支援連ニュース No.212

難局を勝利の土台へ!

2000.04.11 浴田由紀子

 お元気ですか、ようやく春です。
 だというのに、さんざんな春になってしまいました。どうも私達は春がいけないようです。どれもこれも予測していた事とはいえ、こういちどきに起こると、さすがの私も、ちょっと面喰らいます。獄中にいて、自分の体をうごかせないというのが、こんな時は余計にくやしいです。中間達が、ヘコタレたり、パンクしないようにとねがっています。しかしまあ、難局を勝利の土台へ! あの手、この手で力を合わせて進めていくのも悪くないでしょう。
 そろそろ「過去は、スッパリと清算して、来るべき未来について語ろう」と言いたいところですが、そうもいきそうにありません。浴田裁判は、「自供の任意性」弁護側立証と進むことになって、ルンルンのSAIKAI公判から一転して、あの「消せるものなら消し去りたい生涯の汚点の日々('75.5.19〜7.20)」と向き合っています。夏休み頃までかけて本人調べ、検事・デカ調べと「自供」をめぐる攻防になります。「あいつらが」どんなに汚いやり方を使ったのであろうとも、どんなにいいかげんな「調書」をデッチ上げたのであろうと、彼らの前で口をきき、何かを「自供」した自分は厳然といたわけですから、裁判という場で「二つの誤り」をどう、これはこれ、それはそれと明確にしていくか、むずかしいところです。私達の場合自供を敗北感から、というよりも、同志や友人を守るため、とか闘いの意義を正しく伝えるため、とか「肯定的な」口実を見出して自供する自分を納得させ、自らの判断において自供したように思います。敵の包囲の中で、自分に何かができると思ってしまう判断の誤りが一連の闘争を担った私達の「ゴーマンさ」と同質の自己過信、闘いの私物化としてあったと思っています。今、同志達が、同じ密室での攻防を問われています。私達の敗北の教訓が彼らの力になってくれることを願っています。
 レバノン政府が、岡本公三同志の政治亡命を認めたことは、実に大きな勝利でした。国境を越えた人民連帯・国際主義実践の成果です。レバノン政府の勇気ある決断と、それを可能にしてくれた人々の支援・アラブ各国の協力に心から感謝します。その一方で、日本政府は、金をちらつかせてレバノンの主権を侵害し、4人の同志達の身柄を買い取り、拉致するという暴挙を行いました。4人の身柄確保が、公然と「経済協力」と引きかえに交渉されたことを放置してはならない。かつてこの国は、「アジア解放」という美しい言葉で他国に軍隊を送りこみ、大資本を送りこんで、他国の主権を侵害し、搾取と抑圧のかぎりをつくしました。今、ODAだの経済協力だのという美しい名の金は、まさにあの時代の「軍隊」と同じ役割をはたしていることを、今回の「買い取り交渉」が明らかにしてくれました。戦争責任をわきまえない経済浸出、金による世界支配ではなく、真に人民レベルの、友情と連帯に根ざした共存と共生の世界を実現していくために、ここから再出発したいと思います。
 アラブ育ち、18才の少年は、「日本の汚いやり方」をののしる私に対して「……お金を見せられて動じるレバノンがだらしないのよ、どうせ日本は悪い国なんだから、“日本が悪い”って言うよりは、それをアラブが団結してはね返さないのがまちがっている」といきまいていました。「今頃、“日本が悪い”なんか言っているようじゃあ、あなたおくれてるよ」と言わんばかりです。そりゃあそうだ。しかし今、私達は日本の中にいる。「金をちらつかせる」悪い日本の一構成員だ。この悪い奴の足を少しでも引っぱることが、アラブでの団結した抵抗や、主体性を共に闘うことじゃあないだろうか。息子よ、母ちゃんはそのために今ここにこうしている。と言いたいのだが……。「あんまり人の心配ばっかりしないで、自分のことをちゃんとやりなさいよ」といましめられながら、彼ら新世紀人は、「代行」や「依拠」ではなく、自然に両方の立場に立ってるのかもしれないと、チラッと思いました。真の共存とは、共通の権利と責任を問い合い育て合うこと?
 丸岡修同志確定のニュースは、ノーテンキな手紙を出した直後に、三日遅れで入って来ました。何ということだ。こんなどんづまりになって! 4同志との合流、再編をびびっとんのか?
 赤軍罪、まさに組織犯罪対策法の拡大・前例作り的なデッチ上げ判決です。「犯人である」という確たる証拠があるわけじゃあない。反対に「犯人じゃあない」証拠はある。にも関わらず、一回ぱくった奴は、(赤軍であるかぎり)「他の犯人をつれてこないかぎり」犯人にされてしまう。それも超重刑! 考えてみたら、警察も、検察も裁判官も犯人をつかまえて起訴して重刑にしたら「手柄」なんですね。でもそれがまちがいであったとわかっても、みんなしてそのことは秘密にしてくれる、のみならず、それで減点されることはないシステムなのですから恐いものは何もない。いったんつかまえた奴を、悪い奴だと言えば言うほど、重刑にすればするほど出世できる。こんな無責任システムだから冤罪がなくなるはずがありません。
 丸岡同志は「仮釈放なんか期待していません。」と書いているけどとんでもない。まずは再審を請求して無実を明らかにする。ことだけど、やってもいないハイジャックで、見せしめ報復予防拘禁のために一生を獄中ですごす意義なんてカケラもない。少なくとも「革命をめざす」ことが罪に問われているわけではないはずだ。「外に出たら、こんどこそハイジャックをやったろ」と思うのでないかぎりさっさと出てきて、現実的・具体的に革命のために人の役に立った方がええと私は思うのだが……。ちがうだろうか。正直、アレコレと細かいことを言ってもらえなくなるのは、ちっと心細くなるけど、まずは、気配り休んで、健康の回復にしばらく専念してほしい、そして、はよ、みんなのところへ帰ってこい!
 「4月7日、全国30数ヶ所にガサ」だと! 口実は、4半世紀以上も昔、外国でおこった“逮捕・監禁”というのだからデタラメだ。こんなことが許されていいはずがない。88年の大量ガサ裁判の判決が先頃出された。95年以来、警察は「オウム」の名の下に好き勝手にガサ・別件逮捕デッチ上げ・人権侵害・法律違反をくり返して来たのに、さして批判も抗議も受けなかった。それが今回のガサに勢いを与えたことはいうまでもない。警察の不祥事だの、不正だの、こんなデタラメにオスミツキを与えているのは、こんなとてつもなくデタラメな捜査礼状にハンコを押す裁判官一人一人だ! 二度と許さないとりくみを進めよう。中間達がひどく疲れてしまってないようにと願います。

★「ザ・パス」にのったN同志の文章について、私がひとことも言及しなかったので、将司君にまで気を使わせてしまって、申し訳なかったです。前号で丸岡君は「認識にまちがいがあるなら、指摘すべき、国内と国外の同志達の総括を結ぶ義務が浴田にはあるのやから」と書いていて、それはそのとうり。シカトしたのはまちがいだったと反省しています。
 私がひっかかったのは、「カプセルに最も反対だったのは斎藤同志だ」という、カプセルに対する当時の斎藤同志の認識です。何故今、こういうことを言うのだろうかと疑問でした。さらに、N同志の経験と認識は、私のそれではありません。おりしも裁判では、将司・利明同志を迎えて、カプセルを何故持っていたのか、どの程度の強制力を持つ「組織方針」だったのかが問われていました。
 カプセルを持ったこと、それを自分達の誤りや思想的不十分の責任を取り克服する手段にしようとしたことは「まちがっていた」。今私はそう思います。しかし、当時の私達は、最善の策ではないと認識していても、彼我の状況の中で「必要だ」と考えていたのではなかったでしょうか。「反対」を表明できないような同志関係であったとは思わないし、「反対」をアイマイにできる問題でもありません。私はカプセルを受け取った時、それが「従うべき組織決定」であるとは思っていなかったし、「私はいりません」と拒否することはいくらでも可能だったと思っています。それは、誰にとってもそうだったのでは、なかったでしょうか。東アジア反日武装戦線への結集と同じように、一人一人の主体的な意志によるものだったはずです。その意味で私達は、同じ誤りの地平にいました。
 斎藤同志は、何故あのように死んだのか。私は、ここ数年来、「和君の本」を書けないでいます。斎藤同志は、カプセルに反対だったのに、それを渡されて、組織決定だったから、死なざるをえなかったのだとは思いたくありません。カプセルを持った私達はまちがいでした。彼を死なせてしまった私達は大まちがいでした。しかし、彼自身はあの時「これが革命の前進にとって必要なことだ」という確信を持って死んだのだと、今だに私は思いたいです。強いられて、誤って死んだのではありません。ちがうでしょうか。二度と再び誤った確信によって、誰を死なせることもない、闘いを進めたいと思っています。
 将司君は「転覆の政治学」を読み終わったでしょうか。寒さをのり切る手段が布団しかないばっかりに、何も仕事が進まないのは、私一人じゃないと知って少しニヤついています。
 すごしやすい季節になりました。次号は、元気の出る話をしましょうね。いろいろありますが、みんなお元気で!

ゆき子 


YUKICO
inserted by FC2 system