祖国を撃て

獄中兵士書簡集2

荒井まり子
黒川芳正
大道寺将司


      東アジア反日武装戦線KF部隊(準)



表紙

目次
博徒と権力の関係について        黒川よりGさんへ………… 1
ともに祖国を絞め殺す戦いを!      黒川よりAさんへ………… 6
連合赤軍はなぜ隊内処刑を行なったのか? 黒川よりGさんへ………… 9
食料自給と日帝撃滅          大道寺よリGさんへ…………14
ピノチェト来日阻止に向けての
     闘いをおし進めよう!     大道寺より木田同志へ……24
杉村さんへ               荒井より杉村さんへ………33
あとがき                         ………43

表紙カット…束拘在監 羽 原 典 起


博徒と権力の関係について
                 黒川よりGさんへ
                   80年9月8日付

 今回は、博徒と権力の関係について考えてみます。
 幕末期には、博徒集団の系譜は、大きく分けておおよ
そ三つか四つあったようです。一つは、武士階級最末端
の足軽部屋頭から博徒に転じたもの。この連中は、上級
藩士に付属して雑用をつかさどる足軽部屋で、足軽人足
を集めて、藩権力認許のもとで賭場を開き、のちに、町
方に出て町人相手に賭場を開くようになっていたようで
す。この系譜の博徒は、その出生の経緯から見てもわか
るように.藩権力と裏で密接に結びついていたようです。
 次の系譜は、岡っ引(目明し)となった博徒です。藩
権力は、警察力の弱さを補うために、博徒を役人の手先
にとりたてて、「犯罪」の取締りに利用した訳です。こ
れがいわゆる二足のワラジ≠ナすね。この連中は、お
上の威光を利用して、自分の費場所の拡張をはかり、勢
力を拡大していった訳で、これまた藩権力と結びついて
いる訳です。
 この二つの系譜の体制的博徒に対して、藩権力とは一
切結びつきがなく、藩権力から目の仇にされていたのが、
農村を根城とした田舎博徒(草博徒)です。この連中は、
百姓相手の野会博徒のわずかな「かすり」を収入源とし
ていて、藩権力による博徒狩りの際には、真先に逮捕さ
れて痛めつけられていた訳で、それだけに新陳代謝の激
しい田舎博徒の小一家が、数多く農村のなかに生まれて
いたようです。清水の次郎長などの凶状もちの流れ博徒
は、たれこみのおそれのない顔見知りの円舎博徒を、ひ
そかに訪ね回っていたということです。
 以上三つの系譜が、一家をかまえて勢力を張った博徒
であるとすれは、四つ目は、流れ博徒の系譜ですね。こ
の流れ博徒のなかには、凶状もちが多く、藩権力につけ
狙われた、文字どうりのアクトローであったのだと思い

1

ます。
 幕末から「明治維新」にかけての激動期において、尾
                     そうもう
張藩では、同藩内外の博徒をとりたてて、尾張草莽隊と
いう軍事組織をつくったと言うことです。尾張藩は、倒
幕派として出兵した訳ですが、第一に、可能な限り正規
の藩兵の消耗を回避し温存するため、第二に、天下太平
の世の中で、体を張った戦闘経験のないふやけた武士よ
りも、血で血を洗う縄張り争いできたえられた博徒の方
が、その団結力、統制力においても、その戦闘力、戦闘
経験においても、志気の点においても、優っていると判
断し、前科黙認・士族採用をエサに、藩の勤王実績をあ
げるための捨石として、博徒を利用した訳です。この尾
張草莽隊は、先に指摘した四つの系譜の博徒を、ほぼ
全部網羅しているようです。
 尾張藩兵の戦闘参加人数は約二千名と推定されていて、
そのうち草莽隊員は四九三名で22%に当っている訳です
が、戦闘による戦死者は、尾張藩全体で二六名、そのう
ち軍夫一〇名を除く一六名中草莽隊員は九名、57%を占
め、その戦死率は一般藩士の四倍強に相当しています。
このことからも、博徒で構成された草莽隊が、戦闘の最
も激しい危険な部署に投入され、文字どうり捨石として、
消耗品として利用されたということは明らかです。
 このようにして、幕府打倒の戦争で、大きな力を発揮
したにもかかわらず、戦争が終わり明治天皇制権力がう
ち固められていく過程で、博徒で構成された草莽隊は切
り捨てられていきます。用済みで解散された草莽隊員の
ある部分は、都市下層プロレタリアに転化して窮民化し、
ある部分は専業博徒にもどっていったようです。

 明治天皇制国家権力と、博徒

 一八八四年(明治一七年)を中心としたこの時期は、
秩父困民党をはじめとして、散発的ではあれ、全国的に
武装蜂起が起っています。従来の歴史解釈では、自由党
左派が主導したように言われていますが、注目すべきこ
とには、いずれの場合にも、博徒が積極的な役割を果し
ているということです。ではなぜこの時期の反体制運動
に博徒が積極的に参加したのか、ということなのですが、
これは明治天皇制国家権力による、博徒に対する弾圧に
関係があるのではないか、と思います。
 この一八八四年には、明治一七年の大刈込≠ニ称さ
れる、博徒取締りの大弾圧がありました。愛知県(旧尾

2

張藩)の博徒大刈込≠ヘ、実質的にはすでに一八八三
年の五月ごろから始められ、一八八四年一月の太政官布
告として出された『賭博犯処分規則』によって、警察の
行政措置で処罰することが可能となるや、二月から五月
にかけて博徒の検挙は頂点に達します。注目すべきこと
には、愛知県に四〇もの博徒集団のあったなかで、純張
り争いのさい、常に血なまぐさい集団的戦闘力を発揮し
てきた一家だけが、大刈込≠フ対象として、狙い撃ち
にされているということです。さらにその狙い撃ちにさ
れた一家は、幕府打倒の戦争の際、尾張草莽隊を観成し
ていた博徒集団であったということです。
 すなわち、倒幕派の藩権力は、幕府打倒の戦争の際に
は、オノレの脆弱な軍事力を補完し、藩権力を温存する
ための、犠牲の肩代りとして、もっとも戦闘的な博徒集
団を選別してこれを利用した訳ですが、明治天皇制国家
権力は、激化しっつある農民叛乱や自由民権運動へ、民
間で唯一武装した集団である博徒が参加し、その武器が
権力に向けられるのを防ぐため、「賭博犯処分覿則」と
いう法律をつくり、予防弾圧を行なったということなの
です。
 明治天皇制国家権力がおそれていたのは、なによりも、
博徒集団が、当時民間に存在していたいかなる集団より
も多量の武器を所蔵し、いかなる集団よりも組織戦闘の
経験を数多くもち、強固な結束力と行動力をもった命知
らずの集団であったということ、そして当時の博徒が、
階層的には、中貧農または都市下層プロレタリアと結び
ついており、進行しっつあった土地収奪と税金攻勢のな
かで、明らかに反体制の側へ流れる可能性をもった武装
集団であったことです。
 しかし、明治の刀狩り≠ニ言える、この大狩り込
み≠ヘ、博徒集団の反体制連動への流入をおさえるどこ
ろか、結果的には、むしろ、促進する役割を果したと言
えます。親分を検挙されて一家壊滅し、費場所に賭場が
立てられず、寺銭に寄食する糧道を絶たれて、自らも追
われる身となった博徒たちは、他府県に流れながら、権
力に怨みをもった煽動者・組織者として、貧農や都市下
層プロレタリアの生活圏に浸透していったのです。
 このような情勢を背景として、愛知県では、反体制的
博徒を主体とした「名古屋事件」というのが起こります。
これは、「四日市ノ三菱会社」を砲撃するため、また、
「現日本政府ヲ転覆セン事ヲ目的」とした、軍資金調達
のための強制収奪闘争、いわゆるM作戦≠ナす。この

3

連続的な強制収奪闘争の主体となったのは.幕末の尾張
草莽隊の流れをくむ博徒であり、大刈込み≠ノよって
糧道を絶たれた他国からの流れ者的博徒であり、窮民化
しつつあった貧農。都市下層プロレタリアで、攻撃目標
となったのは、高利貸的性格をもった豪商・豪農層とい
うことです。
 この集団は、残念ながら弾圧され壊滅してしまいます。
そして、これ以降、日本の博徒集団は、アウトローはア
ウトローでも、右へ右へと流れていったようです。その
ような意味で、この一八八四年を中心とした時期は、日
本の博徒集団が最も「革命的」であった時期と言えるか
もしれませんね。

一九四五年以降のヤクザ

 ヤクザ集団が、国家権力の都合によって、あるいは利
用され、あるいは切り捨てられて弾圧されるといった例
は、一九四五年以降にもありますね。しかし戦後の場合、
ヤクザ集団は、反体制の側には流れず、マフィア(非合
法企業)化していったのではないでしょうか。
 いわゆる60年安保闘争の後、児玉誉士夫が、東西のヤ
クザ組織を結集して、全国的な右翼反革命団体をつくろ
うとして破綻し、その替りに、関東のヤクザ組織のみを
結集して関東会をつくったということは知っていると思
います。綱領には「共産主義に対し、これを撲滅すべく
全面的に闘争を挑み、また国民の愛国精神を発揮する」
とうたわれているとか……。当時の構成団体は博徒系七
団体-−錦政会、住吉会、松葉会、日本国粋会、義人党、
東声会、北星会ですね。これによって、児玉誉士夫は、
ヤクザ組織の右翼団体化を計ろうとしたようですが、実
質的には、自民党・党人派の院外私兵集団として利用し
ようとしたのでしょう。しかし、この関東会がすこしは
しゃぎすぎて、刺激が強すぎたためか、危機感を抱いた
自民党・官僚派のヘゲモニーのもとで.一九六四年から
「第一次頂上作戦」と称する、ヤクザ組織に対する「組
つぶし」の弾圧がはじまります。
 この弾圧は、ヤクザ組織が巨大化し広域化して力をつ
け、独占資本の利益をおびやかすに至ったがゆえに、独
占資本が、自民党・官僚派を通して、独占資本の利益を
むしりとるヤクザ組織を叩いた、という経済的背景もあ
ったようです。もう一つの理由は、もはや60年安保闘争
の時のように民間の反革命勢力を利用するまでもなく、

4

警察力と自衛隊の力のみで、革命勢力を抑圧し得るほど
国家権力が強大化したということ、そして、革命勢力の
主力部隊とされてきた労働者階級自体が十分体制内化し
たため、スト破りなどでの民間反革命勢力の利用価値も
さはどなくなってきたということだと思います。
 かくして、警察・マスコミ・市民が一体となった反「暴
力団」キャンペーンを背景とした「第一次頂上作戦」な
るものが開始されていった訳です。この「第一次頂上作
戦」によって、警察権力は、五七団体「七七五人を解散
させ、三一一団体五、四〇〇人を壊滅状態においこみ、
事務所を閉鎖したもの三一団体七四八人という「成果」
をあげたそうです。
 「明治」の弾圧で、ヤクザは、貧農や都市下層プロレ
タリアと合流し、反体制・反権力闘争へと積極的に参加
していきました。しかし「昭和」の弾圧では、そのよう
なことは起こり得ませんでした。それはなぜかと言えば、
戦後のヤクザが、反体制・反権力闘争へ合流するには、
あまりにも資本主義的に堕落し切っていたためであり、
また合流すべき貧農や都市下層プロレタリアの革命的闘
争が存在していなかったからだと思います。それゆえ、
弾圧されたヤクザが行きつく先と言えば、心情的には市
民社会への怨念をつのらせつつ、より巧妙な非合法のブ
ルジョア、よりエゲツナイ収奪者以外になかったのだと
思います。
 しかし、それはより一層の反革命的堕落であって、仁侠
道をとことん否定し去っていく道です。それゆえ、口先
でなく、本心から、また事実行為で仁侠道に徹しようと
するならば、ヤクザたるオノレにオトンマエをつけ、す
なわちヤクザをやめ、真の仁侠道である革命戦士の道を
進まざるを得ないのだと思います。

5


   ともに祖国を絞め殺す戦いを!
                 黒川よりAさんへ
                  80年10月29日付

 お手紙と『リベーロ』NO.71と切手、10月25日に受けと
りました。ありがとうございます。『リベーロ』No.71に
掲載されている無政府主義者連盟(準)黒旗編集委の、
<「東アジア反日武装戦線」とは何であったのか>に対
して意見を! ということですが、今回は、初めての手
紙ということもありますので、とりあえず、私が、東ア
ジア反日武装戦線へ志願した思想的根拠について、かい
つまんで語ることにとどめたいと思います。
 《志願の思想的根拠》
 『腹腹時計』VOL.1にも書かれていますが、東アジ
ア反日武装戦線の三部隊は、あらかじめ、完成され文章
化された綱領を押し立てて、それに全面的に賛成するも
のが結集して形成された組織ではありませんでした。こ
の点、運動=組織論的に見て、今でも正しいと思ってい
ますが、つまり、個々人の思想性に立脚し、事実行為と
しての共同行動と、それを前提した討論(思想闘争)を
通して、思想的同質性を相互に形成し、部隊形成−部隊間
関係の形成を行なってきた訳です。それゆえ、<志願の
思想的根拠>という場合も、相互間で共通する部分もあ
るし、共通項で括れない部分もあります。『腹腹時計』
や『反日革命宣言』などで表現されているのは、共通項
であると言えますが、共通項では必ずしも括れないもの
もまた、東アジア反日武装戦線とはなにか? を知る上
で、切り捨て得ないものであると考えます。そういうこ
とから、共通項に関しては、すでに公表されているパン
フ等にゆずり、ここでは、私自身のかなり個人的なもの
に関して確認してみようと思います。
 私が、東アジア反日武装戦線に志願した思想的根拠
(というよりも哲学的根拠)は、まず、従来のマルクス・
レーニン主義を中心とした歴史観や革命観に対する批判

6

としてありました。つまり「資本主義から社会主義への
移行は、歴史的必然である」と言ったような形而上学
(「唯物論」とは称しているが、実は観念論そのもの)
に満足し得ず、人間の主体的在りようから革命を必然化
する哲学こそ確立しなければならない、と考えるように
なりました。人間がつくり出す歴史というものは、結果
から見れば、それ以外にはあり得なかったかの如くに立
ちあらわれますが、しかし、あらかじめレールが敷か
れていると言うようなものではなく、人間の主体的活動
のいかんによって決定されるのだという考えを得た訳で
す。だから、たとえ、既成権力を打倒した後であっても、
新社会建設の方向を誤まれば、逆もどりしたり、反革命
的に堕落したりするのであって、「資本主義から社会主
義への移行」なるものは、決して鉄の法則性をもって貫
徹する客観的歴史的必然などというものではないという
ことです。それゆえ重要なことは、「歴史的必然」と言
うような形而上学に依存し、オノレらの行為を正当化す
ることではなく、あくまでも、オノレの、あるいは組織
や社会の在りようの、不断の自己否定にこそ依拠して、
現実に生起してくる諸矛盾を、実践的に解決していかな
ければならない、ということです。この思想を、私は、
<自己否定の弁証法>と呼んでいます。
 この<自己否定の弁証法>に依拠して、オノレにとっ
て革命を必然化する出発点は、個々人の在りようを捨象
した「歴史的必然」なるものではなく、まさにオノレ自
身の具体的在りようです。オノレ自身の具体的在りよう
とは、オノレの社会的実存であり、日帝本国人としての
生活、すなわち、被植民地人民の犠牲の上に成り立って
いる生活です。かくして、このような日帝本国人として
の自らの反革命的在りようを自己否定し、被植民地人民
の解放を最優先しつつ、そのなかでオノレ自身をも解放
していく戦いこそ、世界革命の前提条件であると、間題
を立てた訳です。つまり、<日帝本国人の自己否定から
世界革命へ>という観点に立つことによってのみ、一国
主義や日本民族主義と根源から訣別し、真の国際主義を
実現し得るということです。
 この<日帝本国人の自己否定から世界革命へ>という
実践が、主観主義へも客観主義へも陥らないように保障
する基準として、対象と主体との<相互一体的変革の弁
証法>を設定しています。さらに、この<相互一体的変
革の弁証法>の推進基軸が<自己否定の弁証法>である
という円環構造をなしています。この<相互一体的変革

7

の弁証法>とは、オノレがそのなかに住んで生活してい
る世界へ主体的に働きかけること(対象変革)によって
のみ、オノレ自身への働きかけが実効性をもち、そのよ
うにしてオノレ自身を変革(主体変革)することを通し
てのみ、正しく世界を変革し得るのだ、という考え方で
す。そして、この世界と自己との相互一体的変革の具体
的遂行として、武装闘争を軸とした実践を設定した訳で
す。それは、言いかえるならば、<自己否定の弁証法>
を基軸とした、物理力をもった実践です。現在、われわ
れは、これを、反日武装闘争ないしは反日人民戦争と称
しています。
 マルクス・レーニン主義者にしろ、アナキストにしろ、
私が感じるのは、国家をあまりにも抽象的にとらえてお
り、その結果、日本民族主義を克服し得ていないという
ことです。国家は決して、国家一般として存在するので
はなく、建国以来の反革命史総体を背負った実体として
実存しているのです。そのようなものとして、われわれ
              ・・
日本人に現前している国家は、日本国家であり、より具
        ・・
体化するならば、日本帝国なのです。アナキストは「反
             ・・
国家」とは言いますが、「反日本国家」とは言いません
                 ・・
ね。また「国家廃絶」は言っても、「日本帝国撃滅」と
は言いませんね。私は、従来のアナキストは、このよう
               ・・・
に、国家規定から日本≠ニいう具体性を捨象することによ
って、オノレの内に日本≠温存し、それゆえ日本民族主義
にまるで対決し得てこなかったのだと総括しています。
 マルクスが言うように「プロレタリアートは、祖国をもっ
ていない」のではなく、実際は祖国をもっているのです。
まずこの現実を確認することから出発しなければなりま
せん。その上で、オノレがそこから生まれた祖国を、原住民
を征服・絶滅して建国され、被植民地人民からの収奪にょっ
て成り立っている帝国としてとらえ返し、帝国としてしか
存立し得ない祖国を、オノレの手で絞め殺すことこそ追
求しなければならないのです。祖国を自らの手で絞め殺
すことによって、日帝本国人たるオノレの反革命的在り
ょうを自己否定し、人類の本源的共同体よみがえる世界
革命の主体へと転生する戦い-−音それが反日闘争です。
 黒旗編集委の『リべーロ』投稿文では、革命後の権
力問題≠ノついて、問題提起がなされている訳ですが、
この点についての私の考えは、次回に展開してみょうと
考えています。いずれにしても、これを機会に、継続し
て討論を行なっていくことを望んでいます。ともに祖国
=日本帝国を絞め殺す戦いをめざして。ではまた。

8

連合赤軍はなぜ隊内処刑を行なったのか?

                 黒川よりGさんへ
                   80年9月7日付

 9月2日からゼンソク発作が悪化しはじめ、4日には
ネオ・フィリン注射をやっても発作が止まらないという
重積状態に至ってしまいましたが、5日からプレドニン
服用で、今日7日はどうにかもちなおしています。風邪
をひいたということでもないようなのですが、梅雨のぶ
りかえしたような残暑という天候不順が原因のようです。
 さて、前回の手紙で、質問のあった「同志殺しの連合
赤軍」のことについて若干書きましたが、「同志殺しの
連合赤軍」とKF部隊との違いについて、あらためて整
理してみます。
 「同志殺しの連合赤軍」の当事者で、現在も生きてい
る人たちや、その周辺の人たちの「総括」と称するもの
などを読んでみるのですが、結局なにを言っているのか、
私なんかにはまったく理解できないのです。なぜ彼らの
「総括」が理解できないかというと、まず第一に、自分
たちの仲間だけでしか通用しないようなコトバを、説明
ぬきで多用し、ことさらにむずかしい文体で書いてある
ということです。内容のない文章こそ、権威ぶってへん
にかっこをつけているのが鼻につきます。ある程度は新
左翼用語になれしたしんでいる私ですら、理解できない
ような文章な訳ですから、たとえば、日雇のオッチャン
なんかには、まるでちんぷんかんぷんではないでしょう
か。彼らは、まさに伝えねはならない人々に向けて書く
のではなく、結局のところ、今もって、仲間うちで、の
のしり合い、なぐさめあっているにすきないのです。
 第二に「総括」の内容がまったくもって観念的で、ま
るでまちがっているということが、理解しがたい原因だ
と思います。彼らのやっていることは、彼らが行なった
事実行為を具体的に分析することによって、論理をすく
いとり、原因を極めるというのではなく、すでに破産が

9

あきらかになっているマルクス・レーニン・毛沢東やら
の、既成の理論の権威にもたれかかって、空疎なコトバ
のつぎはぎと、つじっま合わせで、結局のところ居直っ
ているにすぎないのです。
 「同志殺しの連合赤軍」とわれわれKF部隊に共通点
を見いだそうとするならば、それは、武装闘争をやると
いう一点以外にはありません。ほかの点に関しては、こ
とごとく対立した考えをもっています。一番はっきりし
ていて、わかりやすいのは、組織というもののあり方で
しょう。

 官僚組織という絶対服従関係
 彼らはゴリゴリのマルクス・レーニン主義者ですから、
その組織は、官僚組織な訳です。官僚組織というのは、
政治局委員(要するに特権官僚)と、そうでない平兵士
とから構成されている組織です。つまり、ブルジョア社
会や国家権力組織と同じような階級的差別を肯定し、そ
ういった階級的差別に基づいたビラミッド型の組織です。
このピラミッド型組織のなかで、各人は、仲間を蹴落す
ことによって出世しようとする訳ですから、真の同志関
係=同志愛は成立しません。
 これに対して、われわれKF部隊の組織は、官僚組織
を否定する水平組織です。階級的差別を認めない組織、
すなわち、全員が平等=同格であって、ある特定の人間
が特権をもつことを認めない組織です。
 階級的差別を内包した連合赤軍のような官僚組織は、
必ず、特権官僚と平兵士との間に矛盾・対立が生じます。
国家権力の集中弾圧を受け、追いつめられ、勝利の展望
が見い出せない時には、特権官僚と平兵士との間の矛盾・
対立は特に激化します。
 組織内部に矛盾・対立が生じても、KF部隊のような
水平組織では、相互批判を保障した自由な討論と論争に
よって解決しますから、考え方の対立が暴力的対立や暴
力的制裁に至ることはありません。しかし、連合赤軍の
ような官僚組織では、自由な討論と論争、つまり相互批
判によって問題を解決することが保障されていないため、
しばしば、考え方の対立はそのままストレートに暴力的
対立や暴力的制裁に発展し、敵に向けるべき武器を仲間
うちに向けることになるのです。
 連合赤軍のような官僚組織では、特権官僚が命令強制
権としての権力を握っています。平兵士は、特権官僚に
対して絶対服従を強いられています。特権官僚がまちが
ったことを命令しても、平兵士は自由に意見を言って批

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判することができません。もし特権官僚を批判し、あく
までも自分の考えに忠実であろうとすると、暴力的な制
裁(リンチ)を受けるだけです。特権官僚は.たとえ平
兵士の批判が正しく、自分の方が誤っていると自覚して
いても、メンツと権威を保つために、自らの誤りは認め
ようとせず、かと言って理論的に反論できないために、
ささいなことであげ足とりをやって、暴力的に口封じを
やる訳です。
 連合赤軍の場合は、この特権官僚による平兵士へのリ
ンチを「兵士を立ち直らせるための総括」と称して正当
化し、兵士殺し=隊内処刑にまで発展させてしまった訳
ですが、これは単に連合赤軍のみの特殊な例ということ
ではなくて、マルクス・レーニン主義の立場に立った官
僚組織は、全て、そのような可能性をもっていると言え
ます。連合赤軍の場合は、単に主観として武装闘争をめ
ざすということではなく、現実に銃で武装していたとい
うこと、都市部に非公然の拠点を築けず、国家権力に追
いつめられて、人里離れた山岳にキャンプを張っていた
こと、革命路線の誤りから勝利の展望を見失っていたこ
と等々の条件が重なって、貴重な戦力である兵士多数を
自らの手でしめ殺し、自滅してしまったということだと
思います。
 連合赤軍の、特権官僚と平兵士の間には、政治的権利
の差別のみならず、さまざまな物質的差別すらあったよ
うですが、このような差別が存在する以上、敵と戦って
勝ち得る、真の同志的関係は生まれないと、私は考えて
います。私は、連合赤軍の特権官僚と平兵士の間には、
同志的的係は存在していなかった、と考えています。そ
れは、命令−服従の、支配−被支配関係であって、相互
の主体性を尊重し、戦士的同志愛によって結ばれた関係
                ・・・
ではなかった、と思います。だから同志殺しではなく、
特権官僚による平兵士に対するリンチ殺害=隊内処刑と
言うのが正しい表現だ、と思います。
 平等・水平主義とは
 エリトリアのゲリラ戦士たちの場合は、幹部といえど
も衣額は一枚きりで、一般隊員とともに洗面器に盛った
コーリャンを手づかみで食べ、徹底した平等・水平主義
を実践しているということです。またニカラグアのFS
LNには階級はまったく存在せず、司令官も兵士もすべ
て平等で、指揮官はいても,服装で区別することは不可
能。寝る所も食べるものもすべて同じで、もし占拠した
家屋にべッドがあった場合,全員に行き渡る分がなけれ

11

ば、全員が地べたに寝るということです。
 連合赤軍に比べれは雲泥の差です。KF部隊が手本と
し、さらに徹底化していくべきなのは、もちろんエリトリ
アやニカラグアのゲリラ戦士たちの平等・水平主義です。
このような水平組織こそが、真に勝利し得るのです。連
合赤軍も、口先きでは「隊内共産主義化」を言っていた
のですが、実際上彼らがやっていたのは、共産主義化と
は正反対の階級的差別化であり、隊内帝国主義化そのも
のです。
 KF部隊の場合.「たとえば『リーダー』を選ぶのも
まずいのか?」という質問に関してですが、実際の作戦
行動においては、やはり指揮者を選び、部隊全体は、
その指揮者の指揮に従って行動する必要がある、と考え
ています。3人や4人の場合は、あえて特定の兵士を指
揮者にしなくとも十分やっていけますが、10人20人とい
うように人数かふえてくれば、必要になってくるでしょ
う。
 ただし、その場合でも、作戦計画の立案や計画の最終
的決定に至るまでは、全員の自由な討論が保障されてい
なければなりません。いったん全員一致で作戦計画が決
定されたら、指揮者は、その作戦計画を忠実に実現する
範囲内で、責任をもって指揮するということです。また
他の兵士は、自らが賛成して決定に加わった作戦計画で
ある以上、それを実現する範囲内で、指揮者の指揮に従
わねばなりません。また指揮者ないしは他の兵士に、逸
脱や誤りが生じた場合は、可能な場合はその場で、不可
能な場合は事後に、相互批判−自己批判によ

12

って、逸脱や誤りを正し、次の戦いの教訓としていかね
ばなりません。
 さらに、この指揮者は、作戦行動中のみの存在であっ
て、固定されたものではなく、次の作戦には、選ばれれ
ば再び同一人が指揮者になるだろうし、他の兵士が選ば
れれば、他の兵士が指揮者となるというものです。指揮
者と他の兵士との間に同志的信頼関係が結ばれていて、
作戦計画が全員納得のいったものである以上、他の兵士
は、自発的に指揮者に従うということになりますから、命令−
服従という支配−被支配関係が発生する余地はありません。
 はじめは、志願の時期の早い遅いが生じますから、経験
や思想性のズレから、どうしても先輩−後輩という関係が
できます。しかし、このズレは、共同行動−相互点検1討論
の繰り返しによって解消し得るし、また早急に解消し得
るよう、組織として努力しなければなりません。その上
で、理想としては、全員が一度は指揮者を経験し、全員がい
つでも指揮者になれるように訓練するということです。
そのようになれば、たとえ不幸にして戦死者が出ても、
その組織は決してつぶれないだろうし、次々と新しい兵
士をつくり出し、組織を生きた細胞のように増殖してい
くことができるでしょう。では、今回はこのへんで。

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13


   食料自給と日帝撃滅
                大道寺よりGさんへ

                  80年12月15日付

 こんにちわ、Gさん。Gさんが下獄してからはじめて
の手紙です。元気ですか?
 刑務所当局は、Gさんが獄中者組合に参加していたこ
と、そしてぼくらとともに東拘所長を相手どって民事訴
訟・行政訴訟を起こしたことへの報復として、仲間たち
との交流を妨害し、「厳正独居」を強制しているのでは
ないでしょうか? いろいろと弾圧が繰り返されるかも
しれませんが、負けることなく頑張ってほしいと思いま
す。

 東拘当局の不当な手紙抜き取りに対する共同訴訟につ
いての連絡。
 東拘はまだ反論書を出していないのですが、私が抜き取
った手紙を返還せよ≠ニ要求して所長面接を出したこと
に対する回答では、Gさんが私に宛てて発信する段階で
抜きとったのであって、私に届いた段階で抜きとったの
ではない、だから返還せよといわれても返還すべき物は
ない、というようなトポケタことを言っています。です
から、反論書も、このようなトポケタことを書いてくる
かもしれません。
 この手紙抜き取りは、Gさんが八月三一日未明に未決
獄中者が変死したことを知らせようとしてくれたことを
発端としている訳ですが、その後二月二四日にもまた
未決獄中者が変死したようなのです。舎房も以前の人と
近いようですから、東拘における医療体制の劣悪さとと
もに、その舎房担当の看守たちの日常的な弾圧のひどさ
を物語るものだといえます。
 この共同訴訟の相原告であるT画伯も、東拘の劣悪医
療体制と、私たちを人間として扱わない弾圧体制の中で
苦しんでいます。彼は、椎間板ヘルニア腰痛症と胃潰瘍

14

で起き上がれず、食事もとれない状態なのですが、東拘
は診察を拒否したり、横臥を禁止するという弾圧を行な
っています。そして、すでに6回も面会を妨害していま
す(彼が、腰が痛くて歩けないので車椅子を要求すると、
一方的に「面会拒否」をされたり、はって行けと愚弄さ
れ、実際にはっていこうとすると暴行されたりしている
そうです)。これは、私たちの共同訴訟に対する報復、
とりわけ、訴訟の中心的役割を担っているT画伯への報
復以外の何物でもありません。
 東拘のT画伯への弾圧に対して、獄中獄外から東拘を糾
弾。抗議していますし、また、彼の弁護人が中心になって獄
外への奪還、治療を追求しています。

 食糧自給と日帝撃滅

 さて、六月二三日付の手紙(『中枢とは何か』−獄
中兵士書簡集1「共にひとつの闘いを」に所収)にアイ
マイな部分がありましたので、訂正し、補足して説明し
ていきたいと思います。
 それは、「(日帝の)食料は、農業を中心とする政策か
とられるならば自給できるのですが」(16ページ下段)と
いう部分です。
 日帝の食料の自給は、現在のような「近代食」とか言
われている畜肉・卵・乳製品にかたよった食事を維持、
あるいはさらに増大しょうとする限り、たとえ農業を中
心とする政策がとられても、自給することは不可能です。
しかし、穀類・野菜・豆類・いもを中心とする食事に変
えるならば、自給することは十分に可能です。ですから、
前の手紙で私が、自給は可能≠ニ書いたのは、この後
者の意味であると受け止めて欲しいと思います。
 一九七五年の時点での日帝の食料自給率は、総合(つ
まり、穀物・野菜・肉・果物などの全体)で七四%と発
表されています。これは立派≠ネ自給率ですが、しか
し、これは数字のカラクリ・ウソであって、実際は三〇
%以下になるのです。なぜなら、この総合で七四%とい
う自給率には、牛肉八〇%、豚肉八四%、乳製品八二%、
鶏卵九七%という自給率を含んでのことなのですが、日
帝では家畜の飼料とするとうもろこし・雑穀・麦類・大
豆などは自給できず、ほとんど輸入にたよっているから
です。したがって、じつさいは、畜産物はほとんど自給
できないといえるからです。
 では、主食となる穀物はどうかというと、米だけは一
〇○%以上の自給率ですが、小麦はわずか四%。大麦は

15

一〇%。豆類は全体で九%、うち大豆は四%で、穀物全
体の自給率は四三%です。これは、世界的に最低の水準
です。
 農産物ではありませんが、魚介類の自給についてみてみ
ます。魚介類は、消費量の九九%が「国内産」となって
いるのですが、その半分近くは近海の漁獲ではなく遠洋
(つまり、他の国々の近海)での日本漁船による漁獲で
す。したがって、現在消費されている魚介類を近海だけ
から漁獲することはできないのですから、自給はできて
いないと言うべきでしょう。現在消費されている魚介類
は、すし種となるような、いわゆる「高級」品が多いの
ですが、このことは近海では自給をまかなうに足るだけ
の量を漁獲できないということなのでしょうか? 決し
てそうではありません。イワシやサバなどは十分な量が
近海で漁獲されているのですが、それが全部そのままの
形で私たちの口には入らず、その大半が工場的に養殖さ
れているハマチやウナギなどの飼料として、また、豚や
鶏の飼料として消費され、また「高級」魚介類の輸入分
だけ輸出されているのです。このことは、商社や水産関
係企業などが儲けを拡大しようとして「高級」魚介類中
心の操業・販売を行なってきたこと、そしてそれと結び
つく形で「高級」魚介類・畜産物を中心とする「近代食」
の普及がはかられたこと、また、日帝本国人が総体とし
て「先進国」文明人としての豊かさの見栄≠もち、
近海ものの安価な魚介類を食べなくなったということを
示しています。ですから、私たちが、商社や水産関係企
業の利潤追求に荷担せず、また他国の近海(遠洋)から
の略奪的漁業や工場的養殖漁業に反対して、近海ものの
魚介類を食べるようにするならば、自給は十分に可能な
のです。しかし、現状のままならば、自給はできないし、
二百カイリ時代に入り、従来と同じような他国の近海で
の直接的な漁獲はできなくなりつつありますから、「高
級」魚介類の輸入が増えることが予想されるので、ます
ます自給率は低下していくでしょう。
 このように、現状の日帝の食料の自給率はきわめて低
く、これまでのように「近代食」信仰を続け、政府・企
業などのウソにだまされて、畜肉・卵・乳製品・「高級」
魚介類を食べ続けるならば、食糧を自給することは不可
能であると言わざるを得ないと思います。
 なお、先程、米の自給率は一○○%以上と書きました
が、これは石油漬けの工場的な農業による結果であるこ
とを忘れてはならないと思います。野菜の自給率九九%、

16

果物八四%も、同じことが言えます。
 現在の農業は、農業本来の自然の生態系に即した、生
きた土と水と太陽によって作物を生産する農業ではなく
て、輸入にたよる石油を前提にした、つまり、石油製品
と石油エネルギーによって作物を生産する農業、いわば
田や畑を工場とみなす工業生産の方法による、「土ばな
れ農業」です。農薬・化学肥料。農業機械のエネルギー
源、ピニールなど、すべて石油と切り離せないものを前
提とした農業になっているのです。これは、石油資本・
製薬資本が、政府・農協と一体となって、利潤の追求の
ために生み出した農業技術=死の農法であるということ
です。
 このような石油漬けの死の農法で農民は、増産のため
にといって化学肥料を多用し、その結果、病虫害に弱い
稲や野菜などができると、今度は農薬を使い、自分の体
をむしばみ、農地を疲弊させ、そればかりか、農薬や化
学肥料が農業用水路から流れ出て川や海を汚し、生態系
を破壊してきました。したがって、石油清けの死の農法
は、決して其の増産にはならないことを知るべきなので
す。私たちは、石油にたよる死の農法ではなく、自然の
生態系に即した本来の農業によってその土地と季節にあ
った作物をこそ生産していくべきなのです。このことを、
農作物の自給に関ってあらかじめ確認しておきたいと思
います。
 さて、以上みてきたように、日帝の食料の自給率はま
ったく低いわけですが、にもかかわらず、今後自給して
いくことができることを以下に示していきます。
 今から二五年前の一九六五年には、穀物の自給率は、
八三%もありました。その内訳は、米が約一〇〇%、小
麦四〇%、大豆二八%、大麦や裸麦は一○○%以上とい
う具合いで、現在とは比べようもない高い自給率を示し
ていたのです。しかし、この一九六五年前後を境にして、
急速に自給率は低下していきます。では、それはなぜで
しょうか?
 日帝は、一九五〇年代の「朝鮮戦争特需」で敗戦から
復活し、六〇年代は 「ベトナム戦争特需」によって飛
躍のはずみをつけ、いわゆる経済の「高度成長」なる時
代を作り、一九

17

六五年の「韓日条約」の締結によって、新植民地主義侵
略を開始していきました。つまり、一九六五年は、朝鮮
人民・ベトナム人民の血の犠牲の上に日帝本国の工業化
の基盤を築き、経済の「高度成長」を達して、新植民地
主義侵略に着手していった時なのです。工業重視政策が
とられ、その結果、離農が促進され、農地が工業用地に
転換され、工業製品輸出の見かえりとして、国内価格よ
り安価な食料の輸入が増大していったのです。そして、
日帝本国人総体が経済的に「豊か」になるにつれて、生
活がぜい沢になり、そのため食事内容が、「近代食」と
いわれる畜産物にウェイトをおいたものに変っていった
のです。
 このように、食料の自給率の低下=輸入の増大は、日
帝の再生と強大化、新植民地主義侵略の開始と拡大と軌
を一にしているのです。このことから結論的に言うなら
ば、食料の自給を可能にする方途は、日帝本国人総体が
被植民地人民からの搾取と収奪の上に送っているぜい沢
な生活を排除して畜産物中心の食事を止めること、すな
わち日帝の新植民地主義侵略を止めさせていくことです。
そして、このことは結局、日帝が日帝であるための生命
線・根拠こそ新植民地主義侵略なのですから、日帝を撃
ち滅ぼすことこそが、食料の自給を可能にすることだと
結論づけることができるのです。このことを前提的lに踏
まえた上で、自給の可能性を具体的に検討してみます。
 一九七五年の時点で、日帝本国の耕地面積は、五五七
万ヘクタールです。この農産物の輸入総量は約二四五〇
万トンで、この量を生産するのに必要な面積は九四六万
ヘクタールということになります。この内訳は、小麦二
六四万ヘクタール、大麦・裸麦七三万ヘクタール、飼料
穀物二五四万ヘクタール、畜産物(牛や馬が必要とする
牧草地)一二六万ヘクタールです。大麦・裸麦も飼料用
ですし、大豆も飼料用として使われますので、九四六万
ヘクタールのうち半分以上は畜産物の飼料用として必要
だというわけです。日帝には、現在の耕地面積の三倍も
の土地はありませんから、現在のように畜産物を食べ続
けようとする限り、畜産物を含めた食料の自給はまった
く不可能です。
 しかし、まだ三○○万ヘクタールの土地が開墾できる
とされていますし、企業が所有している遊休地が七八万
ヘクタール、休耕地が二六万ヘクタールあると小われて
ますから、合計で四〇〇万ヘクタール余りは耕作可能地
としてあることになります。つまり、畜産物の飼料の生

18

産のために耕地をとられなければ、穀物・豆類・野菜な
どはすべて自給可能であると言えるのです。
 では、畜産物はまったく生産できないのか、というと
決してそうではありません。現在のように工場的システ
ムによる大量生産はできませんが、かつてのように庭
先養鶏、残飯養豚≠ニして、有機農業の一環に組み込ん
で生産していくことはできます。そして、現に各地で、
有機農業の実践を続けているグループかいます。(が、
問われていることは、有機農業の自己目的化ではなく、
日帝を撃ち滅ぼしていく総力戦=反日人民戦争の一翼と
して、有機農業を実践していくことだと思います)。量
的には現在よりもはるかに少なくなりますが、生産しよ
うとすれば、薬漬けではない畜産物を生産していくこと
は可能なのです。
 さて次に、きっとGさんは、なぜ私が食料の自給にこ
だわるのか、しかも畜産物の生産が極度に少なくなるこ
とを承知の上で、穀物や野菜などの自給が可能になれば
いいというのか、と疑問を持っていると思いますので、
以下にその理由を説明します。
 私が食料の自給にこだわるのは、日本民族主義の対極
の発想からです。食料が自給できなけれは戦争に勝てな
いとか、食料の自給・備蓄が国力のバロメーターである
から増産せよ、といった戦前の大日本帝国の発想とはま
ったく異っていますので、この点誤解しないようにして
下さい。
 私は、日帝が食料を輸入することは(輸入先はほとん
どがUSA帝なのですが)、それだけ被植民地人民の食
料を奪うことになる、と思うのです。だから、輸入をし
ないようにすべきだと考えているのです。
 つまり、私たちは、人類の本源的共同体=共産主義社
会を再建することをめざして闘っていくのですが、その
ためには一切の植民地収奪をやめなければならないし、
そしてそれには農業を中心とした自給自足体制をつくら
なけれはならないということです。
 国連食糧農業機関(FAO)は、世界人口の三分の一
にあたる一〇億人余りの人々が、現在、飢餓か栄養不良
の状態にあると推定しています。余剰食料は、諸帝国と
ソ連などでのみ配分され、被植民地人民には飢餓が強制
されているのです。諸帝国やソ連では、穀物はもちろん、
穀物を飼料に使って肉・卵・チーズなどをたらふく食べ
ているのに、被植民地人民は、主食の穀物すら十分には
食べることができないのです。

19

 ナイジェリア、インド、インドネジア、フィリピンな
どでは、年間一人あたり九〇Kg〜一八〇Kg、一日にする
と二三〇g〜四六〇gはどの穀物が手に入るだけですが、
USA帝、ソ連などでは、年間一人あたり八〇〇Kgもの
穀物が手に入ります。しかも、パンなどとして穀物を直
接消費するのは九〇Kg〜一四〇Kgにすぎず、残りは、食
肉・卵・牛乳として間接に消費されているのです。US
A帝、ソ連などでは、ナイジェリアやインドなどの人民
に比べて、実に五倍以上(日帝は三倍)もの穀物を消費
しているのです。一方で、一〇億人以上もの飢えている
人々がいるのに、彼らには穀物が配分されず、他方で食
肉や卵やチーズを得るために家畜の飼料に回されている
というのは、どう考えてもおかしい、と私は思うのです。
そして、その世界的なひどい格差を、明らかに日帝は助
長しているのです。なぜなら、世界の人口のわずか二・
五%の日帝が、貿易用穀物の実に一五%をも輸入してし
まっているのですから。そして、この輸入穀物の半分以
上が家畜の飼料に回されているのです。
 被植民地人民に飢餓を強制するような日帝の穀物輸入
は止めるべきであるし、そのためには、本来の自然の生
態系に即した農業を復活させて、食料の自給をはからな
ければならない、と私は考えるのです。そして、また自
給を実現していくために、現状のような「近代食」とい
われる畜産物重視の食事ではなく、穀物・野菜などを中
心とした食事に変えていかなくてはならない、と考える
のです。
 しかし、こうしたことは、従来、被植民地人民の飢餓
と犠牲の上に飽食三味を続けてきた日帝本国人の大多数
(下層労働者、貧農を除く中層・上層の日帝本国人)の
あり様、思想を根本から変革することを要求しますから、
日帝が日帝であり続けること、つまり新植民地主義侵略
を続けていく限りは実現していくことはできないでしょ
う。まさに、日帝を撃ち滅ぼしていく長期の反日人民戦
争の過程でこそ、真に実現していくことになるだろうと
思います。
 以上の説明で、Gさんは、自給の必要性ということは
確認できるとし、果して畜産物を食べなくても、栄養失
調などにならないのか、という疑問があると思いますの
で、この点について、次に書きます。
 結論から言えば大丈夫だと思います。先程書きま
したが、現在は工場約に大量生産されている鶏や豚、
そしてハマチやウナギの飼料とされたり、東南アジ

20

ア諸国などに缶詰めにされて輸出されていて、獲れたも
のが全部直接の形で私たちのロには入っていませんが、
日本近海では、イワンやサバなどは自給に必要な量は十
分に獲れることを確認する必要があります。近海ものの
魚介類は、私たちに十分なカルシウムやタンパク質を提
供してくれるでしょう(そのためにも、公害の発生源と
なって海の生態系を破壊し、海洋生物を殺している原発・
火発・製鉄工場・肥料工場・製紙工場などは、その操業
を停止させる必要があるでしょう)。
 また私は、人間を機械と同じように見なして、生命維
持と活動に必要な熱量=カロリーをはじき出すという、
「近代栄養学」に疑問を持っています。なぜなら、私た
ちの身体は、機械のように単純なものではありませんか
ら、カロリー計算によって必要な食料の量や質がはじき
出されるのはおかしいと思うのです。そして、これは断
言はできないのですが、草食の牛や馬がたくましく肉を
つけ、乳を出すように、人間にもタンパク合成能力があ
るということを本で読んだことがあるので、畜産物を食
べなければ、タンパク質が不足するとは思えないのです
(インドの最下層の人々の中には、一生の間、毎日数回
大豆のひき割りひとつかみをかみくだくという食生活を
している人々がいるそうですが、そしてそれほど短命で
はないそうですが、「近代栄養学」では、なぜこのよう
な食事で生きていけるのか説明はできないでしょう)。
 東洋に「身土不二」という思想があります。これは、
身近な土地でとれるものを、そして、その季節にとれる
ものを食べることが自然にかなったことであり、健康に
生きていくもとであるという思想です。つまり、この思
想は、季節に変わりなく年中食べることができる畜産物
に依拠した思想ではなく、穀物・野菜・野草・果物など
を食べていくというものですね。私たちは、この「身土
不二」にこそ依拠していくべきだと思うのですが、Gさ
んはどう思いますか?
 寿命が伸びたと言われます。長生きできるようになっ
たのは、現代文明の勝利だ、と。しかし、寿命が伸びた
のは、乳幼児の死亡率が減少したからであって、成人や
老人の病気が少なくなった訳ではありません。むしろ現
代文明は、文明病といわれる薬害などを原因とした新た
な病気を増大させています。そして、ガンや心臓病で苦
しむ人々が増大しています。ガンや心臓病は、大気汚染・
工業用化合物の被曝などの結果であるとともに、不自然・
反自然な虚食の過食によって引き起こされていると思わ

21

れます。特に大きな影響を与えていると思われるのは、
畜肉及び脂肪・卵・乳製品の過食です。そして、公害汚
染物貿が、食物連鎖の結果、畜産物に濃縮されているの
です。
 ですから、ガンや心臓病などの文明病を予防し、健康
に生きていくためにも「近代食」=畜産物を重視する食
事を止め、穀物・野菜を中心にした食事にしていった方
がいいと思うのです。玄米・菜食を実践している人たち
は沢山いますし、この実践の中で病気を治し、健康をと
り戻した人たちも多いようです。私たちは、畜産物を食
べなけれは栄養失調になるといった誤った考えを吹っと
ばしていくべきなのです。
 以上のような考えからも私は、獄中という極めて制約
された条件下ではありますが、畜産物抜きの麦食(近海
物の魚と野菜・果物は食べています)を行なっています。
獄中では玄米も玄麦も食べられないし、野菜も質量とも
に貧弱なのですが、こんな条件下でも私が元気に闘って
いくことによって、食料の自給=畜産物重視食の排除と
いう主張を、単なる能書きに終らせないようにしようと
思っています。私のこの実践は、いわゆる菜食主義から
出発したのではなく、日帝の食料輸入が、被植民地人民
に飢餓を強制することになるから、それを止めさせてい
くこと、そしてそれは単に私個人の生き方という領域に
とどまる性質のものではなく、結局は日帝の新植民地主
義侵略を止めさせ、日帝を撃ち威していくことにつなが
っていくのですが、その思想性の物質的根拠を検証して
いくことになるだろうと思っています。主食の穀物も十
分に食べられずに飢えている一〇億人以上もの人々が存
在しているのに、飼料を輸入して、畜肉や卵やチーズな
どを飽食しながら(では獄中の官食はどうでしょうか?
獄中食は、日帝市民社会の近代食の水準と比較するなら
ば質量とも粗末ですから、獄中者が畜産物を飽食してい
ることにはならないと思います。しかし、被植民地の人
民、とりわけ下層人民の食事と比較するならば、日帝本
国の獄中食は豊かな$H事であると思います。私が、
ここで畜産物を飽食しているというのは、下層労働者、
貧農を除く、中層・上層の日帝本国人ということです)、
世界革命などを主張するのはウソになるだろう、という
ことなのです。
 長くなりましたが、私の言わんとすることは受けとめ
てもらえたでしょうか? 私たちは、食料を自給できる
のだし、それは日帝を撃威していくことによって真に実

22

現するということを、あらためてGさんと確認して、ペ
ンをおきたいと思います。
 急に冷えこんできました。風邪をひかぬようにして下
さい。健闘を!


 追記‥最後に、引用した数字の出典を示しておきます。
   @『食糧問題の常識』 (日本評論社)
   A『工業社会の崩壊』 (四季書房)
   B『地球29日目の恐怖』 (ダイヤモンド社)


黒川芳正詩集
  こと だま
  言  霊
(定価五〇〇円・〒二〇〇円)
ことだま/カナリア/革命風使/海と少年/
旅人/隼人の呪い/帰ってきたジャッカル/
散文童話詩・詩人の死/「弱者」/子モグラ
モグラ/こぶし/ ほか
発行所‥原詩人叢書刊行委員会
   東京都品川区大崎四−二−一四−四〇五
電話 〇三−四九二−三四九四

23


ピノチェト来日阻止に向けての闘いをおし進めよう!
               大道寺より木田同志へ

                  80年日月25日付
(1)エスメラルダ号攻撃の革命的意義

 木田同志、元気ですか? 同志が下獄してから直接連
絡することができなくなりましたが、私は、同志が刑務
所当局による重包囲弾圧に屈せずに闘い抜いていること
を確信しています。この手紙が刑務所の塀を乗り超えて
同志の手元に届くことを念じて、久しぶりにペンを執り
ました。
 一九七五年七月二三日、沖縄海洋博会場における、チ
リ反革命海軍練習艦エスノラルダ号に対する同志の単身
火炎ビン投擲攻撃から五年余りが過ぎましたが、今あら
ためて、同志の戦いの革命的意義が確認されなくてはな
りません。何故なら、チリのファシスト、ピノチェト
の来日が、一九八一年初頭にも予定されており、それを
阻止する闘いが組織されなくてはならないからです。
 一九七〇年一〇月二四日、チリ議会で多数を獲得した
アジェンデは人民連合政府を樹立し、銀行、保険会社、
銅・硝石・鉄鉱の鉱山などの国有化や土地改革を行ない
ました。これらの改革は、それまでチリの政治、経済、
文化を牛耳ってきたUSA系多国籍企業や一部の財閥、
地主の利益のためではなく、労農人民の生活の改善とし
て、つまり、住宅建設、教育条件の改善、社会保障の拡
充、健康管理の充実などとして結実していきました。し
かし、ここではっきりさせておかなくてはならないのは、
人民連合政府は、チリ社会党、共産党、社会民主党、急
進党などからなり、その基盤は、都市の基幹産業労働者
であった、ということです。つまり、アジェンデによる
「社会主義的改革」は、主に都市の上・中層労働者階級
に向けたものであって、流動的下層労働者やポプラシオ
ネスとかカリャムパと呼ばれる都市スラムに住む貧民、

24

貧農、そして原住民アラウカーノ族、マプーチェ族に向
けたものではありませんでした。そのため、下層の労農
人民による反乱が続き、更なる革命が準備されていたこ
とを確認しなくてはなりません。でも、人民連合政府は、
USA系多国籍企業や財閥、地主による収奪をストップ
させたのは事実であり、更なる革命に向けた序曲として
大きな意義をもっていたことは否定できません。
 チリ人民連合政府の諸改革の遂行に対して、チリの軍
部ファシストと財閥、地主どもは、USA系多国籍企業
(特に、ITT=国際電信電話会社など)とCIAによ
る大量のドルと謀略機能を後循として、人工的な物資不
足などの経済的混乱を生じさせ、チリ人民の生活を圧迫
し続けました。そして奴らは、奴ら自らがそうした経済
的混乱を引き起こしながら、それを人民連合政府の経済
政策の失敗だとデッチ上げて、反アジェンデ・キャンペ
ーンを繰り返し展開し、反革命クーデターを準備してい
ったのです。
 人民連合政府は、反革命勢力を掃滅し、革命権力を創
出していく聞いの過程を経ることなく、つまり、人民総
武装を実現していく長期の人民戦争を戦い抜くことなく、
選挙という手段によって成立したことから、旧来のプル
ジョア軍隊や警察機構を解体できずにそのまま残し、結
局、自らにとっての反革命墓堀り人を温存してしまった
のです。
 七四年五月、人民連合はチリ人民へのアピールを発表
し、反革命クーデクーを阻止できなかっ息原因を三点挙
げています。第一に、人民連合が単一の政治的指導を確
保できなかったこと、第二に、労働者階級の孤立を避け、
住民の大多数を労働者支持に向けることができなかった
こと、第三に、チリ軍隊の内部情勢と特殊な性格(人民
連合時代においても、USA帝から援助を継続されてい
た)についての理解が欠けていたこと、というものです。
しかし、私はこの総括はアイマイであり、間違っている
と思います。前にも少し触れましたが、人民連合の内実
が、基幹産業労働者階級=中・上層労働者階級に依拠し
た社共を軸とした連合であったことの必然として、人民
連合が真に解放されるべき下層の労農人民、原住民との
真の結合をめぎさなかったこと、そして「彼らを主体に
して反革命勢力を掃滅しなかったことに敗北の原因があ
った、と私は考えています。反革命クーデターの分析を
することが目的ではないので、簡単なものにとどめます
が、人民連合の革命的不十分性、不徹底性の中に、反革

25

命クーデターを許してしまう条件があったことを確認で
きるでしょう。
 一九七三年九月一一日、人民連合政府は、そして下層
の労農人民と原住民による更なる革命の萌芽もまた、陸
軍司令官ピノチェトを頭目とする陸・海・空三軍と警
察軍による反革命クーデターで転覆させられ、アジェン
デをはじめとする三万人以上もの人民が、人民連合を支
持していたということで裁判なしで処刑されたり、拷問
の果てに殺されました。そして、一〇万人にものぼる人
人が逮捕され、裁判が開かれないまま北部砂漠地帯や南
部の厳寒の離島などに急造された収容所に、長期にわた
ってぶち込まれ続けました(チリの人口は約一千万人で
すから、虐殺、投獄された人々がいかに多いことか!)。
 このようにチリ人民連合政府を圧殺し、チリ人民を虐
殺、投獄して成立したピノチェト反革命軍事独裁政権
を認めず、チリ人民、とりわけ下層の労農人民、原住民
アラウカーノ族、マプーチェ族と連帯して闘うことは、
世界帝国主義を打倒し、民族解放を戦いとろうとしてい
る全世界の人民の当然の任務です(中国政府は、ピノチ
ェトらの反革命クーデターの翌日の一九七三年九月一二
日、人民連合政府の在中国大使を追放し、ピノチェト反
革命軍事独裁政権を承認しました。そして、ファシスト
の将軍どもを英雄として中国に迎え入れたのです。何た
ることか!)。
 木田同志は、この当然の任務を、エスメラルダ号に火
炎びんを投擲する戦いとして敢然と遂行したのです。「
チリ軍事独裁政権(ピノチェト)による、人民と革命的
左翼に対する虐殺、拷問と弾圧に対するわれわれのささや
かなる返答である。」と宣言して。
 同志のエスメラルダ号攻撃の革命的意義は、特に次の
二点を確認で

26

きると思います。
 第一に、国際主義を単なる口先きのものではなく、闘
う事実行為=実践として突き出したことです。現在、日
帝本国人総体が被植民地人民に寄生し、彼らの犠牲の上
に肥え太り、「革命」派もまた、彼らからの搾取と収奪
のおこぼれにあずかっている必然として、「革命」派で
すら、日帝を撃滅していくという革命への情熱と意欲を
失い、せいぜい自分たちの利害に関わることについては
「闘う」という日本人中心主義に陥っています。そして、
こうした状況は、当然のように国際主義を単なる掛け声
にすぎないものとしてしまい、韓国における反帝・反日・
反政府の闘いにさえ、有効に呼応して闘えない(闘わな
い)こととして表われています。ましてや、日本とは地
球の反対側にあるという地理的な遠さから、ピノチェト
らの反革命クーデクーに怒り、チリ人民、とりわけ下層
の労農人民、原住民の闘いに注目し、呼応して闘かおう
とする日帝本国人は極めて少なかったと思います。こう
いう中で、同志はチリ人民、原住民アラクカーノ族・マ
プーチェ族との一体感を抱き、彼らの闘いに呼応、連帯
するエスメラルダ号攻撃によって、国際主義を闘う事実
行為として突き出したのです。
 第二に、日帝本国内における武装闘争の現実性、すな
わち、武装闘争が今現に闘われており、そして今後も闘
われるという現実的可能性を突き出し、明らかにしたこ
とです。同志の戦いは、単身モーターボートでエスメチ
ルダ号に突撃し、火炎びんを投擲した結果、退路を確保
することができなくて逮捕されてしまい、戦いの永続性
を勝ちとっていくゲリラ戦としてはやりぬけませんでし
た。この点は、今後、組織的、計画的に戦うことで克服
していかなくてはならないと思います。しかし、こうし
た課題を残しっつも、同志はチリ人民、原住民との連帯
を決して単なる口先きだけに終らせずに、苛酷な状況下
での彼らの戦いとの同質性を追求して、エスメラルダ号
を一部炎上させるという物質的なダメージを与えたこと
によって、日帝本国内における国際主義に貫徹された武装
闘争の現実性を断乎として突き出したのです。
 同志の戦いの革命的意義を、このように確認したなら
ば、われわれは日本人中心主義を克服し、世界中至ると
ころで反帝民族解放の闘いを展開している人民との一体
感を獲得して、彼らとの連帯を戦う事実行為で実現して
いかなくてはなりません。そして、その戦いは、世界帝
国主義の中枢に位置している日帝を撃滅していく戦いで

27

なくてはなりません。すなわち、日帝本国人としての自
分たちの反革命性を自己否定しつつ日帝の政治、経済、
軍事の中枢を撃つ反日武装闘争を軸とする反日闘争=反
日人民戦争を永続的に闘い抜かなくてはならないと思い
ます。そして、ピノチェトの来日を阻止する闘いは、
まさにこの一環として組織されなくてはならない、と私
は思うのです。

 (2) ピノチェトの来日を阻止しよう!

 一九七三年九月一一日のピノチェトらによる反革命ク
ーデターから七年が過ぎました。この七年間、ピノチェ
トは、チリにおける政党活動を禁止して、闘う人民に対
する徹底的な拷問と弾圧を続けました。そして、こうし
た暴力支配を背景にして、去る九月には、一九八九年ま
で通算一六年間も、ピノチエト反革命軍事独裁政権の存
続を認める国民投票なる茶番を強行したのです。
 「アムネスティ」の報告によると、一九八〇年七月一
五日、チリ陸軍情報学放校長ロヘル・ベルガラ・カンボ
ス中佐が車で通勤途中、電力会社の労働者の服装をした
四人の都市ゲリラに射殺されたということですが、その
後二千人もの人々がデッチ上げ逮捕され、拷問センター
に送られてメチャクチャな拷問をやられているようです。
その拷問の実態ですが、男女とも素裸にされて性器など
に電気ンョックを加えられたり、身体のあちこちをタバ
コの火で焼かれたり、何時間も逆さ吊りにされて厳寒の
中に放り出され、高圧ホースで冷水を噴射された上でな
ぐる、けるの暴行を受け、糞尿を飲まされる人々もいる
そうです。まさにファシストどもの拷問のやり方であっ
て、絶対に許せません。
 しかし、このような卑劣な拷問と弾圧が行なわれ、そ
れが拡大し、苛酷になればなるほど、人民の戦いも発展
していきます。プル新の報道によれは、七九年、八〇年と
チリ人民は、三月八日の国際婦人デー、五月一日のメー
デーに、公然と集会とデモを行なったそうですし、逮捕
された後「行方不明」となった人々の家族による抗議の
ハンストが闘われているとのことです。そして、先程書
いた九月の国民投票という茶番の直前には、厳しい警戒
体制が敷かれた中で、七千人もの集会が開催され、街頭
では若者たちによるデモやピラまきなどが行なわれてい
るそうです。また、チリ紙「ラ・テルセラ・デ・ラ・オ
ラ」によれば、「最近二〇ヶ月間で起った武装行動は一
九八件、そのうち一六件は軍警の兵舎、もしくは隊員に

28

対する攻撃である。これらの行動で逮捕されている者は
ほとんどいない。」ということです。キューバ共産党の
機関紙「グランマ」によれば、MIR(左派革命運動)
などの都市ゲリラは、バスを捕獲したり、国立歴史博物
館に所蔵されていた独立旗を奪取するなどの武装宣伝や、
活動資金獲得のために、企業、銀行を襲撃しているとい
うことです。一九八〇年四月一二日には、MIRと他の
都市ゲリラ部隊が連携して、首都サンチャゴの三つの銀
行を同時に、「よく練られた計画、俊敏な行動で、何ら
のミスもなく襲撃」し、七〇万ドル(!)も奪取したそう
です。このように、チリのMIRなどの都市ゲリラは、
苛酷な状況下にしたたかに存在し続け、武装補争=都市
ゲリラ戦を強化して、大衆運動の前進と連動して発展し
ているのです。
 日帝は、一九七三年九月一一目のピノチェトらによる
反革命クーデクー以後チリへの侵略を強め、一九七七年
の時点で、チリの輸出入に占める日帝の比率は、輸出先
で第二位(一四・七%)、輸入先で第三位(一一%)にな
っています。そして、七九年には、「日本・チリ経済委」
なるものを発足させ、これまで以上にピノチェト反革命
軍事独裁政権を、政治的、経済的に支えつつ、一層チリ
人民への弾圧に荷担し、搾取を強め、チリの資源を収奪
しようとしています。ピノチェトの来日は、このような
日帝とチリ反革命軍事独裁政権の関係の深まりの中で、
七九年八月、当時の外相園田直がチリを訪問し、チリで
の人民に対する拷問と弾圧を弁護した上でピノチェトに
来日を要請したことによって日程にのぼったのです。
 そうである以上、われわれは、ピノチェトの来日が、
日帝とチリとの反革命同盟を強化するものであり、ピノ
チェトの来白を許すことは、チリ人民、原住民に敵対す
るものであることを確認しなくてはなりません。われわ
れは、いかなる卑劣な拷問と弾圧にも屈しないで闘い抜
いているチリ人民、原住民に呼応し、連帯して闘わなく
てはなりません。それにはまず、われわれが日帝本国人
としての自己否定実践として、世界帝国主義の中枢に位
直する日帝の中枢を撃つ戦いを遂行することであり、そ
して、フィリピン人民、フィージー人民がピノチェトの
上陸を阻止し抜いたように、ピノチェトの来日を許さな
い闘いを組織することであると思います。
 そこで、公然大衆運動をおし進めている友人たちは、
今からピノチェト来日阻止に由けたキャンペーンを張り、
集会やデモなどを繰り返し行なっていくべきだと思いま

29

す。そして、にもかかわらず、ピノチェトが来日を強行
しょうとする時は、そのもくろみを具体的に粉砕し抜く
戦いを組織しなくてはなりません。このことを、同志と、
断乎とした決意で確認したいと思います。

 (3) 受動性を突破する政策阻止%ャ争を!

 ピノチェトの来日阻止、という主張に対して、それは
政策阻止闘争と同じで受動的な闘いだ、と批判する人た
ちがいるかもしれません。
 政策阻止闘争は、敵のタイム・テーブル(時刻表)に
従う闘いであり、敵の掌中での闘いであるから受動性を
まぬがれない限界をもっている。だから、X X反対!
とか○○阻止! という闘いを、場当り的にいくらつみ
重ねても、それだけでは現状を革命し、創り出すべき未
来社会を展望していくことはできない。従って、未来社
会を創り出すという目的意識をもって、敵のタイム・テ
ーブルを超えるわれわれの主導性を発揮した闘いを展開
すべきだ、と。
 確かに、こういったことはいえるでしょう。これまで
に、新旧左翼諸党派が、単に党派利害に基づいて、アリ
バイ的、カンパニア的に、××反対! とか○○阻止!
という集会やデモを行なってきたことがあることを否定
できません。このような「闘い」については、その限界
性をはっきり確認する必要があるでしょう。
 しかし、敵のタイム・テーブルを超える闘いといって
も、われわれは現実から出発せざるを得ないのですから、
現実の敵の反革命を打ち破っていかなくてはなりません。
われわれは、日帝の反革命政策、たくらみに対して、そ
の一つ一つをぶっつぶしていかなくてはならないのです。
三里塚空港建設、原発建設、CTS建設、USA帝軍・
自衛隊基地の拡張、大気・海・大地を汚し、破壊する全
ての公害などに反対し、対決する闘いは必要なのです。
そして、これらの闘いを孤立分散化させたままにするの
ではなく、現在、三里塚闘争が軸になって各地の様々な
闘いを結びつけているように、連携して力を合わせ、総
体として日帝と対決し、追いつめていく闘いをおし進め
ていくのです。敵のタ

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イム・テーブルを超える闘いというのは、こうした現実
の闘いの中から生み出していくものであって、決して対
権力闘争を放棄し、どこか入里離れた山奥にでも潜り込
んで原始共同体の生活を模倣し、そのことで主観的に人
類の未来社会を先取り的に建設するなどという自己満足
とは無縁なのです。もし、政策阻止%ャ争が受動的な
闘いであるという批判が、こうした自己満足にふけって
いる諸君からなされるのならば、現実の闘いを放棄して
いる彼らの日和見主義を批判しなくてはなりません。し
かし、もし現実に政策阻止%ャ争を行なっている諸君
が、自らの闘いの受動性や限界を意識しているのであれ
ば、次のことを確認したいと思います。
 われわれの行なう政策阻止%ャ争は、その多くが日
帝本国人である自分たちの生活、生命を守るためのもの
として出発しています。もし、この闘いが、自分たちだ
けの利益になるように(例えば原発はここにつくらない
で、どこどこにつくれ、とか、日本で公害を出されるの
はいやだから、他の国に移ってくれ、など)というのな
らば、それは被植民地人民や他地域に生活する人々に不
利益を転嫁するエゴイズムです。しかし、自分だけのた
めということにとどまらずに、日帝の政策、たくらみが
打ち出されてきた背景、根拠を見つめ、それが日帝の延
命、あるいは強大化につながることを理解して、そうし
たことを許さない闘いへと深めていくこと、つまり、日
帝そのものをぶっつぶす闘いの一環として闘いをおし進
めていくならば、その間いは受動性をつき破る質をもっ
ています。それは、自分だけがよけれはよいという日本
人中心のエゴイズムや、その場限りの殺那主義を克服し
て闘いを拡げ、被植民地人民や、他地域の住民との共闘
を実現していくでしょう。
 このように、自分の生活の場における生きるための闘
いが、他の闘いと連携し、拡大し、深められることによ
って、日帝を撃ち滅していく戦いの一環として、国境を
超えた質をもち得るのです。そしてまた、われわれは、
このような闘いの実践の中から、創り出していく未来社
会を展望することもできるのです。それは、日帝がおし
進めようとしていること、つまり、地球の資源を喰いつ
ぶし、大気、海、大地を汚し、ガタガタに破壊する物質
文明社会を維持することを拒否し、人類と自然=地球が
一体となって共生する社会、原発も、CTSも、基地も
つくらず、公害もタレ流さずに、人類が楽しくいつくし
みあう社会を建設することです。このような社会を、原

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始共産制社会の現在的なよみがえりの社会と規定します
と、それは、日帝との根源的な闘争の過程の中から、必
ずその形成の道筋をも提示していくことができる、と私
は確信しています。
 このように、自分の生活の場における政策阻止%ャ
争が、自分たちのためばかりではなく、被植民地人民
や他の地域に生活する人人のためのものであり、その
ようなものとして共に担っていくことができるまでに
拡大させ、深化させていく時、日帝を撃滅し(世界帝
国主義を打倒し)、人類の本源的共産主義社会実現の
過渡としての反日共同体を建設していくことができる
のです。真の国際主義を発揮して、日帝の掌中での闘い
としての受動性など突き鼓っていくことができるので
す。
 従って、ピノチェト来日阻止の闘いは、チリ人民、と
りわけ下層の労農人民、原住民、アラウカーノ族、マプ
ーチェ族の闘いに呼応、連帯するものであり、われわれ
日帝本国人が世界帝国主義を打倒し、日帝を撃滅してい
く反日人民戦争の一環としての闘いであると思うのです。
同志のエスメラルダ号への攻撃というすぐれて革命的な
戦いを継承して、ピノチェトの来日を阻止しなくてはな
りません。共に、獄中から、獄外での闘いに呼応して闘
いましょう。


 久しぶりの同志への手紙なので、ついペンが走りすぎ、
まとまりのないままに長くなりました。批判、疑問があ
りましたらぶっつけて下さい。私は身体のアチコチにガ
タがきていますが、懲罰弾圧をはねとばすぼどにはまだ
元気です。これから寒さに向いますが、元気で頭襲って
下さい。
 では、健闘を!

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    杉村さんへ
                荒 井 ま り 子
                  80年12月10日付

 初めてお便りします。杉村さんには、死刑重刑攻撃反対
署名の呼びかけ賛同人になっていただいたり、私の書簡
集「呼び声は獄舎を越えて」の書評を書いていただいた
り、いろいろと力になっていただいておりながら、筆不
精のためになかなか直接お便りを差しあげることができ
ず申しわけありませんでした。今日、ベンをとったのは、
杉村さんが書いて下さった書評(「インパクト 8」)に
ついて、私なりの考えを述べ、さらに杉村さんの批判、
指摘を受けて、成長の糧にしていきたいと考えたからで
す。元来、物を書くというのが苦手で、まとまりがなく
読みにくいかもしれませんが、よろしくお願いします。
 杉村さんの指摘、批判の第一は、「看守たちの像が類
型化していることにある程のもどかしさと危惧を感じる。
……看守たちはむろん権力の手先にちがいないのだが、
しかし、ひとたび職務をはなれれば、彼らもまたわれわ
れと同じように善良な市民≠ニして現代日本社会にと
けこんで暮らしているだろう。」「われわれ一人一人が現
代日本社会のなかでおよそ組織とか、機構と名づけうる
ものとのかかわりにおいて、一方で無意識のうちにもあ
る人々に対して、看守のような抑圧機能を果たしつつ、
他方で善良な市民≠ニしての生活を送るという二重性
を余儀なくされている実存的矛盾の総体(これが権力の
本質的支柱となっているのだ)を撃つには、悪玉を仕立
てあげて、これを類型化するという古典的方法ではもは
や通用しなくなってきているのではないか。」という点
にあると思います。そこで、この点について考えてみま
す。
 これは、私の舌足らずさや説明不足に起属すると思い
ます。この書簡集に集録された手紙は、もともとは全く
の私信か、獄中獄外で緊密な共闘関係にあり、共に監獄

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当局の抑圧と闘いぬいている仲間たちへの獄闘報告とし
て書かれたもので、不特定多数の獄外人民の目に触れる
ということを全く予定していなかったものです。獄中獄
外で共に闘っている仲間たちへの報告というのは、どの
ような意味を有するのかということをわかっていただく
ためには、獄中者組合(以下PUと略します)運動につ
いて少し説明しなければなりません。

 ■獄中者組合とは

 私たちは今、東拘を始めとして、全国の監獄の闘う獄
中者の大衆共闘組織として、PUを結成して闘っていま
す。PUは、未だ綱領・規約なども定まっていない未熟
さを有しているのですが、獄中者の大多数を占める下層
「刑事犯」が自らを解放する闘いを主体とし、獄中生活
の諸権利の防衛獲得、拡大の日常的闘いを軸として、監
獄の支配、抑圧、弾圧に対する広汎な獄中者の怒りを結
集し、組織することをめざしています。そして、その獄
中者の自己解放の闘いは、「監獄解体・獄中者解放」の
スローガンに示されているように、獄中者の革命主体へ
の自己変革の戦いであり、日帝国家権力打倒の闘いの一
環としてあると位置づけています。このようなPUの仲
間たちにとっては、同じ暴力的抑圧支配下にある仲間の
日々の闘いの具体的報告は、とても大きな意味を持って
きます。
 書簡集の中でも、たびたび触れられている正座点検強
要に対する闘いを例にとって考えてみても、正座点検の
持つ意味、その不当性を観念的に訴えただけでは、真の
カにはなりえません。なぜなら反権力反体制を意識化し
ている「政治犯」でさえも「正座点換の強制は不当では
あるが、囚われの身である以上、それに従うのはやむを
えない。無駄な抵抗をして懲罰にかかるよりは、妥協し
て勉学に励み理論闘争に励む方が賢明であり、革命的で
ある。」と考えている人が大部分であるからです。看守
は、自分の思想や意思を身体でもって示そうとすると、
いつも「頭の中で何を考えようともそれは自由だ。不当
たと思うならそう思っても結構。しかし、ここにいる以
上ここの規則に従え。従うのがいやなら、こんな所に入
ってくるようなことをしなければよいのだ。」と言いま
す。この看守の言葉に端的に示されているように、頭の
中でわかっているだけでは状況を変革する真の力にはな
らないわけです。大部分の獄中者は、正座点検が不当か

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否かなど考えてみたことすらないわけで、仲間たちに正
座点検の不当性を暴露し、共に奴隷化強要攻撃と闘って
いくように呼びかけていくためには、それに対して具体
的にどのように闘い、どのような弾圧を受けたのかとい
 ・・・・
う事実報告こそが、最も大切な武器となります。事実報
告こそが、どんな立派な解説よりも、単純明快に誰にで
もわかりやすく、監獄当局の規則の不当性を浮き彫りに
していくのであり、それに対する仲間たちの決起を促し
ていくのです。だからこそ敵は、どんな「過激な」アジ
テーションよりも、闘いの事実報告を最も恐れ、まっ黒
にぬりつぶしたり、閲読不許可にしてきたりするのです。
この書簡集が閲読不許可になったのもそのためであると
思います。これは、あまり自慢にならないことですが、
そこには、何ひとつ理論らしきことは書いてありません。
あるのはありのままの事実の報告ばかりです。これが事
実報告抜きの論文のようなものであったならば、奴らも
それほど神経質にはならなかったかもしれません。私た
ちは、検閲という制約があるために露骨に「………しよ
う!」とは始めから書けません。書いてもヌリツプされ
ることがわかっているので、むしろ、ヌリツプされない
で、言わんとすることが伝わるような表現をとるように
自然になっていきます。また、私たち獄中者は横のつなが
りを禁止され、互いに孤々バラバラに分断されているた
めに、同じ監獄内に収容されていても、他の仲間のこと
については何もわからないことが多いのです。従って、
日常的な闘いの事実報告を抜きにしては、励ましあい、
学びあい、共に闘っていく事実行為にょる連帯共闘に支
えられた団結を築きあげていくことができないわけです。
「一人の仲間への弾圧は、全ての獄中者への弾圧だ」と
して団結して反撃していくためにも、看守の悪意的なイ
ヤガラセ弾圧を粉砕していくためにも、具体的な事実の
報告は最大の武器となります。書簡集は、このような闘
いの中で書かれた報告の寄せ集めですから、その中に、
「看守たちの善良な市民≠ニしての横顔」について触
れられていないのは言わば当然なわけです。
 もちろん、日常的闘いと言っても、二四時間看守とや
り合っているわけではなく、不当な弾圧のない時は、獄
中での大部分の時間は、読みものや書きものをしている
わけです。読んだり書いたりすること自体が闘いの一環
ではあっても、それ自体は獄闘報告として報告するよう
なことでもないわけです。闘いの報告となれは、直接に
対峙してやるのは、いつも同じ看守(私の場合は、女区

35

長、女区係長、担当看守、暴力専門の警備隊−−いずれ
も男性です−)であり、こちら側が、とくに看守を「悪
玉に仕立てあげよう」という意図はなくても、看守たち
の対応そのものが類型化してくるのです。従って、書簡
集の中に出てくる看守たちの像が類型化しているのは、
それが、弾圧、闘いの報告として書かれたものだという
ことと、類型化しているのが現実であるためなのです。
 監獄という所は、具体的には日々接触している看守を
通じて、国家権力の意思が獄中者に押しつけられてくる
所です。このことを敵の側から表現すると「職員の制服
は、収容者にとっては、国家の権威、権力の眼に見える
象徴である。この権威に逆らう挑戦に対して、職員は断
乎として対処しなけれはならず、かかる場合の職員の責
務は単純明快かつ絶対的である。」(「矯正職員研修教程
米国矯正協会編、嫡正協会発行)ということになります。上官
の命令は天皇陛下の命令である、という戦前の「皇軍」と同じ
で、看守の命令は絶対であり看守=法≠フ世界と言え
ます。看守に不当な指示の法的根拠の明示を要求したと
ころ「法的根拠は俺」と言ったという笑えぬ話を聞いた
ことがあります。看守が何か勘違いして間違えた指示を
出した場合、その間違いに対して異議を唱えたり、抵抗
したりして指示に従わなければ「指示違反」として弾圧
の対象となります。「おとなしく黙って指示に従え!
言われた通りにすれはよいのだ!」これが全てです。納
得のいかない指示や規則について合理的根拠を問い、質
しても「説明する必要ない!」「うるさい! 黙れ!」
と片づけられます。獄中者(特に闘う獄中者)に対する
看守の対応は、それ自体がどうしようもない程にワンパ
ターン化しているのです。
 私の場合、日項顔つきあわせている看守とも、雑談を
たりすることはほとんどありません。たまに「風邪引
くなよ」などと看守が言ってくることがあっても「獄中
者の健康破壊を積極的におし進めているくせに何を言っ
ているのか」と思うだけですから「ありがとう」などと
いう気にはならないわけです。そこで黙殺していると、
「オイッ! 聞ここえないのか! ツンポ! オシ! パ
カ!」という言葉が投げつけられてくるのです。看守に
「あっ、桜が咲いた」とか言えば「黙れ! よそ見する
な!」と怒鳴られ「いい天気ねェ」と言おうものなら、
「うるさい! 余計なこと言うな!」という答えが返っ
てくるのが、誇張でも何でもない現実なのです。廊下を
歩く時に窓の外を見ながら歩いただけで「キョロキョロ

36

しないでまっすぐ前を見て歩け!」と怒鳴られたり、房
内で窓辺に立っていただけで「坐っていろ! 指示に従
わないと懲罰だぞ!」と桐喝され、疲れたので肩をトン
トン叩いていただけで「うるさい! 今運動の時間じゃ
ないんだからやめろ!」と言われたり、こんなことが日常的
にあるのですから。こういうことをこれでもかこれでもかと
繰り返し聞かされる人
はウンザリするのかもし
れませんね。毎日毎日
体験している私もうん
ざりするのですから。
しかし、報告となれば、
「肩が凝ったので肩叩
きをしていたのを見て
も看守は何も言いませ
んでした」では、小学
一年生の作文にもなら
ないけれど、「肩叩き
をしていたたけで怒鳴
られた」ということは、
ひとつのニュース
になるでしょう。我々獄中者と看守との力関係には絶対
的にひらきがあるため、獄中者の闘いというのはいつも
最後には、大勢の看守によって暴力的に拉致され他の獄
中者から隔離されたところで、テロ・リンチを加えられ
た末に保安房(拷問房)へたたき込まれるというワンパ
ターンで弾圧されます。PUの仲間うちで報告し合う場
合、これがあまりにもワンパターンであるために「あと
はお決まりのコース」の一言ですましてしまうことが多
い程です。これだけで、闘う仲間は何が起ったのか了解
するのです。
 監獄というところは、こうしたワンパターン化、類型
化が支配の手段であると同時に目的にさえなっていると
ころなのだと思います。「収容者は規則、規定を遵守し
なけれはならない。……個々の規則を遵守せしむべき個
別の必要の外に、さらに紀律維持手段として、規則、規
定を守らせるべき一般的必要性が存在するわけである。
紀律は分割すべきものではない。それは、全体統一体と
して存在するのであり、しからざれば全く存在しないに
等しい。そこで収容者に規則のうち守っても格別に妨げ
にならない部分だけ守らせ、他は破ってもよいとするな
らば、それは戒護、更生の全機構を破壊するようになる

37

であろう。」「真正の監督は、規律びん乱がないというだ
けで事足りるものではない。……監督は収容者個人の再
形成を目ざした一つの積極的な力でなければならない。」
(前掲書)−−敵はここで、「規則は、規則だという理
由だけで守らせることに意義があるのだ。看守は獄中者
の支配権力への従順な奴隷としての改造を目標として監
督せよ。」と言っています。まさしく、監獄の日常とは、
獄中者の個性、創造性、主体性の抹殺、非人間化、規格
化のためにあると言ってもいいでしょう。規格からはみ
出すことは、はみ出しているということ自体が「悪」で
あり、弾圧の対象となるのであり、はみ出そうとする人
間を無理矢理規格にはめ込む方法としては暴力あるのみ
というのがこの監獄です。獄中者にこのようなことを強
制することを職務としている人間が、自ら非人間化し非
個性化し、奴隷化し、類型化していくのは、監獄の暴力
弾圧装置としての性格からくる必然であると言えると思
います。
 類型化が目につく副次的要因としては、この他に、私
自身が闘いの中で、このような看守の類型化を促進してき
たということが言えるかもしれません。看守と獄中者と
の間に平和共存的協調関係が存在する時は、緊張関係が
ないので、看守の方もなだめたり、すかしたり、おどし
たり、いろいろな方法で獄中者を飼いならそうとします。
私の場合でも、初期の頃は、現在とは違った対応を受け
ています。闘いが深化するにつれて暴力性がむき出しに
なってくるわけです。「こいつには何を言っても無駄だ。
相手になるな。」という看守の言葉がそれを物語ってい
ます。これは、私に限らず、闘う獄中者全てにあてはま
ることです。奴らはその経験と実績によって実に巧みに
ムチとアメを使い分けるのです。
 また、「報告」の中には悪質で嗜虐的で摘発癖のある
看守のことばかりが書いてあって、比較的「良心的」な
看守については書いていないというのも一面では事実で
す。これは、先にも書いたように、イヤガラセ弾圧がな
けれは、別段普通の人間こ変わりない生活をしているわ
けですから、いちいち報告する必要性がないということ
にもよりますが、たまたま「良心的」な看守がいたとし
ても監獄当局との攻防の緊張的係の中では、そうしたこ
とを報告することは、上部の管理者に対して末端への締
めつけ強化の口実を与えてしまうために避けねはならな
いということもあります。看守は、過度に、獄中者への
弾圧を強化しすぎることがあっても「職務熱心」として

38

誉められることはあっても叱責されることはほとんどあ
りません。しかし、決められた規制を緩和するようなこ
とがあった場合には、こっぴどく叱責されるのみか、ひ
どい時は直ちに配置転換されてしまいます。獄中者に、
「親切な」看守は、まず出世できません。比較的「良心
的」な看守の言動について報告をひかえざるをえないの
は、このような事情があるためです。報告をした途端に
規制、しめつけが強化されるということはよくあること
なのです。
 従って、書簡集の難点は、その報告の中で看守をこと
さらに「悪玉に仕立て上げてこれを類型化した」ことに
あるのではなくて、獄闘報告ばかりを十分な説明、解説
も加えないで載せたことにあったと思うのです。これは、
私が報告のしっ放しに終ってしまっていて、日々の闘い
を理論化する作業を怠っていたことの結果としてあるの
だと反省している次第です。
 監獄は、塀の外の社会の鏡であるとか、縮図であると
かよく言われます。従って、杉村さんの「監獄というの
は権力の抑圧性がもっとも集中的に発現する場所である
と同時にその監獄を維持している国家や社会に生活して
いる人々の一般的意識水準=常識≠フ吃水線をも体現
しているように思われる。」という指摘は、それはそれ
として正しいと思っています。しかし、監獄の中で日々
行なわれている弾圧の実態というのは、獄外の人民にと
っては「とても信じられないこと」としてあるのもまた
現実であり、それは人々の眼に触れぬ密室という条件が
あって始めて可能となるわけです。ですから暗闇の密室
下で行なわれる事を、ともかくも密室の中から開放して
明るみの中に引きずり出すということが必要となってく
るのだと思います。私も、杉村さんと同じように監獄の
獄外の市民社会との同質性というものを十分に意識して
いたわけですが、その同質性を突き出していくためには、
むしろ、獄中者の眼から見て看守の権力の手先としての
本質を明らかにしていくことにょって、日常的には眠り
込まされている獄外の市民社会の本質を逆照射していく
べきではないかと考えていたのです。
 南朝鮮、台湾、フィリピン等でセックス・アニマルの
醜態をさらけ出している日本人男性観光客が、日本人の
側から見れば「良き夫」「良き父」「良き会社員」等々
であり、総じて善良な市民≠構成しているというこ
とは、日本人にとっては常識≠ナあって、今さら説明
するまでもないことでしょう。しかし、彼らが、侵略さ

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れる側の人民にとっては、現代の「皇軍」兵士以外の何
ものでもなく、被植民地人民を同じ人間とは思ってもい
ない非道で残忍で、醜悪な日帝の手先であるということ
は繰り返し、繰り返し告発されねばならないでしょう。
被植民地人民の眼から見れは類型化して見えるセックス・
アニマル、エコノミック・アニマルの姿の中にこそ、日
本人大衆の本質的あり様が示されているのであり、私た
ちは、そのような類型化したセックス・アニマル、エコ
ノミック・アニマルの像を鏡として、私たち自身の生き
方を根本的に問うてみなければならないのだと思います。
これと同じように獄外の一般的市民から見れば、看守と
いうのは悪い奴を閉じ込め懲らしめてくれる善良な市
民∴ネ外の何ものでもないのであって、それに対して、
私たち獄中者は、鍵をかけて閉じ込めておかなければ何
をしでかすかわからない凶暴で危険極まりない犯罪者
でありキチガイ≠ナあるわけです。これは、ブルマス
の大活躍によって、定着している常識≠ニ言ってもよ
いでしょう。
 私はこれまでに、このようなことをことさら説明する
必要を感じてこなかったわけです。何故なら、私たちは、
人間としてあたりまえに生きようとすると、そのたびに
私たちの前に立ちはだかる看守によってそれを禁止され、
「お前たちは基本的人権を云々する資格のない、何をさ
れても文句を言う権利のない犯罪者なのだ」という烙印
を承認するようにとせまられてきたからです。私たちは、
看守が「あたりまえの人間」であるということよりも、
何よりも、私たち獄中者が「あたりまえの人間」である
ことを声を大にして訴
えたいわけです。です
から、むしろ、世間一
般で考えられている、
常識≠、獄中者(市
民社会から排除され、
権力のむき出しの暴力
の前にさらされた者)
の眼で見れば、このよ
うに見えてくるのです
よ、ということを訴え
たかったわけです。獄
外の市民に対しては、
あなた方と同じ善良
な市民≠ナある看守の

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本質とはこうなのだ、そして、ある面では、それはあな
た自身の姿でもあるのだと。また、一方では、あなたの
生活しているこの一見「自由」に見える市民社会も、本
質的には、監獄と同じ抑圧支配下にあり、見えない鉄格
子や壁に囲まれており、あなた自身も獄中者と同じょう
に奴隷化を強制されているのだと。書簡集の中では、こ
の点、全く自分の言わんとすることが、十分に読者に理
解されるよう説明されていませんが、主観的には以上の
ように考えていたわけです。
 「ここで我々ははたと気づく。獄外ブルジョア市民社
会でも全く事情は同じなのだと。表面がとりつくろいや
カモフラージュできれいに覆われていれはいるほど感性
は鈍らされ、真の支配構造は見えて来ないのだと。」(京
大新聞80・11・16)という書評は、私の言わんとすると
ころを適格にとらえてくれているように思います。この
獄外の市民社会においては、カモフラージュされて見え
なくさせられてしまっているものを可視的なものとする
ことが、この闘いの報告を獄外の人民に送り届ける目的
であったと言ってもいいでしょう。始めに、この書簡集
発行の計画が、獄外の仲間より提起された時に、どうひ
いき目に見ても、公表するには恥ずかしいような拙い手
紙をこのような形で出版することに心理的にかなり抵抗
があったのに、結局は、同意したのも、少なくとも、そ
れが出来ると思ったからでした。ですから、「看守の非
道を背後からそれとなく支えている現代日本の社会常
識≠も漂的として射程内にすえなければならない」と
いう杉村さんの指摘は全く正しいと思っています。そし
て、そうしようと思っていたのに、自分の気持ちをうま
く表現できず、十分に伝えられなかった自分の舌足らず
さをくやしく思っています。「看守もまた善良な市民
なのだ」ということを、その客観的反革命的あり様を免
罪することなく主張することは、難しいなァと思ってい
ます。それは一歩間違えば、免罪符になってしまい、獄
外のブルジョア市民社会に安住してしまっていを善良
な市民≠も正当化し、ごまかしてしまう危険性が強い
からです。文筆、編集、出版ということに関して、全くの
ド素人の手にかかる本なので、アラが目立つのも否定で
きないところです。杉村さんはこの点、方法の問題とし
て言われていますが、やはり、よく考えてみれば、根本
的には私たちがこれまでに築きあげてきた獄中闘争の不
十分性の問題であると受けとめています。私たちは、ま
だまだ広汎な獄中人民を組織化することもできていない

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し、獄外の広汎な人民に私たちの闘いを伝えることもで
きていません。獄中者全体から見たら、ごく一部の戦闘
的、先進的獄中者と、監獄の問題についてはよく知りつ
くしている獄外支援者とが、忙しく、めまぐるしく、自
己回転しているという運動の限界性を突破しえていませ
ん。
 獄外で戦っている諸団体、諸戦線との共闘という課題
も、課題として残されたままになっています。ある程度、
我々の闘いについて理解している人々ばかりを相手にす
るのではなく、全く何もわからない人民を相手にして、
共に闘っていくという関係性を築いていくこと、獄外で
戦っている人民との共闘という課題に応え切っていく闘
いをおし進めていく中で杉村さんの指摘された方法の問
題というのは、克服されねばならないのだと考えていま
す。そのような闘いの深化、発展が、方法の問題に解決
を与えるでしょう。
 ともすれば身体の方ばかり先走って、頭の方が身体に
ついていかないので、自分の闘いの意義などをなかなか
文章化できなかったのですが、杉村さんの指摘を受けて、
何とか日頃の思いを文章化してみましたが、うまく言わ
んとしていることが伝えられたでしょうか? さらに批
判、指摘をしていただけれは幸いです。杉村さんは、こ
の他に、反日武装戦線の闘いと論理についても言及され
ていましたが、長くなってしまいましたので、今日はこ
の辺でベンを置き、また次の機会に書きたいと思ってい
ます。乱文乱筆お許し下さい。
 寒くなりますので、くれぐれもお身体には気をつけて
頑張って下さい。

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  あとがき

 ■ 「改憲キャンペーン」「北方領土返還運動」「徴
兵制復活策動」「自衛隊海外派兵」「軍事費増大」「兵
器生産の増強」「原発建設の推進」「有事立法」「靖国
法」「元号法制化」「愛国教育」……これらは、まぎれ
もなく、日本帝国の、本格的軍事帝国へ向けての、「死
の跳躍」のあらわれである。八〇年代の世の流れが、こ
のようなものである時、私たち日帝本国人は、祖国
とはなにか?を、一人一人があらためてとらえ返す必要
があろう。祖国*h衛=侵略反革命への道なのか、そ
れとも、祖国≠ノ敵対し、日本帝国を撃ち滅ぼす道な
のか−−この遠択を、オノレの生き方の根底において、
問い返すことを避けてはならない。
 ■ ブルジョア・マスコミや一部のマルキス卜たちは、
私たちにアナーキスト≠ニいうレッテルを張っている。
がしかし、私たちは、もとより、マルキストでもなけれ
ば、アナーキスト≠ナもない。既成のイデオロギー潮
流との血統関係によって、オノレらの正当性や存在理由
を主張しょうとする発想自体、一種の権威主義であり、
「万世一系」をもってオノレの正当性とする天皇制と同
質の発想ではないだろうか。私たちは、そのような、日
帝本国内の、腐敗・堕落し切っている一切のイデオロギ
ー潮流と、はっきりと自らを区別し、その上で、マルキ
スト、アナーキスト≠フ区別なく、真剣に世界革命を
追求しようとしている人々との論争を、積極的に行ない
たいと考えている。
 なお、私たちの原則は、教条からではなく、事実から
出発し、オノレをゴマ化さぬ論理を積み上げ、一瞬も立
ちどまらぬ自己否定を通して、根源へと直進していくも
のと言える。
 ■ 私たちの考え方に対して、アナーキスト≠ニい
うレッテル張りと同時に、倫理主義≠ニか窮民革命
論≠ニいうレッテル張りも行なわれている。これらに対
する反論も、逐次、行なっていきたい。
 ■ 本書簡集に収録されている手紙の内容に対する批
判、疑問を、積極的に提起してくれることを期待してい
る。

43

 ■ 同志・友人たちに、控訴審闘争に向けての共闘・
支援を再度呼びかけたい。なかんずく、死刑・重刑攻撃
や獄中弾圧を通しての、反日思想に対する抹殺攻撃に対
して反撃するために、私たちは、今、限られた条件と時
間的な制約の下で、日々獄中闘争を闘いつつ、反日思想
を深化する作業を行なっている。同志・友人たちに要請
したいのは、
 第一に、反日思想を深化する作業を獄中獄外の共同作
業として、行なっていきたいということである。
 志≠る人、『書簡集』の内容に疑問・批判のある
人、積極的に獄中の私たちに面会。手紙を!
 第二に、図書や資料のカンパ・差入である。
 第三に、『書簡集』などのパンフ類を出版するための
資金力ンパである。
 第四に、回りの人たちに、一人でも多く、私たちの出
版物を勧めてほしいということである。

裏表紙


 PANF
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