支援運ニュース No.191

「ピツカピカに復活」一歩前 ★6.25死刑執行に抗議する


'98.7.2 浴田由紀子


 お元気ですか。いつの間にか7月です。今年の春はバタバタしていて、「ナーンも春味わってないのに」という気分で、またムシブロの夏がやって来ました。
 将司君と同じ舎房(仮舎房)にいる仲間から「むし暑いッ! 風が全然通りません。ウーッ!!」という悲鳴が届きました。当然です。エアコンの必要な構造になっているのですから、そんなところにエアコンもつけずに人間を閉じこめる人々はいったい何を考えているのか? 仮舎房にぶち込まれているみんなして「人権救済」「人身保護の請求」を出した方がいいのじゃあないかと思っています。夏に弱い将司君がこれまで以上に暑さにやられてしまわないようにと願っています。
★芳正君のゼンソクももう治ったのだろうか。梅雨やおちつかないお天気が長かったので、ゼンソクにもしんどい春だったのじゃあないかと心配です。用心しいしい、しっかり回復してほしいものです。私の方は、6月8日に手術をしました。経過は順調です。が「ピッカピカに復活!」というのにはもう少し時間がかかるようです。17才の時に盲腸の手術(3泊4日)以来、ほとんど生涯で始めての病人になったわけですが、びびったー! まず全身にマスイ、これがひとつ。さらに「女区には病舎がない」これが2つめです。手術は1時間45分位で終わって(最後の頃はしっかりマスイはさめていて…… それでも口はマスクされているので……イデェー、グルシイー…… はりつけだから抵抗は出来ない……)。術後30分で女区の房(いつもの房にベットが入って点滴と導尿カテーテルが可能になっている。ナースコールボタンはない!)に戻されました。もちろん舎房に医師も看護婦も常駐しているわけじゃあありません。看守を呼ぶのは高さ1.8mの報知器です。何かあると病人は必死で看守を呼びます(私の場合マスイでのどがやられていて始めの晩は声もでなかった。)。空いている手を上げてハンカチふりつづけたら、ようやく看守が来てくれて、彼女が医務の看護婦を呼びます。夜中だと、病人に何がおこっていても看守はドアを開けられませんから病人を助けることは出来ません。オロオロしながら「まっててね、もうすこしだから、今よんだからね……」と窓の外から言えるだけです。
 巡回の看守をつかまえるのに10分、医務がくるのに15分or more。30分近く(orそれ以上?)病人は待機するわけです。意識のある者はこれでもまだましです。意識のない病人はどうすればいいのでしょうか……。これが東拘女区の医療事情です。
 脳の手術をした永田さんが術後3日目位(?)に女区に戻されて(病院から直接)どんな闘病を強いられたのか、彼女の苦しみの何分の一を今回経験したわけですが、ねながら、彼女の病気が治らないのは、120%東拘のせいでだと確信しました。女性である私達を男子懲役監の南3舎に何年間もブチ込むことが出来たのに、病人を、病舎の一部に入れることが出来ない東拘の「管理基準」とはこのようなものです。施設の不足のために生命をおびやかすことはやむをえないが管理支配という名の弾圧のために男区を女子に流用することは何でもない。
 手術の前一定期間「チョーバツをやれるかどうか」の診察というのを強制していたことは報告しました(途中から拒否した)。7月1日にようやく私は食事が「普通食」に戻り、「横臥許可」が解除になって「普通の生活をやってみる」ことになりましたら、その日の午後、ニコニコした女区長が「懲罰の執行」を言いに来ました(解説は不用ですね)。

★6.25死刑執行に抗議する。
 ついに法務省の死刑執行もここまでコソコソと人目を恐れて、チャンスをうかがいながらしか出来なくなってしまった。それにしても汚い! そんなにしてまで「人殺し」に専念しなければならない法務官僚とはいったいどんなくらしをしているのか? 裁判はしばしば一時の激情や行きがかりで誤って人を殺してしまった人、万事休して怒りにもえてあるいはアサハカな知恵で人を殺してしまった人に対して、たとえその人がどんなにオノレをとらえ返していても、「欲望の実現のために、殺意を持って……極悪非道な……再生不可能な……」犯罪者であると言って極刑を課して来ます。しかし、逃げもかくれも出来ない状態の死刑囚を人々の目をぬすんで、殺すために何ヶ月も何年もチャンスをうかがい続ける死刑執行の実施者達の長い月日の「人を殺そうという意志の固さ=殺意」と「計画性」は、そこらの「犯罪者」の比ではありません。こうした「仕事」(それでメシを食い出世の種にする)を担っている人々は、人間として「極悪非道で再生不可能な殺人犯人」の何倍も「極悪非道」なのではないかと思います。とくに昨年の執行のしかたと今年の執行は、「法があるから、それを遂行せざるをえない」という枠を越えて、「殺したい」という欲望ぬきにはなしえない「知恵」を使っています。下稲葉法相はさかんに「私だって苦しいのだが役務上やむをえなかった」みたいな言い訳けをしていますが、政治家であり人間であるのなら何故「本意でない」ことをあえてするのだろうか。この国はそれほどに自由で主体的な行為が許されない、法務大臣も法務官僚の「ドレイ」なのか?
 人間(少なくとも政治家)だったら、最低自分のやることに対しては、「こうこうこういう正義で」とキッパリと責任を持ってほしいし、不安ならやめるべきだ。ピンからキリまで……エラクなればなるほど人のせいにして責任はとらない(橋本君を見よ!)というのが流行なのかもしれないが、言い訳もできないような不正義は即やめてくれ!
 敵は何故にこんなにしてまで執行しなければならないのか、今や執行によって凶悪犯罪の抑止力になるとも、被害者の思いがいやされるとも誰も信じてはいない。この国の「国家の威信が保てる」わけでもない。民主主義と人権を尊重する「先進国」としてはマイナスだ。にもかかわらず執行に固執するのは、いかなる人々の利益の代弁者であり、いかなる目的によるのか?
 検察はチラ、チラと厚生省や大蔵省の不祥事をあばいてみせて、あたかも「人を非難摘発しうる自分達は、正義の体現者」みたいな顔をしているけど……何よりも情報公開と「改革」がおくれ、明治時代のやり方で(ex 監獄法 etc)旧態然と現行憲法の違反と骨ぬきを誰よりもやっているのは彼ら自身なのだ!
 改革と情報公開、そして旧憲法(大日本帝国思想)との決別が最も問われているのは……死刑執行に今も執着する法務省の人々なのではないのか? 「権力」であるが故にさらなる監視と人民の統制の中で、死刑制度廃止を実現せざるを得ない状況を作っていこう!

★「ロス疑惑」の三浦さんが「疑わしきを罰することはできない」という当然の判決で無罪になった。久しぶりにいいニュースだ。
 昨年不当逮捕された西川同志の公判が開始された。彼は則夫君といっしょにクアラ闘争(1975)で超法規的に釈放された。日本の検察は彼をダッカ闘争(1977)の実行犯として起訴し…「犯人A,B,C,D…」のどれなのかも特定はしていないらしい。「疑わしくなくてもとにかく起訴する」 というのが通用するとでも思っているのだろうか。そういえば、「マルくても赤ければ黒くなる」という「新(珍?)定理」の丸岡同志の上告審も今年中に判決のおそれがある。レバノンの同志たちは、刑が確定し日本警察(外務省)のロコツな身柄とり工作が展開されている。こちらは、彼らを送還→再逮捕させるか否かは、日本とアラブそして世界の人民による「人民連帯の強化」、レバノン政府への圧力にかかっている。
 ひきつづき注目と支援をおねがいします。

★190号 小倉さんの報告は「そうか、やっぱり」と思いながら読みました。何もしないでいることの責任(加担)を自覚して、出来る力を出し合いたいものです。同じ誤りをくり返すわけにはゆきません。 ともに!
                           ゆき子


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