支援連ニュース No.210

1月31日、半年ぶりに地裁に行きました。

2000.02.10 浴田由紀子

 お元気ですか。暖冬ということでしょうか、獄中も陽が当たるかぎりにおいて、何とかしのげています。インフルエンザが流行のようですが、みんなだいじょうぶですか。エアコンによる暖房というのも、空気感染を増加させる一因なのでしょうね。人体の進化の度合いはホドホドでしかないのですから、使用する科学技術というのもそれに見合ったホドホドにしといた方がいいのです。ゴミにするとき、どうすてたらいいのかもわからない原子力や化学合成物を使ったり、食べたら人間に何が起こるかわからない遺伝子組み換え食品を摂取したりするのは、止めるべきです。身の丈に合った、処理能力の範囲での科学を活用して生きる社会、というわけにはいかないものでしょうか。
 1月31日、半年ぶりに地裁に行きました。この日は、利明君の証言を裁判所が「公開」する「要旨告知」です。とりあえず被告側が準備することは特にない、のでひたすらルンルンと、仲間達に会えるのを楽しみにしていました。寒くて、忙しいだろう中を、みんなが来てくれて、ありがとう。太った人、ちぢんだ人、日焼け顔(男の人の場合も“ガングロ”っていうのでしょうか?)ピカピカの茶髪 etc.etc。みんなが思いっきり「日常」をひっかかえてきてくれて、疲れ顔やバリバリ顔や……いろいろな表情で座っていてくれることが、かぎりなく楽しくて……独房に座って「唯我独尊」マイペースなメリハリのない日を送っている身には、とても刺激になって、「ああ」と自分が何者であるかを気付かされて、元気と勇気が湧いてきます。
 利明君証言内容の告知は、何の前ぶれもなく(前回は裁判長が「何千字、何分です」とか言っていたのに)いきなり始まりました。
 朗読は、左陪席(男の人です)裁判官から、裁判長、右陪席へと進んだのですが、とにかくびっくりする位のハイスピードで、証言の内容を報告するというより、項目をひろって、それらを羅列するという感じでした。それでもいちおう利明君自身が「ぜひ言いたい」と強調していた最近の彼の世界観や「革命」に対する考え、死刑制度・信仰等については、要旨をひろっていたように思います。最後に、利明君が法廷で読み上げた「謝罪文」全文を読んで、要旨の告知は終了です。(いちおう、聞かせるようには構成しているということでしょうか?)ちょうど一時間でした。毎度のことですが、5開廷もかかって同志がていねいに話してくれた証言を、たったの一時間にまとめてしまうことには、どうしても納得がいきません。 裁判所は「非公開という異常な方法をとってしまったことによる不十分」の責任を少しでもよく補うために、それが裁判の公平性にとって欠くことのできない重要なものだという認識を、どこまで持っているのかと、疑問になりました。前回やってみて、さして批判もでなかったし、なので今回は、少し手をぬいて簡潔に仕上げましたということなのでしょうか。
 利明君の証言を、少しでもくわしく知ろう、彼の今を感じとりたいと思って来てくれた傍聴の仲間達には、何だかとても申し訳なくって……「時間がありますので、おいでいただいた皆様に、私の方からもじゃっかんの報告を補足したいと思います……」位のアドリブはやった方がいいよな……なんか余計なことを考えていると…。東拘の看守が指揮を出して、退廷させられてしまいました。(この看守は、「裁判長が、何も言わないでボケーッとしているから、私が指揮を出した」と言っていました。とんでもない話です。)でも、おかげでワアワア……と。
 というわけで、一年がかりのSAIKAI公判、将司・利明同志の部が終わってしまいました。応援し続けてくれた仲間達、すばらしい尋問で二人の今を最大限ひきだしてくれた弁護団、そして、全力で応えてくれた、確信と元気を皆に与えてくれた同志達ありがとう。「夢みたいな一年間」でしたが、まちがいなく私達は再会し、いっしょに大きな仕事をしました。生きつづければ、闘い続ければ必ず再会することを身をもって実現できました。会いたくても会えない人々の分まで、この再会を、皆の力にしてゆけるように、これからも、がんばります。
 1月中旬だったでしょうか、富山・長野連続誘拐殺人事件・被害者の遺品が加害者である死刑囚に返還され、処分されてしまったという痛ましい話が新聞にのっていました。読売新聞は、押収物を機械的に加害者に返してしまう制度を問題にしていました。しかし私は、ニュースをよみながら、あらためて確定死刑囚とは、最後のささやかな善意をさえも行使することが許されない存在なのだと、痛感しました。送られて来た被害者の遺品を、せめてこれだけでも遺族に返したいと思っても、確定死刑囚には、許された親族以外の者へ、手紙も物も送ることさえできないのです。誰かに相談したり、協力してもらいたくても、そういう手紙さえ出せないのです。多くの死刑囚にとって交通を許されている家族とは、年老いた母父や、貧しい、世間に死刑囚の身内であることをかくして小さくなって生きている兄弟達だったりします。これ以上の肩身の狭い思いを彼らにさせることは、できないでしょう。加えて当局は「領置規制」と称して、必要最小限以上の物の所持を認めません。「処分する」以外に方法のない状況に死刑囚処遇がおいやっているのです。
 確定死刑囚の外部交通制限というのは、死刑囚が、時をえて、被害者や遺族への思いを率直に表現したいと思うこと、ささやかな、謝罪や反省を示すことを全く不可能にし、被害者や、遺族がその思いを直接にぶっけ、「何故なのだ?」という疑問を解こうとすることを阻害することなのですね。外部交通を制限する死刑囚処遇が奪っているのは、死刑囚自身の人権だけでなく、被害者・遺族の救済の道をも奪っているのだと気付きました。
 人間は変わらない、時間は何も解決しない、一度誤りを犯した者は永遠に同じ地平に立ち続ける。これが18才春の偏差値に人生を規定されたこの国の法務省役人の思想基準!
 「犯罪被害者」に焦点をあてた組織や運動が少しずつ動き始めています。二者択一や矛盾する利害としてではなく、人として生かし合い尊び合えるものにしていきたいと思います。
 レバノンの同志達の未来が近日中に決まりそうです。新聞をかかえて、「日本赤軍アラブでの30年近い活動の真価が問われているぜ」と緊張しています。今の世界情勢の中でレバノン当局にも、やれることとやれないことは当然あるわけですが、やっぱり同志達には、何が何でも「自由人」でいてほしいです。
 忙しい春になりそうですが、気をひきしめて、がんばりましょう、共に! シャバの中間達はエアコンにご注意! 獄中の中間達は、お月様と仲良く! お元気で!

 PS 前号の修正。私に不足しているのは腕力ではなく(なかなかのものです?)能力です。つつしむべきは、泣き言ではなくて泣き方です。ま、たいしたちがいはないけど、いちおう……。
ゆきこ 


YUKICO
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