支援連ニュース No.200

5月10日には、私も、質問を行う予定です

                  99.4.14 浴田由紀子

 お元気ですか。ようやく咲いた桜は、あまりお日様にあたらないままに散り始めています。国会は、ガイドライン法案だの、日の丸・君が代法制化だの改憲だの、と、20世紀後半、この国は、何を学び何を積み重ねて来たのだろうかと不安になる春ですね。
 だというのに、ここにも一人、ワクワク・ルンルン(でいいのか?と反省しつつ)再会公判を楽しんでいる人がいます。3月4日、3月17日午前中まで検察側証人尋問が行なわれ、3月17日午後からは、いよいよ弁護側証人尋問に入りました。そして5月10日には、私しも、質問を行う予定です。というわけで、3月17日以来、5月10日に向けて――どういうわけか、あれほどいっぱいあったはずの聞きたいこと、言いたいこと、話し合いたいことetc etcがスッカーンとぬけて――いざ質問レジュメを作ろうとすると、頭カラッポです。あれだけ大ブロシキに「しっかり対話します」とかいったのにな。ホントナサケナイ。ドキドキだけして、はや一ヵ月!
 3月4日、17日の公判日、将司君は「元気」でしたが、カゼをひいているのか、顔が赤かったり(始めは気付かないで顔色が良くなったと勘違いした)ちょっとあつい位なのにストーブを背中1m位の所におかせたり、さすがにあの長丁場はちょっとしんどそうで、目をシバシバさせたりしていました。疲れたら「チョットタンマ」と言って、あそこでいっしょに腰のばしストレッチするのも悪くないかな、と思うのだが、そんなわけにもいかないか?
 3月4日の公判では、検事が尋問を開始しようとするのを制して、始めに将司君が、前回公判調書の修正を要請、メモを見ながら一つずつ正していく。検事の尋問は前回にひき続き間闘争の準備過程から。検事はいわゆる「黒手帳」をもって来て一つずつ日を追って確認していこうとする。前回の公判で、完全に証人ペースで公判が進んでしまったのを反省したのか、今回は一つ一つの証言に対して、ニヤニヤしながら「くどくなりますが」と言い、「あなたは、取り調べ段階で検察官に〜と供述したのではありませんか」と問い返している。将司君は「ウン!」という(例のミケンにシワを寄せて、目が横に動くアレ)顔をしながらも、「そういう話をした記憶はないです」「供述調書の作り方というのは、検察は意図的に検事の立場で調書を作るので私が供述したことがそのまま調書になっているわけではありません」「検事の作るストーリーにそって書いてあるのではないでしょうか。私は当時、あえて訂正はしなかったですから」。検事はそれでもこりずに、「くどくなりますが〜」とくり返す。まあ、裁判所と検察の信頼関係は、法廷で少々「供述調書のデッチ上げ」がバクロされたところで、検察ストーリーに都合のいい内容をひろってくれるのだという“自信”があるのだろう。この場は、証人尋問のペースを証人に牛耳られるというブザマにだけはしたくないというところで、検事としてのメンツもあるのか?
 検事は、間や韓産研をめぐる3者会議の流れの中で、3グループの「共謀共同」をデッチ上げたいのだろうけど、聞けば聞くほど、「一体」とはほど遠い三者会議の実態が明らかになる。
 間闘争は当初、さそりが本社を攻撃し、狼・牙は要人攻撃を行うという話があったらしい、にもかかわらず、その話の直後に狼は本社の調査を開始する。結果として闘争はさそりと狼による本社攻撃、牙による工場攻撃として実行される。私自身何故そのようななったのか長年疑問に思っていた。
 検事「さそりが本社をやるなら、狼と牙はテロをやってもいいという話になったという供述があるのですが」
 将司「それはこういうことではないですか。6Fをさそりがやるなら、という事ではなくって、提起者が本社をやるのがいいという話で。テロも具体的にやろうと考えていたわけではなくて3者の話のいきががり上、出て来た話です。」「口に出した以上は、何もしないわけにはいかないので(社長らの)調査はしましたが〜」
 という話なのだ。やっぱなー。ようやく出合えた3人の、ちょっとイキガッテ、キバッタ関係が目に見えるようだ。当時もっと率直にいろいろに話が出来ていたならというくやしさもある。が、25年たって、こういう「本音」も言えるようになった。
 午後後半になって検事は「これからは個別に聞いていきます」と言って、電話センター、腹腹Vol2、除草剤の入手状況、Aさんとの関係、ペンダント、活動資金等について質問。何故かAさんとの関係についてしつこい。いろいろ話したあとであらためて?「ではAさんは狼のメンバーでしたか」「除草剤を買って来たり資金を提供するのは同志と言えるのではありませんか」「検事にAさんもメンバーと供述したのではありませんか」とくり返す。将司君は、Aさんが人一倍義理堅い人であること、取り調べで「Aさんもメンバー」と話したのは、すでに強固に「自分もメンバーである」と言い張っているAさんの「仲間達だけを重刑にさせたくない、何もしなかった自分も、彼らの責任を共有したい、彼らと共にありたい」という切実な思いを「理解」し、あえて彼女の主張を補助したのであることを説明。当時の彼らの思いが痛いほどわかる。聞いていて不覚にも目に水がたまってくる。
 しかし、こういう人間として、仲間として共に生きたいと願う者の思いを検事や裁判官が理解することはないだろう。私達はまちがっていた。共に生きるとは、責任を共有するとは、同志の思いを生かすとは、そうすることではなかったのだ。そのことへの批判は、百万ベンでも受ける。このやさしさの故に、私達は負けた。あらたな誤りを犯した。しかし同時に、その故に私達は又、闘いに起ち上がることも、闘い続けることも出来たのだと思う。少しずつ、少しずつかしこくなって、私達はいつまでも共に、つながり合って生き、闘い続ける。
 3月17日、第三回再会後半は、午前中検事側尋問の続き。この日検事は、家宅捜索押収品の写真集を持って来て「今回はこれについて聞きます。」床にビンや缶をいくつも並べて、顔の位置位からとった写真(普通サイズ)を示して、「これが何だか覚えていますか」「水銀のビンですか思い出せませんか」と聞く。どこぞに20〜30本のビンや缶を並べて上からとった写真を見せられて「これが水銀で、これが硫黄で〜」と言える人がいたらお目にかかりたい。とにかく検事にとっては、「真実」が必要なのじゃあなくって、「いちおうやりました」という尋問の形式だけが必要なことをひたすら示す。気の短い私は、エエカゲンニセエという気分になるのだが、将司君は、相当つかれている様子で目をこすりながらも、一つ一つていねいに答えている。
 最後に検事は「全般的に今回は、昔に比べて記憶がうすれている部分、忘れている部分が多いのではありませんか」「細いことを忘れていたり、ちがう供述があるのは記憶がうすれたりおとろえたりということがあるのではないですか」なぞと言い出す。将司君はキッパリと「かつてと違うことを証言したことがあるとするなら、今証言していることが正しい!」と言い切る。
 かくして二開廷半にわたった検事側証人調べは終わった。ごくろう様、しかし、彼は今日、相当疲れている。
 午後からはいよいよ待ちに待ちた弁護側質問の開始だ。トップバッターは25年来のつき合いの内田弁護人。将司君の子供の頃の話から順に反日思想、東ア反日武装戦線の結成へと、思想形成過程を中心に「討議」は、今に至る戦後補償問題・南北問題の解決へと続く。内田先生の質問は次回にもひき続き行われるので、今回の報告では(紙面と時間の都合もあって)「つづく」ということにして、次号でくわしく伝えることにしましょう。ひとこと、二人の「討議」は、かっての仲間が久しぶりに会って、かっての闘争と今の情勢を討議しているようで、(裁判らしくない)皆に聞かせられないのがもったいない、おもしろいものだった、ことだけをここに記しておこう。
 前記しましたように次回5月10日、内田先生のあとで私も質問する予定です。知恵と「根性」あったらかして下さい。みんなの分まで……と思えば思うほど頭がカラッポです。この大事な時に!
 24日には、「非公開密室裁判」を「公開」に向けて“SAIKAIくらいまっくす”集会を行います。ゆきQの苦しい現状の克服も何とかしたいと願っています。どうか多勢の仲間達の参加を待っています。私も、どきどきだけしていないで、「公開」に向けて、しっかりと役割をはたせるようにがんばります。
 いっぱいのはげましをありがとう。
  みんなお元気で、そして、再見を!              ゆき子


YUKICO
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