支援連ニュース No.203

7月27日は、公開法廷で、全内容を「公開」します。

                  99.7.4 浴田由紀子

 お元気ですか。あんまりな時代になっています。ガイドライン関連法にひきつづき、盗聴法や総背番号法、労働者派遣法、外登法や入管法、そして日の丸君が代法制化に至るまで、およそこの国で敗戦後50年の間に人々が闘いとって来たはずの「平和」と「民主主義」が今、国会でたいした審議もなく、政党間の数合わせゲームとかけひきの中でブチこわされようとしていることに、とても危機感をもっています。
 6月28日に荒井幹夫さんに会えたら(お元気そうでした。花岡裁判傍聴にも行かれました)。
 「ボクらが若かった戦争の前の頃にそっくりだね」と言っておられました。彼らの世代は、戦争に青春を奪われ、ズタズタになって生活を始めたら、戦後復興・高度経済成長に追いまくられ、ようやく「豊か」になったら「高齢化社会」といって冷たくされる……そして今、じゃあ子供達や孫の世代へ彼らの努力が生かされるのかというと、彼らが生涯かけて築いてきたものがここへ来てズタズタにひきちぎられて再び、戦争の影が足音高く近づいている。「70年世代がね、みんなよくがんばっているんだよ」と言われる幹夫さんの話を聞きながら、たまらん思いだろうなあ。彼らが教訓にし、築いてきたものを、どう生かし育てることをしただろうかという思いになりました。私は10代の頃、「大人の過去の不始末のツケを子供に押し付けてほしくない。」と考える子でした。それは戦争責任に対しても同じでした。しかし、自分自身も、今、現在の状況を構成している一人なのだ、と気付き始めて、戦争責任に対しても、大人の過去の不始末も、今自分もいっしょに取り組まなければ解決しないことに気がつきました。今の状況に対して、やるべきことをやってこなかったなあという思いと共に。ひとふんばりスベエ。!
 ところで、君が代の政府解釈というのを新聞で読んだけど、トコトン日本の「国民」はバカにされてるな。「ガイドライン」とか「通信傍受」とか、言い方を変えて本質をごまかすという官僚の一貫した「国民」蔑視の一つでしかないけど、どこの世界についこの間まで「時代」を意味する言葉であったものが「国」を意味する言葉に変わるのか。日本語辞典は全部書きかえるのかしら……?。文部省は、こんな言葉の誤用・濫用を他の省庁や政府が行うことに対してもっと責任をもって「統制」すべきじゃあないのかしら、教科書検定なんていう思想統制は止めにして。市販の「日本語辞典」を引いても理解も説明も出来ないような暗号みたいな「国歌」なんかいったい何になるんじゃあ!
 ついでに、読売新聞の解説者は、「戦争の責任と反省で国旗・国歌を変えた国なんか世界にない」。なんて大ウソを平気で書いてる。イタリアもドイツも第二次大戦後国旗も国歌も変えたことは有名だのに。(東欧各国かて、このところの“政変”で国旗はかわつてる。ルーマニアでは、まん中をくりぬいた旗が、あっちこっちでつかわれていた。)ハラタツナ。

 再会公判、将司君の部は、あと一回、7月7日を残すのみとなりました。支援連ニュース203号が出る頃には終わっている訳です。証人同志には、長い間ありがとう、とごくろう様でした。東ア反日の闘いをとらえ返し、さらにこれからの闘いに発展させる、新しい段階をいっしょに確認できたと思っています。
 6月15日の公判は、前回のひき続き川村先生から。「将司手帳」に沿って5・19までの三グループの流れと、各同志のこと。そして東アジア反日武装闘争の統括的な把握を。5・19被逮捕から今に至る将司同志自身について等を淡々と進めていきました。

 この日の証言で最も印象深かったのは、被逮捕後の救援・あるいは獄中の「刑事犯」「死刑囚」との関わりの中で、彼自身の反日思想も豊富化されていったし死刑廃止運動への確信も深めていったということでした。死刑廃止運動に対しては当初「自分の生き方、思想に合わないし、いさぎよくないという考えにとらわれていましたが、他の死刑囚との交流の中で、彼らのために自分自身が何かがやれるとわかって、率直に物を言える関係ができました。死刑囚には、未解放部落、山窩、養護施設、極貧とか、文字の読み書きもできないような人が多いのです。そういう人々との交流を通して、死刑というのは差別の極致だと思い至りました。差別問題・天皇制の問題もからんできて、私の中に死刑制度廃止と反日思想に矛盾はなくなりました。むしろ死刑廃止運動は、自分の考えを豊富化することになりました。(この証言の所で私は、オウム真理教の二被告に相矛盾するかに見える二つの判決を出した裁判長を見た。裁判長はこの証言を、どう聞いたのだろうか。)
 さらに死刑囚処遇と非公開裁判について、弁護人「公開法廷でやると心情が不安定になると当局は言っているか?」「死刑確定囚の外部交通権制限ということだと思うのですが、それは何故か、国が死刑の実体を秘密にする為でしかありません。国家権力が死刑執行を正義と言いますか、満天下にはじめことなく行うことができないということだと思います。もし道義性を持っているのであれば、外部交通制限など止めて実体を明らかにして、堂々とやればいいのですから」「(あなた自身公開されると不安になることは)ありまえせん。むしろ今回、刑務官に囲まれて圧迫感が強くあります。」そうして、彼自身の死刑に対しては、「私は、死刑制度廃止運動をやってきたし、これからももとめていくつもりなので、刑死を容認するつもりはないのです。ころされた人々の無念を自分のものとしつつ、死刑廃止の実現を目指したい。」と。

 6月15日の尋問をもって、弁護側証人尋問はひととおり終了しました。一連の尋問の中で弁護団は、検察側が「証拠」として出して来た「将司手帳」にそって、非常にていねいに一日一日の動きと、会議の内容を堀おこしていきました。当時の3グループの動きをここまで詳しく掘りおこしたのは、おそらく始めてではないでしょうか。証人自身、「捜査段階でも、手帳を渡されて、前後の関係を検討することはできなかったので、今の方が正確であると思います。」と言っている。その中で私達は、検察のデッチ上げストーリーを否定するに停まらない当時の三グループの実体の真の姿を浮かび上がらせる多くのことを「発掘」できたと思います。
 検察ストーリーのメインである「三者会議は、三グループの指導機関・決定機関である」という共謀共同正犯の根拠、さらに、三菱・三井・大成・間での殺意の存在は、否定されたと思います。三者会議が、単なる連絡機関でしかなく、いかなる決定権も持たなかったこと、又三グループが、三者会議によって統一を目指すのではなく、より各グループの“個性を尊重し”ていくことを確認し合っていたこと。又、間組闘争においては、「人を殺傷しないために」作戦方針の変更が行われたり、作戦のたびに、「人をケガさせる可能性をどう防ぐのか」が討論の中心的な課題になっていたこと、そうしたことがこの検察提出の証拠「将司手帳」にしっかりと書いてあるわけです。
 自らのストーリーを粉砕された検察は、「あと半日の再主尋問を行う」と言っています。7月7日は、弁護団と被告の補足質問と検察の「抵抗」になります。7月27日は、公開法廷で、全内容を「公開」します。
 2月10日から、今までの将司君の証人尋問を通して私は、(ボケーッと口を開けていることが多かったのですが)何よりも彼のキゼンとして変わらない敵愾心や、自分自身の思想と立場への確信に自分自身を問い返さざるを得ませんでした。「反日思想を堅持して闘う」と“確認”したつもりでアラブに向かい、アラブの地で自分自身の反日思想理解の不十分にとまどい、同時に、どう総括し、どう止揚しうるのか、とそれなりに、考え闘って来たつもりでいました。しかし、彼と直接対話し、あるいは、彼の証言としてあらためて聞く中で、私達が闘いによって訴えよう、創り出そうとしていたものは何であったのか、への自分自身の(弱)理解を自覚せざるをえませんでした。多くの深め実践すべき「課題」をしっかりと受け取っています。「誰もが平和に、対等に、分かち合って共に生きられる社会」を目指して私達は闘いに参加しました。東ア反日武装戦線の闘いも、そのために私達がなすべきことのホンの一端でしかありませんでした。私達は別々の状況の中で深め合って来た経験と総括を今その端っこを交し合えたと思っています。そしてこれからはもっともっと、深く固く混ぜ合い、深め合って、共に実践してゆけるでしょう。
 同志の同志であることを、心から誇りに思います。いっぱいの力をありがとう。
 そうして再び、みんなしての再会を!

 P.S.ここだけの話だけどね。将司君の圧倒的な白髪だの私のシワの数だの老眼の不便だのをサンザン話題にしたせいでしょうか、利明君は、「証人尋問の時に遠くも近くもスマートに一望できるように」遠近両用メガネにしたそうです。フフフ、会うのを楽しみにしています。どんなかなあ……。
 彼と私は生まれて始めて直接話します。
                      みんなお元気で!       ゆき子


YUKICO
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