6・25の戦いであ
る。そして、日常的な獄中実力闘争と獄中獄外を貫く相互
批判−自己批判を軸とした思想闘争こそ、克服へ向けて
のテコであったと言えよう。われわれは、K戦士・F戦士
の遺志を確固として継承する意を込めて、われわれが再建
をめぎす組織の名をKF部隊と名づけている。
 獄中公然部隊を強いられているわれわれは、自らの任務
を次のように規定している。
 その第一は、反日武装闘争を展望しつつ、日帝権力と実
力で対決する獄中闘争の展開である。この獄中闘争を通し
て、獄中獄外の人民を反日潮流へと組織化することである。
 第二は、反日潮流の実践的武装化と路線的深化のための
思想闘争→情宣である。
 われわれはこの二つの任務を遂行する一つの手段として
『腹腹時計』の発行を行なう。われわれはこの『腹腹時計』
の発行を通して、なによりも反日潮流の武装力の強化と思
想的団結の深化を追求する。
 一九七九年二月

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日帝本国における反日武装斗争史(抄)
71・12・12  静岡県熱海市伊豆山の興亜観音像(皇軍の南京大虐殺を清算するために建てられたもの)と殉国
       七士の碑(A観戦犯の慰霊碑)を同時爆破
                               ─東アジア反日武装戦線狼≠フ前身部隊
72・4・6   神奈川県横浜市鶴見の曹洞宗大本山総持寺納骨堂(朝鮮侵略日本人植民者の遺骨が、慰霊観音像
       を建てられる前提で納められていた)を爆破
                               ─東アジア反日武装戦線狼≠フ前身部隊
  10・23  「北海道」札幌市北海道大学文学部北方資料室(アイヌモシリ侵略のイデオロギー形成とアイヌ
       文化遺産収奪の拠点)と旭川市常盤公園内風雪の群像(アイヌモシリ侵略の記念ブロンズ像)を
       同時爆破
                               ─東アジア反日武装戦線狼≠フ前身部隊
74・ 8・30  東京都千代田区三菱重工本社を爆破(白昼、歩道に爆弾を仕掛けるという作戦上の失敗から通行
       人多数を殺傷)
                                  ─東アジア反日武装戦線狼&泊
  10・14  東京都港区三井物産本館業務部極東室、総務部総務室を爆破
                               ─東アジア反日武装戦線大地の牙&泊
  11・10  「北海道」札幌市「北海道」神宮を放火
                                         ─アイヌモンリ部隊

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74・11・25  東京都日野市帝人中央研究所配電盤室を爆破
                                  ─東アジア反日武装戦線狼&泊
  12・10  東京都中央区大成建設本社一階を爆破
                               ─東アジア反日武装戦線大地の牙&泊
  12・23  東京都江東区鹿島建設建築本部内装センターPH工場を爆破
             ─東アジア反日武装戦線さそりの前身、抗日パルチザン義勇軍さそり&泊
75・2・28   東京都港区間組本社6階海外事業本部、9階電算機コンピューター室と埼玉県与野市間組大宮工
        場を同時爆破
                     ─東アジア反日武装戦線さそり=E狼=E大地の牙&泊
  4・19  東京都中央区韓国産業経済研究所(韓国・台湾・マラヤなどへの日帝企業の侵略斡旋機関)と兵
       庫県尼崎市オリエンタルメタル製造本社(韓国産業経済研究所が主催した韓国工業視察団の筆頭
       企業)を同時爆破
                               ─東アジア反日武装戦線大地の牙&泊
  4・27  千葉県市川市間組江戸川作業所を爆破
                                ─東アジア反日武装戦線さそり&泊
  5・4   東京都江戸川区間組江戸川作業所のコンプレッサーを爆破
                                ─東アジア反日武装戦線さそり&泊
  5・19   東アジア反日武装戦線3部隊の8名逮捕され、斉藤和戦士は日帝との一切の妥協を拒否して服毒
        自決
  5・25   東京都立川市立川駅北口派出所を爆破
                                       ─東アジア反日武装戦線
  5・29   愛知県名古屋市名古屋駅西口派出所前コインロッカーを爆破

12

                                        ─東アジア反日武装戦線
75・6・25 船本洲治戦士は、皇太子アキヒト、ミチコの沖縄上陸に抗議して、沖縄の大地で焼身自決
  7・17 沖縄ひめゆりの塔、白銀病院において皇太子アキヒト、ミチコに対して火炎びん攻撃
                                      ─沖縄人2戦士、日本人2戦士
  7・19  「北海道」札幌市、「北海道」警察本部警備部を爆破
                                        ─東アジア反日武装戦線
  7・23  沖縄海洋博会場、チリ反革命海軍練習艦エスメラルダを火炎びん攻撃
                                            ─木田明夫戦士
  8・4   佐々木規夫戦士は、日本赤軍の獄中戦士奪還闘争により、他の4戦士とともに解放される。
  8・14   東京都杉並区高円寺駅前派出所、中央区銀座三原橋派出所、練馬区小竹町派出所を同時爆破
                                        ─東アジア反日武装戦線
  9・24  東京都渋谷区、千駄ヶ谷駅前派出所、代々木駅前派出所を同時爆破
                                        ─東アジア反日武装戦線
  10・15  東京都杉並区、荻窪駅前派出所を爆破
  11・21  大阪市北区、大阪三井物産ビルを爆破
  12・26  京都市東山区、韓国学園移転予定地反対住民居住区を爆破

76.1.6  京都市左京区、平安神宮を放火
                                            ─闇のつちぐも
  3・2  「北海道」札幌市、「北海道」庁一階ロビーを爆破
                                       ─東アジア反日武装戦線
77・1・1  京都市上京区梨木神社本殿を爆破
                                  ─世界赤軍日本人部隊・闇のつちぐも

13

77・2・21   大阪市北区、東急観光ビル内東急観光を爆破
  3・8   「北海道」旭川市、「北海道」警察旭川方面本部を爆破
  5・2   東京都文京区、東京大学法文一号館を爆破
                                      ─世界革命戦線・大地の豚
  6・30  東京都世田谷区代沢5−4−15、三井アルミ社長川口勲宅を爆破
                                 ─世界革命反日戦線・タスマニア1876
  9・28  浴田由紀子戦士と大道寺あや子戦士は、日本赤軍の獄中戦士奪還闘争により、他の4戦士ととも
        に解放される。
  10・27  東京都渋谷区神社本庁一階ロビーを爆破
                                  ─世界革命反日戦線『大地のブタ』
  11・2  京都市下京区東本願寺大師堂を爆破
                                ─世界赤軍日本人部隊・やみのつちぐも

14

反日武装斗争の勝利のために(1)
──東アジア反日武装戦線狼&泊
  の組織論的観点からの総括──

(1) 反日武装闘争の組織論確立に向けて

 われわれは、世界帝国主義の全面的根底的打倒──過渡
期人類共同体の建設のために、世界革命の<党=軍>を必
要不可欠とする。しかし、われわれは建党から出発するの
でもなく、建軍から出発するのでもなく、世界革命<党=
軍>の原基形態たる反日戦闘細胞の創出から出発し、敵と
の具体的交戦という事実行為を軸にして<戦線>(前線─
─後方)を形成し、しかるのちに世界革命<党=軍>を
結成する。すなわちわれわれは世界革命<党=軍>を、そ
の形式からではなく、実体内容から創出するのである。
 建党から建軍へ、あるいは建国から建軍へという、具体
的な戦闘の開始を後に後に引き延ばそうとする路線は、万
年能書屋であり永久待機主義者である諸君の自己合理化路
線である。また、一定の路線に基づいて情勢分折を行ない、
戦略戦術・具体的活動方針を立案して組織的実践を行なう
党の建設を否定する唯武器主義的な建軍路線も、一発主義
的に破産し、その後は武装闘争を否定する転向を生ぜしめ
る。われわれは、あくまでも世界革命<党=軍>の同時一
体的な創出を追求するのである。
東アジア反日武装戦線狼&泊烽ェ、東アジアの、世界の、
反日(武装)闘争、反世界帝国主義闘争の奔流の中に、日
帝本国人としてのオノレの歴史的、現在的反革命性を実践
的に否定して、主体的に合流するべく、一定の反日思想の
形成と軍事技術的準備を積み重ねて、断呼として日帝本国
内における本格的な都市ゲリラ戦としての反日武装闘争の

15

口火を切ったことはまったく正しかった。
 狼&泊烽ェ、いっさいの日和見主義、待機主義を否定
して、すみやかに反日武装闘争を開始したのは、被植民地
人民からの搾取・収奪そして抑圧と犠牲を強いる上に「物
質的豊富と政治的自由」を誇っている日帝本国人の日常性
を一刻も早く解体しなけれはならないと決意したからであ
り、そして戦闘のインパクトと連戦連勝の勢いこそが、新
たな反日戦闘細胞を生み、日帝の息の根を止める戦いを構
築すると考えたからである。事実、狼&泊烽フ戦闘は、
大地の牙&泊焉Aさそり&泊烽生み、戦闘過程の中
で三部隊は具体的に連携した。そしてさらに、三部隊以外
にも東アジア反日武装戦線に志願する戦士、部隊を生み、
戦線を拡大したのである。
 一定の反日思想の形成と軍事技術的準備を前提として、
たとえ一人もしくは数人の規模であっても、日帝の政治・
経済・軍事中枢を撃つゲリラ戦を開始し、そのことによっ
て自らをまず<党=軍>的中核=反日戦闘細胞として確立
し、戦線を形成していくこと、これがわれわれの組織論的
原則である。
 われわれは自らの責任において反日武装闘争を開始する
以上、勝利の日まで戦闘を持続する義務を負い、その戦闘
結果に対して責任を負う。われわれは反日戦闘細胞として、
最后まで責任をとりきる。そして反日武装闘争の勝利は、
前線部隊と非公然支援部隊との相互発展にかかっている。
それ故、反日戦闘細胞として自らを<党=軍>的中核とし
て実質的に確立した部隊は、敵にダメージを与える公然化
した戦闘という物質力をテコとして、すみやかに非公然支
援部隊の形成に着手しなければならない。つまり、実践経
験があり、反日戦闘細胞と強い信頼関係をもっている兵士
を組織工作者として合法的大衆諸戦線等に派遣し、新たな
兵士と非公然支援員(準兵士)の組織化を行なう必要があ
るのである。(初期の段階では、原則として公然支援の組
織化は必要でない。公然支援は、もし兵士が逮捕されたな
らば、その段階で救対を変則的に形成すればよい。その場
合、兵士もしくは非公然支援員が公然支援活動を行なうた
めに敵の前に姿をさらけ出してしまうのはまずいので、匿
名の組織工作員として、既成の合法的政彦組織に送り込み、
救対活動を担うような配慮が必要である。)
 日帝本国人としての歴史的、現在的反革命性の実践的自
己否定をバネとした反日武装闘争への主体的<志願>、被
植民地人民の反日、反世界帝国主義闘争を受け止めて日帝
中枢を撃つ<呼応>、そして<呼応>する事実行為による
被植民地人民との<合流>、この<志願──呼応──合流>
こそ、世界革命<党=軍>創出に向けた、われわれの戦略
的組線路線である。

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(2)狼&泊焉i前史−74・8・30−75・5・19−)の組織的限界

 1 狼&泊烽フ組織構造
 狼≠ヘ、兵士のみの単一的戦闘部隊であり、非公然支
援部隊を形成していなかった。それ故、狼≠ヘ、それ自
体が戦闘部隊であるとともに、同時に兵砧線・支援部隊の
役割(武器の製造、保管、戦闘・生活資金の捻出と保管な
ど)を自力で果たさねばなちず、市民社会での日常の住居
が、同時にアジト・工場・倉庫・出撃拠点であった。
 狼≠ェ、<戦闘部隊──非公然支援部隊>という組織
陣型を構築した後で、それぞれの持ち場──領域、任務、役
割をはっきりと分けた上で、相互に支えあって戦闘を開始
するのではなく、単一的戦闘部隊のみであっても戦端を開
いたのは、待機主義の否定と、まず戦闘事績を重ねた上で、
しかるのちに、その戦闘実績をテコとして、非公然の支援
部隊を構築していくと考えたからである。
 2 狼&泊烽フ組織拡大方法
 <戦闘部隊──非公然支援部隊>という組織陣型を構築
し得なかった狼″にとっては、狼℃ゥ身が担う具体的
な都市ゲリラ戦としての反日武装闘争の遂行、そして連続
的に日帝中枢を攻撃し、勝利する事実行為こそが、未だ反
日武装闘争に決起できていない同志や友人にインパクトを与え、
決起を促すと考えた。
 つまり、狼≠フ戦闘行動と、それに呼応する後続部隊
の出現により、直接的、実体的には結合できなくても、共
に日帝中枢を攻撃する事実行為で結合し、共闘し得ると考
えたのである。狼℃ゥ身の直接的、実体的な兵士の補充、
組織拡大は、当面、狼≠フ各兵士の個人的人間関係を掘
り起こすことであり、それは、戦闘部隊である狼℃ゥ身
が、戦闘と併行して、担わざるを得なかった。
 3 狼&泊烽フ隊内主体形成
 狼″は、日帝本国人としてのオノレの歴史的、現在的
な反革命性を日帝中枢を攻撃する事実行為で自己否定し、
日帝を根底から打倒し尽し、世界革命へと向かう主体へと
自己を形成しようとした。つまり、オノレの歴史的、現在
的な帝国主義本国人性である、侵略者性・支配者性・寄生
虫性を自覚したうえで、そうしたオノレに居直らず、逃避
せず、そして観念的で自己満足的な自己否定運動(何ら敵
に物質的ダメージを与えない、攻撃性を持たない、サロン
的で偽善的なおしゃべり)でごまかさない、日帝中枢を攻
撃する実践的自己否定によってオノレを世界革命主体へと
形成せんとしたのである。そして、狼″の戦闘行動の根
源、攻撃性の生命は、個々の兵士の反日武装論争に志願す
る内発力にあった。

17

(3) 75・5・19三部隊八名の被逮捕弾圧は
  避けることができた

 1 74・8・30(三菱重工爆破)から
     わずか八ヶ月余で逮捕された原因
 この設問は、狼≠ヘなぜ、公安秘密警察にマークされていた
Nを地下に潜らせなかったのか、と総括されねばならない。
 狼≠ヘ74年初頭『腹腹時計』を公表し、そこで狼
結成以前の戦闘実績を踏まえつつ、公表後の狼≠フ戦闘
を前提としたうえで、反日思想──反日武装闘争を提起し
た。この段階では、未だNは狼≠フ組織的活動を担って
いなかったので、『腹腹時計』の公表が敵につけ入る隙を
与えることになるとは、狼≠ヘ考えなかった。
 『腹腹時計』の公表後、Nは東アジア反日武装戦線に志
感し、狼≠フ兵士として、その組織的活動を担うように
なった。Nは、「活動歴(被逮捕歴など)」、「人間関係」、
「思想傾向」などから公安秘密警察にマークされる可能性
が大きいと考えられたが、狼≠ヘNを地下に潜らせるの
ではなく、他の兵士と同様に、公然と本名で職につき、生
計を立てるように決めた。なぜか? 狼≠ヘ当時、@公
安秘密警察の力を過小評価していた、A非公然支援部隊を
持たない組織構造のため、Nを潜らせることが困難であっ
たからであり、74・8・30以後においては、B自らの戦闘
が創出した客観的状況を正しく把握し、的確に対応し得な
いという主体の立ち遅れがあったからである。
 狼≠ヘ、公安秘密警察の力を過小評価していたため、
奴らのNに対するマークを軽視、あるいは無視し、他の兵
士がこれまで非合法非公然活動を行ないつつ、安全圏
に身を置いてきた実績を踏まえて、Nも同様の生活スタイ
ルをとることに固執した。そして、非公然支援部隊を持た
ない狼≠ノとって、Nが潜るのが一時的なものならば組
織を維持していくことはできるが、長期的には困難であり、
長期にわたって地下のNを支えていくことは、狼≠フ戦
闘能力を減じてしまう、と判断せざるをえなかった。それ
故、狼≠ヘ、Nが公安秘密警察にマークされた場合の対
策として、Nが創価学会に加入して、公然と「宗教活動」
を行なうことによって、Nの「プル転」を奴らに認めさせ、
Nへのマークをかわそうと考えたのであった。そしてさら
に、狼≠ヘ、反日武装闘争が敵に与えた衝動の大きさ、
それ故の敵の捜査弾圧体制の質・量ともの大きさを十分に
考慮することができなかった。つまり、東アジア反日武装戦
線三部隊の戦闘が創出した客観的状況=敵の危機意識の増
大とそれ故の捜査弾圧体制の強化は、『腹腹時計』を公表
した74年春の時点、そして、三菱重工爆破の74・8・30以
前の狼≠フ主観的推測を超えたものであったのである。
 それでも狼≠ヘ、74・8・30の後(74・10・14の三井
物産爆破の後は特にそうであるが)、公安秘密警察が大々

18

的な捜査を開始し,『腹腹時計』を分析して「反日・アイ
ヌ・朝鮮」などをキー・カテゴリーとして抽出して追求を
始めたことを確認した時、あらためてNがマークされる危
険があると判断した。そこで、狼≠ヘ再度、Nが潜るこ
とを検討したが、いま潜れば、Nがゲリラ兵士であるこ
とを奴らに教えてやるようなものだ≠ニいう考えから、表
面上、Nが、従来以上に「宗教活動」に力を入れ、戦場や
住居での小市民ぶりを徹底化することによって、敵の追求
をかわそうと結論したのである。
 しかし、公安秘密警察は、74年暮れから、Nを具体的に
マークし、75年初頭には、定点監視(戦場附近と住居附近
の二カ所)を含む厳密な尾行を開始した。狼≠ヘ、Nが
狼≠フ組織的活動を担い始めた74年春の段階で、次に74・
8・30以後の段階で、Nを潜らせないことによって、明ら
かな誤りを犯したのである。
 公安秘密警察の捜査能力を甘く見てはならない。奴らは、
われわれの表面上の生活にまどわされることはない。奴ら
は、われわれが経済的のみならず、思想的にも「プル転」
してむ(つまり、Nのように創価学会に加入して活動しょ
               ・・・
うとも)、奴ら自身がわれわれを絶対にゲリラ兵士ではな
い、という確信を持つまでは執拗に追尾してくる。そして、
奴らは平気でデッチ上げをやる奴らなのであることを、わ
れわれは、一瞬たりとも忘れてはならないのだ。
 以上のことから、われわれは次の二点を教訓として明ら
かにすることができるであろう。
@ 敵に実体を知られてはいないゲリラ部隊が、非合法地
下出版物を発行する場合、その内容には細心の注意が払わ
れなければならない。いささかも、その出版物の発行によ
って、敵につけ入れられる情報を与えてはならない。この
点、狼≠ヘ、『腹腹時計』で細心の注意を怠り、敵に情
報を与えすぎて、オノレの実体を一部分明らかにしてしま
い、敵にNへの追求の糸口を与えるという誤りを犯した。
A 一度敵にマークされた者がゲリラ戦を開始する場合、
奴らの視界から完全に姿を消すこと、いささかのためらい
もなく地下に潜ることが鉄則である。もし一人だけの場合、
あるいは数人だけの結集しかない場合、一入でも地下に潜
った状態で戦闘を遂行するということは困難なことである。
しかし、その困難さをはっきりと認識したうえで、なおも
戦闘を遂行しょうという強い情熱と戦闘性を持っているな
らば、必ず戦闘を持続していくことができるであろう。
 われわれは勝ち続けるために、勝利的に戦闘を持続し抜
くために、<戦闘部隊──非公然支援部隊>という組織陣
型の構築を全力を挙げて追求しょう。この組織陣型が構築
され、戦闘部隊と非公然支援部隊が強い信頼のもとでおた
がいに支え合って機能する時、われわれは都市ゲリラ戦と
しての反日武装闘争を、確実に拡大し、発展させていくこ

19

とができるのである。
 2 被逮捕を狼≠フみにとどめ得ず、
     三部隊八名もの被逮捕を許した原因
 狼≠ヘ、75年2月初旬、Tが尾行されていることに気
づいた。狼≠ヘ警戒を深めたが、その尾行している奴ら
を三部隊を捜査している公安秘密警察のイヌとは判断せず、
そしてTに尾行がついた原因を徹底的に追求することを怠
った。なぜか?
 それは狼≠ェ、@公安秘密警察の力を過小評価して警
戒心を欠いていたからであり、A非公然支援部隊を持って
おらず、単一的戦闘部隊という組織構造に規制され、全員
が地下に潜るという最悪の事態を回避したいという強い願
望があったからである。では過去の被逮捕歴、公然活動歴か
ら新左翼活動家と見なされる可能性はあっても、狼≠フ
兵士と見なされる理由は考えられなかった。それ故、狼
は、Tが住んでいる地域が革共同両派による「内ゲバ多発
地域」であったため、Tがその一方の活動家としてマーク
されたのであろうと考えたのである。その判断はまた、T
を尾行した奴らがTに密着したり、Tの後をバタバタと走
り尾けるという稚拙な奴らであったこと、そして体格、服
装、持ち物がイヌそのものであったため、公安秘密警察の
イヌとは考えられなかったことに、支えられた。そして、
狼≠ヘ、Nが尾行されていることには気づかなかった。
それ故、Tの尾行が、Nからイモプル式に波及したもので
あると考えることができず、Tに限定したものであると考
えたのである。
 非公然支援部隊を持たなかった狼≠ヘ、各兵士の市民
社会での住居を、アジト・工場・倉庫・出撃拠点として活
用せざるを得なかった。そのため、全員が地下に潜らなけ
ればならないという最悪の事態になれば、それは単に市民
社会での住居を棄てるということではなく、戦闘部隊の中
枢拠点、兵端線の一切を棄てることを意味していた。この
ことは、狼≠ェ長期にわたって戦闘を停止しなければな
らないということであった。狼≠ヘ、こうした事態にな
ることを回避したかった。しかし、狼≠ェ考えねばなら
なかったことは、狼≠フ地下潜行は一時的な戦術的退却
であり、そのことによって当面の危険を回避し、三部隊の
戦闘によって切り拓いた戦略的攻勢を維持しなければなら
ないということであった。が、狼≠ヘ、一時的な戦術的
退却があたかも戦略的退却であるかのごとくに思い込み、
地下潜行の決断を下せなかったのである。
 狼≠ヘ、こうした判断の誤りによる長期にわたる戦闘
の停止を避けたいという願望によって、Tへの尾行を開始
したイヌを三部隊を捜査している公安秘密警察のイヌでは
ないと考えたのである。
 75年初頭、前年の三部隊の戦いをさらに集中化し、連携

20

化する必要があることから、三部隊の連絡会議が設定され
ることになった。この時、狼≠フ連絡員であったPは、
N→T→Pとイモヅル式にきた公安秘密のイヌを、三部隊
連絡会議に連れていき、大地の牙=Aさそり≠フ連絡員
であったK、Eの存在をイヌどもに知らせ、追尾を許して
しまったのである。
 大地の牙=Aさそり≠ノまで被逮捕弾圧を拡大して
しまったのは、直接的には狼≠フ連絡員であったPの警
戒心の欠如にあった。そして組織的には、非公然支援部隊
をもたない狼≠ヘ、敵にマークされる危険性の高いNを
潜らせることができず、Tが尾行されていることに気づい
た後でも、いっさいを投げ棄てて全員が潜るという決断が
つかなかったからである。だから兵士であるPが、すでに
Tに尾行がついているという危険な状態の中で、連絡員と
して動いて、大地の牙=Aさそり″にまで被逮捕を拡
大してしまったのである。
 狼″が、Tが尾行されていることを確認した時、先ず
何よりも考えなければならなかったことは、狼≠フ兵士
全員が地下に潜ることによって、狼≠フ戦闘を停止せざ
るを得なくなることを危惧することではなく、大地の牙=E
さそり≠フ兵士たちへ被逮捕の危険が拡大することを防
ぐことであった。後続する反日武装闘争に確信をもって、
否、反日武装闘争の継続・発展のためにこそ狼≠ヘ速や
かに地下に潜るべきだったのである。
 すなわち、狼≠ヘ客観的には戦略的攻勢を維持するた
めに戦術的退却が問われている時に、戦術的退却があたか
も戦略的退却であるかのごとくに思い込んで、戦術的退却
つまり、地下潜行の決断を下せなかったのである。
 75年2月初旬、狼≠ヘTが尾行されていることを確認
した段階で、すみやかに戦術的退却を果たすべきであった
のであり、少くとも戦術的退却をすることなく三部隊連絡
会議に直接出席することは中止するべきであった。
 この狼″の判断の誤りこそ、三部隊八名もの被逮捕を
招いてしまったのだ。
 3 準戦闘員であったMの被逮捕を許した原因
 狼≠ヘ、74、75年当時、地方の専門学校学生であった
Mを、戦闘員として迎え入れて実体的に結合することをし
なかった。なぜなら、Mが他の兵士たちと同様に、本名で
定職について生計を立てながらゲリラ戦を担っていくため
には、学校を中退して、東京に出てくるよりは、学校を卒
業して、専門職の資格を得た方が、経済的にも社会的にも
よい、という長期的展望のもとに判断したからであった。
それ故、Mは、74、75年当時、日常的にも、戦闘時におい
ても狼≠ニ行動を共にしていない、近い将来の兵士であ
り、準戦闘員という性格であったということができる。
 狼≠ヘ、近い将来の兵士であるMの身の安全を守るこ

21

とが求められていた。しかし、時々Mと直接に連絡をとり
合い、直接に往来することによって、狼≠ノ尾いていた
イヌどもをMにまで拡大してしまったのである。近い将来
の兵士であったMにまで被逮捕弾圧を拡大してしまったこ
とは、狼≠ェ、戦闘部隊としての本来の任務である具体的な都
市ゲリラ戦の遂行にとどまらず、兵砧も情宣も、兵士の補充
も、全部をやらなければならないという組織構造上の欠
陥に規定されていた。つまり、戦闘領域と非戦闘領域を分
岐していないが故に、いったんもし一人にでもイヌの尾行
が開始され、その尾行に早期に気づかなかったり、気づい
てもその対応方法を誤るならば準戦闘員、友人たちにまで
被逮捕弾圧を拡大してしまうのである。
 狼≠ヘ、75年2月Tが尾行されていることを確認した
段階で、Mを防衛するために、Mとの直接の連絡、往来は
中止すべきであった。このことによって、意見の交換がス
ムーズに運ばず、時間がかかったとしても、狼≠ヘMを
防衛することこそが問われていたのである。
 同志、友人を敵の弾圧から防衛するという思想、そして
実際に防衛し抜くことによって、戦いの永続性、戦いの前
進を道義的にも、物質的にも保障していく。したがって、
われわれは、同志、友人を防衛するための物質的根拠とし
て、<戦闘部隊──非公然支援部隊>という組織陣型を可
能な限り構築しなけれはならない。

狼≠ェ転向者Tを生み出し、内包し続けた
ことに対する自己批判

 1 Tの転向過程 (74・8・30─75・2・28─75・5・19
   ─75・7・21─77・5・19─77・12・12─現在)
 74・8・30の三菱重工爆破攻撃の結果は、狼≠フ予測
をはるかに越えたものであった。多数の通行人を殺傷して
しまったことに、狼≠ヘ総体として動揺した。しかし、
動揺はしたが、反日武装闘争を主体的に持続する決意は揺
がぬものであり、8・30の技術的失敗の確認と総括ののち、
日帝中枢に対するさらなる攻撃の続行を確認した。反日武
装闘争の続行こそが、殺傷してしまった通行人に対する、
狼&泊烽フ責任の果し方であった。
 がしかし、Tは、8・30の結果から反日武装闘争の遂行
に懐疑的になり、否定していくようになった。
 75・2・28間組本社中枢等三ヶ所同時爆破攻撃の際、で
は、すでにイヌに尾行されていることが確認できたため、
戦闘からは一歩離れたところにいたが、本社9Fコンピュ
ーター室で間組社員一人が負傷したことをもって、この戦
闘を批判した。Tにとっては、死傷者を出すか出さないか
が問題になっており、負傷者を出した2・28間組攻撃は、
批判の対象でしかなかったのである。つまり、この時点で
では、象徴主義的暴露糾弾の質を越えた、中枢セン滅の
質を持った反日武装闘争に対してはっきりと否定的態度に

22

なっていたのである。
 75・5・19、三部隊八名の被逮捕。Tは5・19直後から
急速度で転向を深め、イヌデカ、イヌ検事と相謀ってオノ
レ一人のみの延命を追求するという完全転向をなし遂げた。
 75・7・21、東拘への移監日。では、護送のイヌデカと
の別れを惜しみ、奴と握手をして涙を流すほどに完全転向
者であった。
 77・5・19。東拘移監後では、同志、友人にオノレの完
全転向の事実を隠し続けることによって本質的に完全転向
者であり続けたが、77・4に獄外の友人からの質問と批判
を受けて、完全転向の事実の切開を始めた。しかし、三年
目の5・19に(この日は、われわれにとっては反日兵士へ
の再起と、反日武装闘争の決意を打ち固める日に他ならな
いのだ)、ではそれまで進めていた完全転向からの離脱、
克服の作業を放棄し、東アジア反日武装戦線からの逃亡を
宣言した。
 77・12・12。Tは自白の日々をパンフにして公表し、自
白転向を克服して、反日兵士へと再起すると宣言した。こ
のパンフは不十分性はあるものの、確かに自白の日々の開
示であり、Tが完全転向者の地点からは脱したことを明ら
かにするものであった。しかし、5・19に発した逃亡宣言
の自己批判的総括はなく、反日武装闘争に対する生き生き
とした確信も見られないなど、Tの反日兵士への再帰はま
だなされていない。
 現在。77・12・12パンフ公表後、Tは完全転向者の地点
からは脱し、各種集会やメディアにアッピールや投書を送
ったが、その内容は、Tが反日思想、反日武装闘争に懐疑
的な立場に立っていることを示しており、Tの反日兵士へ
の再起は勝ち取れていない。
 2 各段階での狼≠フ対応とその限界
74・8・30直後、狼″は、三菱重工爆破攻撃の戦術的失
敗を、単に技術的失敗としてしか総括し得ず、失敗の心理
的動揺を組織的に克服するのではなく、個々の兵士の心理
的克服にまかせた。それ故、狼″は、Tの動揺の深さを
組織として理解し得ず、組織として共有し、克服すること
ができなかったために、Tの反日武装闘争への懐疑と反日
武装闘争を否定していく傾向を打ち破ることができず、T
の転向を阻止し得なかった。
 75・2・28直後、Tの中枢セン滅的反日武装闘争への否
定的態度に対して、狼≠ヘ、Tに尾行がついていたこと
からTとの日常的接触を避け、Tとの討論が希薄になって
いたということがあったものの、即座に批判することがで
きず、Tの反日武装闘争に対する清算主義的傾向を放置し
てしまった。
 75・5・19〜7・21。狼″は、被逮捕とともに組織性
をほぼ解体してしまい、Tの完全転向を何ら阻止しえなか

23

った。
 77・5・19。われわれ(東拘移監後三部隊は統一的に討
論を進めてきており、この段階では狼=E大地の牙
・さそり≠ニいう区別性はない)は、Tが3年目の5・
19に東アジア反日武装戦線からの逃亡宣言を発し、77・4
から開始した完全転向の事実報告、切開の作業を放棄して
しまったことをもって、未だTが完全転向者であると判断
し、Tが内包し続けている完全転向者の質を粉砕し、Tを
反日兵士へと再起させるべく、根底的な批判を開始した。
しかし、われわれの組織性とTを立ち直らせ再結合せんと
する決意が不充分であったために建設的な批判として展開
することができなかった。
 77・12・12。われわれは、Tのパンフの公表後、Tの完
全転向の地点からの主体的離脱の積極的努力を認めて評価
し、そのうえで不充分な点を批判すべきであった。しかし、
特に77・5・19の逃亡宣言以降のTに対する不信と、「批
判・発問−−応答」の中での感情的反発の故にわれわれは、
結果としてTのパンフを黙殺する態度をとるという誤りを
犯した。
 現在、われわれは、12・12パンフ公表によって、Tが明
らかに完全転向者の地点から離脱したことを認め、Tに対
して完全転向者規定を維持してきたことを自己批判的に撤
回し、その上で、Tとともに戦い抜く関係の構築、共に確
信をもって反日武装闘争を担い得る関係の構築に向けて努
力していこうと決意している。
 3 限界の思想的根拠
 完全転向に至るまでTを放置しておいたこと、Tととも
にTの動揺の深さを共有し、組織的に克服し碍なかったこ
と、これは狼″の組織的な思想性の矛盾、組織性の弱さ
の結果である。
 狼≠ヘ組織総体として、反日思想を観念的にしか獲得
することができず、真に主体化し得ていなかった。
 反日思想は、帝国主義本国人であるオノレの歴史的、現
在的反革命性を自己否定し、日本帝国主義・世界帝国主義
の反革命思想と対決して、オノレを革命主体へと変革成長
させる革命思想である。そして、この反日思想に従って、
日帝の歴史的、現在的反革命史を粉砕する質を内包する、
具体的に現在の日帝中枢を撃つ反日武装闘争を主体的に担
うことによって、反革命的存在の日帝本国人を革命的存在
=革命主体へと形成していく普遍的な解放思想なのである。
 しかし、74・8・30当時の狼≠ヘ、反日思想──反日
武装闘争の、こうした革命性をしっかりと主体化しえず、
あたかも日帝本国人総体が帝国主義者であるかのごときア
イマイさを持っていたが故に、三菱重工の中枢機能を攻撃
するのではなく、大きな爆弾を、白昼、路上に設置すると
いう戦術的失敗を犯したのである。つまり、この戦術的失

24

敗は、狼≠フ反日思想の観念性が惹起したものであった
のである。
 このように、この予想を越えた8・30の結果が、狼
の組織総体の思想性を根底的に問うものであったけれども、
当時の狼≠ヘそのことに気づかず組織的にきちんと総括
することができなかった。それ故、単に技術的失敗として
のみ総括し、個々の兵士の心理的克服にまかせただけで、
組織的に思想的に克服し得なかったが故に、Tの転向を放
置してしまったのである。そして、このように観念的にし
か反日思想を獲得し得ていなかったが故に、狼≠ヘ75・
2・28の戦闘に対するTの懐疑に対しても原則的に批判し
得ず、そのことによってTの転向を促進するとともに、
狼≠フ組織総体の思想性をアイマイなままに維持し続け
たのである。
 オノレの歴史的、現在的反革命性を自己否定し、日本帝
国主義者、世界帝国主義者に対する非妥協的な憎悪に裏打
ちされた戦闘意志を確固なものとする反日思想を狼≠ェ
組織総体として主体化し得ていなかったこと、そしてその
主体化に向けた隊内思想闘争の軽視が、Tの転向と、被逮
捕直後の完全転向を生ぜしめた思想的根拠であった。
 被植民地人民の解放を最優先に追求し、世界革命主体の
形成に向けて日帝本国人であるオノレの歴史的・現在的な
反革命性を日帝中枢を撃つ実践によって自己否定していく
反日思想の目的意識的な深化を、個々の兵士間において、
そして組織総体として徹底化する隊内思想闘争の展開こそ
が、Tを完全転向に追いやった、狼≠フ思想的不十分性、
アイマイさを克服できるのである。
 4 限界の組織的根拠
 狼≠ヘ、組織的な強制力のある部隊規律を持たなかっ
た。狼≠ヘ小規模な組織であり、それ故、隊内民主主義
の徹底化によって、部隊規律は維持できると考えたし、個
個の兵士の自己規律によって、狼≠フ部隊規律、行動綱
領は代行されうると考えたのであった。
″狼≠ヘ、その行動の根源を、個々の兵士が東アジア反日
武装戦線に志願し、日帝中枢を攻撃するという戦闘的内発
力、すなわち、他からの強制によるものではない個々の兵
士の主体的決意に依拠していた。狼≠ヘ、このような個
                         ・
個の兵士の主体的決意に依拠した戦いの遂行によって、自
・・・・・
然成長的に個々の兵士が革命主体へと鍛え上げられ、その鍛
え上げられる過程で、共産主義的(戦士的)共同性を形成
できると考えたのである。それ故、狼≠ヘ、兵士個々を
相互に鍛え上げ、信頼関係を強固にするためのテコである
自己批判──相互批判、自己点検──相互点検を組織的に
実践しなかった。つまり、狼≠ヘ、戦いの遂行過程で自
然成長的に個々の兵士が鍛え上げられ、狼℃ゥ身も鍛え
上げられる、と考えたが故に、自己批判──相互批判、自

25

己点検──相互点検は、その必要がないかのごとくに考えて、
まったく不十分にしかなし得なかったのである。また、隊内
民主主義の徹底化は、単に官僚的組織論の否定にとどまった。
 こうして個々の兵士の自己規律にすべてを委ね、隊内思想
闘争を軽視した狼≠ヘ、個々の兵士に矛盾が生じても、全体
でその矛盾を共有して切開し、克服しようとするのではなく、
矛盾を抱え込んだ兵士自らが、その矛盾に気づき、自ら克服
するにまかせて、組織的には放置してしまうことになった。
これは個々の兵士の甘え、行動の厳格さの欠如を助長し、組織
的緊張を減じ、和気アイアイとしていることがあたかも組織
的な余裕であるかのごとくに錯覚して、都会的(個人主義的)
自由主義をはびこらせ、組織的な、または個々の兵士の内
部での小さな矛盾をも、克服しないまま放置して、根本的
な大きな矛盾へと拡大させていくことになったのである。
 Tが陥った矛盾を見抜けずに放置し、Tを完全転向に追
いやった組織的板拠は、こうした狼≠フ組織性のなさに
よる隊内思想闘争の軽視であった。
 些細な誤りや失敗が、オノレはもちろんのこと、同志や友人
の死をもたらし、あるいは被逮捕につながるゲリラ部隊にあっ
ては、組織的にも、個々の兵士においてもどんな些細な誤りや
失敗も決して見逃さないことが、戦闘を持続させるための核心
である。自己批判──相互批判、自己点検──相互点検を実践
し、相互に日常生活、任務活動を点検し合い、鍛え上げてい
くことによって、(そしてこのことが、お互いの信頼を強固に
するのだ!)連続的、永続的な勝利を保障するのである。
 狼≠ェ組織総体として反日思想を主体化し得ていなかった
こと、そして組織性のなさによる隊内思想闘争の軽視が、Tを
完全転向に追いやったということを自己批判しなければならない。

(5) 全員が自白敗北したことの組織的根拠

 前段(4)の3、4において展開したように、組織総体として反
日思想を主体化しておらず、革命主体へと自己を形成し得て
いなかったこと、これが第一の根拠である。次に、目的意識的
に相互に鍛え上げるという隊内思想闘争の軽視から、共産
主義的(戦士的)共同性を構築することなく、仲良しグルー
プ的、家族主義的「共同性」しか構築し得ず、物理的に個
々に分断されることによって、組織性を解体してしまったこ
と、こうした組織性の弱さ、欠如が、第二の根拠である。
 そして第三の根拠は、反日武装闘争の勝利の確信に基づ
いた被逮捕後の方針と展望の無設定、欠如である。
 狼≠ヘ、逮捕された場合には、カプセルを服用して自
殺し、他の兵士・部隊への被逮捕の拡大を防ぐということ
を唯一の組織的方針として設定した。
 すなわち、狼≠ヘ反日武装闘争の勝利と、新たな反日兵士、
部隊の出現、後続決起を確信し得なかったが故に、被逮捕は
敗北であり、戦いの終わりであるという敗北主義に陥り、カ

26

プセルを服用して自殺することによって組織防衛をはかる
という根本的に誤った組織論に立っていたのである。
 反日武装闘争の勝利と後続する反日兵士、部隊の出現に
確信を持ち、逮捕されたならば獄中でクソブタどもと闘い
抜き、しぶとく生き抜き、その事実行為で継続・後続する
獄外の反日武装闘争と呼応、結合して反日武装闘争を前進
させていくという、被逮捕後の方針と展望の無設定、欠如、
これが組織的な自白敗北の第三の根拠である。
 狼≠フ被逮捕、そして自白敗北は、狼≠フ組織的限界、不
十分性に起因するものであるが、しかし、このことは、狼≠ノは
「党」がなかったからとか、狼≠ヘ戦闘を急ぎすぎたからという
ことを意味しているのでは断じてない。狼≠フ敗北の総括・教
訓として、「党」がなかったから敗北した∞「党」を形成しな
ければならない∞戦闘を急ぎすぎてはならない≠ニ結論し、戦
闘を先に先に延ばし、緊急に戦わないことを正当化し、待機
主義を肯定するのは絶対に誤っている。そうではないのだ。
一人でも数人でも戦えるのだ。そして勝利し続けること
もできるのだ。そしてなお、狼≠フように単一的戦闘部
隊ではなく、非公然支援部隊が形成し得ればよい条件で戦
え、さらに目的意識的に組織性を強化し得れば、困難に遭
遇しても、組識的に克服することができる、ということな
のである。戦闘部隊だけであれば戦えないのでは断じてな
く、要は、有利な条件で戦えるか否かであり、組織性が鍛
え上げられて強いのかどうかが、重要なのである。
 また狼≠ェ戦闘を急ぎすぎたことが敗北につながった、
というのはまったくの間違いである。なぜなら、狼≠フ
戦闘のインパクトこそが次々と新たな反日兵士、反日部隊
を生み、日帝中枢への連続的攻撃を生んだのであるから。
問われていることは、待機主義、日和見主義を排してすみ
やかに日帝中枢を攻撃し続けることであり、そして、その
戦闘性をそこなうことなく、公安秘密警察を尖兵とする敵
につけ入る隙を与えない組織陣型の構築ということなのである。
 世界革命主体へと個々の兵士、組織総体を鍛え上げてい
くのは、何よりもまず具体的な戦闘実践──原始共同体原
住民、被植民地人民の苦闘に想いを馳せ、彼らの解放を最
優先し、常に彼らの立場に向けて自己否定し、彼らの日本
帝国主義、世界帝国主義に対する憎悪を心の核心に据える
反日武装闘争の遂行──である。われわれは、この戦闘実
践のたびごとに、日本帝国主義者、世界帝国主義者どもへ
の非妥協的な憎悪を組織としての戦闘意志へと高め、そし
て勝利に至るプログラムを組織的に提起し、それを実践的
に検証・確認し得る時、個々の兵士、組織総体が、勝利の
確信を主体化し、戦闘を持続し得るのである。この時、反
日武装闘争は休むことなく前進し、敵を撃ち、味方を強化
する勝利の弁証法を確固として展開し得るのである。
       東アジア反日武装戦線旧狼&泊熾コ士P

27

反日武装斗争の勝利のために(2)
 ──反日都市ゲリラ兵士の守るべき
       原則=心得について──

 はじめに

 われわれは、反日都市ゲリラ兵士として反日都市ゲリラ
戦を開始する時、われわれの戦闘力を高め、勝利を保障し
ていくために、さまざまな戦闘技術を熟知し、習得しなけ
ればならない。そして、それと同じ重要さをもって、われ
われは、都市市民社会で戦い抜き、生き抜くために、公然
合法闘争あるいは半合法闘争(大衆的実力闘争)とは発想
をまったく異にする反日都市ゲリラ兵士としての守るべき
原則=心得を熟知し、習得しなければならない。
 われわれは今、チェ・ゲバラの『ゲリラ戦争』(三一新
書)やカルロス・マリグーラの『都市ゲリラ教程』(三一
新書)から、ゲリラ兵士として堅持すべきモラル、勝利に
向けて必要とするゲリラ兵士として守るべき原則──心得を
体系的に学ぶことができる。そして、毛沢東の『軍事論文
選』(東方書店)やポー・グエン・ザップの『人民の戦争
・人民の軍隊』(弘文堂新書・絶版)から、基本的な革命
戦争の軍事力学と、勝利する人民戦争の弁証法を学ぶこと
ができる。われわれは、優れた革命の先達の表わしたこれ
らの教本を、反日都市ゲリラ戦を開始する際の基本とすべ
きテキストとして活用すること、(従って、もし友人儲君
が、これらの教本をまだ読んでいないならば、先ずもって
                        ・・
これらを読むこと、特にゲバラとマリグーラの二薯は必ず
・・・・・・
熟読することを要請する!)そして、革命史の実践的教訓
をしっかりと受け止めて、血肉化することを確認しなくて
はならない。

28

 以上のことを前提として、われわれは現在の日帝本国内
の特殊具体的状況の中で、反日都市ゲリラ戦を勝ち抜いて
いくための原則を確立しなければならない。
 われわれは、『腹腹時計』VOL1において、「武装闘
争を大衆運動の自然延長線上に構えてはならない」と、反
日都市ゲリラ戦を遂行していく上でのいくつかの基本的原
則、反日都市ゲリラ兵士の守るべき心得を提起した。以下
においてわれわれは、『腹腹時計』VOL1で提起した原
則を踏襲しつつ、東アジア反日武装戦線三部隊の勝利的戦
闘と75・5・19敗北の中から特に教訓とするべき反日都市
ゲリラ兵士の守るべき原則−−心得を、具体的に提起する。

 (1) 日常生活上の心得−−都市市民社会で
  生き抜くために
〇 反日都市ゲリラ兵士は(反日都市ゲリラ兵士を物心両
 面にわたって具体的・直接的に支えている非公然支援員
 も同じであるが)、その其の姿を敵に知られてはならず、
 そのためには地域住民に不審がられて敵に通報されるこ
 とのないように市民社会にとけ込まなくてはならない。
 その表面的な日常生活は、目立たぬ、ごく普通のもので
 なければならない。生活様式、服装、言動などにおいて、
 その生活地域に適合したものでなければならない。
  反日都市ゲリラ兵士は、ごく普通の工場労働者であり、
 会社員であり、学生であり、主婦であるように地域住民
 から見られねばならず、住民の出入りや生活時間などで、
 地域住民から不審がられるような不自然さは極力避けな
 ければならない。
○ 反日都市ゲリラ兵士の矜持は、自分の反日都市ゲリラ
 兵士としての実像を徹底的に隠しきることによって保持
 される。この大前提的原則を守りきれず自分の実像を見
 せてしまう者は、ゲリラ兵士としてのもっとも基本的な
 資質を欠き、ゲリラ兵士失格である。
○ 被逮捕歴があるか、またはなくとも公安秘密警察にマ
 ークされている者が、反日都市ゲリラ戦を開始する時は、
 小手先のやり方で敵の目をごまかそうとするのではなく
 (例えば、偽装プル転として、宗教活動を行なったり、
 遊びほうけてみたりなど)、完全に地下に潜り、匿名兵
 士として戦わなくてはならない。
○ 都市は敵の公然非公然のスパイどもと隣合わせの生活
 をする危険が少なくない。特に、民間のアパートの所有
 者や管理人は退職または現職の警察官が多く、こうした
 アパートに入居した場合は、敵そのものと生活を隣合わ
 せにし、日常を監視されることになるのである。従って、
 反日都市ゲリラ兵士は、隣人たち、アパートの所有者や
 管理人の職業を把握することが必要である。この時、既
 に先方から観察されているかもしれないということを考
 慮して、さりげなく£イ査することが必要である。

29

○ 電気・ガスの使用量に注意すること。一般の家庭で使用
 する量よりも極端に少なくなったり、反対に、極端に多く
 ならないように注意すること。極端に少ない場合は、そ
 こで生活が営まれていないと思われるし、極端に多い場
 合は、武器製造用の電動機具などを使用していると思わ
 れるからである。
 公安秘密警察は、電気やガスの使用メーターをも調べ
 ているのである。
○ ゴミを出す時には、細心の注意を払うこと。反日都市
 ゲリラ兵士としての自分の実像が見られる危険性のある
 ゴミは出してはならない。メモなどの紙片は、家の中で
 燃やして、ゴミとして出さないこと。ビンやカンなどの
 燃えないものは、原型をとどめないように破砕した上で、
 居住地域から離れたところに、然も敵にマ−クされてい
 ないことを確認した上で捨てるような配慮が必要である。
 東アジア反日武装戦線三部隊の被逮捕の直接の契機は、
 公安秘密警察にゴミを回収されたことであった。
○ 外出する時は、その間に誰かが住居に侵入したかどう
 かを感知できるように、簡単な仕掛けをしておくこと。
 また、外出する時は、武器、秘密書類など、自分が反日
 都市ゲリラ兵士であることを示す一切のものを厳密に隠
 し、荒らし回られたら、すぐにわかるように、室内は整
 理整頓しておくこと。
  整理整頓を習慣づけることが絶対に必要である。

 (2) 日常生活上の心得−敵との神経戦。
  心理戦に勝ち抜き、戦闘を準備するために
○ 反日都市ゲリラ兵士は、マリファナ・覚醒剤を喫飲し
 てはならない。精神安定剤・睡眠薬・鎮静剤の常用(中
 毒になること)も禁止である。そして、アルコールも飲
 用禁止が原則である。がしかし、アルコールの場合は、
 少量を薬用として飲用する場合や、自分の反日都市ゲリ
 ラ兵士としての実像をカムフラージュするために飲用す
           ・・・・・・・・・・
 ることが有効な時は、厳格な自己規律の上に少量の飲用
 は許されるであろう。(戦闘準備中や遂行中にはアルコ
ールの飲用も全面禁止である。)
  なぜ、これら喫飲が禁止なのか?
  これらの喫飲は、正常な神経機能を一時的、あるいは
 永続的に麻卑させ、正しい戦いの遂行を防げるからであ
 る。そして、これらの喫飲による正常な神経機能の一時
 的あるいは永続的な麻卑は、戦闘遂行上、重大な失敗を
 犯す危険があるばかりでなく、公安秘密警察やスパイど
 もとの日常の熾烈な神経戦・心理戦に敗化をもたらして
 しまう危険があるからである。
○ 日常不断に身体を鍛えること。健康の維持・体力の強
 化を軽視していては、絶対に反日都市ゲリラ戦を勝利的

30

 に、持続的に戦い抜くことができない。
  東アジア反日武装戦線狼&泊烽フ虹作戦(天皇ヒロ
 ヒト処刑)は、狼≠フ兵士たちの体力がより強靭であ
 ったならば、貫徹できていたかもしれないのである。こ
 のくやしい教訓は、必ず生かされなければならない。
○ 反日都市ゲリラ兵士が、本名で職について生計を立て
 ていようと、地下に潜って匿名で生活していようと、自
 分達の実像を隠しているにもかかわらず、身の回りに犬
 どもが出没し、尾行や聞き込みを開始していることが察
 知できたら、一切の楽観は捨てねばならない。その場合
 は速やかに、本名で職についている者は地下に潜り、既
 に地下に潜っている者は、他の安全な場所へ移動するこ
 と。
  身の安全のために、決断をためらわぬことが要求され
 るのである。
○ 奪取あるいは購入した武器・薬品・機具などは、可能
 な限りその製造番号を消し、レッテルをはがすなど手に
 入れた時のままの状態にしておかないことを習慣づける
 必要がある。このようにしておけば、被逮捕あるいはガ
 サ入れという最悪の事態の時、敵の捜査を簡単には許さ
 ない。
○ 武器製造などの作業を行なう時に発する音や臭気、そ
 して作戦会議などの時の話し声が外にもれて地域住民に
 不審がられないように気をつけ、防音(例えば、地下に
 工場を作る)、防臭(例えば、コーヒー豆やカレー粉を
 炒って、その匂いでカムフラージュする)の措置を講じ
 ることが必要である。
○ 反日都市グリラ兵士は、闘争日誌、住所録をつけて残
 しておいてはならない。三部隊の敗化の教訓としてこの
 ことは強調されなければならない。反日都市ゲリラ兵士
 は記憶力を強化し、必要な事項は全て記憶しなければな
 らない。
  なお、金銭出納記録は必要不可欠なものであるが、そ
 の記録の中から活動内容が読みとられない最小限度のも
 のにとどめ、然も敵にわからない方法で記録することが
 必要である。
○ 秘密書類や薬品類などは整理整頓した上で一ヶ所にま
 とめて保管し、敵が踏み込んできた場合、あるいはその
 住居を遺棄して逃亡する場合には、ー瞬にしてそれらを
 処分(例えば、時限式の爆燃装置をセットしておく)で
 きるような装置を作っておくことが望ましい。
○ 電話は盗聴され、手紙は開封される危険があることを
 忘れてはならない。連絡の原則は、あくまでも直接口頭
 によるものである。しかし、止むを得ずに、電話や手紙
 を用いて連絡する場合は、あらかじめ確認してある暗号
 を用いて、盗聴、開封された場合でも、発受人とも反日

31

 都市ゲリラ兵士であるということが知られず、連絡内容
 の真の意味も読みとられないように安全を期さなければ
 ならない。
○ 喫茶店は長時間の討論をする場合に使用してはならな
 い。喫茶店の使用は、簡単な連絡をする場合に限り、も
 し時間がかかる場合は、他へ場所を移すようにすること。
 そして同時に集って話す人数も、せいぜい3人を限度と
 すること。喫茶店にはスパイが多く、犬そのものも客と
 して入り込んでいることが多い。
○ 敵につけ入る隙を与え、敵の介入を許す危険のあるい
 かなる個人行動(例えば、本などの窃盗=Aスピード
 ・オーバーや信号無視の交通違反≠ネど)もしてはな
 らない。反日都市ゲリラ兵士は、自分の言動の全てが組
 織の安全を左右している、ということを強く自覚してい
 なけれはならない。
○ 尾行されていることが考えられない場合でも、必ずチ
 ェック・ポイントを設け、尾行されているか否かを毎日
 点検すること。また、奴らが定点監視する場合、その位
 置は住居・戦場と最寄りの駅やバス停の間に設けられる
 ので、その間の警戒を怠らないこと。
○ 公安秘密警察の犬どものイメージを固定化してはなら
 ない。奴らは、30代後半から40代後半にかけての、眼つ
 きが悪く、ガッチリした体格のいかにも犬≠ニいう夕
 イブが多いが、しかし、三部隊を尾けた犬の中には若い
 女の犬も加わっていたし、20代で長髪・やせぎすのジャ
 ンパーにジーパン姿の犬もいた。
  反日都市ゲリラ兵士は、犬どもを見つける目を柔軟に
 しなければならない。

 (3) 作戦遂行上の心得−戦闘の勝利を
  保証するために
○ 作戦の手順は、@(戦略・戦術体系に従って)攻撃目
 標の設定、A攻撃目標に関する十全な調査、B作戦計画
 の立案、C作戦に必要な準備と訓練・実験(予行演習}
 D作戦計画の補正と最終確認、E決行、F退却、G総括
 (新たな戦闘の遂行に向けて)、である。
  作戦は、小から大へ、単純なものから複雑で高度なも
 のへと発展させていくが、この図式を固定化してしまい、
 緊急に問われている作戦を、力量が不足しているから
 とか、まだその作戦を担うまでの段階に力量が至って
 いないから≠ネどという理由で回避してしまうことは日
 和見主義である。無謀な冒険をしてはならないが、問わ
 れている作戦に力量を向上させていく方向で戦闘を遂行
 しようとすることが必要である。
○ 攻撃目標の調査・偵察は、十分に厳密に行なわれなけ
 ればならない。
  作戦の成功の可否は、調査・偵察が十分に、厳密に行

32

 なわれるか否かにかかっている。攻撃目標(敵)を正確に
 知ることなくしては、その作戦は絶対に勝利し得ない。
 攻撃目標(敵)を正確に把握し、作戦遂行に必要な全て
 (攻撃目標附近の地理、そこに至る交通、何通りもの退
 却路などなど)を調査偵察することこそ、反日都市ゲリ
 ラ戦を勝利的に遂行する第一歩である。調査なき戦闘
 をしてはならない≠アれはゲリラ戦の鉄則である。
  なお、調査・偵察の時、それが調査・偵察であるから
 と決して安易に構えてはならず、作戦遂行時と同じ緊張
 と警戒(敵にこちらの動きを察知されないこと、こちら
 の身元が割れる危険のある身分証明書類などは一切身に
 つけないことなど)をもって行なわれなければならない。
○ 作戦計画は、綿密な調査・偵察の上に立って、作戦の
 意義、目的を踏まえ、彼我の力関係を十分に検討して、
 日帝中枢の急所を的確に撃つものとして立案されねばな
 らない。そして、戦闘方法は、あくまでも敵の意表をつ
 くゲリラ戦として展開し、経験をもって創造し、創造
 をもって新しい経験をたくわえる≠烽フでなけれはなら
 ない。
  作戦計画立案に際しては、隊内民主主義的討論を徹底
 的におしすすめること。全員の意志一致が勝ち取られ、
 全員が立案した作戦計画の勝利を確信するまで討論する
 こと。「不安だがひとつやってみよう」という大雑把な
 冒険主義的計画を立ててはならない。「何とかなるさ」
 では絶対に勝利することはできない。「自分は疑問があ
 るが、みんながいいと言うならば、それでいいや」とい
 うような、主体性のない消極的姿勢で、確信を持ってな
 いのに他の意見に賛成してみたり、非共産主義的に反対
 意見を強圧的にはねのけてしまっては、絶対に勝利する
 ことはできない。
  作戦計画は、共産主義的共同性(同志関係における官
 僚主義など非共産主義的関係は克服されねばならない。)
 に貫かれた反日都市ゲリラ部隊の中で、全員が自分の意
 見を言い合い、全員の意志一致のもとに立案され、全員
 が立案した計画に確信を持つものでなければならない。
 こうした組織性に保障され、全員の勝利に対する絶対的
 確信をもって立案された作戦計画は、全員の高い志気で、
 必ず勝利的に遂行される。
○ 作戦計画は、攻撃の成功のみならず、退却の成功を導
 くものでなけれはならない。しかも、退却の方法とルー
 トは、あらゆる場合(最悪の場合も含めて)を想定して、
 現実的に何通りも立案されねばならない。退却の方法と
 ルートを確保できない戦いをしてはならない。なぜなら、
 反日都市ゲリラ戦の前進と拡大は、ゲリラ兵士・部隊が
 生き続けることにあるからである。従って、文字通り決
 死的な戦い、後がない戦いは採用すべきではなく、一見

33


 決死的な戦い(例えばハイジャックや館物の占拠など)
 であっても、必ず退却の方法とルートは事前に設定して
 おかなければならない。
  反日都市ゲリラ兵士が生き続けること、すなわち戦闘
 を持続することこそが革命の勝利を導くのである。
  必ず勝つ戦いを遂行すること″、これはゲリラ戦の
 鉄則である。
  作戦計画を立案したならば、必ず計画どおりの演習を
 行なうこと。計画どおりにやってみると、必ず何か計画
 の不十分な点、欠陥があることがわかるので、それを補
 正しなければならない。
  補正された作戦計画に従って演習を行ない、改めて作
 戦計画と任務分担などの最終的確認を行なう。
○ 訓練と実験は、長期的、短期的方針を設定した上で、
 計画的に行なうこと。
  長期的方針に基づく訓練と実験とは、反日都市ゲリラ
 戦に必要とされる基本的な戦闘技術の熟知と習得(例え
 ば、車の運転技術の習得、銃・爆弾の扱い方、製造法な
 ど)のことであり、短期的方針に基づく訓練と実験とは
 作戦計画に沿った具体的な演習とその準備のことである。
  反日都市ゲリラ戦は、ゲリラ兵士が戦闘技術を熟知し、
 習得しなければ、つまり訓練と実験を積まなければ、絶対に勝
 利的に遂行できない。いくら反日思想を確固として持ち、
 気高いゲリラ兵士としてのモラルを持っていても、戦闘技
 術を軽視し、訓練と実験がおろそかにされるならば、絶
 対に勝てない。このことは強く確認されねばならない。
○ 爆破作戦に関して。
  東アジア反日武装戦線三部隊八名の被逮捕後、誤爆事
 故が相次いでおり、敵につけ入る隙を与えているばかり
 か、ゲリラ兵士自らの命を失ってもいる。誤爆事故の多
 発は、爆破作戦に対する安易な取り組み、すなわち、爆
 弾に関する基本的知識の欠如、そして訓練や実験を十分
 に行なっていない証拠である。
  爆弾は、本来無差別的な機能を持つ武器であるから、
 扱い方を誤れば、敵のみならず味方、自分自身をも傷つ
 ける武器であることをはつきり確認しなければならない。
  それ故、爆破作戦計画を立案したならば、爆弾に関す
 る基本的知識を学び、爆弾の扱い方を熟知し、習得する
 こと(簡単な化学の知識、爆薬の知識、電気に関する知
 識が必要)が絶対に不可欠である。こうした訓練をサボ
 リ、安易に爆破作戦を計画し遂行してはならない。安易
 な取り組みは味方陣営に手痛いダメージを与える危険性
 がある。わずかな時間と、わずかな労力を惜しんではな
 らない。
 爆破作戦は、爆弾が無差別的な機能を持っているため、
 可能な限り爆破目標に接近して爆弾を仕掛けてその無差

34


 別性を封じ、攻撃すべき目標(敵)をこそ撃つようにす
 ることが必要である。三菱重工爆破作戦と同じ誤りを繰
 り返してはならない。すなわち、爆破作戦においては、
 作戦の意義・目的、そして攻撃対象(敵)を十分に検討
 し、具体的に確定した上で爆破地点、爆破時間、爆弾の
 威力の大きさを決定しなくてはならない。
○ 徴発(武券・資金)作戦に関して。
  特に、戦闘資金を徴発するための作戦は、その徴発対
 象と方法を十分に考え抜き、人民から支持を得られない
 ものは採用すべきではない。すなわち、銀行をはじめと
 した金融機関に対する襲撃や政府高官・ブルジョアジー
 などを捕捉して資金と交換するという徴発作戦は採用さ
 れても、路上の老女から金品をひったくったり、小児を
 誘拐して身代金と交換するようなことは、決してしては
 ならない。このような安易で、卑劣な方法は革命とは無
 縁であるばかりでなく、反革命的であり、斬罪されるべ
 きものである。
  金融機関襲撃については、共産同赤軍派のM作戦を行
 なった諸君から、具体的な総括が出されている。それに
 依れば、@十分な調査(襲撃の警備状況、金の有無など)
 によって、A襲撃人員と時間を決定し、B確実に退却し
 得るルートと方法を確保した上で、断乎としてスピーデ
 ィーにやることが必要であるとされている。すなわち、
  徴発作戦においても、作戦の手順に従って、原則的に遂
  行されねばならないということである。
○ 決行は、日帝の政治的・経済的・軍事的中枢の急所を
 撃ち、反日の道義性をつき出す戦闘によって、人民を鼓
 舞し、人民から支持されるように断乎として展開されね
 ばならない。
○ 退却は、確実に、断乎として行なうこと。退却が成功
 裡に成されて、はじめて作戦の成功が確定するのである。
○ 総括は、軍事的側面からと、政治的側面から行ない、
 軍事的総括はリアリズムに徹して行なうことが必要であ
 る。過大評価をせず、謙虚にありのままに総括すること。
 もし、失敗があった時は、徹底的にその失敗の根を掘り
 出し、その根を完全に絶つまで行なうこと。根源まで掘
 り下げず、中途半端なままにしておいてはならない。東
 アジア反日武装戦線狼&泊烽ヘ、三菱重工爆破作戦の
 失敗を真に総括し得ず、克服し得なかったが故に、被逮
 捕後自白敗化を促進した。狼≠ニ同じ誤りを繰り返し
 てはならない。一切のなれあい、まあまあ主義、暗黙の
 了解などのアイマイさを排し、共産主義的共同性の中で、
 各自が心の底から意見を出し合い、自己批判−相互批
 判、自己点検−相互点検を行ない、真に組織的な総括
 を行なわなくてはならない。
  こうした其の組織的総括こそが、次の作戦の成功を保

35

 障していくのである。

 おわりに

 「ピストルに限らず銃火器という殺人器具は、使用する
者を必ず堕落させる。銃火器を身につけていると、いつの間に
か銃火器そのものが、銃火器を持つ者の精神の一角を占領し、
これに頼る習性を生み出す。革命の論理、政治の暴力がこの銃
の筒先により決定されるのだが、階級的人間が銃の筒先を支配
し、自由自在にできないと、銃が銃の法則で独走する。銃
をもつ集団が、銃をもって自らの自由と人民の自由をかち
とろうという階級の敵の圧制をはねかえし、てんぷくする
という闘いの原則をわずかながらも忘れたとき、軍事冒険
主義を生み出す。言葉でいう軍事冒険主義は怪我を生まな
い。しかし、銃をもつ集団の軍事優先主義は、射殺の論理
で、すべてを処断できるのだ。」(『南朝鮮のゲリラ戦士群
像 其の二』許元沢)
 われわれは、待機主義と日和見主義を否定し、自らの反
日都市ゲリラ戦の遂行によって革命的状況を創出していく、
という攻撃的革命戦略の実践的立場を堅持している。しか
し、われわれは決して好戦主義者でも軍事冒険主義者でも
ない。われわれは帝国主義者による侵略戦争を粉砕し、植
民地支配、階級支配を消滅させるためにこそ武器をとって
戦うことを決意しているのであり、軍事冒険主義には反対
している。われわれは、反日都市ゲリラ戦の遂行を通して、
武器にふり回されない、確固とした反日思想を確立してい
くのである。このことを、同志、友人諸君と確認したい。
 反日都市ゲリラ兵士は、日常生活においても、作戦遂行
上においても、細心の注意と警戒を一時も怠ってはならな
い。一時も油断することなく、公安秘密警察との神経戦、
心理戦に打ち勝って進撃しなければならない。
 では、反日都市ゲリラ兵士を、こうした不断の緊張に耐
えさせているものは何か?
 それは、被植民地人民の解放に向けた進撃に学び、彼ら
と呼応し、合流して日帝を撃ち、必ず世界帝国主義を打倒
するという勝利の確信である。そして、勝利の確信に基づ
いた、どんな困難な状況にも決して弱音を吐かないしたた
かな明るさとおおらかさであり、日帝中枢を攻撃する喜こ
びに満ちた戦闘性と攻撃性である。戦闘作戦を遂行できる
喜こびなのである。
 同志、友人諸君! 断乎として反日都市ゲリラ戦に邁進
しよう!

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反日赤軍への転生を!
──日本赤軍77・5・30路線転換に対する我々の見解──

 第一章 民族主義的一国主義的傾向

 第一節 日本≠ニは何か?
 日本赤軍という組織名を構成している日本≠ニは何で
あろうか? いかなる実体を示す概念なのであろうか?
その構成員が日本人ということなのであろうか? 日本国
籍を有する赤軍ということなのであろうか? 日本革命を
担う赤軍ということなのであろうか? 革命組織の組織名
は、その組織の路線的本質を端的に象徴するものであり、
またそうでなければならない。自らの組織名として日
本″を冠する革命組織は、その路線的本質において、民族
主義的であり、一国主義的である。日本赤軍はアラブ赤軍
からの組織名の変更をいかなる総括に基づいて行なったの
であろうか?
 日本≠ニは何か?
 日本≠ニいう固有名詞の原義は、民族名でもなく、地
名でもなく、国家号のカテゴリーに属する。日本≠ニい
う国家号が正式に使われ出したのは、8世紀初頭であり、
この日本≠ニいう国家号の成立と古代専制君主の称号と
しての天皇≠フ成立は不可分一体の関係にあり、ともに、
古代専制律令国家の天皇制帝国としての成立と軌を一にし
ている。
 日本≠フ日≠ニは何か? 日≠ニは陽≠ナあり、
太陽のことであり、天照皇大神の子孫であることを意味す
る。日本≠ニは 「陽のもとの国」「陽出づる処の天子の
国」「天皇の国家」を意味している。日本≠ニ中華

37

とは、その思想的意味内容を同じくしている。中華≠ニ
は漢民族が、傲慢不遜にもオノレを開化した文明世界の中
心と自惚れ、四囲の原始共同体に生きる原住民諸部族を、
辺境∞野蛮∞東夷・西戎・南蛮・北秋≠ニ称して蔑
視し絶滅せんとした古代文明帝国主義の反革命思想そのも
のである。中華£骰曹模倣し、オノレを文明世界の中
心と自惚れつつ、中央にまつろわぬ原住民諸部族エビス
ハヤト∞クマソ∞ツチグモ∞ミシハセ=c… を辺境
野蛮∞夷秋≠ニ称して蔑視し、絶滅し、さらに先輩、
中華£骰曹も「陽没する処の国」と蔑視するウルトラ
倣慢帝国主義思想こそ、日本≠ニいう国家号の思想内容
である。
 地球上の一切の植民地支配・搾取階級制を掃滅しようと
いう共産主義思想と「日本○○」と自称する思想とは絶対
に相い入れない矛盾対立する思想である。共産主義をめざ
しつつ、日本≠名のることは絶対的矛盾である。日
本≠名のることは、古代−近代1現代の帝国主義思想の
継承を内外に宣言することである。これでもなお日本赤軍
は、矛盾を感じずに、この日本≠ニいう国家号を自らの
組織名に冠し続けるのだろうか?


 第二節 戦略的スローガンの誤り
 「私たちは天皇制日本帝国主義を打倒し、アメリカ帝国
主義を追い出し、社会主義を建設するために闘います」(A)
「私たちは、日本帝国主義を打倒し、アメリカ帝国主義を
追い出し、社会主義を実現することを、日本人民共和国の
建設として闘いぬきます」(B178P) 「日本革命を勝
利完成する闘い……」(C17F)とあるように、日本赤軍は、
日本一国主義革命の枠内で、その戦略的スローガンを<日
帝打倒><米帝追放><日本人民共和国建国>として定式
化している。
 反日共系新左翼の<日帝打倒>路線は本質的に一国主義
である。ブント系の<日帝打倒>路線は、日本共産党との、
いわゆる「従属−自立」論争の歴史的産物であるが、この
「従属−自立」論争は、いずれの側にとっても、先ず「帝
国主義(独占資本主義)なら社会主義革命」という先進国
プロレタリア革命論を共通の前提としており、その上で、
日本一国において独占資本が復活・自立しているか否かと
いう問題の立て方をしている。そして、日本一国において
未だ独占資本は復活しておらず、米帝に植民地的に従属し
ていると主張する日本共産党にしろ、既に復活自立してい
ると主張するブントにしろ、世界帝国主義の国際的連鎖か
ら日本資本主義を切り離し、米帝との力閑係という現象論
的次元で、レーニン『帝国主義論』(これ自体根本的致命
的誤りをいくつも含んでいるが)の機械的アテハメを行な
っているにすぎない。また、この論争は、従属論にしろ、

38

自立論にしろ、共通して、日本という国家・民族が、一九
四五年日帝の敗北−米帝の一時的占領という事態にもかか
わらず、古代建国以来、現代に至るまで一貫して帝国主義
であったという点を捨象し免罪している点で、被植民地人
民の側からすれば、反革命的である。
 <米帝追放>(ないしは<米帝一掃>)という戦略的ス
ローガンを掲げている党派には、日本赤軍以外に怒涛派、
紅旗派、ML派などがあるが、帝国主義抑圧民族たる日帝
本国人による、この<米帝追放>という戦略的スローガン
の提出は、本質的に民族主義である。この<米帝追放>と
いう戦略的フローガンは、いわゆる従属論もしくはその変
型的亜種を理論的に前提するものであり、したがって民族
独立の方向性、すなわち、日帝本国人の民族的反革命的団
結の強化の方向性を内包し、侵略反革命のイデオロギー的
武器たる、日帝本国人の民族性を肯定・美化・固定化する
ものであるが故に、被植民地人民の側からすれば反革命的
である。帝国主義抑圧民族である日帝本国人の革命闘争は、
一貫して、その民族性、その民族的反革命的団結を破壊す
る方向で発動されねばならぬ。
 世界帝国主義の第一次・第二次植民地侵略争奪戦の前後
を問わず、日本国家は一貫して内延的。外延的植民地支配
〔註1〕を土台とした帝国であった。天皇制反革命勢力が
権力を奪取し、資本主義的近代化路線を歩み出した日本帝
国は、自らを世界帝国主義の国際的連鎖の有機的一環とし
て組み込みつつ、先ずは、地政学的便宜性を利用して、ア
イヌモシリ・ウチナーの武力併合に手をつけ、さらに台湾
・朝鮮への侵略・植民地化を開始した。対清・朝鮮侵略戦
争によって台湾を強奪し、朝鮮に対する植民地支配の土台
を構築した日本帝国は、世界帝国主義のパワー・ポリティ
ックスを利用した対露・朝鮮侵略戦争によって、南カラフ
トを強奪するとともに朝鮮に対する独占的植民地支配を確
固不動のものとしつつ、世界帝国主義の第一次植民地侵略
争奪戦へと至る過程で独占資本を確立させ、以後レーニン
云うところの「帝国主義」(独占資本主義)として、独占
資本の意志を代行する天皇制軍部官僚のヘゲモニーの下で、
その植民地侵略の領域をシベリア・中国大陸・東南アジア
・南太平洋諸島へと拡大していった。
一九四五年の日本帝国の軍事的敗化、USA帝国反革命
軍による一時的占領も、日本帝国を本質的には何ら解体す
るものではなく、USA帝国のヘゲモニーによる世界帝国
主義内部の政治・経済・軍事的力関係の再編でしかなかっ
た。日本帝国は、財閥解体等々の経済的制裁や外延的植民
地の全面喪失によって、一時的には、独占資本の力を減殺
されはしたが、依然としてアイヌモシリ、ウチナー、在日
朝鮮人・台湾人・中国人社会への内延的な植民地支配は維
持しつづけた。

39

 USA帝反革命軍の朝鮮侵略戦争への加担によって再建
の具体的契機をつかんだ日本帝国は、一九五〇年代後半か
ら賠償をテコとした旧被侵略国への商品輸出、それを呼び
水とした資本輸出の再開をもって独占資本の力を回復させ、
60年代には世界帝国主義を形成する中級帝国へ、70年代に
はUSA帝国、西独帝国と並ぶ世界帝国主義の主力帝国へ
とのし上がり、世界帝国主義の中層部(「中進国」「発展
途上国」)・周辺部(「後進国」・「低開発国」)に新植
民地主義収奪網を重層的に(国際的債務奴隷制、企業の多
国籍化、垂直分業、多国間貿易等々)形成している。
 したがって、日本帝国が世界帝国主義の国際的連鎖の有
機的一環として組み込まれて以降、日本帝国を打倒・解体
・消滅させる世界革命の戦略的ポイントは、一貫して日本
帝国の内延的外延的植民地支配・侵略を撃つことであった。
アイヌモシリ、ウチナー、在日朝鮮人・中国人社会に対す
る日本帝国の内延的植民地支配こそ、日本帝国の、道義的
により根源的なアキレス腱であり、一九四五年以前におい
ては、東アジア・東南アジア・南太平洋諸島に対する侵略
・植民地支配こそ、日本帝国の政治経済的な生命線であっ
たし、一九五〇年代以降は、アジア・太平洋・南アメリカ
・アラブ・アフリカへの新植民地主義侵略こそ、日本帝国
の政治経済的な生命線である。それゆえ、この日本帝国の
道義的アキレス腱と政治経済的生命線の両定点に革命的破
壊力のテコを入れ、日本帝国の権力中枢を撃っていくこと
こそ、世界帝国主義の全面的根底的打倒の一環として日本
帝国を撃滅していく世界革命の戦略的ポイントである。
 日本帝国主義(独占資本主義)打倒という戦略的スロー
ガンは、日本帝国の、アイヌモシリ、ウチナー・在日朝鮮
人・中国人社会に対する内延的にインベイされた植民地支
配の打倒を捨象しており、かつレーニンの「帝国主義戦争
を内乱へ」という待機主義的受動的戦略を前提としているた
め、新植民地主義侵略下の地域の革命戦争に日帝本国内か
ら呼応し、地域革命戦争の細流を世界革命の大河へと合流
させていくことができず、一国主義的枠を越えることがで
きない。
 それゆえ、世界革命の観点から唯一正しい、打倒対象を
基軸とした戦略的スローガンは、「日本帝国主義打倒」で
はなく、「世界帝国主義の全面的根底的打倒、その一環と
しての日本帝国撃滅」すなわち「世界帝国主義打倒・日帝
撃滅」である。ここで言う「日帝撃滅」とは、日本帝国の
国家権力の打倒→日本帝国の解体→日本帝国の地上からの
完全掃滅を一体として行うことを意味している。この戦略
的スローガンの下で日本帝国の道義的アキレス腱と政治経
済的生命線の両戦略点に、軍事=政治的鉄槌を振り下しつ
つ日本帝国の権力中枢へ攻撃を加える時、世界革命の展望
が切り拓かれるのである。

40

 日本赤軍云うところの<日本人民共和国>とは何なので
あろうか? 「人民が主人公となる社会」 (C35F)とか
「人民が仕合せに暮せる社会」 (B83F)とか言いかえた
ところでその内実は何一つ明らかにならないばかりか、逆
に益々曖昧模糊としたものになるばかりである。<日本人
民共和国>は、現日帝の歴史的現在的な植民地主義収奪の
結晶たる国内外の資産(生産手段・物的文化的富)に対し
てどのような処置をとるのか? 被植民地人民に返還する
のか? それとも日帝本国人ブルジョアジーから奪取し、
日本人民の共有財産に転化するだけで、そっくりそのまま
継承するのか? <日本人民共和国>は、アイヌモシリ・
ウチナ一に対する現日帝の占領政策・植民地支配・同化強
制をそっくりそのまま継承するのか? <日本人民共和
国>は、アイヌの共産主義的反日独立闘争、ウチナンチュ
ーの共産主義的反日独立闘争が出現した時、それに対して
どのように対処するのか?
 総じて、<日本人民共和国>は、日帝本国内に、主要に
は日帝本国人ブルジョアジーの手に収奪独占されている生
産手段と物的文化的富の、被植民地人民による逆収奪とい
う世界革命の根源的テーゼに対して、どのように回答する
のか?
 <日本人民共和国建国>という路線的問題設定の仕方は、
本質的に民族主義であり、一国主義であり、被植民地人民
の側からすれば反革命的である。
 我々は、打倒対象を基軸とした戦略的テーマを「世界帝
国主義の全面的根底的打倒、その一環としての日本帝国撃
滅」として措定し、建設対象を基軸とした戦略的テーマを
「過渡期人類共同体の建設、その実体としての反日共同体
形成」として措定する。世界帝国主義の全面的根底的打倒
の過程で建設されるのは過渡期人類共同体であり、日本帝
国撃滅の過程で、日帝本国人がオノレらの歴史的現在的反
革命性を自己否定しつつ形成するのは反日共同体である。
日本帝国撃滅の総過程とは、過渡期人類共同体の諸実体で
ある、アイヌ共同体・ウチナー共同体・チョソン共同体・
反日共同体‥……の形成過程である。反日共同体とは、日
帝本国人の歴史的現在的反革命性の自己否定を民族性の止
揚にまで貫徹しつつ、階級廃絶の契機のみならず、民族廃
絶の契機をも内包し、過渡期人類共同体の実体として全世
界共産主義全人類共同体の建設をめざす総戦士共同体であ
る。そしてこの過渡期人類共同体の権力実体として、我々
は世界革命評議会を措定する。
 我々は基軸的な戦略的スローガンを次のように定式化す
る。
 <世界帝国主義打倒・日帝撃滅><過渡期人類共同体建
設・反日共同体形成>
 〔註1〕内延的植民地支配とは、日帝本国国境内に組み

41

 込まれ著しく同化を強制され、現象的には植民地支配
 とは見えない植民地支配の形態(別名国内植民地)を
 指し、それ以外の一般的なものを外延的植民地支配と
 して区別した。また内延的植民地支配の場合でも原始
          シャモ
 共産制にあった暗に和人封建勢力によって植民地化が
                  ヤマトンチュー
 開始されたアイヌモンリ、封建制にあった時に和人
 封建勢力によって植民地化が開始されたウチナー、強
 制連行によって形成された在日朝鮮人・中国人社会は、
 それぞれ区別して把握されなけれはならない。


 第三節 我々が学ぶべき伝統とは?
 「日本には日本独自の革命の伝統と人民がいます。‥…
日本の父母、兄弟、おじいさん、おばあさんたちに学んで、
私たちは団結をかため………」 (D)と日本赤軍は言う。
しかし、日本には、咀うべき反革命と植民地侵略の巨大な
伝統はあっても、学ぶべき革命の伝統ははとんどない。残
念ながら日本人民には誇るべき革命の伝統はない。近代一
一〇年一貫して日帝の侵略反革命を支え、その先兵となっ
てきた日本人民には世界に誇るべきいかなる革命の伝統も
ない。日帝本国の国境内に革命の伝統を見い出そうとする
ならば、それは日本人民のではなく、日本民族の侵略反革
命と対決してきた東北原住民の、アイヌの、ウチナンチュ
ーの、在日朝鮮人,中国人の反日(武装)革命史である。
我々、日帝本国人革命者は、先づ何よりも、七八九年一〇
万の兵力を投入した大和朝廷反革命軍を撃破敗退せしめ千
数百人を殲滅した、アテルイ率いる東北原住民の反日武装
蜂起、一四五六年コシャマインらの反日武装蜂起、一六六
九年シャクシャインらの反日武装蜂起、一七八九年のクナ
シリ・メナシの反日武装蜂起をこそ、自らの革命伝統、す
なわち、反日武装革命の精神的思想的よりどころとしなけ
ればならない。東アジア諸国人民を侵略・植民地支配して
きた、そして今なおそれを肯定している我らが祖先、我ら
が祖父母、我らが両親は批判・糾弾の対象ではあっても、
反面教師ではあっても、決して革命の教師ではあり碍ない。
 確かに、近代一一〇年日帝本国人プロレタリアート・農
民。小プルは、反権力的階級闘争を戦ってきた「伝統」を
もってはいる。しかし、この反権力的階級闘争総体として
は、決して、一国主義的民族主義的枠を越えることはなか
ったし、日帝の植民地侵略戦争を阻止し得なかったばかり
か、逆に日帝本国人としての反車命的既得権益を擁護し拡
大してきたのである。日本赤軍が学べといっている「革命
の伝統」なるものは、この日帝本国人の反権力的階級闘争
の伝統と解釈できよう。
 日本赤軍が「革命の伝統」を云々する場合の問題の立て
方は、日本人民の歴史的現在的反革命性をインベイし、一
国主義的民族主義的階級闘争を肯定・美化・固定化してし

42

しまうものであるが故に、被植民地人民の側からすれば反
革命である。日本赤軍の問題の立て方では、例えば一九一
八年の米騒動≠ノみられるように、日帝本国人の反権力
的階級闘争が、朝鮮人民に対する植民地主義収奪を強化す
る結果をもたらし、朝鮮人民から米を奪い朝鮮人民を餓死
に追いやることで収束されていったという反革命的事実を
批判することはできないし、むしろ、この反革命的事実を
積極的に擁護してしまう。

 第四節 日本民族主義への投降
 以上の分析から我々は、日本赤軍の理論的上部構造が、
日本民族主義に投降し、社会排外主義に転落しっつあると
判断する。被植民地人民を踏台にしてその生活が成り立っ
てきた、そして現在も成り立っている日帝本国人たる我々
が、まずもって学ばなければならないのは、アイヌ・ウチ
ナンチュー・朝鮮人・中国人……の反日武装革命史であり、
それを通して、日帝本国人としてのオノレの反革命的な感
性・思想・立場を自己解体することである。そして、日帝
本国人としての歴史的現在的反革命性(収奪者性・侵略者
性・支配者性・寄生虫性)を、具体的戦闘を通して実践的
に自己否定し、それを民族性の止揚へまで貫徹すること、
そのことで初めて、オノレを世界革命の根源的な主体とし
て形成し得るのであり、この反日思想を媒介しない日帝本
国人「共産主義者」は、日本民族主義に投降し、社会排外
主義に転落し、社会帝国主義として登場する可能性を否定
し得ない。
 日本赤軍の、日本民族主義への投降は<天皇制思想>の
分析においても如実に現われている。いわく「天皇制思想
は、封建思想とニセの民族意識の結合環としてあります」
(B170P)と。日本赤軍は、ここで<天皇制思想>と結
びついているのは、<ニセの民族意識>であると言うこと
によって、<天皇制思想>とは結びついていない<真の民
族意識>なるものがあるということを想定し、それを肯定
している。だが<天皇制思想>と日本人民の<民族意識>
すなわち日本民族主義とは切り離すことはできない。<民
族意識>にニセモノ≠熈ホンモノ≠烽ネい。<天皇制
思想>とは古代日本帝国主義の、世界帝国主義独占資本段
階にふさわしい復活版であり、<天皇制思想>こそ、日本
民族主義の中核的イデオロギーである。
 日本赤軍は、<反天皇制>を語ることによって、日本民
族主義と根源から対決するどころか、逆に、日本民族主義
に投降し、客観的には、「反封建プル民革命をやってから
社会主義革命」という二段階革命論(あるいはその変型的
亜種)の方向に引き寄せられつつある。

43

 第五節 スターリニストへの先祖返り
 共産主義者同盟赤軍派結成総会報告(一九六九年八月)
は、結果的には観念論的に空転し破産してはいるが、一国
革命主義寄せ集め世界革命論・一国プロ独・一国社会主義
を批判し、克服しようという方向性を打ち出している。
 「今、革命的党派に問われているものは、(一)自国一国
の矛盾の解明や帝国主義世界のそれでもなく、明らかに過
渡期世界を解明し、その総体を革命する世界観−世界戦略
であり、(二)その実践的課題は、一国プロ独→世界プロ独
やプロレタリアートをまず国民的支配階級に高めそれから
世界的階級へではなく、一国権力奪取→世界革命戦争では
ない」(E47P)「彼等は現代の権力闘争=武装蜂起が文
字通り、世界=一国であり、長期の世界革命戦争であり、
世界プロ独で終わることを理解出来ず、依然としてロシア
革命をスターリニストと同様に普遍化し、現在に適用し、
権力奪取→プロ独→世界革命戦争として『段階的』『一国
→世界』として考え、それ故に革命とプロ独は算術総和の
寄せ集めであり、世界党も又、寄せ集め党としてしか把え
ないのだ」(E51P)
 ところで、77・5・30路線転換後の日本赤軍はどうか?
日本赤軍の出生母胎たる共産主義者同盟赤軍派の前記『報
告』が批判し訣別したはずの一国革命主義寄せ集め世界革
命論・一国プロ独・一国社会主義に回帰しているのではな
いだろうか? スターリニストへの先祖返りをやっている
のではないだろうか?
 「世界革命への自らの主体的な責任であり、日本人民へ
の責任である日本革命、日本人民共和国建国という主体的
な革命路線をもつということ……」(B65P)「人民の革
命事業は個別性・特殊性をおびながら、一挙的であったり、
持久的であったりします。その根本的な人間観の一致を求
めあい創造しあう過程の権力の奪取形態は、やはり一国的
であり、建設過程は、一国的な社会主義の自力更生を基軸
とする国際主義によって、世界社会主義の勝利完成へと向
かうものです」(BlO7P) 「各国人民とその代表である
党の自力更生を基本とする主体的な闘いの結合こそが、世
界革命を準備していくのです」(BlO9P)
 ここで日本赤軍が言うところの「世界革命」とは、ー国
革命の算術的総和・寄せ集め革命としてのスターリニスト
風「世界革命」であることは歴然としている。連合赤軍敗
北以降の赤軍諸派(プロ革派、ML派、紅旗派等)がそう
であるように、日本赤軍もまたスターリニストへと先祖返
りしていると言えよう。
 では、日本赤軍は、赤軍派結成時の<過渡期世界論>
<世界同時革命><世界革命戦争><世界党−世界赤軍−
世界革命戦線>という総路線の厳密な理論的総括の上に立

44

って、一国革命主義路線への右旋回をやっているのだろう
か? 否。77・5・30以降発表された日本赤軍の文章から、
その厳密な理論的総括を見出すことはできない。その意味
においてなし崩し的路線転換であるということはいなめな
い。
 例えば、日本赤軍が「『世界同時革命』を主張することは、
人民を愛し信頼し結びつこうとしないことからきているの
です。抑圧されている人々が一つの心で結びあうことこそ
が私たちの帝国主義に対する決定的な武器です」(B110P)
と言う時、日本赤軍は、<世界同時革命論>に対する論理
的批判を行なうのではなく、革命戦略の問題を<愛>とか
<信頼>とか<心で結びあう>とか、ムード的主観主義に
スリ替えているのである。日本赤軍は「革命主体の最大の
思想闘争は主観主義との観いである」(B67P)と提起して
いながら、実は、日本赤軍自身深く主観主義におかされて
いるのである。

 第二章 世界認識の誤り
 『三里塚の闘う農民へ』と題された声明文の中で、日本
赤軍は次のように言っている。
 「いま帝国主義のブタどもの土地破壊、強奪の開港強行
に対して、非妥協に闘う中にしか、人間として共に生きる
途はありません。パレスチナの人民も同じ闘いをやってき
ました。土地収用法で次つぎと人民は暴力的に土地を追わ
れ、その土地はシオニストギャングの軍事基地・植民村に
なっています。パレスチナの闘いとは土地と人間の生活を
奪い返す非妥協の闘いです。それはパレスチナだけではな
く、エリトリアでもオーマンでも、世界中どこでも同じ闘
いをやっています」(F)
 日本赤軍は、帝国主義者どもによる土地の強奪・占拠と、
それに対する戦いは「世界中どこでも同じ」だと言う。だ
が、日本赤軍の言うように、単に土地強奪という現象形態
の同一性をもって、それに対する闘争の質までも同一であ
るとすることは正しいであろうか?
 三里塚農民からの土地の強奪は、日本帝国主義者どもに
よる、同一民族・同一国民たる日本人小生産者からの土地
(生産手段)の強奪であり、三里塚の農民は例え土地を奪
われても、国外に追放されたり、植民地支配を受けたり、
あるいは種族絶滅の危機にさらされたりすることはない。
三里塚農民の戦いは、日帝本国内の反権力的階級闘争とし
て位置しているが、それ以上ではない。
 パレスチナ人の場合はどうか? パレスチナ原住民から
の土地の強奪は、同一民族・同一国民内部のそれではなく、
世界帝国主義に支援されたイスラエル帝国主義者・シオニ
スト・ユダヤ人植民者という異民族による侵略・植民地化
の一環としてのそれである。それは、まさに世界帝国主義

45

の侵略最前戦における、帝国主義侵略勢力と被植民地原住
民勢力との激烈な対立闘争である。
 さらに、アマゾン地帯等の原始共同体部族の場合はどう
か?
 エクアドル東部のアマゾン地帯の原住民アクカ族は、一
六世紀初頭に始まる白人征服者・宣教師の侵略に対して、
頑強に抵抗し、これを撃退してきた。一九四〇年に開始さ
れたシェル石油の探査事業に対しても作業員への攻撃を繰
り返してこれを断念させた。一九五六年一月空から侵入し
ようとして、地に下りたった白人宣教師5人を殲滅した。
一九七七年一一月には、エクアドル石油と契約しアクカ族
の大地に侵入し採掘調査をしているフランス系企業の作業
員3人を殲滅した。かくしてアクカ族は、文明人による侵
略・破壊・強奪から母なる大地を守り抜いている。
 ブラジルの文明人どもは、いまもなお大地を強奪するた
めに、考えられる限りの残虐な文明的方法で原住民の大量
虐殺=エスノサイド(種族皆殺し)を行なっている。マッ
ト・グロッソ州とロンドニア州境界のアリプアニア川の上
流に住んでいたジンタス・ラルガ族は六〇年代を通じて、
ヒ素入りの砂糖やダイナマイト攻撃で大量虐殺された。一
九七〇年一二月八日、国立インディオ財団の長官とUSス
チールの重役がヘリコプター一機で部落にやってきて、バ
ラカナ族にインフルエンザ菌のついた毛布を与え、最初の
六日間で四〇人以上を虐殺した。ジャバエ族は、侵入して
きた文明人の牧場の鉄条網に包囲され、文明人がもたらし
た結核、トラコーマ、インフルエンザ、ハシカに冒され、
虐殺された。一九七〇年四月、ある白人商人が、原住民狩
りをすべく、六人の殺し屋を雇い、九人のアトロアジ族を
虐殺した。一九七三年五月一八日、一団の白人殺し屋がマ
タチ村を襲い、原住民を虐殺した。一九七二年、ペトロプ
ラス(ブラジル国営石油会社)の白人労働者たちの侵略
(強姦や虐殺)によって、マヨロナ族は、約二千人から四
〇〇人に人口が減少し、絶滅の危機にさらされている。こ
うした文明人の侵略、大地の強奪に抵抗して戦う部族に対
しては、さらに武装宣撫隊や宣教師団、私設の殺し屋部隊
を送り込み、捕えた原住民は、拷問技術開発センター
に送り込み、生きた教材としてなぶり殺しにしている。
 アマゾン・ハイウエー網の建設こそ、原住民絶滅計画の
キー・ポイントである。一九七四年に完成した「トランス
・アマゾニカ・ハイウエー」は、原住民がいようがいまい
がジャングルをダイナマイトで吹っ飛ばして整地し、ナパ
ーム弾を使って、ジャングルを焼き払ったり、農薬や除草
剤を空からまき散らして自然を破壊するというUSA帝反革
命軍がベトナムで展開した方法を踏襲して、原住民を追い
払い虐殺し、原住民から本源的生活手段である大地を奪い、
建設された。この原住民からの大地の強奪とエスノサイド

46

を通じて行なわれたアマゾン開発に、トヨタ自工を中核と
した日帝企業群が積極的に参加している。アマゾン・アル
ミ精練計画を中心的に推進している三井アルミ工業社長川
口勲は「我々はアマゾン開発の先兵のつもりだ。後に続く
日本企業を考えると、どうでも、この計画はやりとげにゃ
ならんのです」と本音を吐いている。
 一九六四年「トランス・アマゾニカ・ハイウェー」建設
計画が決定された段階では二〇万人に減少していた原住民
は、建設が進められていた一九七二年には一〇万人に、そ
して現在生き残っているのは二〜三万ないし八〇部族一万
とも言われ、現代のような虐殺が今後もなお続けられるな
らば一九八〇年代には全滅するであろうと言われている。
このような文明人の侵略に対して、原住民は弓矢等の原始
的武器で種族的死活を賭けた戦いを行なっている。例えば
一九七〇年にラエレンテ族が工事現場を襲撃して工事監督
を殺しており、このような戦いは頻発している。
 フィリピン・北部ルソンの山岳部族カリンガ族は、US
A帝・日帝に支援されたマルコス・ファシスト政権による
チコ河ダム建設という開発侵略=大地強奪に抵抗して戦っ
ている。さらに、日本人によるアイヌからの大地(モシリ)
の強奪、それに対する戦いも、アマゾン地帯原住民のそれ
と同一の戦いである。アマゾン地帯等の原始共周体部族か
らの、文明人による大地の強奪とそれに対する戦いは、地
球上への文明の発生以来数千年に渡って戦われてきた原始
共産圏と文明圏との激烈な対立闘争の一局面である。
 日本赤軍のように、単に「土地強奪」という現象的同一
性をもって「同じ戦いだ」と言ってしまうことは、以上指
摘した、@帝国本国内諸階級の対立闘争、A帝国主義侵略
勢力と被植民地原住民勢力との対立闘争、B原始共産圏と
文明圏との対立闘争という本質的に区別されねばならぬ位相
的差異を捨象してしまうばかりではなく、帝国本国人の、
「土地死守」の戦いが、即自的には反革命的である場合が
あるという側面をインペイし肯定・美化してしまう。
 例えば、「北海道」で伊達火力発電パイプライン埋設工
事に反対している日本人農民は「入植して三代目、先祖に
申しわけない。死を覚悟の上、土地を守る」 と宣言して
「戦って」いるが、彼ら日本人農民が死守せんとしている
土地は、本来アイヌの大地であり、アイヌから強奪した土
地なのだ。アイヌから強奪した土地を死守すると宣言して
いる日本人農民は、アイヌにとつてはまさに反革命である。
               シヤモ
(アイヌモジリを強奪・占拠した和人の子孫であり、現在
も強奪・占拠し続けている日本人農民は、アイヌによるア
イヌモンリ奪還の反日闘争に合流する方向でのみ、オノレ
の侵略者植民者としての反革命性を自己解体し得るのであ
る。)
 「人間は皆同じだ」というプルジョア観念論に依拠する

47

日本赤軍の皮相で平板な世界認識では、人類世界史の三層
構造を対象化することができないのはけだし当然であり、
その結果、原始共同体部族の存在を抹殺し、日帝本国人た
る日本人農民と被植民地原住民であるパレスチナ人・エリ
トリア人・オーマン人を一緒くたにしてしまうのも、当然
といえば当然である。
 「人間は皆同じ」という日本赤軍のこの考え方からする
と、イスラエル人民とパレスチナ人民も並列同一視されて
しまうが、日本赤軍はこの明白な誤りにすらも気づいてい
ないのだろうか?
 日本赤軍と共闘関係にあるといわれているPFLPは、
この点限界はあるがかなり明確な見解をもっている。「シ
オニストのイデオロギーや支配による搾取から自らを解放
することはユダヤ人プロレタリアートにとつては良いこと
であるが、同時にこのユダヤ人プロレタリアート個人は、
よりひどい搾取に苦しんでいるアラブ人を、ンオニスト達
が搾取し続けていることの恩恵を受けているという構造が
ある」(G231P)。また、アル・ファタも「イスラエル
の労働者階級でさえ、アラブ系パレスチナ人の労働者農民
からの搾取の受益者なのである。ユダヤ人入植者は、アラ
ブ系パレスチナ人から掠奪された家に住み、その土地を耕
し、その富を享受している。イスラエルや、今ではさらに、
新しい占領地区のアラブ人労働者は、ユダヤ人労働者より
はるかに低い賃金をうけ、いやしめられた筋肉労働に従っ
ている」(H261P)と指摘している。
 ユダヤ人プロレタリアートがパレスチナ原住民大衆の身
体に寄生する帝国主義的寄生虫であり、支配者であるのと
同様に、三里塚農民を含めた日帝本国人総体は、パレスチ
ナ原住民大衆を含めた被植民地人民の身体に寄生する帝国
主義的寄生虫であり、支配者なのである。日本赤軍のごと
く、三里塚農民もパレスチナの人民も同じだということは、
世界帝国主義の重層的な<搾取−被搾取><収奪−被収
奪><支配−被支配>構造を捨象し、結果的には、日帝本
国人の歴史的現在的反革命性(侵略者性・収奪者性・支配
者性・寄生虫性)をインベイし、免罪することになるので
ある。
 日本赤軍は、日本人民もパレスチナ人民も同じだというこ
とによつて、さらに、帝国主義抑圧民族の民族性と植民地
被抑圧民族の民族性の質的区別すら論理的に対象化し得て
いないことを示している。この点PFLPは限界はあるが
かなり明解な見解を持っている。「ヨーロッパのブルジョ
アジーは、自分達の利益の維持のために、民族主義を表明
し利用しているが、それは後進国に現われる民族主義とは
同じものではない。後進国の民族主義は革命的な概念を獲
得しており、それは資本主義の段階としての帝国主義に反
対して、隷属している人民を動員するための体制となって

48

いるのである。」 (I140P)
 帝国主義抑圧民族と植民地被抑圧民族の民族性は、画然
と区別して考察されねばならぬ。帝国主義抑圧民族の民族性
は侵略反革命の武器である。これに対して植民地被抑圧民族
の民族性は、植民地支配からの自己解放の武器となり得る。
帝国主義抑圧民族は、植民地被抑圧民族の民族性の革命的側
面を学ぶことを通して、オノレの反革命的民族性を自己解体し、
それを世界革命の過程で共産主義的人間性へと自己改造し
ていかなければならない。他方、植民地被抑圧民族の民族性は、
植民地支配からの自己解放の武器とはなるが、世界帝国主
義の全面的根底的打倒としての世界革命の武器とはなり得
ない。植民地被抑圧民族の民族性もまた、世界革命の過程
で、ブルジョア民族主義的傾向、一国社会主義的傾向を徹
底的に自己否定することを通して、革命的側面を発展させ、
共産主義的人間性へと自己改造していかねばならぬ。
 日本赤軍の皮相で平板な世界認識、そこから帰結する帝
国本国人(その民族性)と被植民地人民(その民族性)と
の無媒介的同一視は、日本赤軍が日帝本国人としての歴史
的現在的反革命性の自己否定を回避しているというその在
り様と密接な関連がある。

 第三章 市民主義的改良主義的傾向
 「階級闘争を更に強固なものに成長せしめる基盤が広けれ
ば広い程、獲得することそのものが不断に、それにとどま
らず、帝国主義支配の限界をつきやぶり、革命を準備して
いきます」 (J242P)「金融寡頭支配の国家的統合に
よる所有・経営・管理の独占は、逆に、労働者階級の矛盾を、
国家支配と全人民の社会矛盾として普遍化させました」(J
243F) 「この不可避の帝国主義の矛盾は、労働者階級・
人民へと転化させる為に、人民の生活の不確かさは増大し、
改良的闘いは、基命の波を準備します」 (I243P)。
 ここで日本赤軍が言わんとしていることは必ずしも明解
ではないが、要するに、帝国主義の主要矛盾は、ブルジョ
アジーとプロレタリアートとの矛盾ではなくて、国家支配
と全人民との矛盾(?)であり、帝国主義は全人民を不確
かな(?)生活に叩き込むが故に、改良闘争それ自体が、
帝国主義の限界(?)をつきやぶり、革命を準備していく
ということを主張しているようである。
 ここに現われている日本赤軍の帝国主義把握・帝国主義
分析の根本的欠陥・誤りの第一は、帝国主義概念を独占資
本段階の資本主義にワイ小化するというレーニン『帝国主
義論』を踏襲している点。第二は、帝国本国人総体と被植
民地人民総体との<搾取−被搾取><収奪−被収奪><支
配−被支配>関係こそ、世界帝国主義の主要矛盾であると
いう把握を欠落させている点である。それ故、世界帝国主
義の独占資本段階が、帝国本国にもたらす、国内支配統治

49

の実態を全く捉え切れていないという点である。
 独占資本段階においても世界帝国主義の主要矛盾は、「国
家支配と国内の全人民との矛盾」なるものではなく、帝国
本国人総体と被植民地人民総体との矛盾であり、それを土
台とした帝国本国内の支配統治様式の特徴は、植民地主義
収奪がもたらす超過利潤をもって、帝国本国人総体を帝国
主義的寄生虫として再生産し〔註1〕つつ、その中からさ
らに中産階級・貴族的(上層有産)プロレタリアート・御
用組合・小プル的政治潮流を大量に生み出し、この層を国
内支配統治の基本的な社会的支柱とすると同時に、疑似「社
会主義」的な社会福祉政策をもって下層貧困層をも体制内
にくくりつける点にある。
 したがって、植民地主義収奪の分配に与ることで総体が
帝国主義的寄生虫と化している日本人民の改良闘争それ自
体は、主観的にはどうであれ、客観的には植民地主義収奪
の再分配という枠組を越えることはできず、それが自己目
的化される時、革命を準備するどころか、日帝に対して、
分け前をもっと寄こせという圧力として、新植民地主義侵
略を後押しする方向で体制内化されてしまうが故に、逆に
反革命陣営を強化するという結果をもたらしてしまうので
ある。〔註2〕
 この意味において、日本赤軍の主張は、誤まった帝国主
義分析に基づく改良主義である。ここでの日本赤軍の帝国
主義分析は、世界帝国主義の具体的実態の科学的論理的分
析ではなく、一国革命主義をアプリオリな前提として、そ
れを成り立たせるために、あるいは、日本人民共和国の主
体たる日本人民の幅広主義的な団結を正当化するために、
現状分析をねじまげたものと言えよう。
 「日本人民」という言葉の連発、「団結」という言葉の
連発、あるいは共産主義社会を「仕合わせな社会」と表現
するPHP的発想は、反ファッショ人民戦線的に幅広主義
的な団結を自己目的化し、帝国主義的寄生虫と化している
日本人民の市民主義に迎合する戦術の現われである。この
意味で、日本赤軍の連発する団結は、日本共産党の「団結」、
左翼連合の「団結」と同質的なものと言えよう。
 〔註1〕 もし、日帝の新植民地主義収奪網が完全に破
 壊されたとするならば、食料についてだけでも、現在
 一人当たり一日平均二、二〇〇カロリーぐらい摂取し
 ている日帝本国人が、一、七〇〇カロリー程度しかと
 れなくなるという試算があるが実際はこれ以下になろ
 う。
 〔証2〕 不況から日帝本国人労働者の生活を守るため
  に侵略戦争を待望する労働組合の潮流が日帝本国内に
  おいてすでに台頭してきている。

50

 第四章 ブルジョア観念論的傾向
 「その思想闘争の結論と成果をもって、私たちは作戦を
遂行します。その結論とは『人間が変わる』という確信で
す。人間は必ず変わります。……日本共産主義運動も国際
共産主義運動も、人間が変わるという観点から必ず統一で
きると確信します」 (A)
 <人間は変わる>というテーゼは、ブルジョア観念論哲
学も認めるものであり、それ自体は何ら革命的な人間観で
はない。問題は、日本赤軍いうところの現実の日本人民は
いかなる存在であり、どのような主体へと向かつて変革し
ていかなければならないのかという点にある。日本赤軍い
うところの日本人民は、皇軍兵士にもなれば反日兵士にも
なり得る存在なのである。そしてこのいずれの方向に目的
意識的に変革していくのかという点で、帝国主義者と共産
主義者は決定的に対立するのである。日本赤軍は、帝国主
義者とも共有し得る<人間は変わる>というテーゼを連呼
するだけで、帝国主義的寄生虫たる日本人民をいかにして
世界革命主体へと変革するのか、その具体的方法と経路を
示さないことによって、ブルジョア観念論哲学の立場に立
っている。帝国主義者・ブルジョアジーとも共有し得る、
抽象的一般的「人間変革可能」論で共産主義運動を統一で
きるなどというのは空論中の空論である。
 「共産主義は最も人間主義の思想であり、敵帝国主義の
思想である人間憎悪の思想や虚無思想とは全く相い入れな
いものです」(B46P) 「私たちは人間を物の価値におき
かえる敵の思想、人間よりも物を第一とする思想におかさ
れていました」(B67P)「革命の根本は人に対する働き
かけであり、人を第一とする労働者階級の思想を持ちえな
い限り、物を第一とするブルジョア思想に敗北していきま
す」(B88P)「帝国主義は人間憎悪思想そのものであり、
個人的な利益の中で人間同士を競争させている社会だから
です」(BllOP)「労働者階級の立場、ものの見方、考え
方、作風は人間を第一とする思想であり、資本主義の物を
第一とする思想とは相容れません」(B133P)
 ここでも日本赤軍はブルジョア観念論哲学を表明してい
るが、それを定式化すれば次のようになろう。敵帝国主義
・ブルジョア・資本主義社会の思想=「物を第一とする思
想」「人間憎悪」。共産主義・労働者階級の思想=「人間
主義」「人間を第一とする思想」。すなわち<物>と<人
間>との二元論哲学である。しかし、「物を第一とする思
想」と「人間を第一とする思想」は、ブルジョア.イデオ
ロギーというメダルの表と裏にすぎない。物と人間とを対
立させるだけで、その対立の根拠を解明せず、「物対人間」
という枠組の中でどちらか一方を優位におくという発想自
体ブルジョア・イデオロギーなのである。

51

 共産主義とは「人間主義」でもなければ、「人間を第一
とする思想」でもない。共産主義とは、人間を自然の征服
者とする人間第一主義を否定する。共産主義とは、人間と
人間との間の、個と類との間の、人間と自然との間の対立
抗争の真の解決であり、人間と人間との、個と類との、人
間と自然との共同体的一体性の完成である。この意味にお
いて、共産主義とは、自然主義に貫徹された人間主義であ
り、人間主義に貫徹された自然主義であり、完成した自然
主義としての人間主義であり、完成した人間主義としての
自然主義である。
 共産主義においては、もはや物と人間との対立は存在し
ない。この共産主義は感性的経験的土台を欠いたユートピ
ア的観念ではない。われわれは、この共産主義の原型を、
人類三〇〇万年がつくり出し完成させた原始共産制の裡に
発見し復権し、新たな次元で完成させる。われわれは自然
と人間との一体的共生の内懐の中での人間と人間との自由
平等な共同体的関係を、共産主義の理念的原型とし、原始
共産制・農耕共産制の内在的矛盾の、搾取階級制・植民地
支配の否定を媒介した、革命的止揚として、世界共産主義
を措定する。我々は、この根源的方向性において、共同体
的人間観=自然観を構築する。晩年マルクスは、原始共産
制・農耕共産制の研究によって、この方向性を予感しつつ
展開し得ずに終わった。我々はこの根源的方向性を深化す
ることによって晩年マルクスをも乗リ越える。
 この我々の共同体的人間観に基礎づけられた共同体革命
闘争史観からするならば、本源的共同体(原始共産制・農
耕共産制)を失なっている日帝本国人プロレタリアートは、
植民地支配・搾取階級制の廃絶へ向けた戦闘の中で、日帝
本国人としてのオノレの歴史的現在的反革命性を自己否定
しつつ、原始共産主義魂を学ぶことを通して、自己否定を
民族性の止揚へまで貫徹し抜くことによってのみ、オノレ
を共産主義者へと自己変革し、全世界共産主義全人類共同
体建設へ向けた世界革命主体として自己形成し得るのであ
る。

 第五章 路線転換の契機と根拠

 第一節 「過渡期世界」論批判
 日本赤軍の一国革命主義路線への右旋回の契機と根拠は
何か? 「赤軍派の世界認識(『パンフno.4』に示され
る)を継承するものであった『世界同時革命』論は、私た
ちが具体実践として国際主義をもって闘おうとすればする
ほど矛盾していきました」 (B llO〜111P)とあるよ
うに、その第一は 「過渡期世界」論・「世界同時革命」論
の観念性と国境を越える具体的武闘実践との矛盾である。

52

ところが、日本赤軍は、この矛盾を、「過渡期世界」論・
「世界同時革命」論の根底的批判、新たな歴史観・世界革
命観の確立の方向で克服するのではなく、没総括的放棄、
一国革命主義寄せ集め世界革命論へのなし崩し的先祖返り
として解消しょうとしている。
 「過渡期世界」論・「世界同時革命」論の観念性を解く
鍵はどこにあるのか。それは「プロレタリアートが本来世
界的であり、プロレタリア革命はただ唯一世界プロレタリ
ア革命であり‥…」(M10P) 「被支配階級としてのプロ
レタリアートは、過渡期世界突入を契機に世界武装プロレ
タリアートに成熟・到達し…‥」 (M10P)「かかる階級
闘争は、より高次な能動的階級闘争として、世界武装プロ
レタリアートをして‥…世界革命を……単一の、永続的な、
論理的、時間的に同時なものとして成長発展せしめる。」
(M llP)「歴史の客体から主体へと転化しつつある世界
武装プロレタリアートとしての世界プロレタリアート」(E
51P)「ポルシェヴィキとロンア革命が切り開いた世界プ
ロレタリアートとしての世界武装プロレタリアートへの到
達−成熟」(E 51P)「(過渡期世界とは)世界武装プロ
レタリアートとして、歴史的実践的に到達した世界プロレ
タリアートが歴史の主体として登場し始めた世界である。」
(E 53P)とあるように、<世界武装プロレタリアート>
という概念である。この<世界武装プロレタリアート>と
いう主体概念こそ、「過渡期世界」論・「世界同時革命」
論を根底から支え、成立させているキー・カテゴリーであ
る。そして、この<世界武装プロレタリアート>という主
体概念が、実体的裏付けのない幻の概念であることによ
って、「過渡期世界」論・「世界同時革命」論は破産して
いるのである。ここにこそ、赤軍派破産の全秘密がかく
されている。
 赤軍派の<世界党−世界赤軍−世界革命戦線>という組
織路線もまた<世界武装プロレタリアート>の非実在性に
よって実践的に破産している。この赤軍派の69年前段階武
装蜂起の敗北から72年連合赤軍の敗北に至る実践的破産は、
<世界武装プロレタリアート>の非実在性に対する反動か
ら、赤軍諸派を、毛沢東主義を媒介としたスターリニズム
へのなし崩し的先祖返り、一国主義・民族主義への右旋回
へと押し流しており、唯一国境を越える武闘実践を堅持し
ている日本赤軍もこの流れにとり込まれている。
 結成時赤軍派は確かに、「過渡期世界」論・「世界同時
革命」論の措定というかたちで、レーニン主義の待機主義
的一国主義的限界をなんとかして克服せんとしている。こ

53

の方向性は一定評価できる。しかし、結局のところ、国家
・民族廃絶の契機を把みとることができず、従来のマルク
ス主義の地盤の上で、世界革命主体を<世界武装プロレタ
リアート>として措定することによって、観念論的に空転
した。
 「歴史は階級闘争の歴史で資本主義の成立以来、共産主
義時代に到達する世界の全歴史的過程は、この階級闘争、
永続的、非和解的なブルジョアジーとプロレタリアートの
二大階級の闘争の歴史であり、その実践的な場であること
を明白にしている」(M3P)とあるように、また<世界武
装プロレタリアート>の措定の仕方に端的に現われている
ように、結成時赤軍派の「過渡期世界」論は、『共産党宣
言』時のマルクスの世界観・歴史観・革命観をより純化す
るかたちで無批判的に継承している。
 『共産党宣言』時のマルクスの世界観・歴史観・革命観
は概略次のようなものである。すなわち、西欧封建社会の
胎内から孵化してきた資本制生産様式が創出する物的生産
力体系と地球を包摂しゆくその世界市場形成力こそが、東
欧−アジアの「野蛮な世界」を破壊し、そこに西欧市民社
会的階級対立をつくり出し、世界人口をブルジョアジーと
プロレタリアートの二大階級に純化し、資本のインターナ
ンョナリズムそれ自体が賃労働のインターナショナリズム
をつくり出し、かつ、そのことが共産主義社会建設の物質
的条件を即自的につくり出す。そして、世界市場として、
地球全体を包摂しゆく資本の本国こそ、「世界の工場」「プ
ルジョア的世界の造物主」としての英帝本国であり、英帝
本国人プロレタリアートこそ、世界革命の指導的主体であ
る、というものである。
 この『宣言』に現われているマルクスの世界観、資本主
義を肯定・美化する自由貿易主義的世界観を基本的に継承
するものであり、ブルジョア・イデオロギーの水準から一
歩も抜け出ていない。マルクスにとつて、非西欧世界は、
西欧世界が必然的に侵略し、制圧し、植民地化してゆく受
動的客体としてしか位置づけられておらず、原始共産圏の
存在は無視され、被植民地原住民勢力の総反攻戦の存在は
ワイ小化され切り捨てられている。それ故、マルクスは、
被植民地原住民勢力の世界的規模での総反攻戦の中に、産
業資本段階の世界帝国主義打倒に向けた世界革命の現実性
を見ることができず、西欧諸帝国の侵略反革命と西欧帝国
本国人プロレタリアートの反革命性を美化し容認し後押し
てしまっているのである。
 我々は、このマルクスの自由貿易主義的世界観=西欧中
心的階級闘争史観=先進国プロレタリア革命論を土台とし
て「過渡期世界」論を構築するのではなく、このマルクス
の世界観=歴史観=革命観を根底から破砕し、新たな世界
観=歴史観=革命観を構築しなければならない。それは原

54

始共産圏と文明観との対立闘争を深層構造とし、農耕共産
制と搾取階級制との対立闘争、帝国主義侵略勢力と被植民
地原住民勢力との対立闘争を中層構造とし、帝国本国−植
民地内の階級闘争を表層構造として、地球世界全体を包括
した重層重合的な共同体革命闘争史観を打ち立てることで
あり、この歴史観を土台に据え、現代世界観としての世界
過渡期論を定礎し、現状分析として世界帝国主義論を確立
し、それを前提として永続的世界共産主義革命論を形成す
ることである。

 第二節 日帝本国内武装革命主体の形成
 日本赤軍の一国革命主義路線への右旋回の第二の契機と
根拠は次の点にある。すなわち、「私たちは日航ハイジャ
ック闘争、シンガポール・クウェート連続闘争を経る中で、
自力更生を、リッダ闘争とそれ以後の闘いの地平から確立
することをめざしました。しかし、私たちは国内に対して
諸組織の統一をめざす建党・建軍の提起にとどまり、主体
的な国内組織化の弱さゆえに、陣型の現実的弱さを克服す
る基盤と再生産構造をもちえませんでした」(B96P)とあ
るように世界を戦場とした国境を越える武闘実践が「国内
母体建設」とリンクし得ないというアセリである。この限
界を、日本赤軍は、国内向け、人民戦線的な幅広主義戦術
として解決しょうとしているが、破産することは目に見え
ている。
 日本赤軍の77・5・30路線転換に対して、人民新聞紙上
に「歓迎・支持」の意見がいくつか表明された。しかし、
9・28ダッカ闘争後、この5・30路線転換「歓迎・支持」
層の中からH・J闘争への疑問・失望が提起されている。
路線転換は「歓迎・支持」、H・J闘争は反対というこの
混乱は、決して受けとめ手たちの混乱ではなく、日本赤軍
の路線自体の矛盾であると、我々は考える。
 日本赤軍が「国内母体建設」を言うならば、先ずなによ
りも、日本赤軍のかつての出身母胎であった国内赤軍派が、
半蜂起主義的武闘→被弾圧→武闘放棄→大衆運動主義への
転向→四分五裂という過程をたどって現在あるということ
の根底的な総括がなされねばならず、それ抜きには「武装
闘争を軸とした団結」も説得力をもたないだろう。
 日本赤軍はきわめて抽象的一般的なレベルでは確かに、
「なぜ武装闘争なのか」を述べている。例えば「武装闘争
は敵を武装解除し、人民の権力を樹立していくことを目的
とする」(N)「武装闘争とはだれもが共に仕合わせに生
きるために、それを阻害している今の支配者たちを歴史の
舞台から引きおろすための手段です」(D)と。しかしこれ
ではとうてい、H・J闘争をテロリズムと罵倒する大衆運
動主義者や「いつか蜂起する」主義者を批判し得ないし、
日帝本国人民の武装闘争への決起を克ちとることはできな

55

い。
 パレスチナ・アラブでは、武装闘争は日常化しており、
日常生活そのものと化しており、人民が武装闘争に決起す
ることを妨げる大衆運動主義者・日和見主義者が存在する
余地はなく、理屈抜きに武装闘争が正しいことを人民は実
感するだろう。だが、日帝本国は、被植民地人民からの収
奪による経済的政治的余裕によって、人民の諸要求を体制
内に集約する合法的チャンネルをいくつも、地域末端にま
でも設定しており、また、この合法的チャンネルに寄生す
る合法主義者・大衆運動主義者・日和見主義者がうじょう
じょいるために、武装闘争がストレートに受け入れられな
い。この日帝の統治構造をとらえ切り、これを打ち破る路
線こそ問われている。
 結成時赤軍派はレーニン主義の待期主義的受動的限界を
克服しようとして、攻撃型階級闘争論を指定した。しかし、
これは第一に「攻撃性」の根拠をロンア革命を契機とした
世界武装プロレタリアートの登場に規定された過渡期世界
の高次の自然発生性なるものに基礎づけている点で、第二
に「なし崩しファシズム→前段階武装蜂起」というかたち
で、レーニン主義的な蜂起論を清算し切れておらず、基本
的には継承してしまっており、武装闘争を都市ゲリラ戦と
して純化し得ていない点で破産している。
 我々にとって、日帝を否定していくのみならず、日帝本
国人(日本人)としてのオノレの在りようをも否定してい
くところの反日闘争は、なぜ反日武装闘争を軸としたもの
でなけれはならないのか。
 我々は、革命情勢が熟柿の落ちる如く自然成長的に訪れ
るのを待ち、それまでは改良闘争と党建設に専念し、革命
情勢がやってきたら「一瞬の武装蜂起=権力奪取」をやる
というレーニン主義の待期主義的受動的革命論を、すでに
その破産が歴史的に実証されたものとして否定し、平時(非
革命情勢)から武装闘争によって革命情勢を主体的につく
り出すという攻撃型革命論の立場をとる。この攻撃型革命
論の立場が、反日武装闘争でなければならない第一の根拠
である。
 我々は、革命の集約的問題は権力問題であり、かつ革命
権力とは「一瞬の蜂起」によって敵から奪うものではなく、
革命闘争の過程それ自体が主体的につくり出すものである
という主体的権力論の立場をとる。そして、権力問題の具
体的環とは武装の問題であるが故に、革命闘争は武装闘争
でなければならない。この主体的権力論の立場が、反日武
装闘争でなければならない第二の根拠である。
 我々は、被植民地人民の革命闘争への呼応・合流という
戦略的組織路線によって、帝国本国内の革命闘争と被植民
地人民の革命闘争との同質化、そしてそれを前提とした世
革革命<党=軍>の建設を追求しなければならないという

56

組織論に立っている。そして、この同質化を獲得し得るの
は反日武装闘争以外にないのである。この<呼応・合流>
という戦略的組織路線が、反日武装闘争でなければならな
い、第三の根拠である。
 我々は、革命闘争とは、単に客観情勢の変革過程ではな
く、主体そのものの変革過程であるという客体→←主体の相
互変革の弁証法的立場をとっている。革命主体の共産主義
的変革、その前提としての日帝本国人としての歴史的現在
的反革命性の良己否定は、日帝との非和解的関係を主体的
に創出する武装闘争によってのみ貫徹される。これが反日
武装闘争でなければならない、第四の根拠である。

 第三節 完黙しうる組織とは?
 日本赤軍の一国革命主義路線への右旋回の第三の契機と
根拠は、次の点にある。すなわち「自力更生を日本赤軍と
して自己確立していく闘いであった第二次建軍運動が開始
されたはかりの時、私たちの根底を更に問う敗北がありま
した。それは、ストックホルムでの二同志の被逮捕、強制
送還、そして日帝権力への屈服、自供としてあらわれた問
題です。これが私たちの団結の質、勝利の確信の質を根本
的に問う敗北でした。武装闘争の勝利貫徹の中で、敵に作
られた幻想の中に自らをおき、自分たちの本当の姿を客観
的に見ることができなかった私たちは、そこで自分たちの
ありのままの姿を見せつけられる結果となりました」(B
113P)とあるように、同志の自供問題を契機とした「軍
事と政治の乖離」の深刻化である。
 日本赤軍は、この同志の自供問題を「『隊内共産主義化』
の問題の欠如、日常的な思想改造の組織化の不十分性」(B
115P)、すなわち、「隊内団結の非共産主義性」として
総括し、自己批判−相互批判に基づいた「人間を第一とす
る思想」「日本人民を愛する思想」を獲得する思想闘争の
重視として克服しようとしている。
 我々もまた、我々自身の自白屈服の組織的原因の一つを、
隊内思想闘争の軽視からくる隊内共産主義化の不徹底とし
て総括している。しかし隊内共産主義化の内実については、
日本赤軍とは見解を異にする。日本赤軍いうところの「人
間を第一とする思想」が共産主義とは無縁のブルジョア思
想であることは、すでに第四章で指摘した。「日本人民を
愛する思想」なるものも、日帝本国人の歴史的現在的反革
命性を免罪・美化する民族主義であることは、第一章が明
らかにしている。つまり、日本赤軍いうところの「隊内共
産主義化」とは共産主義とは無縁のものであり、従って日
本赤軍いうところの「隊内共産主義化」の方向では、決し
て、帝国主義者どもと根源から対決することはできないと、
我々は判断する。
 いかなる理由があろうとも自白は許されない。いかなる

57

理由をもってしても自白を正当化することはできない。し
かし、単に「人民を防衛する」とか「組織を防衛する」と
かいう理由で完黙を確認しても、それだけでは組織員全員
が完黙し得るとは限らない。単なる個的な決意のみでは、
完黙を必然化し得ないということも、我々自身の自白屈服
から学んた教訓である。我々は、決して、完黙を兵士個々
の決意のみにまかせることでことたれりとしてはならない。
兵士全員が完黙し得る組織をこそ形成しなけれほならない。
日本赤軍も「組織内における個々の弱さは、総体の弱さの
反映としてあり」(B114P)といっているが、この点に
関しては正しい。
 兵士全員が完黙し得るためには、帝国主義者どもに対す
る非妥協的な憎悪に裏打ちされた戦闘意志が組織としての
戦闘意志にまで高められ、具体的プログラムに裏付けられ
た勝利の確信が組織としての確信にまで高められていなけ
ればならない。そして、組織としての戦闘意志、組織とし
ての勝利への確信が、さらに個々の兵士に徹底し、組織と
兵士が一体である時に、兵士全員が完黙し得るのである。
これが我々自身の自白屈服から学びとった組織的教訓であ
る。そしてこのような組織内実をつくり得なかったことと、
反日思想を個々の兵士が主体化し得ていなかったこと、す
なわち、そうし得なかった隊内思想闘争の軽視が、個々の
兵士の弱さを敵の前にさらけ出してしまい、そこを敵に突
かれ、はば全員自白屈服という敗北をもたらしてしまった
と我々は総括している。
 それ故、我々にとって自白屈服を組織的に克服する方向
は、組織として、非妥協的な戦闘意志と具休的プログラム
に裏づけられた勝利の確信を確立し、反日思想をより深化
発展させ、それを個々の兵士に徹底する隊内思想闘争の展
開である。この方向こそが、断乎、反日武装闘争を堅持し
つつ、軍事至上主義を克服し、正しい軍事=政治路線を獲
得し得るのであり、日本赤軍の「人間を第一とする思想」
とか「日本人民を愛する思想」とかという主観主義的ムー
ド的な「隊内共産主義化」は、「軍事と政治の乖離」を克
服するどころか、益々、拡大する結果しかもたらさないの
である。
 我々は、隊内共産主義を、未来社会の原基形態としての
戦士共同体として措定し、その組織的保障を戦士的民主主
義と規定する。この原理的立場こそが、軍事と政治、軍と
党の二元論を止揚し得るのである。

 第六章 日本赤軍から反日赤軍へ
 「私たちは、私たち自身の敗北、連合赤軍や東アジア反
日武装戦線、そして日本共産党の戦前戦後の敗北等、日本
共産主義運動の敗北を自分たちの日常実践の中で総括して
きました。」(A)と日本赤軍はいっているが、東アジア反

58

日武装戦線三戦闘部隊の「敗北」を、日本共産主義運動の
敗北の範疇にとらえ込み、連合赤軍や日本共産党の敗北と
並列することはできない、と我々は考えている。日本赤軍
の、このような総括の仕方は、日帝本国内への、日帝本国
人による反日武装闘争の登場切歴史的革命的意義を抹殺し、
東アジア反日武装戦線の一連の戦いを、日本人マルクス・
レーニン主義者の一国主義的左翼運動の中に、一つのエピ
ソードとして埋没させてしまう危険性をもっている。
 東アジア反日武装戦線の一連の戦いは、日本人民の一国
主義的階級闘争の文脈においてではなく、先づもって、東
アジア諸国人民の反日武装革命史の文脈との関連で総括さ
れ位置づけられねばならず、その上で、日帝本国人がオノ
レの歴史的現在的反革命性を実践的に自己否定する戦いと
して担ったという革命的意義が強調されなければならない。
 日本赤軍は『勝利の源は階級的団結、その……』の中の
『三、日本革命の歴史と私たち』という章で「日本共産主
義運動」なるものの、皮相な総括を試みている。ここで日
本赤軍は、いわゆる日本共産党風の「被植民地人民の戦い
を捨象した日本人民中心史観」を基底に据えて、つまると
ころ日本共産党と同一の土俵で、「人間を第一とする思想」
「日本人民を愛する思想」を基準にして、日本共産党や新
左翼の不十分性なるものを指摘することで、日本赤軍の一
国革命主義路線の正当化を試みている。日本赤軍の説によ
ると「人間を第一とする思想」「日本人民を愛する思想」
こそ、マルクス・レーニン主義の革命的世界観らしい。そ
して「人間を第一とする思想」「日本人民を愛する思想」
である「マルクス・レーニン主義の思想で武装することが
十分にしぬけないこと」(B145P)が、日本共産党や新
左翼の不十分性ということにされている。それゆえ、日本
共産主義運動の総括として、日本赤軍いうところの「マル
クス・レーニン主義を発展させていくことこそ革命勝利の
根幹」(B150P)という結論が導き出されている。
 だが、我々は、マルクス・レーニン主義が、日本赤軍の
いうように「人間を第一とする思想」「日本人民を愛する
思想」であるか否かにかかわらず、マルクス・レーニン主
義そのものの根底的批判こそ、世界革命勝利のための理論
的前提条件の一つだと考えている。我々は、日帝本国内の
革命闘争を重層重合的な共同体革命闘争史観を基底に据え
た、日帝の侵略反革命史と東アジア諸国人民の反日武装革
命史の弁証法を基準にして、なにゆえ日帝本国人「共産主
義者」は、日帝本国人プロレタリアート・農民の反革命性
を解体し得ず、なにゆえ東アジア諸国人民の反日武装闘争
に呼応し得ず、なにゆえ日帝の侵略反革命を許してきたの
かという観点から総括する。
 「私たちは、革命の真理の前に自己を解体しつづけより
客観的真理へと自己を組織することを自己批判と考えてい

59

ます。」(K12P)と日本赤軍は言う。だが「革命の真理」と
は何なのだろうか? 「客観的真理」とは何なのだろうか?
自己解体=自己批判の規準をどこにおくのだろうか?この
ことこそ先づもって明きらかにされねはならぬ。
 日帝本国人が、その前で自己を解体しなけれはならない
「革命の真理」、オノレをそれへ向けて組織しなけれはな
らない「客観的真理」とは、被侵略下原始共同体部族・被
植民地原住民大衆の解放を根源的基軸的主体とした世界革
命である。日帝本国人としての革命的自己批判とは、日帝
本国人としての歴史的現在的反革命性を魂の奥底で自覚し、
その反革命性を実践的に自己解体しつつ、その自己否定を
民族性の止揚へまでも貫徹し、原始共産主義魂を学ぶこと
を通して、共産主義思想を魂の奥底に植えつけ芽吹かせ育
てあげることである。そして日帝本国人としての実践的自
己否定とは、被侵略下原始共同体部族・被植民地原住民大
衆の戦いを戦闘指示として受けとめ、それに事実行為で呼
応・合流していくことを通して、オノレを世界革命主体へ
と形成していくことである。
 一九七二年五月三一日付『赤軍からの宣言』は、「パレ
スチナの虐げられた友よ、この闘争は日本帝国主義者の黒
い血にまみれた手で育った日本人民が……。勝利の日まで、
日本に住む朝鮮・中国人民に、さらに日本の中の第三世界
を強制された沖縄人民と共通の敵の打倒において………」
(L40〜41P)と宣言している。
 ここでは、日帝本国人の反革命的犯罪性が自己否定的に
自覚されており、日本人民よりも、在日朝鮮人・中国人・
ウチナンチューとの結合が語られている。現在の日本赤軍
には、ここで表出している革命的な思想はない。一九七二
年5・30リッダ闘争以降の日本赤軍は、5・30リッダ闘争を
発動した革命的感性・思想・路線からの後退であり、5・
30リッダ闘争戦士への裏切りではないのか? 今の日本赤
軍に問われているのは、まさに、日帝本国人としての自己
批判実践として、被植民地人民の解放のために体を張って
戦うという5・30リッダ闘争を発動した思想的原点への革
命的復帰ではないのか?
 77・5・30路線転換以降も、日本赤軍は、その内在的矛
盾を何ら解決していない。5・30路線転換は、その内在的
矛盾を、政治思想の一国主義性と具体的武闘実践の国際主
義性との二律背反として、より純化している。日本赤軍は、
軍事行動を積み重ねれば積み重ねるはど、その政治的理論
的上部構造と軍事的実践的下部構造との矛盾を拡大してい
かざるを得ないだろう。それは例えば9・28闘争の「人質」
の位置づけをめぐる政治と軍事の先鋭な分裂・矛盾として
表われている。
 日本赤軍が、その内在的矛盾を革命的に解決する道は、
反日武装闘争への路線転換以外にはない。日本赤軍から、

60

反日赤軍への革命的飛躍・路線転換こそが、現在の内
在的矛盾を根底的に解決する、と我々は確信をもって提起
する。
 〔付記1〕 われわれに対して、例えば「マルクス・レ
ーニン主義を否定して、底辺主義や貧民主義に立脚して主
観的な非合法組織に閉じ込もるならば現代ナロードニキ軍
事に終わるのである。」(『蜂起』No.91)「もし、爆弾の規
模だけで評価を下せば東アジア反日武装戦線に……軍配が
上る。しかし、この路線では階級深部の怒りを党として組
織できない。」(『蜂起』No.95)「『辺境人民と後進国人民
にとって帝国主義国の労働者は資本家と同じように敵であ
る』という主張まで生み出している。」(『蜂起』No.96)「彼
らの路線の本質は植民地人民の反日帝闘争に対する義勇兵とい
うところにある」(『赤報』No.22)「もっぱら、ブルジョ
アジーとプロレタリアートに対して共に階級的不信を表明
するところの小ブルジョアジーの立場を極限にまで急進化
させた……」(同上)というような「批判」が寄せられて
いる。これら新左翼諸潮流からわれわれに対して向けられ
ている「批判」は、要するに、われわれが「日帝本国人プ
ロレタリアートを日本革命の主体として措定していない」、
つまり「『先進国プロレタリア革命論』を否定している」
という点にある。われわれはマルクス・レーニン主義者で
はないことを決して隠しはしないし、はっきりと「先進国
プロレタリア革命論」を否定する。本文においても展開し
たように、われわれは、「日本革命」を追求しているので
はなく、世界革命そのものとしての反日革命を追求してい
るのであり、先ずもって、われわれ日帝本国人プロレタリ
アートは、帝国主義抑圧民族(帝国主義的寄生虫)である
という確認から出発しなければならないと考えている。そ
して、帝国主義抑圧民族である日帝本国人プロレタリアー
トは、帝国主義抑圧民族であるオノレの歴史的現在的反革
命性を実践的に自己否定することを通してのみ、みずから
を.世界革命主体として、形成し得るという観点に立ってい
る。われわれは、「日帝本国人プロレタリアートを先ず日
本革命の主体として形成し、日本一国的権力奪取の後に世
界革命主体に転化する」という一国革命主義を否定し、革
命闘争の出発点から、反日思想を媒介として、日帝本国人
プロレタリアートを世界革命主体として形成することを追
求する。われわれは、日帝本国人プロレタリアートを日本
革命の主体として措定することを否定するのみならず、「日
本革命」という枠組自体否定する。しかし、われわれのこ
の路線的立場は、日帝本国人プロレタリアートに対するム
ード的不信感を根拠としたものではなく、日帝本国人プロ
レタリアートが歴史的現在的に帝国主義抑圧民族であると
いう客観的存在論(単に排外主義イデオロギーにおかされ
ているということではない)を根拠としている。われわれ

61

は日帝本国内の世界革命主体を反日兵士大衆として指定す
る。そして、われわれは、日帝本国人プロレタリアートの中か
                    ヽヽヽヽヽ
ら必ず反日兵士が生まれてくるということに絶対的確信をも
っている。日帝本国人ブルジョアジーに対しては被支配者
であり、被植民地人民に対しては支配者であるという存在
論的矛盾こそ、日帝本国人プロレタリアートが反日兵士へ
と志願する論理的根拠であり、日帝の侵略反革命史と日帝
本国内外の反日武装革命史の弁証法こそ、その物質的根拠
である。それ故「日帝本国人プロレタリアートの中から反
日兵士は生まれない」とか「反日武装闘争では日帝本国人
プロレタリアートを革命主体として組織できない」という
人々こそ、実は、日帝本国人プロレタリアートに対する裏
   ヽヽヽ
返しの不信感をもっているのである。われわれが敢て、日
帝本国人プロレタリアートを、帝国主義的寄生虫である
と比喩的に規定するのは、日帝本国人プロレタリアート総
殲滅というテーゼをひき出すためではなく、日帝本国人プ
ロレタリアートが反日兵士へと転生するための自己否定を
すみやかに発動させるためのつきつけとして、である。
 〔付記2〕 <一国革命主義・一国社会主義・寄せ集め
世界革命>路線の否定の上に立って、われわれが構想して
いる根源的世界革命、すなわち永続的世界共産主義革命の
<永続性><世界性><共産主義性>は何によって保障さ
れるのか? それは、被侵略下原始共同体部族・被植民地
原住民大衆の解放を、われわれが主体的に発動する革命闘
争の主軸に据えること、帝国本国人はオノレの歴史的現在
的反革命性の自己否定をもって彼らの戦いに合流すること、
そして搾取階級制と民族国家との否定の上に立った過渡期
人類共同体の建設→それ自体の止揚を媒介的に経由して、
全世界共産主義全人類共同体を建設することを戦略目的と
していることである。すなわち、<帝国本国−植民地>の
階級闘争の止揚を、帝国主義侵略勢力と被植民地原住民勢
力との対立闘争によって制約し、その総体を原始共産圏と
文明圏との対立闘争の止揚によって制約し、民族国家の否
定(階級の廃絶のみならず民族の廃絶もめざす)を前提と
して世界共産主義社会を建設することを戦略目的とする時、
われわれは、われわれが主体的に発動する革命闘争の<永
続性><世界性><共産主義性>を原理的に確保すること
ができるのである。そして、@「一国革命主体→世界革命
主体」ではなく、はじめから世界革命主体の形成をめざす
運動論 A一国内部で民族的に分隔固定化された主体の一
国主義的結集を軸とするのではなく、民族的分隔固定化を
自己否定的に解体し、国境を越えて、世界革命主体の国際
的結集をめざす組織論 B戦略・戦術の基本を一国的な情
勢分析から立てるのではなく、人類世界史の三層構造の総体
把握を基底にし、世界過渡期論を基準にした世界帝国主義
分析から立てる世界革命戦略論が、<永続性><世界性>

62

<共産主義性>を具体的に確保するのである。一国革命主
体をもってする、民族廃絶の方向をもたぬ社会主義の、民
族国家の枠内での建設を自己目的化する<一国革命主義・
一国社会主義・寄せ集め世界革命>路線が、程度の差の違
いはあれ、スターリニズムの迷路にはまり込み、国益至上
主義の立場から、根源的世界革命に敵対し、社会帝国主義
に転落することは、一九一七年以降の歴史が示している。
そもそも、一方で被侵略下原始共同体部族が種族絶威の危
機にさらされ、被植民地原住民大衆が大量に飢え死にしつ
つある時、他方でブルジョア的物質生活の一国的向上をも
って社会主義の勝利と称している社会主義などは、全世界
共産主義全人類共同体の建設の方向とはまったく無縁であ
るばかりではなく、敵対するものなのだ。根源的世界革命
の方向性をもたず、とりあえず、一国的植民地革命を成し
遂げ「部分的勝利」を克ち取った一国革命主体がなすべき
ことは、すみやかに、<一国革命主義・一国社会主義・寄
せ集め世界革命>路線を放棄し、根源的世界革命の路線を
獲得することによって、自らを世界革命主体へと転生させ、
民族国家を否定する方向で、解放された大地を根線的世界
革命の根拠地へと転化させつつ、過渡期人類共同体の実体
として生み直すことであろう。
 〔付記3〕 日本帝国撃滅の暫定的プラン
<第一期> 日帝本国外の反日武装闘争(主要には東アジ
     ア諸国人民の)に事実行為で呼応する日帝本国
     人の反日武装闘争の開始→日帝本国内における
     東アジア反日武装戦線の形成
<第二期> 日帝の新植民地主義侵略と戦う<東アジア1
     世界>の人民の反日武装闘争への戦闘呼応を通
     して、日帝本国内外の革命と反革命との対立闘
     争、すなわち世界帝国主義の矛盾を総体として
     激化させつつ、それを背景として、日帝本国人
     プロレタリアートを、反日思想を媒介として世
     界革命主体へと形成し、東アジア反日武装戦線
     への志願・結集を促し、国外の世界革命派との
     共闘関係をつくり出し、世界革命<党=軍>の
      建設を展望する。
<第三期> 日帝本国内外の反日武装闘争の激化→世界帝
     国主義の根底的危機(この過程で<東アジア−
     世界>諸国のいくつかの反革命政権は打倒され
     る)によって、日帝の政治経済的危機がひき出
     され、日帝本国人の革命派と反革命派への分岐
     がより先鋭化・拡大し頂点に達する→世界革命
     戦争の国際的連関としての本格的内乱内戦状態
     に突入。反日都市ゲリラ戦と反日大衆武装蜂起
     の結合。国外反日革命軍の上陸。
<第四期> 東アジア反日武装戦線を革命権力に発展させ、

63

     最終決戦に突入。
<第五期> 日帝権力(警察・軍隊・監獄・政府・官僚機
     構)の打倒・解体・掃滅→勝利→東アジア反日
     武装戟線を核とした反日兵士大衆による革命的
      独裁の樹立→日本国家の廃止(日帝の滅亡)と
      反日共同体の樹立を宣言、アイヌ・ウチナンチ
      ュー・在日朝鮮人・在日中国人の同志たちもそ
     れぞれの共同体樹立を宣言。東アジア地区で解
     放された各共同体は、世界革命評議会(東アジ
     ア地区)を形成する。

【引用出典目録】
 A──「日高隊声明」( 『人民新聞』NO.302 77・10・
    15付)
 B──「勝利の源は階級的団結、その保証は思想闘争」
    (『団結をめぎして』)
 C──「団結をめざし、団結を求め、団結を武器としよ
   う!」 (『団結をめざして』)
 D──「同志奪還闘争への意見に応えて(5)」(『人民新
   聞』No.326 78・6・25付)
 E──『赤軍』ドキュメント
F──『人民新聞』No.316 78・3・15付
 G──「パレスチナ民主国家とは何か」(『アラブゲリ
    ラと世界赤軍』)
 H──「あすのパレスチナ− アル・ファタ」 (『アラ
    ブゲリラと世界赤軍』 )
 I──「PFLP綱領的文章」(『アラブゲリラと世界
    赤軍』)
 J──「同志奪還闘争の軍事的勝利を思想的団結へと前
    進させよう」 (『現代の眼』78年3月号)
 K──『団結をめざして』まえがき
 L──『日本赤軍宣言』
 M──『赤軍』パンフNo.4
 N──「同志奪還闘争への意見に応えて(1)」(『人民新
    聞No.322 78・5・15付)
 0──「同志奪還闘争への意見に応えて(2)」(『人民新
    聞No.324 78・6・5付)

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《緊急アッピール》

 東アジア反日武装戦線・KF部隊(準)は、去る三月
一九日の、未知の同志たちによる東レ海外事業担当重役
斉藤光豊宅に対する攻撃を、心からの喜こびをもって、
断乎として支持することを表明する。
 一九七八年五月一七日、中米エル・サルバドルの都市
ゲリ与FARNは、東レ、蝶理、三井物産、岐染の出
資からなる多国籍侵略企業インシンカの社長松本某を捕
捉し、同人の釈放と交換に、ロメロ軍事独裁政権下の獄
中にある同志たちの解放などを要求した。そしてFAR
Nは、スウェーデン系、オランダ系の多国籍侵略企業の
重役、英系多国籍侵略銀行の代表を相次いで捕捉した後、
同年一二月七日、再びインジンカの重役鈴木某を捕捉し、
同人の釈放と交換に獄中の同志たちの解放などを要求し
た。
 FARNの、これら一連の多国籍侵略企業の重役を捕
捉する作戦は、各作戦の後に公表される宣言に明らかな
ごとく、FARNが多国籍侵略企業に対する攻撃を通し
て、米帝・日帝を軸とする世界帝国主義と、世界帝国主
義に支えられたロメロ軍事独裁政権を打倒せんとしてい
ること、そしてそのためには共通の敵と対決している被
植民地人民、とりわけ中米のニカラグア、グアテマラ人
民との団結の強化をめざし、国境を超えた統一革命をめ
ざしていることを明らかにしている。
 エル・サルパドル人民は、隣国のニカラグア・グアテ
マラ人民とともに、米帝反革命軍事力を後盾とした苛酷
な抑圧支配の下で、少数の地主階級と米帝、日帝など多
国籍侵略企業に収奪され続けている。
 そして、エル・サルパドル人民を収奪している多国籍
侵略企業の筆頭がインシンカに他ならないのである。そ
れは何よりも、FARNが二度にわたってインシンカの
日本人重役を捕捉していることによってあきらかで
ある。
 この連続的な日本人重役捕捉作戦は、われわれ日帝本
国人に対する戦闘指示=つきつけ≠ナある。すなわち、
ロメロ軍事独裁政権を援助してエル・サルパドル人民を
具体的に抑圧し、そしてエル・サルパドル人民に低賃金
労働を強制して収奪しているインシンカ−東レ・典理
・三井物産・岐染を、日帝本国において攻撃せよ、とい
う戦闘指示=つきつけ≠ナあるのだ。
 われわれは帝国主義本国人民が総体として被植民地人
民に対する支配者であり、収奪者であり、被植民地人民
に対する寄生虫的な存在であることを確認しなければな
らない。われわれの、「物質的に豊かな」日常のすべて

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が、直接的、間接的に、エル・サルパドル人民をはじめ
とする被植民地人民に犠牲を強いている結果として保障
されていることを確認しなければならない。
 われわれは以上のことを確認し、FARNからの戦
闘指示=つきつけ≠ノ具体的に応えなけれはならない。
われわれは、日帝企業の新植民地主義侵略、支配を容認
することによって、被植民地人民に敵対し続けてはなら
ない。帝国主義本国人としての反革命性、寄生虫性を自
ら解体し、否定しなくてはならない。そして、それは、
日帝本国において侵略企業中枢を武装攻撃して物質的、
実体的なダメ−ジを与え、新植民地主義侵略、支配を許
さない戦いを主体的に担うことによってはじめてできる
ことなのである。
 同志、友人諸君!
 FARNをはじめとする被植民地人民の反世界帝国主
義、反日、の戦いに日帝本国の政治、経済、軍事中枢を
武装攻撃する事実行為で呼応し、その呼応する戦いで、
被植民地人民と真に合流しよう!
 東レ・蝶理・三井物産・岐染をはじめとする全ての侵
略企業中枢を繰り返し、執拗に攻撃しょう!
 さらなる戦闘を慎重に、細心に準備し、中枢セン滅戦
を大胆に戦い抜こう!
 反日武装闘争の勝利に確信をもって、共に戦かわん!
 一九七九年三月二三日

     東アジア反日武装戦線・KF部隊(準)
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【東京地裁刑事五部ミノハラは、毎回の「法廷」で強権的
訴訟指揮を発動している。われわれは、ひとつづきの戦場
である監獄と裁判所においても原則的に反日闘争を闘い抜
いている。「傍聴」・カンパを含む、あらゆる形態での共
闘を!! 獄中──法廷内闘争支援のために「公判資料」(腹
腹時計VOL 1のコピー、「公判」ニュ−ス等)を必要とす
る友人は、KQ通信社に問い合わせてほしい】


発行日 1979年2月28日
発 行 東アジア反日武装戦線KF部隊(準)



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