支援連ニュース No.209

ない袖は振れん。そう思ってケツをたたいてもらおう。

2000.01.13 浴田由紀子

 2000年です。四半世紀を共に生き、闘ってこれたことを、うれしく、誇りに思います。勝ててはないので、まだまだですね。
 どっちを見てもきびしい状況ですが、「冬来たりなば、春遠からじ」とか「冬の寒さときびしさがなければ、春の暖かさはない」とか言うじゃないですか、知恵と力を合わせて、新しい世紀を、自分達のものとして、切り開きましょう。
 12月24日、5回に渡った利明君証人尋問はついに最終回を迎えました。この日の予定は、川村弁護人による質問の続きと、被告人の直接質問、そして検事の再主尋問です。
 メインポイントは、被告人による直接質問なわけですが、この準備は最後まで完了せず、「利明君に安心と元気の、ステキなクリスマスプレゼントを!」とはりきっていた被告人は、期日が近づくにつれてしだいに弱ってきて、いつもの元気も太っ腹も、失っていました。最終回のせいなのか、恐怖の被告人質問のせいなのか、やってきた利明君も少し緊張ぎみ?
 当日は、統一公判弁護団の高橋耕先生が盛岡から参加して下さって、利明君とは12年ぶりの再会、お元気そうだ。
 始めに、川村先生からの質問は、狼グループの爆発物に関する知識と技術水準について、「腹腹時計」に記載された内容の根拠や、各闘争で使用した爆弾のついて確認していきます。第一次統一公判判決は「高度な知識に基づいて〜三菱の爆弾の被害は当然に予測していた」というような認定を行って、殺意・重極刑の根拠にしているわけですが、自分達自身のわずかな経験をもとにしたもので、科学的(学術的)うらずけがあったわけではないこと、を証言しました。
 続いて被告人の直接質問です。項目としてはいちおう、(1)反日思想から民主主義的な変革へと変わっていった総括内容と根拠 (2)何故武装闘争だったのか (3)東アジアの組織について (4)自供総括をめぐる問題 (5)今、もっとも伝えたいこと、について準備を進めてきました。どの項目についても基本的には、すでに弁護団の質問の中でくり返し証言されていることですから、私の方は、自分自身の総括として伝えなければならないことを伝えて、彼の意見を聞きたい、少しでも総括をスリ合わせたい、ということで準備を進めようとしました。しかし、二ヶ月近くかかったその準備過程というのは、まさに再総括の過程であり、これまでやってきたつもりの総括がいかに一面的で「通用しない水準のもの」であるかを実証する過程でもありました。今の彼に伝えなければならないことのポイントを焦りきれなかった上に「質問形」への変換にも失敗しました。
 とにもかくにも時はせまって……「じゃあ被告人どうぞ」と指名されて立ち上がって、深呼吸をしたところまでは、覚えている。そして、シドロモドロの漫談だか質問だか、言っている本人にも意味のわからない話を、証人同志は目をグルグルさせたり、うでぐみをしたり、アゴに手をおいて考え込んだり、時々泣きそうに困ったりしながら熱心に聞き、ためいきをつきながらも、ゆっくりと、ていねいに、ひとことひとこと「ね、そうでしょう」とかんでふくめるように答えてくれる。被告人はウンウンとうなづきながら聞いている。裁判の形式を完全に逸脱した会話が交わされたのはまちがいない。この時の証人同志の忍耐と努力は、並の根性でできるものではなかったと思う。前回「以外と根性なしかも」と書いたのは撤回する。休憩に入る前の証人同志の「何とかしてよね」といいたそうな、訴え顔を私は生涯忘れられないだろう。ゴメンネ、こんなで。
 午前中に項目(3)まで、午後はよっぽど「今回はこの位にして、またの機会にゆっくり話しましょう」と逃げ出したい気持をグットおさえて、自供総括をめぐる問題についてだけは、何とか自己批判提起をしておかなければ、利明君と会ったことの意味が半分になってしまう。
 「私達の自供総括の仕方は、同志愛と責任の共有という立場の全くない誤ったものだったと反省しています。私達はあの時、個の強化を求めるのではなく自供は皆が作り出したもの、共通に立脚基盤とした反日思想や我々の組織観、同志関係の問題として問い返すべきでした。同志を苦しめ、信頼をうらぎったことをあやまりたい」というようなことを言った。
 利明君は、私の目を見て、ちょっと笑って「だいじょうぶ、うらみに思ったりはしていませんよ。」というようなことをいい、続けて、「あそこで批判し合わなかったら、結局なあなあでやってしまったでしょう。相互のたたき合いがあったから、今の自分があるのだとおもっています。」といってくれた。
 そしてさらに、「反日思想は、自分を変革する思想だったはずなのに、他を攻撃する思想になってしまったように思います。」「あの頃、ああこのやり方は連赤と同じだなと思いましたね。自分の弱さや誤りを正当化するために弱い部分をたたく……三菱の声明文にも同じ傾向があったと思っています。」「こうしたことは、始めてじゃあない……同じ誤りをくり返してしまう体質が左翼の中にあるのではないかと思いますね。」
 あの時私達は、革命とは、人と人との関係を作りかえること、弱さも誤りもひき受け合って共に居きる社会を創ることという、一番大切な革命の根拠を破壊したのだ。
 最後に仲間達へ伝えたいことを聞いた。
 利明証人:「……闘うという言葉の中に自分が一歩前に出ているというきがするのですね。闘うのじゃあなくて、皆が同じ弱さを持って、人間として共に歩むという気持で取り組んでいけば、私達が犯したような誤ちはさけられるのじゃあないかと思っています。私自身がたいへんな犠牲を払ってわかった教訓として覚えてくれる人がいれば……。」
 検事の再質問は、「予告電話をしたといっても、本気で死傷者をさけるつもりなら不充分だったのではないか」とか、「大地の牙が二人だっていつわかったのか」というものだった。この類の質問は、証人同志には「へともない!」。続いて裁判長が「セジットの紹介は、『火薬と発破』に見あたらないが」(ちゃんとあった)とイチャモンをつけた(証言内容をちゃんとフォローしてりんだ!エライ!)あとで、利明君の方に向き直り、いつもより少し高い声で、
裁判長:「けっきょくあなた、信仰をすてたのですか、どうなんですか?」
利明証人:「すてたつもりですが、すてきれなかったということです」
裁判長:「今でも時々聖書を読むことはあるのですか?」
利明証人:「聖書は毎日読んでいます。」。
 裁判長は利明君がキリスト者であることにかなり関心があるようだ。前にも洗礼を受けた教会名と牧師の名前を聞いていた。
 裁判長が「終わりました。ごくろう様でした」と言い。弁護人も「ごくろうさま」……利明君は、「そうか―」という風に一時力をぬいて、被告人に「元気でね」ウン「体に気をつけて」「いろいろ書いてよね」…ほほえみながらうなずいていた。
 こうしてSAIKAI公判第2段、利明君の部は終了した。最終回は、「上出来」というわけにはいかなかった。きっと利明君は、「おい浴田さんというのは本当にだいじょうぶなのか?」「どう見ても革命家になれたとは思えない」「権力闘争も、非合法活動術も腕力も……」とますます不安になっていることだろう。本当に申し訳ない。
 しばらくはトコトン落ち込んでいたけど、今は「まあ、ない袖は振れん。そう思ってケツをたたいてもらおう。この次会うときにやあ、もっと成長してみせよう(ようやく20年来の借金を返したら、また新しい借金をかかえこむことになった気分ですが)」と思い直すことにしました。会えて話せたことの意義が変わるわけではありませんよね。「よし、これでいっしょにやっていこう」と確信し合えるということではなかったけど、求め合っているお互いを実感できた。「根性なし」になりながらも、利明君が私に言いたかったこと、同じ誤りは絶対に犯させたくないという彼の切実な思いも私は痛いほど感じている。出会い直せて、かけがえのないお互いを実感した。「昔のように」ではない。あの頃を止揚した、もっと大きな、新しい同志関係を私達は築いていけると、利明君の率直さに支えられて、今確信を強くしている。ありがとう、同志!
 一月31日に、地裁で利明君の証言の「公開」を行って、二人の同志達との一年がかりのSAIKAI公判が終了します。夢のような、楽しくて、かつきびしい一年でした。支えつづけてくれたみんなに、そして何よりも、すばらしい証人尋問を実現してくれた弁護団と、二人の同志達に感謝の気持ちでいっぱいです。役割をよくはたせたとはいえないけど、今、身に余るほどの宝物を抱いています。
 出会い直した同志達とは、これから、新しい歩みを共にします。二人のことをみんなに伝える事も今年の課題です。裁判の方向はまだよくみえませんが、なーに、力をもらってきましたから、つよいですよ。これからも知恵と力をかして下さい。
 12月17日、国はまたも、佐川さん小野さんの執行を行いましたね。前回に続き、これまでの「慣例」を様子をみながら破ってみる、という姑息なやり方で、「憲法破り」「人権規約破り」を既成事実化させようとしています。一歩もゆずらない、おし返す、闘いをさらに力を合わせて進めましょう。節目の年をガンバロウ、共に!

P.S.将司君が、「ゆきは泣き言をつつしめ」と書いていたけど、24日は、ちゃんと「おしめり程度」におさえたことをつたえましょう。
ひとつ○だと他のことで大ペケというのをなんとかしたい。ホント!
ゆきこ 


YUKICO
inserted by FC2 system