雑   報      七七年八月

▼八月八日、朝のど痛から始まり、八月九日から頭痛、胃痛、腰痛、腕・脚の関節痛、
下痢と風邪の症状ひどくなる。おまけに暑さはどこかへ行ってしまい夜は寒くて眠れず
八月九日はやむをえず敷ぶとんをかぶって寝る。八月十日、医に要求して毛布一枚入る
が、それが何と、穴のあいたスケスケ毛布のうえにクモの巣がついているというヒドイ
シロモノ。日中寒いのとかったるいのとで横になって毛布をかぶっていると、カメレオン
が「起きろ」とうるさく、抗議すると「指示に従わないのだな。それならば処罰するま
でだ」などとドーカツ。八月八日から要求している官衣(上着と下着各一枚)は、ずー
っと入らず、毎日抗議要求するが女看守は「聞いてみる」「言っておく」々いうアイマイ
な返事をくり返すのみ。八月十一日に足が冷えるのでソックスを要求したら、「貸与す
るソックスはない。必要があれば、差入してもらえ」という。抗議し、「それでは私は
風耶を悪くしないように足に毛布をかけざるをえないが、毛布をかけていても決して文
句は言わないのだな。」と言うと奴は「それとこれとは違う。毛布をかぶっていれば規
則違反だ」! まったく奴らのやり方とは、いつもいつもこうなのだ。官衣は、八月十

                   73P

三日夕方になってやっと、穴のあいたメリヤスの半袖シャツを持ってきたが、この日た
った一枚のランニングシャツを洗たくに出したので、官の上着一枚ですごさざるをえな
くなり、せっかく快復していた風邪がまたぶり返してしまい頭痛・胸痛に悩まされる。
獄中にきてからはめったに風邪もひかなくなったのだが、ハンストで身体の調子がくず
れると、その後にスキをみせてしまうのか、どうも今回は調子がよくない。(ハンスト
中も毎日冷水マサツは欠かさなかったのだが……)もっともっときたえねばと反省して
います。こんな調子では、この冬を官衣でのりきることは、困難になってしまう、獄の
厳寒にも耐えうる体力づくりに頑張らなくちゃあ、です。私のように普段どこも悪くな
く健康そのものの者でさえこうなのだから、持病を持っている人、身体の弱い人(獄中
には獄外での生活のひどさ故に、身体を悪くしている人が驚くほど多い)老人などは毎
日毎日どんなにくやしい苦しい思いをしているかと思うと、まったく腹がたってきて仕
方ありません。

                   74P

 七七年九月三十日
 九月二十八日、PM五時の「夕焼けワイド」の中で「日本赤軍がハイジャックした日
航機がダッカに着陸」というニュースを聞く。その後、ずっとラジオを消さないように
注意。7時のニュース時「日本赤軍がパリ発日航機DC8型を、インドボンベイからタ
イバンコクへ向かう途中でハイジャック、バングラデシュのダッカに到着(PM二時半)
日本国内で勾留されている日本赤軍ゲリラの釈放を要求している。釈放を要求している
者の氏名は」のところで突然プツリと切れる。ドアを叩き、報知器を下ろして抗議「不
当な報道管制をヤメロ!なぜニュースを切ったのか!ちゃんとニュースを聞かせろ!」
と叫ぶ。看守に「ラジオを途中で切った理由を説明しろ」と要求、酒井(女性)看守は
「聞いてくる」といいつつ、担当台のところでウロウロしているので、「さっさと聞い
て来い」とさんざん抗議したあげくに、やっと電話をした。切れていた間は1分程度で
すぐにニュースは再開した。我々が抗議を開始した頃には(ニュース終了後十分位か?)
男看守が廊下をウロウロしているのがわかる。(ヌリツブシ)看守が「聞いてくる」と
の口実で、また暴力団を呼びに行ったのかと思ったが、それにしては様子が変である。

                   75P

(ヌリツブシ)看守が「答える必要がないということだった」との“回答”(!)をもって
くる。「答える必要がないというのなら、その理由を説明せよ。」「たった今、ニュー
スを切った奴がいても、その理由を説明できる奴はいないのか。こんな時間にタイキさ
せる暴力団は多勢いても、獄中者に説明できる奴は一人もいないのか」と抗議。すると
何と(ヌリツブシ)がやってきて、何やらゴチャゴチャ奴一流の二枚舌を使って言って
くる。奴は、平常月曜〜土曜までの日勤で、我々が保安房にぶちこまれたりした時以外
は、PM五時過ぎには現われないのである。廊下をのぞくと房の前に保安課長がいる。
「保安課長がわざわざ来ているのなら、ちやんと説明せよ。」とくいさがると、奴は、
聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で「キチガイ!キチガイ!」とブツブツいって
いる。奴は激しい憎しみをその目にたたえており(いつも敵意に満ちた目をしているが
この日の奴の目の色は通常とは又違っていた)耳には、トランシーバーか携帯ラジオか
知らぬが、イヤホンをつけている。他にカメラ映写機をかかえた看守もウロウロしていた
のを確認。私が、「保安課長は答えろ」と言っているのに対して、(ヌリツブシ)は「保
安課長などいない」などとウソ八百を並べたてる。そして「機械の故障だろう」云々の
ミエミエのウソを、よくもはずかしくないとあきれてしまうほどミエミエのうそをつい

                   76P

て、グダグダと弁解。機械の故障の場合は、今までの例では聞けば「機械の故障である」
とハッキリと答えてくるのです。 「機械の故障ならば、さっき消えた部分の内容を全
獄中者に謝罪して放送せよ。それができなかったら九時のニュースを聞かせろ。野球放
送(七時十分〜九時まで)の間、臨時ニュースが入ってもそれを消さないと約束せよ」
と要求。奴は、「オレにそんなこといわれてもわからん。そうだな。今後そのようなこ
とのないよう申し入れをしておく。二階三階の君らのいうところの仲間が“ウルサイ”
と迷惑しているのだから、静かにしろ」などと、何やらなだめすかす態度に出る。ニュ
ースを消されて迷惑しているのは全獄中者だ!その後、野球放送の間のニュースで「奥
平純三の奪還を、日本赤軍が予告していた」という部分があったがノーカット。
九月二十九日、昼十二時〜十二時半はふつう文化放送のダイナミックレーダー、三時〜
三時半はFM東京の歌謡バラエティーの生放送であるのに、両方とも録音の歌謡曲を流
す。「なぜ、いつもと違う番組を流すのか。ちゃんと生放送を流せ。不当な報道管制は
ヤメロ!」と抗議。へリはAM九時半頃から、午前中いっぱい東拘の上を旋回。夕方ま
でには情報が入る。夕方五時以降は通常と同じく「夕焼けワイド」(文化放送)、「夕
べの広場」(NHK・FM)「ニュース」を流し、報道管制なし。七時のニュースでは

                   77P

「日本赤軍が期限時間を十九時間延長した。奥平純三ら九人の釈放要求」というような
ことを流す。
朝日新聞九月二十九日は、即日入る。スミぬり部分は、以下のとおり。

p78

                   78P

 九月二十九日は朝からずーつと担当看守(ヌリツブシ) に対して「きのうの報道管制
について説明しろ」と要求しつづけてきたが、夕方点検時にも口々に抗議。私は「きの
うの七時のニュースで、東拘当局が不当にもニュースをカットしたが、そのニュースは
日本赤軍が釈放を要求している獄中者の氏名でありそれは以下のとおりである。」とし

                   79P

て9名の名前を読みあげ、「日本政府は直ちに要求を受け入れて、釈放せよ。東拘当局
は不当な報道管制、新聞記事のスミヌリをヤメロ!」と抗議した。奴らはこの日は何故
か、挑発的に出ることなくひかえ目であり、(いつもならば、主任や区長が、点検につ
いてきて、我々が何かを言うと何やかやとドーカツを加えてくるのだが、それがなかっ
た)看守どもの態度も何やらひかえ目でビビつているような様子がハッキリと現われて
いる。ふだんの日であれば、保安房にぶちこまれるかあるいは少なくとも「ぶちこむゾ」
というドーカツがあるのに、この日はなかった。(もっとも明日の公判のことがあって
ぶちこみたくてもぶちこめないのかもしれないが。)獄中会議に対しても、いつもなら
必死になって妨害するのに、話させておいて情報をスパイするという方針がアリアリと
見えた。

                   80P

 七七年十月十一日
 九月三十日、AM十二時三十分、私の房のノゾキ窓のフタをガムテープでペタペタと
貼る音が聞こえたので注意していると、どこかのドアをあける音と保安看守長らしき男
のおし殺したような声がブツブツと聞こえてくる。続いてあやちゃんの低いがはっきり
した声で「何だよ。こんな時間に話があるというのなら、そっちから来るべきじやない
か」というのが聞こえる。私は、すぐにでも行くのかなと思い、あやちゃんに「何かあ
ったら声をかけてくれるように、私は寝てはいないから、少々声を出しても連絡をとり
あおう」と伝えたく、看守に「こんな真夜中に呼び出すなんて失礼じやないか。用事が
あるのなら、こちらへ来て話すべきだ」という。奴らは黙ったままだ。その後足音がし
て、ドアがバタンと閉まり静かになったので、あやちゃんが出ていったのがわかる。廊
下には、担当の看守部長(ヌリツブシ)と♀看(ヌリツブシ)がウロウロしている。三
十分位してあやちゃんがもどってき、今度はゆきちゃんの房のところでゴソゴソ。ゆき
ちゃんが保安看守長と(ヌリツブシ)看(いずれも声で判定)につきそわれて出ていく。
私の房の前には(ヌリツブシ)看がピタリとついている。あやちゃんが「まりちゃん」

                   81P

と一声かけたが、私の返事が聞こえなかったのか、思い直したのか、そのまま黙ってし
まう。一時四十分ゆきちゃんが帰ってくる。あやちゃんの時より少々時間が長かったも
よう。ゆきちゃんが帰ってきてからは、男看守は姿を消し女看2だけになったので、今
夜は“動き”はないのだとわかる。が、そのまま朝まで緊張しっ放し、注意は両耳に集
中。
 AM七時二十分頃、主任が点検にくる。昨夜ローカをウロウロしていたため(ヌリッ
ブシ)は休みらしい。いつもより点検、朝食の時間が遅い。その前に六時半の2F3F
の仲間たちの起床で「オハョー」と声をかけあった後で、ゆきちゃん、あやちゃんから、
昨夜(けさ?)の様子を聞いていたので、今日の公判は、流れるかもしれないとの察し
はついている。看守が「診察、針、ひげそり」の注文をとりにきたので(公判で出廷す
れば当然できない)いよいよ「これはおかしい」と思っていたら、案の上、女区長、主
任が来て「昨夜遅くに裁判所から連絡があって、本日の公判期日は職権をもってとり消
すとのことである。」と告知。入浴日にあたっていたために、蒸気の音と、ヘリ、右翼
のスピーカーで騒々しい。何を言っているかは全くわからない。看守も一日中あわただ
しい。午後一時頃、主任があやちゃん、ゆきちゃんに「勾留更新決定」を告知する。こ

                   82P

の日は私の勾留更新であったのだが、彼女たちと私とは、勾留更新の日付が違っている
ハズであって、今頃「更新」をしてきたのは、奴らの小汚ない思惑があるのだろう。通
常の勾留更新は必らず朝点検後に告知される。夕方までには、ローカにはあやちゃん、
ゆきちゃんの荷物をつめこんだダンボールが並ぶ。十二時、三時の三十分ずつの放送は
録音テープに切りかえられるが、五時以降はふつうどおり、七時のニュースもノーカッ
ト。ニュースで「釈放された人たちを運ぶ飛行機は本日深夜〜明日早朝にかけて羽田を
出る予定」というのを聞く。ゆきちゃんは、九月二十七日の保安房へのぶちこみ以来発
熱が続いており、(九月二十九、三十日とも三七・八度)昼間の診察で風邪だから抗生
物質を投与しようか」(医は「○○をする」と断定はせず、必らず「○○しようか」と
疑問形で患者にきいてくる)といわれたとのこと。「風邪に抗生物質出してもしようが
ないし、安易にそんなもの使わない方がいいから、解熱剤の注射を要求した方がいいの
じゃない」とアドバイス、夕方頃、肩に筋注したとのこと。七時のニュースのあと「具
合はどう? 深夜〜明け方ということであれば、昨夜は眠ってないのだから早く寝てコ
ンディションを整えておいた方がいいわよ」と言うと、「注射のあと、熱っぽい感じが
とれてだいぷ楽になったわ。今はもう荷物は何もなくてきのう差入になった書簡コピー

                   83P

をまだ読んでいないのでこれだけを読んでいるところよ。」という。「同志たちに特に
伝えたいことはあるか」と聞くと「KAZの闘いを最後まで堅持しよう」という。話し
たいことがたくさんありすぎて、何をいっていいかわからないのだ。そしてお互いに何
を言いたいのか胸の内は言葉に表わさなくてもわかりすぎるはどわかっている。「二人
の分もあわせて闘うわ。こっちはまかしておいて!」「まりちゃん手を握りたい!」
これ以上はコトバにならない。「じゃあ、早く休んで。お休みなさい」「おやすみ」こ
れが最後である。私も、九時前にフトンに入ってしまい、眠ってしまった。あやちゃん
とは房が離れていて話せなかった。
 十月一日AM二時二十分、「まりちゃん、いくわね!」というあやちゃんの声で目が
さめる。あわててとびおき、ドアにむかって「あやちやん、元気で!」と答える。続い
てゆきちゃんが、「まりちゃん、さきにいくわね」 彼女たちのあいさつは、公判日に
先にバスに乗って裁判所へ行くときとまったく同じだ。「オウッ! ガンバロウ。」「体
に気をつけて。」「闘いの中で合流しよう」「アンニョン〜」腹のたっことに、こ
んな時でさえ、奴らは私の房ののぞき穴にガムテープをはりつけて、その上体でたちふ
さがり、同志の姿を一目見ることさえも妨害している。これも奴らのイヤガラセおさめ

                   84P

だ。紙袋をかかえてスタスタと歩く、聞きなれた足音が南三舎のドアのむこうに消える。
ひとりでに、口元の筋肉がゆるんでくる。耳をすましていると、正門の方で車の排気音
がし、三十分後にはヘリもとんできたようだ。外でスピーカーの声が低く聞こえる。右
翼は寝ずに妨害してるのだろうか。同志たちの無事を祈るのみ!
 (九月三十日江口良子さんより「ダッカン・カイホウトウソウノセイコウヲイノル」
という電報と、同趣旨のハガキ落手)残ったものの責任の重さをひしひしと感じる。国
境を越えとびたっていった戦士たちの分も、戦わねばならない。十月一日の朝は、闘い
の成功を祈り祝福するかのような秋晴れである。今頃、彼・彼女たちは、まっ青な空の
上だろうか。朝、ゆきちゃん、あやちゃんの「オハヨー」という元気な声がきこえない
ことが、こんなにも胸をときめかすものだとは!
「日本」赤軍の同志奪還闘争万歳! 日帝はあらゆる妨害、報復、弾圧をやめろ! 全世
界の帝国主義者どもとそのカイライどもは報復弾圧をやめろ!
 十月十一日AM九時 では、報告まで。          まり子

                   85P

p86

                   86P


目次へ inserted by FC2 system