獄外事務局あての手紙   七九年三月二十一日

 Aさんのことについて。あのあと(面会が終ってから)Aさんからお便りをいただき
ました。その前に受けとった手紙といっしょに同封しますが、このようなことは前々か
ら考えてきたことであり、奴らが獄中者組合と接触をもとうとする獄中者に対しては、
ひとつの例外もなくこうした差別弾圧をしかけてくるというのはわかりきっていたこと
です。現在、組合で斗っている仲間はこうした弾圧をもはねのけ、弾圧にも屈せず斗う
という戦斗意志を大なり小なり有して結集しているのであり、また当然ながら、こうし
た弾圧に屈してしまう人は、斗っていくこともできないわけです。そしてそのようなイ
ヤガラセを受けて黙りこくつてしまった人は多くいると思います。(たくさんの事例を
すでに知っています)
 Aさんは、斗う主体として自らを形成していくことができずに、強大な権力の前に弾
圧を回避して、アメをもらうことを選んでしまったわけですが、Aさんの“よさ”は、
自分がなぜ、組合と手を切り、私のところにも手紙を出さなくなるのかということにつ

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いて、全く本当のことをあからさまに書いてくれていることです。三月二十日にうけと
った手紙は苦笑を禁じえませんでしたが、だからといって、私たちは「ああそうですか」
とAさんのいうとおりにしていいものだろうか? ふつうこうして弾圧に屈していく人
たちは、こういうことも何もいわずに(このようなことを正直にいうことさえ弾圧の対
象となるのですから)沈黙してしまうわけでしよう? ところがAさんは、「もう手紙
は出せません」といいつつ、それは「だんねんである」といい、「さいごの手紙なので
いろいろいっぱいかいてください」という。私はこういう人を切り捨てていくことが、
今の組合の力量からしてやむをえないことなのかどうかわかりませんが、「切り捨てる」
ことは決して正しい解決の方法ではないということは言えると思います。確かに組合は
斗う獄中者の結集軸であり、慈善組織ではありません。しかし組合は、獄中の“エリー
ト”の集まりであってよいというものではなく、本来的にはAさんのような人をもまき
込んでいく全獄中者の大衆共斗組織としてあるべきものです。このような人たちに対し
て権力の弾圧に屈せずに仲間たちの団結でやり返していこう! とよびかけ、少なくと
も、組合に結集しえていない多くの獄中者に対しても、組合は、明るく戦斗的で、常に
仲間たちに対して団結の手をさしのべているのだということを、実践をもってわかって

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もらう必要があります。
 私は、今、南三舎にいて、多くの南舎の「懲役」囚の仲間たちに支えられ明るく斗い
続けています。「受刑」者の仲間たちは、まだ誰一人として公然と組合に結集しえては
いないし、戦斗的に斗ってもいません。それでも彼らは様々な方法を通して、私を励ま
してくれます。それが私にとってどんなに力と勇気を与えてくれているかということは
言うまでもないことです。私は、具体的な、直接的な結果を今すぐ期待することはあり
ませんが、それでも私なりにできる方法によって、そうした仲間たちに対し、根気強く
獄中者組合への結集をよびかけ、監獄の暴力装置としての本質をあばき、仲間たちの団
結をよびかけています。少なくとも、仲間たちが、「獄中者組合」という名前とその斗
いについて心の中のどっかに共感をもってとどめておいてくれるようにと。
 Aさんに対する組合のあり方も、基本的には同じことだと思います。Aさんに斗うこ
とを呼びかけ、団結をよびかけつつも、決してAさんが、私たちの思いどおりに斗うこ
とを当然のこととして期待してはいけないと思うのです。私たちはAさんという一人の
仲間との出会いをAさん個人との出会いとして考えるのではなく、Aさんに代表される
ような差別され迫害されてきた人民との出会いとして普遍的なものの見方をしなければ

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ならないと思います。ですから少なくとも、Aさんが自分の意志で「組合やまり子さん
のところに手紙を出さない」と本当に決めるまでは、そのような圧迫にまけないで団結
していきましようと呼びかけるべきではないでしようか? 少ない制限された力量をも
っとも有効な方法で活用するためには、Aさんのために多くのエネルギーをさくことが
できないのはわかります。しかし、彼は組合から金が差入にならなければ、切手一枚買
うことができなくなるのではありませんか? 私は、もし組合費の中からそのような金
は出せないというのであれば、獄外の一友人として、私のところに時々食糧等を差入し
てくれるお金はAさんの方にまわしてあげて下さいとお願いするしかありません。私は
いつも外の人に言ってるのですが、食糧等の差入は本当に不用なのです。今、房内に、
たくさんの缶づめや、果物やら菓子やらがおいてありますが、一方で切手もびんせんも
買うお金もなくて因っている人がいることを知りながら、こういう差入をうけとること
は「苦痛」でもあります。面会のとき、「切り捨て」もやむをえないのではないかとい
われたとき、「同意」してしまいましたが、よく考えてみるとやっぱり「切り捨て」は
よくないと思います。面会、手紙などはやめにしても、組合の文書やビラの差入、最低
限の獄中生活費ぐらいは根気づよく差入していただけないでしようか? 私の方も、簡

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単な手紙を書き、もしAさんがまた返事をくれるようなら、その返事がどんなにくだら
んものでも、やっぱり手紙だけは書いていこうと思っています。獄中者組合獄外事務局
のみなさんの意見もきかせて下さい。Aさんの問題は、これからの獄中者組合運動の中
で多かれ少なかれまたぶつかる問題であり、ここでこのような問題に関する原則的な態
度を確認しておくことは、今後の斗いの上においても大切なことであると思います。本
来は獄中獄外通信で獄中の仲間たちにも相談すべきと思うのですが、いろいろ考慮する
とやはりまずい点もありますので、事務局の“指導性”というものに委ねたいと思いま
す。
                                 荒井 まり子

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