支援連ニュース No.208

利明君証人尋問は、次回12月24日が最終回です

1999.12.6 浴田由紀子

 やっぱり冬は来るのですね。ここへ来て急に寒くなりました。お元気ですか、今年もあと少しです。やりのこしを何としてでも片付けなければなりません。「その日暮らし」の私の尻にも、火がついています。
 利明君証人尋問は、次回12月24日が最終回です。キョーフの被告人尋問は、次回に持ちこされました。今、チョーキンチョウしています。何せこの間の証人尋問で、利明君は、オトボケのクセになかなかのガンコで、かつ泣き虫で、加えて、意外と「やさしいだけがとりえの根性なし」かもしれないということがわかったからです。
 12月2日の公判は、藤田・川村両弁護人の質問が行われました。始めは、前回の続きで藤田先生と川村先生から時系列にそって当時の私達の動きをフォローしていきます。75年に入ってからの分は、将司手帳の利明君に関する記載を中心に聞いていきました。後半は、被逮捕以降の利明君自身の活動と想い、現在に至る様々な問題(キリスト教の教義から始まって、闘争と信仰・取り調べ・自供をめぐるできごと、対監獄闘争から死刑廃止運動への関わり、死刑廃止運動の理念・生死観・日本赤軍・同志奪還闘争・オウムと東アジア・武装闘争・革命観・今の日常……最後に「浴田は向いてない」論)について、時にはかなり「討論」をまじえながら聞いてゆきました。
 この日のメインポイントは、午後の法廷で利明君が『被害者への謝罪文』を書いて来て、自ら読み上げた事です。利明君は、一ヶ月も前から「この機会にぜひやりたい」ということで被害者への謝罪の言葉を用意していました。「法廷」証人が何か読むのは認められないかもしれないと危惧していたのですが、裁判長はアッサリと「けっこうです。どうぞ」と言ってくれました。利明君は、ちょっと緊張したかんじで、時々声をつまらせながら、約800字の文章を一語、一語ていねいに読み上げました。利明君の声を聞きながら、長いことかかって、ようやく言えたんだ。裁判やれて良かったんだと、目の奥が熱くなってくる。読み終えた利明君は、とても安心した様子で、ウンウンとうなづきながら、こっちを見てほほえむ。『うん、良かった。やったね。』『ここからガンバロー』。
 弁護人:「あなた自身の裁判中に謝罪の意思をあまり強く表現できなかったのは、どうしてでしょうか?」
利明証人:「被告人質問や意見陳述の中で、謝罪の気持ちは述べているのですが、当時の私は、裁判所・検察等の国家権力は敵という考え方をすてきることができなくて、権力の前で完全に自分の誤りを認めることはできなかったのです。今は、この社会が不当で革命によって変えなければならないという気持はないので、裁判所が敵という気持もないので、率直に自分の気持を言えるようになりました。」(何はともあれ、私達一人一人がやりたくてできなかったことのホンのささやかな一歩はこうして踏み出されたのだ。)
 弁護人:「戦争や暴力をはげしくにくんでいた(利明君の謝罪文の中にある言葉)のに、実際にやったのは、暴力そのものになった。その要因・背景は何だったのでしょうか?」
利明証人:「(ウーン、とウデ組をしてしばらく考えたあとで)当時の二大背景といいますかね、世の中を変えようとする革命的暴力は正当であり、肯定できるという時代主張というものがあったと想うのですね、そういう背景の中で、当時の私達が戦争責任ということを意識していたので、報復は正義である、報復のための暴力は正義だという倫理観を持っていたように思います。キリスト教も報復の歴史ですし、知らず知らす私自身がそういう倫理観の影響を受けていたということがあるかもしれません。それから、大道寺君との出会いという要因も非常に大きかったですね。事の是非・善悪は別として、この男と最後まで行動を共にしたいと思わせる魅力が彼にはありますから。逆に言えば、そういう人間的魅力に満足して批判精神を失ってしまったということがあったかもしれないですね。」どちらが欠けても成立しない東アジア反日武装戦線狼グループを彼らは、生み育ててきた。今、利明君が言うように、是非・善悪は別にして二人は一体だった。『オマエの相棒がオレじゃなかったら、オマエももっと上手に闘えただろうな』と言い合いながらいっしょに歩む彼らの同志愛に、私は熱くなる。あの頃、「自己否定」といいながら、変革に確信を持ちえていなかった、否定すること、批判すること、引くことをよしとしえなかった自分達がくやしい。それでも同志『アンタの同志でよかったよ』と言い合える人生を、私達はやっていると思いませんか。
 今、「あくまで武闘を否定」している利明君に、その契機をたづねる。
弁護人:「(武装闘争に対する)考えが変わったきっかけは、訴訟をやったことが大きいというのは、何故?」
利明証人:「処遇をめぐる訴訟をすると、自分の人権を強く主張することになります。何故自分が人権を主張できるかというと、人間は普遍的なもので、人権は人権で軽視できるものではないからだとわかりました。その時じゃあ武装闘争は、何か? 相手の人権を否定することでしかない、いわゆる適性手続きはなくって――生命を奪われる。そういうことが何故許されるのか、自分が訴訟する上で、他者の人権も考えていかなければいけない。民主主義と人権は切り離せない。そういう意味からも、武装は許されないものだということがわかりました。」
 さらに彼は死刑廃止へと進んでいく。「当初、武闘に疑問を持っても死刑制度に疑問を持つことはなかったです。……一般刑事犯で死刑判決の人に『片岡(旧姓)は何故死刑に反対しないのか』と問題提起されて……私自身の問題というより、一般刑事囚、貧しい生い立ちや差別の中で犯罪を犯して、十分な弁護や裁判を受けられずに死刑になっている彼らを本当に殺していいのか、死刑とは何だろうと考えるようになったのですね。」この話の中で彼がくり返し、「自分が生きたいというだけの死刑廃止運動であってはならないと思う。死刑囚自身人を殺した人、そういう罪を犯した人達が自分が犯した殺人を反省して殺人や犯罪のない社会を作るために自分を変えていくこと……殺された人も生きたかったはず、それを忘れてはならない。」と話していたことがとても印象深かった。
 又彼は弁護人の「つかまれば死刑、それをさけたいという考えはなかったのか」という質問に対して「三菱の後はそれ(つかまれば死刑)は予測していましたが、死刑がさけられないから、武闘を止めようという考えはなかったですね。自己否定の究極として生命を捧げるという考え方があったので、死刑があるから、武闘をやるという面がありました。」と答えていた。
 笑わせてくれたのは、藤田先生の最後の質問で70年代当時の「浴田の印象」を聞かれた時だ。「純粋で直情的な人だと思いましたね。『革命は義』と何度も言っていましたから。」(そんなことも、ありましたかなあ……。私もわすれていた。)彼は大笑いしながら『革命は義』を繰り返し「理論的なものは、ほとんどなかったのじゃないですか、『革命は義』というひとことしか言っていなかったですから」「…正義感が強くて直情的で……ワキ目もふらずにつっ走るような……実際に会ってみて革命家じゃないという印象を持ちました。」と大笑いしている。ま、被告人の立場で証人の証言内容にナンダカダ言えるわけじゃあないが……。
 この時のニラミが効いたのか『根性なし』ぶりが発揮されたのは、川村弁護人の最後の質問の時だ。利明君はかつて(95年に浴田が奪還された直後に)先生との面会で「浴田さんはむいていないから」という主旨のことを言ったらしい。ナンノハナシヤ?! 私は最近まで知らなかった。川村弁護人は聞く「どういうことなのでしょうか?」被告人は『オラ、言ってみいや』というオーヨーな態度でかまえているのに、証人はなぜか急にモジモジ、ソワソワ、座り直したりしながら、「イヤー、本人を前にして言いづらいのですが」なぞと泣きごをいう。『ナンジャ、根性なし、シャントせんかい』と心の中で悪態をつきながら、被告人は、大人のホホエミと軽い一瞥を証人に送って、顔を反対に向ける。(私もなかなかのアネゴになったものだ!)『さあ根性入れて言うてみい』と待っていると、小声でいわく「今も日本の革命をやろうとしているのかどうかわかりませんが……彼女は武装闘争のような、人を殺して平気でいられる人じゃないんですね。革命は権力闘争ですから、直情の人がドロドロした権力闘争をかちぬけない。…それに非合法闘争をやるには、それなりの技術といいますか、才能が強く要求されると思うのですが、そういう才能は彼女にはないだろうと思っているので……。」(弁護人の話では、どうも話半分で日和ったらしい。次回直接質問する被告人は「言わせてみせよう!」なぞとヘンにリキんでてたのだが……フ、フ、フ……)次回はどうなるのだろうか?
 終了と次回期日を告げる裁判長は、利明君に「イブに会いましょう!」と言っていた。パーティー位やったっていいんだよな、最終回だし、イブなんだし……。
 報告はまたも、「極私的」になってしまった。くわしくは、「ゆうき凛々」と1月に地裁で行われる「公開」という名の「裁判官の作文」にご期待下さい。
 今年は、20年ぶりに、将司君・利明君といっしょにすごせました。ぜったいに忘れられない年になるでしょう。彼らに再会できて、本当に良かったです。20年の時空を越えて私達は、同志としての絆を固め、未来を見据え合えたと思っています。そしてお互いの中や後ろにいる多くの同志と仲間達とも、再会の喜びと確信を共にしあえたはずだと確信しています。
 いっぱいの共闘と応援ありがとう! 再会を大きな力にして来年は新しい段階へ進みます。新しい世紀を、人民の世紀に、共にがんばりましょう。お元気で。
ゆきこ 


YUKICO
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