支援連ニュース No.211

もうすこしで東拘も桜の季節になります。

2000.03.08 浴田由紀子

 お元気ですか。少しずつ暖かくなってきました。もうすこしで東拘も桜の季節になります。毎年楽しみにしているのですが、今年は女区中庭の桜を見ることが出来なくなりました。3月1日頃から女区では、ローカに面するあらゆる窓に目隠しフェンスをはりめぐらせています。日々フェンスは拡張して、今は、雑居運動場の上まで張られようとしています。(雨天体操可能になるのでしょうか?)建築中の新舎を見せたくないということなのでしょうが、いったい、そんなに人々に見られたら困るようなとんでもないどんな施設を作っているのでしょうか。それとも、年度末で余った予算をどう獄中者イビリに消費するかと考えて、思いついたのでしょうか。いづれにしても、女区は閉塞性が2倍以上になりました。
 裁判は、2月28日、黒川芳正同志の直筆「申述書」(75年被逮捕直後に書いたもの)と、彼が宇賀神寿一同志公判で行った証言記録を「証拠採用」して、同志の証人調べに代える手続きを行いました。宇賀神同志裁判の証言を、今度は検事が「要旨まとめ」にして作文朗読をきかせるのかと楽しみ(?)にしていたら、そっちは、書類を積んでみせただけで、「申述書」だけを検事が読み上げました。うん。なかなか上手にスラスラと読んでいたけど、同志の「主張」を検事が読むということには、やっぱり違和感があって、“そうだ!!”と思うところも率直に言いづらくて、おちつきませんでした。そのあと検事側証拠の提出手続きで、私を呼んで写真集をめくって見せるということをしたのですが、私もイジワルなので、写真を見て“これはS君のアパートだな”とわかっているのにカマトトこいて「これは片岡さんのお家のもの」と質問。検事は「そうです。片岡さんの実家ですね」。“フン、いいかげんなことを……。”と腹の中で思うだけで……ああこのイジケブリは何だ!!。というわけで検事当人もしかとはその内容を認識してはいない実況検分時の写真集が証拠採用されまいた。(この程度の陰湿なイジワルで良かったのだろうか、と少し反省しています。)
 209号で将司君が、シャナナ・グススマオ氏の声明について書いていましたが、私も1月に青山森人氏の『抵抗の東チモールを行く』を読んで「民族抵抗評議会(CNRT)」「民族解放軍(FALINTIN)」の立場というか姿勢にひじょうに感動しました。将司君が指摘する彼らの姿勢は、革命の途上において、一人一人の革命家や、前衛に問われる“役割”はそのつど変化するし、その時、その場に適した指導者・人材を生かしながら、総体として勝利していこうという、革命への献身・謙虚さではないでしょうか。彼らは又、他のいかなる権威や勢力にも依拠しないで東チモール人民の現実と「理想」にのみ依拠して、常に目的(理想)に向かって、現実に根ざして、自分達を変えながら闘っている人々だと思いました。
 太田さんは、208号の「チモールロロサエは国軍をもつというグスマオの声明について」の中で、武装をめぐるこの「転換」が、住民投票前後に人民が経験した現実に直面して、その総括から「決断」されたものであることに言及し、「独立した新しい社会が、国軍を有する場合でも、何の疑問もなく自然の流れの中で「民族解放軍」が国軍となる場合とは違う「何らかの変化」が主体的にも客観的にも生まれるだろう……」そして、「理想と現実の狭間での苦闘として」この転換をとらえようとていきされています。私もそう思います。理想をどう実現させるのかを考える時、現実を無視してその方法を提起してしまうことは、理想を遠ざけることになるでしょう。その手段方法を現実の総括の中で柔軟に現実に見合ったものとして採用する彼らの姿勢に学びたいです。独立の途上にある東チモールが今、国軍を持つことの是非を「第三者」である私達が云々することはできません。しかし私達は、彼らの理想が私達と同じ「非武装中立」であり、彼らがそれを目指す発展段階にある人々であることに最大の敬意と理解を示し、彼らの今の選択を最大限支持することが、今我々がとるべき方法ではないかと考えています。
 CNRTについての青山氏の報告を読んだ時私は、アフリカの小さな国から来た青年S氏のことを思い出しました。S氏は、自国の民主化、真の独立・解放のために働きたいと願っている普通の留学生でした。(今は国元で「建国」の事業に参加し、何回かの投獄も経験したというウワサを聞きました。)数人の友人達といっしょに、彼の国や、他の第三世界諸国のことを話している時、一人の若者がS氏に「ところであなたはマルキストなのですか、カダフィストなのですか、それとも、毛沢東主義者?ナセリスト?……」と聞きました。それに対してS氏は「人は私のことをマルキストだといい、別の人はいやカダフィストだといい、毛沢東主義やレーニン主義者だという人もいる。私はそのどれでもあるだろうし、又どれでもない。ある時私は、マルクス主義者であり、毛沢東主義者であり、ナセリストであり、カダフィストであり、レーニンやチェ・ゲバラやホーチミンのようであるかもしれない。私がなすべきことは、私の国の人民を解放し、彼らが真の独立を手にできるようにすることだ。そのためにマルクスの理論が必要な時にはそれを採用しよう。カダフィの経験が生かせるなら学びたい。他の民族や他国の人々の経験と教訓の全てを我が国の人民の力にすることが、こうして外国で学ぶ機会を与えられた私の務めだと思っている。そのために私は、マルキストでも、カダフィストでも、ナセリストでも、毛派でも……ありたい。そうして、私の国の人民の進める革命は、他のどの国の革命とも違う“私達の国の革命”になるだろう。何故なら、我が国の人民は、中国人ともロシア人ともリビア人とも……ちがう我国の人民の歴史の中に生きる人々なのだから」というような応え方をしていました。私は彼の話を聞いて目からウロコが落ちました。(とても私には言えないことです。)
 私達自身、革命は、人民の歴史と現実に依拠して……と考えてはいても、実際には「勝利した革命」のパターンに追従しようとしていたり、中国方式かソビエト方式かベトナム型か……と考えたりしてきたと思います。主体的にも客観的にも自分達の現実に根ざした自分達の革命の方法を創造していくという発想や、先達の経験や教訓を、こだわりなく、現実が必要とする時に生かしていく、という柔軟な発想はなかったように思います。
 S氏にしても、ザ・パティスタにしても、シャナナグスマオ氏とCNRTの武装に対する「短期間に数度に渡る方針転換」についても、彼らが理論や教条、そして固定的な理想を絶対化してではなく、他国の経験や力に依拠してではなく、現に今、ここに生きる人民の現実に根ざして、ここからどう理想を実現していくのかという問題として、革命の手段と方法を採用しながら、歩を進めようとしていることに注視したいと思います。党や「革命の方法」を固定的に絶対的にとらえるのではなく、常に自らを変革し続ける立場で、党(前衛)は無謬ではなく、人民も状況も常に変化し、続ける中で一つの目的を追い続けるにはどうするのか、自分を変え、やり方を変えてその時々の必要な役割をはたすということなのではないでしょうか。(この話は、利明君との対話の中でつめきれなかった「武闘是か否か論争」として書こうとしたのですが、うまく整理できなかったので、今回はここまで。)
 東チモールは、新しい時代の新しいタイプの人民革命なのだと、とてもワクワクしています。
 さて、レバノンの同志達は、日本へのいきなりの強制送還はなし、が決まって、近日中に釈放されることになりました。レバノン政府の決断とそれを可能にしてくれた人々の闘いに感謝の気持でいっぱいです。とりあえずの勝利的展開をヨシヨシと喜んでいます。しかし、決着ではありません。日本政府当局は、これからも陰湿に、悪質に、彼らの身柄確保に向けて手をつくすでしょう。同志達も、日帝官憲との攻防の中で今まで以上にきびしい「生存条件」を問われることになると思いますが、ナーニ、今彼らには、この三年間の人々と共にあったことへの確信がります。「ベイルート5」の『自由』獲得へ向けて第二段の闘いにどうか支援をして下さい。
 春、浴田裁判は、宇賀神君や、まり子さんを迎えるかもしれません。はりきっています。みんな、お元気で!
ゆき子 


YUKICO
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