支援運ニュース No.188

桜は楽しめていますか?


'98.3.31  浴田由紀子


 お元気ですか。
 東拘の庭にようやく桜が咲いて春が来ました。将司君達もこの桜の花を見ることが出来ていますか。面会所への通路で、フェンスのすき間から、かすかに桜の枝が見えるので、将司君と同じ北新舎の人達には、「4月5日前後に面会に来てもらうといいですよ」とハガキを送りました。少しでも春を味わってほしいものです。

☆ 487号で将司君は、左翼の足のひっぱり合いについて、「目標が近いか遠いかの違いによるのではないかな。〜〜それが手の届く現実的なものではないだけに、実現までの方法論をめぐってぶつかり合いになってしまうのじゃないでしょうか。目標が低く、卑近な所にあるのならまずそれを手に入れようとするからケンカする必要もない。」と書いていましたね。私は左翼が分裂と対立をくり返して一向に敵に対決し切れないのは、目標の高低(遠近)にその根拠があるのではなく、彼らのいう目標を、何のために、誰のためにかかげているのか、それをどういう力で誰と実現するのか、敵は誰で、味方は誰なのか、目標と現実の差はどうあるのか、……そうした戦略戦術をつきつめて考えていないし、それが現実の自分達の姿、人民の姿、敵の姿に根ざしていないためではないかと考えています。何を打倒するのか、真の敵が見えていないからであり、何を創るのか真の目標が見えてないからだと思うのです。
 中国の国共合作は、日帝打倒、国土解放という「深遠な目標」のために元来敵である国民党軍を「内部の敵」と規定し統一戦線を形成し、闘いを勝利に導きました。敗戦後一貫して日本の支配階級も自らの利益の実現のために「昨日の敵は今日の友」という「共同」をくり返しています。私達にそれが出来ないのは、「本当に勝つ」ことにやはり観念的なためではないかと思うのです。味方が多いほど強いはずなのに、「かしこい自分達」だけで勝てる、という思い上がりもあるのでしょう。
 最近、永年この国の労働運動を第一線で担って来た人が手紙をくれました。その中に、『いかにして共産主義者たりうるか、を思弁的に明らかにすることはできません。労働者階級の現実の要求、大衆運動の利益と結びつき、その要求を現実に勝利させていこうとする中でしか、人は共産主義者になることはできないのです。「決意」だけで歴史を帰ることはできません。』とありました。(彼は「東アジアや日本赤軍の行動には批判的でした。支持することはできません。」とも書いています。)「そうだよな!」と私はいたく感動しています。勝つためには、現実の勝ちをつみ重ねること、卑近な目標から、遠大な目標への道程を常に意識しつづけること、(そうしないと社会党のようになってしまう。)人民、大衆と共にあること。

☆浴田裁判について
 「“超法規的釈放”を理由に控訴棄却や免訴等を主張するのは〜〜H・Jによる獄中者奪還という明白な犯罪行為を正当化し、開き直っているのと同様で〜〜本人にとってマイナスではありませんか」という疑問が寄せられましたので、以下私の考えです。みんなの意見も聞かせて下さい。
 彼の意見は「法律論以前に情状を悪くする」ことを心配してくれています。そういうことはあるかもしれませんが、私としては、その前にスジを通したいと考えています。
 「超法規でいったんチャラにしたではないか」という主張は「H・Jという“犯罪行為”を正当化するものなのかどうか?」そうは思いません。私達の主張は、「一国の最高決議機関である内閣・閣議が行った超法規的釈放と、その指揮下で行われた釈放の手続」は合法ではなかったのか。ならば今、どういう権限が、どういう法的根拠・手続によってチャラにしているのか。閣議決定とは、そんなに安易なものではないだろう。国が、国の責任において決めたことは、最後まで責任を全うすべきである、と言っているのです。
 「超法規は、超法規でつぶせばいい。」そのとおりです! しかし、超法規に超法規を重ねなければならない国とは何なのか、法とは何なのか、をついてゆけると考えているのです。
 超法規に、我々を釈放する決定は、「地球より重い人命を国が守るために」なされました。国がなしうる正しい判断だったと思います。そして私達は、「閣議の決定によって釈放する」と言われたのです。意志確認の席では、「君達の釈放に人質の生命がかかっている」という主旨のことを言われました。そして、今、とりあえずの「国の危機」は回避されたら、再び御都合主義的に、「閣議決定」をなかったことの様に身柄拘束して、報復裁判……。こんな事が許されるなら、国民の生活とか自由とか国のやりたい放題です。バンバン「超法規」でも「特別措置」でも出して都合が悪くなったり、当面の利益を解決できたら無責任にチャラにしちゃえばいい。戦争中に侵略支配したアジアの人々を「日本軍兵士」として動員して弾よけに使い、戦争が終わったら、戦死傷補償も何もせずに「あなた方は日本国民ではない」と言ってシカトうしてるのと同じやり方ではないかと思うのです。
 「被告人」は「超法規的釈放の決定」を施行された者です。それをひき出したH・J闘争の主体ではありません。H・J闘争の是非(私達は人民性の欠如した闘争であったことを自己批判的にとらえ返しています。)とは別の次元で、「超法規的釈放の効力」は問われなければならないと考えています。ちなみに私は、あの時点で釈放指名されて、釈放に応じた自分の判断がまちがっていたとは考えていません。当時私達は、日本赤軍に批判的でした。反発もありました。しかし、革命主体が、敵と正面対峙しつつ、出している要求に無条件に応じることは、同じ敵と闘う主体として当然かつ必要なことであったと今も思っています。批判は味方内部の問題として解決出来ることです。
 “超法規的釈放”を争点にしぬくために、知恵をいっぱいかして下さい。私は、この国の支配の本質問題にせまらないといけない、と責任を感じています。こうご協力!(批判も!)

☆進行中の浴田裁判
 あと数回(2ヵ月位)でいわゆる「事件で何が起こったのか」の検察側立証がひととおり終わるでしょう。(検察は都合の悪い証人を未だに「見つからない」と言ってさぼっている)そのあとに、家宅捜索全員分と言っています。敵は、前面展開するつもりのようなので、「よしゃ、受けたろヤンケ!」。まちがいなく第二次統一公判として展開できます。はりきらざるをえません。同時に資料が多岐にわたるため私の小さな目では種をみおとすのじゃないかと不安です。いっぱい介入して下さい。私は最近第一次統一公判記録を読んでいるのですが、同志達は検事の質問に、「関係ない!」「オマエに答えたくない!」「モクヒする」と実にブッキラボーに言い放っていて……同志達の顔と声が……統一公判のゲバルトに備えた緊張した風景が……思い出されて……同志達みんなに早く再会したいです。お元気ですか――。私は少し背がのびてたりしました。

☆昨年12月に起訴されて以降もずーっと警視庁仮監にブチ込まれていた西川同志は、3月末に東拘に移監になった様です。まだ接禁中だと思いますが、はげましの「心」を届けてあげて下さい。接禁中、どれだけ力づけられたかしれません。おねがいします。
 3・24がすぎて、彼らも、私もまたひとつ、新しい闘いの年次です。仲間達に支えられ、共に闘えていることに、いっぱいのありがとう。そして、勝利を共にしたいです。まずは当面の再会を!
 お元気で、みんな春を楽しんでください。             ゆき子


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