才ちゃんへ
六月二十七日付お便りは六月二十八日に、六月二十九日付のは七月二日に受けとりま
した。六月二十七日付お便りの中で二ページめ「私は(五文字ぐらい)毎日が(四文字
ぐらい)です。そしてそれが生甲斐になっています」とヌリッブシです。ハンストの話
のつづきなので何かハンストと関係のあることでしょうか?このお便りの中にある「反
権力との斗いはまず自己との斗い」ということ「唯、頭の中で理解するのではなく、行
動で証明する」ということ全くそのとおりだと思います。頭の中でいっぱいものごとを
わかっていても、それが頭の中にある観念でしかないうちは現実は何ひとつ変わりませ
ん。もっとも大切なことは現実を変革することです。搾取、抑圧、差別、収奪……etc.
現実社会の矛盾に気づいただけではダメで、それをなくしていくように、そのような中
で苦しんでいる人民が解放され、搾取、収奪、抑圧のない世界をつくりあげるのでなけ
れば知識も何の役にもたちません。多くの人々はただ単にそのようなことを頭の中でし
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か理解せず、自分の日常生活においては全く何ひとつ変わらぬ生活を送ってしまってい
るから、ちっとも革命が達成できないのです。私たちは一にも二にも、単なる知識では
なく、斗いのための行動のための糧となる知識をこそ求めなければならないと思います。
才ちゃんは体には自信があるとのことで「二十五才の戦士」は大いにたのもしい限りで
す。将司同志も、芳正同志も健康を害してしまっているので、私はとても心配している
のです。身体が資本ですからね、鉄鎖以外に失うものの何もない人間にとっては。
七月二日受のお便りで、またまた不当ヌリッブシを知り、怒りでいっぱいです。これ
も訴訟妨害の重要な資料です。民訴については、芳正同志と将司同志とにOKをとりつ
けてきました。訴状は芳正同志がかいてくれることになりました。詳しいことはあとで
芳正同志の方から連絡あると思います。あんまり早いうちに知らせるとこの前の春季統
一斗争のときみたいに敵を利してしまうので、今はいいません。才ちゃんは、ただ指印
を押したものを芳正同志の方に送ればそれでいいようになると思います。これで私もホ
ッとしてます。身柄引受人をさがすことはできなかったけど、連絡は可能となります。
才ちゃんの裁判の方はその後何か「動き」ありますか? 上告審は書類審査のみで、あ
っという間に却下されてしまうので、却下されないうちにちゃんと手をうっておかない
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といけませんから、いつごろ「却下」されるかなど見通しがあったらしらせて下さい。
私たちの裁判は、八月〜九月頃には判決です。将司同志と片岡君は死刑判決は裁判の
前からきまっているようなもので、これは日帝国家権力の意志ですから(みせしめ報復
しなければ次々と同じような斗いのあとに続く人が出ると思っている)まちがいないで
しょう。とくに、警視庁の全精力をかけてパクった“企業爆破犯”のうち三人もとりに
がして(獄外戦線に復帰)しまったくやしさを、奴らは「残りの奴だけでも死刑にしな
ければ」しめしがつかないと思ってしゃにむにになっているわけですから、月二〜三回
の公判のペースの早さもひたすら早期極刑にむかってまい進しているというわけです。
控訴審、上告審についてもペースの早さは変わらないと思いますから、確定まであと一
年半位しかありません。その間全力尽くして、大衆的な反撃態勢をつくりあげ、絶対に
奴らに同志を殺させないようにしなければなりません。きのう七月二日公判は、山谷の
ポリを殺った磯江戦士の勾留理由開示公判と私たちの公判といっしよだったので、磯江
さんの公判に結集した仲間たちがたくさん私たちの公判にもきてくれました。ねじりは
ち巻のオッサンたちのたのもしい姿をみていると私たちもうれしくなってファイトがわ
いてきます。今後一層山谷や釜などの仲間たちとの団結を強めていこうと思います。
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私の手紙の「クソッ!」というのは、自分が才ちゃんたちのように生まれながらの正
真正銘の下層プロレタリアではなくて、下層プロレタリアートをふみつけにしてきた、
小ブルの出身であるということに対するくやしさの表現です。才ちゃんがいうように私
が学杖にいけたのはそれだけ家計がめぐまれていたからです。上へ上へと上がるにつれ
て、上へ行く奴らは、上へ行けない人民をけたおしてはいあがっていくわけです。私は
その上へ上へと上がっていってしまったダメな人間なのです。一八〜一九才頃に大学に
入ってしまってからそのことに気づいたのです。それで大学に入ってからは家からの仕
送りをストップさせ、私は働きながら勉強しました。朝四時頃暗いうちにおきて便所掃
除をやり、五時〜八時半か九時まで掃除婦をやって、九時から学校へ行き、夜五時から
七時までは家庭教師をやり、アパートにつくのは夜九時といったような生活(アルバイ
トの職種はいろいろ変わりましたが)でした。それでも、ほとんど学校へ行けず(斗争
のためにいかなかったこともあるし、大学の授業のくだらなさにあきれはてて自分の方
からいかなくなった――大学なんて本当にくだらんことやってるんですョ。大学いって
遊びほうけている小ブルのオジョーチャン・オボッチャンをみればわかるとおり)二年
位でやめてしまいました。あとは工員として町工場で働き、二一才頃になって思うとこ
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ろあって看護婦になる決心をして看護学校へ行ったわけです。看護学校というのは授業
料もなくて、寮費もタダとかいうところが多く、一種の従弟制度みたいなのが今でもあ
るのです。私ははじめそういうところを狙ったのですが、年とりすぎていたり、いろい
ろな事情でそういうところには行けずに、年二万円位の授業料を払わなければならない
国立大学に入ったのです。その間三年間は親のスネカジリです。(むろんアルバイトは
しましたが)私はこういう自分のゼイタクな環境が、抑圧されてきた人民とともに、そ
の苦しみを共有し斗っていくといったときに決してプラスとはならないことを十分承知
しているのです。つまり「苦労知らずのおじょうさん」は革命戦士としては、決してよ
いものではないわけです。しかし私はそのようなハンディを持っていても、下へ下へと
降りていってともに斗いぬくといった心、革命に対する情熱だけは決して劣っていない
と思うし、自分が努力して自己変革をするのならばどのような出身階級の人間でも、立
派な革命戦士になれると思っているので、こうして毎日、自己変革に斗っているわけで
す。
才ちゃんがいうように私は今自分が“しあわせ”だと感じられます。それは、お父さ
んお母さんがいるからでは決してなくて、ともに斗う仲間同志がおり、私自身が全生活
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を革命に捧げられると感じているからです。父や母が私たちの斗いに理解を示してくれ
ているからこそ、私は父や母に感謝しています。家族というキズナよりも何よりも、思想
性を同じくし、ともに斗える同志とのキズナの方がずっと強いのです。私は自分の力をともに
斗う人民に奉仕することで発揮していきたいと思うし、もっともっと強い人間になるた
めにがんばっていこうと思います。そのために私が才ちゃんのために力になれることが
あれば、そのために最大限の努力をしたいし、才ちゃんの力も借りたい。それがすべて
の斗う同志、仲間にいえるのだと思います。自らが身をもって苦しみを味わった人間は
他人の苦しみをも理解しうる素質があります。しかし決定的に重要なのは他人の苦しみ
を自らの苦しみとして引き受けようとする意志と感性があるかどうかです。「苦労して
きた」ということだけで自分を肯定してしまい、居直ってしまい、「オレは苦労してき
たのだから」としてふんぞり返ってしまったら、どんなに「苦労してきた」という貴重
な体験があってもそれは何もならないでしよう。オレがいじめられた分、他の人(弱い
者)をいじめてやれという人も中にはいますから、それと反対に自分が苦しみを味わっ
たことのない人間は、他人の苦しみを理解しようとする気持があっても、なかなか本当
にはそれができないものなのです。そういう意味で、私はまだまだヘナチョコやと思う
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のです。ですから、そういうところは小さい頃から辛酸をなめつくしてきた人民に学ん
でいかなければならないと思ってるのです。それで、自分が「小ブルのおじょうさん」
だったということを決して目をそらさずに見つめていき、常に自分を反省していかなく
ちゃいけないと思うのです。つまり「小ブルのオジョウチャン」だったということは、
私にとってとってもいやなことなので「クソッ」という表現になってしまったのです。
マンガの件、今忙しくてダメだけど、少しヒマになったら考えてみます。マンガでな
くても、南三舎通信だけでもまとめてパンフにしようかナと考えてます。パンフにはい
つぱいイラスト・マンガを入れてネ。それならすぐにでもできるので、本気で考えよう
と思ってます。あんまりくわしいマンガかくとマンガが全部ヌリッブシになる(以前、
私のかいたマンガが救援にのったら全部ヌリッブされたこともあるし、手紙にマンガか
じゃあ、またね! 次回公判、七月十六日午前。

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