支援運ニュース No.183

浴田由紀子さんの便り

吉村公判に出廷! はげまされてしまった!

                                浴田由紀子

 庭の紅葉を楽しんでいます。ずい分寒くなって来ました。みんなお元気ですか。
 私は去る29日、吉村同志公判に証人出廷しました。キャッホー、よっちゃんに会えたの
だ!! 丸岡公判の総括を生かして、今回は再会のワクワクは極力おさえて、臨んだ(?)のです。トコロガ……伏兵は別のところにもいて……。彼女の顔を見たとたん、(私達は傍聴人が入ってくる前に法廷で見合うことが出来たのです)何やら首から上の圧力がグーン上がって…目からぬくい水があふれ出て……・せつかくの同志の顔がよく見えないじゃあないか、クソッ! よっちゃんは少しは大きく(太って)いるかと期待したのにたいしたことはなくって、いつもの調子で、赤い目をして、いくらか白くなった顔で、ちっちゃい目立で、やさしく笑って、「ガンバッテ」と言ってくれた! 今回の証人は、いわゆる情状証人みたいなもんだから、しっかりはげますつもりで出かけたのに、20年来の関係というのは、そう一朝一夕に変えられるのもではないらしく、しっかりはげまされて帰って来ました。
 彼女の公判と私の公判は、同じ検事が担当しているのです。検事の尋問になった時、いつもの調子のネチッコイ質問してきたので(「最後に息子と会った時、吉村さんもいっしょでしたか」とか「吉村さんはペルーから報告をしてきましたか」とか)そんなことをいつまでも覚えているか!? ソーヤ、私より記憶力はたしかな強い味方がいるではないか!! というわけでクルリとふりかえって「どうだったっけ?」彼女は「さあ?」という顔をしているので……ワカラン「そのようなことはなかったように思います」。(これってほうていではインチキかもしれないけれど)検事をコケにしたい我らが赤軍女性中隊としては第一歩じゃ! 「もうすこしゆっくり2人で記憶をつき合わせる時間をくれたらもちっと正確に答えられるかもしれません。」という不謹慎な気分をグッとおさえて……40分弱の「証言」は終わった。傍聴席のすぐ前にすわっていた時「タッチングパワー」が飛んできたり………あせりすぎて証言内容は今ひとつ言いたいことを言いきれなかったけど、良かった!うれしかった!
 それにしても、丸岡証人を却下した裁判官にはあらためて腹が立つ、却下理由を「本件との関係が少ない」とか言ったらしいが、少ないか否か、とうして証人に聞く前にわかるのだ? 何をどう立証しようとしているのか、被告弁護団の「自由」であるはずではないのか。とことん「証人」規制にはこだわりたいと思うのだ。

―9.28の頃―
 当初私達は、経験の相互共有的な討議から開始しました。その中で今もはっきりと印象に残っているのは、三菱爆破闘争や赤軍派のM作戦に対する泉水・仁平両同志の「一般刑事犯のやってる事とどこが違うのか、革命とか下層人民の解放とか言いながら、やってる事はそこからの強盗やたたきと何もかわらないじゃないか」という感想です。ことに三菱の声明文が何故ああいう内容にしてしまったのかを説明していた時、「たまんねえ」「なさけねえ」とため息をついて泉水同志が席を立った時の事です。私達は彼らといっしょに奪還されて「革命をやりに来たんじゃあねえ。ハイジャックは大反対だ。オレは人質を釈放させるために来たのだ」という泉水同志を交えて話していく中で、彼らがいてくれたからこそ客観的に冷静に自分達の闘争の姿を「つもり」をはなれて正視しうるという過程がありました。彼らの率直な目には私達の思いとつもりと行為の1つ1つがごうまんな思い上がりとして映っていることを実感しました。
 ある時、泉水同志と二人で選択当番をやりながらいろいろ話していた時、彼は、同志達の東ア反日思想への批判(ことに日本人民・敵規定)を受け入れようとしない私に対して「ゆきさんな、あんた達がいっしょうけんめい下層の人々のためにと思って自分を犠牲にしてやって来たことは良くわかる。だけどそれが本当に人のためになったのかどうか、よく見てくれと言っているのだ。あなた達のつもりだけじゃあ世界は変わらんと言っているのだ」みたいな事をいってくれたりしました。
 私達は客観的に見えてくる東ア反日武装闘争の姿・害毒の前でなお「動機の正当性」「つもりの正しさ」にこだわり、「主体化の不十分」という総括の立場をゆずろうとはしませんでした。東ア反日思想に私達が否定的なことを今ここで言うわけにはゆかない。という思いも強くありました。
 しかしその一方で、討議の中で「反日思想」とはどういう思想かと問われたり、具体的な問題に対するとらえ方とか……あや子同志と私との間にはっきりと違いがあることも見えて来ました。出来るだけ2人で「意志一致」をして「腹腹時計」に立ち返って…皆に話そうとするのですが、2人の間の「腹腹時計」の理解も、革命に参加する契機も、そしてどういう未来を作ろうとしていたのかも、ちがっていることを認めざるをえなくなりました。たのみのつなは、のりおくんの「反日思想の正しい主体化」だけです。
 日本赤軍の同志達との本格的な総括討議を開始すると、私自身最も問われたのは「革命の主体は誰なのか」という事です。
 76年に冒頭意見陳述を作成する過程で私は、中国革命の歴史・抗日闘争史の側から、東ア反日武装闘争の根拠と正義性を述べようとしました。しかし中国革命に関わる本を読めば読むほど(おそらく私の人生で一番集中的に学習した)日帝本国内において行われる闘いは“身体を張って自らの反革命におとしまえをつける”こと。日帝本国人は革命主体たりえないと規定してしまうこと、にはなっていかないという自己矛盾におちいっていきました。中国革命の基本は、国共合作につらぬかれた統一戦線の形成であり、徹底した人民服務と、人は必ず変わるという確信に基づいた、人民が革命の主人公という立場を党が貫くてっていした人民工作でした。しかし当時の私は、中国における抗日武装闘争史からは「反日思想」ということにならないのではないか。東アの敗北(主要に自供)の根拠もそれに関連してあったのではないかととらえ返す、あるいは同志や救援の中間達に問う勇気を持ってはいませんでした。私自身の主体化が弱いからだ、私達の思想に誤りがあるはずはない(あってはならない)と考えていました。

☆76年私は、中国抗日闘争史をヘースに冒陳を書く事が出来ませんでした。(皆で分担したのにです。)今でもそのことを同志や救援の仲間達に対してとても申し訳なく思っています。「わからなくなった」自分を率直にみんなに言えなかった自分がはずかしいです。いつかもう一度あの作業をやり直して、同志達との「約束」をはたしたいと考えています。

 日本赤軍の同志達との討議は、パレスチナ革命の経験だけでなく、世界の様々な革命や革命組織の教訓を学習しながら、あらためて、革命の主体は誰なのか、どういう革命をどう担うことによって、どういう社会を作ろうとしているのか……どう勝つのか、の展望をアイマイなままに現状を固定的に考えて、「今、自分が、何をするのか」としてしか「革命」を考えていなかった私(達)の姿に気付かせてくれるものでした。
 合流した同志達の「敗北の責任を共有し、共に克服する中から、勝利の隊任を築きましょう!」という歓迎の言葉と、自己批判の立場に立った相互批判に支えられて少しずつ「聞く耳」も大きくなってきました。(当時主要に総括を共同したのは、主体規定の他に自供の根拠、カプセル、K問題、等です。K問題は私達の人間感観、同志観を根本から問われる問題としてありました。)(つづく)

☆浴田裁判は
 次回公判(11/27)から裁判長が交替することになりました。来年のシビアーな攻防にむけて、さてどんな反動裁判官が来ても耐えられるように体制を固めておかなければなりません。
・吉村公判は年内判決になりそうです。さらなる闘いを共に! ガンバロー!

☆東拘の「領置規制」5日に領置物の現有量というのをコンピュータでうち出した表にしてもって来ました。(他の人にも…)それによると私は衣類6箱、その他12箱、計18箱だそうです。「来年4月1日までにこのうちの規定超過分(18-2.5=15.5)を4分の3(11.6)にへらせ。」というのが「指導」の中身です。順次へらして3年後には基準保管量にさせるというものですが……。
 現実問題として在監者に公判での防禦権行使を保障しうるものではありません。撤回を求めてゆきたいと考えています。ちなみに私に対しては「領置規制とは関係ない」と言いつつ「領置量と関連して」房内での所持訴訟資料やパンフ類、公判資料への制限、規制がくり返されています。
 カイドライン、挑発的な既成事実作りが進められていますが同じ誤りをくり返さないために、問われているのは私達自身なのだと思います。豊かな闘いの季節を! 共に! お元気で!
1997/11/6


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