腹腹時計

   VOL.3

      東アジア反日武装戦線KF部隊(準)


目 次
基調提起
反日人民戦争へ向けた地上−地下の総力戦の陣型の構築を!…………………3
反日人民戦争論序説…………………………………………………………………7
  −日帝は有罪であり、東アジア反日武装戦線は無罪である−
更なる反日闘争の深化に向けた三菱総括の共有を!……………………………27
  −日本赤軍の<反日>批判に寄せて−

死刑・重刑攻撃粉砕のために
  1立場の異なる人々の間に、有効な共同戦線を創り出そう!…………34
  2反日人民戦争をおし進め、死刑・重刑攻撃を粉砕しょう!…………36
反日思想の根拠
「反日理論は観念論」との批判に反論する……………………………………40

口アピール口10・28間組爆破攻撃断固支持!…………………………………45


基調提起
反日人民戦争へ向けた
  地上−地下の総力戦の陣型の構築を

 今、世界は、その最深部から激動しっつある。日本帝国
やUSA帝国を中枢として、全世界に張りめぐらされた収
奪・支配網としての世界帝国主義は、その周辺部から、被
植民地人民の挑戦を受け、部分的な崩壊を開始している。
 七五年のインドシナ革命戦争の勝利とUSA帝反革命軍
の政党・敗退は、アジア戦闘区に分ける革命と反革命の力
関係を大きくかえた。と同時に、中国・ベトナム・カンボ
ジアのマルクス・レーニン主義共産党の誤った路線が、世
界革命への前進を妨げ、逆に世界帝国主義の延命を補強し
ている。
 七四年、七五年のギニア・ビサウ、モザンビーク、アン
ゴラ等の革命戦争の勝利とポルトガル植民帝国の解体は、
アフリカ戦闘区における革命と反革命の力関係を大きくか
え、そのインパクトは、ジンバブエ、ナミビア、アザニア
の革命戦争へと波及している。七九年暮れ、アフリカ北東
部では、エリトリア人民が攻勢に転じている。
 七九年のイラン革命の勝利とパーレビイラン準帝国の打
倒は、アラブ・中東戦闘区に分ける革命と反革命の力関係
を大きくかえ、USA帝国との緊張・対立関係を維持しつ
つ、イラン準帝国のさらなる永続革命的解体に向けて、イ
スラム反革命派と国内被抑圧少数民族・革命派との激突が
続いている。
 七九年のニカラガア革命戦争の勝利とソモサ軍事独裁国
家の打倒は、中央アメリカ戦闘区における革命と反革命と
の力関係を大きくかえ、そのインパクトは、エルサルバド
ル等の周辺国に波及しつつある。
 七九年、都市ゲリラ戦を志向する「南朝鮮民族解放戦線」
の出現と、一〇月釜山からはじまり、馬山−ソウル−大邱

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へと拡大し、KCIA部長をして、朴正煕を射殺せしめた
韓国人民の大衆叛乱は、韓国内における革命的人民戦争の
展開が、現実のものとして日程にのぼりつつあることを示
唆している。七九年十二月には、台湾人民が、反国民党の
大衆叛乱に決起している。日帝の新植民地主義支配に深く
組み込まれてhる東アジア戦闘区も、激動を開始しつつあ
る。
 世界帝国主義をその最深部からゆるがす、このような国
際革命戦争の高まりを背景として、日帝本国内においては、
東アジア反日武装戟線が登場し、七四年から七五年にかけ
ては、日帝侵略企業に対する爆破攻撃を主体とした反日武
装闘争が戦われ、七五年五・一九弾圧以降も、地下の部隊
によって、反日武装闘争は継続している。七九年三月一九
日には、東レ重役宅爆破攻撃=第二次女工哀史作戦、七月
二五日には、間組重役宅火災弾攻撃(不発)、一〇月二七
(二八)日には、間組第二ハザマピル工事現場爆破攻撃=
テメソゴール・新四ツ木橋・カタパン作戦が、地下の同志
たちによって戦われている。
 反日武装闘争は、それが日帝の政治・経済・軍事のより
中枢に向けて、連続的・集中的に展開される時、最大の威
力を発揮し、敵との政治・軍事的な力関係を大きくかえ、
敵への打撃を実体化する。なによりも、七四年〜七五年の
東アジア反日武装戦線″狼″大地の牙″さそりの戦
いが、そのことを示している。
 残念ながら、七五年五・一九以降の反日武装闘争は、い
まだ七四年〜七五年の、三部隊が担った反日武装闘争の水
準を回復していない。だが、海外に分ける日帝企業等に対
する武装攻撃を、われわれ日帝本国人への戦闘指令として
受けとめ、それに対してすみやかに呼応し、日帝企業等を
武装攻撃するという路線は確実に継承され、深化されつつ
ある、とわれわれは確認Lている。
 わわわれは、七四年〜七五年の実践的総括を踏まえて、
『腹腹時計 vol2』において、「第二、第三のキソダニ・
テメソゴール作戟を!と提起した。すなわち、この「第
二、第三のキソダニ・テメンゴール作戦を!」というスロ
ーガンによって、われわれは、日帝の政治・経済・軍事の
中枢への具体的・集中的・連続的打撃としての中枢殲滅戦
の意義と海外の反日武装闘争への即座の戦闘呼応の意義を
強調した。
 われわれは、同じく『腹腹時計 vol2』で、「中枢殲滅
戦を軸とした大衆的反日都市ゲリラ戦の展開を!」という
提起を行なった。すなわち、このスローガンによって、わ
れわれは、中枢殲滅戦を主軸としながらも、反日武装闘争
を決して中枢殲滅戦のみに切りつめず、スプレーからマッ

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チ一本までをも含んだ非公然闘争の意義を認め、反日武装
闘争をより大衆化し、その裾野を押し広げることを意図し
た。
 『腹腹時計 vol2』発刊以降、われわれは、反日武装闘
争論を反日人民戦争論として深化すべく内部的討論を重ね
てきた。すなわち、反日武装闘争(反日都市ゲリラ戦)を
軸とした反日闘争総体の発展法則、地上−地下の総力戦の
陣型構築の方法論こそ、われわれが反日革命に勝利するた
めあ指針であるという結論に達した。この反日人民戦争論
の問題意識に関しては、『反日人民戦争論序説』において
詳しく展開してある。
 われわれの総路線の核心は、原始共産制復権を孕み、植
民地革命を優先し、世界帝国主義を打倒し、過渡期人類共
同体を建設する世界革命戦争を、日帝本国内において反日
人民戦争として展開するというものである。そして、反日
人民戦争とは、日帝本国人としての歴史的現在的反革命性
を自己否定しつつ、日本帝国を撃滅し、反日共同体を建設
していく、地上−地下の総力戦である。
 今、われわれは、この反日人民戦争論の、運動論として
の具体化が問われている。運動論としての具体化とは、先
ず敵と味方との弁証法的区別であり、それに基づいた革命
主体(組織・運動・統一戦線)形成の方法論である。それ
は大略、次のように定式化できよう。
 日帝本国人総体の、被植民地人民に対する歴史的現在的
反革命性を踏まえつつ、日帝最上層部を形成している天皇
を初めとした、日帝支配者は無条件に殲滅し、日帝中層部を
形成している上層的日本人民は、味方にすべく批判・糾弾
し、日帝最下層部に位置している、日帝と戦う下層的日本
人民とは味方として連帯していき、内外の被植民地人民の
反日反世帝革命闘争に合流していく、というものである。
 さらに、以上の原則を踏まえつつ、地上の公然大衆運動
に対しては、次のような原則で対応していくべきであると
考える。
 第@には、反日独自の大衆運動を組織することである。
第Aには、既成の新左翼的大衆運動を、内部から反日大衆
運動へと質的に変えていくことである。第Bに、帝国主義
的労働運動等に対しては、内と外から解体し、反日大衆運
動へと吸収していくことである。
 この@ABは、いずれも、先ず現に地下の部隊が存在し、
反日武装闘争が展開されていることによって、はじめて具
体性をもつということを忘れてはならない。それゆえ、わ
わわれが戦略的に先ず手をつけなければならないのは、地
下部隊の形成である。反日武装闘争がつくり出す政治・軍
事的力関係の変化をテコにしてこそ、@ABは、はじめて

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具体性をもつのである。
 また、われわれは、@ABの順で工作を進めていかなけ
ればならない。@は、反日人民戦争の小規模攻勢段階(端
初期)においても具体性をもつが、Aは、中規模攻勢段階
(発展期)にいたらないと具体性をもたないだろうし、B
は、大規模攻勢段階(決戦期)にいたらないと具体性をも
たないだろう。ただし、工作は、戦略的布石として、一段
階先から行なうべきであろう。
 以上の確認を踏まえて、われわれは、当面の具体的方針
を次のように考えている。(1)地下の反日兵士諸君は、細心
な注意と大胆な主導性・攻撃性・創意性をもって、中枢殲
滅戦を軸とした大衆的反日都市ゲリラ戦を展開すること。
(2)まだ反日兵士に志願してはいないが、敵に名前も顔も知
られていない諸君は、すみやかに反日兵士に志願し、反日
都市ゲリラ戦の遂行に向けて具体的な準備を開始するか、
(3)もしくは地下の部隊を物質的(経済的支援・家屋・人員
等の提供・補給)に支える非公然支援網を担うこと。(4)す
でに敵に名前も顔も知られている諸君は、地下の部隊を政
治的・精神的に公然と支援し、広範な大衆を反日人民戦争
へと動員する反日大衆運動をあらゆる領域で展開すること。
 反日大衆運動としては、現在的には、(a)獄中にとらえら
れている反日兵士や下層労働者、アイヌ、沖縄人、在日朝
鮮人らの救援・支援活動、(b)寄せ場・下層労働者の闘争、
(c)既成大衆運動への反日工作、(d)出版・情宣活動等、が考
えられる。
 以上の方針に基づいて、われわれは、死刑・重刑攻撃を
粉砕すべく、断乎として控訴審を戦い抜く。
                   八〇・一・一六記

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反日人民戦争論序説
日帝は有罪であり、東アジア
反日武装戦線は無罪である
          (1)反日革命とは何か?
          (2)反日革命の主体は稚か?
          (3)反日武装闘争を軸とする反日
             闘争=反日人民戦争の遂行で、
             反日革命を戦取しよう !
          (4)反日人民戦争は如何に組織さ
             れていくのか?
          (5)攻撃型革命戦略
          (6)結  語

(1)反日革命とは何か?

 反日革命とは、自然と人間が共に一体となって生きるこ
とを基本とした、国家も民族も階級もなく、差別、抑圧も
一切ない、自由平等な全人類共同体=全世界共産主義をめ
ざす世界革命の一環として、世界帝国主義の中枢に位置す
る日本帝国を撃滅していく戦いの過程である。従って、反
日革命は、日本帝国が世界帝国主義の中枢に位置している
以上、世界帝国主義打倒に突き進まざるを得ない永続的な
戦いであるが故に、全世界の被抑圧人民の反日・反世界帝
国主義の戦いの発展によって、はじめて勝利することがで
きるであろう。
 このように、反日革命とは、全人類共同休=全世界共産
主義社会実現の一環としてあるが故に、被植民地人民を搾
取、収奪し、彼らの犠牲の上に、現在の物質的に豊富な生
活を送っている日帝本国人の生活水準を、過渡的には大巾
に低下させることになるであろう。すなわち、反日革命は、
日帝本国人の生活水準を現在よりも上昇させるために、生
産力を更に増大し、被植民地人民からの搾取、収奪を強化
する方向に進むのでは断じてなく、先ず緊急な任務とLて
世界帝国主義の搾取、収奪体制によって飢えを強いられ、
やせおとろえ、栄養失調で死んでいく子供や老人たちを全

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世界からなくしていくために、過去、日本帝国が被植民地
から略奪し、蓄積してきた富を全世界に返還し、分配して
いくのである。
 このような反日革命をめざすわれわれに対して、多くの
悪意をもった非難や、偏見に基づく批判が投げつけられて
いる。右は、われわれを「爆弾魔」呼ばわりして、火あぶ
り・はりつけ・車裂き・さらし首にでもして早く処刑しろ
と煽っているサンケイ・読売を筆頭とする商業ジャーナリ
ズムから、左は、われわれに「テロリスト」のレッテルを
貼りつけて、結果としてわれわれの孤立化を促し、日帝国
家権力の左足の役割を果しているマルクス・レーニン主義
諸党派まで、われわれに対する敵意をもった非難や偏見に
基づく批判が表明されている。そして、われわれの反日革
命に向けた主張は、まだまだ大衆的に浸透しておらず、こ
の意味でわれわれは日帝本国では少数派である。このよう
に、われわれが右翼の悪罵のみならず、「左翼」の一部か
らも偏見に基づく批判をされ、いまだ少数派であることを
余儀なくされているのは以下の理由に依っている。
 先ず、その第一の理由は、われわれのめぎす反日革命が、
被植民地人民の解放を最優先させて、現在の日帝本国人の
生活水準を大巾に低下させるからであり、ブルジョアども
はもちろん、プチブル化した上層プロレタリア−トもまた、
現状維持の居眠りを続けようとして、われわれに敵対して
くるからである。第二の理由は、われわれは、日帝本国人
である以上、ブルジョアジーとブロレタリアートの違いは
あれ、総体として被植民地人民に寄生しており、歴史的に
も現在的にも反革命的存在であるが故に、先ずそうしたオ
ノレのあり様に対する自覚をもち、その上でそうしたオノ
レを自己否定していく実践として、日帝中枢を撃っていか
なければならないというわれわれの反日思想に立つ主張が、
プロレタリアは被抑圧者、被搾取者であって、ア・プリオ
リに革命の主体だとするマルクス。レーニン主義者にとっ
ては、容認し得ないものとして(また、ある諸君にとって
は、われわれの主張を否定できないが故にうとましいもの
として)反発してくるからである。つまり、反日革命の本
質的根源的な国際主義=世界性に対する、一国主義者、国
益主義者の反発なのである。
 以上の事実はまた、東アジア反日武装戦線三部隊の戦い
を支持し、ストレートな共感を寄せたのは誰なのか、を明
らかにすることによっても逆証されるであろう。
 われわれの反日革命に向う戦いを支持し、ストレートな
共感を表明したのは、流動的下層労働者・獄中下層人民で
あり、ウチナンチュー、アイヌ、在日朝鮮人など日帝本国
内の被植民地人民であった。すなわち、日帝の市民社会か

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ら排除され、抑圧、搾取され続け、日帝の市民的左翼から
も差別され、疎外され続けてきた人々であったのだ。この
ことは、われわれの反日武装闘争(反日都市ゲリラ戦)が、
彼らの解放をめざすものであり、戦いの遂行過程で、被植
民地人民と日帝本国人流動的下層労働者との結合の回路を
形成せんとした以上、全く当然のことであったのである。
 なを、反日武装闘争とわれわれ自身に対する反革命デ
マ宣伝、誤解、偏見を許し、助長したのは、われわれ自身
にも責任があつたことを自己批判しなくてはならない。攻
撃すべきではなかった通行人=労働者・市民を多数殺傷し
た三菱重工爆破作戦の失敗と、この作戦結果に対して、公
然と自己批判しなかった二重の誤りを犯したことがそれで
ある。
 反日革命は、全人類共同体=全世界共産主義をめざすた
めに、先ずもって世界帝国主義の支配の下に呻吟する被植
民地人民の解放を最優先に追求するが故に、この戦いは、
最初から一貫して世界的であり、世界革命と不可分一体の
ものである。従って、そうであるが故に、反日革命に対し
て反発し、敵対する諸君は、そのことによってオノレの強
固な日本民族主義的、排外主義的な一国主義的国益路線に
捕捉されていることを自己暴露しているのである。反日革
命に対する自覚的な敵対は、世界革命に対する敵対である
ことを知るべきであろう。
 現在、ソ連、中国、ベトナムなどのマルクス・レーニン
主義を国是とする疑似社会主義政権は、世界革命に突き進
むのではなく、国益主義に拝跪し、一国主義的に自己完結
せんとしている。まさに現在、マルクス・レーニン主義が
根本的に問われている訳であるが(この点に関するわれわ
れの考えについては、 『腹腹時計 特別号2』の「現下世
界革命の核心点は何か」を参照されたい)、ソ連、中国、
ベトナムなどの革命が一国主義的に終息せんとしているこ
とを助長しているのは、ソ連、中国、ベトナムの革命指導
部の革命戦略上の一国主義的限界とともに、世界帝国主義
を形成する諸帝国本国の革命主体の未成熟にあったのでは
ないか? とりわけ日帝本国人としてのわれわれの責任は
重大である。ロシア革命時、日帝本国人はシベリヤ侵略に
直接参加し、またはそれを容認することによって、ロシア
革命の深化、発展に敵対した。中国革命時、中国を侵略し
ている日帝本国において、中国革命への組織的な呼応、決
起は闘われなかった。また、ベトナム革命時、日帝本国人
は、ベトナム革命戦争に呼応して日帝本国で革命戦争を組
織するのではなく、ベトナム革命に反革命的に敵対してい
る日帝本国人としてのオノレのあり様を根底的に問うこと
のない平和運動を繰りひろげた。(USA帝においても、ワ

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ッツ蜂起やBPPの戦闘など黒人大衆の武装闘争、そして
ウェザー・アンダーグラウンドがUSA帝中枢への武装
攻撃を行なっただけで、USA帝本国人としての殆んどが
オノレの反革命性を問うことのない平和運動を大衆的に展
開したのだった)。それゆえ、われわれはこうした歴史事
実を踏まえ、日帝本国人の責任として、ロシア、中国、ベト
ナムなどの革命を困難にし、一国主義的に終息させたのは、
帝国本国内の革命主体の未成熟であり、帝国本国人の反革
命性にあると確認しなくてはならない。そして、われわれ
は、反日革命こそが、こうした限界、矛盾をつき破っていく
であろうことを強く確認しなければならない。

(2)反日革命の主体は誰か?

 世界帝国主義の中枢に位置する日本帝国を撃滅し、世界
帝国主義打倒、世界革命勝利を戦取する主体は、巨視的に
見るならば全世界の被植民地人民であり、より具体的に分
析するならば、日帝の新植民地主義侵略の支配下にある韓
国、台湾、インドネシア、フィリッピンなどの労働者、農
民を中軸とする人民であり、日帝本国内のアイヌ、ウチナ
ンチュー、朝鮮人、中国人であり、そして流動的下層労働
者(寄せ場労働者、社外工、臨時工、季節工など)を中軸
とする、反日革命に主体的に志願する日帝本国人労働者、
農民、日帝反革命軍=自衛隊の下級兵士である。
 われわれは、日帝資本が国境を越え、全世界的に新植民
地主義侵略を行なっている現在、日帝本国人と被植民地人
民は、総体として支配↑↓被支配、搾取↑↓被搾取の関係
にあることを確認しなくてはならない。この事実は、例え
ば日帝とフィリッピン、韓国との関係を見ることによって
明らかになるであろう。
 日帝のフィリピンへの新植民地主義侵略は、他の東南ア
ジア諸国に対する新植民地主義侵略も「賠償」条約締結が
起点となったように、一九五六年の「比日賠償条約」の締
結をその起点としている。そして、一九六〇年に、日帝は
フィリピン政府と「比日友好通商条約」を締結し、本格的
なフィリピン侵出の窓口を開いたのであるが、日帝の新植
民地主義侵略に反対するフィリピンの学生、労働者の闘い
によって、フィリピンでは批准することができず、日帝の
本格的侵出は六〇年代にはまだ行なわれなかった。その後、
フィリピン人民は闘いを継続し、とりわけ新人民軍(NP
A)、モロ民族解放戦線(MNLF)は武装闘争を開始し
て闘いを拡大させていったが、これに対してマルコスは、
七二年九月二三日、戒厳令を公布して徹底した弾圧を行な
った。そして、この徹底的なフィリビン人民に対する弾圧

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=戒厳令の下に、一九七三年一二月ニー日、「比日友好通
商条約」を批准した。これを機に日帝資本は、川崎製鉄の
焼結工場建設、住友商事のバナナプランテーション経営な
ど、プィリピンへの怒濤のような侵略を開始するのである。
まさに日帝資本は、マルコスの反革命軍事力を背景として、
フィリピン人民の支配に加担し、フィリピン人民を搾取し
ているのである。そして、この日帝資本のプィリピン侵出
を許していることによって、また、日帝本国に運び込まれ
る植民地収奪の超過利潤に直接間接にありつくことによっ
て、日帝本国人総体が、フィリピン人民への支配と搾取に
加担しているのである。
 日帝の韓国への新植民地主義侵略は、一九六五年の「韓
日基本条約」締結を機に本格的に開始された。日帝は、朝
鮮解放戦争に対するUSA帝反革命軍の侵略に加担して、
USA帝反革命軍に必要物資を調達、提供するという「特
需」で日帝再建の土台を築いた。そして、一九六五年、日
帝は、韓国の朴政権が学生、労働者の「韓日条約」反対闘
争を強権的に押さえ込むことで「韓日基本条約」を締結し、
大企業のみならず中小企業までもが大量に韓国に侵出した。
ここにおいて日帝企業群は、朴政権のファツショ的支配に
積極的に加担し、韓国人民に低賃金労働を強い、また、韓
国を日帝の商品輸出市場とすることによって、韓国人民か
らの搾取を増大させたのである。朝鮮解放戦争に敵対して
血塗られた再建を行ない、朴政権を擁護して、韓国人民を
支配、搾取する日帝企業群の侵出を許したことによって、
また、日帝本国に運び込まれる植民地収奪の超過利潤に直
接間接にありつくことによって、日帝本国人総体が、韓国
人民への支配と搾取に加担しているのである。
 このように、われわれ日帝本国人総体が、ブルジョアジ
ー(上)に厚く、プロレタリアート(下)に薄いという違
いはあるが、被植民地人民の勘定で、彼らに寄生して、彼
らの犠牲の上に、物質的に豊かな生活を保障されているの
である。そうであるがゆえに、こうした世界的な経済的政
治的な関係と構造に規定されて、被植民地人民に対する抑
圧者であり搾取者である日帝本国人は、例え国内において
被支配者被搾取者としてのプロレタリアであろうとも、日
帝本国人としてのオノレの抑圧者性、搾取者性、反革命性
を自覚し、それを実践的に自己否定していくことなしには
革命主体とはなり得ない。
 例えばこうだ。われわれに対する反革命報復「裁判」
(第一審)で、検察側の証人として出廷した間組の社員は、
自分は労働者だが、彼らの爆弾で負傷した。彼らは労働
者を負傷させたのだから許せない。重い刑に処して欲しい″
という趣旨のことを語った。この社員は、話しぶりからし

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て日共系のようであったが、要するにオノレは労働者であ
って、何の罪咎もない、と言うのである。だがしかし、果し
てそうか? 自分は労働者だ″という者たちが、日帝の
新植民地主義侵略の尖兵となっているのではないか。マラ
ヤでは、日本人労働者=間組社員が現地反革命軍に守られ
て、マラヤ共産党武装勢力の根拠地を具体的に直接的に破
壊したのである。また、エル・サルパドルでは、ロメロ前
反革命軍事政権の発注になる、軍事施設として使用される
ことが明白な空港と高速道路建設を政府軍に守られて行な
ったのも、日本人労働者=間組社員である。自分は労働
者だ≠ニいう着たちが、被植民地人民に対しては直接的な
侵略者となり、支配者、搾取者であることをはっきりと確認
しなくてはならない。
 なお、以上の確認から、短絡的に日本人労働者も攻撃
の対象だ≠ニ規定してしまってはならない。そのような規
定は、三菱重工爆破作戦の失敗(三菱重工の中枢機能、重
役どもに対する攻撃ではなく、攻撃すべきではなかった通
行人=労働者、市民多数を殺傷した戦術的失敗)を繰り返
してしまうであろう。ここで確認しなければならないのは、
日帝本国人プロレタリアが、被支配者、被搾取者であり、かつ
被植民地人民に対する支配者、搾取者の立場にあるという矛
盾を、われわれは反日革命の遂行過程で、必ず克服してい
くということである。
 日帝本国人は、全世界の被植民地人民の反日−反世界帝
国主義闘争と呼応して、反日武装闘争を軸とした反日闘争
=反日人民戦争に主体的に志願し、日帝の新穂民地主義侵
略、支配を破産させていく闘いをおし進めていくことによ
って、革命主体へと転化、成長していくのである。すなわ
ち日帝本国人は、日帝本国人としての政治的、経済的、社
会的特権をそのままにしておくことなく、日帝政府・資本
の侵略、土地・資源の略奪、公害輸出、低賃金労働の強制
などに対する被植民地人民の闘いと呼応し、日帝本国中枢
への戦いを組織し、国境の内外から日帝を挟撃し、出血消
耗を強いていくことによって、オノレを日帝撃威−世界革
命の革命主体へと転化、成長していけるのである。そして、
われわれはこうした戦闘実践を軸とする主体形成を追求す
る中で、流動的下層労働者を中軸とした日帝本国人労働者、
農民、日帝反革命軍=自衛隊の下級兵士の多くを反日人民
戦争に動員し抜くことによって、はじめて勝利の展望を獲
得できるのである。
 以上のようなわれわれの主張に反対して、日帝本国人労
働者、農民を、彼らが日帝本国人としてのオノレの抑圧者
性、搾取者性、反革命性を自覚し、それを実践的に自己否
定することなく、  革命主体である と規定するマル

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クス・レーニン主義者たちがいる。こうした諸君は、排外
主義的な一国主義的傾向に陥っていると言わざるを得ない。
 また一方、日帝本国人は革命主体にはなり得ない、と規
定する反日派の友人諸君がいる。彼らは、日帝本国人の歴
史的な反革命性を固定化してしまい、日帝本国人の革命主
体への転化、成長の可能性を極めて限定されたものとしか
考えない。彼らのこの考えは、日帝を撃滅していく革命戦
略の欠如から生じたものであり、観念性を脱しきれていな
い。反日革命は、被植民地人民の解放を最優先的に追求し
つつ、反革命的存在の日帝本国人を、反日革命の遂行過程
の中で、革命主体へと転化、成長させていく解放闘争であ
ることを確認しなくてはならない。
 反日革命の革命主体は、日帝本国内外の被植民地人民で
あり、反日革命に主体的に志願する流動的下層労働者を中
軸とした圧倒的多くの日帝本国人労働者、農民、下級兵士
であることを再度確認しよう。

(3)反日武装闘争を軸とする反日闘争=反日人民戦争
 の遂行で、反日革命を戦取しよう!
 われわれの周囲には、左翼を自称し、革命を口にしつつ、
武装闘争に反対する諸君がいる。彼らの主張は概ね、「現在
の日帝の状況は、武装闘争が発展する必然性も条件もない」
とか、「武装闘争の路線は、日本人民に支持されていないか
ら、多くの人民に支持される大衆運動を闘うべきで、武装
闘争はそれが人民に受け容れられる状況がくるまで待つべ
きだ」というものである。このように、現状に見合って戦
略、戦術を策定すべきだという主張は、単に主体性のない
大衆への迎合主義ということだけではなく、全く度し難い
日和見主義、一国主義であって、日共と五十歩百歩であり、
いづれは日共のように帝国主義の前に完全に拝跪してしま
うであろう。こうした武装闘争の拒否派、反対派が数多く存
在しているのであるが、しかし一方で下層大衆の中で、日
帝本国人としての政治的、経済的、社会的な既得権益にし
がみつくことなく、武装闘争によって現状を打破せんとす
る欲求とエネルギーが充満Lていることを断乎として確認
しなくてはならない。日帝国家権力・ブルジョアジーの反
革命攻勢に抗して、武装自衛の質を内包した実力闘争が、
ウチナー、奄美で、山谷・釜ヶ崎などの寄せ場で、三里塚
や反原発反公害闘争の現場で、そして監獄において闘い抜
かれていることが、その何よりの証左である。われわれは、
これらの闘いを断乎として支持し、共に反日人民戦争に合
流し、その一翼を担っていくことを強く孕んでいる。
 では、現在、相対的に多数派である武装闘争の拒否派、
反対派を存在させているのは、いかなる物質的な根拠に基

13

づいているのであろうか。それは、既に記したように、日
帝本国人が総体として被植民地人民に寄生し、彼らに対す
る抑圧と搾取の上に物質的に豊かな生活を成り立たせ、
「繁栄」と域内「平和」を形成しているが故に、革命を拒
否し、とりわけ日帝本国人としての特権を投げ棄てるよう
に迫る反日武装闘争には敵対するからである。つまり、被植
民地人民の犠牲の上に築かれた安定″を破壊されたくな
いが故に、反革命となり、武器を手にして戦う必然性を自
ら締め出しているのである。
 しかし、日本帝国と日帝本国人が被植民地人民を犠牲に
した上に立つ、腐臭に満ちた、血塗られた安定″を築い
ているが故に、われわれは、新植民地主義侵略、支配を止め
させるべく、日帝の政治、経済、軍事中枢への武装攻撃を
行ない、日本帝国を撃滅し、世界革命を戦取しなくてはな
らないのである。大衆に受け客られないから、とか、武装
勢力がいまだ少数であるから、という理由で武装闘争を拒
否し、また反対する諸君は、革命闘争の弁証法的ダイナミズム
に関する全くの無理解を示している。このような理由で武
装闘争を拒否し、反対するのは、ただただ日和見主義・一
国主義に陥っていることを自己暴露するものである。小さ
な野火も広野を焼き尽すのだ、ということを忘れてはなら
ない。
 武装闘争の目的は、明らかに敵を打倒することだ」「私
たちが闘った戦争は、人民戦争でした。人民戦争というと
き、単に人民が参加して行なわれる戦争ということを意味
するだけではなく、その戦争の目的として、人民が真の権
力をその手に握るということがあるのです」(『立ち上がる
南部アフリカ2』)と、明快に武装闘争と人民戦争の目的
を語ったサモラ・マシェルは、同時に、モザンビークにお
いても武装闘争がはじめから圧倒的多数の人民の結集によ
って展開されたのではないことを明らかにしている。「武
装闘争がいつでも人民の参加を含むというようには、自動
的になるわけではないし、また人民が参加している場合で
あっても、人民が自動的に頂点に立つことになるとは限ら
ないのです」(前掲書)と。ベトナム、キューバ、ギニア
=ビサウの革命も、また、わずか数人、あるいは数十人の
ゲリラの目的意識的な武装闘争から出発し、人民戦争へと
発展し、持久戦を闘い抜いて勝利したのである。ベトナム
人民軍の出発は、一九四四年一二月、トラン・フン・ダオ
小隊三四人のカオバン砦攻撃であった。キューバでは、一
九五六年一二月、わずか一二名のゲリラで、シュラーマエ
ストラ山中でのゲリラ戦を開始しなければならなかった。
ギニア=ビサウにおいてもまた、一九五九年、PAIGC
(ギニア=カボベルデ・アフリカ人独立党)が武装闘争を

14

決定した時の実勢力は、わずか一二名の男女であった。
 このように、被植民地あるいは軍事独裁支配下にあって、
革命の客観的条件が熱していた諸国においても、少人数の
ゲリラの目的意識的な武装闘争から出発し、武装闘争実
践によって、小さな戦闘の勝利の積み重ねを軸としてゲリ
ラ、支援勢力を増強し、人民戦争へと拡大していったので
ある。
 問題なのは、武装闘争を主体的に担うことを決意したゲ
リラが、現在多数存在するのか否かではない。そうではな
いのだ。問題なのは、具体的な戦闘を通して主体的な戦闘
力を質量ともに強化拡大し、彼我の力関係を変えて、少数
派であることを実践的に克服していくことである。その過
程においては、部分的、一時的敗北という曲折も経ていく
であろうが、敗北は必ず後続する部隊への教訓として生か
し(敗北は肥やしに!)、次の飛躍へのステップとして武
装闘争を遂行し続けることが重要なのである。誰かが先ず
出発しなければ、誰かが前に進まなければ、闘いを発展さ
せることなどできないのである。すぐに目に見えて効果が
現われないと駄目だ、という小ブル的な悲観主義は克服さ
れなくてはならない。
 一九六〇年代後半、共産同赤軍派は、武装闘争を準備し
た。だがしかし、彼らは都市ゲリラ戦を軸とする持久的な
反日人民戦争路線に従わず、レーニン型の蜂起路線に従っ
たこと、理論的に一国主義的な袋小路にはまり込んでしま
ったこと、非公然体制を厳密に構築し得ず、公然大衆運動
の自然的延長線上に武装闘争を実践しようとしたことなど
が原因で敗北した。しかし、彼らは敗北はしたが、彼らの
武装闘争を主体的に担おうとした志は、今も確固として生
きている。共産同赤軍派の武装闘争への決然たる出発は、
彼らの思想的、戦略的、実践的限界性を克服し、彼らの実
践的誤りを反面教師としつつ、決定的に前進させた東アジ
ア反日武装戦線三部隊の反日武装闘争へと発展していった。
そして、反日武装闘争は、三部隊八名の被逮捕後も後続部
隊に引き継がれ、断固として敢然と戦われているのである。
 こうした事実は、この日帝本国内において武装闘争が継
続し、そして発展していく可能性があることをはっきり示
している。そして、その発展していく可能性は、唯一武装
闘争の展開如何にかかっているのである。すなわち、われ
われは客観状勢に拝跪することなく、確固とした反日革命
の戦略、戦術によって、日帝の政治、経済、軍事中枢に位
置する的確なターゲットを、的確な方法によって武装攻撃
し、反日武装闘争に対する支持と共感を勝ちとり、後続す
る反日都市ゲリラ部隊と非公然支援部隊の新たな誕生を促
していくのである。(三菱重工爆破作戦の戦術的失敗を反面

15

教師とせよ! 二・二八キソダニ=テメソゴール作戦の質
を継続せよ!)。
 資本は国境を越え、世界帝国主義の反革命(軍事)同盟
を背景に、新植民地主義侵略、支配を行ない、被植民地人
民の従属と貧困を固定化せんとしている。現実がこうであ
る以上、世界革命を戦取せんとするわれわれもまた、国境
を越え、世界帝国主義の反革命(軍事)同盟を打ち破る反
日人民戦争−世界革命戦争を準備していかねばならない。
そして、国境は、国家権力の人民支配の意志の軍事的表現
として、支配階級にとっての政治的、経済的利害を守るた
めの、そして革命の流入・拡大を防ぐための反革命軍事的制
圧下にあるが故に、われわれの国境を越える戦いは、その
反革命軍事的制圧を凌駕する武装闘争以外にはないのである。
革命とか、国際主義を主張しっつ、武装闘争を拒否し、反
対することは、絶対的矛盾であることを確認しなくてはな
らない。革命は、確かに多様な方法、多様な地上−地下の
細いの連動によって進展し、勝利を保障していくのである
が、闘いの主要な軸(支配的な方法)は、あくまでも武装
闘争であることを忘れてはならない。われわれは、反日武
装闘争(都市ゲリラ戦)を軸とした反日闘争=反日人民戦
争に主休的に志願し、日帝中枢を攻撃する闘いを通して、
オノレを革命主体へと転化、成長させ、日帝中枢を攻撃す
る事実行為で、被植民地人民と呼応し、合流していくので
ある。そして、日帝政府、侵略企業群の中枢機能と、出先
機関、事務所などを同時連携的に攻撃していくことで、国
境をぶち破る革命状勢を主体的に創り出していくのである。
 反日人民戦争の勝利は、こうした日帝を挟撃する国境内
外の戦いの連動によって、そして、被植民地人民と流動的
下層労働者を中軸とする反日人民が革命戟争の主体となり
(総戦士化)、日帝の政治、経済、軍事、文化の全ての領
域にわたる闘いをおし進め(総領域化)、日帝撃滅の一点
に全ての力を結集していく(総力戦化)ことによって、必
ず戦取できるであろう。そして、反日人民戦争を規定し、
形成する総戦士化、総領域化、総力戦化の過程の中で、わ
れわれは平等、友愛、相互扶助などの新たな人間関係を構
築していくのである。つまり、われわれは、反日人民戦争
の過程の中で、戦いながら共産主義社会=未来社会の原基
を形成し、育んでいくのである。持久的な反日人民戦争の
遂行こそが、日本帝国を根底から撃滅し、世界帝国主義の
打倒につき進み、一方で未来の共産主義社会の原基を形成
し、育んでいくのだ。

16

(4)反日人民戦争は如何に組織されていくのか?

 ポー・グエン・ザッブは、一九六九年に著した『人民戦
争の論理』の中で、人民戦争の進攻方式として、以下の六
項目を挙げている。@全人民的、全面的な戦争を進め、武
装勢力と政治勢力とを結合し、武装闘争と政治闘争、武装
蜂起と革命戦争とを結合する、A農村での足場をしっかり
固め、ジャングルの農村、平野部の農村、さらに都市にわ
たって人民戦争を行ない、適応した諸形態により、三つの
戦略地域で敵に対する攻撃と密接に結合する、B武装蜂起
と革命戦争に進攻的な戦略思想をつらぬく、C長期的戦略
を運用するとともに、好機を生み出すために時日とたたか
い、日を追って大きな勝利を打ちたてる、D敵の殲滅と人
民の指導権の獲得、掌握などの要素を結合し、敵の力を積
極的に消耗させて殲滅をはかり、われわれの力を貯え育成
する、Eおもに自力に依拠するとともに、国際的な支援を
勝ちとるため奮闘する、と。
 現在の日帝と六〇年代のベトナムとでは、歴史的、政治
的、経済的、軍事的に状況は全く異っており、ザッブの以
上の六項目の提起を、無条件に、機械的に反日人民戦争の
中に採用することはできない。しかし、日帝、仏帝、US
A帝の三つの帝国の侵略を打倒してきたベトナムの人民戦
争の勝利の根源と普遍性を、反日人民戦争の中に適用して
いくことはわれわれの義務である。従って、われわれはザ
ッブの境起した六項目の前提を踏まえた上で、日帝本国に
固有の都市ゲリラ戦を軸とする持久的な反日人民戦争を組
織していかなければならない、と考えている。
 では、そのためにわれわれに要求されている任務は何な
のか? われわわに要求されている第一の任務は、反日都
市ゲリラ兵士としての志願であり、反日都市ゲリラ組織の
形成である。われわ九は、日帝中枢に物質的ダメージを与
える反日都市ゲリラ戦の事実行為を担うことによって、反
日都市ゲリラ兵士に志願し、その事実行為によって、直接
的には連絡をとり合わない数部隊から数十部隊、更に多く
の部隊で、ゲリラ戦線を形成していくのである。任務の第
二は、反日都市ゲリラ組織の物資(資金、家屋、各種書類
など)、人員の補給、兵端のための非公然支援戦線の形成
である。この支援部隊−戦線は反日都市ゲリラ部隊−戦線
同様に非公然であり、敵には閉ぎされ、ゲリラには開かれ
た回路を持つものであり、一部隊から複数の部隊に、単線
から複線にと網の目のように張りめぐらし、ゲリラの<根
拠地1解放区>(注)の役割を果していくのである。任務の
第三は、ゲリラ戦線、支援網とも直接的な回路は持たない
が、ゲリラを公然と支持し、公然と情宣活動を行ない、大

17

衆運動を盛り上げ、また負傷したり、逮捕されたゲリラ兵
士を救援する大衆戦線の形成である。大衆戦線は公然化し
ており、敵にも丸見えなため、常にマークされ、最も弾圧
が集中するが、それを引き受けて大衆の政治的動員に尽す
のである。現在、われわれ(KF部隊)の救援活動を行な
っている友人諸君に対して、警視庁をはじめ、大坂府警、
北海道警などの私服は、日常的な尾行、張り込みなどを行
なっており、地下の反日都市ゲリラ部隊が戦闘を遂行する
と、あるいは奴らが攻撃される危機感を抱くと(例えば、
東京サミットの前、またはわれわれに対する「求刑」の前
など)、一段と監視体制を強め、あることないことデッチ
上げてガサ入れし、手紙、出版物などを強奪していく。奴
らは、地下の反日都市ゲリラ兵士諸君の動向を探ろう、何
とか情報をキャッチしようとして、公然部分を叩いている
訳である。この一年に限定しても、四度にわたるガサ入れ、
三度にわたるデッチ上げ逮捕弾圧が行なわれている。われ
われは素早く反撃し、デッチ上げを許さぬ闘いを行なって
いるが、今後反日都市ゲリラ戦の激化によって、デッチ上
げ弾圧は更に強められていくことが予想される。それ故わ
れわれは、地上−地下の回路を設定せず(厳密に断ち)、
公然部分にいかなる弾圧が加えられても、地下のゲリラに
は波及しない関係を構築し、また、デッチ上げ弾圧に対し
ては大衆的に反撃していく陣型を更に強力に構築していか
なければならない。われわれの国境を越えた地上−地下の
闘いで、日帝を危機に追い込むことによって、奴らが戒厳
令状態を常態化したり、内戦状態に突入する時には、大衆
戦線も地下に潜り、地下での情宣活動を開始し、地下から
大衆の政治的動員に向けて闘うことになるであろう。
 では、何故われわれは、反日人民戟争を反日都市ゲリラ
戦を軸としておし進めていくのか?
 第一に、都市にこそ戦略的、戦術的に攻撃し、打倒すべ
き敵が集中しており、都市こそが主要な戦場であるからで
ある。第二に、潜在的な同志、友人たちの多くが、つまり
結合すべき人民が、そしてゲリラの隠れ蓑となる人民が、
下層労働者群をはじめとして都市に集中しているからであ
る。第三に、ゲリラの<根拠地−解放区>は、物理的空間
としての山岳や農村ではなく、人民の政治的支援、物質的
支援の中に形成されるからであり、高い政治意識をもった
住民の集中する都市においてこそ形成される可能性を強く
有しているからである。つまり、総じて都市は、軍事的に
は敵が強力であるが、政治的には弱い環であるからである。
以上のことからわれわれは、都市での的確なゲリラ戦を展
開し、積み重ね、敵の強力な軍隊、警察の反革命軍事力、
しかも日米安保などの世界帝国主義の反革命軍事力に支え

18

られた敵の支配体制を徐々に打ち破っていくのである。こ
うした闘いの過程で、圧倒的に広範な人民を動員し、広範
な人民の力を基礎とする地上−地下の総力戦をもって、反
日人民戦争を持久的に戦い抜くのである。また、都市と地
理的のみならず、経済的、政治的、軍事的に密着している
が故に、都市に従属することを強いられ、都市の矛盾を押
しっけられている農民、漁民をはじめとする非都市部の住
民は、そのような都市の矛盾を押しっけられることを断乎
として拒否し、三里塚や全国各地での反原発、反公害、反
基地の闘いを闘い抜いている、今後増々拡大するであろう
こうした非都市部での闘いは、都市中枢のゲリラ戦を軸と
する闘いと呼応して、重層的に結合し、連携して、闘いの
前進の中でお互いに鍛えあい、ゲリラの<根拠地−解放区>
を非都市部にまでも拡大していくのである。
 日帝本国内にキューバ型の山岳ゲリラ戦をあてはめたり、
中国、ベトナム型の農村ゲリラ戦を機械的にあてはめるの
は、根本的な誤りである。われわれは、日帝が世界帝国主
義の中枢に位置しており、政治的、経済的に強大であるこ
と、軍隊、警察の軍事力もまた強大であること、四方を海
に囲まれた狭い面積に、人口の圧倒的多数が都市に集中し
ていること、などの条件を十分に考えていかなければなら
ない。こうした条件を一切無視し、旧来の理論、かつての
革命の成功例をあてはめることは、致命的な敗北につなが
っていくであろう。
 都市ゲリラの<根拠地−解放区>(後方)は、先ず人民
の心の中に形成される。それは、決して味方にも敵にも目
に見える空間的領域ではない。それは、都市ゲリラに対す
る支持と共感を背景とした精神的紐帯=政治基盤であり、
人員、資金、家屋などを提供する非公然の支援網である。
 ポー・グエン・ザップは、『軍事路線の基本的論点』
(一九六四年)の中で、「武装闘争の間題を考える時、人
民武装勢力を隠蔽し、訓練、補給、給与の問題、足場の問
題も考えなければならない。われわれは革命闘争の発展と
併行して、後方を無から有にし、小から大にし、大衆の政
治基盤から現在の相対的に完備された国防にまで発展させ
た。わが党が武装闘争準備政策を打ち出した当初、われわ
れには自由な土地がまったくなかった。その時われわれの
唯一の後方は、秘密の政治基礎である、革命事業に対して
目覚めた人民の無限の忠誠精神であった」と著している。
われわれは、こうした政治基礎を出発点とするが故に、
「解放区とは、単に物理的に解放された領土というだけで
はなく、ものの見方の解放であり、一つの制度の解放でも
あったのです。……解放区こそ敵の古い習慣と対決する最
高点、それとの決定的決別に到達する地点だ」(『立ち上

19

がる南部アフリカ2』)と、サモラ・マシェルが語る解放
区へと発展させていくことができるのである。
 われわれは、この非公然の<根拠地−解放区>(後方)
である支援網を、それこそ全ゆる地域に網の目のように張
りめぐらして、ゲリラ戦に出撃し、そして、この<根拠地
−解放区>(後方)を隠れ蓑として、敵の追跡、掃討攻撃
をかわして、更に戦線を拡大し、強化していくのである。
この非公然支援網、つまり<根拠地−解放区>(後方)の
形成を重視しなくてはならない。都市ゲリラ部隊の戦闘能
力、そして新たな戦闘部隊の創出は、一にこの非公然支援
網の存在と、その活動如何にかかっているのである。反日
人民戦争の初期の段階において、非公然支援網に支えられ
た都市ゲリラ部隊の定着と、日帝の政治、経済、軍事の中
枢機関、第一級の帝国主義者どもへの的確な攻撃の展開が、
公然大衆運動を活性化し、そして公然大衆運動の活性化は、
ゲリラ部隊、非公然支援網の政治基盤を拡大深化させ、次
に総体として地上−地下の連動した戦闘をおし上げ、反日
人民戦争の巨大なうねりを創り出していくであろう。
 レジス・ドプレは、『ゲバラ最後の闘い』の中で、一九
六七年一〇月、USA帝反革命軍に支援されたボリビア軍
によって、アメリカ大陸統一革命軍の創出を実践的にめざ
していたチェの指揮する民族解放軍の敗北を以下のように
総括している。「原因は、戦闘部隊にはなく、<後方支援>
に求めるべきなのだ。ゲリラ前衛にではなく、その<後衛>
(その連絡網)に、あるいはゲリラのほぼ無敵にも等しい
戦闘能力にではなく、移動および衣食住を確保する能力に
求めるべきなのである。戦闘部隊は、その戦闘能力を確保
し、活力を維持するためには、最低限の民間支援勢力を必
要とする。たとえただひとつでも支点さえあれば、ゲリラ
は革命のテコの役割を果し、それ自体の蜂起力を倍加させ
ることができただろう。この支点を欠いたがために、ゲリ
ラはまずその戦力を二つに割らざるを得ず、ついで両者を
おのおの避け難い自壊作用にさらさねばならなかった」
「従って、ゲリラ中核は、生存の物質的条件を維持するに
も、戦闘の技術的条件を再度整えるのにも、みずからの力
を頼むよりほかはなかった。このことはゲリラの戦闘員が
そのまま兵站要員をも兼ねたことを意味し、つまりは戦時
において(通常の戦争であれ、人民戦争であれ)ふつうは
後衛(通常の戦争では後方の一般市民、あるいは人民戦争
では支援基地の人民勢力)の肩にかかる任務が、軍事的前
衛自休に負わされているのである」そして、「ゲリラにと
っては、政治基盤と作戦地域とが合致していなかった。ゲ
リラのいた所には見るべき政治的支援がなく、政治的支援
が現に潜在的にあった鉱山や都市には、ゲリラがいなかっ

20

たのである」と。
 つまりドプレは、一九六七年一〇月の民族解放軍の敗北
の原因を、@非公然支援鏑の未形成、Aゲリラ部隊と結合
すべき人民との隔離、分断を主要なものとして挙げ、そし
てゲリラ部隊を支持する都市部での政治戦線の沈滞化、弱
さが原因したと総括している。われわれは、チェをはじめ、
ホアキン、ターニアらの敗北の教訓を踏まえ、戦いをおし
進めていかなくてはならない。
 われわれは、一部の肉体的に頑健な若者を中心とした人
民戦争をめざすのではなく、老幼男女がゲリラ兵士となり、
非公然支援部隊に主体的に参加し、政治、経済、軍事、文
化の全ゆる領域での全面的な人民戦争をめざしていくので
ある。ベトナム革命戦争時、五〇才以上の白髪民兵隊が結
成されて、USA帝反革命軍の爆撃機を撃ち落したり、前
線と後方を結ぶ情報連絡係として戦い抜いたように、広範
な層の人民の結集、動員による総力戦を形成し、戦い抜か
ねばならない。そのため−にわれわれは今、敵の裏をかき、
虚をついて的確に日帝中枢を攻撃し、勝ち進む反日都市ゲ
リラ部隊を公然、非公然にそれぞれの部署において支え、
更なる的確な中枢攻撃によって、より多くの新たな反日都
市ゲリラ部隊と、非公然支援部隊の誕生を促していかねば
ならない。こうしてわれわれは、地下の部隊と地上の大衆
運動を闘う事実行為で連動させ、地上−地下の勢力を共に
強力に発展させ、反日人民を巾広く、深く、反日人民戦争に
動員していくのである。


■注■
 @<根拠地>とは、革命戦争における作戦展開を政治=
 軍事的に支える戦術的拠点(基地)=戦術的後方。
 B<解放区>とは、二重権力的対時状況における革命権
 力の政治=軍事的基礎が空間的に固定化されたものであ
 り、そのようなものとして、革命戦争における作戦展開
 を政治=軍事的に支える戦略的拠点(基地)=戦略的後
 方の役割を担うもの。
 D<前線>の範疇に対して、<根拠地><解放区>とも、
 <後方>の範疇に属し、<根拠地>を政治=軍事的拠点
 (基地)の戦術的表現とするならば、<解放区>はその
 戦略的表現であり、<根拠地>は、ある一番の条件(政
 治=軍事的力関係の変化)下で、<解放区>に成長、転
 化する。この意味において、<根拠地>は<解放区>の
 原基形態であり、<解放区>は<根拠地>の発展形態で
 ある。

21

(5)攻撃型革命戦略

 われわれのとるべき革命戦略は、徹頭徹尾攻勢戦略であ
る。われわれは、一九六二年二月、キューバ全国人民大会
で採択された『第二ハバナ宣言』の原則、@すべての革命
家の義務は革命をすることである、A革命的行動を実践す
るために、何ものに対しても許しを乞う必要はない、Bわ
れわれは革命にのみ妥協するものである、を支持し、継承
すべきであると考える。この原則の中には、革命は座して
待つものではなく、自らの主導的な闘いによって意識的に
創り出していくのだという思想が貫徹されている。「常に
諸条件が整うまで待つ必要はない」(チェ)のである。チ
ェは、この革命思想を、世界革命に突き進む統一アメリカ
大陸革命として解き放つべく、一九六六〜一九六七年、ボ
リビアでのゲリラ戦を戦った。そして、一九六八年、ベト
ナム革命勢力は、都市部、農村部、山岳部での一貫した攻
勢戦略、つまりテト攻勢をかけることによって、世界的規
模での彼我の力関係をかえ、ベトナム革命戦争勝利の水路
を大きく切り開いた。チェの決然としたゲリラ戦争の開始、
そしてチト攻勢に表現される攻勢戦略こそ、諸帝国間の全
面戦争という力関係の自然発生的な変動を期待し得ない、
現在の革命戦略である。
 ロシア革命に向けてのレーニンの「帝国主義戦争を内乱
へ!」というスローガンは、現在では時代遅れの、受動的
な、消極的な革命戦略に基づくスローガンである。ロシア
革命の時代、西欧諸帝国は、「富国強兵」策を掲げ、軍備
を増強し、戦争に勝つことが生活を豊かにすることにつな
がる、と人民を帝国主義戦争へと煽り立てていた。そして
支配階級は、露日戦争後の日帝、いわゆる第二次大戦後の
仏帝などのように、支配力を強化し、自国人民に戦利品を
一定程度分け与乞ることによって、更なる戦争熱を煽って
いた。一方、敗戦国では、露日戦争後の一九〇五年のロシ
ア、いわゆる第一次大戦後のドイツのように、人民の生活
苦が増大し、人民は革命闘争に決起していった。こうした
状況下では、レーニンの「帝国主義戦争を内乱へ!」とい
うスローガンは、戦略的に本質的な受動性、消極性を持ち
つつも、労働者、農民を革命闘争に動員する契機を内包す
るものではあった。
 しかし、現在はロシア革命当時とは全く状況が異なって
いる。現在、世界帝国主義は、その内部に経済的利害対立
の矛盾を孕みながらも、日米安保、NATOなどの反革命
軍事同盟や、主要帝国首脳会議及び実務レベル会議の定期
開催などによって、反世界革命の包囲網を築いている。そ
して、軍事兵器の高度化から、いわゆる第三次大戦=諸帝

22

国間を軸とした諸国間の核行使を含む全面戦争は、オノレ
を含む人類の破滅という事態を招来するであろうことは、
世界的なコンセンサスになっているのである。従って、諸
帝国問の「経済戦争」「経済摩擦」として表現される新植
民地の再分割、国内市場の狭隘化による新市場への侵出、
土地、資源の略奪などをめぐる衝突、また、USA帝、中
国とソ連との勢力圏獲得をめぐる衝突は、武力の行使が生
じた場合でも、核行使は含まない限定的な戦争にとどまり、
全面戦争への拡大は回避され続けているのである。
 帝国主義戦争=第三次大戦の勃発を待っていても、それ
は待機のための待機を意味し、武装闘争の開始を永遠の彼
岸に押しやるものである。そして、「帝国主義戦争」−第
三次大戦が勃発するから、それに反対して闘うというのは、
政策阻止闘争と同じで、敵のタイム・テーブルに規定され
た、敵の手のひらの上の闘いであって、決定的な受動性を
持っているといわざるを得ない。われわれに問われている
ことは何か? それは、第三次大戦の勃発を待機すること
ではなく、日帝撃滅の反日人民戦争を国際革命戦争として
戦取し、そして、更に全世界的な革命戦争へと爆発、発展
させていくことによって、全ての戦争を止揚するものとし
ての世界最終戦を主体的に創り出していくということであ
る。
 また、われわれは、蜂起主義者を批判しなくてはならな
い。蜂起主義者の主張は、現在の日帝は相対的に安定して
おり、武装闘争が拡大し、発展する状況にはないから、政
治宣伝を中心に大衆運動をやって大衆を組織し、武装闘争
が発展する状況になったら蜂起する、というものである。
しかし、このような主張は、自らの日和見主義と待機主義
を正当化するための口実以外の何物でもない。既に記した
ように、日帝本国人は総休として被植民地人民に寄生し、
彼らに対する抑圧と搾取の上に物質的「繁栄」と域内「平
和」を築いており、総体として余りにも失うべき多くの財
産を持ち、保守化しているが故に反革命になっており、蜂
起主義者が待望する蜂起の状況は、座して待っていても何
時までも来ないであろう.日帝本国人総体の生活の安定、
保守化が、資本が国境を越え、世界的規模での抑圧と搾取
の網の目を形成している結果であることを確認し、そして、
韓国、マラヤ、タイ、プィリピン、アザエア(南アフリカ)、
エル・サルパドルなどで、日帝侵略企業群、政府出先機関
に対する闘いが行なわれている現実を直視するならば、日
帝本国は安定しているから武装闘争が発展する状況にない、
などと恥ずかしくて言えないはずである。大小の武装蜂起
を包摂する反日人民戦争は、われわれの攻勢的、主導的な
都市ゲリラ戦を軸とする反日闘争の進展の中ではじめて具

23

体化され、そして勝利に向けて更に歩を進めていくのであ
る。
 また、持久的な人民戦争を経ないで、蜂起による権力奪
取が成功したとしても、それは単に権力の担い手の変更
(例え、ブルジョアジーからプロレタリアートに担い手が
変っても)、移動であって、根源的な意味での革命ではな
い。FSLNを軸として長期的な人民戦争を戦い抜いて勝
利したニカラグアでは、人民戦争の過程で、衣、食、住に
わたって、そして特に革命軍の中では作戦任務についても、
平等な新たな人間関係=共産主義社会の原基形態を創り出
していった。そして、エリトリアで人民戦争を戦い抜いて
いるゲリラたちもまた、徹底的な平等主義を実践的に勝ち
取っている。このように、持久的な人民戦争の過程におい
てはじめて、未来の共産主義社会の原基形態を構築し得る
のであり、勝利″の内実を真に革命たらしめるのである。
一九七五年五月一九日にわれわれが逮捕された後も、困
難な状況下、反日都市ゲリラ部隊が戦闘を継続している。
われわれは更に力を込めて、被植民地人民の反日、反世界
帝国主義の戦いと固く呼応、結合して、日帝の政治、経済、
軍事中枢を撃って撃って、撃ちまくらねばならない。日帝
の暴力装置、反革命軍隊の軍事的解体、反革命軍兵士の革
命軍兵士への転化・獲得、そして政治的、経済的中枢部へ
物質的ダメージを与えるという客観的必要性から導かれ、
更に日帝本国人としての自己否定(→革命主体への転化、
成長)実践という主休的責務から導かれた、反日都市ゲリ
ラ戦を軸とする攻勢戦略は、被植民地人民と日帝本国の流
動的下層労働者をはじめとする反日革命に主体的に志願す
る労働者、農民、日帝反革命軍=自衛隊の下級兵士の結合
の回路を創出L、反日人民戦争の巨大なうねりと前進を保
障していくであろう。
 われわれが戦えば戦う程、日帝中枢に物質的ダメージを
与えれば与える程、それは被植民地人民の解放の具体的な
援助となり、日本帝国撃滅−世界帝国主義打倒の展望を現
実的なものとしていくのである。

(6)結 語

 東アジア反日武装戦線三部隊が爆破攻撃した三菱重工、
三井物産、帝人、大成建設、鹿島建設、間組などは、戦前
「皇軍」とともにあって東アジアを中心に侵略し、朝鮮人
民、台湾人民、中国人民を日帝本国に強制連行して酷使し、
そして日帝本国人下層労働者、年若い女工たちにタコ部屋
的奴隷労働を強制して肥え太った戦犯企業、吸血企業であ
る。そして戦後もまた、USA帝反革命軍と一体となって、

24

朝鮮解放戦争、ベトナム革命戦争に反革命的に敵対し、ベ
トナム特需−三菱重工などの軍需企業は、USA帝反革命
軍兵器の修理、オーバーホールなど、三井物産などの商社
は物資の調雇・供給など、大成建設、鹿島建設、間組など
は、USA帝反革命軍基地の新設・拡張など、帝人は東レな
どとともに、USA帝反革命軍に支援されて旧南ベトナム、
ラオスなどへの新植民地主義侵略など−によって再生した、
血塗られた吸血企業に他ならない。
 ベトナムでは、一九六一年から一九七三年のパリ和平協
定調印までの間に、三五〇万以上ものベトナム人民が、U
SA帝反革命軍の七トン爆弾、ナパーム爆弾、対人ポール
爆弾、そして枯葉剤などによって虐殺された。ナパーム爆
弾の原料の化学油脂剤も、対人ポール爆弾に詰め込まれた
小型鋼鉄球も、枯葉剤の原料も、日帝の企業が製造し、U
SA帝反革命軍に供給したものである。そして、爆弾を満
載したB52などは沖縄の嘉手納基地などを発進し、ベトナ
ム人民を爆撃した後、沖縄、横田、岩国などのUSA帝反
革命軍基地に補給、休養のために戻り、基地周辺はUSA
帝反革命軍兵士であふれた。まさに日帝は、USA帝反革
命軍の発進、補給、休着基地としてベトナム革命戦争に敵
対し続けたのである。そして、日帝侵略企業群がUSA帝
反革命軍に直接加担したのみならず、それを許容してしま
った日帝本国人総体が、朝鮮解放戦争に対してそうであっ
たように、USA帝反革命軍のベトナム人民虐殺に加担し
たのである。ベトナム人民が勝利した今も、日帝本国人の
この反革命性は克服されていない。
 ナパーム爆弾で顔をケロイド状に焼かれたベトナムの少
年少女の存在は、ポール爆弾で身体をズクズクにえぐられ
たベトナムの農民の存在は、枯葉剤で荒廃させられたベト
ナムの大地、森林、田畑の存在は、われわれに対して、U
SA帝反革命軍の侵略とともにあり、そして「ベトナム特
需」を跳躍台として、全世界に新植民地主義侵略を行なっ
ている日帝侵略企業群の活動を放置しておくのか否かを鋭
く問うている。このことこそが、一九六〇年代から一貫し
て今日まで、われわれ日帝本国人革命家、革命組織にとっ
て、否、日帝本国人総体にとって、先ず何よりも問われて
いたことであった。
 日帝侵略企業群を攻撃し、その活動を停止させること、
すなわち、かつての戦争犯罪、吸血犯罪に対して革命的オ
トシマエをつけ、そして現在の新植民地主義侵略、支配を
止めさせていく戦いを、被植民地人民の反日闘争と呼応し
て戦うことは、われわ九日帝本国人が反革命的存在として
のオノレのあり様を変革していくものとして、緊急且つ重
要な任務であり続けている。東アジア反日武装戦線三部隊

25

は、日帝本国人であるオノレにつきつけられた任務を自覚
し、戦犯、吸血の日帝侵略企業への攻撃を敢行した。そし
て三部隊は、その反日武装闘争の遂行によって、日帝本国
人として歴史的、現在的に反革命的存在であるオノレを実
践的に自己否定し、革命主体=真に人間らしい人間へと自
己変革しようとしてきたのである。
 これに対して日帝は、われわれが現在もなお反日思想を
堅持し、非転向で闘い続けていることをもって、死刑・重
刑攻撃をかけてきた。しかし、裁かれるべきは東アジア反
日武装戦線三部隊なのか? 断じて否だ。裁かれるべきは、
数千万アジア人民を虐殺した「皇軍」の最高指揮官天皇ヒ
ロヒトであり、三菱重工、三井物産、帝人、大成建設、鹿
島建設、間組などの日帝侵略企業群である。そして、過去
多数のアイヌ、ウチナンチュー、朝鮮人、中国人、台湾人、
部落民、下層労働者を死刑台に、刑務所に送り込んできた
裁判官、検察官、警察官、刑務官らである。日帝本国こそ
が裁かれねばならないのである。

        KQ通信社刊行物
反帝反日通信 創刊号(79・10・27刊)価六〇〇円
  =トゥパマロスは勝利する!=
 ■戦うトウパマロス/獄中同志奪還エストゥレー
 ヤ作戦/放送局占拠1コミュニケ放送作戦/トゥ
 パマロス宣言/都市ゲリラの戦術■トウバマロス
 ーその生成から発展へ/土地を!センディクとと
 もに!/トゥパマロスの一員への30の質問■革命
 戦士の規律と綱領/MLN組織内規/MLN革命
 政府綱領■大陸革命をめぎして/トゥパマロスの
 同志たちへ/ラテンアメリカ人民へのメッセージ他
反帝反日通信 第2号(80・3・30刊)価六〇〇円
  =フィリピンにおける持久的人民戦争=
 武装闘争九年目に入って/勝利は人民のものであ
 る−民族主義青年同盟へのシソンのスピーチ/民
 族民主戦線十項目綱領/日本帝国主義、フィリピ
 ンへの経済侵略を強化/新人民軍における革命的
 生活/地下運動/都市と農村1手をとり合って革
 命闘争を/都市貧民の闘い/新人民軍の一〇年の
 闘い/生き抜くために闘う少数民族/モロ人民の
 自決を求める闘い             他

26

更なる反日闘争の深化に向けた
         三菱総括の共有を!
   −白本赤軍の〈反日〉批判に寄せて−

 以下は、一九八〇年一月一五日付『人民新開』第三七八号に掲載された
日本赤軍の「東アジア反日武装戦線獄中同志たちへの極刑判決を粉砕し、
日帝打倒の全人民の闘いをつくりだそう!」という文章の中で展開されて
いるわれわれへの批判に対して、兵士Pが答えたものである。われわれは、
人民新聞編集部にこれを掲載するよう依頼したが、同紙三八三号において
掲載拒否の意向が述べられているので、これに抗議しつつ、急拠ここに収
めることにした。なお、日本赤軍の本文は、東拘の不当な妨害により、度
重なる差入れの度に全文がスミでぬりつぶされており、そのため、われわ
れはその全文を未だ熟読できないままでいること、従って、この反論も、
われわれへの批判の要点にしぼって書かれていることを記しておきたい。

 (1)三菱重工爆破攻撃は「敗北」か?

 あなたたちは、三菱攻撃の「敗北と誤りは厳然としてあ
った」と批判しています。三菱攻撃にをいて、狼″部隊
は、三菱重工の中枢機能、重役どもへの攻撃に的をしぼら
ず、攻撃すべきではなかった通行人=労働者、市民多数を
殺傷してしまうという戦術的失敗=誤りを犯しました。私
は、狼″部隊の一員として、この点について自己批判し

27

ています。狼″部隊は、このように三菱攻撃において戦
術的失敗=誤りを犯したのですが、それは「敗北」であっ
たでしょうか? あなたたちがどのような意味において
「敗北」と規定するのかわかりませんが、私は「敗北」と
いう規定は誤りだと思います。狼″大地の牙″さそ
り″の三部隊は、三菱攻撃への戦術的失敗を克服すべく
(当時は、戦術的失敗としては明確に総括し得ず、単に技
術的失敗としてのみ総括するという限界をもっていました
が)、連続的に日帝企業への攻撃をおし進めていきました。
そして、間組に対する攻撃では、マラヤ共産党武装勢力の
間組テメソゴールダム建設現場攻撃との連携≠ニして、
間組の機能中枢に大きな物質的ダメージを与えました。こ
うした事実は、狼″部隊が、三部隊が「敗北」していな
かったことの証しであったと思います。あなたたちの「敗
北」という規定は、こうした三部隊の戦いを全部否定し、
清算しようとするものであって、容認することはできませ
ん。
 従って、「敗北は、反日思想にその敗北の根拠がある」
というあなたたちの批判は誤りであって容認できません。
反日思想とは、日帝本国人総休を攻撃すべき敵と規定する
ものではありません。もしあなたたちが、反日思想をその
ようなものとして考えているのであれば、それは誤解、無
理解に基づくものだと思います。反日思想とは、抑圧民族
であり、帝国本国人であるわれわれが、何よりもまず自ら
の加害者性を自克し、そうした自らのあり様を自己否定し
ていくものとして日帝撃滅に向けた戦いを実践すること、
そして、そのことによって、われわれが誰をも抑圧、搾取
することなく、誰からも抑圧、搾取されない人間としての
解放を勝ちとる世界革命の主体へと転化、成長していくこ
とをめざす解放思想です。そうであるが故に、三菱攻撃の
戦術的失敗の根拠は、あなたたちの言うように反日思想に
基づくものではありません。そうではなく、当時の狼″
部隊が反日思想を主体化し得ず、反日思想から逸脱して、
あたかも日帝本国人総体が攻撃すべき敵であるかの如くに
誤った結果です。そして、如何にして日帝を撃滅していく
のかというプログラム、勝利を導く政治と軍事の弁証法的
把握のアイマイさなどが、その誤りを促進した結果なので
す。

 (2)反日思想は観念論か?

 あなたたちは、「反日思想は、その根拠(日本人総体が
帝国本国人であり、抑圧民族である、ということの)を問
わず、日帝本国人総体はだめだという現状支配関係を肯定

28

した上で、自らをその社会総体の一部と把えず、別個の観
念的基盤からそれを否定しょうとしているにすぎないので
す」と批判しています。「日帝本国人総体はためだ」とい
う傾向が、三菱攻撃以前の狼″部隊にあったことは否定
できません。このような傾向が、三菱攻撃の戦術的失敗を
結果してしまったのです。しかし、被逮捕以後、獄中獄外
を通した思想、理論闘争を経て、かつてのそうした誤った
傾向は自己批判的に総括し、克服しています。従って、あ
なたたちの批判が、三菱攻撃以前の狼&泊烽ノ対するも
のであるならば、私は謙虚に受け止めますが、しかし、あ
なたたちの批判は、現在のKF部隊(準)に対する批判で
もあるようですので反論します。
 われわれは、日帝の侵略反革命を許容、黙認(結果とし
て、ということを含めて)し、それに直接、間接に加担す
ることで、被植民地人民と彼らの解放闘争に敵対し、そし
て新植民地主義収奪によって、彼らの犠牲の上に物質的に
豊かな生活を送ってきた日帝本国人ブロレタリアです。わ
れわれは、まずこうした自分たちのあり様を直視し、その
上でそうした自分たち日帝本国人の絶対的で主体的な責務
として、日帝の新植民地主義侵略を粉砕する反日武装闘争
を実践的に提起し、その実践を通して日帝本国人プロレタ
リアの歴史的、現在的な反革命性を粉砕(自己否定)し、
革命主体への転化、成長を追求してきたのです。これに対
して「観念的だ」と批判することは、それがあなたたちの
本意でないとしても、日帝の新植民地主義侵略を粉砕する
戦いが、日帝本国人ブロレタリアの絶対的で主体的な責務
であることを否定し、日帝本国人プロレタリアが日帝の新
植民地主義侵略を許容、黙認し、加担し続けることを促す
ことになります。
 このように、あなたたちのわれわれに対する「自らをそ
の社会総体の一部と把えず」というのは、われわれの主張
を歪曲した批判です。われわれは、自分たちをその社会総
休の一部と把えているからこそ、日帝本国人プロレタリア
のあり様を実践的に自己否定しなくてはならないと主張し、
実践してきたのです。そして、われわれは、「日本人総体
が帝国主義本国人であり、抑圧民族である」のは何故なの
か、その根拠を問うています。日本を近代日本帝国たらし
めたのは、封建制日本の内部矛盾であり、形成された日本
帝国は、沖縄、アイヌモシリ、台湾、朝鮮を侵略、植民地
支配することで、すなわち植民地主義収奪をもって日帝本
国内に資本主義的階級関係・支配関係をつくり出し、そし
て日帝本国内の支配関係を維持するために、更に、中国か
ら東南アジア、南太平洋諸島へと植民地主義侵略を進めて
いったのです。一九四五年八月以降においても、日帝は国

29

内の支配関係を維持するために新植民地主義侵略を行ない
国内の支配関係は新植民地主義侵略、収奪によって物質的
に保障されているのです。こうした日帝の新植民地主義侵
略、支配の構造の中で、白帝本国人は総体として直接、間
接に被植民地人民に対する支配者、搾取者という関係、立
場にあります。われわれは、日帝本国人プロレタリアが被
植民地人民に対する支配者、搾取者というあり様を直視し、
その上で、そうした日帝本国人プロレタリアの反革命性を
何よりもまず否定していき(被植民地人民との間の支配、
被支配、搾取、破搾取の関係の廃絶)、同時に国内の支配
関係−ブルジョア支配階級対プロレタリアートの関係、を
廃絶しょうとしているのです。そして、こうした闘いに日
帝本国人プロレタリアを駆りたてていくのは、つまり、日
帝本国人プロレタリアの革命主体への転化、成長の根拠は、
日帝本国人プロレタリアがブルジョア支配階級に対しては
被支配者、被搾取者であり、被植民地人民に対しては支配
者、搾取者であるという物質的矛盾である、とわれわれは
考えているのです。従って、われわれに対する「現状支配
関係を肯定した上で」というあなたたちの批判は、根拠に
基づかない誤ったものだと思います。そして私は、観念的
であるのはあなたたちではないか、と考えます。あなたた
ちは、自分たちの日帝本国人プロレタリアとしてのあり様
を根底から問おうとせず、現実の諸関係を直視することを
避けているが故に、悪いのは「日帝本国内における支配関
係の存在の結果だ」と、一国的、一面的に把え、現実の総
体的諸関係を観念領域へ押しやり、そこから主張している
にすぎないのです。

 (3)「決意主義」という批判に対して

 あなたたちは、われわれが建設すべき社会を示さずに、
「自分の心情の憤激」でしかない戦いをしている、と批判
しています。しかし、われわれは(われわれの情宣の力不
足で、あなたたちのところへは届けられなかったのかもし
れないが)、七四年、七五年段階では、確かに建設すべき
社会を具体的に提起し得ませんでしたが、現在は、日本帝
国撃滅一世界帝国主義打倒、反日共同体→過渡期人類共同
体→全世界共産主義全人類共同体の建設をめざしていくこ
とを公言しています。そして、この提起の内実を更に具体
化するよう努力しています。次に、われわれの戦いが「心
情の憤激でしかない」という批判についてですが、これは
「決意主義」というレッテルを貼ってなされる批判と同一
のものだと思います。こうした批判は、大衆の武装闘争へ
の決起を妨害する役割を果してしまうものだと思います。

30

 われわれは、少数の個々人の決意や頑張りだけでは、日
帝を撃滅していけるとは考えていません。革命の勝利は、
広範な人民大衆の闘いへの決起、参加が絶対に不可欠であ
る、と考えています。しかし、それは広範な人民大衆の個
個人の闘いへの決意と頑張りを否定するものではないし、
否定するどころか、人民大衆の個々人の闘いへの決意と頑
張りを一層必要とし、それがあってはじめて闘いをおし進
めていけるのです。誰一人として、ある朝目がさめたら革
命戦士になっていた、などということはあり得ないのです。
従って、圧倒的多数の人民大衆の個々人に闘いへの決意と
頑張りを問い、促していくことは間違いではありません。
われわれは、自分たちがまず反日武装闘争に志願して、実
践することによって、つまり口先ではなく具体的な行動に
よって、人民大衆の闘いへの決起、参加を促したのです。
これに対して「決意主義」とか「心情の憤激でしかない」
という批判は、あなたたちの本意ではないとしても、結果
として武装闘争を否定し、反対する立場からの宣伝になっ
てしまっていると思います。
 また、あなたたちは、「客観的立場を変革しない」と、
われわれを批判しています。しかし、われわれは、日帝本
国人の自己否定実践として、反日武装闘争(都市ゲリラ戦)
を軸とした反日闘争=反日人民戦争の遂行こそが(その過
程において、ブルジョア支配階級は殲滅し、プロレタリア
ートは反日革命主体への転化、成長を促していく)、日帝
本国人総体を客観的に変革し得ると確信しています。
 私は、あなたたちが根なし革%Iな現状のアセリから、
日帝本国人の真の変革に向けた闘いを放棄し、日本人民共
和国の建設という目標に示されているように、日本民族主
義に迎合してしまっているのではないか、と危惧していま
す。

 (4)「戦闘呼応」の戦略的意義は何か?

 あなたたちは、「植民地人民の闘いに即自的に呼応する
闘いではなく、戦略的に新しい社会を準備していく闘いで
す。それが、抑圧民族としての存在を実践的に否定してい
くことである」と、われわれの「戦闘の呼応」の実践と主
張を批判しています。
 「戦闘の呼応」の戦略的意義は、第一に、日帝の新植民
地主義侵略を粉砕し、日帝を撃滅していく、内外呼応した
挟撃陣型をつくっていくことです。第二に、被植民地人民
との真の日帝を撃つ実践に媒介された、口先たけではない
信頼関係をつくりだし、世界帝国主義打倒をめぎす、世界
革命の思想的、物質的条件をつくり出していくことです。

31

第三に、新しい社会は、日帝撃滅−世界帝国主義打倒の闘
いを通して建設されるのであり、第一、第二の理由から、
戦術的な「戦闘の呼応」こそが「戦略的に新しい社会を準
備していく闘い」なのです。第四に、「戦闘の呼応」こそ
が、日帝の新植民地主義侵略、支配を粉砕していく日帝本
国人の絶対的で主体的な責務として、「抑圧民族としての
存在を実践的に否定していくこと」なのです。以上の諸点
をあなたたちと確認したいと思います。
 そして私は、「植民地人民の闘いに即自的に呼応する闘
いではなく」と、われわれを批判するあなたたちに、金芝
河氏の「日本民衆への提案」(七五年三月一日)の意味を
考え抜いて欲しいと思います。金芝河氏は、「日本民衆は、
とりわけ日本国内の韓国人に対する抑圧と、韓国内の日本
人による搾取に反対する強力な、より持続的な、より広範
な闘争を直ちに開始し、私の提案に応えてほしい」といっ
ています。彼のこの提案は、南朝鮮民族解放戦線(彼らは
早期極刑攻撃がかけられようとしている!)をはじめとす
る南朝鮮人民の反日・反帝・反政府闘争に対して、日帝本
国人はすみやかに呼応すべきだ、というつきつけであり、
そして全世界の被植民地人民の思いを代表したものではな
いでしょうか。
 また、私はどうしてもあなたたちに、リッダ闘争の総括
を問いたいと思います。あなたたちがパレスチナ解放勢力
人民と友情関係を保ってこれたのは、他でもない、あなた
たちがリッダ闘争を展開したからではないでしょうか。リ
ッダ闘争には、克服されるべき戦術的限界(シオニストで
はなく、プエルトリコ人民を多数殺傷するというような)
があったとしても、まさにリッダ闘争は、口先きの連帯で
はなく、あなたたちがパレスチナ解放勢力、人民とともに
闘う存在であることを確定したのではないでしょうか。リ
ッダ闘争は、「戦闘の呼応」の質をもった戦いではなかっ
たでしょうか。リッダ闘争の肯定面は断乎として継承して
もらいたい、と強く思っています。

 (5)三菱重工爆破攻撃の総括について

 あなたたちは、「一方において『日帝本国人総体が寄生
虫』『反革命的存在』と規定しながら、三菱への攻撃の総
括において、『日帝本国人総体が帝国主義者であるがごと
きあいまいさをもっていた』というのは明らかに矛盾です」
と、われわれを批判しています。しかし、そうでしょうか?
あなたたちは、「日本人総体が帝国主義本国人であり、抑
圧民族であることは客観的事実に他なりません」と言って
いるのですが、帝国主義本国人とは、被植民地人民に対す

32

る「寄生虫的存在」ではありませんか? 日帝本国人総体
は、好むと好まざるとにかかわらず、直接間接に被植民地
人民から新植民地主義収奪にありついているのではありま
せんか? エンゲルスもレーニンも、帝国本国人のこうし
た寄生虫性については、全面展開ではなく、不十分なもの
ですが、気づいており、言及しています。また、日帝本国
人総体は、被植民地人民に対する侵略者、搾取者としての
歴史的、現在的なあり様を自己否定していかない限り、被
植民地人民に対する「反革命的存在」であるのは明白です。
 しかし、日帝本国人総休は、「寄生虫」であり「反革命
的存在」であっても、帝国主義者そのものではありません。
何故なら、帝国主義者とは、主休的で、意志的で、能動的
な帝国主義的な思想的、政治的、経済的、軍事的立場に立
っている者を規定する概念であるからです。つまり、日帝
本国人総休は、好むと好まざるとにかかわらず、客観的存
在形態として、「寄生虫」であり「反革命的存在」である
訳ですが、帝国主義者とは、自らの意志で、好んで、直接
的な寄生虫であり、反革命的立場に立っている双らのこと
なのです。従って、われわれは、こうした帝国主義者をこ
そまっ先に攻撃し、殲滅していかなければならないのです。
われわれは、被植民地人民の反日・反帝・反政府闘争と呼
応・合流して、日帝の政治、経済、軍事の中枢機能、帝国
主義者を攻撃し、日帝を撃滅していく反日人民戦争に主体
的に志願、参加していくことによって、自分たちの寄生虫
性、反革命性を否定、克服していくことができるのです
(反日革命主休への転化、成長)。
 なお、ある諸君は、われわれの三菱総括に対して、死傷
者を出したことをわれわれが自己批判するのは、武装闘争
の主張と矛盾するから間違いだ、と言っています。しかし、
われわれはそのような総括はしていません。われわれの自
己批判は、攻撃すべき三菱重工の機能中枢や重役どもに攻
撃の的をしぼらず、攻撃すべきではなかった通行人=労働
者、市民を殺傷してしまったこと、そして、それが当時の
狼&泊烽フ、即時に攻撃すべき敵と、獲得し合流すべき
味方についての分析と規定のアイマイさ故の、戦術的失敗
であったという総括に基づいたものなのです。われわれに
過去においてこうしたアイマイさがあったことは否定でき
ない訳ですが、しかし、こうした過去のアイマイさをもっ
た傾向を固定化して「反日思想」と呼び、それを基にして
「反日思想」を批判し、否定することは正しいやり方では
ありません。
 私は、あなたたちに、反日思想、反日武装闘争を否定、
清算してしまうことのない三菱総括の共有を希望していま
す。     東アジア反日武装戦線KF部隊(準)兵士P

33

立場の異なる人々の間に有
効な共同戦線を創り出そう

 一一月一二日、我々以外の公判は全て中止し、制・
私服警官の戒厳休制下においた東京地裁七〇一号法廷
で、日帝支配者の総意を体したミノハラは、「オマエ
には我々を裁く資格はない!」と糾弾する我々を排除
し、ほほ求刑どうりの判決(死刑二名、無期一名、懲
役八年一名)を下した。さらにミノハラは、この死刑
・重刑判決を糾弾する傍聴の仲間七名を拘束し、うち
五名に対しては、七〜一〇日の監置攻撃をかけてきた。
 今回の死刑・重刑判決は、何よりも、東アジア反日
武装戦線三部隊が担った反日武装闘争の根源性に対す
る日帝支配者・権力者どもの恐怖と報復心の現われ以
外のなにものでもない。我々は、あらためて、奴らに
は我々を裁くことはできないこと、奴らこそ東アジア
人民によってまっさきに裁かれねばならぬこと、奴ら
こそ有罪であり処刑されねばならぬことを確認し、怒
りをもって死刑・重刑判決を糾弾する。
 今回の死刑・重刑判決は、直接には反日武装闘争に
対する報復弾圧としてあるが、同時に、今年に入って
からの一連の死刑・無期求刑判決の最頂点に位置す
るものとして、死刑・重刑判決の常態化による、八〇
年代に向けての、反革命弾圧の一挙的飛躍・拡大とし
てある。
 したがって、今回の死刑・重刑判決は、必ずしも反
日武装闘争を支持しないという人々にとっても、決し
て無縁なものではなく、決してみすごすことのできな
いものであると我々は考えている。それゆえ、死刑・
重刑判決に対する反撃の仕方には、いろいろな立場か
らの、いろいろな方法が考えられる。しかし、死刑・
重刑判決への反撃戦は、反日人民戦争の陣型構築とそ
の前進の中に、しつかりと位置づけられていかない限
り、有効なものとはなり得ない、というのが我々の基
本的立場である。
 死刑・重刑判決への反撃戦を、反日人民戦争の陣型
構築とその前進の中にしっかりと位置づけていくと同
時に、我々と立場を異にする人々との有効な共同戦線
をつくり出していくために、我々は、マルクス・レー
ニン主義者(以下M・L主義者と略) との理論闘争の

34

現段階的な論点を整理しておく必要があると考える。
 (1)認識論(世界観・歴史観)レベルにおける唯物史
観(階級闘争史観) と共同体史観の対立。我々は、M
・L主義者の唯物史観は、@西欧社会の発展図式を無
媒介に世界史の普遍的発展図式として拡大する西欧中
心史観として、A人類社会は必然的に奴隷制→封建制
→資本制という単一コースの段階を飛び越しなく通過
するという単線的文明発展段階史観として、B西欧
「産業革命」の表面的な華々しさにまどわされ、生産
力の発展を無条件に責美する唯生産力史観として、破
産していると考えている。そして現在問われている課
題は、共同体史観のパースペクティブ(展望)の中で、
原始共産制・農耕共同体・搾取階級制・国家・民族・
天皇制・市民社会・反日共同体・人類共同体等の基礎
概念を確定し、ととのえることであると確認している。
 (2)存在論レベルにおける階級的見地と反日的見地と
の対立。 日帝本国人ブロレタリアートは、M・L主義
者が言うように、単に被搾取者なのか、それとも、被
搾取者であると同時に被植民地人民に対する寄生的存
在であり、かつ人類の共産主義的本質から疎外された
民族的存在であるのか、という対立である。後者であ
る以上、日帝本国人ブロレタリアートは、自らを世界
革命の主体として形成していくためには、日帝本国人
としての寄生性・民族性を実践的に自己否定していか
ねばならないというのが、我々の立場である。
 (3)過渡期論レベルにおける<日本ブロ独→世界ブロ
独>と<反日共同体(反日独裁)→過渡期人類共同体
(世界革命評議会)>の対立。
 (4)共産主義論レベルに分ける工業化共産主義論と原
始共産制復権論の対立。
 (5)実践論(戦略・戦術・組織論)レベルの対立。新
左翼諸潮流の一国主義的本質はさておき、その日和見
主義的本質の理論的根拠はどこにあるのか。それは@
レーニン『帝国主義論』に基づいた、情勢待ちの没主
体的受動的待機戦略(その戦術的表現としての「祖国
敗北主義」「帝国主義戦争を内乱へ」)A同じく情勢
待ちの「一瞬の蜂起=権力奪取」論B同じく情勢待ち
の建党優先・大衆運動主義。これに対して、我々の立
場は、世界帝国主義の新植民地主義段階という情勢論
を踏せえた@<中枢部→周辺部>総体の革命情勢を主
休的に切り拓く攻撃型攻勢戦略A原始共産制復権を孕
み、植民地革命を優先し、世界帝国主義を打倒し、過
渡期人類共同体を建設する世界革命戦争論B建軍・建
党の同時遂行による、反日都市ゲリラ戦を基軸とした

35

反日人民戦争論である。
 われわれは、東アジア反日武装戦線の同志たちによ
る一〇・二八間組工事現場爆破攻撃、テメソゴール・
新四つ木橋・カタパン作戦を、キソダニ=テメソゴー
ル作戦を継承するものとして支持する。このような戦
いこそ、死刑・重刑攻撃に対する有効・的確な反撃で
ある。七五年二・二八、今年に入ってからの三・一九、
一〇・二八を継承し、拡大し、深化し、さらに具体的
な反撃戦、日帝中枢への武装攻撃によって、死刑。重
刑判決を粉砕しよう。それを軸に、大衆的反撃を組織
しょう。反日人民戦争を前進させよう。
            一九七九・一一・一三記
 (注■本文は一九七九年ーー月二五日付『人民新聞』
 第三七四号に掲載されたものです。)

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        死刑・重刑攻撃に反撃を
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反日人民戦争をおし進め死
刑・重刑攻撃を粉砕しよう

(1)死刑。重刑「判決」糾弾!

 七九年一一月一二日、東京地裁の簑原茂広、豊吉彬、
西修一郎は、われわれ東アジア反日武装戦線の兵士ら
に対して、死刑・無期・八年という「判決」を下した。
 当日の東京地裁周辺は、機動隊、制・私服警官千教
官名によって何重にもとり囲まれた超戒厳状況であり、
陸軍士官学校出身のファシスト簑原ら裁判官と、かつ
て金嬉老氏、永山則夫氏に対しても死刑を求刑した検
察官加藤圭一は、二四時間SPに護衛されていた。そ
して、東京拘置所は、当日われわれに対して数十名の
看守を動員して警戒にあたった。
 簑原は、七六年七月、最高裁の命を受けて裁判長に
なってからというもの、ただただ早期結審、死刑・重
刑判決をめぎして強権的訴訟指揮をとり続け、二年三

36

ヶ月にわたって接見禁止弾圧を行なった。簑原は、わ
れわれの発言を徹底的に妨害し、弁護人の発言すら制
限して、われわれ、弁護人、傍聴人に対して発言禁止、
退廷、拘束、監置攻撃をくりかえし行なった。そして、
われわれも弁護人も不在の法廷で、つまり、欠席裁判
で虹作戦(天皇爆殺作戦)の「証拠調べ」を強行した。
簑原は、反証段階に入って、弁護人が申請した証人八
〇名のうち、わずか三名しか採用せず、午前一〇時か
ら午後六時前後まで審理を強行し、七九年八月二〇日、
証人尋問などが終るや否や論告求刑を強行し、検察官
加藤圭一は死刑・重刑を求刑した。
 また、東京拘置所は、荒井を三年余にわたって男区
懲役監にただ一人分断隔離し、片岡君、黒川、大道寺
を四年余にわたって自殺房にぶち込み、暴行・保安房
への拉致、懲罰攻撃をくり返すなど実に卑劣な弾圧を
続けている。
 このように日帝国家権力は、われわれに対して卑劣
な弾圧をくり返し続けているが故に、闘う反日人民の
怒りの爆発をおそれているのであり、そして何よりも
反日武装闘争が現に戦われ続けているという事実によ
って、奴らは恐怖し、超戒威体制をしいて、死刑・重
刑「判決」を下したのである。超戒厳体制をしいた上
での死刑・重刑「判決」の強行こそ、日帝国家権力の
不正義の表明であることを確認しなくてはならない。

(2)死刑制度粉砕!
 検察官加藤圭一の論告を一〇〇%採用し、さらにデ
ッチ上げで補強したフアシスト簑原らの「判決」理由
は、徹頭徹尾反革命である。それは東アジア反日武装
戦線三部隊に対する報復弾圧であり、保安処分=予防
拘禁弾圧であり、「大逆罪」の復活の質をもった弾圧
であり、後続する反日兵士・部隊、そして支援戦線に
対するみせしめ弾圧にほかならない。この腐れきった
日帝を根底から撃滅せんと反日武装闘争を戦った者、
そしてその戦いを支持した者を肉体的に抹殺し、ある
いは監獄の奥深くにぶち込み続けようというむき出し
の弾圧である。
 しかし、日帝国家権力に、われわれを裁き、死刑を
執行するいかなる道義も資格もない。裁かれるべきは、
数千万アジア人民を虐殺した「皇軍」の最高指揮官天
皇ヒロヒトである。戦前・戦後を通Lて東アジア人民
をはじめ全世界の人民を搾取・収奪している三菱重工、
三井物産、帝人、大成建設、鹿島建設、間組などの日
帝侵略企業群である。日帝のエリートとして、これま

37

で多くのアイヌ、ウチナンチュー、在日朝鮮人、中国
人、台湾人、未解放部落民、下層労働者を死刑台に送
り、長期の下獄を強いてきた裁判官、検察官、警察官、
獄吏どもである。
 日帝の死刑制度は、その誕生から今日まで一貫して、
日帝の支配体制の維持のために、政治的な報復−予防
弾圧として発動されてきた。日帝本国内では、幸徳秋
水や菅野スガらがデッチ上げられて処刑され、日帝の
植民地とされた朝鮮、台湾においては、日帝の植民地
支配の根底を揺さぶる反日戦士たちが多数処刑された。
支配体制維持の道具である法制定の極限的暴力の表現
としての死刑制度の発動こそが、日帝を日帝たらしめ
てきた反革命の主要なものである。従って、死刑制度
の粉砕に向けた闘いこそ、日帝と根底から対決する闘
いである。

(3)国境を越えた反日人民戦争をおし進めよう!

 七八年秋以降、死刑・重刑攻撃(求刑・判決)が連続
化している。これは、日帝が八〇年代の日帝の生命線
である資源。エネルギー問題を新植民地主義侵略・支
配の更なる拡大によって乗りきろうとするために、そ
の前提として日帝本国内の反革命体制を強化しようと
していることの表われである。そして、世界帝国主義
の中枢にあるUSA帝の政治的、経済的、軍事的な後
退傾向と、日帝本国内における自民党の一党支配の崩
壊=連合政権化という国内外の事態が、日帝支配階級
の危機意識となり、治安弾圧諸法の改悪化と、その先
取り的弾圧として、死刑・重刑攻撃を連続化している
のである。
 このように、一連の死刑・重刑攻撃が、日帝の危機
の表現としての総力を挙げた反革命弾圧である以上、
われわれは、われわれの総力を挙げた闘いとして、つ
まり反日人民戦争をおし進めていく中で、死刑・重刑
攻撃を粉砕していかなくてはならない。すなわち、八
〇年代の延命のための、新植民地主義侵略・支配の拡
大とその前提としての国内反革命体制の強化という、
日帝の反革命戦略を粉砕していくものとして、われわ
れは、日帝の新植民地主義侵略・支配と対決し、攻撃
し、粉砕していく反日人民戦争をおし進めていかなく
てはならない。そして、この反日人民戦争は、国境を
越えて闘われなければならない。
 今、日帝の新穂民地主義支配下、南朝鮮やフィリピ
ンで反日・反帝・反政府闘争を闘った人々、また新植
民地主義支配の下、農・山・漁村社会の解体、超イン

38

フレ経済の中で、生き抜くための権利を行使した人々
が、死刑・重刑攻撃を受けている。
 七九年一〇月九日に逮捕された南朝鮮民族解放戦線
の人々は今、苛酷な拷問を受けており、早期に死刑・
重刑攻撃がかけられようとしている。彼らに対する死
刑・重刑攻撃を許してはならない。
 被植民地人民の解放、とりわけ死刑・重刑攻撃を受
けている人々の解放は、彼らの直接、間接の敵である
日帝の新植民地主義侵略・支配と対決し、攻撃し、粉
砕し抜くことによって実現されるのだ。われわれは、
われわれ自身にかけられた死刑・重刑弾圧を粉砕して
いくのと同じ力で、彼らの解放に向けて闘いを準備し、
開始しなければならない。何故なら、日帝の歴史的、
現在的植民地主義侵略・支配を許容、黙認してきたの
は日帝本国人であるわれわれであり、われわれは、こ
うしたオノレの反革命性を自己否定していく実践的責
務として、被植民地人民の解放闘争と具体的、実践的
に連帯しなければならないからである。
 われわれは、被植民地人民の獄中獄外を貫く反日・
反帝・反政府闘争と、日帝中枢を撃つ事実行為で呼応
し、合流し、国境の内外から日帝を挟撃する反日人民
戦争の陣型を構築していかねばならない。われわれは、
公然非公然の自分の任務を自覚し、まず自分がやるべ
きことを確実にやり遂げ、地上−地下で呼応、連帯し、
国境内外で呼応、連帯する反日人民戦争陣型を強固に
して、日帝を根底から撃滅していくのである。この反
日人民戦争の前進の中で、われわれは必ず、死刑・重
刑攻撃を粉砕できるのである。


☆死刑制度粉砕!
☆東アジア反日武装戦線兵士らに対する死刑・重刑攻
 撃粉砕!
☆南朝鮮、フィリピンなどの闘う人々に対する死刑・
 重刑攻撃粉砕!
☆東アジア反日武装戦線による一〇・二七『テメンゴ
 ール・新四ツ木橋・カタパン作戦』断固支持!
☆黒色旅団関西支部による九・二二、京大への火炎ビ
 ン攻撃断固支持!
☆南朝鮮民族解放戦線をはじめとする南朝鮮人民の反
 日・反帝・反政府統一闘争と呼応、合流して闘い抜
  こう!
☆反日人民戦争は勝利するぞ!
 一九八〇・一・一九
       東アジア反日武装戦線KF部隊(準)

39

反日思想の根拠
「反日理論は観念論」との批判に反論する

 人民新開第三七五号のS氏の批判に反論します。
 S氏は、先ず「日本の労働者階級や人民が抑圧する立場
にたっているという点については事実に反している」と主
張しています。果して事実に反しているでしょうか。日本
が帝国主義国家であり、日本民族が帝国主義抑圧民族であ
る以上、日本民族を構成している日本人民(日本人労働者)
が、帝国主義抑圧民族であるということは、明白な事実で
あると思います。このことは否定し得ない事実ではないで
しょうか。
 日本帝国・日本民族は、「明治維新」以降一九四五年に
至る間においても、アイヌモシリ・沖縄を国内植民地とし
て併合し、カラフト・台湾・朝鮮・中国大陸・東南アジア
・南太平洋諸島を侵略・植民地化しています。この過程で、
日本人民(日本人労働者)は、日帝反革命軍の兵士として
被植民地人民を数千万人虐殺しています。日本人民(日本
人労働者)が、日帝反革命軍の兵士として、被植民地人民
に対して行なった掠奪・強姦・虐殺に比べるならば、日帝
支配者が日本人民(日本人労働者)に対して行なった搾取
など物の数ではありません。それゆえ、日本人民(日本人
労働者)が、単に被害者であるということから出発(=こ
れが階級闘争)するだけでは不十分であって、まさに、加
害者であり、被害者であるという矛盾した存在から出発
(=これが反日闘争)しなければならないのです。
 天皇をはじめとした日帝支配者が、反革命極悪犯罪人で
あり、まずもって糾弾され撃ち滅ぼさなければならないの
は言うまでもありません。しかし、悪いのは日帝支配者だ
けでしょうか。日本人民(日本人労働者)は、被支配者で
あり、命令されただけだということで免罪されるのでしょ
うか。もし被支配者であり、命令されたなら、全ては免罪
されるということになれば、日帝の侵略反革命自体免罪す
ることになってしまうでしょう。日帝の侵略反革命に反対
する根拠はなくなってしまうでしょう。再び日本人民(日

40

本人労働者)は、日帝反革命軍に動員され、被植民地人民
を虐殺してしまうでしょう。
 たとえ、被支配者であり、命令されたにしろ、日帝反革
命兵士として、被植民地人民を虐殺した日本人民(日本人
労働者)は、加害者として有罪であり、批判・糾弾されね
ばなりません。このように、先ず加害者として自覚し、そ
の上で加害者である自己を拒否し、否定していくという立
場に立つことによってのみ、日帝の侵略反革命と根源から
対決し、それを粉砕し得るのです。
 日本人民(日本人労働者)が、被植民地人民に対して加
害者であるということは、S氏が言うように、「我国の革
命勢力が不充分な結果」ではなく、革命勢力のいかんに拘
らず、日本人民(日本人労働者)が、帝国主義抑圧民族で
ある日本民族に属しているということに根拠があるのです。
 一九四五年以降について考えてみましょう。確かに四五
年の日帝敗北によって、日本人民(日本人労働者)は、飢
餓状況というどん底の生活にたたき込まれました。しかし
戦後三〇数年の現在では、流動的下層労働者をのぞいた日
本人民(日本人労働者)の大部分は、餓死など考えられな
い相対的に豊かな物質生活を享受しています。では、日本
人民(日本人労働者)を、戦後の飢餓生活から、今日の相
対的に豊かな物質生活におし上げたのは、何だったのでし
ょうか。
 戦後の日本経済の壊滅的状況を克服し、高度成長を実現
し、「先進国」並におし上げたのは、米帝による朝鮮侵略
戦争・ベトナム侵略戦争に結びついた戦争特需であり、旧
被侵略国への「賠償」を呼び水とした経済侵略(新植民地
主義侵略)です。日帝の高度経済成長と、その結果として
の日本人民(日本人労働者)の生活向上は、朝鮮人民三〇
〇万人以上、ベトナム人民三五〇万人以上の血と屍の犠牲
の上に築き上げられたものであり、現在もなを、アジア・
アフリカ・ラテンアメリカの人民の犠牲の上に支えられて
いるのです。
 日帝支配者のみならず、日本人民(日本人労働者)もま
た、新植民地主義侵略の加担者であり、受益者であるとい
う事実を否定することはできません。多国籍企業を主要な
担い手とした新植民地主義侵略によって、日帝や米帝など
の世界帝国主義中枢部の人民(労働者)には相対的に豊か
な生活を保障し、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなど
の世界帝国主義周辺部の人民(労働者)には、飢餓生活を
おしつけるというのが、現代世界の基本的構造です。例え
ば、日本人労働者は、イランやサウジアラビアに海外出張
した場合、現地人労働者の一〇倍以上もの賃金をもらい、
現地人労働者を支配・管理する側に立って働いています。

41

 「イギリスのブロレタリアートは事実上ますますブルジ
ョア化しており、その結果、すべての国民のうちでもっと
もブルジョア的なこの国民は、ついにはブルジョアジーと
ヽヽヽヽ
ならんで、ブルジョア的貴族とブルジョア的プロレタリア
ートをもつところまで、ことをすすめたがっているように
みえる。全世界を搾取する国民にあっては、これはたしか
にある程度まで当然のことである」とエンゲルスはマルク
ス宛の手紙に書いています。「ひとにぎりの『大』国によ
る植民地の搾取は『文明』世界を、ますます、幾億人の非
文明民族の身体についた寄生虫に変えてゆく」と、レーニ
ンは『帝国主義と社会主義の分裂』に書いています。マル
クス・レーニン主義者を自称する人々は、このエンゲルス
やレーニンの観点をこそ、現在の日帝本国の日本人民(日
本人労働者)にひきつけて深化すべきではないでしょうか。
 S氏は、「部落民や在日朝鮮人、アイヌなどが人民の中
で差別されているという現実はあります。しかLそれはあ
くまでも国家権力による抑圧や差別の結果に他なりません」
と言っています。先ず我々は、在日朝鮮人やアイヌに対す
る日本人民(日本人労働者)による差別・抑圧は、「人民
内部の差別・抑圧」だとは考えていません。例えばアイヌ
と日本人民(日本人労働者)との関係は、民族と民族の関
係であって、日本人民内部の問題ではありません。
 第二に、日本人民(日本人労働者)によるアイヌに対す
る差別・抑圧は、日帝権力が悪意的につくり出したもので
はなく、日本人民(日本人労働者)が、まさに帝国主義抑
圧民族たる日本民族に属しているということに根拠がある
と考えています。例えば、日本人は、アイヌと結婚するこ
とを嫌います。これは日帝権力にそそのかされたからでは
なく、「日本人は文明化した優秀な民族であり、アイヌは
野蛮な劣等民族である」という民族意識(日本民族主義)
に根拠があります。この民族意識は、日帝権力が悪意的に
デッチ上げたものではなく、日本帝国の建国・日本民族の
形成と平行して歴史的に形成されてきたものです。
 それゆえ、日本人民(日本人労働者)によるアイヌに対
する差別・抑圧は、日本人民(日本人労働者)が日帝権力
をたとえ打倒したところでなくなるものではありません。
それをなくすためには、日本人民(日本人労働者)の民族
意識自体を否定し、消滅させねばなりません。これが反日
の立場です。
 次に、我々は「階級闘争の本質を見ていない」というこ
となので、階級闘争についての我々の考え方を明らかにし
ます。我々は階級闘争が存在しているということを否定し
ません。しかし、階級闘争には本質的に限界があると見て
います。

42

 階級闘争とは、日本国家・日本民族内部での、日本人資
本家階級と日本人労働者階級との対立・闘争ということで
す。これ以上の意味はありません。つまり、階級闘争とい
う構え方は、本質的に一国主義的であって、一国的枠組を
越えることができません。これが階級闘争の本質的限界の
第一です。
 第二は、階級闘争によっては、日本人民(日本人労働者)
の民族的エゴを解体することができないということです。
なぜなら、階級闘争を通して形成される階級意識とは、被
害者意識に依拠した反ブル意識であって、この反ブル意識
は、日本人としての民族的エゴと何ら矛盾・対立せず両立
するものだからです。いかに反ブル意識を過激化しようと
も、それ自体では、日本人民(日本人労働者)の、日本人
としての民族的エゴを否定することにはなりません。逆に、
尖鋭な反ブル意識をもった労働者ですら、民族的エゴのた
めに、反革命兵士として、被植民地人民虐殺へと突撃して
いったというのが、事実です。
 第三は、階級闘争とは、日本人資本家階級対日本人労働
者階級という構え方であるため、論理一貫性としては、階
級闘争の中からは、アイヌや在日朝鮮人などの被抑圧民族
の解放闘争を排除してしまうという点です。
 第四は、階級闘争によっては、日本人民(日本人労働者)
の被植民地人民に対する加害者性を自己否定し得ないとい
う点です。
 第五は、以上第一から第四までの帰結として、階級闘争
によっては、日本帝国を撃ち威ぼす世界革命を戦取し得な
いという点です。
 S氏は、我々が「日本人民の現状を充分に調査する事な
く、主観だけで日本人民を味方でないと判断し、実践的に
は日本人民を敵として扱うという誤りをおかしている」と
きめつけています。我々は、日本帝国を撃ち滅ぼす上で、
先ず、日帝最上層部を形成している天皇をはじめとした日
帝支配者を殲滅し、日帝中層部を形成している上層的日本
人民を味方にすべく批判・糾弾し、日帝最下層部に位置し
ている下層的日本人民と内外の被植民地人民を味方として
連帯していく、という路線をとっています。
 我々は、現在の日本人民がそっくりそのまま反日革命の
主体(担い手)である、とは考えていませんが、日本人民
の中からも、反日革命の主体は出現し得るし、出現させね
ばならぬと考えています。それゆえ、我々は「日本人民の
組織化」ということを否定しません。事実、現在も全力を
あげて「日本人民の組織化」を行なっています。ただし、
我々にとっての「日本人民の組織化」とは、日本人民を階
級として組織するということではなく、あくまでも世界革

43

命=反日革命の主体へと転生させるということであり、具
体的には、反日人民戦争(反日武装闘争を軸とした反日闘
争総休)へと組織するということです。
 S氏の再批判を期待しています。一九七九・一二・二四
 (注■本文は一九八〇年一月一五日付『人民新開』第
  三七八号に掲載されたものです。)


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44

■アピール■
   10・28間組爆破攻撃断固支持!

 われわれは、この一〇・二七間組第二ハザマビル工事現場爆破攻撃を、
第一に、七五年二月二八日、東アジア反日武装戦線狼″大地の牙″さそり″三部隊によ
る間組本社中枢部と大宮工場への同時爆破攻撃=キソダニ・テメソゴール作戦を継承するもの
であり、新植民地主義侵略企業間組に対する全く正当な攻撃として、
第二に、日帝国家権力による東アジア反日武装戦線兵士への死刑・重刑弾圧に対する反撃とし
て、「東アジア反日武装戦線兵士への死刑攻撃粉砕!一〇・二七反弾圧集会」に呼応、連動
したものとして、地下からはなたれたメッセージである、と力強く受けとめている。
 間組は、一八八九年の創業当時から、日帝本国における鉄道土木工事で、日本人下層労働者
にタコ部屋的奴隷労働を強制することによって土建資本の基礎をきずき、日帝の朝鮮侵略の開
始とともに朝鮮を侵略し、以後一貫して日帝の侵略反革命とともにあった。一九四五年八月一
五日以降、間組は、侵略戦争中の朝鮮人・中国人強制連行、虐待、虐殺の責任追及を逃れ、逆
に、多額の国家賠償を奪い、USA帝反革命軍の工事を請負って戦後の発展の土台を築いた。
そして以後、今日にいたるまで、日帝本国内においては日本人下層労働者を強搾取、酷使、虐
殺しつつ、日帝の新植民地主義侵略の一環として、戦時下の旧南ベトナム、ラオス、マラヤ、
エルサルバドルなどに侵出し、現地反革命政権と結託して、革命勢力と敵対し続けている。間

45

組の今日は、まさに、被植民地人民と日帝本国人下層労働者の血と屍の上に築き上げられてい
るのである。
 一九七五年二月二八日の東アジア反日武装戦線三部隊による『キソダニ・テメソゴール作戦』
は、第一に、間組の東アジアへの侵略・反革命史、なかでも朝鮮人、中国人を強制連行・虐殺
・虐待したことに対して、朝鮮人、中国人の怨念をはらし、一九四五年一〇月の木曾谷におけ
る中国人の反日武装蜂起の革命的伝統を継承し、発展させんとしたものであり、第二に、一九
七四年一二月九日、マラヤ共産党武装勢力による間組のテメソゴール・ダム工事現場への武装
攻撃を、間組のマラヤ「辺境」侵略を許しているわれわれ日帝本国人に対する戦闘指示=つき
つけとして受けとめ、日帝本国の間組中枢攻撃で呼応せんとした、思想的、戦略的意義をもっ
た戦いであった。
 この『キソダニ・テメソゴール作戦』の直後、間組副社長(当時)竹内某は、爆破攻撃され
ても海外侵略は止めない、と居直り、そして、一九七八年九月二八日、間組総務部長八田某は、
東京地裁で、東アジア反日武装戦線の兵士を極刑に処してほしいと泣きを入れることによって、
東アジア反日武装戦線に対して、直接的に公然と敵対してきたのである。今後も海外侵略をや
ると公言し、事実、実行し、そして反日兵士を極刑にしろと公言する間組が、未知の反日部隊
によって攻撃されるのは全く当然のことである。
 われわれは、間組をはじめ、新植民地主義侵略を行い、被植民地人民を搾取・抑圧している
日帝の企業中枢を、くり返し攻撃しなければならない。
 われわれは、こうした日帝中枢を武装攻撃する闘いを通して、歴史的に被植民地人民をふみ
つけにし、被植民地人民に寄生してきた日帝本国人としてのオノレの反革命性を自己否定し、
そして、日帝中枢を武装攻撃する事実行為で、全世界の被植民地人民の反帝・反日の闘いと合
流していくのである。

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同志、友人諸君!
 地下の反日兵士諸君は、細心な注意と大胆な主体性・創造性をもって、日帝中枢への攻撃を
さらに組織していこう!
 まだ反日兵士に志願していない、敵に名前も顔も知られていない諸君は、すみやかに反日兵
士に主体的に志願し、反日都市ゲリラ戦の遂行に向けて、具体的に準備していこう!
あるいはまた、反日兵士部隊を、物質的(経済的支援、家屋・人員などの提供、補給)に支え
るべく、非公然の支援体制を構築していこう!
 すでに敵に名前も顔も知られている諸君は、地下の反日兵士部隊を政治的、精神的に公然と
支援し、反日の大衆運動をあらゆる地域・職場・学校の中に登場させていこう!
 われわれは、こうした地上−地下の反日闘争の連動によって、必ず反日人民戦争の巨大なう
ねりをつくり出していくのである。

 ☆南朝鮮人民をはじめ全世界の被植民地人民・被支配人民の反帝・反日の闘いに合流、呼応
  していこう!
 ☆日帝の政治・経済・軍事の中枢を、くり返し徹底的に武装攻撃しよう!
 ☆東アジア反日武装戦線の兵士に対する死刑・重刑攻撃を粉砕しよう!


   一九七九年十一月一日
                        東アジア反日武装戦線KF部隊(準)

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 われわれに対する「控訴審」が開始されようとしている。

一審判決は、大逆罪の再現であり、報復であり、予防であ

り、人民の海を干そうとする敵の意志を露骨に示している。

あらゆる形での「二審闘争」への参加、協力を求めます。

そのための資料(Vol1のコピー、公判ニュース等)を必要

とする友人は、KQ通信社に問い合せて下さい。

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