「カオスとロゴス」より

獄中雑感(3)

李恢成『見果てぬ夢』を読む

浴田由紀子

 昨秋、勧められて李恢成『見果てぬ夢』(講談社)を手にした。圧倒的な
長編を一気に、そしてノートを取りながら3回読み返えした。3回目を読
み終えた直後、韓国の民衆は、金大中氏を次期大統領に選出した。この物
語が書かれた1976〜79年、そして物語の舞台となる71〜75年、あの日々い
らい金大中氏は韓国民衆にとって、そしてこの国と世界の人々にとって、
韓国民主化運動のシンボルの1人であった。韓国の民衆やなお獄中にある
民主活動家は、自らを拉致し殺そうとした、朴正煕時代の首相金鍾泌と手
を組んだ全大中氏の大統領当選をどのような思いで聞くのだろうか。
 74年8月15日、文世光戦士による朴正煕狙撃を、この物語の主人公ナムシ
ギやチエホは、韓国の獄中で知った。文世光と同じ在日朝鮮人であったナ
ムシギは過酷なテロを受けた。
 この文世光戦士が決起した同じ日に、海を越えて日本ては4人の青年達
が、天皇ヒロヒトを暗殺すべく進めていた計画を中断した。そのなかの一
人・大道寺将司同志は、死刑判決が下され現在も獄中にある。彼は、『明け
の星を見上げて』(れんが書房、1984年)で「互いにまったく知らないとき
に日本で天星ヒロヒトを、韓国で朴正煕を攻撃しようとしていたこと、そ
してぼくらは決行直前に中止し、文戦士は朴を倒すことはできなかったけ
れども、その意志を貫徹しぬいたこと――さらに文戦士がぼくとまったく
同世代の在日朝鮮人であったことなどに強いショックを受けたのです。ぼ
くらはそのニュースに接してソウルの獄中にぶち込まれた文戦士に一刻も
早く呼応する闘いをしよう。否しなくてはならないと決意しました」と振
り返っている。そうして、彼らは、2週間後の8月30日、ヒロヒト暗殺の
ために用意した2つの爆弾を三菱重工本社前に置いた、爆弾は彼らの予測
を上まわる大きな威力を発揮し、意図しない8名の死者と、数百名の負傷
者を生む。それから数カ月後に、私もまた彼らの隊列に参加した。彼らの
うち2人は、確定死刑囚とされて11年目の獄中に在り、私自身は、超法規
的釈放と海外活動ののちに、再びあの日々を問う裁判のために獄に囚われ
ている。
 当時、南朝鮮の地でくりひろげられる人々の闘いに、日本人として連帯
する者でありたいと思っていた私にとって、この物語は、出来事の一つひ
とつ、会話の一言ひとことが、当時の自分たち自身の在りようを思い起こ
し、比較し、あるいはうなづきうめきつつしかこの物語を読み進めること
ができなかった。同時代を生きた者の一人としての自己検証と共感をせま
るものであった。ナムシギやチニホは、今どうしているのだろうか。
 「土着の社会主義」を
 金太中氏当選の数日後、光州事件弾圧などで17年と無期の刑に問われて
いた元・前大統領は、特別恩釈によって釈放された。だが、全大中氏が選
挙中に公言した「良心の囚人達の釈放」については、今なお数名が釈放さ
れただけで500人の良心囚が獄中にある。20年の年月は韓国の大地と民衆の
中で何をどう育て失なわせてしまったのか。何かが変わり、変わらない何
かが今なお韓国の大地をおおっていることを、私たちは知らされる。チエ
ホやナムシギの目指した「土着の社会主義」がより深く、厚く、あの大地
と人々の中に育くまれていることを、そしていま韓国と朝鮮の民衆は、新
しい芽吹きの時を迎えたのだと信じたい。
 「土着の社会主義」――この物語は、朝鮮民族の解放と統一に向けた綱
領であり、規約である。「北であれ、南であれ我が祖国」「どこで生まれた
かが問題なのじゃあなく、誰であれその人間が南に流れている革命の法則
を生かしているかどうかが問題なのであって……」。この物語が76〜79年に
書かれたことにあらためて「先見性」を痛感する。朝鮮民衆の抑圧と被支
配・分断の歴史の中から、権威におもねることなく、その地に根ざす民衆
の歴史と教訓、実情と生活そのものの中から生み出されてくる革命の論理
と方法こそが、真に人々を解放しうるものであることを。「あれこれとプロ
グラムを考えておいてそいつを現実に適用しようとしても無理がある。情
勢の発展の中で大衆が参加して決めていくという基本的な態度が必要だよ
……。つまり大切なのは今問われている矛盾をどう解決するかってことだ
よ。民主主義が育たないところでは、社会主義を唱えたってダメだし、社
会主義は育たない」。あくまで人民主体の人民による革命を目指すものであ
ると説いている。
 80年代末にソ連・東欧社会主義の「崩壊」を経験した現在、〈土着の社
会主義〉の視点はあらためて、解放をめざす世界の人々の共通の総括教訓
として説得力を持つ。70年代末に私自身はこの物語をどう読みえたであろ
う?「何故南には革命勢力がないに等しいのでしょうか」と問われて老革
命家は、「私には答える資格がない。指が月を指しているのに月を見ずに指
の先を見ていた」と答える。それはまた、未だに勝ち得ていない私たち一
人ひとりの姿でもある。
 疑問に思うこと――人間的連帯の根拠について
 「革命とは論ずるところ、人を闘いとる行為なのだ」とチエホのいうこ
の長い物語の中で1ヶ所だけ、私にはどうしても納得のいかない場面があ
る。中央情報部検事の手配でキョンヒに再会させられたナムシギの態度で
ある。ナムシギの恋人であったキョンヒは、情報部の野獣によって陵辱さ
れ、自白させられた。長い沈黙の後で語り始めたキョンヒに、ナムシギは
いつか二人が交わした会話をくり返す。「お互いが信じられるならばどんな
に別れて暮らすのが孤独でもそれに負けることはないと言ったことがある」
と。キョンヒは答える――「いいえ、あなたは記憶違いをしているのです。
あなたはあのとき、どんなに孤独でもいつか会った時に誤解をとくことが
できると言ったのです」。
 ナムシギの態度は卑怯じゃあないか!、と私は思う。人間は負けること
はある、孤独の中で……。しかし、また、幾度負けようとも必ず立ち直る
ことができる。それが可能なのは、信頼――ゆるぐことのない「いつか必
ず「誤解を解くことができる」人への信頼があるからなのだ。何故ナムシ
ギは、「それでもあなたと共に在り続けたい」とひとこと言わなかったのだ。
あるがままのキョンヒを暖かく受け入れることができないのだ、と私は思
う。彼女を「負かした」敵と自分自身への怒りを彼女と共にしてほしかっ
た。そうしないことが、奴らに辱められて、革命を守りぬく「根拠」を見
失なってしまったキョンヒヘのやさしさだとでもいうのだろうか。突き放
すことによって、「自分自身の革命の根拠」を見出しうるとでも言うのか。
愛する者のあることは弱さであり、そしてまた強さでもありうる。そんな
在りようを理解し、包み込む余裕はこの苛酷な闘いの時代には許されない
とでも言うのであろうか。二重・三重に何かを踏みこえてしか革命に参加
しえない女たちの、その動機がどれだけ不十分であっても、たとえそれゆ
えに負けることがあっても、信頼し合い、支えられることによって、負け
ながらも鍛えられ成長してゆく、そんな女たちをナムシギに愛してほしく
て、何度も何度も自分の理解を疑がった。
 作者のやさしさは、後日、編み人不明の手あみのセーターに獄中のナム
シギを包む。弱さもやさしさも、悲しみも苦しみも……何もかも編み込ん
だぬくもりの中で、人は孤独や苦しみに耐えて生き闘い続けるのだと思う。
 そして、作者は老革命家にこう語らせる、「人間ってのは万事に長けてよ
ろずにできた者はおらんのだ。かならず人間には欠陥がある。革命家にし
ても同じ事で、人間として見れば人に言えんような恥ずかしいことも多い。
私に何ぼかでも増しなことがあるとすれば、その恥ずかしさをこの年にな
ってやっと悟ったということに過ぎん。こういう道理をどこかでわきまえ
て難儀な道に踏み込まんと途中で辛抱ができなくなってしまうのだ。……
考えてみると私はこれまで知り合った人間との因縁で生きているところが
あってな、この因縁を大切にしたいということだけなのかもしれん。これ
は同じ道を歩んでいてさきに死んだ人々との約束のようなもんだ……」。
 幾度も幾度も負け、幾度も幾度も多くの誤まりをくり返した私たちもま
た、それゆえにこそ出合った人々と、先に死んだ同志達との約束を果たす
道を「いつか誤解を解くことができる」と確信して歩いてゆこうと思う。
 20世紀の経験と歴史を踏まえた人類の〈社会主義の姿〉を、人民の自治
と共生を実現するための実践を共に進めたい。
                         (東京拘置所在監)
                  浴田由紀子『見果てぬ夢』を読む

 この読後感想文は「カオスとロゴス」という雑誌にのったものです。浴田さんの
要請により、掲載します。彼女はこの文章についての批判や感想を求めています。
彼女の連絡先は、東京都葛飾区小菅1−35−1−A 浴田由紀子 です。


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