支援連ニュース No.201

私は今、二つの言葉にひっかかっています

                  99.5.6 浴田由紀子

お元気ですか。
 4月末、衆議院ではついに、ガイドライン関連法案が通過しました。首相小渕は、米帝の世界支配のための戦争への「日本人民動員・参戦体制」を手みやげにルンルンのアメリカ詣でを行いました。
 昔「テンノーヘーカのために」。今「自由主義アメリカとの信頼関係のために」。この国の人々は再び、戦争のできる体制を固め、アジアと世界の人々を侵略し、搾取し、抑圧するための戦争に動員されることになりました。私達はいったい、いつになったら、自分達(人民)自身のために、自分達の運命を決定できる者になれるのでしょうか。
 そして今、この国の政府が、戦争への総動員体制と憲法改悪を射程に入れてでも「守り通そう」とする米帝国主義は、NATOをひきつれて、国連も国際法も無視したユーゴへの軍事攻撃によって、世界の支配者としての位置を確立しようとしています。米・NATOによるユーゴ空爆にいかなる正義性もないことは明白です。セルビアによる民族浄化・アルバニア系住民への民族自決権の否定をいうなら、何故イスラエルによる、パレスチナ・南レバノン・ゴラン占領と、パレスチナ人民の自決のための全ゆる国連規約の破棄とたびかさなる人民虐殺に対して、あるいは、トルコによるクルド民族の自決権否定(トルコはクルド民族の存在そのものを否定している!)や武力弾圧に対して、『同じ正義』を行使しなかったのでしょうか。
 民族浄化や民族自決権の否定が問題なのではなく、ミロセビッチ政権が“旧共産党系民族主義者”であること、米帝の世界支配にとって“まつろわぬ者”であることが問題でしかありません。ユーゴへの“必要以上の”空爆は、(常々近年の戦争は、軍事産業の利益の為に用意されるという立場に立っているので)コンピュータ2000年問題が起こる前に、旧いミサイルを使ってしまいたい人々がいるのではないかと思ってしまうのは、私だけでしょうか。とにかく“誤爆”が多いのも、「武器の精度」を誇って来た米・NATOとしては、おかしなことです。意図的な人民虐殺なのか。「とにかく消費優先のメクラうち」のためなのか。そうした米帝のために私達は再び“戦争のできる体制固め”を進めるのでしょうか。日本政府は、NATOの空爆によってズタズタにされたユーゴへ、「中立な第3国の軍隊」としての自衛隊を「平和維持軍」という名の「占領軍」として送りこむことを目論んでいるのでしょう。
 かって、左翼シンパでしかなかった私が「行動する左翼」になって「実際にこの国の変革のために何かをしなければならない」と考えるようになったのは、韓国で会ったオジサン達の「何故日本のアナタ達は、今もあの天皇を生かしておいて、大切にしているのか」という言葉を聞いてからです。あの天皇がしたことや、あの天皇の軍隊の行為に、戦争のあとで生まれた天皇制反対の私に責任はないはずでした。しかし彼らの言葉は、今、天皇を生かして、大切にしているのは、他ではない、今の日本を構成している私自身に他ならないことに気付かせてくれました。
 世界支配を目論み、それを軍事力によって貫徹することを一貫して実践しようとする米帝国主義に追随することだけを考え、人々の生活を切りすて、他国を再び抑圧・支配することをよしとする「政府」を「大切に生かしている」のは、他ではない私達自身です。戦争に行きたくない、行かせたくない、抑圧者・侵略者でありたくないためには、「反対」ではなく、具体的に彼らの目論みを粉砕し、彼らを倒すしかありません。

 さて、SAIKAI裁判の報告です。
 前号で、3月17日の内田先生の尋問については、「次号へつづく」と書きました。実のところ話がむつかしくて、まとめもむつかしいのですよ。
 内田先生からの質問は、将司同志の子供の頃からの経験(ことにアイヌの人々との交流)から始まって、日韓闘争への参加・大阪でのくらし、そして全共闘運動へと続く60年代から70年代への彼の成長過程の中で、反日思想・武装闘争への参加がどのように形成されていったのかを、同時代人としての内田先生の“総括”とつき合わせる形で進められていきました。
 さらに話は、70年代には「奇異な」考え方であった「反日思想」が、80年代・90年代の闘いの中で、人々にとってあたりまえの問題として語られるようになっていく過程、その中での獄中主体の反日武装闘争のとらえ返し、と今に至るこの国の侵略戦争・植民地支配への責任の放棄と無反省の問題へと発展していくものでした。
 その中で将司君は、当時の我々の提起を人々に受けとめづらいものにしていた根拠として「武装闘争という手段」と、我々の思想欠陥としての「反日思想の偏狭さ」(一人一人の人間がかけがえのない命を持っているというふうに見るよりも、マスとして見てしまった。加害責任というのを追求するあまり、本来加害者でもあり、被害者でもある人々を見ることができなかった)という点を強調していたことが印象的でした。
 彼らの話を聞き、その後、直接尋問のための準備を進める中で、私は今、二つの言葉にひっかかっています。その一つは、「自己否定」という言葉であり、もうひとつは「反日思想」という言葉です。
 まず「反日思想」について、今私自身は、けっこうすんなりと「日帝本国人としての歴史的・現在的に加害者性、帝国主義本国人としての自覚と責務に立って、そこから出発すること」と答えるでしょう。しかし、いつから私は、この考え方を「反日思想」と言うようになったのか、他の人々のいう「反日思想」もはたしてそうなのか、あらためて疑問です。(未だに「反日思想」は日本人総体を敵視しているからけしからん」という人もいるしな……。)「8人8様の反日思想」「誰が本当の反日思想ですか、元祖は誰?」と聞かれて、「全部本当の反日思想です。巾もあるし、発展段階もあるわけですよ」なぞと言いのがれ来た。今、あらためて74年〜75年当時、私達自身は、どう考えていたろうかととらえ返すとき、少なくとも私達は、ハラハラ時計が提起した「日帝本国人としての責務と自覚に立った反日帝の闘い」を担う立場(思想)を「反日思想」と自称したことはなかった。私自身、獄中で「反日思想」という言葉を聞いた時、「東アジア反日武装戦線の人々の思想」の省略形だと思った。(「東ア思想」でもよかった。)狼が提起した「ハラハラ時計」の基調はあらためて何であったのか、「反日思想」という言い方の中で、増幅し、あるいは縮小してしまったものがあったのではなかったか。そんなことを、この機会に、将司同志と少し話してみたいと思っている。
 もうひとつの「自己否定」についても、私の頭は混乱している。私達は、全共闘運動が提起した「自己否定」に革命への根拠を触発され、その不充分性と限界を止揚するものとしての「帝国主義本国人としての自己否定(オトシマエ)」ということを強調しました。しかし、自己否定しているつもりの自分達の絶対是に立って、他を糾弾し、切り捨てるものにしてしまったことにおいて、私達も又、全共闘運動の自己否定をこえうるものではありえなかったという点です。将司君は証言の中で、全共闘運動衰退の根拠の一つとして、「運動に参加する根拠が被害者意識だったためではないか。」というようなことを言っている。これは私には、新しい視点というか、(これまで、マスプロ教育・産学協同への反発を「大学生がエリートでいられなくなることへの被害者意識」としてとらえたことはなかったので)今いちど、彼らの被害者意識と、一方での自己否定・大学解体がどう一体のものとしてありえたのか、ありえなかったのか、同時にそれは、私達が目指そうとしている帝国主義本国人としての自己否定に立った帝国主義打倒の闘いと、帝国主義本国内における階級闘争=加害者でもあり被害者でもある者達の闘いを、どう一体のものとしておしすすめうるのかという問題に通底するものがあるのではないかと思う。日本赤軍に合流して、私自身は、階級階層分析とやらを前面に出して革命を語る人々と、「それでも、帝国主義本国人」という我々の主張とを、一つの闘いへと「合流」しうるまでに4〜5年を要したと思っている。(未だにわかってない?)
 私自身、自己否定とは、東ア反日武装闘争への参加とは、少なくとも社会の中で被害者であることを自覚しえない自分自身を帝国主義本国人であることから、除外する、最低、抑圧しつづける者・搾取し続ける者ではない自分へと追いこむことによって、「是」であろうとする、自己免罪の「闘い」だったのではないかととらえ返すからです。今、時代は、過去を忘れたかのような反動化をおしすすめている中で、「何故若者達は闘いに起ち上がらないのだ」という、若い人々の声を聞きながら、もういちど、何故私達は闘いに起ち上がったのか、何が足りなかったのか、誤っていたのか、何を「若い人々」と今共有しうるのか、そんなことを、このところの疑問の中から、いっしょに考えていけないものかと思っています。あの時代、あるいは今、どう生きることが、日帝本国人である私達に問われているのか、反日思想の主体化と実践とは、何であったのか、あるのか。
 今頃になってナンヤ……。と自分をいぶかりつつ、完全に、ズブズブにはまっています。
 5月10日公判では、内田先生の質問のつづきと、藤田先生による、具体的な事実に関する尋問です。そのスキ間に私も入ることになるでしょう。
 さて、上手に声が出て、ゆっくりわかりやすく聞けるでしょうか。こう、ごきたい。
 みんなお元気で!  再見!   ゆき子


YUKICO
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