支援連ニュース No.213

闘い続けていれば、必ず出会い直せる。

2000.05.08 浴田由紀子

 お元気ですか。
 病気の丸岡同志は、4月20日、元気に下獄しました。
 「最後の手紙」は、仮釈放はありえないので、「皆さんが、本当の人民の政権を現実した時に、私を獄から出して下さい。」と何やえらい難問をつきつけて、はりきって下獄してしまった。下獄前にぶ厚い手紙が来て、「アレハコウセイ、コレハコウヤレ、ココモオトスナ、アレモヨロシク……」と言って来るんだろうとヒクヒクしながら楽しみにしていたのに、ようやく来たのは、「手紙は個別には書けないから、あいさつだけ。……ほな21世紀に!」という、たった5行のハガキ。そして、前記のとんでもない宿題や。細々言うてもろたほうが、どれだけ気安うて、やりやすいか……。
 今月は、少し夢のある話にしようと思っていたのに、どう首をまわしても、ちっともそういうネタは見当たらん。新しい世紀が目の前だというのに、この国は、ドンドンとんでもない方を向いて坂道をころげ落ちているような気がする。危機感を誰もが持っているのに、その「対策」というのが、ことごとく、「修正破壊主義だ」と思うのは、私だけだろうか。
 特に子供達対策はひどい。指導要項を「改正」するとか、少年法を「改正」するとかで、今子供達がかかえる問題を「解決」できると、いったい誰が本気で考えているのか?
 名古屋で少年達が数千万円ものお金を1人の少年からおどし取っていたニュースは、時代遅れの私にとっては、とても信じられない話の連続です。この頃、ハイティンの子供達がいろいろな凶悪事件をひきおこしているとマスコミはさわいでいますが、同じ年頃の子供をもつ者として、あらためて、息子は今、どういう社会に生かされているのかを思い知らされています。
 学校の先生も、警察も、問題の存在に気付きながら「自分達が介入することではない」と思っていたというのだから、子供達は、誰をたよりにして生きていけば良くって、誰が正義を実現し、信じさせてくれるというのだろう。読売新聞には、お金を奪った少年達が夜中にタクシーを呼びつけて、遠くの町へ行ったり、風俗店に出入りして豪遊するのを、何回も乗せた運転手のインタビューがのっていました。運転手は、「ええ(彼らは)異常でしたね」と言ったらしいけど、私には、「異常なのは、オッサンアンタヤ!」という気持がする。この人は、少年達の異常ぶりを何回も同席(夜中にタクシーにのせて、大阪や、風俗店に中学生を運ぶということはそういうこと)していながら、「何しに行くんだ」とか、「どうしてそんな大金をもってんだ」「オマエラ、おかしいんじゃないの」とか、どうして聞いたり言ったりしてあげなかったんだろうと思う。
 子供達は、かぎりない好奇心と欲望の固まりだ。少しずつ、少しずつ自分をコントロールする術を習って大人になってゆけるのだと思うのだが、今、子供達が子供でいられない時代、誰も守ってくれない、教えてくれないのに「責任」だけは一人前に問われるようになる。これが、窮地に立たされている子供達の21世紀のために、大人達が用意してやれる「社会」だろうか。
 私はおばあちゃんなのかな、と思う。田舎育ちのせいかもしれない。けど、家族に育てられた、先生に教育されたという思い以上に、名前も知らないどこかのおじさんやおばさんや、お兄さんやお姉さんや、……に守られ、教えられて育ったという思いがとても強くある。おせっかいやでしゃばりや、ガンコオヤジ、そんな人がいない町の中で子供達にとって、知らない人々はただの「風景」や「社会のパーツ」でしかないのかもしれない。「風景」や「パーツ」に、生命や感情や、ぬくもりを感じられないとしても、それは子供達のせいではない。
 「人が人として人らしく尊び合って生きられる社会」を、この子供達と共にどう創っていくのか……。
 一方に、日の丸君が代に疑問を提し、しっかりと行動する子供達のニュースがある。いつでも、どこにでも不良少年はいて、いじめっこはいる。ケンカもする。そんな時必ず正義派や、やさしい子、おせっかいや、でしゃばりがいるはずだ。そして彼らが行動することの中で誰もが、共に生きる仕方を学べるだろう。子供達に、いっぱいの経験をしてほしい。いっぱいの行動することを恐れないでほしい。それをみんなして見守りながら、いっしょに育ち合っていければ、何ヶ月も、中学生の豪遊で金をかせいで、子供達がトコトコン窮地に立たされて始めて「異常でした」と他人ごとのように言えるそんな恥ずかしい大人はいなくなるだろう。
 そして今頃、おそろしいと思うこと、その2は、
 小渕君から森君へ、この国の首相が変わったのだが、その根拠が未だに客観的に公式に示されてはいないにも関わらず、ほとんどの人が「納得」してしまっていることだ。誰がやったって違いがあるわけじゃないから、誰も気にしないのかもしれないけど、こういう「政権交替」のやり方が可能だとしたら、都合の悪い奴はドンドン病気になったり、ケガをしたことにして、ひっこませればいい、……これなら、軍事クーデターの方がよっぽと民主的だという気がするのは私だけ?!
 石原都知事の「第三国人」発言を、4月14日の読売社説は「(マスコミの)言葉の“つまみ食い”が騒ぎを大きくしているだけ」石原は「不法入国した多くの」を削ったために「石原が在日外国人一般を“危険視”する発言をしたかのような反響を呼ぶことになってしまった。」「……永住権を有する……合法的に滞在している外国人を対象とした発言ではない」からいいのだ。という論調で石原発言擁護にまわった。そうして「治安維持」のために最悪を想定し、自衛隊を動員するのはただしいのだから、「第三国人」云々で批判するのはまちがい、というわけだ。詭弁を弄して人心を操作するマスコミはいても、問題の所在を明白にしてあくまで追求するマスコミは目立たない。……みんなどうしてしまったのだろうか。
 今月も、夢のない話になってしまった。シャコが次々と病気ばかりしていることも心配だ。長期の獄中生活が体にいいわけはないが、それでも岐阜刑は病人が多すぎるのじゃあなかろうか。自分で予防したり、対処したりできないことも獄中者の病気を二重、三重につらいものにしている。秋には、会えそうだ。私に会いさえすれば、元気を半分分けてあげるから。
 5月から7月位まで公判は、「自供の任意性」です。25年前の「雪辱」を果たすべく、がんばります。時間が作れたらら、ぜひ、傍聴に来て、デカ・検事への攻撃を共にして下さい。
 今月は、25年目の5・19ですね。25年間、みんなして、いろいろな持場で闘い続けてこれたことを、支え続けて下さったみんなにありがとう! 闘い続けていれば生きてさえいれば、必ず出会い直せる。再会できることを、昨年私達は実証しました。そしてこれからも、今まで以上につながり合って、共に生き闘っていきます。
 私達のやろうとしたことは、今、あの時代以上に問われているような思います。出会いと年月を力に、さらに歩を進めましょう。共に! 
みんな、お元気で! そして再見!

ゆき子 


YUKICO
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