平成14年(う)第2807号                     被告人  浴田 由紀子 控訴趣意書  被告人に対する爆発物取締罰則違反、殺人未遂、偽造有印私文書行使被告事件に関し、弁護人の控訴の趣意は下記のとおりである。 東京高等裁判所 第8刑事部 御中  2003年8月30日 弁護人  寒竹 里江 凡 例  本文中の証拠の標目等については、原則として左欄の標目等につき、右欄の略称を用いることとする。 検察官作成の被疑者供述調書 | 検面調書 司法警察員作成の被疑者供述調書 | 員面調書 検察官請求証拠(甲号証) | 甲 検察官請求証拠(乙号証) | 乙 弁護人請求証拠 | 弁 被告人質問における供述調書速記録 | 被告人公判供述調書 証人尋問調書速記録 | 証言調書 目 次 第1 控訴趣意について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第2 訴訟手続の法令違反(刑事訴訟法379条)・・・・・・・・・・・・2  1 連続企業爆破事件について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2  (1) 超法規的措置による釈放後の勾留・訴訟継続の違法性・・・・・・・2 1) 原判決の判断・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 2) 具体的経過・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 3)「超法規的釈放」の法的効果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4   @  釈放当時の状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4   A 「永久釈放」の効果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7   B 審理遅延の情状面での評価・・・・・・・・・・・・・・・・・・8  (2) 捜査段階供述調書の「任意性欠如」と証拠能力なき証拠採用の違法性10   1) 逮捕から自白に至る経緯と被告人の心理状態・・・・・・・・・・・11   2) 原判決の判断・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17   3) 原判決の任意性認定の誤り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18   4) 弁護人らの主張に対する原判決の評価の誤り・・・・・・・・・・・24   5) 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27  (3) 証明力なき供述調書の証拠採用の不当性・・・・・・・・・・・・・28  2 偽造旅券行使事件における訴訟手続の法令違反・・・・・・・・・・31  (1) 原判決の判断・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31  (2) ルーマニアにおける身柄拘束の異常性・・・・・・・・・・・・・・33 (3) 強制送還の違法性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35   1)「強制送還」の法的根拠・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35 2)「強制送還」手続きは被告人に対する強制そのものである・・・・・36  (4) 違法収集証拠の証拠採用の違法性・・・・・・・・・・・・・・・・39 第3 事実誤認(刑事訴訟法第382条)・・・・・・・・・・・・・・・41  1 連続企業爆破事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41  (1) はじめにー「大地の牙リーダー齋藤」の主導性について・・・・・・41 1)  リーダー齋藤の存在と死亡・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 2) 齋藤の活動歴・思想形成の過程・・・・・・・・・・・・・・・・42 3) 齋藤の反日武装闘争グループ組織形成・・・・・・・・・・・・・44 4) 齋藤の被告人に対するオルグ(組織化)・・・・・・・・・・・・・45  (2) 三井物産爆破事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51 1) 被告人の関与の態様・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51   @ 原判決認定に対する批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51   A 被告人の捜査段階供述には虚偽の自白が含まれ信用性を欠くこと・54   B 被告人の現実の関与の態様・内容・・・・・・・・・・・・・・・57   C 被告人の公判段階における供述の信用性・・・・・・・・・・・・59   D 第三者の存在に関する補足・・・・・・・・・・・・・・・・・・63   2) 殺意及び「人の身体を害する目的」の不存在・・・・・・・・・・・67   @ 殺意及び人の身体を害する目的の有無に関する原判決の判断・・・67 A 被告人らには「未必の殺意」も「未必の他害目的」も存しないこと 69    a. 爆破の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69 b. 予告電話の架電・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71    c. 予告電話の架電時刻の設定等・・・・・・・・・・・・・・・・73    d. 爆発時刻の設定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・77    e. 爆弾の設置場所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78    f. 爆弾の威力についての認識・・・・・・・・・・・・・・・・・78    g.  爆弾の性格・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80    h. 負傷者の発生原因・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・81 i. 総括内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82 B 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82 (2) 大成建設爆破事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83 1) 原判決の認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83 2) 原判決認定に対する批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85 3) 被告人の主張と被告人公判供述・・・・・・・・・・・・・・・・89   @ 被告人の公判供述・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・89   A 原判決の被告人供述の信用性否定に対する批判・・・・・・・・・90 4) 被告人の関与の態様・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・99   @ 第三者の存在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100   A 被告人の立場及び生活状況・・・・・・・・・・・・・・・・・100   B 被告人の事件当日の行動・・・・・・・・・・・・・・・・・・101   C 爆弾の製造への不関与・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105   D 調査・下見・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105   E 声明文の封筒の宛名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・106   F 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・106 5) 殺意及び「人の身体を害する目的」の不存在・・・・・・・・・・107   @  殺意及び人の身体を害する目的の有無に関する原判決の判断・107 A 被告人らには「未必の殺意」も「未必の他害目的」も存しないこと110 a. 爆破の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110 b. 予告電話の架電・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111 c. 予告電話の架電時刻の設定・・・・・・・・・・・・・・・・111 d. 爆発時刻の設定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・115 e. 爆弾の設置場所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・115 f. 爆弾の威力についての認識・・・・・・・・・・・・・・・・116 g. 負傷者の発生原因・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・116 h. 総括内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・117 B 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・117  (3) 間組同時爆破事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・118   1) 原判決の認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・118   @ 被告人と共犯者らの間組事件に関する謀議状況等・・・・・・・・118   A 手製雷管の製作等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・120   B 大地の牙グループ内における謀議状況・・・・・・・・・・・・120   C 爆弾の製造状況等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・120   D 爆弾の運搬設置状況等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・121   E 3グループによる総括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・121   F 共謀共同正犯の成立認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・121   2) 原判決の認定誤り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・122   3) 共謀の不存在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・122   @ 3グループの関係について・・・・・・・・・・・・・・・・・122    a. 闘争の対象目的の違いー”大地の牙”と”さそり”・・・・・・・122    b. 組織形態の違いー”狼”と”さそり””大地の牙”・・・・・・・123 A 共謀の不存在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・124 a. 間組本社6階、9階に関する共謀・・・・・・・・・・・・・・124 b. 被告人の公判供述とその信用性・・・・・・・・・・・・・・124 c. 被告人の捜査段階の供述の信用性欠如・・・・・・・・・・・126 d. 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・128   4) 爆弾製造への不関与・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・129 5) 大宮工場に関する「人の身体を害する目的」について・・・・・・131 @ 原判決の認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・131 A 旧統一公判判決・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・133 B 爆破目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・133 C 設置場所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・134 D 予告電話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135 E 被告人の供述・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・136 F 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・136  (4) 韓国産業研究所事件、オリエンタルメタル事件・・・・・・・・・137   1) 原判決の認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・137   2) 捜査段階及び公判段階の被告人供述の検討・・・・・・・・・・・138   @ 否認の後の自白の内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・138   A 原判決の捜査段階供述への評価・・・・・・・・・・・・・・・142   B 捜査段階供述の変遷と信用性欠如・・・・・・・・・・・・・・142   C 被告人の公判供述の内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・147   D 捜査段階供述・公判段階供述の各信用性検討について・・・・・149   3) 大地の牙の組織構成・構成員数と被告人の関与・・・・・・・・・149 @ 本件における「関西グループ」の関与・・・・・・・・・・・・・150 A 本件における被告人の役割・・・・・・・・・・・・・・・・・154 a.  韓産研事件における役割・・・・・・・・・・・・・・・・・154 b. オリエンタルメタル事件における役割・・・・・・・・・・・154    c.  被告人の役割に関する原判決の認定の不当性・・・・・・・・155 4) 「人の身体を害する目的」について・・・・・・・・・・・・・157    @ 韓国産業研究所爆破事件について・・・・・・・・・・・・・・157    a. 原判決の認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・158    b. 旧統一公判判決・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・159    c. 下見調査の結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・159    d. 設置場所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・160    e. 被告人の供述・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・160    f. 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・161    A オリエンタルメタル爆破事件・・・・・・・・・・・・・・・・162 5) 本件両事件は泳がせ捜査の中で発生した・・・・・・・・・・・163  2 偽造有印私文書行使被告事件について・・・・・・・・・・・・・164  (1) 原判決の認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・164  (2) 原判決批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・166 (3) 「行使」の証明のないこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・168  (4) 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・171 第4 法令適用の誤り(刑事訴訟法380条)ー爆発物取締罰則の違憲性173 1 原判決の認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・173  2 爆発物取締罰則の制定過程の瑕疵・・・・・・・・・・・・・・・174  3 原判決判示の誤りと爆発物取締罰則の違憲性・・・・・・・・・・175 第5 量刑不当(刑事訴訟法381条)・・・・・・・・・・・・・・・・176 1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・176 2 原判決の指摘する個別の情状事情について・・・・・・・・・・・177  (1) 本件の動機に関して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・177 (2) 本件事件の計画性、組織性・・・・・・・・・・・・・・・・・・179 (3) 本件の物的、人的被害及び被害感情、慰謝の措置のないこと・・・180 (4) 被告人の果たした役割・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・182 (5) 本件が社会に与えた影響・・・・・・・・・・・・・・・・・・・183 (6) 偽造有印私文書行使について・・・・・・・・・・・・・・・・・186 (7) 「被告人の不合理な弁解」について・・・・・・・・・・・・・・186  (8) 被告人の立場の従属性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・187 (9) 未必の殺意にとどまっていたこと・・・・・・・・・・・・・・・189 (10) 予告電話について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・190 (11) 捜査段階の全面自供、公判段階における謝罪、反省、後悔の念、被告人の自己批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・192 3 本件量刑判断は他の類似事件との均衡を失すること・・・・・・・194 (1) 明治公園爆破事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・194 1) 事案の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・194   2) 明治公園爆破事件の犯情は、大地の牙事件よりもはるかに悪質であること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・195   @ 被害結果の比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・195   A 犯行態様の比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・196   B Kに対する量刑との比較・・・・・・・・・・・・・・・198   C Iに対する量刑との比較・・・・・・・・・・・・・・・198 (2) 連続交番等爆破事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200 1) 事案の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200 2) 連続交番等爆破事件の犯情は、大地の牙事件よりも悪質であること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・203   @ 被害結果の比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・203 A 犯行態様の比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・204 B Mに対する量刑との比較・・・・・・・・・・・・・・・205 C N、Lに対する量刑との比較・・・・・・・・・・205   (3) 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・206 4 算入されるべき未決勾留日数が少ないこと・・・・・・・・・・・207 (1) 本件起訴日から判決前日までの日数・・・・・・・・・・・・・207 (2) 原審での実質公判回数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・207 (3) 算入されるべき未決勾留日数の計算・・・・・・・・・・・・・207 5 原判決後の事情(被告人の謝罪の手紙)を当審において考慮すべきこと   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・208 第6 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・210 第1 控訴趣意について    原判決は、被告人は、本件各訴因について有罪であるとして、被告人に対し、懲役20年の実刑を宣告したが、原判決には、訴訟手続その他法令に関する解釈適用を誤り、更には、証拠の取捨選択及び評価を誤った結果、    @ 判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある。    A 判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。    B 判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある。    C 刑の量定が不当に重い。 ので破棄を免れない。 第2 訴訟手続の法令違反(刑事訴訟法第379条)  1 連続企業爆破事件について  (1) 超法規的措置による釈放後の勾留・訴訟継続の違法性 1) 原判決の判断   本件各公訴事実のうち、いわゆる連続企業爆破事件に関するものは1974年10月14日から1975年4月19日の間のものであり、本件についての最初の被告人の逮捕は1975年5月19日であった。   しかしながら、原判決が下されたのは、2002年7月4日であり、本件発生から、実に27年余が経過した後である。   かかる事態は、被告人が、所謂「ダッカ事件」において、「超法規的措置による釈放」を受けたため、18年余の期間裁判が中断したことによるものである。   この点、原判決においては、    「1 法務大臣の命令による被告人の釈放について       本章第一の二の各事実を前提に検討すると、昭和五二年一〇月の日本国政府による被告人の釈放は、日本赤軍と名乗る者らによって人質とされた多数の者の生命を守るため、緊急事態の下で、実定法規に基づかずにやむなく執られた措置であって、政府の側に責められるべき事由はなく、その際の政府や検察官の対応にも、被告人を永久に釈放するという意思を窺わせる事情は見いだせず、ましてや、被告人の釈放によって訴追側が公訴権を放棄したなどと解すべき事情は存しない。     2 審理の長期中断について       確かに、本件の審理は、本章第一の二のとおりの経緯により約一八年もの長期間中断して遅延したが、これは、日本赤軍と名乗る者が日本国政府に被告人の釈放を要求したことが契機となり、これを受けて被告人自身の意思で出国したことが直接の原因となったものである。また、審理中断中の被告人の行動の詳細は不明であるが、被告人の供述等によれば、被告人は、自己の意思で日本赤軍の構成員となって中東等で活動していたことが認められ、その間、被告人が他者に拘束されていて帰国を望んでも実現のすべがなかったとか、日本国政府が被告人の帰国を妨害したなどという事情が窺われないことからすると、被告人は自らの意思で国外に居続けたものと評価することができる。       結局、審理遅延の主な原因は被告人の側にあったというべきであり、このような場合、迅速な裁判を受ける被告人の権利が侵害されたということはできない。」(以上原判決41、42頁)    と判示されている。     しかしながら、このような判断は、憲法31条の定める適正手続規定の趣旨に照らしても、疑義の存するところであると共に、「日本国政府の判断による超法規的釈放」であるにもかかわらず、「被告人自身の意思で出国したこと」「自らの意思で国外に居続けた」、「審理遅延の主な原因は被告人の側にあったというべき」として、釈放の結果を被告人の責めに帰するかの如き判断を示している点において、不当と言わざるを得ない。     以下、詳述する。 2) 具体的経過    上記公判中断の具体的事情は次のとおりである。 @ 本件においては、1975年、連続企業爆破事件に関する各公訴事実について公訴が提起され、公判が開始された後、1977年10月14日の第26回公判を最後として、審理が事実上中断され、その後1995年11月28日第27回公判が開かれるまでの間、18年余の長年月にわたり、全く審理が行なわれないで経過した。 A 当初本件審理が中断されるようになったのは、1977年9月28日、前記ダッカ事件が発生し、同年10月2日、バングラデシュ・ダッカ空港に駐機中の日本航空特別機機内タラップ手前において、被告人の身柄が、閣議決定に基づき日本国政府によって釈放され、日本国政府発行の旅券を渡され、バングラデシュ当局に身柄を引き渡されたためである。 B その後、本件審理の中断が長期に及んだにもかかわらず、検察官から被告人を召喚するなどの積極的な審理促進の申出がなされたことはなかったことについては争いがない。 C その間、被告人は海外におり、審理促進に関する申出をしたことはなかったが、これは後述のとおり被告人においてもはや本件公判が再開されることはないと考えられていたためであり、被告人が積極的に逃亡し、または、審理の引延しをはかったことによるのではない。  これら事実関係から明らかなように、検察官の立証段階でなされた本件審理の中断は、あくまで検察官・法務省・日本国政府の事情でなされたものであり、18年余の長きにわたる審理の中断につき、被告人が原因を与えたものではない。 3)「超法規的釈放」の法的効果 @  釈放当時の状況   そもそも、「超法規的措置」とはいえ、国内的な手続としては行政の最高機関たる内閣の閣議決定により、法務大臣の命により合法的手続により釈放されたものであることには争いはないはずである。即ち、本件釈放は、違法なものとしてこれを扱うことはできない。   この点、原判決は、「緊急事態の下で、実定法規に基づかずにやむなく執られた措置」であり、「その際の政府や検察官の対応にも、被告人を永久に釈放するという意思を窺わせる事情は見いだせ」ないとして、本件釈放は、「永久的な釈放ではなく、緊急的・一時的釈放に過ぎない」と認定する。   そこで、本件当時、その釈放が、一時的なものとしてなされたのか、永久的なものとしてなされたのかが問題となる。   まず、「日本赤軍」の日本国政府に対する釈放要求の趣旨が、一時的な釈放要求ではなく永久的な釈放であったことは明らかであり、日本国政府も上記要求を永久的な釈放要求として理解し、閣議決定によりこれを受け入れたことは明白であると言わなければならない。   何故ならば、当時の政府の新聞発表等においても、この釈放が「一時的」なものではなく、「永久的なもの」であることは、誰にとっても、当然の前提となっていたからである。   このことは、法務当局の被告人に対する意思確認手続においても具体的に現れている。1977年9月30日午前1時頃、法務当局は東京拘置所内において、東京拘置所所長立会の下に浴田被告に対し、「日本赤軍」からの同被告に対する釈放要求があったことを伝え、政府がこの要求を受け入れた場合に同被告が出国する意思があるか否かの確認を行っている(第35回被告本人、第89回村田恒証人)。この確認作業には、被告人の取調担当であった村田恒元検事(以下、「村田元検事」或いは「村田証人」という。)も同席していた。彼らは被告人の出国意思の有無の確認作業の中で、彼らが同被告に対して述べていたことは、「出国したらもう2度と日本に戻ってこれないということ」であって、これが「一時的」な釈放などとは一言も言ってないのである。   村田元検事自身、被告人が出国した場合、「これは、ちょっと帰らんと思いましたね。」、裁判も「帰ってこない以上は、無理だろうと思ってましたね。」(第89回村田証言調書野田速記官部分18、19頁)と考えていたものである。   即ち、起訴権限を有する検察当局もまた、一時的な釈放ではなく永久的な釈放であることを前提として、被告人に対し出国意思の有無の確認をなし、しかも、被告人の釈放を認めたものである。   そして被告人の具体的釈放手続の中で、外務省は同被告に対し、正規の旅券を発給したが、その際にも、この釈放が「一時的」なものであるなどというような説明を一切していない。   更に、日本国当局が、ダッカにおいて、被告人を釈放する時点においても、当局は、その釈放が一時的なものであるとの説明や、次回公判期日への出頭要請等については、一切行われていない。   また、釈放後、被告人らがアルジェリアに入国したことが確認された後も、日本国政府はアルジェリア当局に対し、同被告人らの身柄引渡請求を行った事実はない。もし被告人らの釈放が「一時的」なものであったとするのならば、日本国政府としては、その請求が容れられたかどうかは別として、少なくともアルジェリア政府に対して身柄引渡請求をなすべきであったはずである。  以上の諸事実を総合判断すれば、ダッカ事件当時、日本国政府は、被告人を永久釈放する意思のもとに「日本赤軍」の要求に応じ、実際にもその趣旨で被告人を釈放し、被告人自身も同様の理解のもとに釈放されるに至ったことは明らかである。 A 「永久釈放」の効果   本件「超法規的措置」による浴田被告の釈放が一時的なものではなく、永久的なものであるとして、その場合、検察官の浴田被告に対する公訴権はどうなるのか。   そもそも、刑事訴訟法上、裁判の執行は行政庁たる検察官の指揮により検察事務官または司法警察員がなすべきものとされ、他方、行政庁たる検察官は公訴権、即ち公訴を提起・追行する権能を独占するものとされている。かかる制度は、権力分立という憲法の原則の具体化の一環として、裁判権を裁判所に付与しつつ、手続上その前後を占める公訴権及び裁判の執行権を行政庁たる検察官に付与したものである。   そして、適正手続の保障下における刑事訴訟制度が、人権保障機能を旨とするものであることからすると、行政庁は公訴権及び裁判の執行権を統一的に行使すべき原則的義務を負っているものであり、これらの権能の行使に保障機能を阻害する方向での矛盾抵触があってはならない。   そうだとすれば、起訴権限を有する検察官が被告人の意思を確認した上で釈放に合意し、行政庁は被告人を永久釈放したのであるから、これに対する勾留の裁判の執行を放棄したというほかなく、勾留が被告人の公判への出頭、刑の執行の確保、適正な裁判の実現を図る強制処分である以上、その執行の放棄は勾留の目的たる公訴権行使をも放棄したものであると言わざるを得ないのである。   この点、原判決は、「その際の政府や検察官の対応にも、被告人を永久に釈放するという意思を窺わせる事情は見いだせず」として、永久釈放と公訴権放棄の事実を否定するが、検察官自身が、被告人の釈放を「永久釈放」と考え、「訴追・審理の継続」を断念したことは、前述村田証言のとおりであり、また、検察庁においては、釈放により、「公訴権が消滅するのか放棄するのか」は「考えていない」「分からない」(第89回村田証言調書野田速記官部分20頁)ということであり、つまるところ、検察官、検察庁として、「公訴権を維持するために、どのような手続を採るべきか?」「超法規的釈放の性格と効果を如何に見るべきか?」といったことを一切検討していないのは、公訴権を維持継続する必要性を認めていなかったからに他ならない。   行政庁が勾留の執行を放棄する旨の処分をなした以上、これに矛盾抵触する公訴権を行使することは適正手続の保障に反し許されないのであり、当時の検察官・検察庁は、その点を認識していたものと考えざるを得ない。   従って、本件各公訴事実についての公訴権は既に放棄されているのであり、裁判所は刑事訴訟法338条1号または4号に基づき公訴棄却の判決を言い渡すべきである。 B 審理遅延の情状面での評価   仮に、上記弁護人の公訴棄却の主張が容れられないとしても、超法規的釈放とそれによる審理遅延の事実は、情状面において考慮されるべきである。   原判決は、「被告人自身の意思で出国したことが直接の原因となったものである。」「被告人が他者に拘束されていて帰国を望んでも実現のすべがなかったとか、日本国政府が被告人の帰国を妨害したなどという事情が窺われないことからすると、被告人は自らの意思で国外に居続けたものと評価することができる。」「結局、審理遅延の主な原因は被告人の側にあったというべき」とするが、このような評価は不当である。   被告人は、自ら逃亡を企てたものではなく、「超法規的釈放を受けた者」である。しかも、この「超法規的釈放」は、「永久的釈放」であると考えられること、然からずと言えども、超法規的釈放の性質や趣旨は、「超法規」であるだけに、未だ明確とは言い難いことは明らかであって、被告人が、「超法規的釈放は永久的釈放」と誤信したとしても、被告人に過失ありとは言えない。   よって、被告人が、自ら帰国を表明し、再び収監され、審理再開を積極的に望まなかったからと言って、その点を「審理遅延の主な原因は被告人の側にある」などと、被告人に不利に斟酌されるのはあまりに理不尽である。   そもそも、被告人は、超法規的釈放を受け、一旦は日本国政府発行の旅券を渡されながら、釈放直後に「旅券無効通知」が出され、被告人本人も知らない間に旅券は使用できなくなり、被告人は旅券を用いた移動の自由を奪われ、何らの庇護のない状態で、海外に放擲されたものである。この際の日本国政府の意図するところは、「超法規的釈放を行い、出国させたが、その後の被告人の身の安全等については、日本国政府の関知するところではなく、旅券による庇護を与えることもしない。」というものであったと考えられる。   であるとすれば、正規の手段を奪われた被告人が、敢えて日本国政府外務省の在外公館に出頭し、日本への帰国を求めなかったからと言って、それが被告人の責任となるものではあり得ない。   本件と同様に、長期にわたって事件処理が中断した類似の事例として、次の事案を指摘することができる。   即ち、1955年8月にいわゆる白鳥事件の主犯として起訴された村上国治日本共産党札幌軍事委員会委員長が懲役20年の刑を受け、17年の獄中生活を送る一方で、共犯者として指名手配され、中華人民共和国に長く滞在していた上記軍事委員会メンバーであったV、Wの両名が、1977年12月2日と翌年6月3日に相次いで帰国し、逮捕された。しかし、検察庁は、上記両名が、法形式上は公訴時効が未完成であったのにもかかわらず、25年以上の長時間の経過を理由に釈放、起訴猶予処分としたのである。   上記事件処理は、形式的には時効が完成していなくとも、処罰価値の減少、証拠の散逸、被疑者自身の被った不利益等を正当に考慮した上で取られた措置であることはいうまでもない。   従って、本件においても、長期間の審理中止の事態が、被告人にもたらした打撃を正当に評価し、これを情状面にて考慮されるよう訴えるものである。  (2) 捜査段階供述調書の「任意性欠如」と証拠能力なき証拠採用の違法性    原判決は、被告人及び弁護人が、1975年の捜査段階における被告人の自白調書(乙3乃至21)の任意性を争ったのに対し、任意性を認めるとの認定をなしているが、この点については、原判決は、任意性を欠く証拠能力なき自白調書を証拠採用した点において、刑事訴訟法第319条第1項に反する訴訟手続の法令違反が存する。    以下、詳述する。   1) 逮捕から自白に至る経緯と被告人の心理状態    本件逮捕のあった1975年5月19日早朝午前8時過ぎ頃、被告人は、当時居住していた亀戸のツタバ・マンションにおいて就寝中、突然踏み込んできた警察官らにより、内縁の夫齋藤和(以下、「齋藤」と言う。)と共に、原判決判示第4の1の韓国産業研究所爆破事件を被疑事実として、逮捕された。(第87回被告人公判供述調書野田速記官前半部分2乃至4頁)    内夫齋藤は、この逮捕直後に、携帯していた青酸カリのカプセルから青酸カリをあおり、同日中に死亡した。    被告人は、逮捕後黙秘中の同月20日夜、取調警察官から、齋藤死亡の知らせを受けた。    また、原判決も認める如く、逮捕直後の被告人に対する身体捜索は厳しく、且つ、被告人の尊厳を著しく傷つける態様により行われた。    即ち、被告人は、本件逮捕直後の同日午前9時30分頃、菊屋橋分室において、衣服を全て剥ぎ取られ、男性警官を含む警察官らが見守る中、全裸状態で鏡をまたぎ、腰を上下する動作を強要された。(同調書同部分14、15頁)    これは、膣腔に毒物等を携帯しているか否かを調べるための措置であったと考えられるが、被告人は、女性、しかも、本件逮捕当時、未だ24歳の若年女性であったことからすれば、少なくとも、かかる捜索に際しては、男性警官を退室させるべきである。これを、敢えて男性警官立会の下、かかる身体捜索を行ったのは、身体捜索の必要のためではなく、被告人が、「世間を騒がせた連続企業爆破事件の容疑者」であったことに対する、警察官らによる制裁的拷問、一種の性的虐待であるとしか考えられない。    しかも、被告人は、この身体捜索の直前には、「入浴」と称して、男性警官を含む警察官の前で衣服を剥ぎ取られ全裸にされ、頭から水をかけられるという虐待まで受けている。(同調書同部分12、13頁)    なお、この「身体捜索」等は、齋藤の自殺判明以前の話であり、齋藤の服毒自殺が判明した後には、改めて、同日午後10時頃に、身体捜索令状により、肛門や膣内に指を入れる方法による身体捜索が行われていることを付言する(控訴審において追加立証予定)。    この事実については、本件逮捕直後、警察署において撮影された被告人の写真からも明らかである(本件控訴審において立証予定)。    被告人は、逮捕・収監の際のこのような拷問的処遇により、その自尊心を剥ぎ取られていったものである。    また、その後も、被告人の取調べ担当警察官は男性ばかりの3名、担当検察官及び検察事務官も2名とも男性で、食事をするときも、房に帰ることはできず、取調室でこの取調官に囲まれた状態であり、ときには、頭を押さえつけられ、或いは、組んだ足を物差しで殴られ、更には、取調べ途中に、被告人が手洗いに行くときには、男性の取調べ担当警察官が腰縄を持って付き添い、被告人が用を足している間トイレのドアを開けたまま腰縄の一方を持ってドアの外に待機し、ときには、用を足す被告人を覗き込んで、「生理でもないのに、なんで、あんた、ナプキンを使うんだ」とくちばしを挟み、また、被告人の生理が止まっているのを知ると、取調べの中で男性取調官が、「妊娠しているんじゃないか」「夫とどういう性関係だったんだ」としつこく聞くなど、性的嫌がらせ、性的虐待としか言いようのない拷問的処遇が続いた(同調書同部分31頁の他、控訴審においても追加立証予定)。    しかも、それと併せて、上記の拷問的処遇ほどではないにしても、差入れられた衣服を使わせてもらえない、食事が少ない、生活に必要な眼鏡やくしや歯ブラシすら使わせないという酷い処遇が留置場内で行われ、また、取調べのためと称して運動時間すら与えず、連日、座面も木でできた背もたれもない硬い椅子の上に被告人を座らせて一日中の取調べが行われ、夜寝るときには専属の刑務官が被告人の寝姿を監視し、寝返りの回数から寝言の内容、うなり声まで取調官への報告事項となる始末で、取調べのための過酷かつ非人間的処遇が連日連夜行われたものである(同調書同部分17乃至23頁)。    しかも、衣服や歯ブラシや眼鏡の使用については、留置担当者が使用禁止措置をとり、取調担当刑事が、「おれが言ってやるよ」と、親切めかして「温情的に」、留置担当者に口添えすることにより、初めて使用許可が受けられるという、いわば、「取調官は神様」とでも思わせようとするようなあざといやり口であり(同調書同部分同頁)、いわば、被告人の勾留中の処遇全てが、被告人から自供を引き出す意図で計算され、実行されていたと考えられるものである。    被告人も、「生存の全て、要するに、衣食住というか、全部を取調官がコントロールするというシステムなんですね。」「食事が少なくて、足りないというのは、取調官もよく分かっているみたいで、非常に親切そうに、おまえ、御飯が足りないから、そのままじゃ病気になるから、おれが手配してやろうとか、おれが持ってきたおにぎりを食べろとか、そういう形で親切にしてくれようとするわけですね」「この人達に逆らったら生きられないみたいな、そういう奴隷みたいな立場になっていって」と取調べと自供獲得に向けられた処遇システムの構造を述べている(同調書同部分26、27頁)。    そして、この被告人の追い詰められた心理状態は、最愛の夫齋藤の自殺を知らされ、しかも、その事実を、取調において、取調官から、苛酷な侮辱、罵りとして浴びせかけられるに及び、被告人は、人間としての尊厳も女性としての尊厳も全て奪い取られ、自我や意思を崩壊させられていった。    具体的には、取調官は、齋藤の自殺を聞いて茫然自失状態にある被告人に対し、齋藤の戒名を記した紙を取調室に持参し、それを拝むように強要した上、「夫殺し!」「同志殺し!」「齋藤君の遺骨の引き取り手がない。」「おまえのような奴に黙秘する資格はない」などと繰り返しののしり、被告人を心理的に揺さぶり、被告人を極限まで追いつめたものである。    被告人は、齋藤自殺のダメージにより、自らが生き残っていることにすら罪悪感を覚え、自らも死を願う心境となり、房内で手拭いを裂いて紐を作り首をつろうとしたり、取調に赴く際の廊下において窓ガラスに体当たりをしたり、接見に来た弁護士に対し、衣服の袖口に青酸カリを縫い込んで差し入れて欲しいと要望するなど(控訴審において立証予定)、常軌を逸した行動に及ぶようになった。    そして、逮捕日の1975年5月19日から第1回目の勾留の満期頃、即ち、被告人が自供を始める頃までは、毎日毎日、午前8時頃、又は、午前9時頃から午後10時過ぎまで連日深夜に及ぶ取調が繰り返された(弁38、39出入簿)。    しかも、接見等禁止の付された被告人にとって唯一の支えとなるべき弁護人との接見につき、捜査官らは、あの手この手の接見妨害を行った。    被告人は、同月22日の勾留質問の際の弁護士接見後、庄司宏弁護士らを弁護人に選任したが、その弁護人との接見ですら、様々な妨害を受けたものである。    本件捜査をめぐる具体的な接見妨害の実情は、内藤義三作成の調査報告書に詳しく記載されているとおりである(本件身柄記録に編綴)。    具体的には、検察官が指定書によって接見指定を行う際に、「取調予定があり、弁護人接見も週に1度15分しか認められない」などとして、弁護人接見を週にたった1回、それも、1回につきたった15分程度しか認めなかった。このような状態で、まともな捜査弁護も、防御権行使もできるわけはなく、被告人の弁護人選任権は、実質的に保障されているとは言い難い状態にあった(内藤義三報告書)。    また、捜査官らは、被告人に対し、接見に来た弁護士について、「党派の為にやっている」「センターの弁護士を雇って実家が破産した者がいる」「裁判ではセンターの弁護士というだけで刑が重くなるから不利だ」等数々の誹謗中傷を行い、弁護人の解任を慫慂した。    更に取調官は、被告人の伯母と称するAを被告人に会わせ、取調官と同席の上、被告人に対し、自白と弁護人の解任を迫った。    具体的には、Aは、被告人と同郷で母校大津高校の先輩にもあたる取調担当警察官好永幾雄(以下、「好永」という。)の知人であったようだが、被告人にとっては、遠縁に当たるとしても伯母でも何でもない、しかも、被告人とは一面識もなかったAを、「お父さんの代理で伯母さんが来た」などと偽って接見を強要し、同月29日頃、異例にも、取調室にAを入れて接見させた。    その接見に際し、Aは、そのような事実がないにもかかわらず、「私は、お父さんから全権を委任されて来た」「お父さんは、自殺したいと言っている」「今の弁護人を解任して、私の薦める弁護人を選任すべきである」「救対の弁護士を解任しなければ親は死ぬ準備をしている」などとまくし立てた(内藤義三報告書、第87回被告人公判供述調書野田速記官後半部分16乃至20頁、第88回被告人公判供述調書長尾速記官部分4乃至17頁)。    しかも同席している好永ら警察官もこれに同調し、「お前は親を殺す気か?」などと口々に被告人に対し、弁護人解任を迫った(内藤義三報告書、第87回被告人公判供述調書野田速記官後半部分16乃至20頁、第88回被告人公判供述調書長尾速記官部分4乃至17頁)。    被告人は、齋藤死亡の精神的ダメージに加え、連日連夜の取調で精神的に窮迫しきっていたところ、親戚で父の全権代理人を名乗るAから、「お父さんが死にたいと言っている」云々と責め立てられたことにとどめを刺され、弁護人解任を了解した(第88回被告人公判供述調書長尾速記官部分17乃至25頁、内藤義三報告書)。    しかも、被告人は、何とかその場を逃れたい心境から、弁護人解任届に署名はしたが、躊躇う気持ちが残っており、指印を押さずにいたところ、一旦は引き下がったAが、警察官から指印のないことを指摘されて逆上し、「こんな法律的に意味のないもので私を騙そうとした」などと恫喝し、弁護人解任届への指印を強要する始末であった(第88回被告人公判供述調書長尾速記官部分17乃至25頁)。     そして、被告人の弁護人解任により、庄司弁護士は解任され、同年6月1日、新たに、A推薦のB弁護士が接見したが、B弁護士は、被告人に自供を勧め、当時、精神的にも参りきっていた被告人は、翌同月2日から自供するに至ったものである。    このような経緯に鑑みれば、被告の自供が、真に被告人の意思に基づく任意なものとは考えがたい。   2) 原判決の判断    この点、原判決は、   @ 被告人の取調のための出房時間は、早くとも午前8時台か、午前9時台であり、取調終了後の入房時間も、第1回勾留中は午後10時過ぎであったが、それ以降は、遅くとも午後9時過ぎ、概ね午後4時台から午後8時台であり、   A 当初黙秘していた被告人が、1975年6月2日、全面的に自供する意思のあることを供述し、被告人自身の作成した図面等が添付された供述調書合計18通に署名指印し、同月26日再度黙秘し始めたが、同年7月7日には、これまでの供述内容の補正等につき記載した供述調書に署名指印しており、  B 取調担当の検察庁特別捜査部検察官村田恒検事は、被告人に対し、「取調べの場は真実を話す場であるから、しゃべる以上は真実を話して欲しいこと、嘘まで交えてしゃべるならば完全黙秘を貫いて欲しいこと」などを話し、供述調書を作成するに当たっては、ほとんどの供述調書を閲読させ、それ以外のものについては読み聞かせをし、その際、被告人に鉛筆と紙を渡して訂正箇所を書かせ、この記載に基づいて供述調書の内容を訂正しており、特に、昭和50年6月21日付け供述調書(乙17)には、4頁にわたって訂正事項が録取されていること、そして、村田元検事は、公判段階において、「被告人の取調べに当たっては、それまでの職務経験等から、後々、供述の任意性について争いが生じないように細心の注意を払い」、また、「警察官に対し、被告人の内縁の夫であった齋藤については、被告人との間で感情的なしこりを残さないため言葉遣いに気を付けるように指示し」、「供述調書を作成する際には、調書を閲読させ、被告人に紙と鉛筆を渡して訂正箇所を書かせ、それに基づいて調書を訂正したこと」などを証言した点は、共犯者の大道寺將司らの刑事公判における証言と一致していること、「その内容は、具体的、詳細であり、記憶にあることとないことを区別して証言するなど証言態度が真摯であり、検察官としての職務経験や自己の捜査哲学に基づいて説得的で納得のできる証言をしている」などとして、その信用性を認めたこと、   C 被告人が、捜査段階に合計10回弁護人と接見していること、   D 被告人の自白調書は、「被告人の心境や反省の弁が録取されている上」、「各事件の経緯を供述した調書には、被告人が、自分たちなりの正義感から、かつての日本の植民地支配に関係した企業や事件当時に被告人らが経済侵略と呼ぶ海外活動をしていた企業に対し武装闘争を仕掛けることにした動機や心情が迫真性をもって具体的に録取されている」 などとして、「被告人は、捜査段階において、反省の気持ちを交えつつも、自分たちの行動の意義や正当性を訴えるために、自らの自由な意思で供述しているということができ、任意性は優に認められる」として、任意性を認定している。(原判決53乃至56頁)   3) 原判決の任意性認定の誤り    しかしながら、上記@乃至Dを任意性認定の根拠とするのは失当と考える。  @ まず、@出房・入房時間であるが、弁39の出入房記録は、「運動時間よりも早く取調べに出されており、朝8時半ごろには裁判所等への押送があったはずだが、それよりも早く房から出されていた」、「取調べが終了して房に帰るころには、12時前後であることが多かった」「自供後の警視庁でも、就寝時間よりも早く房に帰れたことがない」「1975年の6月1日には、Aに強要されて、弁護人解任届を書かされたため、非常に遅くまでかかったはず」「取調べ官が、『毎日15時間も一緒にいるんだから心を開け』というようなことを言っていたぐらいなので、取調べ時間は15時間位はあったはず」旨の被告人の記憶(第87回被告人公判供述調書長尾速記官部分7頁)に反しており、記録の信用性、正確性自体に一定の疑義がある。     仮に、出入房記録自体が正しいとしても、前述のとおり、第1回勾留期間、即ち、被告人が自供を始めるまでのほぼ連日、被告人は、毎朝午前8時又は9時頃から、午後10時過ぎ頃まで取調を受けており、その時間をもってしても、十分に長時間に及ぶ取調と考えられる。この点、第1回勾留満期以降、取調時間が多少緩やかになったのは、自供を開始したことにより、取調捜査官が気を良くした結果と言うべきであり、この事実は、逆に、自供開始までの取調捜査官の苛酷な対応を推測させるものである。   A 次に、A被告人が、自ら作成したらしい図面添付の供述調書合計18通に署名指印し、更に、訂正を申し立てた供述調書1通にも署名指印している点であるが、「任意性を欠く自供調書」であっても、そもそも署名指印がなければ、「供述調書」としての要件を欠くのであるから、自供調書に署名指印があるのは、至極当然のことであり、それ自体で、「任意性」を裏付ける根拠とはなり得ないはずである。また、被告人作成らしい図面が添付されているとの点についても、自供の任意性が否定される事案においても、捜査官らの誘導により、臨場感ある図面や迫真性ある供述などが記載されることは多々あるのであり、そのことの故をもって、任意性を認められるものではない。   B また、B取調担当検察官村田元検事の証言については、村田元検事自身が、被告人に対し、拷問的取調べ、虐待的処遇をしていないこと自体は真実であるとしても、証言の内容自体に、以下のような疑問があり、その信用性を手放しで認定できるものではあり得ない。     即ち、まず、被告人・原判決弁護人においても主張している被告人自供直前の、「遠縁A接見」であるが、村田証人自身は、Aについて、接見以前には「知りません」(第89回村田証言調書木村速記官部分8頁)「総括班から、とにかく接見解除する、一部解除するよというふうな書面が来たと思いますね。それしかないと思います。」(同証言同部分17頁)と証言しながら、弁護人から、原審公判記録上当時の接見等禁止一部解除決定書が存在しない点を指摘されると、「記憶ありません。その点は。存じません。」「私達現場のものは、そういうことには関与しておりません」(同証言調書野田速記官部分14頁)と証言を覆している。     しかも、「接見禁止関係は、すべて、その手続は総括班で、役割分担でやっておりました」(同調書同部分14頁)と証言しながら、少なくとも1975年6月1日には、Aを「私の決断で会わせました。」(同調書長尾速記官部分19頁)と、裁判所の接見等禁止一部解除決定もなしに、自らの裁量のみで接見をさせたことを認めるなど、その証言には矛盾がある。     のみならず、村田証人は、Aは、接見前には「知らない」「働きかけをしたこともない」旨証言しながら、当時の弁護人らすら、捜査を理由に週1回約15分程度しか接見時間を認められていなかったのに、同年5月31日のAの接見に際しては、村田元検事自身の取調べを中断し、30分からそれ以上の接見を認め、しかも、接見室ではなく取調室で、留置管理担当者の立会いではなく、村田元検事じきじきの立会で接見が行われるという、「破格の待遇」を与えている理由につき、「特に理由はありませんが、時間がもったいないと、上げ下ろしの時間がもったいないというようなこともあったんじゃないかと思いますし」「どこで接見しようが、要するに接見すればいいわけですから」(同調書同部分15、16頁)などと、不合理な説明をしている。これは、村田元検事自身が、被告人の黙秘崩しをするためにAの接見の便宜を図り、かつ、そのAの「説得」の場に自ら立会うことで、黙秘崩しの相乗効果を狙っていた事実を隠蔽するためになされた証言と見るほかない。     また、村田証人は、他の記録との関係で整合性がつかなくなった部分を訂正させたのではないかとの質問に対し、「他の記録、私、あんまり読んでませんからね。」「調べ官というのはですね。そういうことをしたくない、できるだけ見ないと、自分の調べた被疑者の心証を取っていくと、これは昔からの私の流儀なんです」(同調書野田速記官部分11、12頁)と証言しながら、過去の証言の中では、被告人の供述調書について、「客観的な証拠関係との絡みで、従来の浴田供述の中に、明らかに間違っている点があるというふうなことで、それを訂正したらどうか」旨申し向けて訂正させた部分があることを認めているのであって(第55回村田証言調書速記録11丁裏、12丁表)(第89回村田証言調書野田速記官部分21頁)、村田元検事が、本件取調当時、他の証拠をも検討し、他の証拠との整合性が図られるように供述調書を作成していたことは明らかであって、その証言内容は、明らかに矛盾する。     なお、1981年4月14日名古屋高等裁判所金沢支部判決(昭和54年(う)第56号刑集38巻6号2552頁判例タイムズ811号16乃至25頁)は、捜査機関が、接見禁止等一部解除決定なしに第三者との接見をなさしめることを違法と断じているところ、村田元検事は、少なくとも、2回目のAの接見については、自らの判断で一部解除決定なしに取調室で接見させせた事実を自認しているのであって、村田元検事は、自らの取調において、違法な手続をなしていることは明らかであり、しかも、その違法な手続は、「弁護人解任強要」「自白強要」の目的に出でたものであるから、その取調の違法性は論を待たない。     その点からしても、村田元検事の取調が、「正攻法」「公正」であったなどという同証人の証言は、信用性を欠くものであり、この点に関する原判決の判断は失当である。     以上のとおり、村田証言は、原判決認定の如く、その信用性を手放しで認められるものではなく、村田元検事は、中立的な証人ではなく、被告人の供述の任意性が否定されれば、即自らの過去の職務実績が否定される立場にある証人であることからすれば、その信用性は慎重に判断されるべきものであり、しかも、上記の矛盾点が多々あることよりすれば、その証言の信用性は否定的に解されるべきである。     なお、村田証人によれば、村田証人は、大学ノートにメモを取りながら被告人の取調べをした上で、後に、これを供述調書の形にまとめたと証言するが(同調書木村速記官担当部分17頁)、このことは、即ち、村田元検事が、被告人の供述をそのまま録取したのではなく、自らの検討・推敲を加えた上で調書にまとめたことを自認するものであって、その過程では、当然、他の証拠との整合性が検討されているものであり、また、被告人の供述以外の村田元検事自身の主観や判断が介在していることは間違いがないと考えられるのであって、原審において、同大学ノートメモが証拠として取り調べられていない点にも、疑問を覚える。   C 更に、C弁護士接見の回数と時間についても、被告人には、逮捕後約1週間ほどで弁護人が接見に訪れ、1回15分から長いときで40分程度の接見をした事実は認められる。     しかしながら、この当時は、本件を含む東アジア反日武装戦線の連続企業爆破事件一斉検挙の故もあって弁護人の手も足りず、加えて、前述のとおり、警察署や検察庁などによる激しい接見妨害が行われた故もあって、弁護士接見は、特に当初は1週間に1回15分程度であり、弁護人が捜査弁護機能を十分に全うしうる状況にはなかった上、前述のとおり、取調警察官好永の知人で被告人の伯母と称する遠縁のAの恫喝により、被告人は、一旦選任した庄司弁護士らを解任し、Aの薦めるB弁護士と接見し、その直後に自供を始めているのであり、この経緯は、取調官の知人である被告人の「遠縁」までも絡め取って動員し、被告人に弁護人解任強要等を行った捜査機関のやり方を如実に示すものであって、「弁護士が接見していたから、不任意の自供が行われたはずはない」という推測は、本件においては、誤りという他ない。   D 加えて、D供述調書の迫真性であるが、被告人が自供を開始した1975年6月2日時点においては、共犯者とされる片岡利明(以下、「片岡」という。)、大道寺將司らも既に自供を開始しており、詳細な自供調書が作成されていたものであるから、被告人の供述調書に、企業爆破の意義や正当性が説明されているとしても、それは、被告人のオリジナルな供述とは言えないものであり、また、供述内容の迫真性という点についても、殊に、当初に取調の対象となっていた韓国産業研究所爆破時点では、被告人らには、捜査官らがかなり密着して長時間の尾行を行っていたものであるから、捜査官だけでも、「迫真性ある調書」を作成することが可能であったと考えられる。      しかも、被告人取調担当の村田元検事は、当時、既に42歳のベテラン敏腕検事であり、その村田元検事の作成した供述調書が、その表現等において、「具体的で迫真性に満ちている」のは、いわば当然であって、殊更に供述調書自体の信用性を高めるものとは考えられない。   4) 弁護人らの主張に対する原判決の評価の誤り     原判決は、弁護人らの主張に対しては、警察官らによる性的虐待の主張に対しては、「被告人の供述する内容には信用し難い不自然な点も含まれており、逮捕後に実際どのような手続が行われたのか必ずしも明確ではない」としつつも、弁護人と被告人の主張する「全裸で鏡をまたがせられ腰を上下させる」という身体捜索方法等につき、「多くの共犯者らの身体から青酸カリが押収され、被告人と同棲していた齋藤が逮捕後に死亡したという当時の状況を前提とすると、逮捕後に徹底した身体検査を実施すること自体は、やむを得ないことである」(原判決62頁)として、そのような捜索態様があった事実自体を否定しない。むしろ、当時の状況からすれば、膣内の捜索のために、そのような捜索方法が採られた事実、少なくとも、可能性を認めているものと考えられる。    にもかかわらず、そのような虐待事実があったとしても、「被告人が逮捕後二週間にわたり事件について完全な黙秘を貫いていたことからすると、逮捕当初の留置業務と被告人の自白との間に因果関係のないことが明らかである」(原判決同頁)と認定する。    しかしながら、刑事訴訟法319条第1項にいう「強制、拷問又は脅迫による自白」とは、拷問等が自白と同時的に存在することを要求するものではなく、自白と拷問等の間に因果関係が存すれば足りるところ、被告人は、逮捕当初に前述のような人間として、女性としての尊厳を徹底的に踏みにじられる処遇を受けたことにより、精神的に追い詰められ、自我や意思を崩壊させられたものであるから、仮にその間に2週間の時間が開いているとしても、因果関係を否定されるものではない。    また、逮捕当初の拷問的処遇の後に、差入れ衣服や眼鏡やくし、歯ブラシを使わせない、運動させないといった過酷な処遇が継続して行われていたことは、前述のとおりであり、当初の性的虐待程強度でないものの、拷問的処遇自体は、逮捕時以降も継続されていたものである。    被告人自身も、頭から水を浴びせられ、鏡を跨がされ股間を調べられたたことについて、「人間としての最低のモラルとか自尊心とか、そういうのが通用しない世界に・・・で、特殊な状況に自分が置かれているんだというのを、非常に、何というか、すごい強く印象づけられて、(中略)〜その中で、自分が持っている価値観とか、それから、自分なりの行動の仕方とか、そういうのは、ここではできないというか、全部、彼らの手の中にあって、言われるままに、非常に恥ずかしいこともやらざるを得ない状況に自分はあるんだというふうに、こう、知らしめられたというか、それが、自供はしたくなくても、だんだん、しないといられないみたいな、そういうのを醸成していったと思ってます。」と述べ(第87回被告人公判供述調書野田速記官前半部分17頁)、拷問的処遇により、精神的に追い詰められ、自供に至る過程を説明している。    また、原判決は、齋藤の死をネタにした取調官らの誹謗中傷の事実については、「被告人の取調べに当たっていた村田元検事が警察官に対し齋藤に関する言動については注意するように指示していた事実が認められることからすると、警察官が被告人に対し、『夫殺し!』『齋藤の遺骨の引き取り手がない。』などと言ったというのは、不自然で、信用し難いことである。」(原判決63頁)として、この事実を否定する。    しかし、村田元検事の証言の信用性は批判的に解されるべきことは前述のとおりであることに加え、仮に、村田元検事自身は、被疑者に対してそのような言辞を用いたことはなく、或いは、担当警察官らに、齋藤に関する言動に気をつけるように注意していたとしても、警察官らがその注意に従ったか否かは村田元検事も確認していないのであって、「村田元検事が注意したからあるはずがない」などというのは、あまりに短絡過ぎる認定である。    この点、自供に至るまでの取調べ担当警察官や検察官らの暴行や暴言は、被告人の供述のみならず、大道寺將司証言(1999年6月15日大道寺將司証言調書長尾速記官部分6丁、7丁)などにも明らかである。具体的には、大道寺將司に対する取調においても、取調官が「体をこづく」「正座を強制される」等の暴行が行われ、また、弁護士が接見に来ると「接見代というのは何十万にもな」り、「親の元に請求書が行く」等という誹謗が行われたのである(同調書同部分)。    また、担当警察官らが、被告人に対し、他にも性的嫌がらせにあたる暴言を繰り返し(控訴審において追加立証予定)、或いは、机をバンバンと強打し、頭を押さえつけるなどしてきたことは前述のとおりであり、被告人の黙秘に業を煮やした現場の警察官が、「夫殺し」程度の暴言を吐くことは十分に考えられるところであり、「不自然で信用しがたい」などというのは、取調べの現状への理解不足としか言いようがない。    また、原判決は、捜査官らによる弁護人接見妨害、弁護人解任強要、また、Aの接見と、Aによる弁護人解任強要、結果的な弁護人解任についても、被告人が自供を開始し、継続している間に、庄司宏弁護士らも再選任されたのであるから、一時的な弁護人の不在は、「供述の任意性を疑わせる事情ということはできない」(原判決65頁)とする。    しかしながら、前述のとおり、村田元検事は、Aに被告人の黙秘を解かせ自供させるために、接見等禁止一部解除決定措置もないのに、自らの裁量でAを、接見室ではなく取調室で、それも、弁護人らには認めないほどの長時間接見させ、同時に村田元検事自らもこの接見に立会い、共に被告人に圧力を掛け、被告人に弁護人解任を強要したことは明らかであり、Aは、突発的に現れた被告人の親戚などではなく、警察官、検察官と示し合わせ、その意を受けた「手先」と考えられるのであり、捜査官らにより弁護人解任が強要され、しかも、弁護人を解任した次の日に自供が開始されているのであるから、弁護人解任の経緯が「任意性を疑わせる事情」であることは、明らかである。   5) 小結    以上から、本件被告人の自供調書乙3乃至21について、自白の任意性ないし取調等の適法性は認められず、原審裁判所においてなされた被告人の検面調書の採用決定及び証拠調べには、上記適法性の判断を誤った違法がある。 よって、原審の証拠調べ手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令手続の違反がある。  (3) 証明力なき供述調書の証拠採用の不当性   1) さらに、以下の事実から、被告人の検面調書には、信用性もないというべきである。   2) そもそも、被告人の調書には、「秘密の暴露供述」(あらかじめ捜査官の知りえなかった事項で捜査の結果客観的真実であると確認されたもの)が一切ない。    被告人の供述は、同時に逮捕された他の共犯者と比較して最も最後段階になされたものである。よって、全体として、現場の客観的状況や他の共犯者の供述、尾行記録等により、あらかじめ捜査官の知っていた事実関係が、取調において、被告人に対して提示され、それを被告人が認めるという手順をたどっている。被告人の供述に基づき、新たな捜査がなされ、被告人の供述内容が客観的に裏付けられたなどという点は1点も存在しない。    例えば、被告人が、「宮田」を名乗り「東アジア反日武装戦線」中”大地の牙”で活動していた事実は、被告人が1975年6月2日に自供を開始する前日の同月1日には、既に大道寺將司がその検面調書において、面割による人定を含め供述しており(甲L6)、韓国産業研究所及びオリエンタルメタル本社を爆破する趣旨・目的についても、既に、黒川芳正(以下、「黒川」という。)の同年5月30日付検面調書(甲N3)、大道寺將司の同月2日付検面調書(甲L7)において、齋藤(中川)が韓国産業研究所とオリエンタルメタルに目を付けるに至った日刊工業新聞の記事のことを含め詳細に説明されており、被告人のオリジナルな供述とは言い難い。    また、被告人の捜査段階供述においては、”大地の牙”における第三者の存在が隠蔽され、すべての犯行が、齋藤と被告人とでなされたものと供述された結果、後に見るように不自然な点を生じている。なお、”大地の牙”における第三者の存在については、被告人質問の結果からも明らかである上、捜査官もあらかじめその事実を知悉していたのである(1996年5月7日付け更新手続きにおいて陳述された弁護人作成の意見書末尾に添付の朝日新聞記事を参照)。捜査官は、上記「第三者問題」について、あらかじめその疑いを持ちながら、第三者の存在や役割を割り出すことができなかったため、”大地の牙”2人説に乗っかり、不自然な供述調書を作成せざるを得なかったのである。   3) また、後述のとおり、被告人の供述には変遷も多い上、1977年5月2日頃、被告人が当時の弁護人に宛てて作成した手紙(弁49)によれば、被告人が、真実と異なる供述をした経緯がかなりリアルに説明されているのである。    即ち、人定事項に関しては、「すべて奴らの『身分帳』に記入されていた『経歴』について認めたものです」(6月3日の分)、「参加のときについては、誰かの供述を認めた」(6月3日の分)、韓産研については「尾行メモに照らして訂正」(6月12日の分)、暗号符丁については「将の調書を追認」(6月13日の分)等と同書証右側の欄にコメントがあり、被告人が、取調官の既に知っていた事実や材料を提示され、これを追認していった様子がありありとわかるものである。    また、「第三者問題」については、韓産研に関し、「尾行メモをちらつかされていたが『2人でやった』ことを強調して話している」(6月3日の分)、三井物産については「いっしょうけんめい2人で十分なことを力説している」とコメントが記載され、逆にいえば、真実は「2人」でないことが表明されているし、更に、同書証のコメント欄の随所に「×××××」の伏字が記載され、これらの点はほぼ第三者の存在に関連するところであって、これを当時の弁護人に対してすらも隠そうとしていた点であり、被告人の公判廷供述と完全に符合し、被告人の供述調書の信用性を減殺している。    さらに、大成建設については、「この件についてはしつこく聞かれ言を左右にして逃げ回っている(わからない。知らない。etc)『こうゆうことか、ああゆうことか』と聞かれて、肯定したり、否定したりしたもの」(6月12日の分)とあり、被告人が、大成建設について、当初は、供述調書どおりの応答をしていなかったことが手にとるようにわかる。    また、同年6月7日付け検面調書(乙9)については、「この調書は、かってに作文してきて、作り上げたもので『調べ』としては行われなかった」とコメントが記載され、6月7日付け検面調書の前提となる取調べがまともに行われなかったとの被告人供述(第101回被告人公判供述調書秋元速記官部分2乃至11頁)と符合している。   4) 個別の供述の信用性については、「事実誤認」に関する各章で述べるが、原判決は、任意性のみならず、信用性のない、よって、証明力の欠如した捜査段階の被告人の供述調書(乙3乃至21)を有力な証拠として、事実認定を行っている点は、控訴審において、慎重に検証されるべきである。    2 偽造旅券行使事件における訴訟手続の法令違反  (1) 原判決の判断    原判決は、原審弁護人及び被告人が、@平成7年3月20日午前7時ころ(現地時間)、ルーマニア国内で身分不詳の者らがした被告人の身柄拘束は、法的根拠が不明で違法なものであり、A同国における国外退去手続終了から航空機が日本国の領空に入って偽造有印私文書行使被疑事件の逮捕状を執行されるまでの間の日本の警察官による被告人の身柄拘束が実質上逮捕と同視し得る違法なものであることから、同事件による逮捕は、それに先立つ手続に重大な違法が存するので違法であり、同事件による公訴は棄却されるべきである旨主張したのに対し、以下の理由を述べ、被告人のルーマニア国内における身柄拘束、及び逮捕手続に違法はなく、公訴を棄却する理由はないと判示した。    @につき、「被告人がルーマニア国で身柄を拘束され、その後オトペニ空港に連行されて、ドンムアン空港行きのルーマニア航空機に搭乗させられた出来事は、同国の政府機関に拘束された被告人に対し、同国の主権に基づく国外退去強制手続として行われたものであり、その身柄拘束をもって我が国の捜査機関による逮捕と同視することはできないし、その身柄拘束手続の適否がその後の我が国の捜査機関による通常逮捕手続等の刑事手続に影響を及ぼすということはできない。」(原判決51頁)    Aにつき、「被告人は、オトペニ空港で航空機に搭乗させられてから日本国の領空内を飛行中の日本航空機内で逮捕手続を執られるまでの間、外務事務官の併任辞令を受けていたとはいえ警視庁警察官を含む数名の日本人の監視下にあった上、機内ではそれらの日本人が被告人を取り囲む形で着席し、被告人がトイレを使用する際には同行するなど、被告人が自由に動き回ることが事実上制約された状態にあったものの、その間、手錠や腰縄等で拘束されたり、押さえ付けられるなどして実力で身体を拘束されていたわけではなく、被告人自身も、航空機から降りたい旨の意思表示等をしなかったし、アブダビ空港及びドンムアン空港で待機した際も、自由に動き回りたい旨の意思表示をすることもなく、待機場所から離脱しようとする行動や航空機への搭乗を拒む行動を執ることもなかったのである。これら一連の経過を総合的に考察すると、被告人は、自由に動き回ることを除いては特段行動の自由の制約を受けていなかったと認められ、また、オトペニ空港でルーマニア国当局者によって航空機に搭乗させられた後は、同国政府の処分を甘受せざるを得ないものと判断し、途中で降機した際にも、空港がある国の当局者の監視を免れて自由に行動することはできないものと判断して、その場を離脱するなどの行動に出ることなく、自己の意思で航空機に搭乗して日本国の領空内に入ったものと推認することができ、その間に実質的に逮捕と同視できる身柄拘束の状態にあったということはできない。」(原判決52,53頁)    しかしながら、原判決には、違法な逮捕手続を適法と判断し、被告人の違法逮捕後に得られた違法な証拠を採用した訴訟手続の法令違反が存する。  (2) ルーマニアにおける身柄拘束の異常性 1) 被告人の公判供述(第35回、第36回)によれば、被告人が1995年に、ルーマニア国にて身柄拘束された経緯は次のとおりである。即ち、   同年3月20日午前7時頃、身分不詳の者数名が、当時被告人の居住していたアパートのドアを蹴破って室内に突入し、被告人に短銃をつきつけ、被告人に後ろ手錠をかけて室内を捜索したうえ、被告人を郊外に連行し、学生寮風の建物に半日間監禁した。その後、被告人は、薬物の作用にて眠りに落ちた。そして、同日午後になると、身分不詳の者らは、被告人の指紋や写真を撮ったうえ、夕方6時頃、被告人を内務省警察に連行した。   この間、身分不詳の者らは、被告人からの身分等に関する質問に対し、「日本警察とコラボレート(共同)している者」という他は何も答えていない。   その後内務省警察内にて、ルーマニア当局は、被告人に対し「逮捕するのでこの書面にサインしろ」などと述べ、午後7時頃、正式に被告人の身柄を拘束した。   その日、被告人は、留置場内に一泊した。   翌21日、被告人は、現地の弁護人に面会するなどし、当局に対しては、ルーマニアでの裁判を要求していたが、数分後には国外に退去させられることとなり、さらに翌22日まで身柄を拘束されたうえ、航空機にて出国を強制されるに至った。 2) 以上に述べた被告人のルーマニアでの身柄拘束の経緯については、本件では特に争いがあるわけではない。   原判決は、ルーマニア国内における被告人の身柄拘束につき、「同国の政府機関に拘束された被告人に対し、同国の主権に基づく国外退去強制手続として行われたものであり、その身柄拘束をもって我が国の捜査機関による逮捕と同視することはできない」とするのみで、同国における身柄拘束の法的根拠を明らかにすることなく、また、同国における身柄拘束の違法性を指摘するものではないが、その趣旨は、「外国政府の機関が違法な身柄拘束を行っても、それに連続する日本国政府の逮捕手続が違法になるわけではない」とするに尽きる。 しかしながら、ルーマニア国内において上記午前7時から午後7時までの約12時間の被告人の身柄拘束が、その主体も明らかならざる、法的根拠もない違法な拘束であることは明らかである。   即ち、原審証人加藤和雄(以下、「加藤」という。)証言(第32、第33回)において、「ルーマニア国の外国人の地位に関する規定違反を根拠とする身柄拘束は、同日の午後7時以降の段階である」こと、よって、午前7時から午後7時までの間は、同規定違反を根拠とする身柄拘束ではなかったことが述べられており、加えて、午前7時から午後7時の間の身柄拘束の主体及び根拠については、加藤証人も、また、被告人の移送に関わった豊見永栄治(以下、「豊見永」という。)証人(第30、第31回)も、明らかにすることはできなかったからである。   そして、外国政府の不明な機関による違法な身柄拘束であっても、日本国政府が、その違法な身柄拘束を利用し、且つ、違法な身柄拘束に連続して逮捕手続を行った場合には、同逮捕手続は、違法の瑕疵を帯びると解するべきである。   この点、福岡高等裁判所那覇支部1974年5月13日判決(昭和48年(う)第59号、刑事裁判月報6巻5号533頁、判例時報763号110頁)は、米軍捜査官が不正に作り出した状況に基づき麻薬取締官のなした現行犯逮捕は不適法である旨判示しており、本件における、ルーマニア政府による違法な身柄拘束により、本件日本政府による被告人逮捕が違法の瑕疵を帯びることは明らかである。   にもかかわらず、原判決は、同逮捕手続を適法とするものであり、この点の原判決の判断は、誤りである。 (3) 強制送還の違法性 1)「強制送還」の法的根拠   被告人は、上記に見た根拠不明の身柄拘束を経た後、ルーマニア国内法に違反した者とされて、その居住権を剥奪され、国外退去処分とされた。よって、被告人の国外退去には法令上の根拠が一応存在する。   そして、被告人は、日本に向けた航空機が日本の領空に入った段階で、機内において、警察官佐藤司郎に通常逮捕状を執行された。上記逮捕状の執行とそれ以降の被告人に対する身柄拘束にも法令上の根拠は一応存在する。   では、ルーマニア国外から日本国領空に至るまでの被告人に対する身柄拘束の根拠は何であるのか。その身柄拘束の法的性格は何であるのか。これが、いわゆる「強制送還」の法的根拠の問題である。   日本とルーマニア国との間には、犯罪人引渡条約等は一切存在しない。よって、被告人を強制的にルーマニアから日本へ移送する法的根拠は直接的には存在していないのである。   よって、本件強制送還は、逮捕前に実質上逮捕と同視しうる身柄拘束が存在していたものであり、違法な手続きというべきである。 2)「強制送還」手続きは被告人に対する強制そのものである   上記「強制送還」の法的性格につき、本件公判前の勾留理由開示公判においては、担当裁判官により、「任意同行」であると説明がなされた。また、検察官は、論告において、「日本国捜査官による被告人に対する強制力の行使が存在した証拠もない」(検察論告要旨69頁)と述べ、「送還の任意性」にその適法性の根拠を見出そうとしているように見える。   結局、問題は、ルーマニア国退去後、日本領空内での通常逮捕に至るまでの送還が被告人の任意に基づくか否かということになろう。そして、以下の事情から、その結論は、否というべきである。 @ 被告人は、ルーマニア国での身柄拘束後、自己に対する身柄拘束の根拠について再三問いただして抗議し、ルーマニア国内での裁判を希望する旨表明し、日本警察に引き渡されることに反対している(第35回)。即ち、あらかじめ、日本に帰りたくない旨、明示的に意思表示をしている A 被告人は、ルーマニア国から出国の際、航空機搭乗までの間、後ろ手錠に腰縄を強制されており、出国手続きは省略され、航空機の目的地すら告知されておらず、出国先選択の余地が一切与えられていない(第35回)。 B 航空機搭乗後、手錠ははずされたが、被告人の座席周辺は、日本の当局者としか考えられない日本人が取り囲み、被告人がトイレに行く際も日本人当局者がこれに付き添うなどした。また、被告人は、機内においても航空機の目的地や自己の法的身分について一切説明をされていない。なお、航空機内は密室であり事実上離脱の不可能な状態であった(第36回)。 C 航空機がアブダビ空港に到着後も被告人の周辺を日本人当局者が取り囲む状態は続いた。従って、同所から離脱することは事実上不可能な状態であった(第36回)。 D アブダビ空港からバンコクまでの航空機内において、被告人は、天本浩義から入国カードを手渡されたが、被告人は、日本へ帰国する意思を有しない為、入国カードの目的地欄を記載しなかった(第36回)。即ち、日本に帰国の意思のないことが外形的に表示されている。  バンコク到着後もアブダビ空港同様に被告人の周辺は日本人当局者で固められ、同所から離脱することは困難な状況であった(第36回)。 E 成田空港到着後、被告人は、入国カードに記載することを係官から要求されたが、入国の意思がない為、その記載を拒否している(第36回)。 F なお、本件旅券に関しては、被告人がルーマニア国から国外退去される際、既に天本浩義に確保され、後に豊見永、佐藤と経由し、押収されるに至っている(第35、第36回)。即ち、実質的押収は既に国外においてなされていたのである。また、被告人が「自由に行動できる状態」というためには、最低限、自己の所有物を自己の管理に置くことが必要であるが、被告人がかかる状態になかったことは明らかである。 G 一方、原判決が、「自然で、具体的な証言をしている上、記憶にあることとないことを明確に区別して証言するなど、真摯な証言態度が窺われ、また、その内容もおおむね符合していて、特段矛盾する点は見当たらないのであるから、いずれも信用することができる」(原判決50、51頁)として、その信用性を認めた高松國男、佐藤司郎らの証言を検討する。   高松國男証人によれば、本件は、任意同行にすら当たらず、日本国警察は、被告人に対し、「手も口も出さなかった」と証言されている(第38回)。逮捕状の執行に当たった佐藤司郎らも、上記高松証言に沿った証言をなし、被告人には身体の自由がある状態であり、よって、被告人は、たまたま同人らについて来たに過ぎないかのような証言をしている。   しかしながら、日本国政府当局は、「超法規的釈放」の直後、被告人を国際指名手配とし、その行方を追ってきたのであって、被告人がルーマニアにて身柄を一旦拘束されたとの報を聞けば、その身柄拘束状態を維持すべく努めるのが当然である。日本国政府当局者らが、航空機内やトランジットルームにおいて被告人の周辺を取り囲もうとしたり、被告人に対し、出国先の選択の機会も与えず、その法的身分の説明もあえてしなかったことは、その端的な現れであり、日本国政府当局の被告人に対する身柄拘束状態維持の姿勢を表すものである。   しかも、日本国政府当局は、ルーマニア国の不明な機関により被告人が違法に身柄拘束される以前から、被告人の身柄確保のために、ルーマニア国政府と「協力」していたものである(第30回、第31回豊見永証言調書)。   高松証人らは、直接被告人に手錠を掛け、あるいは、被告人を押さえつけて連行しなかっただけで、周りを10名以上の警察官に取り囲まれた状態で、被告人に身体の自由が存したわけはない。   にもかかわらず、被告人が「偶然高松らについて日本に帰ってきた」などということはあり得ないのであって、高松らの証言のどの辺りが、「自然」で「真摯」なのか、理解に苦しむと言わざるを得ない。   また、被告人が再三にわたり帰国のない旨表示しているにもかかわらず、その点は無視されたのであるから、日本への移送は、被告人の意思に基づかないことが明らかである。確かに、被告人は、航空機内や空港においては、逃走などの行為には及んでいないが、これはそもそもかかる行動が物理的に不可能ないし著しく困難であったことに基づくものであって、被告人に帰国の意思がなかったことと矛盾するものではない。   よって、被告人が、任意に帰国したかのごとき高松らの証言はすべて信用できないというべきである。  (4) 違法収集証拠の証拠採用の違法性   以上にみてきたとおり、被告人のルーマニア国内における午前7時の身柄拘束は違法である上、被告人のルーマニア国から日本国への移送は、いわゆる「任意同行」としては評価することが困難であり、その他、その移送の適法性を直接説明する法令は存在しない。   要するに、被告人に対するルーマニア国内での身柄拘束も、被告人に対する「強制送還」についても、法令の根拠なくしてなされた強制処分というべきであり、本件旅券は、上記根拠なき手続きを利用して採取された証拠であることは明らかである。   即ち、本件旅券は、違法な手続きを利用してなされた違法収集証拠というべきであり、原審による証拠採用決定は、この点に関する評価を誤ってなしたものであるから、取り消されるべきであった。   よって、仮に、本件違法な逮捕手続に基づく公訴提起自体を適法とするとしても、本件旅券は、違法な手続に続く違法収集証拠として、証拠排除されるべきであった。   この点、違法収集証拠を証拠採用してなされた本件偽造私文書行使事件の原審には、訴訟手続の法令違反が存する。 第3 事実誤認(刑事訴訟法第382条)  1 連続企業爆破事件  (1) はじめにー「大地の牙リーダー齋藤」の主導性について 1)  リーダー齋藤の存在と死亡(控訴審において追加立証予定)    齋藤は、本件一連の連続企業爆破事件を行った「東アジア反日武装戦線”大地の牙”」のリーダーであり、被告人を、本件一連の犯行に導き入れ、被告人を指導し、本件事件の犯行の一部を担わせた首謀者である。    また、被告人は、1974年6月頃から、齋藤と恋愛関係にあり、1974年末以降は、内縁関係にもあった。    齋藤と被告人は、1975年5月19日早朝の関係者一斉検挙の際に、同居していたアパートにおいて共に逮捕された。    齋藤は、逮捕当日、所持していた青酸カリ入りカプセルを服用し、自殺した。    この齋藤の死により、本件に関し、齋藤が行った犯行のかなり多くの部分、齋藤がのみが保有していた関連する多くの情報、多くの事実については、法廷においても明らかとされることのないまま、被告人さえもその内容も詳細も全く知らぬまま、闇に葬られることとなった。    しかしながら、被告人の本件への関与は、齋藤の存在と、齋藤による指示、指導、即ち、「主導」「首謀」なくしては、決してあり得なかったものである。    勿論、弁護人としては、被告人を、本件一連の事件の「”道具””駒”に過ぎない」などと、過小の主張をなそうとするものではない。    しかしながら、リーダーである齋藤の死亡がなければ、本件の全貌やその中における被告人の役割、関与形態等の事実関係はより明らかとなり、また、被告人の「従属性」もより明確に立証されるものと考える。    齋藤が存命で、被告人と共に裁きを受けていたならば、被告人に対する無期求刑はあり得ず、原審において、被告人が「懲役20年」ものあまりに過分な重刑を科せられることもなかったものである。    そこで、本件連続企業爆破事件における被告人の真の役割、立場、関与態様等の事実関係を明確にするために、”大地の牙”リーダーであり、本件連続企業爆破事件の「主犯」「首謀者」である齋藤の経歴、人となり、被告人との関係を論ずることとしたい。    なお、以下に述べる内、齋藤の行動の評価に関わる点は、弁護人の見解であり、被告人の認識・評価とは必ずしも一致しない点も存することを付言する。  2) 齋藤の活動歴・思想形成の過程(1999年5月21日大道寺証言、  第97回C(以下、「C」という。)証言、他控訴審において  立証予定)    被告人の所属する”大地の牙”は、三井物産爆破事件直前期に結成されたと考えられるが、このグループを結成し、主導し、”大地の牙”としての活動を行ってきたのが、リーダーである齋藤である。    齋藤は、1947年11月14日、北海道室蘭市において出生し、高校時代は、北海道立室蘭東高等学校に進学し、高校在学中には、第三世界革命論、ベトナム反戦等を唱えるD、E、Fら「東京行動戦線」の機関紙「東京行動戦線」を定期購読し、1966年3月10日、同高等学校を卒業後、同年4月1日、東京都立大学人文学部第1部に入学した。    大学時代、齋藤は、哲学、社会学などを専攻しつつ、ベトナム反戦運動に身を投じ、第1審証人C(以下、「C」という。)らの主宰するベトナム反戦直接行動委員会に参加し、1966年10月19日には、米軍に機関銃等の武器を供給していた「日本特殊金属(株)」に対し、同社の米軍への武器供給、ベトナム戦争加担に抗議し、10数名と共に、同社の田無所在の工場に侵入し、角材で配電盤を破壊する事件を起こした。    この件で、C外約12名は起訴されたが、齋藤は、訴追を免れ、しばらくは、事務作業や救援活動等、あまり表に出ない活動を担当するようになった。    その後、Cが中目黒付近の1室を借りて立ち上げた「黒層社」という事務所に出入りし、「反戦通信」というミニコミの編集に携わり、また、米軍立川基地の拡張に反対し、基地付近にテントを張って抗議の座り込みをし、また、市内をデモするなどの活動を行っていた。    この黒層社時代の仲間で、Gという人物は、爆弾を製造し、それを誤爆させるという事件を起こしており(第97回C証言18頁)、この当時は、齋藤自身爆弾闘争に特に関心は抱いていなかったものの、後に、齋藤自らが爆弾闘争に傾倒して行く段階で、Gの話が注意点として生かされることになる。    また、1970年頃には、H(佐々木規夫の実兄)、Dらが主催する「レボルト社」の活動に参加し、「世界革命運動情報」の編集に携わる傍ら、佐々木規夫らと親交を深め、1971年には、小樽の佐々木らの実家にしばらく逗留し、また、その後、北海道内を旅行し、地元のアイヌ民族運動の活動家らと接触し、アイヌ民族問題への理解を深めた。    また、「レボルト社」のHらは、当時、韓国の民主化運動に対する関心が深く、韓国の民主化運動組織とも交流を持ち、意見交換などしていたことから、齋藤も、自ら韓国語を学び、3回以上にわたり渡韓し、現地の民主化運動組織と交流を図った。    これら齋藤の北海道や韓国における体験が、齋藤の「反日」思想を培い、東アジア反日武装戦線”大地の牙”の活動のバックボーンとなったものと推測される。    同じく、1971年には、東京渋谷の語学教育教材会社の従業員の解雇問題、退職処分撤回を巡り所謂「テック闘争」が起こり、齋藤は、救援体制を仕切る防衛隊長として渋谷ハチ公前などでハンガーストライキを図る従業員らの支援や、抗議のビラまきを行った。    この「テック闘争」に、全く別の人脈から、知人を支援するために参加していたのが被告人であり、この運動の中で、被告人は、齋藤やCらと知り合うこととなる。    また、齋藤は、テック闘争を通じて知り合った評論家のEが、花岡事件等について取材し、執筆する際の手伝いなどをしている。    このような活動に専心する中で、1971年3月31日、齋藤は、東京都立大学を退学し、反体制運動、反日闘争、日韓連帯運動等に専念し、「革命家」「活動家」として、その後の人生を歩んでゆくことを決意する。  3) 齋藤の反日武装闘争グループ組織形成(1999年5月21日大道寺証言、第97回C証言、他控訴審において立証予定)    齋藤は、そのような様々な活動を通じ、日本の戦争責任や、日本帝国主義、その尖兵たる企業の海外進出の問題性などを深く心に刻み、1974年以降、佐々木規夫ら「東アジア反日武装戦線”狼”」の呼びかけに呼応し、連続企業爆破に身を投じてゆく。    齋藤は、「都市ゲリラ」として、連続企業爆破闘争に参加するに際し、自らこの非合法活動を共に実現する「グループ」を形成しようとする。    そして、1974年初夏段階においては、この反日武装闘争のために数名の同士を獲得しており、その内の1人が、被告人である。    そのグループのメンバーの構成・任務分担としては、活動の内容が、主要には、「武装闘争」「爆破活動」であることから、@標的を設定し、爆破計画を立案する者、A爆弾製造の知識を有し、爆弾製造を分担する者、B標的に関する情報収集、下見などの調査活動を分担する者、C爆弾の設置など爆破活動実行担当者、D連携組織との連絡係、Eカンパ活動など資金提供をなす後方支援者、であった(別表各事件「工程表」参照)。    そして、活動が、爆弾闘争、爆破活動という非合法武装闘争であることから、グループ内においても厳格な情報管理がなされ、グループのメンバー相互間では、基本的に連絡を採ることを最小限に留め、メンバーの一部が摘発されても、他のメンバーの情報が漏洩することのないよう、リーダーである齋藤を除き、他のメンバー同士は、その個人情報もほとんど交換できない状態になっていた。    また、このグループは、所謂「アルジェ方式」に則り、その役割毎に3名程度の単位の更に小さなグループに区分けされており、その小単位のグループ内では一定情報が共有化されるものの、他のグループの情報は、基本的に共有されない仕組みになっていた。  4) 齋藤の被告人に対するオルグ(組織化)(第99回被告人公判供述他、控訴審において、追加立証予定)    齋藤は、1971年頃、前述「テック闘争」において知り合った被告人が、学生運動などの運動経験はほとんどなく、特定党派等の思想も有していないが、正義感が強く、社会問題に対する関心も高いことを知り、被告人を、自らの「協力者」として養成することを考えつき、被告人に対し、折に触れ、「読んで感想を聞かせてください」などと言って、自ら持参した朝鮮文学やロシア文学などの書籍を貸し与え、次に会ったときにその書籍の感想を聞くなど、オルグ活動を開始した。    齋藤のオルグの仕方は、被告人に対し、好意や関心を示し、被告人から読書の感想や、意見、また、個人の情報などを聞き、多少示唆的な話はするものの、齋藤自身の個人情報は、戸籍名を含め、ほとんど話さないというものであった。    被告人は、C証人らから、齋藤について、被告人から見ると3歳以上年上の「筋金入の活動家」であることなどの紹介を受け、尊敬の念を抱くようになったが、齋藤が何のためにどのような活動をしているのかも知らず、特に親しく接していた訳でもなかった。    しかしながら、1974年2月頃、この当時は、未だ被告人と齋藤の間には、特に恋愛関係等なかったにもかかわらず、「山口県萩市に調査に行くので、貴方の山口の実家に泊めて貰えないか?」などと言って、齋藤1人で被告人の山口県a市bの実家を訪れ、「被告人の友達」として、被告人の実家に宿泊し、被告人の両親や実弟に会い、話をするなどしている(第99回被告人公判供述調書小海速記官部分19、20頁)。このような齋藤の被告人実家訪問は、被告人が、齋藤の目指す活動の「協力者」「同志」たり得るか、支障となる家族関係等ないかなどの身辺・身上調査を目的としていたものと考えられる。    また、同年4月頃には、齋藤は、被告人に対し、大道寺將司ら執筆の「腹腹時計」を貸し与え(同調書同部分20乃至21頁)、その回収に訪れた際に、「自分たちも、こういった闘争を開始するための準備を進めようとしている。あなたにも是非協力して貰うことになると思う」として、自らの反日武装闘争の決意を表明し、被告人に対する協力の打診を行った(第99回被告人公判供述調書野田速記官部分3乃至5頁)。 被告人は、当初、このような齋藤の要請に対し、「自分は革命とか、そういうのは分からないし、ここに技術とかゲリラの条件とか心得みたいなことが書いてあるけど、こういうのは自分はやれるとは思わないし、私自身は結婚もしたいし、子供も育てたいし、普通の生活をしたいから、こういうのは、ちょっとできません」と断わった(同調書同部分5、6頁)。    しかし、齋藤は粘り強く説得を重ね、更に、同年6月頃には、齋藤は、被告人に対し、「自分の身分が非常に不安定で、アジトを作るために家を借りたいんだけど、それもできないから、まず、それに協力してください」などとと言って、齋藤の身分をカバーする役割を要請し、具体的には、被告人宅に齋藤の荷物等を預からせ、その後、被告人に当時住んでいた住居を引き払わせ、別の場所に居を構えさせ、同時に、齋藤用のアパートを用意することを求め、更に、「友達に迷惑が掛かることを避ける」などの名目で、被告人に対し、それまでの交友関係の一切を絶つことを要求した(同調書同部分6、7頁)。    これに対し、被告人は、「お友達が大事だから」と断ったが、齋藤は、「1年間、私の身分が安定するまで、お友達との関係を切って、自分を支えてください」などと、被告人を重ねて説得した(同調書同部分7、8頁)。    そして、同年7月には、齋藤の粘り強いオルグ活動が功を奏し、被告人は、「自らを犠牲にして被抑圧人民のための闘争をしようとしている人のために、できるだけのことをしなければならない」といった気持ちが強まり、友人達には、「田舎に帰るから」などと嘘を言い、被告人が当時交際していた男性を含め、友人達との関係を一切絶ち、引っ越すことになった(同調書同部分8乃至10頁)。    また、被告人は、当時自分の仕事の収入などから蓄えていた貯金20万円を取り崩し、自分用の新しいアパートと齋藤用アパートを準備することになった。しかも、被告人は、被告人自身の貯金から敷金や賃料を負担させられて借りたアパートであるにもかかわらず、齋藤から、齋藤用のアパートは、「2DK・庭付き」の住居であることを聞いたものの、具体的な場所等は知らされず、勿論、訪れることすら許されなかったものである(同調書同部分8乃至10頁)。    齋藤は、このアパートを、「デザイン事務所」の名目で、グループの他のメンバーと共に「アジト」として使用していた。    被告人は、その後も、同年11月までは、齋藤の生活費まで、被告人の収入で賄い、闘争資金を「カンパ」させられるなどしているにもかかわらず、齋藤の住居の場所も知らされず、齋藤が被告人と会っていないときに何をしているかも、誰と会っているのかもほとんど知らされなかった。    また、齋藤は、被告人を教育するために、「あなたはちょっと勉強した方がいい」などと言って、レボルト社が出している「世界革命運動情報」などのパンフレットや太田竜やチェ・ゲバラの本を被告人に渡し、「ここを読んでおきなさい」などとアドバイスし、会ったときには学習会を開き被告人を指導した(同調書同部分10、11頁他、控訴審において、追加立証予定)。    この当時は、学生運動などにおいても、先輩後輩の序列がかなり厳然と存在していたところ、被告人にしてみれば、3歳以上年上で、被告人自身の学生時代にはあまり理解も経験もなかった左翼運動の活動家である齋藤の熱心なオルグに対し、疑問や反論の余地など無く、齋藤に説得され、その指揮下に加わることになる。    無論、被告人としては、自ら主体的に「被抑圧人民のための闘争を支援する」気持ちを有し、齋藤の要求に応えようとしていたものである。 がしかし、その過程を客観的に観察すると、「交友関係など、特にプライベートな外部との関係を絶たせ、齋藤(或いは、組織)との関係を唯一のものとさせる」「収入や資産を可能な限り最大限『活動のために』提供させる」「対象者の考えや情報は子細に聞き取るが、対象者に対しては、齋藤(組織)の情報を極力与えず、また、情報を記録することも許さない(情報の一方的統制)」「対象者に、『自分の協力は不十分であり、もっと協力しなければならない』気持ちを持たせる」等の齋藤のやり方は、党派の幹部などが、活動に関心はあるものの、未だ何も事情を知らない素人をオルグ(組織化)し、その配下に加えようとする手法を想起させるものであって、このような関係性からすれば、被告人は、「補佐」と言うほどの地位にすらなく、原判決認定の、被告人は、「齋藤を補佐する従属的立場にあった」という以上に、被告人の齋藤への「従属性」は明白且つ厳然たる上下関係に立つものであったと考えられる。    そして、このような厳然たる上下関係を前提とする関係は、同じく、東アジア反日武装戦線の中では、”さそり”グループに顕著に見られる。即ち、”さそり”も、リーダー黒川をリーダーとする上命下服の組織であり、例えば、組織防衛上の必要もあって、情報は、リーダー黒川のみが把握・独占し、その配下の宇賀神寿一(以下、「宇賀神」という。)らには共有されないなど(第94回宇賀神証言調書小海速記官部分19乃至23頁)の一方的な関係が形成されていたものであり、当時の左翼組織の中では、このような上下関係が半ば常識化されていた側面もあった。    なお、齋藤は、被告人を、当初は、齋藤自ら想定していたと考えられる上記@乃至Eの任務分担の内、Eの担当としてグループに引き入れた。    しかしながら、1974年8月の三菱重工ビル爆破事件により、齋藤にオルグされ、齋藤と共に反日武装闘争を担うはずであった何名かがグループから離脱してしまい、1974年秋頃には、グループは、人手不足に悩まされる状態となっていた。    そして、そのころから、被告人と齋藤は、「結婚を前提とする恋愛関係」を結ぶようになっていたこともあり、被告人に、後述するような、「実行犯的役割」をも振られてゆくことになる。 以上、このような齋藤の行動、及び、齋藤と被告人との関係に対する評価は、客観的・具体的な事実関係に対する弁護人の評価であり、被告人自身は、主観的には、「齋藤に指導、コントロールされた配下として、その命令に逆らえず行動した」訳ではなく、「齋藤の誘いを受けて同志として主体的に活動していた」と信じていたし、現時点においても、被告人がその点を否定するものではない。    しかしながら、当時、活動家の男性が、男女関係を基礎としつつ、女性を資金源として、或いは、配下として従属させるというあり方は、全共闘運動やその後の左翼運動においても見受けられた形態でもあり、後に、日本の「ウーマン・リブ運動」において、リブ活動家の田中美津氏らなどにより、「全共闘運動は、解放とか、自由とか標語を掲げながら、結局は、男性主導の運動で、女性達は、バリケードの中でも、食事の準備とか、カンパ集め、男性の指図の下指示通りに動く配下など、男性に従属する役割しか与えられなかった」という批判を浴びる所以でもある。   (2) 三井物産爆破事件 1) 被告人の関与の態様  @ 原判決認定に対する批判    原判決は、被告人の捜査段階における供述調書(乙14、18)の」信用性を全面的に肯定し、三井物産爆破事件につき、被告人の役割を以下のとおり認定する。    被告人は、下見のために、「三井物産館に数回赴き、うち一回は館内に入って、一階出入口、三階電気通信室付近等の下見をするなどして、三井物産館及びその周囲の状況や爆弾の運搬経路等について調査を重ね」、また、「齋藤から、小型目覚まし時計、ナショナルハイトップ乾電池、配線類等を渡され、東京都世田谷区にあった被告人の自室において、時限装置を製作し」「爆弾の缶体については、被告人と齋藤が相談し合って、なるべく口の小さい方が密封度が高くてよいと考え、最終的にはより強度の高い金属製湯たんぽを用いることとし」齋藤が湯たんぽを購入し、火薬を詰めるなどしたものを、被告人が提供した「菓子(東鳩サブレー)の金属缶」に入れ、齋藤において、「一隅を残して隙間をコンクリート様のもので詰め、残りの一隅に時限装置を装着した。」(原判決69乃至71頁)    被告人及び齋藤は、爆弾の爆破日時を1975年10月14日午後1時15分と決め、齋藤において、「同日、爆弾がこの時刻に爆発するように時限装置をセットした上、金属缶の上蓋をして缶の周囲をパテで塗り、茶色の包装紙で包んでひもを掛け、書類の包みに見せかけるなどして、自宅から地下鉄三田駅まで運搬し」、被告人は、「同日午後〇時一六分ころ三田駅において齋藤から爆弾を受け取」り、「地下鉄内幸町駅で下車して三井物産館に行き、正面入口から館内に入って階段で三階まで上り、通信部電気通信室三二一号出入口扉に面した第三広間に至り、同日午後〇時三四分ころ、第三広間の西側の湯沸室前の壁際コンクリート床上に爆弾を置いた。」    被告人は、「爆弾の設置を終えた後、再度、内幸町駅で地下鉄に乗車して御成門駅まで行き、爆弾の設置を終えたことを齋藤に連絡するため、同日午後〇時五〇分ころ、御成門駅改札口付近の公衆電話から、齋藤が待機していた地下鉄五反田駅前のパン屋にあった公衆電話に電話をかけ、あらかじめ齋藤と決めていたとおり、電話の呼出し音を三回鳴らすことによって齋藤に爆弾の設置が成功したことを伝えた。」(原判決72、73頁)    原判決が、乙14、18の被告人の捜査段階の供述調書の信用性を肯定した理由として、原判決は、2通の調書の「供述の一貫性」「核心部分の一致」及び「供述の具体性」、例えば、爆薬を詰める容器を湯たんぽと決めた理由について、「爆弾の缶体は何分初体験だったので齋藤君と知恵を出し合ってなるべく口の小さい方が密封度がよく当初はオイル缶も考えたのですが缶の肉が薄すぎるとみて最終的には湯たんぽを使うことに決定したのです」(乙14)と供述し、爆弾を犯行現場まで運搬する準備をした際の状況について、「現場に指紋を残してはいけないとの配慮から右の親指、人差指、中指と左の親指、人差指には肌色のテープを貼りつけて行きました」(乙18)と、「捜査官が知り得ない事情を含めて供述している」、「自ら図面(乙一八添付)を作成して説明して」いる点を理由として挙げ(原判決86、87頁)、「自然、かつ、具体的で、迫真性に富むもの」と評価している。    しかしながら、原告が、三井物産館内部まで爆弾を運搬し、第三広間西側廊下壁際に爆弾を設置したのは事実であるから、その部分の供述には、「具体的で」「迫真性がある」という見方もあり得るかもしれないが、缶体が湯たんぽだったことは、鑑定結果等から捜査官も知っている事実であるし、原判決の指摘する供述部分は、「捜査官の知り得ない事情」でもなく、況や、「秘密の暴露」でもない。殊更に、具体性や迫真性を認められる供述とは言い難い。    そもそも、被告人取調担当の村田元検事は、当時、既に42歳のベテラン敏腕検事であり、その村田元検事の作成した供述調書が、その表現等において、「具体的で迫真性に満ちている」のは、いわば当然であって、殊更に供述調書自体の信用性を高めるものとは考えられない。    また、原判決によれば、被告人捜査供述と「大道寺將司の捜査段階供述調書や期日外証人尋問証言と符合する」「相互に信用性を補強し合っている」とのことである(原判決87頁)。    しかしながら、まず、捜査段階の大道寺將司調書については、三井物産館爆破の当時は、そもそも、”狼”と”大地の牙”との間には、そもそも意識の上でも現実にも共闘関係はなく、また、両グループの連絡は、狼の佐々木規夫と齋藤で行っており、大道寺將司は、被告人に会ってもいない上、三井物産館爆破については、佐々木規夫を通じて、目的と日時程度しか知らされていないのであり(甲L3、大道寺將司5月26日付検面調書)、具体的な被告人の役割になど、興味すら抱いていなかったであろうし、現に、その点に関する記載など存在しないのであるから「符合する」というほどの具体性はない。せいぜい、「矛盾しない」程度である。しかも、この当時、東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件捜査のために、捜査官達がチームを作り取調を行っているのであるから、矛盾した内容の供述調書が作成される可能性はまずなかったであろう。    また、期日外の大道寺証言においても、三井物産館爆破について、特に捜査段階以上に具体性ある証言は出ていないのであるから、同様に「符合する」と言うほどでもない。  A 被告人の捜査段階供述には虚偽の自白が含まれ信用性を欠くこと    被告人は、三井物産館爆破事件における取調において、齋藤と被告人以外に関与した他のメンバーの存在を捜査機関から隠し、且つ、被告人の友人らを事件に巻き込みたくないとの気持ちから、自らの関与を過大に供述し、虚偽の自白をなしている。    このことは、弁49の6月14日付検面調書に対するコメント欄において、「いっしょうけんめい2人で十分なことを力説している」とあり、逆にいえば、真実は2人ではないことが示されている。  供述調書にある声明文については、被告人は作成・送付に関与しておらず、新聞に掲載されたもので初めて知った。検面調書では、被告人が切り貼りをした旨の記載があるが、これは被告人が”大地の牙”の他のメンバーの存在を隠す目的で供述したものに過ぎず、信用性はない。  この点、原判決は、弁49の「弁護人宛手紙」につき、「三井物産事件に他の者が関与した旨の具体的な記載がない上、そもそも、この手紙は、捜査段階において供述してから約二年後に公判廷への出廷を強固に拒否するなどして刑事裁判を受けること自体に敵対的な態度を示していた被告人が、公判対策の資料として弁護人に送付したものにすぎないのであって、信用性の高い書面ではない」(原判決91、92頁)として、その信用性等を否定する。  しかしながら、弁49は、被告人の公判供述よりも、実に24年も前に作成された書面であり、しかも、被告人が、捜査機関や裁判所に提出する予定ではなく、弁護人とのやりとりのために作成したという点で、被告人の公判供述とは独立した証拠と言い得る。  しかも、弁49は、「公判対策のために作成された資料」というよりも、当時、支援者及び共犯者間において、被告人らによる自白、殊に、初めに自供を開始した片岡に対し、自白の根底的総括が問われており(いわゆる「片岡自供問題」)、その結果、その他の各被告人らにおいても、自己のなした自白の総括が支援者らから求められた結果、その個々の被告人の自己総括の準備のために、弁49のような手紙が作成されたものであるに過ぎない。よって、その性格は、むしろ、被告人間の討議資料とも言うべきものであって、「公判のために作られた書類」ではないことは明らかである(控訴審において追加立証予定)。  もっとも、弁49に第3の共犯者の氏名等具体的な存在に関する記載がないことは、原判決指摘のとおりであるが、弁護人・被告人間の書簡と言えども、その秘密交通権が守られる保障はなく、よって、第三の共犯者に関する部分つき、「××××」などの伏字で表現せざるを得なかったとしても、その信用性自体が損なわれるものではない。  弁49は、確かに、第三の共犯者が「誰であるか」の証拠とは言えないが、少なくとも、第三の共犯者が存在した可能性を立証し、且つ、被告人が24年前にも公判供述と合致する供述をしていたことの裏付けにはなり得るはずである。   次に、爆弾の製造については、被告人は何ら関与していない。そもそも、被告人は爆弾についての初歩的知識すら欠いていた。なお、被告人の検面調書には、爆弾の構造について「湯たんぽ」、「東鳩サブレの缶」などの記載もあるが、前者は新聞に掲載されていたものであり、後者は被告人が齋藤と亀戸のアパートで同居を始めた後に事後的に齋藤から説明を受けたものに過ぎない。  時限装置については、被告人は8月中に、2、3個、目覚まし時計を元に作り、齋藤に渡したことはあるが、これが三井物産館爆破の爆弾に使われたか否かは不明である。被告人らが逮捕された後、未使用の時限装置が押収されており、その中には被告人が製造した2、3個が含まれている可能性もあり、そうであれば被告人の製造した時限装置は一連の爆弾闘争には使われなかったことになるが、この点は明確ではない。もっとも、刑事訴訟においては、「疑わしきは被告人の利益に」解されるべきであるから、検察官において被告人が製造した時限装置が現実に爆弾に使用されたことを立証していない以上、使用されていないと解されなければならないことは当然である。  起爆装置については、やはり被告人は何ら関与していない。被告人の検面調書には、被告人が作ったガスヒーターが使用された旨の記載があるが、検面調書上はガスヒーター1個を使用したと記載されているところ、実際の起爆装置はガスヒーター2個とソケット2組をバッテリーに繋いだものであったのであり、検面調書の記載は客観的事実にも符合していない。  B 被告人の現実の関与の態様・内容(別表「三井物産館爆破工程表」参照)   三井物産爆破事件に関する被告人の関与態様・内容は、要するに、9月末頃、齋藤から、”大地の牙”が三井物産館を攻撃対象とすることを聞き、その上で、齋藤に手伝いを申し出て、齋藤の要請に応じて、三井物産館の下見を行い、闘争日の前日(10月13日)に運搬ルートの調査を行い、当日(14日)に爆弾を運搬して置いたというものである。   なお、時限装置については、被告人は8月中に2、3個作って齋藤に渡しているが、これが爆弾に使われたか否かは不明である。   事件当日の具体的行動は次のとおりである。   被告人は、1975年10月14日当日有休を取って当時勤務していた北里大学の勤務を休み、午前10乃至11時頃、家を出て、新宿で通勤着を脱ぎ、三田で三井の制服として作った服に着替え、齋藤に会った。齋藤から爆弾の入った袋を受け取り、内幸町駅で降り、三井物産館に運んだ。爆弾は3階のテレックス室内の機械の近くに置く予定であったが、被告人が同室をのぞくと数名の男性が見えたため、爆弾を仕掛けるのを見られることを避けるため、同室のドアの外側に置いた。その後、被告人は、予定どおり、物産館を出て、電話ボックスに入り、前日、会った”大地の牙”の一員である高田と称する男性(以下、「高田」という)を確認し、内幸町に向かった。被告人は、内幸町から地下鉄に乗り、三田で洋服を着替え、浜松町から山手線内回りに乗り、途中の駅でベストを捨てて新宿に向かい、その後、井の頭公園に行き、齋藤及びもう1名の男性に合流した。   その後、被告人はアパートに帰り、大家から子どもがお腹を壊して熱を出したことを相談され、タクシーを拾って、一緒に病院に連れて行った。   そして、被告人は、公判段階においても、これとほぼ合致する供述をなしている(第100回被告人公判供述調書稲富速記官部分7乃至22頁)。   但し、捜査段階においては、それらのメンバーの逮捕を避けたいと思い、また、取調官から被告人の友人をみんな逮捕すると言われ、自分と齋藤の二人だけで全て実行したことにしないと、事件と無関係の知人にまで迷惑がかかると考えたため、自分が関与していない爆弾製造についても関与したと述べ、自分の関与を過大に供述した。(第100回同調書同部分12乃至14頁)。 C 被告人の公判段階における供述の信用性      この点、原判決は、「被告人は、大地の牙の他のメンバーの人数、性別、氏名、立場等については具体的に知らないなどと供述しているし、犯行の前日の打合せに同席したという男についても、犯行当日、被告人が爆弾を仕掛け終わった後、三井物産館付近ですれ違ったというだけで、この男が三井物産事件でどのような役割を果たしたのか何ら具体的な供述をしていない。」(原判決89頁)として第三者の存在に関する被告人公判供述の信用性を否定する。      しかしながら、第三者の具体性の欠如については、一方では、これまでにも詳述してきたとおり、組織の中では、機密保持のために構成員相互にも最低限の情報しか与えられず、構成員相互の個人情報など、他の構成員にほとんど知らされておらず、殊に、リーダー齋藤の組織する「アルジェ方式」においては、2〜3人のメンバー単位で役割分担をし、そのようなグループが複数で”大地の牙”を構成していた側面があり、その点からも、被告人は他の単位グループの情報からは隔絶されていたという事情もあり、他方で、被告人としても、組織名や人相等はある程度当然知っているとしても、やはり、公判段階でも、「第三者を名指しし、第三者に逮捕の危険を味あわせたくない」という心情から、敢えて具体的な説明を避けている面もある。      但し、控訴審においては、この「第三者」の存在について、より具体的な実態を立証する予定である。      また、原判決は、三井物産事件の前から佐々木規夫と齋藤は連絡を取り、その後は、大道寺將司と被告人があって連絡を取り合っていたところ、大道寺將司期日外証言においても、「大地の牙グループの構成員は齋藤及び被告人であった」旨述べられており、「被告人及び齋藤が狼グループに対し大地の牙のメンバーの数について過少に話すべき動機があったとは窺われない。」とする(原判決90頁)。この点、大道寺將司が、被告人と齋藤以外の大地の牙のメンバーを知らなかったこと自体は事実であるが、それは、大道寺將司が、齋藤と被告人以外のメンバーに会ったことがなく、また、他のメンバーにつき、特に説明を受けていないからである。      そして、逆に言えば、被告人も、狼グループについて、そのメンバー構成や人数、具体的なメンバーが誰かなどを知らなかったのであるから、大道寺が知らなかったとしても全く不思議はない。      現に、原判決指摘部分以外の大道寺將司証言を追って行くと、大道寺は、”大地の牙”については、「具体的なグループのメンバー、或いは人数というのは認識していなかった」(1999年5月10日大道寺証言調書野田速記官部分10頁)が、1974年10月頃の「連絡員交替」に伴い、「宮田(被告人)」を新たな連絡員として紹介されたために、齋藤と被告人の2人を、”大地の牙”のメンバーとして特定したというものであって(同調書8頁)、「他にメンバーは存在しない」と説明されていた訳でもなければ、大道寺証人自身が、他のメンバーの存在を詮索したこともないのであり、大道寺証言と被告人公判供述は、何ら矛盾するところはない。      また、原判決は、齋藤らが大道寺將司に対し、「過小に話すべき動機があったとは伺われない」とするが、そもそも、東アジア反日武装戦線は、武装闘争、非合法都市ゲリラ活動をするグループの複合体であり、「共闘している」といっても、グループ内の秘密保持は、至上命題であり、たった一人の逮捕により、全グループ全メンバーの情報が漏れ、組織が瓦解する虞もあるのである。グループ同士で連絡を取り合うときでも、全グループの全メンバーが「合同コンパ」のように顔を合わせる機会などあり得るはずもない。また、齋藤など、被告人に対してすら、グループ内の情報をかなりの部分秘匿していたのであるから、況わんや、別グループの大道寺が大地の牙の組織構成を知らなかった、知ろうともしなかった、齋藤らも教えなかったことには、「秘密保持」という「動機」があるのである。      更に、原判決は、上に、「被告人が他のメンバーの逮捕を避けたいと考えた場合でも、わざわざ自分の関与を過大に述べなくとも、齋藤が製造したと思う旨供述すれば足りたのであるから」、「被告人が一部において虚偽の自白をした理由として述べるところは合理性に乏しい」として(原判決90頁)、大地の牙の第3のメンバーの存在や爆弾製造につき捜査段階で虚偽自白をしたとする被告人の公判供述の信用性を排斥した。      しかしながら、被告人は、現実に複数でなされたことを認識している犯行部分については、その「共犯者の安全」を考慮せざるを得ず、また、被告人の夫である齋藤が逮捕直後に自殺した事情等を勘案すれば、被告人が捜査段階に「虚偽自白」をせざるを得なかったことには、少なくとも、被告人にとっては合理的な理由があったものである。即ち、現実には、三井物産館爆破は、齋藤と被告人及び大地の牙の他のメンバーによって遂行されたところ、被告人自身も、「他のメンバーも参加した」ことを知っている以上、取調過程で、その点を意識して説明をせざるを得ず、また、取調担当検察官・警察官からも、「他には誰が関与しているのか?」という質問は頻発していたのであるから、勢い、他の人物を庇うために、自らの関与を過大に供述することになってしまう。       また、この本件取調当時の被告人の心理状態として、「自分が関わった活動の詳細につき真実を述べよう」とか、況や、「自分に有利な供述をしよう」などという意識は、ほとんどなく、むしろ、齋藤が自殺したのに自らは生き残っていることの罪悪感の故もあり、「私も和君と共に死ぬべきであった、なのにまだ生きている」「和君のやったことは、私のやったこと」「和君と私は一緒、一心同体」「和君のやったことの責任は、全部私がとる」という思いから、齋藤のやったことには、全て自分もその場に関わっていることを主張しようとしたものである。無論、このような心理状態は、到底、通常では考えられないことではあるが、被告人にとって、齋藤は、「作戦遂行上の単なる共犯者」ではなく、「最愛の夫」であり、しかも、「和君は、被告人自身や他の仲間を庇うために自殺した」との思いがあるのであるから、「齋藤がやったこと、私は知りません。関わっていません。」とは言えなかった、言いたくなかったのである。      加えて、前述のとおり、取調においては、一方では、「齋藤のせいにして自分は逃れようと言うのか」と誹られ、他方では、「お前は、弱い女なんだから、齋藤のせいにして助かればいいんだ」と唆されると、被告人自身の自負心や自意識から、「いや、私は和君のせいになんかしない」「和君と一緒に私もやったんだ」と強調してしまうという図式ができあがっていたものである。      よって、捜査段階の「虚偽自白」の理由には、被告人にとっての合理性がないわけではない。      しかも、公判廷供述においても、被告人は、三井物産館爆破事件においては、被告人としては、「爆弾の運搬・設置」という、「実行行為の核心部分」への関与を認めているのであるから、今更、「第三者の存在」を主張し、「爆弾製造への関与」部分についてのみ虚偽供述をしてみたところで、特に被告人にとって有利になるとは考えられず、むしろ、「不合理な弁解」とか「潔くない」「反省していない」などの誹りを受けかねないところ、敢えて、この点を否定しているのは、現実に、大地の牙には齋藤と被告人以外のメンバーがおり、その者が齋藤と共に爆弾を製造したと記憶しており、被告人が爆弾製造に関わった記憶がないからである。      原判決としても、「被告人の公判段階における供述のうち、齋藤の周囲に打合せに同席するなどして大地の牙グループの活動に協力する者がいたという供述が全くの虚偽と断定することはできない」として、第三者関与の可能性自体を認めているのであり、被告人の公判供述の信用性を全く排斥しているわけではない。  D 第三者の存在に関する補足   三菱重工爆破事件(8月30日)直前における、齋藤・被告人らのグループの構成員は、齋藤、被告人、高田と称する人物(以下、「高田」という)、及び、あと数名の人物であった(第99回、第100回被告人公判供述他、控訴審において、追加立証予定)。  9月中旬、齋藤から、同人たちのグループも、三菱の闘争を克服する意味で、次の闘争を準備しようとしており、そのグループの名称を”大地の牙”とすることを聞かされた。  三菱重工爆破事件以後、爆弾闘争において死傷者が出たことに対する疑問から、大地の牙の構成員のうち、何名かは”大地の牙”から離れていった。  ”大地の牙”は、「アルジェ方式」、即ち、複数の小グループで構成し、1名だけが他の小グループと連絡を取るという組織形態を取っており、具体的には兵站を担当する被告人及び高田と実行部隊の間を齋藤が連絡するという形であった。   なお、被告人の検面調書は、すべて”大地の牙”が被告人と齋藤の2名だけであるという前提で作成されている。それ故、三井物産爆破事件について、被告人は、実際の関与以上の役割を分担したこととなっている。   しかしながら、たった2人で”大地の牙”の事件を全て遂行することは、他のグループとの比較においても不可能である。   即ち、狼グループは、大道寺將司をリーダーとして、三菱重工事件以前に離脱したメンバーや、その後も、事件自体には参加しなかった準メンバーを加えれば、総勢4名から7名程度を擁し、さそりグループも、黒川をリーダーとする総勢3名の組織である。   また、後にも詳述するとおり、本件を含む一連の連続企業爆破の、各々の実行犯は、グループ別に、     @ 三菱重工は狼、     A 三井物産は大地の牙、     B 帝人中央研究所は狼、     C 大成建設は大地の牙、     D 鹿島建設はさそり、     E 間組本社の内、9階は狼、     F 6階はさそり、     G 間組大宮工場は大地の牙、     H 韓国産業経済研究所は大地の牙、     I オリエンタルメタル製造は大地の牙、     J 間組の市川の工事現場はさそり     K 間組江戸川鉄橋作業所はさそり    ということになる。     勿論、東アジア反日武装戦線提唱者の狼グループは、1971年から爆破活動を開始しており、連続企業爆破前にも、熱海の殉国七士の碑等の爆破、鶴見の総持寺納骨堂の爆破、札幌の北大北方文化研究室及び旭川市常盤公園の風雪の群像の同時爆破、及び、荒川鉄橋爆破未遂などの事件を起こしてはいるが、企業爆破としては、3件、それ以外を合わせても、狼が、5年間の年月を掛けながら8件、さそりが、4件であるのに対し、大地の牙は、1974年秋から1975年春の短期間に5件の企業爆破を実行していることになる。     しかも、韓国産業研究所とオリエンタルメタル製造の同時爆破、関西と関東、東京と尼崎という地理的にも全くかけ離れた地域の同時爆破であって、これだけの事件を、たった2人の人間に遂行できたはずはないのである。     この点については、本書面末尾添付の「三井物産館爆破工程表」「大成爆破工程表」「間(大宮)爆破工程表」「韓産研(オリエンタルメタル)工程表」「オリエンタルメタル(韓産研)工程表」の各表を参照されれば、各事件の作業工程の膨大、煩雑さ、到底2人のみでなし得る作業量ではないことが理解されるはずである。     しかも、被告人は、本件5件が遂行された1974年から1975年に掛けて、北里大学や朝日生命成人病研究所でほとんど休まずにフルタイムの仕事をしていた「キャリア・ウーマン」でもあったのであって、時間的にも、そのようなゆとりがあったはずはない。     加えて、狼の大道寺將司、片岡、大道あや子、佐々木規夫らが、大学時代から学生運動を通じて連携を深め、共に問題意識を共有し、数年以上の時間を掛けて爆弾闘争に踏み切った同志達であり、また、さそりも大学時代からの山谷などの寄せ場下層労働者の問題などに関わりながら問題意識を深めてきたグループであったのに対し、大地の牙においては、齋藤は、勿論、前述のとおり、筋金入りの「活動家」であるが、被告人自身は、学生運動にもほとんど参加しないまま、素直に大学を4年で卒業し、「過激派」としてはほとんど考えられない普通の就職をしていた女性であって、齋藤の熱心なオルグに遭うまでは、「武装闘争」など考えてもいなかった者である。     その被告人に、他のより多数のメンバーを擁するグループにも不可能な数の事件を遂行する能力などあろうはずはない。     大地の牙が、他にもメンバーを擁していたことは紛れもない事実である。     そして、そのメンバーの1人は、乙9添付の電話センター協栄サービス記録において、「中川こと齋藤」と頻繁に連絡を取っている「高田」である。  2) 殺意及び「人の身体を害する目的」の不存在    @ 殺意及び人の身体を害する目的の有無に関する原判決の判断      原判決は、まず、「爆弾の威力」について、「第三広間付近の窓ガラスのほとんどが割れたこと」「自動販売機の表側鉄板がはずれたこと」「爆心地から約70メートル以上離れた窓ガラスも破壊されたこと」「被害者の中には飛散したガラスの破片で負傷した者がおり、また、爆風により吹き飛ばされた異物が左頭骨内に刺さった被害者もいることな」などを挙げ、「爆弾の威力が相当強力であった」と認定する(原判決92、93頁)。      そして、その爆弾の威力を前提とすると、「少なくとも、爆心地であった第三広間並びに付近の廊下及び事務室内にいた被害者らは、爆発時の爆風、飛散した弾体、破壊された壁や窓ガラス等の破片、書棚等の重量物の転倒等によって死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められ」るとして、第三広間、付近廊下、事務室内に現在する人につき、死亡の客観的可能性・蓋然性を認める。さらに、三井物産館三階のその他の場所、物産館外周の歩道上に居合わせた人々にも、窓ガラスの破片などによる負傷の客観的可能性があったと指摘する(原判決93頁)。      そして、「殺意の有無」については、「爆弾の威力は相当強力であった上、被告人及び齋藤は、その威力を認識しつつ、綿密な調査を重ねて、平日の昼間、人通りの多いオフィス街にあった大企業の本社ビル内に爆弾を仕掛けたのであるから、その爆弾の爆発により、付近にいた者らを死亡させる可能性があることを当然に認識していたものと認められる」、しかも、被告人らが予告電話を架電した点を捉え、「予告電話で警告して避難を求めるという行為自体、被告人及び齋藤が爆弾の爆発によって付近に居合わせた多数の者を殺傷する結果の生じることを予測していた証左である」として、「結局、被告人及び齋藤の主目的が企業施設の破壊にあったとはいえ」、少なくとも爆心地付近の第三広間や廊下、事務室内に現在した人に対しては、「死亡する可能性があることを認識しつつ、これを認容して、あえて犯行を実行したと認めることができ、被告人に未必の殺意があったことは明らかである。」と認定する(原判決94乃至96頁)。      そして、「人の身体を害する目的の有無」についても、「未必的に人の身体を害する目的があった」と認定している(原判決96頁)。      他方で、「概括的確定故意」を主張する検察官に対しては、被告人らの「爆弾闘争によって企業の中枢を破壊して経済的侵略行為を阻止」するために「海外事業に必要な機能が集中している三井物産館三階電気通信室内の機械等を破壊しようとして犯行に及んだ」という犯行動機・目的、及び、共犯者齋藤が、「爆発の二〇分ほど前に、三井物産館内の三か所に電話をかけ、爆弾を仕掛けたことを告げて、避難を求めた」事実に照らし、被告人らが、「爆弾の爆発によって三井物産の従業員らが死亡することを確定的に認識し、あるいは積極的に意欲していたとはいい難い」として、検察官の主張を退けた(原判決96乃至98頁)。      この点検察官の「概括的確定故意」の主張を退けた点は、原判決は正当であると考える。      しかし、被告人らに「未必の殺意」「未必の他害目的」を認めた点には、事実誤認があると考える。      即ち、確かに、被告人らは、予告電話をかける時点で、「予告電話をかけなければ、死傷者が出る可能性がある」ことは認識していたが、予告電話をかけることにより、「死傷者発生の蓋然性を解消し得た」と誤信していたものであるから、被告人らに、「死亡結果発生の可能性・蓋然性の認識」はない。      仮に、百歩譲って、死傷者発生の可能性・蓋然性事態を認識していたとしても、被告人らは、「死亡結果を認容」する意思はなかったものであり、被告人らの主観は、せいぜい「認識ある過失」に止まる。      以下、詳述する A 被告人らには「未必の殺意」も「未必の他害目的」も存しないこと   被告人らは、絶対に人を負傷させてはならないと考えていたのであり、殺人の故意はもちろん、「人の身体を害する目的」も有していなかったことは、以下の諸要素からみても明らかである。 a. 爆破の目的(第100回被告人公判供述調書野田速記官部分16頁、稲富速記官部分15、16頁、1999年5月10日大道寺將司証言調書野田速記官後半部分1、2頁)  ”大地の牙”が三井物産を爆破対象に選定した理由については、被告人は齋藤から特に説明を受けてはいない。しかし、”狼”が三菱重工を爆破対象とした理由が、三菱財閥が、戦前、日本帝国主義の侵略戦争に積極的に加担し、中国、朝鮮、台湾、東南アジアにおいて、土地・資源・労働力を収奪し、戦後も東南アジア諸国への経済侵略を積極的に進めている上、三菱の過去の犯罪行為を人民の名において処罰することと、心理的経済的打撃を与えることによって現在の海外侵略にブレーキをかけることにあり、その闘争の意味を正当に継承するものとして”大地の牙”の闘争が位置づけられていたことから、被告人は、動機においては、三菱重工と同様の理由であると理解していた。  但し、齋藤及び被告人らは、いずれも、死傷者を出した三菱重工の結果に対しては、明確に誤りであると考えており、その結果に対しては、明らかに否定的評価を下していた。  そして、その三菱重工の結果への否定、三菱重工の失敗の克服という政治的な目的のためにも、「死傷者を出すわけにはゆかない」という決意を有していたものである。  従って、三井物産爆破事件において処罰の対象とし、経済侵略の中止を警告した対象は、企業としての三井グループの1つである三井物産である。企業を処罰し警告するに際し、その従業員等を殺害したり負傷させたりする必要は全くない。  また、”大地の牙”が依拠していた「腹腹時計」の思想は、被告人ら自らを「日帝本国人」と規定し、その生活基盤や思想形成を厳しく追及するものであるが、「日帝本国人」を抹殺すべきであるとする主張ではない。むしろ、「日帝本国人」である労働者にその自覚を促し、ともに革命行動に立ち上がることを呼びかけているのである。従って、「日帝本国人」である労働者がいかに侵略企業の経済活動に従事するものであろうとも死なせ、あるいは負傷させてはならないことは被告人達には自明のことであった。  被告人たちは、あくまでも三井物産館に物理的損壊による損害を与え、過去の企業罪悪を糾弾し、現在の経済侵略を戒めることが目的であった。  なお、「腹腹時計」の記述が、必ずしも「日本人=敵」規定とならないことについては、宇賀神証言(第95回宇賀神証言調書廣川速記官部分5頁)において、「日帝本国人というのは、敵であるかのように表現しているけれども、実際に彼ら自身が具体的な作戦を考える場合は、やっぱりその日帝本国人である労働者のことまで考えてやっていく」「弁護人が言った敵であるというふうな位置付け、そういう表現はそのまま受け止める必要はない」と述べるところからも明らかである。 b. 予告電話の架電  ”大地の牙”は、三井物産館を爆破するに際し、事前にその旨の予告電話をかけている。  被告人らが、死傷者の発生を積極的に求めていたのであれば、予告電話をかける必要がないことはいうまでもない。予告電話をかけることによって不発処理がなされれば、目的は達成されなくなるからである。  また、被告人らが死傷者の発生を予測し、消極的にであれ認容していたのであれば、やはり予告電話をかける必要はない。なぜなら、予告電話は、捜査機関に犯人解明の重要な手がかりを与えることとなる。予告電話が録音された場合には、その証拠価値はより一層強まる。特に、当時は三菱重工爆破事件の直後であって、連続爆破事件に対する警戒体制が敷かれていたのであり、録音や逆探知等により”大地の牙”が摘発される危険は十分にあったのである。  企業に恐怖感を与え、海外進出をやめさせるという目的を達成しようとするのであれば、事後の警告文のみで十分であり、敢えて危険な予告電話をかける必要はない。  ”大地の牙”が予告電話を死傷者の発生を防ぐためにかけたことは、争いようのない事実である。  この点、原判決は、「予告電話をかけたことこそ、死傷者発生の可能性を認識していた証左である」旨認定する。  しかしながら、本件のような場合の予告電話とは、爆発を予告することにより、現場及び現場付近に現在する人々に対し、安全な場所まで避難することを要請するためになされるものであり、「死傷者発生の結果」を回避し、その可能性を解消するためになされるものである。  例えば、本件のような違法行為ではなく、老朽化したビルの解体のためにビルを爆破するような場合、当然、ビルの内部にいた人、及び、その周辺の人々には避難を呼びかけ、且つ、内部や周囲に人がいないことを確認した上で爆破が行われるのであろうが、それでも、ビルの中や物陰に人が現在し、あるいは、爆発の規模や方向によっては、死傷者が出る可能性自体は、絶対ないとは言い得ないのである。  しかし、このような場合に死傷者が出たとしても、また、「可能性としては死傷者発生を認識」していたと言えても、解体工事に当たって、現場や付近の人々に呼びかけ、一定の避難措置、確認措置を執ったことをもって、過失さえも否定され、あるいは、場合によっては、「業務上過失」か「重過失」に問擬されることになるであろう。  勿論、弁護人としても、そもそもの器物損壊の目的からして違法行為である本件と、適法な目的に基づくビル解体工事の事例を同視する趣旨ではないが、少なくとも、行為者の主観においては、また、「予告電話」という「結果回避措置」を講じている点において、両事案には、一定の共通性があると言い得るはずである。  もっとも、本件においては、被告人らは、爆弾設置現場やその付近、ビルの内部や周辺の全ての人々が避難したか否か確認措置は採っていない点で、責められるべきではあるが、被告人らとしては、避難するのに十分な時間をおいて予告電話をかけている以上当然避難してくれるものと思い込んでいたのであり、被告人らの「認識の甘さ」は、過失又は重過失を持って問擬されるべきであって、「未必の故意」として位置づけられるべきものではない。 c.  予告電話の架電時刻の設定等   また、被告人らは、「結果回避措置」としての予告電話をに実効あらしめんがため、その架電時間等を工夫している。  三井物産事件においては、予告電話は爆発時刻の20〜25分前にかけることとされた。この時間は、三菱重工事件において予告電話を爆発時刻の3〜8分前にかけるのでは避難行為を終了するに足りないという反省の上に立って、予告電話の架電後、爆発時刻までの間に全員が避難するに十分な時間を確保するという目的で設定されたものである。  しかも、予告電話は、1回では、いたずらと間違われ不奏功に終わる可能性もあるものとして、念を入れて三井物産内の3ヶ所に架電されている。  これは、”狼”グループによる三菱重工事件の失敗に学び、また、大道寺らからも、「予告電話のことに関してだけは間違いなくやって欲しい」「予告電話をかける場所は、指揮系統のしっかりした場所複数に」旨の助言がなされていたことによるものである(1999年5月10日大道寺將司証言調書野田速記官部分17、18頁)。  具体的な、予告電話架電状況は、原判決も認定する如く、以下のとおりである。 a) 三井物産業務部極東室に電話をかけ、応答した同社従業員に対し、「三井物産に爆弾を仕掛けた。直ちに全員退避せよ。繰り返す。三井物産に爆弾を仕掛けた。直ちに全員退避せよ。これは決して冗談ではない。」と言って電話を切り、      b) 同社総務部総務課に電話をかけ、応答した同社従業員に対し、三井物産館に爆弾を仕掛けた旨言って電話を切り、      c) 同社重機械部開発課に電話をかけ、応答した同社従業員に対し、東アジア反日武装戦線大地の牙である旨を名乗った上、「爆発物を仕掛けたのですぐ退去せよ。」と二回繰り返して言って電話を切った。(甲A68)  その結果、三井物産においては、社員のほとんどは、予告電話に従って建物外へ避難し、爆破時刻前には避難が完了していたものであり、爆弾の捜索のために、警察官らと数名の社員達が設置場所付近に残っていたなどの事情から、不幸にも負傷者を出してしまう結果となってしまったものの、「避難」のみを最優先させた場合であれば、本件による負傷者は、いなかったと考えられる。 なお、原判決は、「予告電話の中で、爆発予定時刻、設置場所、爆弾の形状等について全く触れておらず」、しかも、「爆弾の外装を茶色の包装紙で包んで、一見書類の包みのように見せかけるなどの工夫を凝らした上」、「被告人は、爆弾を仕掛けた後、実際に予告電話をかけたのかどうかを確認しないまま三井物産館を立ち去り」、また、「事前にも、予告電話がうまくかからなかった場合や、かかっても、いたずら電話と思われて避難しない者がいた場合、爆弾の捜索をする者がいたりした場合の対処方法については何ら協議していなかった」のであるから、被告人らは、予告電話によって、「死亡を含む人的被害を完全に防ぎ得るとは考えていなかったというべき」として(原判決99、100頁)、予告電話の方法や回避措置の不十分性を指摘する。  この点、被告人らの結果回避措置が不十分である点は、原判決指摘のとおりである。  しかしながら、齋藤及び被告人らの爆破目的が、前述のように「企業の中枢機能破壊」という企業自体に対する器物損壊、及び、それによる心理的経済的打撃である以上、「設置場所や爆破時間、爆弾の形状」等を予告してしまうと、これらの目的を全く果たさない内にさっさと撤去されてしまうことになり、そもそも爆弾設置の意味がなくなることから、そのような詳細を予告することはできなかったものである。  また、偽装は、確かに発見を遅らせるためのものであるが、被告人らは、避難よりも爆弾の捜索が優先されるとは考えていなかったため、偽装により、捜索者等が負傷する可能性が高まるとは考えていなかった。  更に、被告人自身設置後予告電話を確認せずに現場を立ち去っているのは事実であるが、被告人としては、予告電話架電と、その後の対策は、他のメンバーが責任を持ってやるものと信じており、現に、爆破時間近くまで三井物産館付近で張り込みをしていたメンバーは、「社員らは日比谷公園まで避難した」という事実を見届け、他に現場近くに人は現在していないと信じていたのである。それ故に、怪我人が出たと報道されたときには、他のメンバーから被告人に対し、「避難通路に爆弾を置いたのか?」という嫌疑が掛けられる状態であった(第100回被告人公判供述調書稲富速記官部分3乃至21頁)。  であるから、少なくとも”大地の牙”内部では、避難確認がなされているという認識であり、例えば、被告人自身が、爆弾設置後三井物産館内に止まり、予告電話があったから避難する旨の放送を聞いて、ビル内の人が避難するのを確認してから現場を立ち去らなかったとしても、そのことの故に、「死傷者発生の可能性を認識、認容していた」とは言い得ないはずである。  また、予告電話が功を奏さない場合の対処方法の検討及び準備については、前述のとおり、予告電話をかけた大地の牙メンバーは、1回の予告電話では、いたずらなどと間違われたり、伝達不備で不奏功となる可能性も考え、念を入れて、3ヶ所に予告電話をかけているのであるから、全く考えていなかったと言うことはできない。  勿論、例えば、ビル内にメンバーが現在し、避難の有無を確認し、避難が完了せず、爆破時間が近づいても人が周囲にいる場合、爆弾を撤去する方策を採るなどは考えられるかもしれないが、現場をうろうろしている内に、不審人物として捕捉されれば、結局、爆弾撤去には間に合わないのであるから、この方法によったとしても、確実に負傷者発生結果を回避できるとは限らない。   被告人らの予告電話の架電方法等結果回避策が不十分である点は、原判決認定のとおりではあるが、それは、被告人らの「認識不足」「認識の甘さ」であって、過失又は重過失として問われるべき問題である。 d. 爆発時刻の設定  ”大地の牙”が爆発時刻を昼休み直後の午後1時15分と設定したのは、昼休みが終わり従業員が勤務場所に戻る午後1時に避難命令が出され、全員が避難し終わる時刻として設定したものである。三菱重工爆破事件の際は、爆発時刻が昼休みに設定されたため、予告電話に基づく避難命令が徹底できずに死傷者が出てしまったのではないかという反省から、また、大道寺からも、「爆破時間と予告電話をかける時間を余り接近させるな」旨の助言を受けていたこともあり、上記時刻に設定されたものである(同調書14、15頁、1999年5月10日大道寺將司証言調書野田速記官部分17頁)。 e. 爆弾の設置場所  ”大地の牙”が爆弾の設置場所をビル内部としたのは、路上に設置した三菱重工爆破事件で死傷者が出てしまったことの反省に基づく。また、具体的な設置場所はテレックス室内のドアを入ってすぐのところにある機械の可能な限り近く、仮にこれがどうしても不可能な場合はテレックス室のドアの外とされた。これは、海外侵略の機能が集中しているテレックス室の機械を破壊するという目的とともに、テレックス室は機械が主で社員は機械からかなり離れた場所にいることから、企業の物的機能のみを標的とし、死傷者の発生を防止するためでもあった。  そして、被告人は、この計画に従い、テレックス室のドアの前に、本件爆弾の包みを置いたものである。 f. 爆弾の威力についての認識  爆弾の威力については、被告人は齋藤から、テレックスの機械が壊れる程度と聞いており、被告人は機械の近くに置いたら機械が壊れる程度であり、人が怪我を負うほどのものではないと認識していた。これ以上に、被告人には爆弾の構造・火薬の組成などについての認識は全くなかった(第100回被告人公判供述調書稲富速記官部分16、17頁)。  この点、原判決は、「被告人及び齋藤は、「腹腹時計」を参照し、これに従って、爆弾の威力を高めるために、塩素酸ナトリウム及び塩素酸カリウムを主成分とする塩素酸塩系爆薬を用い、容器として硬度のある金属製湯たんぽを用い、偽装を兼ねて容器を補強するために、爆薬を詰めた湯たんぽを金属製の缶に入れ、生じた隙間にコンクリート様のものを詰めて上蓋をしたのであり、かつ、三井物産事件の後、被告人が大道寺將司に対し爆弾そのものは予定どおりに爆発した旨話したことに鑑みると、爆弾の威力については、被告人及び齋藤の事前の認識と実際の爆発との間で特段の齟齬はなかったことが認められる。」(原判決94頁)として、被告人は、爆弾の客観的威力に相応する威力を認識していたと認定する。  しかしながら、齋藤はともかくとして、被告人自身は、爆弾の製造には関わっておらず、せいぜい、被告人の加工した時計が時限装置に使用された可能性がある程度であり、火薬が、塩素酸ナトリウム及び塩素酸カリウムを主成分とする塩素酸塩系爆薬であるとか、密閉性の高い湯たんぽが缶体に使われたなどという認識はなく、また、外装についても、「すぐに見つかって撤去されないための擬装」としか考えていなかったものである。  また、「腹腹時計」云々とする点は、そもそも「腹腹時計」には爆弾の威力に関する具体的な記述がないこと、実験データーを集積して執筆されたものでもないこと、火薬学上、多くの誤りを含む内容であること、現に編集・発行主体である”狼”自身、三菱重工爆破事件で爆弾の威力予測を決定的に誤り、また、間組爆破事件では製造した爆弾を完爆させられなかったこと等から、同パンフを読んでいたことと爆弾の威力認識とは何ら無関係である(1999年6月15日付大道寺將司期日外尋問調書、同年12月24日付片岡期日外証人尋問調書)。  のみならず、爆発物の専門家である萩原嘉光証人すら、当公判廷において、正確な威力予測(算定)は不可能という趣旨の証言(第67回)をしていることや、被告人自身も爆弾に関する何らの経験も有していなかったことからしても、爆弾の威力について前記の程度の認識しかなかったとしても、何ら不合理ではない。  また、被告人から大道寺將司への連絡は、齋藤からメモを渡され、その内容のとおり伝えるというものであって、被告人自身の主観ではない上に、「予定どおり爆発」というのは、爆破時間や場所に関する話で、威力に関するものとは考えられない。  よって、少なくとも、爆弾に関する知識はほとんど持ち合わせず、東アジア反日武装戦線3グループのメンバーの中で比較しても、最も素人に近い部類であった被告人が、本件爆弾の正確な威力を認識していないことは、むしろ当然である。 g.  爆弾の性格  通常、銃砲刀剣類は一般に対人殺傷用という側面が強いのに対し、爆弾は、対物破壊用に用いられるのが一般的であり、その武器としての性質は、対人用の銃砲刀剣類等とは、明らかに異なる。 もっとも、爆弾に鉄片や釘、パチンコ玉等を投入し、対人殺傷用に製造・加工された爆弾も存在するが、本件各事件に使用された各爆弾の中に、「対人殺傷用加工」の施された爆弾は、一切存在しない。  勿論、爆弾は、一般に、その破壊力において、銃砲刀剣類を凌駕する点は確かにあり、その意味において、近在する人の死傷結果を引き起こすことはあり得る。  しかしながら、そのことの故に、例えば、原審検察官が主張していたように「爆弾は、本来無差別に多数の人を殺傷する威力を有する武器であるから、不特定多数人を巻き添えにする場合があり、死傷者がでることも避けられない宿命」であるから、被告人らは、この「宿命」を「肯定していた」などすることは、暴論以外のなにものでもない。  このような立論が可能であれば、前述のとおり、ビル解体や土木工事のための爆発物使用も同様と考えられるであろうし、また、例えば、「自動車は、本来的に衝突する者を無差別に殺傷する威力があるのであるから、自動車を運転する以上は、死傷者が出ることも避けられない宿命」であり、「ドライバーは、自動車を運転する以上、他人を死傷する宿命を肯定している」というに等しい。 h. 負傷者の発生原因  三井物産爆破事件においては、負傷者が発生しているが、これは爆弾の処理に当たろうとした警察官や不審物を探すなどしていた従業員等である。現に予告電話により多くの従業員が避難し負傷を免れていることからすれば、これらの者も爆弾が爆発するまで屋外に避難していれば、負傷という結果が発生することはなかったことを考慮すべきである。  勿論、警察官として、あるいは、三井物産の従業員として、被害を回避するために爆弾を捜索することはやむを得ないことであり、被告人及び弁護人としても、「捜索などしなければ怪我人など出なかったのに」などと居直ろうというのではない。  しかしながら、被告人らは、当然に避難が優先されるものと考え、何時爆発するか分からない危険を省みず、爆弾捜索が行われるとは、考えていなかった。  この点の被告人らの認識不足は責められるべきである。  しかしながら、被告人らは、このような結果を予想せず、況や、「死傷者が出ても仕方ない」などという認容意識は、全くなかったものである。  i. 総括内容  ”大地の牙”としての三井物産闘争の総括は、一応、計画どおりに実行できたが、負傷者がでたことについては失敗であり、時間帯等をさらに検討した方がよい、三菱重工爆破の政治的な意味を継承する点でそれなりに役割を果たしたというものであった。かかる総括内容からも、”大地の牙”が死傷者の発生を何としても防ごうとしていたことは明らかである。 もっとも、総括会議は齋藤及び”大地の牙”の他のメンバーらで行われており、被告人は総括会議に出席しておらず、事後的に齋藤から総括内容を説明されたに過ぎない。 B 小結   以上、被告人らには、原判決認定の「未必の故意」「未必の他害目 的」もないと考えるべきである。 また、仮に、被告人らに対し、「本当に絶対に一人の負傷者も出ないと信じていたのか」と問い質した場合、被告人らに「絶対に出ないという自信があった」とまで答えることはできないかもしれない。であるとしても、被告人らは、「死傷者発生の結果」を「認容」したことなどない。  それは、「可能性はほとんどないから大丈夫」と考えた点で、「認識ある過失」として問擬されるべきである。  よって、被告人の三井物産館爆破事件は、本件公訴事実の訴因に照らしてみても、傷害(過失傷害)及び、治安を害する目的に出た点で爆発物取締罰則違反の構成要件に該当するに過ぎない。 従って、この点、「未必の殺意」「未必の他害目的」を認定し、本件三井物産館爆破事件に殺人未遂罪を適用した原判決には、事実誤認がある。  (2) 大成建設爆破事件 1) 原判決の認定 原判決は、大成建設爆破事件における被告人の役割につき、「爆弾の製造状況等」として、被告人の捜査段階供述調書(乙9、10)の信用性を認め、    被告人と齋藤は、現場を下見した上で「爆弾の缶体として石油ストーブのカートリッジタンクを使うこととし、昭和四九年一一月下旬、秋葉原の電気街に赴き、電器店から窃取してこれを入手した。」「被告人は、斎藤から受け取った小型目覚まし時計、ナショナルハイトップ乾電池等を用い、自室において時限装置を製作し、この時限装置と大道寺將司から受け取った手製雷管を斎藤に渡し、斎藤が爆薬を調合してカートリッジタンクに詰め、これを時限装置及び雷管を用いた起爆装置と接続するなどして爆弾を完成させた。」とし(原判決103乃至107頁)、    また、「爆弾の運搬設置状況等」として、被告人の捜査段階の供述(乙9、10)の信用性を認め、   「新宿から大成建設本社までの運搬者の人相、紙袋の図柄等のイメージを連続させないために、齋藤が自宅から新宿駅まで図柄の異なる紙袋を三重に重ねたものに爆弾を入れて運び、地下鉄新宿駅の自動券売機の前で被告人が一番外側の紙袋を残して中身を抜き取り、丸ノ内線で銀座駅まで行き、銀座駅階段踊り場で再度齋藤が爆弾の入った一番内側の紙袋を抜き取って、もともと一番外側であった紙袋に入れ、別々の道を通って大成建設本社に向かうという計画を立て、紙袋を抜き取る練習等を重ね、うまく抜き取れるように紙袋の口の折り返し部分をセロファンテープで留めるなどの準備を整えた。」(原判決108頁)   「齋藤は、爆弾が午前一〇時又は午前一〇時半ころに爆発するように時限装置をセットし、昭和四九年一二月一〇日午前六時ころ、被告人と新宿駅で落ち合った。被告人及び齋藤は、事前に打ち合わせたとおりの方法で大成建設本社まで爆弾を運搬し、齋藤が、同日午前六時半ころ、大成建設本社一階駐車場からピロティにかけて南東側道路との段差部分に敷かれた鉄製踏板のうち南西側(ビル南側角側)端の鉄製踏板の下に仕掛けた。その際、被告人は、齋藤から少し離れた場所で人通りがないか警戒に当たった。」として、被告人が、大成建設爆破に関し、「爆弾の運搬」「爆弾設置の見張り」を行ったと認定した(原判決108、109頁)。    原判決が、被告人の捜査段階における供述(乙9、10)の信用性を認定した根拠は、「供述が(2通とも)一貫していること」「供述内容が具体的にあること」、例えば、爆弾を運搬した状況について、「新宿駅までは齋藤君が家から爆弾の本体をこの三重の袋に入れて運んで来たのです」、「齋藤君が私の姿を見つけておりて自動券売器の前に立った私の足元にそっと爆弾の袋を置いたのです そうすると私が何気なくその袋からBCの袋を抜きとったのです そしてAの袋は空の侭齋藤君が銀座まで持って行ったのです」(乙10)、「このように齋藤君から私へ、又私から齋藤君へと爆弾の運搬者そして袋まで変えた理由は或はお巡りさんから目撃されているという可能性も頭に入れて新宿から銀座までの運搬者の人相、風体、運搬した袋のイメージを連続させてはならないという考えから一つのアイデアをあみだした訳でそうすることによって私達に対する捜査の巾がせばめられることを防いだのです」(乙10)と、「捜査官が知り得ず、体験した者でなければ語り難い内容の供述をしている」上、「道順や、爆弾を入れていた紙袋の状態について、自ら図面を作成して説明している」から、「具体的で、臨場感に富むもの」であるとする理由によるものである(原判決121乃至123頁)。 2) 原判決認定に対する批判     しかしながら、被告人の検面調書は、被告人が”大地の牙”の他のメンバーの存在を隠す目的で供述したものに過ぎず、信用性はない。    三重の紙袋から交互に袋を抜いてゆく運搬方法については、被告人が関与を認めている三井物産館爆破の際にも絵柄の異なる二重の紙袋を使い、「既にその爆弾は斉藤君が家からここまで運んでくる際、家でセット済みのもので手提の二重の紙袋に入れて運んで来ていたのです。やはりその紙の模様は外側が男性的な感じの図柄であり、爆弾本体の入った内側の袋の図柄は水森亜土がよく描くところの可愛い女の子の絵柄だったと思います。」「三田駅の地下鉄の通路の柱のところで斉藤君がその足元に爆弾入りの手提げの紙袋を置いて私がそこに現れるのを待ち、私が彼の姿を見つけて彼の傍を通りがけに何気なく爆弾本体の入った内側の手提袋をひっこ抜いたのです。」(乙14)と大成に関する爆弾運搬過程とほぼ同様な手法が採られている上、乙14においてほぼ同様の供述がなされているのであり、間組大宮工場爆破に際しても、「既にその爆弾は斉藤君がアパートから出てくるときセットしてきており、二重の手提紙袋に入れてきていた訳です。表側の紙袋は男性が持つにふさわしい図柄入りのもので内側の紙袋は女性向きの図柄にしていたと思います。そして私が足元に爆弾の入った紙袋をおき、新聞を読んでいる斉藤君のもとにそっと近ずき内側の紙袋、つまり爆弾本体の入った紙袋をすっと抜いて駅舎の下にあるトイレに入ったのです。」(乙13)と、「ワンパターン」なほどに酷似した方法を用いているのであるから、特に大成建設爆破で運搬をしていなくても具体的に供述可能である。    また、被告人の検面調書添付の被告人が書いた現場の図面も、当初、被告人が1度見に行ったうろ覚えのオープンスペースの駐車場を描いたところ、捜査官が違うと指摘し、地図や新聞などを渡され、捜査官の示唆に従って描いたものに過ぎない。    この点は、弁49の6月12日付検面調書に対するコメント欄において「この件についてしつこく聞かれ言を左右に逃げ回っている(わからない、知らないetc)『こういうことか、ああいうことか』と聞かれて肯定したり、否定したりしたもの」とコメントされていることからも明らかである。    当日の行動については、被告人は捜査官に対し、当初、「爆弾設置時間は、午前8時頃である」と供述していたところ、捜査官から、当日のタイムカード等を見せられ、出勤時間が「午前8時25分」であり、午前8時の爆弾設置の見張りをした上で、相模原に午前8時25分に出勤するのは不可能である旨指摘され、捜査官が様々な示唆を行った結果、最終的に「午前6時30分頃、被告人が見張りをする中で齋藤が爆弾を仕掛けた」旨の供述をするに至った(控訴審において追加立証予定)。    ところが、被告人が供述を終えた6月頃、捜査官である纐纈刑事から、まだ日も昇っておらず、見張りが成立する筈もないのに、被告が見張っている中で齋藤が爆弾を仕掛けたとするのはおかしいとの指摘を受け、また、7月頃には村田元検事から、上記供述内容は信用できないとの指摘も受けている。(第101回被告人公判供述調書稲富速記官部分15、16頁)。    また、原判決において、「爆弾を仕掛けた際の心境について」、「死を覚悟しての行動でしたから大成建設に爆弾を仕掛けに赴いた際も、片腕に毒薬入りの注射針をバンソウコウで貼りつけ襟元の裏側にはメスの刃を縫いつけていざという場合には頚動脈をきり或は、毒薬入りの針を腕に刺しこんで死ぬつもりでした勿論齋藤君も私と同じようなことをしていた筈です」(乙10)と、「自らの生命を賭して齋藤とともに大成建設事件を決行した被告人の内心が録取されており、迫真性に富むものでもある。」と認定されているが(原判決122、123頁)、そもそも、大成建設爆破当時に、被告人らが「死を覚悟して」犯行に及んでいた事実はない。    被告人らが「いざという場合の死を覚悟」したのは、大成建設爆破で、三井建設爆破に引き続き予想外の怪我人を出した後のことである。にもかかわらず、乙9、10にこのような記載があるのは、一方では、齋藤自殺後、自らも強く死を願う被告人の心情を、取調担当の村田元検事が、(あるいは、善意で)独自に解釈し、記載したものであり、他方では、取調警察官らから、被疑者の分断工作として、「お前らは狼に騙されたんだ」「狼の連中は、お前や齋藤に青酸カプセルを渡し、お前らを死なせて、お前らに罪を被せるつもりなんだ」旨言われ、それを否定せんがために、「もっと前から、大地の牙独自に死を覚悟していた」と供述したことを、「大成のときも死ぬつもりだった」と解釈され、記載されたものであって、その部分に、迫真性や信用性は認められない。    また、現に被告人らが携帯していた「青酸カリ入りのカプセル」と異なり、「毒薬入りの針」などというのは、具体的な毒物の説明もなく、あたかもスパイ映画か心中物のような話であり、荒唐無稽な感を否めない。     加えて、捜査段階の取調においては、一方では、「齋藤のせいにして自分は逃れようと言うのか」と誹られ、他方では、「お前は、弱い女なんだから、齋藤のせいにして助かればいいんだ」と唆されると、被告人自身の自負心や自意識から、「いや、私は和君のせいになんかしない」「和君と一緒に私もやったんだ」と強調してしまうという図式ができあがっていたものである。     その意味では、確かに、捜査段階の供述調書には、ある種の「潔さ」「真摯さ」が感じられることは事実であるが、しかし、これは、被告人の追い詰められた異常な心理状態から発する、一種の「殉教者精神」とでも呼ぶべきものであって、必ずしも、その内容の真実性、信用性を裏付けるものとは言い難い。    また、原判決の指摘する「他の供述との符合」「大道寺將司の捜査段階供述との符号」については、明らかな認定誤りである。即ち、大道寺將司の同年6月12日付検面調書によれば(甲L9)、「昭和四九年一一月末かあるいは一二月初めころ私は新宿駅東口近くの喫茶店で宮田(被告人)という女性と会いました。〜この時宮田という女性は私に大地の牙は大成建設を爆破する計画をたてているという話をしました。」「宮田は爆弾は建物の内部に仕かけると云っておりました。そこで私は午前中、しかも建物の内部に爆弾を仕かけるというので三菱の例もあるので予告電話を必ず余裕をもってかけるようにと話したところ宮田は『爆破の二〇分前に予告電話をかける』と云っておりました。」と供述しているが、実際の大成建設爆破の際の爆弾は、「建物の中」ではなく、駐車場の、それも入り口付近の入口の鉄板の下に仕掛けられ、しかも、予告電話は、「二〇分前」ではなく、爆破時間である1974年12月10日午前11時2分ころから1時間以上前の同日9時45分ころであり、その内容は、符合しているとは言い難い。  更に、大道寺將司証人の期日外証人尋問における証言(1999年5月24日証言等)については、「被告人が本件当日には大成建設本社の設置現場には行かなかった」旨聞いている点など、被告人の捜査段階供述よりも、むしろ、被告人の公判供述の方に符合していると見るべきであろう。   3) 被告人の主張と被告人公判供述   @ 被告人の公判供述(第100回、101回、106回)     原審公判段階において、被告人は、齋藤から大成建設本社に爆弾を仕掛けた上爆発させる計画を聞いて、これを了承し、連絡員として大道寺將司と数回の会談をして犯行計画を伝えたこと、その過程で、同人に爆弾の製造に用いる雷管の提供を依頼し、これを受け取って齋藤に渡したこと、齋藤とともに爆弾の容器とする石油ストーブのカートリッジタンクを入手したこと、切り貼りをするなどして声明文を作成したことなどは認めつつ、     他方で、    a 爆弾の製造過程には全く関与しておらず、齋藤らが製造したと思 っていること、    b 事件当日は通常どおり勤務先の北里大学に出勤しており、爆弾の運搬及び設置には一切関与しておらず、齋藤及び大地の牙の他のメン バーが担当したこと、    c 事前に認識していた爆発時刻及び設置場所が実際とは違っており、設置場所については、齋藤から大成建設本社幹部の駐車場に仕掛け るなどと聞き、大成建設本社付近を見に行くと、同社付近に三方を建物に囲まれた空き地のような駐車場があり、横に6、7台の車両が2、3列駐車できる広さで、1台1台駐車スペースが仕切ってあって、その駐車場内の通路と駐車スペースとの間の段差部分に爆弾を仕掛けると思っていた    と供述している。   A 原判決の被告人供述の信用性否定に対する批判      原判決は、被告人が、捜査段階において認めている爆弾の製造と運搬を公判供述において否認した点について、被告人が、捜査段階供述の理由として、捜査段階では、他のメンバーを庇うために自分が関与したことにした旨説明するのに対し、大成建設爆破で用いられた「爆弾の構造からすると、その製造に二人以上の者が共同して作業することが必要不可欠とはいえないし」、「運搬や設置に関しても、同様に二人以上の者の共同が不可欠とはいえない上」、「被告人は、昭和五〇年六月六日に判示第四の二の事件(オリエンタルメタル本社爆破事件)について供述した際には、齋藤が一人で爆弾を運搬して仕掛けた旨の供述をしているのであり(乙七)」として、「被告人自身が関与していないなら、齋藤が一人でやったと説明すれば済むことなのに、わざわざ自分が関与したことにする合理性に乏しい」として(以上原判決125乃至129頁)、弁護人らの「捜査段階供述が虚偽自白である」とする主張を排斥している。     この点、確かに、原判決の批判にも一理はある。     しかしながら、被告人の本件大成建設爆破事件に対する認識と、取調状況、及び、被告人の夫である齋藤が逮捕直後に自殺した事情等を勘案すれば、被告人が捜査段階に「虚偽自白」をせざるを得なかったことには、少なくとも、被告人にとっては合理的な理由があったものである。     即ち、現実には、大成建設爆破は、齋藤及び大地の牙の他のメンバーによって遂行されたところ、被告人も、「齋藤と他のメンバーが実行した」ことを知っている以上、取調過程で、複数犯を意識して説明をせざるを得ず、また、取調担当検察官・警察官としても、単独犯を前提として取調をするわけではないため、「他には誰が関与しているのか?」という質問は、当然かなりしつこくなされることになり、被告人としては、自分が認識している「第3のメンバー」以外の誰かを実行犯にしなければならなくなったものである。     また、「オリエンタルメタル本社爆破においては、齋藤一人が運搬、設置したことを供述しているのに」という点については、オリエンタルメタル本社爆破の場合は、韓国産業研究所爆破と「同時爆破」であり、しかも東京と尼崎という遠隔地2ヶ所に実行犯が存在しなくてはならないため、「2人しかいないこと」を主張している以上、必然的に、各々単独犯で犯行を行わざるを得ないことになり、また、それ以上の説明のしようもなかったものである。     また、繰り返しになるが、この本件取調当時の被告人の心理状態として、「自分が関わった活動の詳細につき真実を述べよう」とか、況や、「自分に有利な供述をしよう」などという意識は、ほとんどなく、むしろ、「和君のやったことは、私のやったこと」「和君と私は一緒、一心同体」「和君のやったことの責任は、全部私がとる」という思いから、齋藤のやったことには、全て自分もその場に関わっていることを主張しようとしたものである。無論、このような心理状態は、到底、通常では考えられないことではあるが、被告人にとって、齋藤は、「作戦遂行上の単なる共犯者」ではなく、「最愛の夫」であり、しかも、「齋藤は、被告人自身や他の仲間を庇うために自殺した」「私も死ぬべきだったのに、生き残ってしまった」という激しい負い目があるのであるから、「齋藤がやったこと、私は知りません。関わっていません。」とは言えなかった、言いたくなかったのである。     加えて、前述のとおり、取調においては、一方では、「齋藤のせいにして自分は逃れようと言うのか」と誹られ、他方では、「お前は、弱い女なんだから、齋藤のせいにして助かればいいんだ」と唆されると、被告人自身の自負心や自意識から、「いや、私は和君のせいになんかしない」「和君と一緒に私もやったんだ」と強調してしまうという図式ができあがっていたものである。     よって、捜査段階の「虚偽自白」の理由には、被告人にとっての合理性がないわけではない。     また、「被告人は、大地の牙グループの他のメンバーが爆弾の運搬及び設置を担当した旨供述するのみで、その仲間の氏名はもとより、性別、立場等について何ら供述しておらず、その者が大成建設事件で果たした具体的な役割についても供述していない」という、第三者の具体性の欠如については、やはり、前述のとおり、そもそも、リーダー齋藤からは他のメンバーについて詳細な情報を与えられていないことに加え、現時点でも、「第三者を名指しし、第三者に逮捕の危険を味あわせたくない」という心情によるものである。     しかしながら、控訴審においては、この「第三者」の存在について、より具体的な実態を示す予定である。     また、「青酸カプセルを2個しか入手していなかったからメンバーは2人だけであろう」旨の原判決認定についても、そのことは、「メンバー2人説」の根拠にはならない。     そもそも、狼グループの場合、「死者を8名も出してしまった」という激しい後悔と自責の念から、メンバーが死を覚悟するという流れになったが、それでも、メンバーないし準メンバー全員が青酸カプセルを携帯していたわけではない。     他方、大地の牙としてみれば、怪我人を出している点で、当然後悔と自責の念は持っていたが、狼と異なり死者を出してはいない点で、狼ほどの思い詰め方ではなかったこと、また、青酸カプセルは、もともと、狼の大道寺將司が、1975年1月頃、「僕たちは持つことにしました」と説明したのに対し、大成爆破で負傷者を出してしまったことで激しく自分を責めていた齋藤が、「だったら、僕の分も下さい」と言いだし、他方で、被告人自身は、齋藤から、「あなたが持つ必要はない」と言われたのに対し、逆に、そのような差別化を図られたことに恋人の立場として反発を覚え、「私と和くんは死ぬときも一緒」とばかりに、連絡員の立場を利用して、大道寺から自分の分のカプセルもせしめてしまったに過ぎず(第101回被告人公判供述調書秋元速記官部分19乃至21頁、野田速記官後半部分3乃至5頁)、カプセルが2個なのは、被告人の思い込みと独断の故であって、他のメンバーが存在しないからではない。     そもそも、原判決にしても、判示第四の韓国産業研究所爆破、及び、オリエンタルメタル本社爆破事件において言及するように、第三の共犯者、協力者の存在を必ずしも排斥していない、即ち、可能性は認めているのであるから、殊更に、「メンバー2人説」を強調する実益に乏しいはずである。     また、原判決は、大道寺將司が、期日外証人尋問において、「事件の翌日、被告人から事件当日は犯行現場に行かなかった」旨聞いたことを証言しているのに対し(1999年5月24日大道寺將司証言調書加藤速記官部分15、16頁)、大道寺將司が捜査段階においてはこの点につき供述していないことから、被告人の不参加の公判供述及びその裏付けとなる大道寺將司証言の信用性を否定する。     大道寺將司が、大成建設爆破とそのために雷管を手渡したことなどについて説明している5月26日(甲L3)、同月27日(甲L4)、6月12日の供述調書(甲L9)の内、被告人との会話の内容や、大成建設爆破の予告電話時間や設置場所が被告人から聞いていた内容と違うことなどを供述してるのは、6月12日の調書(甲L9)であり、この時点では、既に、被告人自身の大成建設に関する調書乙9、10が録取されており、この時点で、大道寺が、「被告人は事件当日犯行現場に行かなかったと聞いている」と供述したとしても、明らかに、既に録取されている被告人の供述調書の内容と矛盾するため、調書には記載されなかったものと考えられる。よって、大道寺の調書に、「被告人は現場に行かなかった」旨の供述がないとしても、大道寺が、その事実を被告人から聞いていないことにはならない。     この点、大道寺將司の期日外証人尋問における証言によれば、    「私は本社の内部に仕掛けるというふうに聞いていたものですから、それが駐車場で爆破したわけで、まず、その違いを一つ。それから、予告電話は20分前というふうに聞いていたんだけど、もっと早い時間にかけて、結局、爆弾捜査というのが終わってしまった後で爆破しちゃったんですね。それも、何故そのような違いにあったのかということを質問したと思います。それらについては、そのときは彼女は答えられなかったわけですね。前回、12月4日のときに、彼女は、流産の後でしたし、体調が非常に悪くて、手もけがしているし、私のほうで、大成建設に浴田さんが参加するのは無理なんじゃないかなと質問したことがあるんですね。そのときには彼女は、大成には自分は参加しないというふうに答えたわけです。ですから、その11日に会ったときに、もう一度確認というか、あなたは大成のあれに参加したというか、出掛けたんですかと聞いたら、自分は行っていないと。だから、何故そういうふうに違ったのか自分は詳しいことは分からないんだという答えだったんです。」(1999年5月24日大道寺將司証人尋問調書加藤速記官部分16頁)    ということである。    この当時被告人が流産直後であったことは流産したとされる1974年11月28日頃に有休を取っている事実からも裏付けられ(控訴審において立証予定)、また、「仕掛ける場所も、予告電話時間も聞いていたのと違う」という話は、1975年6月12日大道寺將司検面調書(甲L9)にも現れている話である。     大道寺將司6月12日調書(甲L9)に「そこで私は午前中、しかも建物の内部に爆弾を仕かけるというので三菱の例もあるので予告電話を必ず余裕をもってかけるようにと話したところ宮田は爆破の二〇分前に予告電話をかけると云っておりました。」とあるように、大道寺將司としては、予告電話のかけ方に注意を促したにもかかわらず、結果として、予告電話をした者の負傷者を出してしまったことから、実際に大成爆破がどのように行われたのかについて、連絡員の被告人に対し、説明を求めるのは当然であり、これに対し、被告人が納得のゆく説明をできなかったことは、甲L9に被告人から聞いた説明が記載されていない点からしても明らかである。     そして、このように、被告人が、計画変更について知らず、大道寺らに正確な情報を伝達することができないという事実が明らかになったことから、「連絡員不適格」と見なされ、翌年からの連絡員交代、及び、三者会談方式へと移行するのである(1999年5月24日大道寺將司証言調書加藤速記官部分3乃至6頁)。     そして、大道寺將司のこの点に関する記憶は、大道寺から、「連絡員宮田から聞いた大成建設爆破の計画内容」についての説明を受けた片岡の供述調書によっても裏付けられる。     被告人自身の大成建設爆破に関する自供より前に作成された片岡同年5月29日供述調書(甲M6)によれば、「将司君が、大地の牙が大成建設を攻撃すると言い、その理由として大成建設は大倉組とか大倉土木等といった時代から死の商人で、台湾、朝鮮、中国、東南アジアに対する日帝の侵略、植民地支配の先兵をつとめ、敗戦後も下層プロレタリアからの収奪を欲しいままにし、韓国やインドネシアに対する侵略を続けている、という説明がありました。」「雷管を渡すのに前後して将司君から狼全員に対し、大地の牙の大成建設に対する具体的な攻撃計画を聞きました。将司君は、大地の牙は銀座の大成の本社を攻撃する。一二月一〇日の始業直後に爆破させて混乱させる。場所は駐車場の内部だ。早朝に仕掛ける。予告電話は一五分位とる。と言いました。」「爆破時刻は午前一一時過ぎであり、仕掛け場所は建物と道路の間の鉄板だったことが判り、将司君がその理由を大地の牙から聞いてきました。なんでも爆発の時間も仕掛けの場所も独自に変更してしまったし、予告電話は仕掛けから爆発までの時間が長過ぎて気持ちが落着かず、一五分前よりも早く電話してしまった、ということでした。」(以上甲M6)。  この点、厳密に言えば、大道寺は、甲L9の検面調書において、「仕掛け場所は、本社建物内部」と聞いたと供述しているのに対し、片岡は、「駐車場内部」と聞いた旨供述しているので、その点では齟齬があるが、双方「入口付近ではなく内部」であると記憶していたものである。     そして、被告人は、公判供述において、「幹部用の駐車場内部の仕切の段差部分に仕掛けると聞いていた」と供述している。  これに対し、原判決は、「Bについて検討すると、被告人は、爆発予定時刻の認識につき、捜査段階においても、実際の爆発時刻とは違っていた旨供述しており、この点に関する被告人の供述は一貫していて信用することができるものの、爆弾の設置場所については、確かに大成建設本社の北東側に外来者用の屋外駐車場が存在するが、関係証拠から認められる右駐車場の状況は、間口が約五・一五メートルにすぎず、一台一台の駐車スペースが区切られていなかった点など、被告人の供述と大きく食い違っている上、被告人は、公判段階において、当時の認識として、大成建設本社駐車場の中で、幹部の自動車を止めるエリアに爆弾を設置するという認識であったことを認めている(第一〇〇)ところ、右屋外駐車場のすぐ隣には大成建設本社幹部の自動車が駐車してある同社一階駐車場があり、爆弾は同駐車場の付近に仕掛けられたのであり、これらの事実に鑑みると、爆弾の設置場所に関する被告人の公判段階における供述は、不自然である。」として、その信用性を否定する(原判決128頁)。  しかしながら、被告人は、「北東側の外来者用屋外駐車場の内部」ではなく「幹部用駐車場の内部」という趣旨で、「駐車場内部」と供述していると考えられるところ、この「内部」という認識は、大道寺及び片岡とも共通する。  確かに爆破現場そのものは、オープンスペースの駐車場ではなく、建物の中の駐車場であるが、爆弾設置場所は、入り口手前の鉄板下であって、「内部」ではない。  被告人が爆弾の運搬や、爆弾設置の見張りに参加しているのであれば、このような齟齬が出てくるはずはないのである。  また、公判段階において、被告人が、「オープンスペースの駐車場」と供述しているのは、被告人自身は、大成建設本社付近を見に行ったことはあるといっても、まともな下見調査をした訳ではないため、付近のオープンスペースの駐車場を現場と勘違いしたものであり、その駐車場の描写が不正確なのも、きちんとした下見調査も、爆弾設置時の見張り・立会もしていないからに他ならない。  実際には、本件爆弾は、「駐車場内部」ではなく、「駐車場入口の段差用鉄板の下」に仕掛けられており、明らかに、「内部」ではなく、事前に被告人が大道寺に対し伝達していた内容と明らかに食い違うのであり、そのような重要な点につき、被告人が、齋藤から教えられたことを誤って伝達するとも考えられないことから、やはり、被告人の「仕掛け場所」の認識は、「駐車場の内部」であったものと考えられる。  しかしながら、実際の仕掛け場所は、「駐車場入口の段差用鉄板の下」であったことから、この客観的事実に従い、被告人の供述が、塗り替えられていったものである。  では、真の事実関係は、如何なるものなのか。以下、詳述する。 4) 被告人の関与の態様(別表「大成爆破工程表」参照)  大成建設爆破事件についての被告人の具体的関与の態様は、11月中〜下旬頃、齋藤から、大成建設本社駐車場を攻撃することになったので、一度見に行くよう勧められ、三方をビルの背面で囲まれたオープンスペースの駐車場を見に行き、その頃、齋藤から、爆弾の容器とするガスストーブのカートリッジを秋葉原に買いに行くので一緒に行こうとの要請を受け、齋藤と2人で秋葉原に行ってこれを窃取し、”大地の牙”の連絡員として大道寺將司から受け取った雷管を齋藤に手渡し、また、齋藤から依頼されて、声明文の原稿を受け取り、国語辞典から切り貼りして声明文を作成し、これをコピーして齋藤に渡したというものである。  被告人は、本件の実行行為には一切関与していない。  なお、時限装置については、前述のとおり、被告人は8月中に2、3個作って齋藤に渡しているが、これが爆弾に使われたか否かはやはり定かではない。 @ 第三者の存在  前述したとおり、当時、”大地の牙”には、齋藤、被告人、高田、その他数名の構成員がいた。  大成建設爆破事件に関しては、被告人が関与した前項記載の行為以外は、全て”大地の牙”の他の構成員が行った。  第三者は、コードネーム「高田」と呼ばれ、電話センター協栄サービス記録(乙14添付)においても、「高田」から「中川」へという形で、齋藤宛に頻繁に連絡を採っている。   A 被告人の立場及び生活状況  被告人は自らを”大地の牙”の兵站担当、即ち、他の実行部隊の行う闘争を周囲で支えることが役割であると認識しており、11月から12月にかけては、”大地の牙”の連絡員として”狼”の連絡員と連絡を取ること以外には、主に活動資金を作ることに専念していた。  11月から12月にかけての被告人の生活状況は、次のとおりであった(第101回被告人公判供述調書稲富速記官部分16乃至27頁他、控訴審において追加立証予定)。  被告人は東京都世田谷区松原のアパートに居住し、相模原にある北里大学医学部免疫微生物学教室に勤務していた。平日は午前7時前にアパートを出て、京王井の頭線東松原駅で乗車し、下北沢駅で小田急小田原線に乗り換え、相模大野駅で下車し、バスに乗り換え、午前9時前には研究室に出勤し、午後5時頃退勤し、都内に戻っていた。10月から学生実習が始まっており、研究室での仕事は忙しくなっていた。また、週に3、4日は午後8時頃から午前0時頃まで井の頭線神泉駅付近にあるクラブでホステスのアルバイトをしていた。加えて、週に1、2回は午後6時半ないしは7時頃から齋藤と会い、週に1回程度、午後7時頃から、”大地の牙”の連絡員として”狼”の連絡員であった大道寺將司と会うなど、過労状態にあった。さらに、11月後半は、被告人は妊娠初期にあり、悪阻で体調が悪く、11月29日頃には流産してしまうほどであった。  被告人は、連絡員として大道寺將司と会ったその日の夜午後11時か午前0時頃、京王線沿線の調布より少し新宿寄りの駅のプラットホームで、腹部に激しい痛みを感じ、出血し、流産してしまい、病院(倉田産婦人科医院)に入院した(第100回被告人公判供述調書野田速記官部分13乃至16頁)。  この事実は、被告人が、同年11月28日、29日に有給休暇を取って職場を欠勤していることからも裏付けられる(控訴審において立証予定)。  従って、客観的にも、大成建設爆破事件に関与できない状態にあり、齋藤からも特に関与を求められることもなかった。    B 被告人の事件当日の行動(第101回被告人公判供述調書稲富速記    官部分14頁他、控訴審において追加立証予定)   被告人は、事件当日の12月10日、通常どおり勤務先の北里大学で勤務しており、爆弾の運搬や仕掛けその他について、一切、関与していない。 本件大成建設爆破事件当日の12月10日、被告の出勤時間は、午前8時25分であり、午前8時の爆弾設置時間に銀座にいることは不可能である。   なお、原判決は、大成建設駐車場における爆弾設置時間を、「午前6時30分頃」と認定しているが、この点は事実誤認といわざるを得ない。   けだし、本件当日の12月10日、東京地方の日の出時刻は、国立天文台によれば、「午前6時39分」であり、当日は雨天であったのであるから、爆弾設置時間とされる午前6時30分には、まだ辺りは真っ暗であり、自然状態においては、被告人が見張りの役目など果たせる状況にはなかったものである。   であるにもかかわらず、被告人の捜査段階の供述調書には、「懐中電灯を持参した」とか、「街灯の明かりを利用して見張りをした」といった現場で体験した者特有の事実の詳細は一切語られていない。(乙9、10)   「当日朝六時に齋藤君と新宿で落ち合いました。       齋藤君が手提げの紙袋に爆弾を入れて持ってきて私が新宿で受けとり、銀座に来て下車しました。       齋藤君は同じ地下鉄で一台電車を遅らせて銀座に来たのです。 爆弾は齋藤君が既に家を出るときにセット済みだったのです。       銀座の地下道の階段の途中で齋藤君に爆弾を渡しました。       そして大成建設の本社方向に向けて別々の歩道を歩き、齋藤君が目的とする駐車場の鉄板の下に仕掛けたのです。       私は齋藤君が爆弾を仕掛けている際中、その対角線上の位置に立って人通りの警戒に当たりました。       大体仕掛けた時間は午前六時三〇分前後だったと思います。  仕掛けおいた後は自由行動で私は再び地下鉄で新宿に向かいました。」(乙9)       この供述の中には、未だ日の出時刻前であるにもかかわらず、周囲の明暗や、街灯の明かり等があったか否かといった状況が一切語られていない。この供述は、「全く迫真性を欠く」供述と言わざるを得ない。      「早朝の銀座は人通りも少なく、ちらほらと通行人もいたように思いますが、誰も斉藤君の行動には気がつかなかったと思います。 私は斉藤君が爆弾を仕掛けた場所と対角線上の歩道に立って斉藤君が爆弾を仕掛中死角になる方向の路上の人の気配に気を配り警戒に当たったわけです。       従って私は斉藤君の仕掛の行為は注視しておりません。それは斉藤君方ばかり見ていたら今度は却って私が怪しまれることになり、専ら人の気配に注意を配っていたのです。       いずれにしても仕掛けはものの五秒か十秒で終っちゃいました。 もし傍に通行人等かあってうまく仕掛けることが出来なければそのビル界隈の一角をもう一まわりして再度試みるつもりでいたのですが、最初の一発でバッチリうまくいったのです。」(乙10)。      この二つの供述調書の中には、早朝の現場の天候や明るさなどは語られておらず、また、12月10日の日の出前ということで、相当な寒さであったと考えられるが、その点の記述もない。そして、被告人の供述によれば、被告人の役割は、「見張り」のはずであるが、「ちらほら通行人もいたように思う」というだけで、具体的に、どの程度の距離に通行人がいたのか、どのような人がいたのかなどの詳細はなく、迫真性も具体性もない。      また、「齋藤君は同じ地下鉄で一台電車を遅らせて銀座に来たのです。」「爆弾は齋藤君が既に家を出るときにセット済みだったのです。」といったディテールにしても、被告人が、齋藤による爆弾設置を見張りした間組爆破事件における経緯と同様であり、大成建設事件独自のオリジナリティある話ではない。      更に、この事件当日、被告人は、その供述によれば、現場の見張りをしたすぐ後に、北里大学の勤務のため出勤し、午後5時19分まで勤務している。      この点、三井物産爆破事件の際には、被告人は、犯行当日の10月14日、有給休暇を申請して北里大学を欠勤し、現場に赴いているのに対し、大成建設当日の12月10日には、定時より前に出勤し、定時過ぎまで勤務しているものであるが、爆破事件に関与し、しかも、それによる負傷者も出ている当日に、被告人が平然と勤務を続けていたとは考えられない。      加えて、1975年6月16日付検面調書(乙14)添付の電話センター協栄サービスの記録によれば、本件当日である1974年12月10日、被告人は、午前9時40分に、「中川」即ち齋藤からの前日9日午後6時5分のメッセージを聴取している。      しかしながら、本件当日午前6時に被告人が齋藤と落ち合い、本件犯行に及んでいるのであれば、被告人は、前日のメッセージを改めて犯行後の午前9時40分に聞く必要はなかったはずである。      そもそも、本件捜査段階において、当日の行動については、被告人は捜査官に対し、当初、矛盾に満ちた供述をしていたところ、捜査官から、当日のアリバイ(出勤時刻)など次々と矛盾点を指摘され、捜査官が様々な示唆を行った結果、最終的に午前6時30分頃、被告人が見張りをする中で齋藤が爆弾を仕掛けた旨の供述をするに至った。ところが、被告人が供述を終えた6月頃、捜査官である纐纈刑事から、まだ日も昇っておらず、見張りが成立する筈もないのに、齋藤が見張っている中で爆弾を仕掛けたとするのはおかしいとの指摘を受け、また、7月頃には村田元検事から、上記供述内容は信用できないとの指摘も受けている(第101回被告人公判供述調書稲富速記官部分15、16頁)。      被告人の捜査段階の供述は、矛盾点を指摘され、追い詰められた被告人が、被告人が他のメンバーを庇うために、自分と齋藤の2人だけで「犯行を完結」させるための創作であって、真実とは程遠い内容となっている。 C 爆弾の製造への不関与  被告人は、爆弾の製造はもちろん、新たな時限装置の製造も行っていない。  この点、被告人の検面調書には、被告人が時限装置を造って事件の2日前に齋藤に渡した旨の記載があるが、これは被告人が”大地の牙”の他のメンバーの存在を隠す目的で供述したものに過ぎず、信用性はない。現に、被告人の検面調書には、爆弾に使用されていた紅茶缶についての記載は一切ない。 D 調査・下見  被告人は大成建設集古館・本社の調査・下見も一切行っていない。被告人は単に、大成建設集古館を見学に行こうとし(ただし、工事中で閉館していた)、また、大成建設本社の爆弾が設置されたのとは別の駐車場を見に行っただけである。  被告人の検面調書(乙10)には、大成建設の集古館が攻撃対象として適当であるか調査に赴き、入り口にチェックがあり、爆弾を仕掛けるのが困難であると考えた旨の記載があるが、被告人が集古館に行った際は、集古館は工事中で中に入ることもできなかったのであるから、上記記載内容は虚偽か単なる推論に基づくものである。    E 声明文の封筒の宛名  被告人は、声明文の中身の文章の切り貼りは行ったが、声明文を送付する封筒の宛名を切り貼りも行っていない。  被告人の検面調書には、声明文を送付する封筒の宛名を切り貼りしたのは被告人であるという記載と、齋藤であるとする記載があるが、実際には、切り貼りを行ったのは被告人以外の”大地の牙”のメンバーであり、被告人にはそれ以上の認識はない。上記の記載は、被告人が”大地の牙”の他のメンバーの存在を隠す目的で供述したものに過ぎず、信用性はない。なお、検面調書には、被告人が封筒の宛名に「いたずら」をした旨の記載もあるが、これはNHKのNの横に「いぬ」と書いてあったことを取り調べの時に捜査官に教えられ、誰がやったんだとしつこく聞かれたため、被告人が自分だと供述したに過ぎず、信用性はない。    F 小結      以上、被告人は、大成建設爆破事件については、計画の概要を知り、現場を下見に行く、連絡員として、その計画を大道寺將司に伝達し、また、本件で用いられた爆弾の缶体となるカートリッジ窃取を手伝う、声明文の中身の文章を切り貼りするなどの関与をしていることは認められるが、爆弾製造を手伝った、爆弾設置の現場に赴き見張りをしたなどの事実はないのであって、被告人の行為は、過失傷害罪並びに人の財産を害する目的による爆発物取締罰則違反の幇助罪に止まる。      百歩譲って、被告人の「共謀共同正犯性」が認められる場合でも、被告人は、過失傷害罪並びに人の財産を害する目的による爆発物取締罰則違反の事前共謀に参加したのみであり、実行犯ではないのであって、負傷者発生について故意を有しようはずはないのであるから、過失傷害罪並びに人の財産を害する目的による爆発物取締罰則違反の共謀共同正犯の限度でのみ、その罪責を負わせるべきである。      にもかかわらず、本件大成建設爆破事件について、被告人に、殺人未遂、人の生命身体を害する目的による爆発物取締罰則違反の実行共同正犯を認定した原判決には、事実誤認がある。 5) 殺意及び「人の身体を害する目的」の不存在    @ 殺意及び人の身体を害する目的の有無に関する原判決の判断      原判決は、まず、「爆弾の威力」について、「爆発により、爆心地のコンクリート製L字型側溝が路面にめり込み、大成建設本社ピロティから隣接する駐車場にかけての出入口に敷いてあった重さ約七〇キログラムの鉄製踏板のうち一枚が、約三一メートルの距離にある高さ約六・七メートルの二階建ての建物上まで飛ばされ、屋根及び天井を突き破って室内に落下したほか、数枚がピロティ内や路上に飛散し、付近路上に駐車中の小型トラックが横倒しになった上、大成建設本社では窓ガラス百数十枚が割れるなどして、大量のガラス破片等が室内や路上に散乱し、近隣のビルでも窓ガラスが割れるなどした」のであり、また、「爆心地付近に居合わせた被害者らは、爆風、爆音や飛散した異物を身体に受けるなどして重軽傷を負い」、中には、「右手中指、人さし指及び薬指の各指先から第一関節までの部分がなくなり、右足にコンクリート片等が突き刺さるなど」被害を受けているのであるから、「爆弾の威力が相当強力であった」と認定し、よって、「爆心地付近に居合わせた被害者らは、いずれも爆発時の爆風、飛散した鉄製踏板やコンクリート破片等によって死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められ」、更に、大成建設本社の内部やその周辺に居合わせた人々も、爆発により破壊された窓ガラスの破片等によって傷害を負う可能性のある範囲内にいたものと」その「死傷結果発生可能性範囲」を認定している(原判決129、130頁)。      そして、「殺意の有無」については、「爆弾の威力は相当強力であった」上、「被告人及び齋藤は、その威力を認識しつつ、平日の午前中、企業等の社会活動が活発な時間帯に爆発するようにセットし、人通りや交通量の多い繁華街にあった大企業の本社ビル前の鉄製踏板の下に爆弾を仕掛けたのであるから、その爆弾の爆発により、爆心地付近にいた者らを死亡させる可能性があることを当然に認識していたものと認められ」、結局、「被告人及び齋藤の爆弾闘争の主目的が企業施設の破壊にあったとはいえ、少なくとも、爆心地付近に居合わせた者が爆発時の爆風、飛散した鉄製踏板やコンクリート破片等によって死亡する可能性のあることを認識しつつ、これを認容して、あえて犯行を実行したと認めることができるのであり」、「被告人らに未必の殺意があったことは明らかである。」と判断する(原判決130乃至132頁)。      そして、爆発物取締罰則規定の「人の身体を害する目的」についても、被告人に「少なくとも未必的に人の身体を害する目的があったことも明白」と認定する(原判決132頁)。      他方で、「概括的確定故意」を主張する検察官に対しては、「齋藤は、爆発の一時間以上前に、大成建設本社総務部庶務課等に電話をかけ、爆弾を仕掛けたことを告げて、避難を求めるなどしたのであり、この事実に鑑みると、被告人及び齋藤が爆発によって爆心地付近にいた者らが死亡することを確定的に認識し、あるいは積極的に意欲していたとはいい難い」(原判決133、134頁)として、検察官の主張を退けた。      この点検察官の「概括的確定故意」の主張を退けた点は、原判決は正当であると考える。      しかし、被告人らに「未必の殺意」「未必の他害目的」を認めた点には、事実誤認があると考える。      即ち、確かに、齋藤は、予告電話をかける時点で、「予告電話をかけなければ、死傷者が出る可能性がある」ことは認識していたが、予告電話をかけることにより、「死傷者発生の蓋然性を解消し得た」と誤信していたものであるから、被告人らに、「死亡結果発生の可能性・蓋然性の認識」はない。      仮に、百歩譲って、死傷者発生の可能性・蓋然性事態を認識していたとしても、被告人らは、「死傷結果を認容」する意思はなかったものであり、被告人らの主観は、せいぜい「認識ある過失」に止まる。      以下、詳述する A 被告人らには「未必の殺意」も「未必の他害目的」も存しないこと   被告人らは、絶対に人を負傷させてはならないと考えていたのであり、殺人の故意はもちろん、「人の身体を害する目的」も有していなかったことは、以下の諸要素からみても明らかである。 a. 爆破の目的(第101回被告人公判供述調書野田速記官前半部分1乃至6頁、1999年2月10日大道寺將司証言調書加藤速記官部分34丁裏、35丁表)  ”大地の牙”が大成建設を爆破対象に選定した理由については、被告人は齋藤から特に説明を受けてはいない。被告人としては、齋藤から読んでおくように言われて渡された大成建設の社史が書かれた書籍を読み、戦前、戦後を通じて日本帝国主義の国策会社としてアジア侵略の先兵となり、アジア各地から文化遺産を収奪してきた大倉資本にの過去の犯罪行為を人民の名において処罰することと、心理的経済的打撃を与えることによって現在の海外侵略にブレーキをかけることと理解していた。  そして、政治的なアピールという目的からすれば、死傷者の発生は、明らかにマイナスであるから、死傷者の発生は、絶対に回避すべき事態として認識されていた。  従って、三井物産爆破事件と同様、処罰の対象とし、経済侵略の中止を警告した対象は、企業としての大成建設であったのであり、その従業員等を殺害したり負傷させたりする必要は全くなかった、のみならず、死傷者を出すことは、それ自体が「失敗」だったのである。 b.  予告電話の架電(甲B55、56、82〜84)  ”大地の牙”は、大成建設本社を爆破するに際し、事前にその旨の予告電話をかけている。  三井物産爆破事件と同様、予告電話を死傷者の発生を防ぐためにかけたことは、争いようのない事実である。  予告電話は、具体的には、以下のようになされている。齋藤は、爆弾を仕掛けた後、1974年12月10日午前9時45分ころ、        大成建設本社総務部庶務課に電話をかけ、応答した同社従業員に対し、「爆弾を仕掛けた。」と言って電話を切り、        職業別電話帳に銀座読売銀座ビル別館内の大成建設技術開発本部技術管理部の電話番号として登載されていた番号に電話をかけ、応答した同社技術開発本部長に対し、「大成建設に爆弾を仕掛けた。」と言って電話を切り、        大倉本館ビル内に所在する大倉商事株式会社本社建設部に電 話をかけ、応答した同社従業員に対し、「そちらに爆弾を仕掛けた。ただちに避難せよ。」と言って電話を切った(甲B55、56、82乃至84)。 c. 予告電話の架電時刻の設定  予告電話の架電時刻については、大道寺將司から何回も20分以上前にかけるように言われ、その旨を齋藤に伝え、齋藤からそのようにする旨を聞いていたので、被告人もそのように認識していた。被告人は、予告電話の架電後、爆発時刻までの間に全員が避難するに十分な時間であると考えていた。 しかも、齋藤は、死傷者を絶対出さないようにと焦るあまり、予定していた「爆発時間より20分前」ではなく、爆発時刻から、1時間17分も前の午前9時45分に予告電話をしている。  これは、前回の三井物産館爆破事件の際に、約20分ほど前に予告電話をしたのに負傷者を出してしまったことの反省から、齋藤としては、できるだけ早く予告し、できるだけ早く避難してもらおうと気持ちが焦ったものである(第101回被告人公判供述調書秋元速記官部分13、14頁)。  結果的には、予告電話が、早過ぎたことが裏目に出て、「予告電話はいたずらである」と勘違いされ、避難措置が解除された後に爆弾が爆発し、全く予想していなかった負傷者を多数出してしまった。  しかしながら、心情的には、齋藤としては、「絶対に死傷者を出すわけにはゆかない」「一刻も早く避難を完了してもらいたい」から、1時間以上前に予告電話をしてしまったのであって、齋藤としては、出来得る限りの結果回避措置をとったものである。  この点、原判決は、「被告人及び齋藤は、事前に、予告電話がうまくかからなかった場合や、かかっても、いたずら電話と思われて避難しない者がいたり、逆に爆弾の捜索をする者がいたりした場合の対処方法について何ら協議しておらず、また、予告電話の内容も、爆発予定時刻、爆弾の設置場所、爆弾の形状等について全く触れていなかったのであり、これらの事実に鑑みると、被告人及び齋藤が、予告電話によって、死亡を含む人的被害を確実に回避できるとは考えていなかったというべきである。」(原判決135、136頁)として、予告電話の方法や回避措置の不十分性を指摘する。  また、原判決は、「被告人自身も、逮捕された後、検察官に対し「爆弾の仕掛場所については予告しておりませんから爆弾の在かをさがすためのお巡りさんと大成建設の若干の係員は避難しきれず怪我するかも知れないことは予期されました」と供述し、公判段階においても、警察官が爆弾を発見して、爆弾処理班が爆弾を包囲した状態で爆発が起こることはあり得ると考えていた旨供述している点を捉え、また、爆弾の設置場所が、大成建設本社と道路の段差踏み板下であることから、「予告電話をかけたビルにいた者に限らず、道路上を歩いていた者らにも危害が及び、死亡の結果が生じる可能性もあったのであるから、被告人及び齋藤が真にその結果を確実に回避しようと考えたのであれば、少なくとも、警察に予告電話をかけて爆発予定時刻を告げ、正確な爆弾の設置場所は告げないまでも、一定範囲の道路の通行規制を求める程度のことはできたのに、実際にはそのような措置を全く執らなかったのであり、規制の早期解除が負傷者の生じた主要な原因であるという主張は、到底採用することができない。」(原判決136、137頁)として、殺意はなかった旨の被告人の主張を退ける。  しかしながら、齋藤及び被告人らの爆破目的に照らすと、「設置場所や爆破時間、爆弾の形状」等を予告してしまうと、これらの目的を全く果たさない内にさっさと撤去されてしまうことになり、そもそも爆弾設置の意味がなくなることから、そのような詳細を予告することはできなかったものである。  また、「警察に電話して道路の通行規制を求めることもできた」とする原判決の指摘は、後になって考えればもっともであるものの、齋藤らとしては、大成建設関連の部署に3ヶ所も架電すれば、当然、警察には連絡が行くものと考えており、実際に、予告電話を受けた大成の社員らを通じて警察への通報はあったのであり、本件爆発直後には、警察が出動して、通行規制と避難措置、及び、爆弾の捜索が行われていたのであるから(甲B55、56、82〜84)、「警察に電話していたら、避難措置がもっと長時間継続していたはず」「いたずら電話と間違えられることはなかったはず」というものではなく、齋藤又は被告人らが直接警察に電話していないとしても、結果に大きな差異があったとは思われない。  勿論、被告人らの予告電話の架電方法等結果回避策が不十分である点は、原判決認定のとおりではある。  また、被告人としては、「避難措置の早期解除」の「せいで」負傷者が出たのであって、「被告人らのせいではない」などと言い逃れをしようとしているのではない。  しかし、齋藤において1時間以上前に予告電話をかけ、結果回避措置をとっている点からしても、そして、避難措置が継続していれば、負傷者発生が避け得たと考えられることからして、被告人らが、「死傷の結果可能性を認識し、認容していた」とは解し得ないと主張するのみである。  そして、「結果回避措置が不十分」であった点は、被告人らの「認識不足」「認識の甘さ」であって、未必の故意としてではなく、過失又は重過失として問われる問題である。 d. 爆発時刻の設定  大成建設爆破については、被告人は齋藤から、事前に、幹部の自動車を駐車する駐車場に爆弾を仕掛けること、爆発の時間帯は午前10時15〜30分であること、予告電話をかけることの説明を受けていた(第101回被告人公判供述調書稲富速記官部分7、8頁)。  爆発時刻については、大成建設の幹部は毎日午前10時頃までに出社し、10時過ぎから幹部会議を行い、出かける者は11時頃出かけるので、駐車場の自動車や人の動きが最も少なく、かつ、予告電話を20〜30分前にかけると丁度、幹部会議が始まる時間帯に避難指示が出るので、避難が徹底しやすいとの理由で、上記時間帯に設定したとの説明を受け、その旨認識していた。 e. 爆弾の設置場所  爆弾の設置場所については、被告人は幹部の自動車を駐車する駐車場であると聞いていたのであるが、11月中〜下旬頃、齋藤から勧められて見に行った大成建設本社駐車場は、3方がほとんど窓のないビルの背面で囲まれた、自動車が6〜7台、2〜3列駐車できる程度の広さ(東京地裁531号法廷より若干狭い位)のオープンスペースであった。被告人は、この駐車場を見て、建物の中ではなく、人もいないので、たとえうまくいかなくても、余計な被害がでることはないと考えた(同調書野田速記官前半部分7、8頁)。  なお、実際に爆弾が設置された駐車場は、別の駐車場であった。  被告人の検面調書(乙10)には、爆弾を仕掛ける場所について、駐車場の入り口の鉄板の下であると認識していた旨の記載があるが、被告人の当時の現実の認識は、駐車場の駐車場所と進入路との段差のある場所、即ち、駐車場の真ん中あたりの1台の自動車の前あたりであった(同調書同部分9、10頁)。検面調書の上記記載は、当初、被告人が捜査官に現実の認識を供述していたところ、捜査官から実際の爆弾の仕掛け場所と違うことを示唆され、新聞記事を見せられる等して、実際の仕掛け場所であるビルの入り口の鉄板の下との認識であったと供述するに至ったものに過ぎない。 f. 爆弾の威力についての認識  爆弾の威力や構造等については、被告人は齋藤から、何の説明も受けていなかった。被告人としては、事前に入手したガスストーブのカートリッジと大道寺將司から渡された雷管というものを使うのだろうという認識はあったが、それ以外には威力・構造等について何の認識もなかった(同調書稲富速記官部分9、10頁)。 g. 負傷者の発生原因  大成建設爆破事件においては、負傷者が発生しているが、これには予告電話を受けて一旦避難措置を取ったにもかかわらず、爆発前にこれが解除されたことから、予告電話は誤報と安心した従業員や出入り業者ら被害者らが現場に戻ってきてしまったという事情がある(甲B38、41、43、45、47、49、51、53)。  勿論、被害者の行動が負傷の原因であるとする趣旨ではなく、勿論、予告電話の時間から爆破時間までが離れ過ぎていたことが原因であることは言うまでもないが、現に予告電話により多くの従業員が避難し負傷を免れていることからすれば、これらの者も爆弾が爆発するまで避難していれば、負傷という結果が発生することはなかったという点は、一定斟酌されるべきである。 h. 総括内容  被告人は、”大地の牙”としての大成建設事件の総括内容を聞かされていない。  しかし、齋藤は負傷者が出たことについて相当のショックを受けていたこと、被告人及び齋藤は、その後、負傷者を出したことについての責任を取るため、自殺用の薬物の入ったカプセルを”狼”から入手して携帯するようになった。このことからも、”大地の牙”が死傷者の発生を何としても防ごうとしていたことは明らかである(第101回被告人公判供述調書秋元速記官部分12〜18頁)。 B 小結   以上、被告人らには、原判決認定の「未必の故意」「未必の他害目的」もないと考えるべきである。 また、仮に、被告人らに対し、「本当に絶対に一人の負傷者も出ないと信じていたのか」と問い質した場合、被告人らに「絶対に出ないという自信があった」とまで答えることはできないかもしれない。であるとしても、被告人らは、「死傷者発生の結果」を「認容」したことなどない。  それは、「可能性はほとんどないから大丈夫」と考えた点で、「認識ある過失」として問擬されるべきである。  よって、被告人の大成建設爆破事件は、傷害(過失傷害)、及び、治安を害する目的に出た点で爆発物取締罰則違反の構成要件に該当するに過ぎない。 この点、「未必の殺意」「未必の他害目的」を認定し、本件大成建設爆破事件に殺人未遂罪を適用した原判決には、事実誤認がある。  (3) 間組同時爆破事件   1) 原判決の認定    @ 被告人と共犯者らの間組事件に関する謀議状況等     原判決は、間組同時爆破事件の概要につき、以下のとおり認定する(原判決140〜146頁)。     要するに、間同時爆破事件は、まず、さそりグループリーダーの黒川芳正の提案により、1975年1月頃から当初は、さそりグループ内、後には、三者会談の席で、黒川と、狼リーダー大道寺將司、大地の牙リーダー齋藤らと共に協議・検討されるようになった。当初は、さそりグループ単独の作戦として、@間組本社で爆弾を爆発させること、A間組が施行している工事現場で爆弾を爆発させること、B間組幹部に対して攻撃すること(テロ)などが提案され、具体的には東京本社に近い工事現場を攻撃対象とする計画が示された。     しかし、1975年2月上旬頃、マレーシアの現地ゲリラ組織が間組に警告文を送付した事実が報道され、三者協議において、「間組に対する攻撃は、さそりグループ単独ではなく、東アジア反日武装戦線に参加する3つのグループが総体となって取り組む価値のある作戦である」ということで意見が一致した。     同月17日の三者会談の際、黒川が大道寺將司と齋藤に対し、さそりグループは間組本社を攻撃するつもりであることなどを伝え、三名が協議した結果、さそりグループがマレーシアの現地ゲリラに呼応する闘争の提唱者であったことから、間組本社6階の海外工事局を攻撃することに決定し、同月18日ころ、大道寺將司ら狼グループ内で、計算機室のある間組本社9階に爆弾を仕掛けて爆発させる方針を決めた。     大道寺將司は、翌19日、間組本社9階を中心に更に下見をするなどした上、同日夜に齋藤と会い、本社9階に決定したことを伝え、両名の間で、大地の牙グループが大宮工場を攻撃対象とすることを話し合い、さらに、同月21日の三者会談において、狼グループが間組本社9階に、大地の牙グループが大宮工場にそれぞれ爆弾を仕掛けて爆発させることを決定した。     これらの三者会談の話し合いの内容は、狼グループでは、大道寺將司が他の狼メンバーに対し、さそりグループでは、黒川が他のさそりメンバーに対し伝えられ、各々のグループで具体的な計画が練られた。     1975年2月25日、大道寺將司、齋藤、黒川は、都内の喫茶店において、間組攻撃について最終的な打合せを行い、@爆弾を仕掛ける時刻を同月28日午後6時ころとすること、A爆発時刻を同日午後8時とすること、B各グループが別々に爆弾を仕掛けること、C爆発20分前の午後7時40分までに、間組本社についてはさそりグループが本社地下にある喫茶店等に、大宮工場については大地の牙グループが大宮工場の近くにある日本通運にそれぞれ予告電話をかけ、その際、爆発予定時刻は伝えず、こちらの名前も名乗らないことなどを確認した。   A 手製雷管の製作等(原判決147頁)     黒川及び齋藤は、1975年2月中旬までの三者会談の席上、大道寺將司に対し、爆弾に用いる雷管の製作と提供を依頼し、同人は、これを承諾し、大道寺あや子に指示して製作させた雷管各1個を同月21日の三者会談の際に黒川及び齋藤に手渡した。   B 大地の牙グループ内における謀議状況(原判決148頁)     被告人は、1975年1月下旬ころから、東京都江東区亀戸にあった「ツタバマンション」と称する集合住宅で齋藤と同棲しており、齋藤から三者会談における話合いの結果について適宜報告を受け、犯行当日までに、@さそりグループの提唱を受けて3グループが共同して間組に対し爆弾を用いた同時攻撃を行うこと、A当初は、間組本社、工事現場に加えて、間組幹部個人を同時攻撃の対象とする計画があったこと、Bその後、個人攻撃は実行が困難であるという主張があり、結局、さそりグループが間組本社内の海外工事局を、狼グループも間組本社のいずれかの場所を攻撃し、大地の牙グループは大宮工場を攻撃することになったこと、C3グループの爆弾は午後8時に同時に爆発させることになったことなどを認識していた。   C 爆弾の製造状況等(原判決153、154頁)      被告人は、齋藤と同棲していたツタバマンションの居室において、齋藤から渡された小型目覚まし時計、ナショナルハイトップ乾電池、配線類等を加工して時限装置を製作した上、齋藤の指示に従って、爆薬の調合に用いる薬品等を計量したり、すり合わせたりし、齋藤と協力して爆薬を缶体に詰めるなどした。爆薬については、塩素酸カリウム等をその成分とする塩素酸塩系爆薬を製造して用いた。また、被告人及び齋藤は、起爆装置に雷管を用いることとし、齋藤が大道寺將司から入手した手製雷管を用いた。     缶体には、外回りがコンクリート様のもので補強された長方形の缶を用い、齋藤が、屋外に仕掛けても自然に見えるようにコンクリートブロックに似せて外装を施した。   D 爆弾の運搬設置状況等(原判決156、157頁)      被告人は、1975年2月28日、山の手線田端駅で齋藤から紙袋に入った爆弾を受け取り、京浜東北線北浦和駅に移動し、北浦和駅で変装し、持参したショッピングカートに爆弾を入れ、大宮行きのバスに乗車し、時間と停留所をずらして齋藤と現場付近で合流し、齋藤が、ショッピングカートから爆弾を出して、間組大宮工場構内の本件爆破現場変電所付近に爆弾を仕掛けた。   E 3グループによる総括(原判決166〜168頁)     本件間組本社9階、6階、大宮工場同時爆破後、大道寺將司、黒川、及び齋藤は、1975年3月5日ころ、間組事件について総括を行い、その際、間組本社9階で怪我人が出た関係で、大道寺將司が黒川に対し予告電話について尋ねたところ、黒川は、電話はしたが、その趣旨が伝わらなかった旨説明した。   F 共謀共同正犯の成立認定     そして、原判決は、以上のような事実認定の元に、間組同時爆破は、狼、さそり、大地の牙の合同作戦であり、被告人も、齋藤から謀議の内容を説明されて計画を知悉し、大地の牙内でも齋藤と被告人の間で謀議を行い、計画に参加したものであり、被告人が実行犯として爆弾の運搬等を行った間組大宮工場爆破のみならず、間組本社9階、6階爆破についても、共謀共同正犯としての罪責を負うと認定した。   2) 原判決の認定誤り     しかしながら、以上の原判決の認定には、事実誤認がある。     即ち、被告人は、間組大宮工場爆破については、爆弾の製造は齋藤によるものであり、関与していないものの、運搬については、ほぼ原判決認定のとおりの行動を行った。     しかし、間組本社9階、6階爆破については、具体的な計画等一切知らされておらず、被告人は、一切関与していないものであるから、同2件については、無罪である。     原判決には、以下のような視点が欠如しているため、事実を見誤ったものである。    3) 共謀の不存在   @ 3グループの関係について a. 闘争の対象目的の違いー”大地の牙”と”さそり”   即ち、上記3部隊は、同じく「東アジア反日武装戦線」に志願した部隊でありながら、闘争の対象ないし目的には微妙なずれがあった。   この点に関し、大道寺將司の1999年5月24日証言(同証言調書野田速記官部分14頁、加藤速記官部分21乃至24頁)、益永の同年12月2日の証言(同証言調書野田速記官部分16、17頁)、宇賀神証言(第94回宇賀神証人尋問調書木村速記官部分11乃至13頁)等によれば、”さそり”の場合、中心的存在は、明らかに黒川であったが、黒川は、学生時代にマルクス主義を研究し、寄せ場闘争に参加するようになってからも、方法論としては、マルクス主義を研究していた。そして、”さそり”としては、日本の中の民族問題に全く関心がなかったわけではなかったが、その重点は主に寄せ場における下層労働者の解放に向けられていた。   一方、”大地の牙”の場合、中心的存在は、明らかに齋藤であったが、齋藤の場合、アナーキストないしは直接行動主義を唱えるグループと行動をしてきており、マルクス主義とは一線を画してきた。そして、闘争の中心テーマとしては、戦後補償や韓国問題に関連したものが多く、”さそり”に比べれば、下層労働者の解放というテーマには重点が置かれていなかったと言える。   そして、”狼”は、”さそり”と”大地の牙”の中間的位置におり、アイヌ問題にも重点が置かれていた。   以上のとおり、「東アジア反日武装戦線」に参加した3部隊は、その思想傾向や関心の対象には微妙な差が当初から存在していた。   このことから、事実として、間組事件以降も”さそり”においては、間組に関連した闘争(即ち下層労働者解放の闘争)を継続するのに対し、”大地の牙”においては、韓産研、オリエンタルメタルといった戦後補償、韓国問題に関連する闘争に切り替わっていくのである。 b. 組織形態の違いー”狼”と”さそり””大地の牙”   前記大道寺將司の1999年5月24日証言、益永の同年12月2日証言、宇賀神証言(第94回)等からは、”狼”と他グループにつき、内部意思形成のあり方等の組織形態にも違いがあることが明らかである。   即ち、”狼”の場合、その結成以前に数年間の前史が存在し、構成員における力関係の差が相対的に少なかった為、内部の意思形成においては、全員が必要な情報を共有し、各作戦の実行過程においても、全員参加型に近い体制を取っており、平等主義の色彩が強いといえる。   これに対し、”大地の牙””さそり”においては、その結成から闘争に至るまでの助走期間が短かったこと、各代表者である黒川、齋藤と他のメンバーとの間に、経験や力量の差が顕著に存在し、従って、内部意思形成においても、黒川や齋藤の意見が重要であったこと、闘争を実行するについても、必ずしも全員参加型ではなく、上命下服型であり、黒川、齋藤以外は、自己の任務に必要な情報のみを知るに過ぎないことが多く、必ずしも、全情報は共有されていない。   従って、”さそり””大地の牙”においては、純粋には平等主義ではなく、グループ代表者の意向が決定的に重要だったのである。  A 共謀の不存在 a. 間組本社6階、9階に関する共謀   原判決は、被告人において、間組本社6階、9階に関しても、「人の身体を害する目的」を含めて共謀があったとしているが、以下に示す事情を考慮すれば、本件において、上記共謀は認定し得ないというべきである。 b. 被告人の公判供述とその信用性   被告人の公判供述(第101回被告人公判供述調書野田速記官後半部分4〜10頁、第102回被告人公判供述調書野田速記官部分7〜29頁、稲富速記官部分1〜9頁)によれば、以下の点が明らかである。   被告人は、齋藤と同居を始めた頃、”大地の牙”の連絡員を交代した。交代した理由は、三者会談の開始を控え、被告人においては、作戦の詳細を説明できず、作戦の決定権限も持たない為、効率上問題があったためであること(1999年5月24日大道寺將司証言調書加藤速記官部分3乃至6頁)。   被告人は、「東アジア反日武装戦線」の他グループの構成を正確に認識していなかったこと。   被告人は、3者会談の討議内容について逐一報告を受けていたわけではなく、自己の任務に関連することのみを齋藤から報告を受けていたこと(このことは、いわゆる地下組織における「一ゲリラ一任務の原則」から自然であること)。   被告人は、「東アジア反日武装戦線」3部隊が、なぜ、間組をターゲットにしたのかにつき、深い理由を知らされていないこと。「キソダニ・テメンゴール作戦」という作戦名すらも事前に知らされたか定かでないこと。   間組事件の立案過程において、”狼””さそり””大地の牙”間の方針の不一致の過程があったことを全く認識していないこと。   ”さそり”が本社を攻撃することについては事前に知っていたものの、具体的攻撃対象は知らなかったこと、”狼”の攻撃対象については全く知らなかったこと。   以上の被告人の供述は、前述のとおり、”大地の牙”において、齋藤と被告人との経験や力量の差が顕著に存しており、その内部運営の仕方が、必ずしも平等主義的でなかったことからすれば、自然なものであり、十分にその信用性を認めることができるものである。   なお、間組同時爆破を巡る三者会談の日時や内容につき、原判決は、黒川の供述調書、大道寺將司の供述調書と期日外証人尋問証言の信用性を認め、殊に、大道寺將司供述については、手帳のメモが残っているなどの事情から、特に高い信用性を認め、事実関係を認定している。   しかしながら、三者会談の日時や内容については、被告人はその詳細を知らないのであるから、上記各供述は、被告人の公判供述と矛盾するとは言えず、被告人の公判供述の信用性を揺るがすものではない。   むしろ、原判決がその信用性を認めた黒川や大道寺らの供述・証言から、「三者会談における謀議」において、大道寺將司、黒川、齋藤が同時爆破計画の全体像を構築、共有しつつ、各々のグループは、各々のグループ担当の事件について謀議を行い、実行に移したが、全体像をつかんでいるのは、各々グループのリーダーであり、しかも、個別の爆破計画の詳細は各グループで計画されたため、他のグループのメンバーが知ることはなかったこと、即ち、三者会談に出席していないことが明らかな被告人が知り得たのは、「間組を3グループが同時に攻撃すること」及び「大宮工場爆破の詳細」のみであることが、裏付けられている。 c. 被告人の捜査段階の供述の信用性欠如   被告人は、1975年6月13日の取調べに対しては、狼グループが間組本社を攻撃することを認識していた旨供述していた(乙13)が、同年7月7日の取調べに対しては、「最終的にさそりグループが間組本社の海外工事局を攻撃するという話は聞きましたが狼グループの攻撃場所とか爆弾の具体的な仕掛場所や方法については知りません」(乙21)と供述するに至ったことが認められ、かなり大きな変遷が見られる。   また、本件に関する検面調書(乙13)によれば、被告人は、間組攻撃の動機についてはよくわからないものの、作戦名称、”さそり”の主導性、当初には個人テロの案もあったこと、”さそり”と”狼”の担当がいずれも間組本社であることを、いずれも、事前に知っていたかのような内容となっている。   しかしながら、上記供述は、既に他の共犯者の詳細な供述がかなり進んだ段階で得られたものであり、他の共犯者の供述を前提とした捜査官による誘導の可能性を窺わしめるものである。   以上のとおり、捜査段階における被告人供述は、捜査官の誘導によって得られた可能性が強く、変遷をも含む内容であり、その信用性は低いというべきである。   被告人は、齋藤らが三者会談で間組事件の謀議を重ねていた当時、齋藤と同棲していて、原判決認定のとおり、三者会談で、さそりグループが下層労働者との連帯の観点から間組の工事現場を攻撃対象にしたいと強く主張していたのに対し、齋藤及び大道寺將司が、企業の中枢である間組本社を攻撃するように説得していたこと、3グループが共同して間組に対する爆弾闘争を実行することに決まったこと、最終的に、さそりグループが間組本社に爆弾を仕掛けて爆発させることや、狼グループも同時刻に爆弾を爆発させることを知っていたことは事実であり、公判廷供述においても認めている。しかしながら、齋藤は、昼間と土日は仕事に出ており、夜はレポや計画のために人に会うなどのために週日の5日中3日はいない状態であり、被告人とは生活時間がかなり異なる上、齋藤は、本来寡黙な質に加え、被告人に対し、自分のプライバシー情報を含め、必要と考えられる情報以外伝達しない習慣があったことは、繰り返し指摘してきたとおりである。そして、そのような「習慣」は、主要には、作戦遂行と逮捕等の事態に対する防衛のためであったのであるから、他のグループの計画の詳細を被告人に説明するなどあり得ないことである。”大地の牙”担当の間組大宮工場爆破に関連し、「何故大地の牙が大宮工場を対象とするか」を説明するために、さそりが工事現場攻撃に固執していた事情やさそりに本社攻撃をさせる意味などを多少説明している可能性はあるが、そもそも、他の2グループの計画の詳細事態は、齋藤も知らないものであり、また、作戦の全体像は、リーダーである齋藤が把握し、配下の被告人には伝えられないのが通常のあり方であったから、他の2事件の計画内容を被告人が知っていた可能性はないのである。   1975年7月7日付け供述調書(乙21)の前記記載は、狼グループが間組本社を攻撃することを知らなかったという趣旨としか考えられず、被告人は、他のグループの計画は知り得なかったのである。 それを、乙13においては、知っているかのごとく供述していることは、明らかに、供述の変遷であり、捜査段階の調書に信用性を認めることはできない。   捜査段階の供述調書の信用性を認めた原判決の判断は誤りである。 d. 小結   以上に見たとおり、被告人の公判供述を前提とすれば、被告人は、間組爆破攻撃の謀議の過程をほとんど知らされておらず、”さそり””狼”の具体的爆破対象も使用される爆弾の概要も事前に知っていたわけではない。よって、本件においては、被告人が、実行正犯と同視しうるような事前共謀に加わっていたとは到底いえないと言うべきである。   よって、間組6階、9階の爆発物使用に関しては、被告人の共謀は認められるべきではないのである。   この点、間組6階、9階爆破についてまで、被告人に共謀共同正犯を認定した原判決には、事実誤認がある。    4) 爆弾製造への不関与(別表「間(大宮)爆破工程表」参照)      被告人は、間組大宮工場爆破に用いられた爆弾の製造自体には関与しておらず、公判廷においても自ら関与していないこと、及び、「犯行当時、齋藤と同棲していたツタバマンションの居室で齋藤が製造したと思うが、齋藤が爆弾を製造しているところは見たことがないし、製造中の爆弾又は製造した爆弾を保管している状況も見たことがない」旨供述している(第102回被告人公判供述野田速記官部分27〜29頁)。     これに対し、原判決は、「被告人方は、四畳半の台所と六畳の一部屋に風呂場等が付属している程度の狭い間取りであった上、六畳間の南側のアコーディオンカーテンで仕切られた一畳ほどの部分には、机やスチール製本棚、手製本棚等があり、机の上には多数の薬品瓶等が、手製本棚にはトラベルウオッチ、銅板片、積層乾電池、ガスヒーター、黒リード線、電気ドリル等が、スチール製本棚には爆薬や火薬に関する多数の書籍がそれぞれ置かれていたほか、右部分と隣接する押入内には、黄色粉末入り容器多数や活性炭、クロレートソーダ(塩素酸ナトリウム)及びデゾレート入りの袋多数が保管されていたことなどが認められ、これらに照らすと、右アコーディオンカーテンで仕切られた部分を含む六畳の居室が爆弾の製造場所であったと認めることができる。そうすると、そのような狭い自室内で爆弾が製造されていたにもかかわらず、齋藤が爆弾を製造しているところや爆弾を保管している状況を見たことがないなどという被告人の右供述は、いかにも不自然、不合理であって、到底信用することができない。」(原判決179、180頁)と判断する。     しかしながら、繰り返し述べるとおり、被告人と齋藤とでは生活時間帯が異なるのであり、齋藤が、特に選んで被告人の帰宅後の時間を作業時間に当てない限り、被告人は、齋藤の作業を目にすることはない(第102回被告人公判供述調書野田速記官部分27〜29頁)。     そして、齋藤としても、爆弾の製造には、緻密さと注意力、集中力が要求され、且つ、ちょっとした配合ミス等で誤爆することもあり得る以上、被告人を巻き添えにする可能性のある時間帯は避け、被告人のいない時間に作業をするのが「リーダーとして、夫として当然の配慮」と言うべきであろう(同調書同部分)。     齋藤は、かつての黒層社時代の仲間であった和田某が爆弾を製造し、それを誤爆させる事件を起こすなどしたこともあり(第97回C証言18頁)、爆弾製造には、殊に神経を使い、基本的には、被告人には、関わらせず、同席させず、また、保管にも気を遣っていたものである。     また、被告人が、臨床検査技師という理系の職業に就きながらも、爆弾についてほとんど大した知識を持ち合わせていないことは、捜査段階の調書にすら、「私は薬品の知識があまりないのでよくわかりません」(乙6)とか、火薬の中身を「黒い粉と白い粉」(乙6)などと言っていることからも明白であり、原判決ですら、「確かに、被告人の捜査段階における供述を見ても、爆薬の具体的な組成には触れておらず」「被告人自身が爆薬の組成等について必ずしも十分な知識を有さず」(原判決185頁)と認定しているところ、被告人に下手に手伝わせて誤爆の危険を増大させることは、やはり考えられないであろう。      これらの事情からしても、同居している場合でも、被告人が、齋藤の爆弾製造や保管を目にしていないことには十分合理性があり、原判決の指摘は、失当である。 5) 大宮工場に関する「人の身体を害する目的」について @ 原判決の認定   原判決は、上記三井物産館事件、大成建設事件同様に、爆弾の威力、同威力下の死傷可能性、威力認識などから、被告人の「人の身体を害する目的」を認定する。   即ち、「大宮工場事件で用いられた爆弾は、容積約三・八リットルの缶体に多量の塩素酸塩系爆薬を充填した爆弾であり、起爆装置として雷管を使用し、缶体の周りをコンクリート等で補強が施され、実際にも、この爆弾の爆発により、爆心地付近では、高さ約二メートルのコンクリート塀が幅約五・四メートルにわたって倒壊し、幅約二一センチメートル、高さ約一九センチメートルのものを含むコンクリート塀の破片が、道路を隔てて約一〇メートル離れたコンクリート塀を突き破るなどした上、爆心地に近接して建っていた工場の窓ガラス三七〇枚及び外壁のスレートが破壊され、それらの破片等が工場内外に散乱し、最も遠いところで爆心地から約四二メートル離れた窓ガラスが破損するなどしたものであるから、爆弾の威力は相当強力であったと認められる」(原判決181頁)。   よって、少なくとも、爆心地であった第一工場の北側の変電所付近や、爆心地と塀を隔てた北側道路上に人が居合わせた場合には、爆発時の爆風、破壊されたコンクリートや窓ガラスの破片等によって傷害を負う可能性があったと認められる(原判決182頁)。   そして、被告人と齋藤は、当然この爆弾の威力を認識していたと認められるところ、その威力を認識しつつ、午後8時ころに爆発するようにセットして、大企業の工場構内に爆弾を設置したこと、しかも、その設置箇所はコンクリート塀を隔てて一定の交通量がある道路に面しており、事件の時間帯は人通りが少ないとはいえ、一時間に数本の路線バスが運行しており、近くに路線バスの停留所もあったことや、大宮工場付近には住宅街も存在していたことなどを認識していたこと、相当強力な威力を有する爆弾をコンクリート塀や建物の付近に設置して爆発させれば、爆発時の爆風や破壊されたコンクリートの破片等によって、爆心地付近に居合わせた者らに傷害を負わせる可能性があることを十分に認識していたと認められ、これらの事実に鑑みると、被告人及び齋藤の主目的が企業としての間組に対し爆弾闘争による攻撃を加え、物理的な損害を与えることにあった点を考慮しても、少なくとも、大宮工場構内のうち爆心地であった変電所付近に居合わせた者や、爆心地と塀を隔てた道路上に居合わせた者が爆発時の爆風、破壊されたコンクリート塀や窓ガラスの破片等によって傷害を負う可能性のあることを認識し、これを認容して、あえて爆弾を爆発させたと認めることができるのであり、被告人に「未必的に人の身体を害する目的があった」と認定する(原判決182、183頁)。   しかしながら、全く怪我人の一人も出ていない本件において、「未必的」にもせよ、「人の身体を害する目的」を認定した原判決には、明白な事実誤認がある。   以下、詳述する。 A 旧統一公判判決   この点に関し、旧統一公判判決(東京地方裁判所昭和54年11月12日判決、刑事裁判月報11巻11号1383頁、判例時報973号24頁)は、次のように判示している。   即ち、「間組大宮工場爆破事件においては、爆発時刻は午後8時頃でしかも爆弾仕掛け地点付近にバス停留所があったとはいえ、本件爆弾を仕掛けた当時その付近に通行人や同工場に勤務する人々がいたと認めうる証拠はなく、予告電話をして、現実にも人の傷害の結果も発生していず(中略)人の身体を害する目的が存した確証がないので、上記目的を認定しない」と判示している。   上記に挙げた判決のとおり、間組大宮工場事件において、「人の身体を害する目的」はなかったのであり、前記旧統一公判判決の判断は、本件においても維持・適用されれるべきである。 B 爆破目的(1999年2月10日大道寺將司証言調書長尾速記官6丁裏、7丁表、第102階被告人公判供述調書野田速記官前半部分9〜21頁)   三井物産館事件、大成建設事件において、原判決も認めているとおり、被告人らの一連の犯行は、企業という主体に対する物理的損害、経済的損害を与えることに目的があったことは、明白であり、間組爆破においても、その方針は維持されている。   即ち、間組は、第二次世界大戦前及び戦中に、中国や朝鮮等に進出して現地労働者を酷使し、中国人及び朝鮮人を我が国に連行して各地の工事現場で衰弱死するまで酷使し、また、木曽谷ダム工事現場で労働者の武装蜂起を鎮圧するために多数の者を虐殺したにもかかわらず、その責任が明確にされていなかった上、戦後も、マレーシアのテメンゴールダム工事をはじめとして東南アジア諸国に進出し、現地の政権と結託して現地労働者から搾取するなどしているという認識から、そのような企業活動を中止させ、反省を促すために、本件間組爆破が計画されたのであり、「人の身体を害する目的」など、その趣旨からもあり得ない。   しかも、間組同時爆破が計画される過程では、さそりグループ提案にもあるとおり、三者会談などにおいても、黒川、大道寺、齋藤の間で、「間組幹部に対する攻撃(テロ)」も一定検討されたものの、狼においては、「人を攻撃対象にすることは絶対納得できない」旨の片岡の頑強な反対(1999年9月24日片岡証言調書野田速記官後半部分9頁、同年10月28日片岡証言調書野田速記官部分1乃至3頁)、また、大地の牙においては、被告人本人の強い反対意見もあり、「要人テロ」計画は全グループにおいて放棄された経緯があるのであって、その点からしても、「人の身体を害する」ことなど、あってはならなかったものである。「間組幹部」といういわば企業の中枢において、企業体と共同して企業活動を行う者に対しても「テロ行為をすべきでない」のであれば、況わんや、現場の従業員や労働者を攻撃対象とすることなど、考えられようはずがないからである。   C 設置場所   本件大宮工場爆破における爆弾の設置場所は、大宮工場構内の北西隅にあった第一工場の北側の変電所付近である。   この変電所には午後8時頃に従業員がいることはまずなかった。   大宮工場は、当時の埼玉県与野市の西部を南北に通る新大宮バイパスの東側で、大宮工場の北側は、幅員9メートルの市道103号線に面し、大宮工場の西側は、幅員8.9メートルの市道に面し、道路を挟んだ向かいには、北側に日通運輸株式会社与野営業所があり、大宮工場の南側は、日本通運大宮支店与野倉庫、乳児保育所、民家等に隣接し、大宮工場の東側は、幅員4.7メートルの市道に面し、付近は、工場地帯であって、昼夜ともに歩行者は少なく、午後8時頃には、数本のバスが運行されてはいるものの、ほとんど人通りはない状態になる。 このような状況下で、爆弾が爆破しても、死傷者が出る可能性はまずないのであって、現実に、誰もかすり傷さえ負っていない。 D 予告電話(甲C155、181)   上記の現場状況に加え、予告電話による防護策が採られている。   間組大宮工場爆破においても、三井、大成事件同様、予告電話が架電されている。   具体的には、齋藤は、爆弾を仕掛けた後、あらかじめ被告人らと決めていたとおり、1975年2月28日午後7時45分ころ、大宮工場の南隣にあった日通通運大宮支店与野倉庫の事務所に電話をかけ、応答した同事務所2階に居住する職員に対し、「日通ですか。近くに爆弾を仕掛けましたから、すぐ交通を遮断して下さい。」と言って電話を切った。   この予告電話を受けた日通職員は、直ちに夫にその旨を伝え、110番通報がなされ、警察官が急行した。この予告電話架電の事実、及び、予告電話の内容からしても、齋藤及び被告人らは、現場近辺から全ての人を避難させ、交通も遮断して、人的被害を出さないよう努めていることは明らかである。 E 被告人の供述   また、被告人の公判供述(第102回被告人公判供述調書野田速記官前半部分、稲富速記官部分1〜12頁)によれば、以下の事実が明らかである。   間組事件前の謀議段階にて、間組幹部を攻撃する案に関し、被告人は、齋藤に対し、反対の意思を表明していること(同調書野田速記官前半部分17、18頁)。   被告人は、大宮工場には、5回か6回下見をしており、夜の時間帯における車や人通りを入念に調べていること、爆弾の具体的仕掛場所である変圧器のある場所については、人が来ない場所であると認識していたこと。   爆弾の製造については、齋藤が行い、被告人は関与していないため、被告人には、その火薬の調合や雷管の使用の有無について認識を欠いていること(なお、捜査段階の被告人供述によれば、被告人は、爆弾の製造にも関与したこととされているが、捜査段階での被告人供述は、全犯行を齋藤と2人で行ったという筋書きによって構成されており、爆弾の製造についてもかかる姿勢で供述したと見られること、当然説明があって然るべき火薬の組成や爆弾の構造について全く何らの説明がないことを考慮すると、公判供述に比して信用性が乏しいというべきである)。 F 小結   以上に見たとおり、被告人は、間組事件当初から、人的被害が出ることを回避しようとしており、人の身体を害することにつき、認容しない姿勢をとっていたことが明らかである。   さらに、爆弾設置現場については、人通りのない場所であると認識していた上、爆弾の構造、従ってその威力についても具体的認識を欠いており、以上を併せ考えれば、被告人は、本件爆弾の爆破により、人の身体を害することを認識していなかったことが明らかである。   また、本件では、現に負傷者も出ておらず、物的損害のみにとどまっていること、被告人供述(同調書稲富速記官部分8頁)によれば、事件後の”大地の牙”の総括として、間組本社において火事が発生し人が負傷した点を否定的に評価していたこと、以上によれば、被告人らにおいて、人の身体を害することの認容も存在しなかったことが明らかである。   以上によれば、本件において、被告人には、「人の身体を害する目的」は全くなかったというべきである。  (4) 韓国産業研究所事件、オリエンタルメタル事件   1) 原判決の認定    韓国産業研究所爆破事件(以下、「韓産研事件」という。)について、  原判決は、    「被告人は、昭和五〇年四月一八日、仕事を終えた後、職場のロッカーに入れておいた爆弾を携えて退社し、同僚と茶を飲むなどして時間を潰した後、新宿駅から中央線で四谷駅に行き、四谷駅のトイレに入って服を着替え、靴を履きかえた上、爆弾を入れていた袋を替えるなどした。     その後、被告人は、地下鉄丸ノ内線で銀座まで行き、西銀座フードセンター入口付近のトイレに入って、爆弾の時限装置の時計のねじを巻くなどし、さらに、地下鉄銀座駅地下道にあるトイレに場所を変えて、時限装置と爆弾本体との配線をつなぐなどした上、同日午後八時ころ、トキワビル五階にあった韓国産業研究所の事務所前に赴き、事務所入口鉄製扉のはめ込みガラス部分に爆弾の入った箱を両面テープで貼り付け、その上からさらにガムテープを貼り付けるなどして、爆弾を設置した。その際、被告人は、爆弾の缶体のうち補強されていない部分を韓国産業研究所の事務所内部に向けて、爆弾の威力が事務所内部の方向に向かうように工夫した。」(原判決205、206頁)   として、被告人を爆弾設置の実行犯であると認定する。    しかし、被告人は、韓国産業研究所までの爆弾運搬は行ったものの、弾設置は行っていない。   2) 捜査段階及び公判段階の被告人供述の検討   @ 否認の後の自白の内容     被告人は、1975年6月2日、即ち、前述のとおり、捜査官やその意を受けたAらの策動により弁護人を解任し、その意思に反して「自供を始める」ことになったまさにその日に、自らが「東アジア反日武装戦線”大地の牙”」の構成員であることを認めた上で、韓国産業研究所爆破事件について語っている。     同日検面調書(乙3)の供述は以下のとおりである。     「韓国産業経済研究所の爆破事件に関して逮捕されましたが、その研究所の所在については知りません。     私は、その研究所に直接爆弾を仕掛けたことはありません。   斉藤君が仕掛けたどうかについてかは判りません。     問 あなたはその研究所のある銀座のトキワビルを予め下見調査したことはないか。     答 ありません。     問 この研究所に仕掛ける爆弾の製造、完成に手をかしたことはないか。     答 ないと思います。     問 その爆弾を運搬したことはないか。     答 ありません。    このように、被告人は、自供を開始した当初から、韓国産業研究所への爆弾設置は否認している。     弁護人としては、この供述にも任意性はないと考えているものの、原判決認定のように「覚悟を決めて自らの意思で自供」したとしても、その当初から、韓産研への関与は否定していたものである。     しかしながら、翌同月3日の自供調書においては、被告人は、いきなり前言を覆し、自らが韓産研に爆弾を運搬し、設置したこと等を認めている。     即ち、1975年6月3日検面調書(乙5)によれば、     「先ず韓産研に目標を設定したのは斉藤君で、私は斉藤君からその相談を受けて爆破することを了承しました。     斉藤君が韓産研に狙いをつけた具体的な事情は判りません。     下見調査は斉藤君と私の二人で行いました。     事件のほぼ十日位前に二人で一緒に下見しました。     その後斉藤君が単独で再び下見に赴いたことがあるか否かについては知りません。     爆弾の製造は私達の部屋で斉藤君と二人で力を合わせて行ないました。缶体は長方形の缶を使いました。     運搬と仕掛けは私が担当しました。     四月十八日の朝、会社に出勤するときビニールの袋だったと思いますが、これに完成した爆弾を入れて、会社では私物入れのロッカー内に置いておき、夕方退社後喫茶店で時間をつぶし、その晩八時ころ私が一人で韓産研に行ってその入口トビラのガラスの部分のほぼ中央部にテープで貼り、とめてきました。     既に韓産研の内部は暗く人のいる気配はありません。    まっすぐ帰宅しましたが斉藤君はその晩まだ戻って来ていなかったと思います。     韓産研に対する通告文はそのビルの一階にあった韓産研の郵便受に私がほうりこんできました。     その通告文は斉藤君と私の二人で小学館の漢字辞典の文字を切りとって貼りつけたものです。     その通告文の原稿みたいなものがありましたが、その文章は誰が作ったものか知りません。」     また、翌同月4日の同じく韓産研に関する供述調書(乙6)では、以下のようにも供述している。     「いずれにしろ私は銀座に来てから地下鉄にある公衆便所に入りました。 そこで時限装置をセットしたのです。     つまり外装の箱の蓋を外して時計のネジをいっぱいに巻き、それまで切ってあった配線を接合させてその部分をよりました。     そしてその足で真っすぐ韓産研のあるトキワビルに向かったのです。韓産研に来たのはおよその見当で午後八時ころだったと思います。     韓産研のある五階まではエレベーターを利用しました。    五階まで昇ってエレベーターを降り、そうすると右側に韓産研の事務所があります。     その事務所は電器が消えて勿論人の気配もなく暗かったのですが、廊下はそれ程暗くもなかったような記憶です。     韓産研の事務所の入口は鉄製扉で上の方にガラスの部分があります。     そのガラスの入った下部の梁を支えのような形にして爆弾の入った箱をガラスの上に両面接着テープで貼りつけるとともに、その上から更にガムテープを貼りつけてきました。  尤もガムテープを貼りつけてきたといっても、それはその日アパートを出るときからその箱に十文字に貼りつけてあり箱からはみ出した部分のガムテープの裏側には他にのりがベタベタつかないように油紙が貼ってあり、その油紙さえはぎとればペタンとくっつくようにしてありました。     仕掛けの作業を急ぐためにそのように予め準備していくのです。     その油紙はやはり茶色っぽいものでした。     一枚か二枚であったか記憶にありませんが、私はその仕掛の現場にはぎとった油紙を落してきたように思います。     アパートの部屋に戻ってハンドバックをあけたら油紙が四枚あるところを確か一、二枚足らず「しまった落としてきたな」と思ったのでそういう記憶があるのです。     その油紙というのは十センチ×五センチ位の大きさのものです。     特に私がガラスの部分に爆弾を仕掛けてきた訳は何も通路の部分を破壊する必要なく、韓産研の内部が問題なのであって力の発散の仕方というか効果を狙った訳です。     従って斉藤君との間ではその扉のガラスを破って韓産研の事務所の内部に爆弾を置いてくるという方法も相談したのですが、それでは音もするし、時間的な余裕もないだろうということから、その方法はあきらめたのです。     この爆弾の仕掛けには何分もかからず、流石に仕掛けるときにはかなり気持も緊張しておりました。」   A 原判決の捜査段階供述への評価     これらの捜査段階の供述については、原判決は、「被告人は、黙秘をやめて事件に関する供述を始めた当初は、韓国産業研究所事件への関与を否認していた(乙3)が、その後自白に転じ、以後一貫して自白を維持しており、攻撃対象として韓国産業研究所及びオリエンタルメタル製造を選定した理由や、両事件で使用した爆弾を齋藤とともに製造した際の様子等について、自己の心境等を交えながら具体的、詳細に供述している上、韓国産業研究所に爆弾を仕掛けた際、現場に油紙を落としてきたことに気が付いた経緯について、「アパートの部屋に戻ってハンドバックをあけたら油紙が四枚あるところを確か一、二枚足らず「しまった落してきたな」と思った」(乙6)と臨場感に富んだ供述をし、韓国産業研究所事件における爆弾の設置場所やオリエンタルメタル事件の下見の際に爆弾を設置することに決めた場所等について、自ら図面(乙六、一一)を作成して説明している。」などとして、「臨場感ある迫真性に富んだ供述」であるから信用性ありと認定している(原判決217、218頁)。   B 捜査段階供述の変遷と信用性欠如     しかし、韓産研事件及びオリエンタルメタル事件に関する被告人の供述内容は、その捜査段階においても、「一貫して」などおらず、繰り返し変遷に変遷を重ねているものである。     まず、1975年6月3日時点では、自らが爆弾運搬を行った事実も、設置した事実も否定していたのに、いきなり翌日の同月3日になって運搬・設置を認めている。     また、本件の取調においては、検察官の取調の後に、警察官による取調が行われ、員面調書が作成されているが、員面調書と検面調書では、内容的に異なる部分が多々ある。         即ち、韓産研事件については、同月7日にも警察官による取調が行われているが、同日作成の員面調書によれば、「この便所内で爆弾をセットした時間が仕掛けの約一時間前の午後七時頃でした」「これで爆弾のセット仕掛けを終了したのですが、セットから仕掛け、通告文の投函まで約一時間位を用しており、従って、爆弾の仕掛けは、午後八時頃、でありました。」と述べられている(控訴審において立証予定)。     この員面調書によれば、銀座駅便所内での爆弾セットが午後7時頃、韓産研への爆弾設置と通告文投函が午後8時頃でセットから投函までに約1時間を要していると説明されている。     ところが、前述のとおり、同月3日及び4日の検面調書によれば、「その晩八時ころ、私が一人で韓産研に行ってその入口トビラのガラスの部分のほぼ中央部にテープで貼り、とめてきました。」(乙5同月3日付検面調書)    「いずれにしろ私は銀座に来てから地下鉄にある公衆便所に入りました。 そこで時限装置をセットしたのです。〜そしてその足で真っすぐ韓産研のあるトキワビルに向かったのです。韓産研に来たのはおよその見当で午後八時ころだったと思います。〜この爆弾の仕掛けには何分もかからず、流石に仕掛けるときにはかなり気持も緊張しておりました。」(乙6同月4日付)とあり、爆弾のセットからまっすぐトキワビルの韓産研についたのが午後8時頃で、銀座駅からトキワビルまでは、歩いてせいぜい10分足らずであり、「爆弾の仕掛けには何分もかか」っていないのであるから、セットから通告文投函まで約1時間という員面調書とは矛盾する。  このように検面と員面で供述が変遷している理由としては、警察官の「尾行記録」の存在とそれに基づく警察官らの誘導・作文によるところが大きいと考えられる。  また、同月4日の検面調書においては、銀座の地下鉄駅の便所で爆弾をセットした後まっすぐトキワビルの韓産研に赴いたことになっていたのに、6月12日の供述調書(乙11)では、銀座の地下で2ヶ所のトイレに移動して作業をしたと述べており、しかも、銀座に至る以前の四谷駅では衣服を変えるなどの変装を行ったなどと述べ、供述内容が変遷している。  しかも、原判決が、「臨場感に富んだ供述」と評価している「アパートの部屋に戻ってハンドバックをあけたら油紙が四枚あるところを確か一、二枚足らず『しまった落してきたな』と思った」という部分が、何故か、乙11では、「帰路は再び地下鉄丸の内線で四谷まで出てロッカーから衣装等を入れた黒ビニール袋をとり出して、又その駅のトイレに入り普段の通勤着に着換えました。」「なお四谷駅の前にポリスボックスがありますが、その前にくず箱があり、そこにブラウスを裂いて捨て又それと一緒に韓産研に爆弾を仕掛けた際、ガムテープで貼ったあとののりどめの油紙も捨てました。その際、油紙が一枚か二枚少ないので仕掛けの現場に落としてきてしまったのかなと思ったのです。」と、アパートに着いて初めて気づいたはずの話が、四谷駅で気づいたことになっているなど、事実関係自体が異なる内容に変更されているのであるから、「臨場感」などあったものではない。  更に、韓産研事件で用いられた爆弾の製造につき、「爆弾の製造は私達の部屋で斉藤君と二人で力を合わせて行ないました。」(乙5)、「私は薬品の知識があまりないのでよく判りませんが、爆薬は白い粉と黒い粉を混ぜ合わせました。黒い粉は絵に使う炭粉です。時限装置にはトラベルウォッチとナショナルハイトップ乾電池を使いました。或は単一であったかも知れません。この缶体を納める外装は茶色っぽいダンボール様の厚紙で薄い蓋をつけた菓子箱様の箱をつくりました。」(乙6)と述べ、爆弾は全て2人だけで作ったと供述しながら、同月12日の調書(乙11)では、「四月八日の晩、店名は知りませんが信濃町のある喫茶店で高沢君、川口君、斉藤君の三者会談がもたれ、その関で斉藤君が雷管を二個もらいうけたのです。その雷管は韓産研とオリエンタルメタルの同時爆破に使われるものでした。」などとして、起爆装置は、他のグループが制作したものであったと述べるなど、その供述には、明らかな変遷がある。  加えて、被告人がオリエンタルメタル事件に関し兵庫県尼崎市の松本ビルのオリエンタルメタル社の下見をしたことがあるか否かについては、検面調書、員面調書共に、その供述は激しく変遷しており、全く一貫していない。     即ち、被告人は、1975年6月5日付の員面調書(控訴審において立証予定)、及び、同月6日の検面調書においては、「オリエンタルメタルの尼崎にある本社、埼玉の工場、都内の支店などを何回か下見した訳ですが、私は尼崎の本社に下見に赴いたことはありません。」とし、被告人自身ではオリエンタルメタルの下見をしたことはなく、齋藤が下見をしたと思う旨供述していた(乙7)が、同月12日の検面調書においては、「次のオリエンタルメタルの件ですが、実は私も斉藤君と一緒に尼崎まで出向いて直接オリエンタルメタルの会社を下見したことが一回あるのです。」「オリエンタルメタルの下見には四月十日ころ斉藤君も私も休みをとって一緒に行っております。」「お調べですと四月九日に私が生理休暇ということで会社を休んでおり、同日斉藤君もお店を休んでいるようですから、下見に行ったのは四月九日になると思います。」と、供述を変遷させている。     この点、公判段階においても、被告人は、韓産研への爆弾設置については否定しながら、オリエンタルメタル本社の松本ビルの下見については、「所謂調査というのはやっていないですが、ビルの近くに行って、建物を見たことはあります。」「確証はないんですけど、おそらく1回位は入っているんじゃないかと思います。」(第102回被告人公判供述調書秋元速記官部分6、7頁)として、オリエンタルメタル本社に赴いたことは認めているのである。     にもかかわらず、韓産研への爆弾の運搬・設置を「私がやった」と自供した後の取調で、オリエンタルメタル本社の下見を否定しているのは不可解であり、このような事実は、6月初旬当時の被告人の精神状態や、供述の信用性そのものを疑わせる事情と見るべきである。     この点、原判決は、オリエンタルメタル本社の下見状況の供述にも迫真性があるから、「オリエンタルメタル事件の下見に関する被告人の捜査段階における供述の信用性が左右されるものではない。」と認定するが、オリエンタルメタル本社の下見自体が事実であったとしても、少なくとも、同月5日の員面調書、同月6日の検面調書(乙7)においては、「私は尼崎の本社に下見に赴いたことはありません」と虚偽供述をしていたものであるから、同時期の各自供調書の信用性自体は乏しいと見るべきであろう。   C 被告人の公判供述の内容     被告人は、公判廷における供述においては、韓産研爆破事件については、下見や調査については、「全部決まってから、どんな会社か見に行くということでは、一回行っています。調査というのはやっていないです。」、「どういうところだか見てらっしゃいという感じで、見に行ったことは一回あります。」、「私が行ったとき、彼と一緒に行きました。」(第102回被告人公判供述調書秋元速記官部分3、4頁)、現場やその周辺の人通りなどの調査は、「私自身は調べてないけど、確認したと聞きました」「私が聞いたのは、その張り付き調査というのをやったら、夜中の時間帯なんですよね、それで、12時なんか過ぎたら、車もほとんど通らなくなって、人は通らなくなって、ビルは無人であるから、大丈夫という話として聞きました。」(同調書同部分4頁)、具体的な爆弾設置場所を誰が決めたかは、「私は分からないです」(同調書同部分同頁)、爆弾の製造については、「亀戸のアパートで齋藤さんが中心になってやって、〜私は外装の一部を手伝いました。」「(爆弾を擬装する)箱を組み立てるのを手伝いました。」(同調書同部分9頁)、火薬の調合については、「おそらく齋藤さんです」が、被告人の面前で行われたわけではないとし(同調書同部分10頁)、爆弾に狼から提供された雷管が使われたか否かは、「確認していない」とし(同調書同部分11頁)、時限装置についても、「齋藤に指示されて時計を何個か加工させられたことはある」旨述べながらも、それが具体的な事件で使われたか否か分からないと述べ(同調書同部分同頁)、爆弾の運搬については、「私が一人でやりました」、爆弾の設置については、被告人が設置したものではないが、誰が設置したかについては、「今言いたくないです」(同調書同部分15頁))と述べ、自らの関与した部分を説明している。     また、オリエンタルメタル事件については、前述のとおり、「本社ビルを見に行ったことはある」(同調書同部分7頁)と認めながらも、オリエンタルメタルの爆弾の設置場所を誰がどう決めたかは、「誰がというのは、分からないんです。ほかの人たちが決めました。」「ビルの外壁に面していない廊下があって、その廊下のどこかに置くというふうに聞いていたと思います」と述べ(同調書同部分同頁)、オリエンタルメタルで使用された爆弾が誰によって何処で製造されたかは、「分からないです」(同調書同部分9頁)、オリエンタルメタルの爆弾の運搬と仕掛けについては、「今は分からないです」と述べている(同調書同部分16頁)。     このように、公判廷においては、被告人は、自らの犯行への関与を認めながらも、その作業分担については、捜査段階の検面調書や員面調書において「齋藤と二人でやった」「自分一人でやった」旨述べていた部分につき、自らの分担した部分と分担していない部分を区別し、詳細に述べている。     この点、勿論、被告人の公判供述は、本件発生から約27年か28年経過した時点でなされたものであるから、一定の記憶の減退等は避けられないとは考えられるものの、被告人は、自らの捜査段階の供述調書やその他の記録等を検討した上で、自らの記憶を喚起し、その記憶を率直に述べているものであり、時間が経過した後の供述であるとしても、にわかにその信用性を否定されるものではないと考える。     また、被告人は、韓産研事件の爆弾運搬や、オリエンタルメタル本社の下見など、捜査段階の供述調書においても、当初は否認していた部分についても、公判廷では率直に認めているものであり、公判廷の供述が、被告人が、自らの罪責を免れるために、殊更に自らの関与を軽く主張しているものと見ることもできない。   D 捜査段階供述・公判段階供述の各信用性検討について     これらのことを勘案すると、原判決が、その信用性を認めた捜査段階の自供調書にも、その相互に多数の矛盾、変遷があることが認められ、また、原判決が、その信用性を否定した公判供述は、その内容からして、一概にその信用性を否定されるものではないと考えられるべきである。 そして、韓産研・オリエンタルメタル両事件における「真の事実関係」については、以下の事実や事情を考慮し、事実認定がなされるべきである。   3) 大地の牙の組織構成・構成員数と被告人の関与(別表「韓産研(オリエンタルメタル)爆破工程表」「オリエンタルメタル(韓産研)」爆破工程表」参照) @ 本件における「関西グループ」の関与   原判決は、韓産研、オリエンタルメタル事件に関し、大地の牙内に齋藤以外に共犯者がいたという被告人の供述につき、「確かに、二人だけで韓国産業研究所事件とオリエンタルメタル事件を準備し、同日に敢行するということは容易なことではないから、対象企業の調査をするなどして被告人及び齋藤の活動に協力する者がいた旨の被告人の供述自体は排斥し難い面がある。」(原判決222頁)として、第3、第4の共犯者の存在を一定肯定している。   この点に関する、被告人の公判供述(第102回被告人公判供述調書稲富速記官部分12、13頁)によれば、韓産研、オリエンタルメタル事件の前頃、”大地の牙”に新たなグループ、即ち「関西グループ」が参加しており、韓産研、オリエンタルメタル事件は、上記「関西グループ」の関与の元に敢行された事件である。   そして、”大地の牙”における他のメンバーの存在については、捜査官もあらかじめその疑いを持っていたことは既に述べたとおりである。なぜなら、捜査官は、逮捕前の尾行により、被告人が韓産研の爆弾の仕掛に直接関与していないことを知っていたし、”大地の牙”が2名のみで構成されているに過ぎないのであれば、関東関西の同時爆破ということが、いかに困難なものであるかを、彼らの経験としても判っていたからである。   だからこそ、かつての取調べにおいては、この点が激しく争われたのである。被告人の韓産研、オリエンタルメタル事件において、その供述の変遷が著しいことはその現れであるし、1996年5月7日付弁護人意見陳述書添付の1975年6月6日付朝日新聞において「アリバイあるのに『私がやった』 浴田、ヘンな自供」と報じられていることもそのことを示している。   そして、原判決が、その信用性を認める「捜査段階の各供述調書」においても、「私の知る限りこの大地の牙のグループには私達夫婦以外に所属する仲間はいないと思います。」(乙5同年6月3日付供述調書)、「私は大地の牙に属しております。この度死亡した私の主人齋藤君も大地の牙の構成員で私達夫婦以外に大地の牙グループに所属する者がいるかどうかについては判りません。」(乙6同月4日付供述調書)として、被告人自身、「他にメンバーをいない」と断定せず、他のメンバーの存在する可能性は否定されていないのである。   また、弁49の手紙によれば、6月3日付検面調書に対する被告人のコメントとして「尾行メモをちらつかされていたが、オドオドと『2人でやった』ことを強調して話している」と記載され、真実は、2名の犯行でないことが暗に示されているし、6月4日付検面調書に対する被告人のコメントとして「他の人のことは『言わない』つもり」とあるのもそのことを示すものである。また、6月6日付検面調書に対する被告人のコメントとして3カ所にわたり「××××」の伏字があること、6月7日付検面調書のコメントにおいて「2人でカンパもなく、やったことを強調」とあること、6月16日、同月24日付検面調書に対するコメントとしても「××××」の伏字があることも同様の事態を示すものである。   もっとも、原判決は、「しかし、被告人は、他の共犯者らの人数、氏名、年齢、風貌等は分からない旨供述し(第一〇二回)、その者らが韓国産業研究所事件及びオリエンタルメタル事件で果たした役割についても、下見に行った際に対象のビルがどれかを教えてもらったほか、張付き調査の結果を説明してもらった旨供述する(第一〇七回)のみであるし、韓国産業研究所事件の共犯者についても、爆弾を設置したのは自分以外の者であると供述するのみであって、その供述は具体性を欠いており、到底信用するに足りるものではない。」として(原判決222、223頁)、第3、第4の共犯者の存在が具体性を欠く点を指摘する。   しかしながら、繰り返し述べたとおり、「誰であるかは言いたくない」旨述べている部分は、公判の場においても、「知っていても、自分の口から共犯者の名を出せば、共犯者に迷惑が及ぶから言いたくない」という心情の現れでもあり、また、「分からない」と述べている部分については、そもそも、共犯者の氏名・身上・経歴やその共犯者の役割、作業分担については、齋藤は把握していても、被告人には情報が与えられていないことによるものである。   前述してきたとおり、齋藤は、大地の牙のリーダーとして、自らは、グループ内の情報を掌握しながらも、被告人に対しては、齋藤自らのアジトや交友関係等プライバシーに関する情報を含め、限られた範囲の情報しか与えていなかったことは明らかである。その理由は、一つには、構成員の一部が逮捕され、自供に至るような場合に他のメンバーを守るためであり、二つには、齋藤にとって、「妻」である被告人といえども、都市ゲリラとしての一連の作戦遂行上は、「対等な存在」ではなく、自らに従属し、自らの指令で動く配下に過ぎない者であるから、全ての情報を与える必要も与える意思もなかったからである。   よって、被告人の公判供述に具体性を欠く部分があるとしても、原判決自身が、「排斥し難い」と述べる他のメンバーの存在とそのメンバーの事件への関与、作業分担を否定する根拠にはならない。   また、原判決は、「被告人が弁護人に宛てた手紙についても、その手紙には韓国産業研究所事件及びオリエンタルメタル事件に他の者が関与した旨の具体的な記載はない上、第三章第二の二2(二)(2)のとおり、そもそも右手紙は、その作成経緯に照らして信用性が高くない。」(原判決223頁)として、弁護人への手紙に現れた被告人の捜査段階における取調の攻防に関する記載の信用性を否定する。   しかしながら、同弁49の手紙は、起訴後ではあるが本件各事件発生から遠くない時期に被告人と弁護人との接見交通の中で作成された書面であって、しかも、前述したとおり、公判対策用の手紙ではなく、前述したとおり、作成当時の被告人らの自白についての自己批判という作業の中で作成されたものであって、被告人自身が作成したとは言え、被告人の公判供述とは、全く独立の証拠であり、しかも、被告人の公判供述の当初の段階では、発掘されていなかったものであるから、被告人が公判供述において、これを参照したと見ることもできないものである。(作成・発掘経緯につき、控訴審で立証予定)。   よって、その信用性をにわかに否定されるのは、失当である。   また、同手紙の内容が、「××××」といった伏字の記載はあるものの、韓産研、オリエンタルメタル事件に具体的に誰が関与したのかの記載がない点については、当時の被告人の心情としても、秘密交通がどれほど保障されるか不安のある弁護人への手紙の中で、具体的な共犯者の名前等を名指しすることは、やはり、その共犯者の安全のために憚られた上、前述のように、他の人物であることは分かっているものの、その人物や役割、作業分担を齋藤から説明されていない部分もあり、やむを得ず、被告人又は齋藤以外の人物やその関与部分を、伏字で表現したものであり、この手紙の内容に具体性を欠く部分があるとしても、むしろ、その故にこそ、その内容は、虚偽ではなく、真実を含むと解されるべきである。  A 本件における被告人の役割   以上の次第であるから、韓産研、オリエンタルメタル事件に関する被告人の捜査段階の供述には、ほとんど信用性がない。上記供述は、他のメンバーの存在を秘する為に、被告人が虚偽のストーリーを構築して述べたものであり、関東関西の同時爆破をたった2名で行ったという無理のある中身になっているからである。   よって、被告人の本件における役割は、次のようにその公判供述(第102、108回)に従って整理されるべきである。 a.  韓産研事件における役割   被告人は、韓産研に関する事前の資料収集等の調査には参加せず、齋藤から渡された資料を検討したのみである。韓産研の下見には齋藤とともに1回だけ参加したが、いわゆる「張り付き調査」には至らない簡単な下見であった。よって、具体的な爆弾の設置場所については知らなかったが、他の者が行った「張り付き調査」の結果、爆破予定時刻には周囲には人がいないはずであると考えていた。爆弾の製造については齋藤が中心となり、被告人は外装の一部のみを担当した。爆弾に”狼”提供の雷管が使用されたかは不明であった。韓産研の爆弾の運搬には関与したが、設置については関与しなかった。 b. オリエンタルメタル事件における役割   被告人は、オリエンタルメタルの下見を1回だけ行ったが具体的な下見ではなかった。よって、具体的な爆弾の設置場所は知らなかったが、他の者が行った「張り付き調査」の結果、爆破予定時刻には周囲には人がいないはずであると考えていた。爆弾の製造に関しては、被告人は関与せず、誰が製造したかもわからなかった。爆弾に”狼”提供の雷管が使用されたかは不明であった。爆弾の運搬と設置には関与せず、誰が行ったかも不明であった。    c.  被告人の役割に関する原判決の認定の不当性   原判決は、被告人が、公判段階において、オリエンタルメタル事件への爆弾製造等の関与を否定し、韓産研事件においても、爆弾の外装と運搬はしたが、設置はしていない、「自分ではない誰か」旨述べている点を捉え、「仮に、それが事実であるとすれば、被告人が捜査段階において、齋藤以外の共犯者の逮捕を避けたいと考えた場合でも、わざわざ自分の関与を過大に述べなくとも、齋藤が製造したと思う旨供述すれば足りたのであるから、被告人がその点に関して虚偽の自白をした理由として述べるところは合理性に乏しい上、被告人と齋藤が同棲していた居室兼爆弾製造場所の状況(第五章第二の二4(三)(3))に照らしても、被告人の爆弾製造状況の認識に関する公判段階における供述は不合理である。」(原判決223、224頁)として、「他のメンバーの名前を言えないなら、齋藤のせいにすれば済むこと」旨判示し、被告人の公判供述の信用性を否定する。      しかしながら、この原判決の認定は、被告人が齋藤の「内妻」であり、且つ、齋藤は、本件逮捕直後に自殺しているという事情を看過するものである。即ち、被告人としては、齋藤の自殺後生き残っている自らを責めると共に、「齋藤の死は、他のメンバーを守るためでもある以上、自分の供述によってメンバーを売り渡すわけにはゆかない」との思いを激しくし、本件犯行当時と言うよりは、逮捕後の齋藤の死亡以降、自らを齋藤と同一化し、自らを齋藤と一心同体となりたい欲求が高まり、捜査段階に複数回に及ぶ自殺未遂を繰り返した上、しかも、捜査担当の警察官らから、「夫殺し」「何でも齋藤のせいにすれば済むとでも思っているのか?」と罵られ、或いは、「おまえは、女なんだし、全部齋藤のせいにして、助かればいい」などと唆されるに及び、「齋藤のせいにする位なら、自分が罪を被る」「全ては、私が齋藤と二人一緒に力を合わせてやったこと」と自らの関与を過大に供述するに至った面があることは考慮されるべきである。      しかも、捜査官らは、他の者の供述調書や客観証拠をネタに、「本当に齋藤一人でできるのか?」「他に共犯者がいるのではないか?」と被告人を問いつめ、結局、第三者の存在を明かすことなく事件の説明を完結させるためには、被告人の役割を過大に述べる以外の方法はなくなったものと考えられる。      そして、これら捜査段階の供述調書は、検察官及び警察官らの手によって作成されて行く過程で、自ずと、他の証拠と矛盾を生じないための作為が加わるものであり、その結果として、真実とかけ離れていった点が看過されるべきではない。      また、原判決は、「被告人は、オリエンタルメタル事件への齋藤の関与について、爆弾の製造のみならず、運搬や設置についても、齋藤が具体的にどのように関与したのか知らないなどと供述しているが」、被告人は、「事件当時、齋藤と同棲しながら大地の牙グループの同志として活動していて、十分な意思疎通のできる状態にあった」「韓国産業研究所事件とオリエンタルメタル事件とは同じ目的に向けた一体の闘争であると認識しており」、「(オリエンタルメタル本社)の下見等のために齋藤とともに関西に赴いた」のであるから、被告人が、「オリエンタルメタル事件について、齋藤が爆弾の製造、運搬、設置にどのように関与したのか知らない」というのは、「甚だ不合理なことである。」と判示する(原判決224、225頁)。      しかしながら、被告人と齋藤は、韓産研事件当時同棲していたとは言え、被告人は、月曜日から金曜日までは、朝から午後5時頃までフルタイムの勤務をしていたのであり、昼間の時間に齋藤が、事件遂行のためにどのような活動をしているのか知らなかったとしても不思議はなく、また、齋藤が、被告人に100%の情報を与える気などなかったこと、即ち、「十分な意志疎通」など必要とせず、敢えて疎通を避けている面もあったことは前述のとおりである。      このことは、「夫婦だからといって十分に意志疎通があるとは限らない」「夫婦だからといって互いに相手の行動の詳細を把握しているわけではない」という一般論を持ち出すまでもなく、「組織の活動とメンバーの安全維持」と「組織の上下関係」からしても、被告人と齋藤の間では、当然の前提とされていたものである。      また、原判決もその存在の可能性を認める他の共犯者、協力者が事件に関与している以上、関西で行われたオリエンタルメタル事件につき、齋藤が、具体的にどの作業を担ったのか被告人が詳細を知らないとしても、全く不合理ではない。 4) 「人の身体を害する目的」について    @ 韓国産業研究所爆破事件について    a. 原判決の認定      原判決によれば、韓国産業研究所事件で用いられた爆弾は、金属製容器内に塩素酸塩系爆薬を充填し、起爆装置として雷管を使用し、一面を残して缶体の周りをコンクリート様のもので補強され、その爆発により、爆心地であったトキワビル5階の韓国産業研究所の事務所出入口付近では、同事務所出入口鉄製ドアが「く」の字形に湾曲し、隣接事務所のドアやエレベーターのドア等にも重大な損壊をきたした上、事務所内の窓ガラスのほとんどが破壊されて、金属製窓枠、ガラス片、金属片等が同ビル前路上に散乱し、同ビルの向かいにあった倉庫の窓ガラスを破損するなどしたことから、「爆弾の威力は相当強力であった」のであるから、少なくとも、「爆心地であった韓国産業研究所の事務所出入口付近に人が居合わせた場合には、爆発時の爆風、破壊された窓ガラスの破片等によって傷害を負う可能性があり、同ビル前を通行中の者も窓枠やガラス片等の落下物によって傷害を負う可能性があった」と認定する(原判決226、227頁)。      そして、この爆弾を製造したのは、齋藤と被告人であるから、当然、その威力を認識していたはずであるところ、この爆弾を、飲食店や会社事務所等が密集する繁華街の中にあった道路に面した雑居ビル内の事務所に爆弾を仕掛けたこと、爆発時刻に設定した午前1時ころは、飲食店等で遊興した客や勤務する者らが道路を通行することが当然に予想される時間帯であったこと、また、被告人は、爆発による威力が同事務所内の方向に集中するように工夫して爆弾を仕掛けたこと、相当強力な威力を有する爆弾を道路に面した窓のある事務室内に威力が及ぶような方法で設置して爆発させれば、窓ガラスの破片等の落下物によって、付近道路を通行中の者らに傷害を負わせる可能性があることを十分に認識していたはずであるから、主目的が韓国視察団の派遣を阻止するために、組織としての韓国産業研究所に物理的な損害を与えることにあり、かつ、爆発時刻が事務所内に人のいないことが通常である時間帯であったことを考慮しても、「少なくとも、トキワビル前路上を通行していた者らがこの爆弾の爆発により破壊された窓ガラス等の落下物によって傷害を負う可能性のあることを認識しつつ、これを認容して、あえて爆弾を爆発させたと認めることができるのであり」、「被告人に少なくとも未必的に人の身体を害する目的があった」と認定する(原判決227〜229頁)。      しかし、被告人に「未必の他害目的」を認めた原判決には、事実誤認があると考える。      以下、詳述する b. 旧統一公判判決   この点に関し、前述旧統一公判判決は、次のように判示している。   即ち、「韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破事件では、爆発時刻はいずれも午前1時頃であり、爆弾仕掛け地点付近に人の現在していた確証もなく、現に人の傷害の結果も発生していない。結局、(中略)人の身体を害する目的が存した確証がないので、上記目的を認定しない」としている。   上記に挙げた判決のとおり、韓産研、オリエンタルメタル事件において、被告人に、「人の身体を害する目的」はなかったのであり、同判決の判断は、本件においても適用・維持されるべきである。  c. 下見調査の結果   本件においては、下見調査の結果、爆発予定時刻には爆弾の設置場所付近に人がまずいないと考えられていた。   この点は、現場やその周辺の人通りなどの調査について質問された被告人が、「私自身は調べてないけど、確認したと聞きました」「私が聞いたのは、その張り付き調査というのをやったら、夜中の時間帯なんですよね、それで、12時なんか過ぎたら、車もほとんど通らなくなって、人は通らなくなって、ビルは無人であるから、大丈夫という話として聞きました。」(第102回被告人公判供述調書秋元速記官部分4頁)とある部分からしても、本件韓産研事件の爆破時刻である午前1時頃には、爆弾設置場所付近に人が現在するとは考えられなかったのである。 d. 設置場所   本件爆弾の設置は被告人によるものではないが、原判決も認めているとおり、本件における爆弾の設置方法は、韓国産業研究所の事務所出入口ドアのはめ込みガラスに貼り付けるという目立つ方法であり、周囲に人がいる場合に、このような設置方法を採ることは考えられない。 e. 被告人の供述   被告人の公判供述(第102、108回)によれば、以下の事実が明らかである。   韓産研事件に関し、被告人は、簡単な下見を1回したのみであるが、他のメンバーが行った「張り付き調査」の結果、爆破予定時刻には、爆弾の具体的仕掛場所の付近には、人が存在しない場所であると認識していたこと。   この点、原判決も、爆弾設置方法からして、「爆発時刻ころに爆心地付近に人が居合わせることがないと判断していたという被告人の供述は一応信用することができる」と判示する(原判決230、231頁)。   その一方で、「トキワビルの立地からすると、午前一時ころにビル前の路上に人通りが全くないと信じたというのは不合理であり」、「実際にも、爆発時にトキワビル一階の飲食店内に残っていた従業員がいたのであるから、人身に危害を生じることはないと考えた旨の被告人の供述は信用することができない。」(原判決231頁)とするのであるが、午前1時にビジネス街の雑居ビル内に人がいるとは、たとえ銀座といえども、一般に予測されることではなく、また、本件においては、三井、大成に負傷者を出した反省を踏まえ、三井、大成のときとも異なり、爆薬の量等を押さえた小型の爆弾が使用されているのであるから、ガラスの飛散等による負傷者を被告人が予想しているとするのは、失当である。   また、被告人が知っていたのは、「今までよりも小型の爆弾」という点であって、爆弾の製造については、齋藤が行い、被告人は関与していないため、被告人には、その火薬の調合や雷管の使用の有無について認識を欠いている。 f. 小結   以上に見たとおり、被告人は、あくまでも他の者がなした調査の結果を信じ、人的被害が出る場所であるとは想定していなかったのであり、爆弾の構造、従ってその威力についても具体的認識を欠いており、以上を併せ考えれば、被告人は、本件爆弾の爆破により、人の身体を害することを認識していなかったことが明らかである。よって、本件において、被告人には、「人の身体を害する目的」はなかったというべきである。 A オリエンタルメタル爆破事件   オリエンタルメタル爆破事件においても、原判決は、爆薬の量や被害程度から推定される爆弾の威力、同威力下における負傷者発生の可能性と、被告人の認識可能性から、「人の身体を害する目的」を未必的に認定している(原判決231〜235頁)。   しかしながら、オリエンタルメタル爆破事件においては、被告人は、現場となったオリエンタルメタル本社ビルを外から見た程度であり、具体的な計画には関与していないのであって、本件については、何らの具体的な共謀も実行行為も存在せず、本件オリエンタルメタル製造事件につき、被告人の「人の身体を害する目的」を考慮することにはあまり意味がない。   この点を敢えて検討するとしても、被告人自身は、具体的な計画・実行に参加しておらず、具体的に、何時、どこで、誰が、どこに爆弾を設置したのかも被告人の認識の外であるが(第102回被告人公判供述調書秋元速記官部分7、11、16頁)、少なくとも、被告人が聞いた範囲では、「調査した人たちのグループの人から、張りつき調査をやっぱりやって、公園かなんかでベンチかなんかにずっと、酒瓶持って座って張りついてやって、夜中であの辺は人通りが無くなって、ビルの周りは人がいなくなって、ビルの中は、何時以降かは無人になるから、誰かが触ってけがをするとか、事故になるとか、誤爆するとか、そういうこともあり得ないから、絶対大丈夫ですというふうに言われました」(同調書同部分8頁)とあるように、被告人が調査結果を聞いた範囲では、負傷者が出ることなどあり得ないとのことであったのであるから、被告人は、負傷者など出ることはないと信じていたものであり、被告人が、未必的にもせよ「人の身体を害する目的」を有していることはあり得ない。   このことは、現に、オリエンタルメタル事件による負傷者などいない事実によっても裏付けられる。 5) 本件両事件は泳がせ捜査の中で発生した   なお、韓産研、オリエンタルメタル事件の段階では、公安当局は、既に「東アジア反日武装戦線」3部隊のメンバーを具体的に把握し、各メンバーに尾行をつけていた。この点は、被告人、大道寺將司、片岡らの各供述から明らかなうえ、大道寺將司の手帳(甲G97号証)において「小指」の記載があること、被告人の手紙(弁49号証)において「尾行メモ」の存在が記載されていることからも明らかである。   この点、検察官は、原審において、弁護人らが尾行記録をも含む捜査報告書等の検察官手持ち証拠の証拠請求をしたにもかかわらず、検察官は提出を拒み、結局、この点に関する証拠調べは不十分なままである。   しかしながら、被告人と齋藤が最初に逮捕された際の被疑事実は韓産研事件であること、それまで全く前科・前歴・逮捕歴のない被告人の特定、逮捕に至る理由は、現場指紋などではなく、捜査官らが尾行捜査を含む被告人らの身辺捜査であったことは間違いのない事実である。   従って、韓産研、オリエンタルメタル事件は、公安当局の尾行監視下においてなされた疑いが極めて強い。   その点からしても、「負傷者発生の可能性」などは、結局は、存在し得なかったと言えるであろう。  2 偽造有印私文書行使被告事件について   (1) 原判決の認定      原判決は、違法収集証拠である本件旅券(平成7年押第1987号の3)の証拠能力を認め、証拠採用した上で、本件有印私文書偽造・同行使被告事件の事実関係を、以下のように認定した。     「平成六年九月二五日午後一一時〇六分ころから同日午後一一時五一分ころまでの間、所持者氏名欄に「YAMAMURA GALVEZ」、「MARIA」と記載されたペルー共和国旅券(旅券番号〇二四八九二四、発行日付平成五年八月一八日。以下「本件旅券」という。)を所持する者が、列車でユーゴスラビア連邦共和国セルビア地方からルーマニア国に入国するに際し、同国ティミシュ県スタモラモラビィツァ国境検問所において、同国内務省国境警察所属の国境事務所係官に対し、本件旅券及び「YAMAMURA」名義の入出国カードを提出した。」(原判決239頁)。     同国内務省国境警察所属の国境事務所係官は、提示された本件旅券に貼付された顔写真と申請者の容貌とを比較対照して同一人物であると確認した(原判決240頁)。     ペルー共和国政府が、「平成二年一月一日から平成七年三月三〇日までの間にマリア・ヤマムラ・ガルベスという者に対し旅券を発給したことはない。番号〇二四八九二四の同国旅券の被発給者は、マリア・ヤマムラ・ガルベスとも被告人とも異なるミルタ・ライテン・ウエルスタという人物であり、同人に発給された右番号の同国旅券については、平成五年八月二〇日に二人組の強盗によって強奪された」旨の告発書が提出されていた(原判決240、241頁)。     上記番号の同国旅券の発給を受ける際に記載された旅券申請書の記載内容は、氏名、生年月日、選挙人手帳番号等について本件旅券の記載内容と異なっており、貼付された顔写真も本件旅券のものと全く違う容貌のものである(原判決242頁)。     東京入国管理局成田空港支局文書鑑識センター入国審査官南部隆次が実施した本件旅券の分析結果(甲A九添付のもの)によると、本件旅券は、その素材自体は真正な旅券と同様であるものの、@顔写真の縁に、元の写真の糊の跡か写真を剥離した時の薬品の跡のような痕跡があること、A顔写真が貼付された頁の氏名、生年月日、軍籍番号、署名に改ざん痕が見られること、B顔写真を覆うラミネートが切られていること、C縫い糸が真正な旅券とは異なることなどの理由から、身分事項を改ざんし、顔写真を張り替え、製本をやり直した偽造旅券であるという分析がなされている(右Aのうち、軍籍番号とあるのは選挙人手帳番号の誤記と認められる。)。南部は、昭和六一年から一〇年以上にわたり入国審査官として勤務し、特に、平成六年九月以降文書鑑識センターで旅券鑑識の仕事に従事してきた経験に基づいて論理的に説明しており、その内容は、説得力に富み、納得できるものである(原判決241、242頁)。     よって、本件旅券は、作成名義人でない者が旅券名義人の氏名、生年月日等その本質的部分を不法に変更した偽造有印私文書であると認められる(243頁)。     被告人は、「遅くとも平成六年九月ころから翌年三月ころにかけて、「マリア・ヤマムラ・ガルベス」と名乗り、貿易会社の共同経営者として、ルーマニア国ブカレスト市内に居住していた。」し、「平成七年三月二〇日午前七時ころ(現地時間)、ルーマニア国の治安機関に身柄を拘束され、その際所持していた本件旅券を押収された。」(原判決243、244頁)     「警視庁刑事部鑑識課写真研究員谷口健作成の鑑定書(甲A一二添付のもの)」によれば、両者が同一人物であると思われる旨の結論が記載されており、谷口は、警視庁刑事部鑑識課技術吏員としての専門的知見に基づいて、具体的、論理的に説明しており、その内容は説得力に富んでいて、疑問を差し挟む余地はないので、本件旅券に貼付された顔写真は、被告人の顔を撮影したものと認定することができる(原判決244、245頁)。     従って、本件旅券に貼付された顔写真は被告人を撮影したものである上、ルーマニア国国境事務所係官は、本件旅券に貼付された顔写真と入国申請者自身の容貌とを比較対照し、人物の同一性を確認した上、入国を許可したのであり、加えて、被告人がルーマニア国で居住していた際、「マリア・ヤマムラ・ガルベス」と名乗っていたことや身柄を拘束された際に本件旅券を所持していたことをも併せ考えると、「平成六年九月二五日午後一一時〇六分ころから同日午後一一時五一分ころまでの間」に「本件旅券を行使した人物は被告人であると認定することができる。」とするものである(原判決245、246頁)。   (2) 原判決批判     この点、原判決は、被告人と本件写真の人物の同一性につき、「警視庁刑事部鑑識課写真研究員」による「写真鑑定による人定」の信用性を認めながら、他方で、偽造旅券の所持人の特定に不可欠な「筆跡の同一性」については、まさに、「信用性の高い」はずの「警視庁科学捜査研究所」がこれを否定的に解しているにもかかわらず、そのような、「信用性ある専門家」の意見を退けている。     即ち、「YAMAMURA」名義の入出国カード(甲A24中に同カードをファクシミリ受信した書面の写しがある。)の筆跡と被告人の筆跡との同一性を鑑定した結果、同一性は判断できないという結論であり、鑑定書(弁一)には、「類似する特徴より相違する特徴が多く指摘できる」旨の記載がされている。     これに対し、原判決は、同鑑定書には、入出国カードと被告人の筆跡との同一性が判断できない理由として、「アルファベットを母国語表記に用いない筆者が書いたアルファベットは、母国語文字に比べて同一筆者の書いた筆跡でも変動が大きいので、筆者識別を実施する際には、母国語文字以上に様々な観点から筆跡を検討する必要があるところ、鑑定資料とした入出国カードは、ファクシミリで受信した文書を電子写真方式で複写したものであるために、筆者識別の重要な指標である書字運動の状態を知ることができないものであった上、文字形態の不明瞭な箇所が多く、被告人の筆跡との異同を考察するための資料としては不十分なものであったからである旨記載されており、このことからすれば、相違する特徴が多く指摘できる旨の右鑑定書の記載は、本件旅券を行使した人物が被告人であるという認定に疑いを差し挟むものではない。」(原判決247、248頁)とする。     しかしながら、筆跡鑑定の手法として、当然、平仮名表記のみならず、漢字表記、片仮名表記、アルファベット表記もその鑑定の対象とされるのが通常であり、また、刑事事件において鑑定資料は、必ずしも最適な状態で鑑定に供されるわけではなく、むしろ、「不十分な状態」で資料となることがほとんどであるところ、原判決の指摘する「書字運動の状態を知ることができず、文字形態の不明瞭な箇所が多く、資料として不十分」であることが、「同一性が判断できない理由」であるとすれば、鑑定意見は、「鑑定不能」とすべきであろう。     しかし、鑑定意見には、「類似する特徴より相違する特徴が多く指摘できる」とされている。即ち、不十分な資料であろうと、鑑定資料を分析した結果、「相違する特徴の方が多く指摘できる」と判断し得る程度に鑑定が成功しているのであって、「もっと資料が適切な状態だったら、類似する特徴が多く指摘でき、同一性を認定できたはずである」などという意見は出されていない。     この点、確かに、本件は、「行使」事件であって、「偽造」事件ではなく、文書の作成者そのものが争いになっているわけではない。     しかし、本件においては、「平成6年9月25日午後11時06分ころから同日午後11時51分ころまでの間」にユーゴスラビア連邦共和国からルーマニア国への入国の際の旅券提示及び出入国カードの提出が「行使」として争われているところ、「出入国カードを記載・作成した者は被告人ではない」とすると、本当に上記日時の入国の際に本件旅券や出入国カードを提示したのが被告人であったのか否か疑問が生ずるというべきであろう。   (3) 「行使」の証明のないこと   原審においても、本件旅券が偽造されたものであること自体は争点ではなく、本件旅券貼付の写真が被告人と同一人であることも争点となってはいない。   即ち、本件旅券が偽造されたものであること、本件旅券貼付の写真が被告人の顔写真であること、被告人が身柄拘束をされた際、被告人が本件旅券をアパート内で所持しており、それが被告人の逮捕の過程で押収されたことはいずれも争いのない事実である。   本件で問題なのは、以下に見るとおり、上記の点は争いのない事実にもかかわらず、被告人が本件旅券を行使したことの証明がないという点なのである。   本件で第一に問題とすべきは、旅券が偽造された時期である。即ち、本件公訴事実は、1994年9月25日に本件旅券が行使されたというのであるから、本件旅券は、少なくとも、それ以前に偽造されたものでなければならないのである。   しかしながら、南部証人は、弁護人の尋問に対し、公訴事実記載の犯行日時については特に意識せずに鑑定をしたこと、「このパスポートを偽造した時期というのは、特定できますか。」との尋問に対しては、「いいえ、できません。」と証言しているのであり(第29回)、偽造時期の特定には至っていないのである。   また、ルーマニア国に赴いて捜査情報の収集に当たった加藤証言においても、本件旅券に貼付の写真が、本件公訴事実の際、現在と同じ物が貼付されていたか否かについては特定されていないと証言している(第33回)。   従って、本件においては、旅券が偽造された時期の特定に関し、立証が何もなされていないことになるのである。   このことは、本件旅券は、「偽造旅券」であり、入手経路も特定されておらず、被告人以前の占有者が誰であるかも特定されていないことからしても、明らかであろう。   しかも、「平成六年九月二五日午後一一時〇六分ころから同日午後一一時五一分ころまでの間(現地時間)」に、旅券と共に提出された入出国カードの作成者は、被告人ではない可能性が高い以上、入国カードを提出した者が被告人であることの立証もなされていないというべきである。   旅券行使の事実の有無について、被告人は、ルーマニア国内での生活状況や同国に入国した時期、目的等については明らかにしていないが、公訴事実記載の日時において、本件旅券を行使したことについてはこれを明確に否認し、本件旅券を見たのは94年の暮れか95年の始めであり、甲A21号証添付の入国カードについては、自己の書いたものではないと供述している(35回)。   前記加藤証言によれば、ルーマニア国の出入国に際しては、1人1人に旅券を提示させ、その顔写真と所持人を対比して本人であることを確認し、出入国カードを渡して、必要事項を本人が記入した上、これを提出させる仕組みとなっているのである(第32、33回)。   従って、被告人が、本件公訴事実に及んだとする為には、その際提出されたことに争いのない甲A21号証添付の入国カードにつき、被告人がこれを作成したことの証明が果たされていなければならないはずである。   上記証明を欠く場合、結局、本件旅券は、公訴事実記載の日時において行使された後に顔写真部分が偽造され、それを被告人が所持していたに過ぎない余地を残すからである。   上記の点をめぐっては、弁護人の申請により、入国カード上の筆跡と被告人の筆跡との同一性に関する鑑定(職権7号証)が実施された。   検察官は、原審論告において、上記鑑定結果に一切触れようとしなかったが、鑑定の結果、被告人の筆跡と入国カードの筆跡とは同一性判断ができないとの結論が出されている。即ち、入国カードを被告人が作成したことの証明ができないという結論である。   同鑑定は、入国カード上の書字運動の状態が不明であること、文字形態が不明瞭な点が多いことを理由に、「同一性の判断はできない」との慎重な主文が結論付けられたものである。しかしながら、同鑑定書5項の「考察」欄によれば、双方資料対照の結果、「類似する特徴より相違する特徴が多く指摘された」と明記され、むしろ入国カードの作成者が被告人ではない可能性を強く推認させるものである。にもかかわらず、同鑑定の主文が、判断不能とされたのは、鑑定の主体が、被告人との関係では、敵対性を有する科学警察研究所の職員であるという点を指摘しうるものである。   いずれにしても、入国カードを被告人が作成したという事実は証明されなかったのである。   従って、本件偽造旅券が、本件公訴事実記載の上記日時において、被告人以外の者の写真を貼付され、被告人以外の者によって「行使」された可能性は排斥できないのである。   即ち、本件旅券が、公訴事実後に偽造された可能性をも指摘することが出来るのであり、かかる余地が残る以上、1994年9月25日の行使事実は、証明不十分というべきである。 (4) 小結   以上に見てきたとおり、本件においては、被告人が公訴事実記載の日時に本件旅券を行使したことについて、厳格な証明はなされていないというべきである。また、被告人が、行使の事実を否認していることに加え、前記筆跡鑑定の結果からは、上記日時に被告人が本件旅券を行使した事実はむしろ否定的に解されて然るべきものである。   そうすると、本件旅券は、公訴事実記載の日に行使され、後にこれが偽造され、それを被告人が所持していたということこそが合理的事実認定である。   よって、本件に関し、被告人が「行使」したか否かには、合理的疑いを入れる余地があるにもかかわらず、「行使につき有罪」と認定した原判決には、重大な事実誤認がある。 第4 法令適用の誤り(刑事訴訟法380条)ー爆発物取締罰則の違憲性  1 原判決の認定    原判決は、爆発物取締罰則の違憲性を主張する原審弁護人らの主張に対し、「確かに、爆発物取締罰則は、旧憲法制定以前の明治一七年に太政官が布告第三二号として制定したものであって、この限りで弁護人の主張は正しいけれども」としながら、「明治二二年に制定された旧憲法七六条一項は、憲法に矛盾しない現行の法令はすべて遵由の効力を有するものと規定していて、爆発物取締罰則はこれに該当する上、刑法(明治四〇年法律第四五号)が施行されるに当たり同法施行法(明治四一年法律第二九号)二二条二項において爆発物取締罰則一〇条を廃止することが規定されたのみで爆発物取締罰則の他の条項については廃止あるいはその効力を否定するための何らの立法措置も講ぜられず、かえって明治四一年法律第二九号及び大正七年法律第三四号という旧憲法上の法律の形式をもって改正手続が行われたのであるから、爆発物取締罰則が旧憲法上の法律と同一の効力を有していたことは明らかである。したがって、爆発物取締罰則は、昭和二二年法律第七二号の適用がなく、憲法九八条一項により、現行憲法の条規に反しない限り法律としての効力を保有していると解されるし、憲法三一条、七三条六号ただし書にも違反しない。」「爆発物取締罰則にいう『治安ヲ妨ケ』るとは、公共の安全と秩序を害することをいうものと解するのが相当であって、その意味内容が不明確であるとはいえないし、爆発物取締罰則は、治安を妨げる目的をもって爆弾を使用するなどした行為を罰するとしており、爆発物の有する強大な破壊力並びにそれによる公共の安全秩序、人の生命、身体及び財産に対する侵害の危険性が大きいことを考えれば、合理的根拠なしに重い刑を定めているとはいえず、罪刑の均衡を失してはいないから、爆発物取締罰則は、憲法三一条、三六条に違反するものではない。」として、爆発物取締罰則は合憲であり、本件に同罰則を適用したことに違憲性はないと判示する(原判決43乃至45頁)。  2 爆発物取締罰則の制定過程の瑕疵    爆発物取締罰則は、1882年頃からの福島事件、高田事件、群馬事件、加波山事件といった自由民権運動の活発化の流れの中で、殊に、1884年の加波山事件においては、多数の爆弾が製造されるなどのことがあったことから、政府は早急な対応を急ぎ、同事件発生からほぼ三ヶ月後には、火薬類取締規則と共に、爆発物取締罰則を制定した。    同罰則の制定目的は、「治安維持」にあり、「元老院会議筆記」によれば、同罰則は、政府が制定を急いだため、あらかじめ元老院への議決を経ず、公布施行後、元老院へ検視議案として提出されたという経緯がある。(「近代刑法の実像」足立正勝 白順社発行)    この点、元老院は、1875年4月14日に、太政官左院に変わって設置され、「元老院ハ議法官ニシテ新法ノ設立菖法ノ改正ヲ議定シ及ビ諸建白ヲ受納スルトコロナリ」(同年4月25日元老院職制章程第1条)と規定されたとおり、元老院とは立法機関であり、当時の法制定過程に照らせば、元老院の議決を経なければ、法とは認められないものであった。    そして、爆発物取締罰則は、国民に重大な関係を有する特別刑法としての罰則であるにもかかわらず、立法機関たる元老院の議定・議決を経ることなく公布施行され、事後的に検視議案とされたに過ぎないものであって、同罰則を「法律」とするならば、その制定過程には重大な瑕疵があると見ざるを得ない。    同罰則制定過程の「重大な瑕疵」は、後に法律により2回の改正が行われたとしても治癒されるものではなく、況や、「法律」としての地位を認められるものでもあり得ない。  3 原判決判示の誤りと爆発物取締罰則の違憲性   (1) 爆発物取締罰則は、1884年太政官布告第32条として布告された。当時、日本には未だ近代国家の最低条件たる議会すらなく、同罰則は1行政官僚たる太政官が布告した刑罰法規に過ぎなかった。  かかる同罰則は、太政官が布告した「命令」であって、かつ、刑罰法規であるがゆえに、憲法第31条により「法律をもって規定すべき事項を規定するもの」に該当するから、1947年法律第72号1条により、1948年1月1日以後は無効である。 (2) 同罰則の規定内容は、旧憲法上は法律事項とされていたため、これに沿った改正手続がなされたということの結果的現象に過ぎない。現に、1917年の第39帝国議会において、帝国議会衆議院は、自由民権運動への弾圧法規の廃止として、同罰則の廃止決議を満場一致で行っている。本罰則は、旧憲法下においても依然として「太政官布告」としてのみ有効だったのであり、「法律」として有効だったのではない。 (3) 従って、同罰則は、その成立の形式上、憲法第31条、同第73条6号但書に違反するものである。 第5 量刑不当(刑事訴訟法381条) 1 はじめに   原判決は、これまで縷々批判してきた如く三井物産事件と大成建設事件について、確定的殺意ではなく、未必的殺意を認定した点を除いては、ほぼ検察官主張の公訴事実に沿った事実認定をなした上、被告人を、懲役20年に処し、未決勾留日数中2000日をその刑に算入するとの量刑判断を示し、検察官の求刑である「無期懲役」については、「重きに過ぎる」としてこれを退けた。   しかしながら、原判決の量刑判断は、検察官の無期求刑を退けた点は至極当然としても、大きく言って、以下の4点において、極めて不当であり、到底、破棄を免れないものと言わなければならない。   第1に、そもそも、原判決は、既に事実誤認の項等において詳論したとおり、多岐にわたり、誤まった事実を認定した上、それを前提として量刑判断をなしているのであり、量刑判断の前提において、根本的な誤まりを含んでいるというべきである。   第2に、原判決の選択した「懲役20年」という量刑判断は、他の爆弾事犯、ことに、共産同赤軍派による明治公園爆破事件やいわゆる黒ヘルグループによる連続交番等爆破事件における量刑との比較において、著しくその均衡を失しており、不当に重い量刑判断であるから、これが取り消されなければ、著しく正義に反するというべきである。   第3に、原判決の算定した未決勾留日数2000日は、原審の裁判過程を見るとき、その算入日数が余りにも少なすぎるものであって、不当なものであるから、当審において、改めて適正な日数が算定し直されるべきである。   以上に加え、第4点目として、被告人は、原判決後に、各被害者あてに謝罪文を発信しており、この点は、原判決後の新たな事情として、当審において、事実の取調を実施し、それを踏まえた量刑判断がなされるべきである。   以下、以上に概観した諸点に関し、詳論し、原判決の量刑判断が不当なものであることを論証するが、その前提として、まず、原判決の示す「量刑の理由」に対する弁護人の所見を述べておかねばならない。 2 原判決の指摘する個別の情状事情について   原判決は、250頁以下にて、量刑の理由を判示している。   そこで、まず、原判決の指摘する個々の量刑事情をそれぞれ取り出して、分析・検討し、そこに現れた問題点を指摘しなければならない。   なお、以下の記述の中で、部分的に検察官提出済みの控訴趣意書に触れ、それを批判する部分もあるが、同書面に対する弁護人の反論は、追って答弁書において全面展開する予定である。  (1) 本件の動機に関して 1) まず、原判決は、本件に関する被告人の動機を、次のように認定している。  即ち、「被告人及び齋藤は、第二次大戦後、日本全体が戦争責任を忘れ、旧財閥系を中心とする大企業がアジア諸国を経済的に侵略して搾取することにより繁栄を得ているなどと考え、こうした企業や日本人に対し、戦争責任や戦後のアジア諸国への侵略に対する責任等について自覚と反省を促すため、爆弾闘争によって海外進出企業等の中枢を破壊することとし、目的を達成する為には爆心地付近や周辺に居合わせた者らを巻き込んでも構わないという意思」をもって、本件に及んだものであり、それは、「社会を変革しようという被告人なりの正義感から行ったものであるにせよ、自分達の考え方を絶対視し、爆弾による攻撃という過激な手段を選んだことは国民の多くが納得するものではなく、独善的、短絡的な動機に基づく犯行という非難を免れず、動機において酌むべき余地があるということはできない」というのである(原判決251頁)。  以上のとおり、原判決は、本件に関する被告人の動機を、「独善的、短絡的な動機」に過ぎず、「国民の多くが納得するものではな」いから、動機として酌むべき余地はないとして、否定的に判断しているのであり、結局、本件動機を、被告人に不利な事情として評価しているのである。  従って、検察官の控訴趣意書が言うように、「原判決は、かかる犯意の強固性を被告人に不利な事情として全く取り上げていない」(同56頁)などと位置付けるのは、原判決に対する誤解ないしは曲解も甚だしいものであり、原判決は、正に検察官の期待どおり、被告人の動機を不利な事情として指摘したのである。   2) しかるに、原判決による動機認定は、前記引用のとおり、被告人らが「爆心地付近や周辺に居合わせた者らを巻き込んでも構わないという意思」即ち未必的殺意をも有していたなどと、誤った事実認定を前提にしてなされているのであり、そもそもその前提自体に大きな誤りがあるというべきである。 3) さらに、原判決の指摘する「第二次大戦後、日本全体が戦争責任を忘れ、旧財閥系を中心とする大企業がアジア諸国を経済的に侵略して搾取することにより繁栄を得ている」との指摘は、いわゆる「南北問題」として、今日、多くの人々の共通認識となっており、弁護人としても、同種の認識を有している。  従って、かかる認識自体は、被告人に特有の「独善的」なものの見方というわけでは決してなく、極めて正確で正当な社会認識というべきである。  勿論、弁護人は、被告人のかかる社会認識が如何に正しいものだからといって、その解決を、武装(爆弾)闘争という手段にて果たすことが、許されるとまで主張するものではない。  被告人は、折角正しい社会認識に立ち、それを解決する社会変革を志ながらも、手段においては、誤まりが存したのであり、被告人自身も、その誤まりは既に認めているのである。  しかも、以上の留保を踏まえつつ、弁護人は、むしろ原判決指摘の本件動機は、むしろ被告人の人間性を如実に示すものとして、好意的に把握すべきであると確信する。  よこしまな権力欲や出世主義、さもしい金銭欲、他者に対する征服欲、あるいは女性に対する性欲等、個人の欲望に駆られただけの醜い事案はしばしば見られるけれども、これら事案に比する時、被告人の本件闘争動機は、何ら自己の利益を顧みないものであって、被告人の純粋な人間性を明確に裏付けるものであり、むしろ有利に評価されてしかるべきであると確信するものである。  従って、上記「被告人なりの正義感」を有利な事情としては何ら斟酌することなく、単に「独善的」として切り捨てる原判決の判断は、全くの誤りというべきである。 (2) 本件事件の計画性、組織性   原判決は、本件各事件につき、「被告人らが事前に攻撃対象とその周辺を下見するなどして調査を重ね、グループ間で連絡を取り合うなどして、塩素酸塩系爆薬を用いた威力のある爆弾を製造した上」各敢行されたものであり、「いずれも計画的、組織的で、大胆な犯行である」としている(原判決252頁)。   しかしながら、被告人は、これら事件の「計画性、組織性」の全体を担ったわけではなく、その一部のみを齋藤から伝えられて把握していたに過ぎないものであることは、事実誤認の項において、既に詳論したとおりである。   即ち、本件各事件が、全体としてみた時、計画的で組織的なものであったにせよ、被告人の役割や認識はその全体の限られた部分でしかないのであるから、単に本件全体の「計画性、組織性」を検討したのみでは、被告人の刑事責任を正確に導き出すことはできないはずである。   被告人の責任を正しく観察する為には、本件全体の計画性、組織性に加え、被告人がその全体の計画にどの程度に関知し、実際の作戦のどの程度の部分を担ったのかが正確に認定されなければならないというべきであるが、原判決は、そもそも、被告人の各事件における役割に関し、誤った事実を認定しているのであるから、正確な刑事責任を認定する前提が欠けているというべきである。   よって、単に、本件全体の計画性、組織性のみを言う原判決に限界のあることは明らかである。 (3) 本件の物的、人的被害及び被害感情、慰謝の措置のないこと 1) 原判決は、本件各爆破事件による人的、物的被害を、すべて検察官請求証拠に基づいて認定した上、「このような多大な物的、人的被害が生じ、被害者らの被害感情が強かったにもかかわらず、被告人らは、被害者らに対し弁償も慰謝の措置も講じていない」(原判決253、254頁)と指摘している。 2) 弁護人としても、本件被害の結果が、概ね裁判所の認定するとおりであること、それが極めて深刻な被害結果であること自体は争うものではないし、被告人らが、原審段階で、直接、被害者に弁償も慰謝の措置も講じていなかったことは、原判決の指摘するとおりである。   しかしながら、いずれも後述のとおり、原判決が、本件以上に大きな人的被害を生じさせている他の事案(明治公園爆破事件、連続交番等爆破事件)との量刑の均衡を何ら考慮していないことは、強く批判されるべきであるし、原判決後に被告人が被害者らに謝罪の手紙を発している点は当審において再評価の対象とされるべきであることを付言しておく。 3) ところで、検察官は、その控訴趣意書において、上記被害に関する原判決の認定が、「いかにも平板であり、被害者らが味わった苦痛と苦悩に対する洞察を欠いている」(同書面125頁)とか「井内、藤井及び田中はいずれも公判廷において深刻な後遺症について証言をしているというのに、原判決は何らこれに言及していない」(同頁)等と不満を述べている。   しかしながら、原判決の認定は、いずれも検察官の立証を踏まえてなされたものであり、その立証を退ける観点からなされたものではないことは、すでに前述したとおりである。   即ち、原判決は、本件被害結果に関する原審での検察官の主張立証及びその趣旨を十分に踏まえたうえ、これをすべて認め、量刑の理由においても、そのことに触れているのであり、一部詳細な言及を欠いた点があったり、検察官の満足するような表現がとられていないからといって、原判決がそれら事情を無視したとか、理解が平板であるとかという非難は全く当たらない。   従って、原判決が被害者の後遺症等につき、判決書で言及していない点についても、考慮に入れていると言うべきであり、これらの点に関する検察官の批判は全く的外れである。 (4) 被告人の果たした役割 1) 原判決は、量刑上の重要な位置を占める被告人の役割に関し、「各爆破事件において被告人は、攻撃対象を下見するなどして調査し、大成建設事件では、大地の牙グループの連絡員として狼グループの大道寺將司と連絡を取り合い、間組本社事件を除く各爆弾事件では、爆弾の製造について、齋藤と二人で製造し、あるいは齋藤が製造するのに協力し」(原判決254頁)として「被告人の重要な役割」を認定するが、事実誤認の項にて詳論したとおり、いずれも、事実認定の誤りであるかないしは認定した事実の評価を誤っている。   そもそも、被告人が、作戦遂行に有効な下見をしたのは、各爆破事件のうち、間組大宮工場爆破事件のみであり、その他の事件に関する下見は、作戦の定立や遂行にはさして有益なものではなかったのであるから、間組大宮工場事件を除き、被告人のなした下見は、さして重要な役割とはいえない。   また、被告人が、大成建設事件に先立ち、連絡員として大道寺將司と接触していた事実はあるけれども、ここで被告人の果たそうとした役割は、一定の裁量権を持って交渉等をしていたわけではなく、大道寺や齋藤の意思を伝達する文字どおりの連絡員に過ぎなかったのであるし、しかも、被告人はその単なる連絡員としての役割すら満足に勤まらなかったがゆえに、結局、連絡員を更迭されるにいたるのである。従って、被告人が連絡員を担当した点も取り立てて重要な役割ということはできない。   さらに、被告人が、間組本社事件を除く各事件に関し、爆弾の製造に関与したとの点も、事実誤認の項にて詳論のとおり、全くの誤りである。 2) 次に原判決は、「爆弾の設置と運搬について、三井物産事件では齋藤から受け取った後に三井物産まで運んでこれを設置し、大成建設事件では、齋藤と一緒に爆弾を運搬するとともに、齋藤が爆弾を設置する際に見張りをし、大宮工場事件では、齋藤と一緒に爆弾を運搬し、韓国産業経済研究所事件では、一人で爆弾を運搬して設置した」(原判決254頁)と認定し、もって、被告人の役割は重要だとしている。   しかしながら、事実誤認の点で詳論したとおり、被告人が大成建設事件で爆弾を運搬したり、その設置の際の見張りをしたという事実はないし、韓産研事件において、爆弾を設置したという事実もない。   原判決は、これら重要な諸点に関し、誤まった事実認定を元に、被告人の役割を重大と評価するものであって失当である。 (5) 本件が社会に与えた影響 1) 原判決は、「以上の各爆破事件は、『連続企業爆破事件』としてマスコミにより大々的に報じられ、社会に大きな衝撃を与えるとともに、人々を震撼させ、いつ何時爆発に巻き込まれるかも知れないという不安を抱かせたのであり、社会一般に与えた影響も軽視できない」(原判決254頁)として本件の社会的影響は大であったと指摘している。   確かに、当時、本件が社会に一定の衝撃を与えた事実は否定しがたい。   しかしながら、いわゆる社会的影響の大小を量刑上考慮することに関しては、「何人によっても容易に計測可能だとは思われない社会的影響の大小といったものは、結局は評価主体の独善的で漠然とした印象以上のものにはなり得ない」(原田國男「量刑判断の実際」19頁等)との批判もある上、本件の場合、事件発生から既に30年近くを経過し、しかも、現時点においては、被告人が当時所属していた組織(東アジア反日武装戦線”大地の牙”)もその後に所属した組織(日本赤軍)も既に存在しないのであるから、本件事件が、かつてのように社会的影響力を保持しているとは、とても言いがたいのである。この30年、という歳月の長さは、本件事件当時から見るならば、第二次世界大戦の終結時を意味しているのである。   勿論、かかる事情に被告人がいわばあぐらをかき、事件に対する反省をおろそかにすることは許されないことは言うまでもないが、被告人がかかる反省をおろそかにする立場に立たないことは、その供述から明らかである。 2) ところで、検察官は、その控訴趣意書134頁以下において、本件は「無差別テロ」事案であるから、長期間が経過した現在でも、決して風化させてはならないものであることを強調し、原判決は、その点に対する考慮が看過されていると批判する。   しかしながら、本件事件は、一般市民の殺傷を主たる目的とした事案でないことは、原判決も認めるとおりであり、被告人としては、死傷者の発生は絶対に避けるべきだと考えていたのである。よって、そもそも検察官のいう「無差別テロ」との評価自体、本件を正しく評価したものとは言えない。   また、検察官の主張には、「無差別テロ」事案が、そうでない事案に比して、長時間の経過を量刑上何ら考慮すべきでない、とするところの法理論的根拠が全く欠落しており、強いてそれを探せば、「無差別テロ」事案の「(普遍的?)悪質性」というところに求めるほかはなく、その実態は、極めて粗雑な主張というべきである。   また、この種の主張を許すならば、「無差別テロ」事案に対しては、そもそも風化が許されないのであるから、それに対しては、いわゆる時効制度の適用の余地もないということにならざるをえないはずであるが、現行法上、そのように解する余地は存在しない。現行法は、事案の性質を問わず、犯罪に対する時効の適用の可能性を一般的には認めているのであり、「無差別テロ」に限り、その余地を認めないという態度には立っていない。   よって、検察官の主張は、現行法上の立場との矛盾する採用しがたいものである。 3) なお、破防法40条のせん動罪の合憲性が問題となった公安事件である東京地方裁判所昭和60年11月6日判決は、その事件の被告人を執行猶予とした理由として、「本件後14年の歳月を経た現在、一般国民の脳裏から渋谷暴動等の事件の重みを過去のものとして忘れさせるに十分な時間の経過があったともいえなくはない」として時間の経過、あるいは事件の風化をその理由としている(控訴審において立証予定)。   被告人の事件は、上記破防法事件の14年という経過期間を約2倍近く上回り、約30年という期間を経てきている。   よって、上記事件と同様に、時間の経過は考慮されねばならないのである。 (6) 偽造有印私文書行使について 1) 原判決は、偽造有印私文書行為事件に関し、「被告人が犯行の詳細に関して語っていないため、犯行にいたる経緯や動機等は不明であるものの」「ルーマニア国の入国管理行政の適正等を害した」(原判決255頁)として非難している。   しかしながら、同事件に関し、行使の事実を認定した原判決に事実誤認が存することは既に詳論したとおりである。 2) ところで、検察官は、その控訴趣意書において、この点に関し、原判決は「形式的な評価をするにとどまり」、「被告人が長期間海外逃亡し、しかもその間に犯罪行為に及んでいるという重要な悪情状を量刑上正当に評価していない」(同書面12頁)として批判している。   しかしながら、原判決は、上記の点に関し、検察官の主張をすべて認定した上で量刑に及んでいるのであるし、原判決が本件に関し、「ルーマニア国の入国管理行政の適正等を害した」と、一見形式的とも取れる評価をしているのは、正に原判決が言うように「犯行にいたる経緯や動機等は不明」であることの単なる結果に過ぎないのであり、基本的に、原判決は、検察官の主張を十分考慮にいれていることは明らかである。   よって、検察官の主張には理由がない。 (7) 「被告人の不合理な弁解」について   原判決は、被告人の公判供述につき、「一部不合理な弁解を交えつつ供述している」ことを悪情状として指摘している(原判決255頁)。   かかる原判決の立場は、基本的に、捜査段階の供述が真実を語っているとの前提に立つものであるが、既に詳論のとおり、捜査段階の供述こそ信用性がなく、公判段階での供述が真実であり、かつ、その点は、原審弁49の手紙のほか、控訴審において立証予定の当時の被告人の手紙によって明らかになる。   従って、被告人の公判供述を不合理な弁解と位置付ける原判決は誤りである。  (8) 被告人の立場の従属性 1) 原判決は、被告人に有利な情状として、「各犯行の発案や計画の立案をしたのは齋藤や他のグループの者であり」被告人は「齋藤を補佐する従属的な立場にあった」(255頁)として、被告人の立場が従属的であったことを認定し、検察官の主張していた「車の両輪」説を否定した。   被告人の立場がどのようなものであったかという点は、本件の量刑要素としては極めて重要な点の一つであるが、被告人が齋藤に従属する立場にあったことは、その公判供述からして当然であり、捜査段階の供述調書によるも、優にこれを認定しうる点であるから、原判決がかかる認定に至ったことはけだし当然であり、むしろ、「車の両輪」などと言い出す検察官の主張にそもそもの無理があったのである。 2) ところが、検察官は、その控訴趣意書において、なお、被告人の役割を過度に評価し、原判決の評価は過小評価であるなどと非難している(78頁以下)。   検察官の上記主張に対する系統的反論は、追って答弁書において、詳細に述べるが、ここでは次の点のみを指摘するにとどめる。   即ち、検察官の主張の骨子は、各爆破事件における被告人の実行面での役割を強調し、確かに被告人が各爆破事件の発案や計画に関与してないとしても、その実行面での役割を見れば、両者に主従関係など存しないというにある。   しかしながら、各共犯者間の量刑を考える上で、最も決定的で重要な要素とは、「誰がその事件を首謀し主導したのか」という点である。   これは他のあらゆる共犯事件にも等しく当てはまる事柄であり、事件の首謀者と見られる人物が、何らの実行行為も担当していないのに、共犯者間で最も重い刑を科されるというケースは、特に具体例を指摘するまでもなく、ごく一般的に存在している。   そうすると問題は、本件各爆破事件の首謀者、主導者が誰であるのかという点であるが、これが齋藤であることは、ほとんどすべてのケースにて、齋藤が発案、計画をなし、その発案、計画に従って各事件は進められたという一点を直視することにより、明々白々である。   しかも、本件のごとき時限爆弾事案の特徴は、その立案、計画段階においてこそ、相当の政治的判断能力、軍事的知識が要求され、この段階の計画のあり方によって、その後の作戦の流れは、ほぼ決定されてしまうという点である。   よって、時限爆弾事件においては、正にその立案、計画段階こそが重要であり、その場面に関する各人の権限や役割を特に見ていかなくてはならないということである。   一方、本件のような時限爆弾事件の実行段階、特に爆弾の運搬設置においては、あらかじめ与えられた計画をこなすだけの実行者において、裁量の余地が乏しいこと、完成した爆弾を単に運搬し設置するというだけのことであれば、特段の技術や才能は必要とはされないこと、などに鑑みると、爆弾の運搬設置という実行段階での役割を、過度に強調することは、適切な態度ではないというべきである。   そうすると、検察官が言うように、事件の立案・計画段階における被告人の役割を捨象して、爆弾の運搬設置といった実行段階での役割のみを異様に強調するという思考方法は、時限爆弾事件の特質を無視するものであって、その根本からして誤まりというべきである。 (9) 未必の殺意にとどまっていたこと 1) 原判決は、「三井物産事件及び大成建設事件において、確定的殺意ではなく未必的殺意を有するにとどまっていたこと」を被告人に有利な情状として指摘している(原判決255頁)。   しかしながら、上記事件に関して、未必的殺意を認定した原判決は、既に詳論したとおり事実誤認によるものであり、本件では、認識ある過失が認定しうるに過ぎないのであるから、上記原判決の指摘は当たらない。 2) なお、検察官は、その控訴趣意書において、「本件における殺意に未必的側面があるのは当然のこと」であり、原判決は、「殺意が確定的か未必的かという形式的区別に固執してる」(同書面59頁)のは不当であると論難している。   しかしながら、殺意が、確定的であったのか未必的であったのかという点は、行為の質的な差と言うべきであり、形式的な差ではない。この点を明らかにしたのが、東京高裁昭和42年4月11日判決(東京高等裁判所判決時報18巻4号刑120頁)であり、同判決は、殺意の内容が確定的であるのか未必的であるのかは判決に影響を及ぼす事実誤認に当たると判断したのである。   しかも、検察官は、明治公園爆破事件にて殺人未遂罪に問われ、第1審にて、未必の殺意が認定されて懲役20年を言い渡されたIの判決に対し、これを不服として、控訴の申立をなし、その控訴理由書において次のように述べているのである。   即ち、「そして、本件において、被告人の殺意が確定的であったのか未必的であったのかということは、本件行為の質的な差であって、行為ないし責任の評価に影響するところが大きく、量刑上の重要な要素の一つとなるのであるから」(同書面19頁)と指摘しているのである(控訴審において立証予定)。   このように、かつて検察官は、本件と類似の爆破事案において、「被告人の殺意が確定的であったのか未必的であったのかということは、本件行為の質的な差であって、行為ないし責任の評価に影響するところが大きく」と明言しているのであり、その相違が形式的であるとか、量刑上大きな影響はないなどとは述べていないのである。   よって、検察官の主張は誤りである。 (10) 予告電話について 1) 原判決は、「一部の爆破事件において、予告電話をしたところ、これは人的被害を確実に回避するには不十分であったものの、人的被害を小さくする方途であった」として、予告電話をなしたことを良い情状として評価した。   弁護人は、原判決が、この予告電話をもって、被告人に殺意のないことの裏づけと捉えなかった点は誠に遺憾であるとはいえ、それを良い情状として直視した点は評価しうると考える。 2) ところで、検察官は、その控訴趣意書において、原判決のように予告電話の意義を直視することができず、むしろ爆弾事件が頻発していた当時の世情等を考慮すれば、予告電話は「全く無意味」であるとか「爆弾闘争を継続する上での免罪符」(同書面64頁)などと指摘し、それを良い情状として取り上げた原判決をことさらに非難している。 3) しかしながら、本件と同様に、時限爆弾を用い、かつ、爆破予定時刻前に予告電話を実施した追分派出所爆破事件(連続交番等爆破事件の一つ)に関する過去の裁判例を見ると、一般的に、予告電話は、被害発生回避の為の手段、即ち、被告人に有利な事情として位置づけられているのである(控訴審において立証予定)。   まず、同事件の実行犯として懲役20年の刑が確定したLに対する第1審判決(東京地方裁判所昭和53年9月28日)においては、「同派出所の件についても、不幸にして効を奏しなかったけれども、できれば人身に対する被害を避けようとの気持ちもあって、朝日新聞社首都部分室に爆発時刻や爆発場所たる派出所を特定して予告電話をしたのであり、それがいたずら電話と思われたためか警察に通報されるに至らなかったのであるが、この予告電話が警察に通報されなかったことは、被害者にとって誠に気の毒であったといえるとともに、被告人にとっても残念なことであったと思われ」と判示し、予告電話を良い情状としていることは明らかである。また、同人に対する控訴審判決(東京高裁昭和56年7月27日)においても、量刑不当の主張に対する判断の中で、「被告人は、一連の爆弾闘争において、警察官が殺傷される可能性を認容していたものの、それを主眼として爆発物を使用したとまでは認められず、また一般通行人らに対してはなるべく危害が及ばないよう予告電話をするとか(中略)の配慮をしており」と判示されており、検察官のいう予告電話=無意味・免罪符説には立っておらず、予行電話は被害者発生の回避の為の手段と認定されている。   また、同事件にて同じく実行犯として懲役20年の刑が確定したNに対する1審判決(東京地方裁判所昭和57年5月27日)は、被告人らのなした予告電話につき、「たしかに、被告人らは、一般通行人らに対する殺傷の結果を避けたいという気持ちから新聞社に予告電話をすることとし(中略)現実にXを介し朝日新聞社に電話をしたことは前記認定のとおり」として、Lに対する高裁判決と同様の視点で判断しているし、同人に対する控訴審判決(東京高等裁判所昭和59年6月13日)を見ても、「被告人らが爆発物の使用にあたり、爆発時刻を深夜とし、あるいは予告電話を新聞社にかけるなどして、人身被害の発生をできるだけ回避しようと努力していた」とされ、予告電話は被害回避の手段として理解されているのである。   よって、本件も上記事件と同様に予告電話は死傷者回避の手段として素直に評価されるべきであり、検察官のようなうがったものの見方をするべきではない。 (11) 捜査段階の全面自供、公判段階における謝罪、反省、後悔の念、被告人の自己批判 1) さらに原判決は、「被告人は、捜査段階において、一連の爆弾事件につきほぼ全面的に自白していること、公判段階において、怪我をした被害者らに対する謝罪の言葉を述べ、時には涙を見せるなどして、怪我人を出したことにつき反省と後悔の態度を示していること、被告人が社会を変革する手段として人に危害を加え得る手段をとるのは誤りであると自覚するに至っていること」(原判決256頁)を評価し、被告人に良い情状として、これを指摘している。   確かに、被告人は、逮捕前から、被害者を生じさせたことに関しては深刻に反省していたのであるし、その反省の念は一部分とはいえ、捜査段階の供述にも現れてはいる。なお、被告人の捜査段階供述には、虚偽の供述も存するから、原判決のいうように、これを「全面的に自白」などと評価することはできないが、その当時、事件に対する反省の念を有していたことは事実である。   また、被告人が、公判段階において、被害者に対する謝罪の言葉を述べた点、反省と後悔の態度を示したという点は、再開公判の意見陳述においてなされたものであるが、これは、かつての統一公判においては、他の被告人をも含めてほとんど見られることのなかった供述態度というべきであり、被告人の変化を示すものとして、着目すべき事実であるから原判決がこれに言及したことは誠に正当というべきである。   さらに、被告人が、一般的に武装闘争を否定する供述をなしたことも、量刑上、重要な点であるから、原判決がこれに言及したのは当然である。 2) なお、検察官は、控訴趣意書において、被告人に対する敵意を剥き出しにし、再開後の公判における被告人の反省供述は上辺だけのものと断じて種々の論難を加えている(同書面127頁以下)。   こうした検察官の主張に対する弁護人の反論は、追って、答弁書において逐一反論をするが、あえて一言すれば、検察官が縷々述べる個別的指摘(統一公判での言動、「不合理な弁解」、謝罪の中身等)は、いずれも原審において十分了解済みであり、原判決は、検察官の指摘する点をも踏まえつつ、それでもなお、被告人に反省の情ありと認定したという点である。   即ち、検察官が縷々指摘する点は、原判決が特に看過した事情ではなく、その非難は全く当たらないというべきである。 3 本件量刑判断は他の類似事件との均衡を失すること   ところで、原判決は、被告人に対し、懲役20年という刑を選択したが、その判断根拠としては、単に、「被告人を求刑どおり無期懲役に処するのは重きに過ぎるといわざるを得ず」とあるのみで、なにゆえ20年という値が正当化されるのかが積極的に述べられているわけではない。   しかしながら、以下に見るとおり、本件大地の牙事件を明治公園爆破事件及び連続交番等爆破事件の量刑と比較をする時、原判決の量刑が不当に重いことは明らかにある。   よって、この点を以下に詳論する。 (1) 明治公園爆破事件 1) 事案の概要   本件は、K、Iに対する確定判決によると、概ね次のとおりの事案である(控訴審において立証予定)。   即ち、共産同赤軍派は、かねてより、「機動隊殲滅戦」を呼号していたところ、これに所属するJ、I、Kは、共謀の上、 第1 昭和46年6月17日、東京都新宿区東大久保の鈴木有の居室において、治安を妨げ、かつ警察官を殺害する目的をもって、鉄パイプにダイナマイト、パチンコ玉、粘土などを充填し、これに起爆装置として工業用雷管・導火線等を結合した手製爆弾2個を製造した 第2 同日午後8時45分頃、渋谷区千駄ヶ谷明治公園原宿口付近路上において、治安を妨げ、かつ、警備中の警察官を殺害する目的をもって、学生らの違法行為の制止、検挙の任務に当たっていた警察官に対し、前記手製爆弾1個に点火の上これを投げつけて爆発させ、もって、治安を妨げ、人の生命を害する目的をもって、爆発物を使用し、合計37名の警察官に対し、加療4年1月ないし約5日間を要する傷害を負わせたが、同人らを殺害する目的を遂げなかったというものである(第1につき、爆発物取締罰則3条、第2につき、爆発物取締罰則1条、殺人未遂)。   なお、本件事件に関する判決言い渡しの状況は、別紙「明治公園関連被告判決状況一覧表」のとおりである。 2) 明治公園爆破事件の犯情は、大地の牙事件よりもはるかに悪質であること @ 被害結果の比較   まず、明治公園爆破事件は、合計で37人もの被害者を出した事案であり、大地の牙事件の被害者数が合計で20人であることと比較すると、被害者の数だけで見て、約2倍に昇っており、その点のみを捉えても、犯情悪質というべきである。   さらに、明治公園爆破事件は、加療1年以上を要する負傷者が12名にのぼり、最も重症を負ったTの加療日数は、4年1月に及んでいる。   これに対し、大地の牙事件においては、最も重篤な負傷者はYであるが、その加療日数は1年を下回っているし、通院期間の長いUについても通院期間は約2年間であるに過ぎない。   こうした両事件の負傷の状況を分かりやすく対比する為には、両事件につき、全負傷者の加療日数をすべて合算し、延べの値を比較してみることが、一つの方法であるが、その結果は、別紙「3事件被害状況一覧表」のとおりであり、その結果、明治公園爆破事件の延べ加療日数は、合計12742日、大地の牙事件は合計2127日となる(なお、1年は365日、1月は30日として計算した)。即ち、両事件の差は、実に約6倍である。   即ち、被害結果のみの比較を見ても、明治公園爆破事件は、大地の牙事件よりもはるかに悪質な事案である。 A 犯行態様の比較   さらに、明治公園爆破事件と大地の牙事件とで、その犯行態様を比較すると、さらにその差異が明らかとなる。   即ち、明治公園爆破事件にて使用された爆弾は、ダイナマイトを基本としており、ダイナマイトは、塩素酸塩系混合爆薬よりも、猛度が大きく(原審弁9、10参照)、爆風の威力も大きいことになるから、より危険な爆薬というべきである。   また、明治公園爆破事件の爆薬においては、爆弾にパチンコ玉が充填されているところ、かかる状態にて爆弾が破裂すれば、四方八方に弾丸が飛び散る様相を呈するのであり、してみれば、爆弾にパチンコ玉(あるいは釘など)を充填するのは、人の殺害ないし傷害を狙った爆弾事案特有の手口というべきである。   これに対し、大地の牙事件において用いられた爆弾は、いずれも組成は不明であれ、ダイナマイトよりも猛度の落ちる塩素酸塩系混合爆薬である事には違いなく、しかも、人の殺傷を目的としないがゆえに、爆弾内にパチンコ玉等の充填を行っていない。   さらに、明治公園爆破事件は、あらかじめ予告電話等の死傷者の発生を避けるための手段を何ら講じることなく、多数の警察官のいる場所を狙って爆弾を投擲したというものであり、文字どおり、「機動隊殲滅戦」として敢行された事案である(にもかかわらず、確定判決では未必の殺意が認定されているに過ぎないが)。   これに対し、大地の牙事件は、人のいる場所を狙ったというよりも企業の中枢機能を狙ったものであり、しかも、死傷者の発生を避けるべく、予告電話を講じているのである。   よって、犯行態様を比較してみても、明治公園爆破事件は、大地の牙事件よりも悪質事案である。   従って、被告人に対する量刑は、基本的に、明治公園爆破事件の関係者の量刑を下回るものでなければならないはずである。明治公園爆破事件の関係者のうち、Jは判決前に自殺しており、その判決は存在しないが、その他の2名については、確定した判決が存する。   よって、以下に、個別情状の比較をも踏まえ、被告人に対する量刑が明治公園事件の関係者に比して不当に重いものであることを論証する。 B Kに対する量刑との比較   同事件に関し、爆弾の投擲という決定的役割を果たしたのが、Kであるが、同人に対しては、懲役17年の刑、即ち被告人よりも低い量刑が言い渡され、その判決は確定している。   即ち、Kは、前述したとおり、被告人の関連事件をはるかに上回る被害を惹起した明治公園事件の実行犯でありながら、その刑は、なぜか被告人を下回っているのである。   しかもKには、明治公園事件のほか、米子の松江相互銀行に対する被害金約600万円の強盗事件(いわゆるM作戦)も併合されているのであり、この事件も量刑上大きなウエイトを占めると解されること、第1審判決によると、Kは、「目的達成の為には現行法秩序を無視する態度をとり続けている」と認定され、事件を犯したことに対する反省や後悔の念は全く認定されておらず、これが認定されている被告人に比べるとその情状は極めて悪いはずである。   そうすると、被告人に対する量刑は、本来、Kに対する量刑を下回るものでなければならないはずであり、これを上回る懲役20年の刑を言い渡した原判決は不当である。 C Iに対する量刑との比較   同事件に関して、Jに次ぐ地位を有し、Kに対して、現場で指揮を行っていたのが、Iであるが、同人に対しては、懲役20年の刑、即ち被告人と同じ量刑が言い渡され、その判決は確定している。   ところで、かかる結果は、被告人と青砥の個別情状を比較してみる時、到底納得のしかねるものであり、被告人に対する量刑不当を端的に物語るものである。   なぜなら、Iに関しては、明治公園爆破事件のほかに7名に対する殺人事件、8名に対する死体遺棄事件が併合審理されていたのであり、この殺人等事件は、尊い人命を奪ったという点において、本来、明治公園事件以上に、量刑上、評価されねばならないはずである。   にもかかわらず、こうした殺人事件など勿論1件も関与していない被告人が、なにゆえ、Iと同じ量刑に甘んじなければならないのか、弁護人は全く理解することができない。   確かに、Iには、赤軍派においても、連合赤軍においても、中央委員等の幹部に属していたものではなく、「兵士」のクラスにあり、中央委員の指示によって犯行を行っていたものであって、従属的な立場にあったこと、公判ですべての事実関係を供述したこと、その革命理論自体は現在も信奉しつつも各犯行自体は誤まりであって清算すべきものと認めていたことといった諸事情がある。   しかしながら、犯行に際しての従属性、公判での供述、自己の行為に対する自己批判といった点であれば、すべて被告人にも当てはまる事情なのであるから、こうした事情が、両者に差異を見出すべき事情とは到底言い得ないはずである。   要するに、被告人に対する量刑とIに対する量刑は余りにもバランスを失するものであり、被告人の量刑不当を物語っている。   被告人に対する量刑は、Iに対する量刑を下回るものでなければならないはずである事は当然であり、懲役20年の刑を言い渡した原判決は明らかに不当である。 (2) 連続交番等爆破事件 1) 事案の概要   本件は、特定の党派に所属することのないいわゆる黒ヘルグループによって、敢行された事案であり、「連続爆破事案」という意味では大地の牙事件と類似した面をもつといえる。   うち、M、N、Lに共通する罪となるべき事実は、各人の確定判決によれば次のとおりである(控訴審において立証予定)。 「第1 M、N、L、Iは外数名と共謀の上、赤軍派が黄河作戦で警察官殺傷のために使用する爆弾であることを知りながら、治安を妨げ、かつ人の身体財産を害する目的をもって、昭和46年9月10日頃、東京都大田区矢口のZ方において、鉄パイプ爆弾2個(鉄パイプ2本にダイナマイト、釘片を充填、起爆装置として導火線、雷管等を装着)を作り、もって爆発物を製造し、  第2  1 M、N、Lは共謀の上、治安を妨げ、かつ人の身体財産を害する目的をもって、同月16日、同区西蒲田のみゆき荘、S方において、Lが中心となり、鉄パイプ爆弾1個(鉄パイプ1本にダイナマイトを充填し、起爆装置として電気雷管を装着した時限装置付きのもの)を作り、もって爆発物を製造し、  2 M、N、L、Pは外1名と共謀の上、治安を妨げ、かつ人の身体財産を害する目的をもって、前記1製造にかかる 爆弾を高円寺駅前派出所に仕掛けようと企て、同月17日、N、L、Pにおいて、同派出所に赴き、L、Pが見張りをするなか、Nがこれを設置し、翌18日に同所に置いてこれを爆発させ、  第3 M、Nは外3三井と共謀の上、今後の爆弾闘争のためにダイナマイトを入手しようと企て、  1 同年10月上旬頃、秋田市の株式会社三田商店秋田支店火薬庫において3号桐ダイナマイト225本を窃取し、  2 治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的をもって、上記窃取の日から、その翌日までの間、同市R方において、窃取にかかるダイナマイト225本を隠匿し、もって爆発物を所持し、  第4  1 M、N、Lは外2名と共謀の上、同月21日の国際反戦デー闘争に呼号し、都内の警察施設4箇所に爆発物を仕掛ける為の爆弾を製造しようと企て、都内の警察施設合計4箇所を爆破する為の爆弾を製造しようと企て、治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的をもって、同月23日、5名がS方に集まり、N及びLが中心となって、爆弾4個を製造し、  2 M、N、Sは共謀の上、前記1製造の爆弾を、警視庁本富士警察署弥生町派出所、同中野警察署に仕掛けて爆発させようと企て、同日午後7時頃、治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的をもって、N、Sにおいて、弥生町派出所に仕掛けて、翌24日午前2時頃これを爆発させ、23日午後8時頃、上記両名において、中野警察署に仕掛けて翌24日午前2時頃これを爆発させ、もって、爆発物を使用し、  3 M、L、Rは共謀の上、前記1製造の爆弾を、警視庁荻窪警察署に仕掛けて爆発させようと企て、同23日午10時頃、治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的をもって、L、Rにおいて、荻窪署に仕掛けて、もって、爆発物を使用し、  4 M、P、Qは共謀の上、前記1製造の爆弾を、警視庁中野警察署中野駅前派出所に仕掛けて爆発させようと企て、同日午後9時30分頃、治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的 をもって、P、Qにおいて、中野派出所に仕掛けて、もって、爆発物を使用し、  第5 M、N、外4名は共謀の上、同年11月19日に予定されていた沖縄闘争に呼号し、仙台市国見所在の米軍通信施設を爆破しようと企て、治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的をもって、同月21日午後10時頃、N外2名において、前記通信施設に爆弾を仕掛け、翌22日早朝にこれを爆発させ、もって、爆発物を使用し、  第6  1 M、N、L、Oは共謀の上、クリスマス・イブの夕方に、警視庁四谷警察署追分派出所に爆弾を仕掛けようと企て、 治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的をもって、N、Lが中心となって、クリスマスツリーに偽装した爆弾1個(鉄製ニップルにダイナマイトを充填し、その周辺をダイナマイトで包んだものを植木鉢に入れるたうえ、その間際にアンホ、黒色火薬を敷き詰めるなどし、もって爆発物を製造し、  2 M、N、L、Oは共謀の上、前記1の製造にかかる爆弾を、治安を妨げ、かつ人の身体を害する目的をもって、M、L、Oにおいて現地へ赴き、M、Oが見張りをする中、Lにおいてこれを派出所に仕掛け、同日午後7時10分頃、これを爆発させ、もって、爆発物を使用し、右爆発により、Z外6名に対し、加療6年6ヶ月以上ないし8日間を要する傷害を負わせたが、同人らを殺害するには至らなかった  というものである。   なお、本件事件に関する主要3名の被告に対する判決言い渡しの状況は、別紙「黒ヘル関連被告判決状況一覧表」のとおりである。 2) 連続交番等爆破事件の犯情は、大地の牙事件よりも悪質であること @ 被害結果の比較   前記のとおり、大地の牙事件は、合計で7件の爆破事件を引き起こしたものであるが、上記黒ヘルグループは、合計で5件(不発のものが2件)の爆破事件を発生させた。   さらに、被害者の数を見ると、大地の牙事件においては合計20名、連続交番等爆破事件においては、合計6名となり、かかる点のみで比較すれば、大地の牙事件の方がより被害深刻ということになりそうであるが、問題は、前記追分所爆破事件において、黒ヘルグループは、極めて深刻な重症負傷者を発生させており、この点は、極めて特筆すべきところであって、これを看過することは許されないということである。   即ち、同事件において、当時、巡査長であったZは、加療6年6月以上を要する右眼失明、左大腿切断、右下腿複雑骨折という極めて深刻な重傷を負っており、事実上、生涯を通じての入通院生活を強いられることとなった。よって、その被害感情も極めて峻烈であり、同人は、「犯人にもこの苦しみを味あわせてやりたい」と供述のうえ、その量刑意見として、犯人を「ぜひ死刑にしてください」とまで述べているのである(控訴審において立証予定)。   これに対し、大地の牙事件においては、Zのような重傷者は出ていないし、犯人に死刑を望む者も勿論いない。   そこで、ここでも、両者の被害の状況を分かりやすく対比する為には、両事件につき、全負傷者の加療日数をすべて合算し、延べの値を比較してみることにする。その結果は、別紙「3事件被害状況一覧表」のとおりであり、その結果、連続交番等爆破事件の延べ加療日数は、合計2638日、大地の牙事件は合計2127日となるので、かかる視点によれば、連続交番等爆破事件の被害結果は、大地の牙事件のそれを上回るということになる。   よって、上記の被害結果のみを捉えると、連続交番等爆破事件の犯情は、大地の牙事件よりも悪質というべきである。 A 犯行態様の比較   さらに、連続交番等爆破事件と大地の牙事件とでは、その犯行態様にも相違がある。   即ち、連続交番等園爆破事件にて使用された爆弾は、いずれも、ダイナマイトを基本としており、ダイナマイトは、塩素酸塩系混合爆薬よりも、猛度が大きいことは前記のとおりである。   また、連続交番等爆破事件の一部の爆弾においては、爆弾に釘片が充填されているところ、これは、前述のとおり、人の殺害ないし傷害を狙った爆弾事案特有の手口である。   これに対し、被告人の関連した爆破事件において用いられた爆弾は、いずれも組成は不明ではあれ、ダイナマイトよりも猛度の落ちる塩素酸塩系混合爆薬であり、しかも、人の殺傷を目的としないがゆえに、爆弾内に釘等の充填を行っていない。   このように、犯行態様の比較においても、連続交番等爆破事件は、被告人の関与した事件よりも犯情が悪いというべきである。   以上のとおりであるから、被告人に対する量刑は、基本的に、連続交番等爆破事件の関係者の量刑を下回るものでなければならないはずである。   よって、以下に、個別情状の比較をも踏まえ、被告人に対する量刑が連続交番等事件の関係者に比して不当であることを論証する。 B Mに対する量刑との比較   Mに対しては、無期懲役の刑が言い渡され、これが確定したが、同人は、黒ヘルグループのリーダーとして、本件全体を統率していたのであり、爆弾闘争の方針確立や使用の時期、方法の決定に関し、主導権を有していた者である。   そうすると、比較対照が齋藤であればともかく、被告人とはその役割、位置付けが全く異なるのであるから、被告人との量刑を比較するに適切な対象とは言えない。 C N、Lに対する量刑との比較   上記両名に対しては、懲役20年の刑が言い渡され、いずれも判決が確定している。   そして、上記両名は、各爆破事件において、Mの指導下にあった者ではあるが、それぞれ、実行部隊の中心となり、爆発物の製造については、一手に引き受けてこれを担い、爆発物の運搬や仕掛の段階においても、それぞれ中心となってこれに当たった者である。   特に、爆弾製造面に関しては、上記両名の理論なり知識なりが、Mのそれを上回っており、上記両名の存在なしには、一連の交番等爆破事件の遂行は、到底達成不可能なものであったというべきである。   要するに、上記両名は、連続交番等爆破事件の遂行に関し、極めて重要な役割を担っていたという以上に不可欠の存在なのであった。   これに対し、被告人は、事実誤認の項にて詳論のとおり、爆弾の知識については齋藤よりも劣っており、爆弾製造に関しても、時限装置という部分については一部それを担ったものの、爆薬の調合という重要な部分についてはほとんどその役割を果たさず、爆発物の運搬や仕掛の面においても、中心的に担ったというものではなく、その一部を担ったに過ぎないのである。よって、被告人の存在は、犯行実現に向けての「存在の不可欠性」という観点から比較した場合、上記両名とは比べ物にならないくらいにその存在は軽いものである。   よって、被告人の量刑は上記両名を下回るべきものである。   (3) 小結   以上のとおり、明治公園爆破事件や連続交番等爆破事件といった類似事件との量刑を比較すれば、被告人に対して懲役20年に課することは極めて不当というべきである。   よって、原判決の量刑は取り消されるべきである。 4 算入されるべき未決勾留日数が少ないこと   原判決は、未決勾留日数中2000日を本刑に算入したのであるが、以下に見るとおり、その算入日数は著しく少なすぎて不当である。 (1) 本件起訴日から判決前日までの日数   本件において、被告人が最初に起訴された日は1975年6月10日であり、判決言渡の前日は、2002年7月3日であるから、その間の日数は全部で、9842日である。   但し、被告人はダッカ事件により、1977年10月1日に釈放され、その後1995年3月24日に収監される至るまでは、勾留を執行されていないから、その間の合計日数6381日を差し引くと、残は、3461日となる。 (2) 原審での実質公判回数   原審では、合計で111回の公判が実施されたが、それ以外にも実質的には公判期日と同視しうる東京拘置所での期日外尋問12回が存する。   よって、原審の実質公判回数は、合計で123回である。 (3) 算入されるべき未決勾留日数の計算   起訴後の勾留については、一般に、初公判まではおよそ30日を、その後は各公判期日間においてに各10日を控除するのが一般的な考え方である(原田國男「量刑判断の実際」57頁及びいわゆる「刑裁教官室見解」)。   そうすると、本件においては、算入されるべき未決勾留日数は次のとおりに計算されるべきである。    3461−30−(123−1)×10=2211   よって、本件で妥当な算入日数は、端数をあしきりしても、2200日と計算されるはずであり、原判決の算入日数は、これより約200日も少ないのであるから、取り消されるべきである。 5 原判決後の事情(被告人の謝罪の手紙)を当審において考慮すべきこと   原判決は、被告人が、本件被害に関し、何ら慰謝の措置を講じていないことを悪情状として指摘した。   被告人には、各被害を金銭で賠償するような資力はないため、金銭的な意味で慰謝の措置を講じることはもとより困難である。   そうすると、被告人にとって現実に可能な慰謝の措置というのは、被害者に対し、手紙等により謝罪の言葉を述べるしか考えられず、このことは、事件当時から検討されていた(現に大成建設事件の直後は真剣にそのことが検討されていた 6月12日付検面調書参照)。   にもかかわらず、統一公判の当時、被告人は、被害者に対する謝罪の意思を公判の場にて表明することは、権力への屈服を表明したことになると考えていた為、他の被告人らと同様に、公判で、被害者への謝罪意思を表明することはできないままでいた。   そして、ダッカ事件により、公判は分離し、他の被告人の多くは、最後まで被害者への謝罪を口にできないまま、判決が確定してしまった。   被告人は、再開公判の冒頭において、被害者への謝罪を述べたとはいえ、各被害者に対し、裁判の継続中に、直接、謝罪の手紙を出すことにははばかられる気持ちもあり、それをしないできていた。   しかし、2002年7月4日、被告人に対する一審判決が言い渡された後、被告人としてもこれを一応の区切りと見ることができたため、当時の弁護人とも相談の上、20人の被害者に、直接、謝罪の手紙を送付することにしたのである。   事件から約30年を経た今日、被害者の中には、住所が不明なものや既に死亡したものも存在しているようであり、被告人の発した手紙がすべて到達したという事実は確認できていない。   しかしながら、被告人が、謝罪の手紙を送付したこと自体、原判決後の情状事実と考えられる為、弁護人は当審において、これらの事情を立証し、貴庁の判断を仰ぐ予定である。 第6 結論   以上の次第であるから、被告人に対する懲役20年の判決は不当に重きに失するものであり、その量刑は不当であるから、この点においても、原判決は破棄されるべきである。   以  上