支援運ニュース No.197

SAIKAIは今年も続きます。

1998.1.3  浴田由紀子


 新しい年です。再会実現の年でもあります。うれしいです。誰も失うことなく、生き闘い続けて再会できることをうれしく誇りに思います。この年月を支え、共に生き、闘い続けてくれた全ての人々にありがとう。
 196号のひぐらしざとだよりにHさんが書いていましたが、昨年もいろいろなことがありましたが、いろいろあってもへこたれない「いかなるときにもめげないのだけがわれわれのとりえ」なのだから、負けたり、負けたり、勝ったり、負けたりしながら、そのたびに少しずつ成長して、最後に勝つための力をたくわえていければいいのかな。
 私にとっても昨年は、SAIKAIの年でした。ことに後半は頭がSAIKAIになっていて―今はもう完全にSAIKAI色に染まっている―何も手につかなかったな。「いよいよ負けた」時は、予測していたことではあってもやっぱり、これでよかつたのか、何かもっとやれることがあったのじゃあないかectとおちこんで、いろんな人に心配をかけたりしました。ごめんなさい。何せ私は考えが甘くて、裁判所が非公開を言いつのるのに82条解釈を変えてまでの大胆なことをするとは考えていなくって、もっと手前で、チョコチョコと責任を他へ転化する形で非公開にもち込むのだろうと考えていたため、大いに幻想を持っていたことを思い知らされました。その一方で時間と共に戒護上の理由とか、心情の安定とかいいかげんな口実では憲法破りは出来なかったと、ということなんだから、「ここまで追いつめたのだぜ」という気にもなって「阿Qしている」ところもあります。幾人かの仲間達から「SAIKAI作戦は良くやった」という手紙をもらって、直前の執行と直後の安田弁護士弾圧・寺西判事補弾圧……と一連の流れの中でまちがいなく1つの役割をはたしているのですよね。みんなして再会はできないのですが、なーに内実を作る本番はこれからです。根性いれてとりくみます。
 暮れになって、検察は、23年間かくし続けていた二人の員面調書を開示しました。「やったぜ!」とウキウキしていたのですが……ウン、こんなことでうかれてちゃあいかん。問題はこれをどう武器に転化するかなのだ。とちょっと反省して今読み込みに精を出しています。
★正月休みに入って、まず最初にやったことは?このところフンズマリ状態を打開すべく、すなわち全ての「原稿しめ切り」にはことごとにおくれる。なにひとつ学習と成長を実感しえないのに「忙しがる」ectect 諸悪の根源は、けじめのないエンドレスライフ様式にあるのではないかと考え、まずその実情把握にのり出しました。そうしてつかんだ実情のうち、数字であらわせることのいくつかを報告すると、まず98年中に受け取った手紙は943通(年賀状・電報は含まない)出した手紙は992通(同上)。面会に来てくれた人、173人(含弁護人、内108回はN君)、読んだ本164冊(雑誌とマンガは含まない。時々つけ忘れ)という数字が出ました。本の量がこれまでに比べて少ないのは、10月以降SAIKAI情宣に熱中してほとんど読めていないのと、いわゆる「(ゴラク)小説」を読まなくなって全体にスピードがおちたり、同じ本をくり返し読んでいたりするせいです。
 とにかくこれだけの量の手紙をシコシコと書き送って活を入れ、知恵を分けてくれ、本を差し入れ、面会に来てはげましてくれた仲間達にどう「ありがとう!」を伝えたらいいのだろう。この数字をながめただけで、何がエンドレスライフや、なにがオーバーキャパシティや、甘えてる場合か!という気になって来て……(丸岡同志ならここで「手紙の何名・面会の何名は女性です」なぞという余計な計算までするのだろうけど、私しゃ男女差別をしないことをモットーにしている……といっても20才以下の男性については、やっぱりドキドキするなあ……。そういえば「世界中に最低6人の“婚約者”がいるの言ったっけ? こんなとこでモタモタしていると……みんな大人になってまう。あーあせるなあ……。)
 どうも「原稿のおくれ」「蓄積のない学習」の根拠は別のところにあるようで……いよいよ問われるのは“ゆきちゃん、あんた自身や!!”
 今年は、同志に再会し、むこうん十年、ともに生き闘い続ける出発点にする! 和君の本を出版する! ことを2大目標にして、がんばります。エンドレスライフも、オーバーキャパシティも卒業できそうにはありませんが、どうか今年も油を注ぎつづけて下さい。ついでの時々は、ハンドルさばきに助力もたのみます。少しでも役に立てるようになれるといいのですが…。
★ラジオを聞いていたら「今年はノストラダムスの大予言がどうのこうの」と言っていました。まさか信じる人は少ないのでしょうが。この時代の閉塞状況の中で、人々の転換願望というのはますます強くなっているのでしょうね。でも転換を自分の手と足でやろうとする人々は圧倒的少数派で、大方は他力本願というか、自分の今の生活は良くも悪くもまずキープしといて、誰かに転換してもらって良さそうだったらのり移ろうというのがヤリ方なのでしょう。あくまで人のフンドシでスモウをとるというか自己保身は徹底するということでしょうか。物のない時代にいっしょうけんめい「豊かになりたい」と思って大きくなった人々が、今の「豊かさ」を手放したくないと思う気持ちはわからなくないけど、「豊かさ」をあたりまえに享受して育った人々に又、今に固執する以上の喜びを求めようとしないことは私にはなかなか理解できません。
 社会主義圏のお年寄りがよく「今の若い者は、社会主義のありがたさを知らないんだ、奉仕活動がきついとか、配給が少ないとか言うけど、社会主義じゃなかったらオマエが毎日ドロにまみれてドブ掃除ばかりをする者だったり、仕事も食事も手に入らないコジキかもしれない……それがあいつらはイメージできないんだ」と言うのを聞きましたが、ようやく勝ちとった社会主義のありがたさも、豊かな社会も、それを保守しようとするところで、あるいは歴史に学べない狭さとイメージの貧困の中で負け続けていくのかもしれませんね。次のステップを展望として提起し、そのための実践に着手していくことが、革命を目指す者達の役割として、こんな時代だからよりいっそう問われているように思います。「革命(と東欧の人々は呼びます。)」という名のソ連邦、東欧の解体から10年になろうとしている今、彼らは「資本主義への道の実践」の過程で、何を学びどうしようとしているのでしょうか。こっちがいいのか、あっちがいいのかではなく、今、この現実から何をどうしていくのがいいのか、地道に、皆で模索し合いながら新しい時代を創り出していけたらと思います。誰かに試行錯誤と敗北の危険を肩がわりしてもらうのではなく、力を合わせて切り開き合う中で、共に歩を進めましょう。
 いろいろありそうな年ですが、まずはSAIKAIの実現ですね。うれしいです。みんな、元気で!

 P.S.シャコは運動会で3位になったのですね。オメデトウ! 本当に! 1位でなくって良かったと私も思います。しかし刑務所はどうしてこんな配慮の欠けた賞品の出し方をするんだろうか。これじゃあまるで「うちの身内」は誰も「1位になんかなりたくないよ」ってことになります。芳正君はどうや? 将司君はまあOKだな。しかし丸岡、利明、泉水、シャコ……みんなだめだ。もしかして、足の早い彼は、すでに1位になってしまって、シャンプーを領置しながら、なげいていたりするのじゃあないか、と心配です。ムダにはさせない。息子はオシャレです。おみやげにしてやって下さい。
                              ゆき子



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