支援運ニュース No.167

「反日思想」の総括を共に進めたい!

96.7.1.浴田由紀子


 5・30に吉村同志被拘束のニュースが入って以降、何故なのだ、という思いと、よし、どう国内公然戦線強化にしていこうかという思いに頭を占拠されちまっている。
難局は勝利の土台へ! 6月28日、奴らは、20余年間にわたって吉村同志を国際指名手配する口実にして来た「ハーグ斗争への関与」なるデッチ上げでの起訴をなしえないままにいったん彼女を釈放した。(直后にパスポート使用で再逮捕)
 20余年間の国際指名手配とは何だったのか?丸岡裁判、浴田裁判でも追求し続けている。未だに日本赤軍や北朝鮮にいる人々への根拠キハクな国際指名手配の不当性があらためて問われている。断乎たる反撃を!
 戦線の強化を!あらためて支援をお願いします。
浴田裁判は 6月12日に本人尋問を終了し、18日は弁護側証人申請への認否。
次回(7月19日)は、佐藤への出張命令(日航機内で浴田を逮捕せよ)を出した高松国雄を取り調べる。我々の側では、起訴状で「犯罪事実」とされている「94年9月25日、ユーゴスラビア国境からの入国」の証拠とされている“自筆の入国カード”の筆跡鑑定を要請している。ところが警視庁はそれを拒否した。同日入国事実と被告本人との関連を特定しえないのにデッチ上げ起訴した唯一の証拠であるところの入国カードを鑑定することによって明らかになるのは「デッチ上げの事実」以外ではないが故に奴らは鑑定出来ないのだ。この警視庁――検察のデタラメ“デッチ上げかくし”を許すわけにはいかない。
 パスポート裁判は、検察側立証が「不成立」のまま進行している。私達は今、デッチ上げのバクロと共に、日本警察の犯罪を法廷の場で明らかにし、裁かれるべきは彼ら自身である事を明らかにしていこうとしている。
知恵と力の結集を!秋には開始される東ア審理に向けて集中準備を進めます。
166号を読んで、私は「ごましお」で彼に「返論する」という宿題をまだはたせていないのだが、何か今回の利明君の文章を読んで、まず感じたのは、「ためにする批判」になってしまっているのではないか、そのために利明君はよけいな事や、言いすぎまで言ってしまっているのではないかという事です。
1つだけ今返論しておきたいと思うのは。7P上段にある「……『反日(武斗)思想』や、それに類する思想に、つくづくいや気がさしたということなのです。」云々のところです。
 私達は今、「腹々時計」とその後の実践によって私達自身が提起した「反日思想」の誤りと不十分性を克服しなければなりません。腹々時計を提起し、それにそった展開をすることによって日本における革命運動に良くも悪くも影響を与え、多くの予期しない死傷者をも出してしまった我々の責任は「いやけがさした」と言いうるものではないと思います。問われているのは、「あれはまちがい」と言って否定だけしてしまうのではなく、何故まちがってしまったのか、どう克服していけばいいのかです。「いやげがさした」と清算してしまえる立場に我々はありません。
 利明君は、「被抑圧者=被害者の高みに自分をのりうつらせて〜」と「反日(武斗)思想」を批判しています。同じ批判を多くの人々から聞いたように思います。たしかに私達は自らの内にある日帝本国人としての抑圧民族性を克服しようとして、あの時武器を手にしました。我々の敗北した斗争の結果から見た時(多くの市民を死傷させてしまったという)我々の在り様は、“被抑圧者の高みに立って……日本人を裁き……」というのは私達の客観的な姿だったかと思います。「オマエは何者なのだ」と言われたらちょっと言葉を失います。しかしそれは、当時の私達がどう絶対的多数の普通の日本人と共に斗うのか、どう被抑圧者←→抑圧者という関係を克服し合っていくのか、というモサクと斗いを十分になしえていなかったからだと思います。
 目の前で兄弟を殺されたヴェトナムの少年の映像に、「ボウヤ、お兄ちゃんがしかえしをしてあげる」ち斗いに立ち上がった利明君が「彼らの高み」に自分をのり移らせていたと私は思いません。
 反日思想の真髄は、「武斗を是とする」ことにあったのではなく、「日帝本国人としての責任をどうはたすか」という事にあったのだと私は思っています。その手段として私達は武器を使いました。武器によって物や人を破壊する事に私達の目的があったのではありません。あの短い時間の中で(私の場合三菱斗争の後でということですが)当面の我々の役割は「海外侵略企業」による再侵略ろ搾取の流れを阻止する……阻止しうる流れを作る事にありました。そしてそれは、大きな流れの中で、日帝本国人としての我々皆が抑圧民族として在り続けるのではなく、被抑圧者であり被害者である人々と共に生きるための端緒。反日思想の実践もまた、日帝本国人としての責任をはたすことの一環でしかなかったのではないかと思っています。そしてそれは、当時の利明君も同じだったと私は思いこんでいます。
 私達はまちがっていました。それを克服しようとするとき、破れたセーターをぬぎすてるように、ポイとすて去ってしまうのではなく、私達の目指そうとしたものの側から、否定的側面と肯定的側面を共にとらえて、もう1度目的に向かって問い直したいと思うのです。作業を続けます、共に!
 このごろ、けっこうホーッとしている時間が多い、塀の中で頭(脳)を使わない傾向がつよくなってんでないの?と思う。やりたい事(もちろんここにいながらにしてやれるはずのこと)がいっぱいありすぎて、結局、そのために体を動かせない事を無言の口実にして、ホーッ、でごまかしている。やんなくっちゃだ!
暑い夏になりそう。内も外も体に気をつけて元気に斗いを進めよう!


YUKICO
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