支援運ニュース No.192

 ビール片手に話したい! ですね。将司同志


'98.8.3 浴田由紀子


 お元気ですか?
 中途半ぱな夏ですねえ、内閣がいいかげんでけじめがないとお天気までそうなってしまうのですね。獄中の仲間達は、暗い空とジメジメの中で、獄外の仲間達は、ビール飲みのタイミングをつかみきれずにストレスたまっているのじゃないかと心配です。なにものもうまく出来そうにないし、ゼーンブ、自民党がワルイ! 力を合わせてデングリ返しましょうね。敵は、カードも人材もない! さて味方は? 「統一する」という使ったことのない“とっておき”があるんじゃあないか。ガンバレ!

★浴田裁判は今、各同志の家宅捜索や逮捕に出張ったデカの証人尋問をやっています。内容が直接1人1人の同志達との関連になって来て、緊張しています。7月9日に出てきた荒井勝美というデカは、5・19の朝、将司くんかの逮捕を指揮して、あや子さんの逮捕を指揮して、その足で大友荘(2人のアパート)の捜索を担当したというとんでもない奴でした。こういう時、裁判の流れと全く無関係に、その時の2人の様々な様子を聞いてみたいと思ったり「コンチクショウ」といっぱつ泣かしたりたいと考えたりしてしまうのは、やっぱり不謹慎なのでしょうか? これからますます、キリキリの攻防、そして、SAIKAIへ突入です。注目して下さい。反撃(泣かす)の知恵があったらコッソリ教えてほしい。
 ☆「ヒューマニズムと民主主義」を宣言し、穏健路線に転換した人々に“日本赤軍”という組織名称は妥当か? と将司君は疑問を寄せていますね。ウーン。
 じっくりと、ビール片手に話したい! ですね。
 将司君は、「路線転換を残念に思う」とも書いていますが、日本赤軍のどいう路線からの転換を言っているのでしょうか。70年代の(あの時代の)バリバリの軍事至上主義の頃の「路線」を今も維持すべきだということなのでしょうか。私達は「民主主義の徹底」への“転換”を80年頃に行いました。(今新しいことではありません。)軍事至上主義的なそれまでの在り方をとらえ返し、真に日本の革命に責任を持とうとする時、何を実現しなければならないのかという問題として「民主主義の徹底」を日本と世界の共産主義運動の総括の中から導きました。  70年代から大きく変わった世界と日本の情勢、敵と味方の構成と構造の変化の中で、どのように社会主義・共産主義を実現(人々が対等に、共に、分かち合って平和に生きる事の出来る社会の実現)していくのかという時、革命と人々の必要と要求も、私達の役割も、変わって来たのではないでしょうか。私達はまさしくその歴史の流れの中で、一貫した、人々の解放の道を求めつづけています。
 70年代私達は、(東アジアもそうですが)「軍事が政治を制する」的な立場に立っていました。軍事至上主義です。しかし、軍事が人々の実状と要求からかけはなれ独走する時、それは人々を解放するものとしてではなく、逆に支配・抑圧するものへと転化してしまうことを経験と歴史の中で学びました。
 東アジアの時私は、自分(達)の役割は、日本の革命、あるいはアジアの解放にとってきわめて限定されたものだと考えていました。どこかに、「総体に責任を持ってくれる党」が出来て、私達はいずれ、その軍事部門に“昇格”する。あくまで自分達は本体ではない、というような考えです。そうして、軍事闘争を、“総体に責任をもちえないもの”“現実に生き闘っている人々の利益に敵対する可能性をはらむもの”にしてしまったと思っています。元来軍事組織であっても、政治組織であっても、革命と人民に対するその責任と役割は変わるものではないはずなのに、です。
 世界の勝利し、敗北した革命の経験は、物理的な力関係の変革や上からの「新体制」のおしつけによって、真に人々を「解放する」ことは出来ないということです。「人間が違う!」というアルジェに着いた時の感動は前に話しました。社会主義・共産主義社会の実現というのは、1人1人の人間の価値観が変わることであり、人と人との関係性を変えることなのだと思います。80年代末〜90年代初めのソ連東欧の崩壊の過程は、「社会主義」体制であろうと資本主義体制であろうと、人民の主権・民主主義の貫徹されないところでは、同じ様な官僚主義、搾取と支配・抑圧の構造が存在するということです。自らの社会を作る事への住民の主体的な参加・主権の確立と共生の徹底こそが、真に解放された、搾取も抑圧もない社会の確立の要だと考えています。
 “軍事”は革命の必要の一部でしかありません。日本赤軍の私達も、日本の革命に責任を持つ主体でありたいと考える様になった時、“一部”からの「転換」を問われました。それは、真に日本の革命を実現する道は、人民の自治と共生、民主主義の徹底を地道に実現していくことです。その地の住民の実情と要求に根ざした闘いを進めるということです。パレスチナやレバノンの様に「民主主義を実現するために」武装闘争が必要になる時と状況もあるはずです。そのような革命の方法を持つ者に、「軍」の名称は適切ではないのじゃあないか、という指摘はそのとおりです。私達はこだわりません。もっとも良く私達の路線・立場を表現しうる名称に変更することに、何のチュウチョもありません。(ただ、当世流行の政党再編ごっこや、分派分裂による党名の多産傾向とは一線を画したい。)今、私が「日本赤軍」と言っているのは、まあ、オマワリも聞いていることだし、どこの人なのか人々にわかりやすいだろうということが主な理由です。しかしそのために何を目指し、何をしているのか見えずらいとか、70年代の「日本赤軍」のイメージで実体が見えなくなっているとしたら考えなければなりませんね。もっとも「軍を名のる資格はない」ということだったら、それもそうですね。(ビール、オカワリ!)……敵も、私達も又、「名は体をあらわさない」ということになってしまわないようにしなければ……。
☆そんなわけで、今回もまた「竜頭蛇尾」になってしまいましたが……(こういうの何十年たっても上手に言えるようにならないなぁ)。また話しましょう。
 秋には会えます。みんなといっしょに会いましょう。顔を見たらきっと「ナーンも“転換”しとらんな!」とがっかりするかもしれません。
 敵の窮地それ自体が味方の勝機ではありません。じっくり、しっかり、勝機への転換を準備しましょう。死刑制度廃止も、人民の時代も、射程距離に入りつつあるように思います。豊かな秋へ! 再見!
                               ゆき子


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