支援運ニュース No.164


例え身はとらわれていようとも、私達はゲリラです。

浴田由紀子

「3月21日、丸岡君は2歩あるいた」という報告を聞きました。生き返って、わずか5週間足らずで「タッチができる」というのは、なかなかの「成長ぶりだ、さすが丸岡同志!」と感心しています。支援してくれている皆といっしょに、タッチがアンヨに、アンヨがオシャベリに……そのうち理屈も言えるようになる彼の新しい「闘争人生」を共闘し続けたいとはりきっています。みんなありがとう…丸岡君ガンバレ!ガンバレ!

このごろ
「仮釈放は転向」という問題について、いろいろな人々からいろいろな意見もらっています。仮釈制度の中味や実態がわかっていない私には、まだ何も言えないのだけれど、寄せられた意見の中に「斎藤さんが貫いた非転向」と同列に論ずる傾向のものがあったので、今の私の考えをちょっとだけ言っておきたい。
 まず敵がかってに決めた不当な長期(短くても同じだが)刑を期間として全うすることが非転向で1日も早く外に出て自由な戦列に再結集して闘うことが転向だと言い切ってしまうのは、違うのではないかと思っています。獄中で出来る事は本当に限られています。要は、どういう立場で満期まで獄中に停まり、どういう立場で早く出る道を画策するのかという事であって満期か仮釈かは形でしかないと思うのです。(私は仮釈にちゅうちょしつつ、外に出て戦線の再結集・再編の要を担おうとしている石川さんの姿勢を支持します。)
 74−75年、私達は死傷させた人々への責任をとるために、日帝国家権力への非妥協を貫くために、闘いに参加する事それ事体が生命がけである東アジア人民と同じ地平で闘う…等々の理由でカプセルを用意しパクられる時は自死するのだと決めていました。そして「組織決定にもっとも真摯であり、革命と人民への献身と不屈の敵ガイ心を貫いて、斎藤同志は、その闘いを貫徹しました。貫徹しえなかった私達は、敵の前で自供しました。同志達に死刑判決をせまられて、「死ぬ事によっては償えない“死傷者への責任”」を自覚出来るようになりました。今私はあの時問われていた「(私の)非妥協」とは何であったのかと考えています。それは、被逮捕を「闘いの終わり」と「認める」事ではなく、我々の身柄がどういう状況におかれようとも、闘い続ける道をさぐりぬくこと、いついかなる場所からでも広範な戦線への合流を画策しつづけること、自らの闘いの場を自ら選択しぬく姿勢こそが非妥協なのではないでしょうか。その1つの手段として斎藤同志は奴らにたった1回の人定尋問も、被逮捕者としての写真撮影も許さなかった。彼が貫いた非妥協とは1舜たりとも敵のホリョとなることを拒否するという壮絶な非妥協です。彼の非妥協と何年間も敵のフトコロの中でメシを食わざるをえないホリョの非妥協・非転向をいっしょに論じないでほしいと思っています。
 敵のホリョにオトシコメラレタ獄中兵士のつらぬくべきは、あくまで自らの闘いの場を自ら選択するのだという断乎たる姿勢であり、敵がかってに決めた「ホリョ期間」をテッテイ的にコケにしぬく、無効たらしめることなのではないだけうか。(と思ってしまうのだかやっぱり感傷的で、まちがっているのだろうか、自らの転向に気付かない転向分子の言なのだろうか?)

浴田裁判は
 3月14日と27日の公判に、70年代から「赤軍捜査」を担当していたという加藤和雄が検事側証人として登場している。奴は95年3月、浴田が日本へ強制帰国された后でルーマニアへのり込み、ルーマニア当局と「情報交換を行った」というのであるが、ルーマニア当局との「情報交換」の中味が「権限を越えたものである」ことを私達は問題にしている。すでに奴は、「テロ対策隊の隊長室に酒を持ち込み、コンシン会のような形で情報交換を行った」というのであるが、「オッ!官々接待国際版だな、もちこんだのは酒だけじゃないんじゃないの」という思いを我々に与えないではおかない報告がされている。さらに奴は、証人尋問の中で、「国外退去」というべきところを「強制連行」と正直な奴の認識をバクロしてしまって弁護人に「注意」されたりしている……こうして日帝警察の本心を表現してくれているのだが、であるからこそいっそう、我々は、それを許すというわけにはゆかないのだ。
「支援連News」作成の3月27は再び加藤を調べる。その報告は次回に、そして、「ゆきQスケジュール通信」をごらん下さい。続く証人はペルーに出張したデカ平尾一己。

そして春!
 163号には、芳正君の長ーイ文章がのっていて、あいかわらずの元気がすっごくうれしかった。ところが利明君と将司君は、きっと間に合わなかったのだね。
 3・24がすぎて(彼らは9年前に確定した!私は1年前にパクられた!クソサタレ!)オーッシ、やッタロヤンケ、ウチラミンナ元気ヤ!といろいろな事を夢想しています。みんなして「またひとつ飛ぼうではないか」とおもっています。春だから。
P.S. 丸岡同志の病状経過は、「ザ・パス号外」にくわしくのっています。「まだ見てない」方は、「帰国者の裁判を考える会」にお問い合わせ下さい。そして、今后の医療体制支援をもお願いします。


YUKICO
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