支援運ニュース No.186

岐阜刑は東拘を信じていないのか?


'98.2.3  浴田由紀子


 お元気ですか。
 高い塀の下に、雪の島がいくつか残っています。房に入る日差しは、日ごとに短かくなっています。もう少しで春ですね。
 この国は何だか、政界も経済界も、行政もジッチャカメッチャカみたいなのに、そんなことには、いっさいおかまいなしに、「平和な」人々の生活があるように思えて、これは塀の中にいるせいなのだろうか、それとも、本当に人々はこの位の事ではバタバタしない位い「強く」なったのだろうかそれとも、もう何がおこっているのかもわからないくらいに「ニブーク」なったのだろうか……と毎日熊の様に歩きまわりながら、「ああ町の様子を見てみたい、デモをやりたい、集会に行きたい……。」と思っています。

☆シャコへのパンフ差し入れについて、シャコの方でも問い合わせをしてくれている様ですが、私も岐阜刑に問い合わせのハガキを出しています。まだ返事は来ていません。私は、96年の初め頃から数回にわたって岐阜刑の他の同志にも本やパンフや写真を送っていますが、一度も照会も、返品もされたことはありません。から当然、同志達に渡っているものと安心しきっていました。ところが今頃になって、渡されても、知らされてもいないとなるとビックリです。
 あの本やパンフや写真やは、いったいどこへ消えてしまったのでしょうか。渡せないなら送り返すのがスジですよね。東拘にいる確定死刑囚のIさんに家族の方が「○○さんからです」とメモを添えて衣類を送ったら「差し入れ不許可」で返送されたそうです。「出所が家族でない○○さんだからイカン」というのも不当な話です(こんなことを言い出したら、もらいものはイカンのだから家族はどうすればいいのでしょう)が、送り返すだけ岐阜よりはましなのかしらと思っています。岐阜方式では、ぬかれたって誰もわからない。ぬいたのかしら?金品じゃないのに!? 通常は照会というのをやるのだそうですが、そんなものは1回も来ていません。私は東拘の住所でだしているのでこれ以上に身元のたしかな者はありません。ここじゃ偽名使うなんて出来ないし、物も検閲済みです。それとも“東拘を信じていない”ということなのかしら?シャコは「ゆきちゃんが悪い奴」と思われているかみたいに書いているけどもし私の名前にびびったのだとしたら、それって推定無罪の未決被告人に対して、許されない差別ですよね。
 私は今、「渡せないなら送り返してほしい」と問い合わせています。他の人も送っているのに、シャコ達には知らせない、送り返してもいない………ものがいっぱいあるかもしれません。「領置調べ」をして「所有」になつているのか否か(東拘だと渡せない物も「差し入れ告知」はあります。でも将司君たちにはないですね。いっぱいぬかれているかもよ。)所有になっていればまとめて宅下げにする事は出来ないのでしょうか。どっちにしても今のままでは「ぬくのは自由」ですから刑務所としても職員の統制ができなくなるのじゃあないかと心配です。ひき続き追求していきます。領置規制もそうですが、いくら刑務所だからって在監者の財産をすきかってにするというのは許されていないですよね。シャコといっしょに取り組むってのも胸ドキドキだなあ。

☆浴田裁判ですが、2月から韓産研の審理に入ります。といっても事実調べが最終段階に入ったというわけじゃなくって、何故か間組大宮を後まわしにしたいという検事側の都合によるものです。大成も間本社も証人が見つからないとか(出したくないのもいる?)でまだ数人ずつ残っています。
 韓産研は75年4月19日(関西のオリエンタルメタルと同時爆破)で、その頃3部隊のほぼ全員が特捜部の尾行下にあったそうです。私達をパクッタ直後に調べデカは「オマエが韓産研に爆弾をしかけたのを見た」と言っていました。じゃあ何故爆弾を撤去しないで爆発するにまかせたのか、今でも不思議です。尾行のデカや特捜部は当時、どこかで爆弾が爆発するのを待っていたのかなと思います。そして韓産研では、まり子さんをのぞく全員を「共謀した」として起訴したのですが、彼らが何も知らなかった人を含めて「みんな共謀だ」っていうのなら、バクダンをしかけたのを見たのに放っておいた人は共謀じゃあないのかしらねえ。バクトリって「通告しなかった罪」ってありますよね。そんなこんなでこれから裁判も忙しくにぎやかになりそうです……思いは走る…というところかな。
 7月までの期日が決まりました。キッチリ月2回です。今度の裁判長は“律義な人”なのかもしれないなあ、と思っています。まあ人のいいなりになって本分を忘れたり放棄したりする人でない方がいいですよね。SAIKAIに向けて、いっぱいの知恵と力を与えて下さい。出来ることは全部したいです。

☆今日(3日)の新聞に「最前線」というAPの写真がのっています。強そうな中年の男達6〜7人が普段着のまま腰までドロ水につかってゴムボートをひいています。そして光るゴムボートのまん中に赤いポロシャツを着たフジモリが立っています。いつかどこかで似たような図を見たような気がしませんか?「豪雨の被災地を、救命ボートに乗って視察するペルーのフジモリ大統領」と説明があります。
 185号で将司君がMRTAの闘争1周年にふれて「彼らの示した意気は記憶に止めていきたいものです」と書いていたけど、こういう写真を見ると闘志をかきたててくれます。「最前線」と表題したAPの記者の思いをしっかりと受け止められます。この構図こそが今なお全世界の最前線です。

 寒さはあと少しです。元気に春に、そして今年はいつにもまして熱い燃える夏に備えましょう。
 共に!そして再見!        ゆき子


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