支援運ニュース No.184

「内遊外歓」はほどほどに


浴田由紀子


 今年も残り少なくなって来ました。皆様お元気ですか。「ウーン、今年もいろいろな事がありすぎたよなあ」と思いながらこれを書いています。
 昔、和君達とテック斗争やってた頃、しばらく会議に出て来なかった仲間A君がその言わけに「イャー、いろいろナイユウガイカンありまして」といったのですね。どういう意味かわかんない私は近くにいたB君に聞いたのです。「ナニ?陳平ちゃん知らないの?」と言いながら彼が用紙にマジックの大きな字で書いてくれたのは「内遊外歓」。「よかったじゃないですか!」と私。みんながドーッと笑って‥‥和君が「“A君の場合は”ですよ」???‥ 后日自分で辞書を見てようやく納得?はてA君は「内憂‥」だったのか、「外患‥」だったのか?
 今年もいろいろありました。みんなの場合どうでした? ま、私達の場合何があっても1つずつ斗志にしていくしかないのだから同じか?!

 浴田裁判は、今年中に間組本社ビルの検事立証を終われるかどうかというところです。来年に入ると間組大宮、オリエンタルメタル・韓産研と続きます。そしていよいよ、デカ・検事をしらべて‥初夏には将司・利明両同志の証人出廷へ‥‥と続くわけですが、2人の出廷尋問を公開で行うべく、今から知恵と力と協力を求めています・(ゆきQの中間達はすでに行動開始です。)
予想されるのは東拘の妨害と裁判所が東拘の言いなりになってとまうというナサケナイ事態です。裁判所は、東拘の言いなりになる事なく、司法の独立、憲法に保障された公開の裁判を厳守してほしいと思います。斗いは、いかに東拘にその分をわきまえさせるのか、というものになっていくでしょう。広く様々な分野の人々と共同で、司法の公平さと独立・人権を守る斗いとして進めてゆきます。ご支援を!

 東拘が、いかに分をわきまえていないかという最近の例として、このところの領置物規制と一体的に進められている房内所持資料の制限があります。これまで訴訟資料(公判記録や調書のコピーを含む)については房内所持に制限はありませんでした。ところが、10/1の領置規制に前后し並行して「房内に2mまで」という規制を開始しました。同時に領置品も2.5箱に規制され「訴訟資料も含む」というのですから、訴訟資料の所持、活用そのものが制限され始めた、ということです。これでは何のための拘置所なのか‥‥元来推定無罪の法的地位にある未決被告人の勾留の目的は「懲罰」のためではなく、「円滑な公判」を担保するためです。なのに今、そのために必要な資料の活用、弁護人の活動・防禦権の行使を妨害するとしたら‥‥‥拘置所は、円滑な裁判の障害物ではあっても担保するものたりえないということが明確になります。
(犯罪をへらす方策はいっさい考えないで、「狭い」だの「オバーワーク」だのいう間があったら‥円滑で公平な裁判を保障するためには、裁判所はドンドン保釈にしていけばいいのです。本末転倒です。)第1の目的(公判の保障)をはたしえない拘置所はもはや不用だ!ということになりませんか、分をわきまえず刑の先取り執行機関であるかのように自己の役割を誤認している姿がここにはあります。裁判所(司法)は完全に「ナメラレテイル」と言えるでしょう。行政の行きすぎ「行政支配」の犯罪は大蔵省や厚生省だけではないのです。房内所持(訴訟資料)2m規制は、ことに再審請求・上告審・控訴・冤罪・大きな事件etcより慎重な裁判によるギリギリの人権がシビアに問われる者に斗いの放棄を強いるものです。
 公開の公平な裁判の実現と共に、行政の行きすぎ、不当な裁判・防禦権侵害をゆるさない斗いに協力をお願いします。

――9.28の頃――

 (前回、「つづく」と書いたのですが、こういう形で続けるのは少しむつかしくなって来ました。)
 合流した日本赤軍の同志達は当時、77年・5.30声明に提起された「自己批判―相互批判」を軸にした思想斗争(自己を変えて世界を変える)をやっていました。日常実践に現れる自分の思想欠陥を改造していくということで実践検証を「害毒は何か、どうすればよかったのか、何故できなかったのか、どう自己改造するのか」という形で克服していこうとしていました。こうした思想斗争の方式についてはのちに、観念的で実践的改造を十分に導きえない傾向があったことをとらえ返して5つの定式(客観的な事実は何か、その問題が何故起こったのか、目的達成の側からどうすべきだったのか、何故そうできなかったのか、つまりどうすべきだったのかを物質的・思想的・具体的に問う)へと止揚しています。私自身は当時、思想斗争ということが良く理解できませんでした。「やり方変えんと口で“××的”とか“○○主義”とか納得しても世界は変わらん」「頭ゴチャゴチャひねらんと、具体的に敵を倒す策をとる方が早い(あくまで単ゲバ!)」と反発していました。思想・立場が実践にどう現れるか‥‥その結果として自分達の誤りも敗北もあるということについて“自分の(個的な)不十分性”であってそれ自体が思想そのもの‥‥同じ誤りをくり返す可能性についてはなかなか理解出来ませんでした。その頃ある同志が“どうしたらいいのかわからない”私を援助するつもりで「浴田同志の克服すべき19項目の思想欠陥」という「檄文」をくれました。「ああ、革命をやりたいとか、革命の役に立ちたいとか、言えるタマじゃなかったんだな‥‥」と、‥‥いろいろあって。このドロヌマから立ち直れたのは「あなたが望もうと望むまいと、不十分だろうと十分だろうと、あなたの思いに関係なく、こうこうこういう斗いをやって来た。そのことによって人民と革命に何らかの影響を与えた浴田という客観的な・社会的な存在があるんだよ。その存在が求められる役割はあなたの気分なんかにいっさい関係ない。革命にとってあなたの能力やつもりなんてどうだっていいのよ」というツメターイ言葉でした。前向いて、やるっきゃあないのです。
 以后「党の役割」の学習を積み重ね、あるいは、アラブパレスチナの人々との共同、ことに82年、ベイルート包囲下での人々との共同の中で、1つずつ「人民と革命の要請に応えようとすること」以上の革命家の任務はないことを実感し、確信していく過程がありました。しかし、何年たっても、不断に‥変わってない「19項目の思想欠陥」(19だけか?と今は思っているが‥‥)にやられ続けていますが、ナニー、生涯斗争です。

☆新聞に「地雷廃止条約署名」に日本政府が“転向”した経過がのっていました。(中曽根をオルグした云々)ちょっと興味深く読みました。1つは固定観念にとらわれない運動の進め方をしているのではないかと思ったこと、あと1つは、世界の流れ(=「米帝の」ではなく)にのろうとする勢力というのはいるのだろうということです。どっちにしても廃止に署名したのはいいことです。しかし、「金貨のあるところでしかこけない」日本政府は、“おりこうの仮面の下でチャッカリと武器禁輸三原則の一部解除を公言しています。前例にしてなしくずしにさせない監視が問われています。ただではころばない根性を私達もものにしなくっちゃだ!ねえ!
 今年もいっぱいの支援ありがとう!
 来年は、いっぱいの勝利と成果をものにしましょう。
 共に! 同志達再会を! カゼひかないで!


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