支援連ニュース No.219

待ちにまったシャコとの対面をはたしました!!

2000.11.11 浴田由紀子

 寒くなってきましたが、お元気ですか。
 今年は暖冬とか言われてていますが、何故かとっても寒いので、私はもう10月からハンテンを着て、昨年の残りのホッカロンを使っています。どうなっているんでしょうね。みんなカゼをひかないように、しっかりあったかくして下さい。地震や噴火のあった地方の人々は家を失って、ホームレスの人達は、ますます大勢になって、「私しゃちょっと甘ちゃんだぜ」と反省しつつ……。
 10月17日、待ちにまったシャコとの対面をはたしました!!
 フ、フ、フ……すでに3人の仲間達からの報告があるので圧倒的な部分は省略ですが、傍聴席のリポーターには見えなかった、とっておきの報告は、『シャコは笑うと、とってもかわゆい!」ということです。
 始めに入ってきた時は、被告席のきどりきったお姉ちゃんにも、傍聴席の明らかな「シャコファンクラブ」お姉様達にも、笑顔ひとつみせないで、キンチョーしきった顔で、チョーエキのプロみたいに、固まった顔のまま、目だけ動かして私達を見たりしているんで……ああ、獄中18年というのはたまらんことだなあ……とちょっと暗い気持になりかけていたんです。そしたら……傍聴席から我らがHちゃんの声で「裁判長!声が小さくて聞えないんですけど…」とクレーム。裁判長が「このマイクは録音用ですので、マイクを居れるのは物理的に不可能なんです。」なんて、ていねいに応じているのを聞きながら、コチコチだったシャコの顔が、「アチャー、私いけなかったかしら……」と顔会話をはじめてニタニタ……になってきて。それからはもう……元気。証言にもだんだん油がのってきて、笑顔も、「笑い話」も……顔会話も……。将司君は「端然として寡黙な人です」と言ってたけど、人間が変わったのか、統一公判では、みんなの迫力に圧倒されて猫かぶっていたのか……シャコは、手紙のとおりの、オトボケ、オモロイ兄ちゃんや……。始め私の方見てくれない時は、アャーきらわれたかフラれたか、失望されたか、それとも私の魅力に気付かんのか……といろいろ思い悩んだけど、良かった、出獄後のデートも、今の調子だったらOKをとれるでしょう。
 11月7日には第2回目、(何回も会える、というのは、とっても、豊かな気持になれることです)。今回は、シャコの頭の毛も少しのびて、顔色も前回よりうんとよくなって、顔もクダケテ、証言の間中、ほとんど体は被告・弁護人席の方に向けてななめにすわり、証言は、手ぶりをまじえて、実におもしろかった。久しぶりにこんなに熱心に話す人に会ったという感じだった。
 今回の証言は、前回に続いて74年8月の三菱重工爆破の頃から、翌75年5月のいっせい逮捕を経て、82年のシャコ自身の逮捕のころまでをほぼ時系列にそって聞いていきました。「武闘に入りきれない、まよい」を持ちながらも「わざわざ政治・思想学習をしなくても、実践を積み重ねる中でだんだんわかっていくものだ」という黒川君の指導方針の下で、爆弾作りの「手元」を続けながら「大衆運動からだんだんはなれていくような思い」に迷いながら、闘いを続けていた。そんな中でシャコは間組6Fの爆弾設置係りになる。『今度は君、やってみないか』と言われて、『やります』ということで、……強制ではなく、提起されてあくまで私の選択ですね」で、出向いた間組入口で彼は、「はい。見ました。通用口から入って、エレベーターを待っていたら、降りて来たエレベーターから4・5人出てきた中の1人がダンボールの箱を持っていて、もう一人がそれをかばうように出てきたので、オカシナフンイキの二人を確認していたのです。」将司君も先の証言で、「現場でさそりの人を見ましたアヤシイフンイキでした」と言っていた。これが地下ゲリラの実体か!?
 シャコの話に、泣き方を心得ない被告人はまたも失態を演じてしまった。話が5・19いっせい逮捕とシャコの「逃亡生活」に及んだ時だ。シャコ自身全国指名手配になって「逃げるのにせいいっぱい」の中で、同志の自死や自供のニュースを聞く、シャコは当初それらは、警察に拷問やなんかで謀殺されたり、自白剤を使われているのだと考えていた。笑いながら「……信じられなかったですよ。とくに黒川君。彼は逮捕された場合の心得を小冊子にして発行したりしていたのですから……」と話したあとで、「(その後少しおちついてから)図書館で調べて、彼らが本当に自供したんだということもだんだんわかって、同時に彼らのくやしさもわかってきました。そのことがあったからこそ、私自身が逮捕された時、自供しなかった。彼ら自身の総括実践という思いもこめて、自供しなかったということもありました」。シャコありがとう! 本当にやさしいいい奴だな。出会えて、同志で、うれしいヨ。みんなにみせびらかしたい、これが私の同志です! 私は今日まで、シャコは、こういう質問に対しては、7年間の潜伏の闘いが自分を鍛えたのですと言うだろうと思っていた。熱い水が目から出てきて、何ともかっこ悪い。こんな時にかぎって、証人はまっ正面1mからこっちを見ている……。
 続いて弁護人が「クアラ事件やダッカ事件で同志達が出国するのを見てどう感じましたか」と話をすすめた。
 証人:「マレーシアの時(75年8月クアラ)は私は逃げるのにせいいっぱいだったから『俺もいっしょにつれて行ってくれたらなあ』というのが正直な気持でした。ダッカ(77年10月)の時は、逃亡のスタイルも決まって、スムーズにやれていたので、『行った人にはしっかりやってもらいたい、自分も国内でガンバル』という気持でしたね。」なぞと言ってまた泣かす……。
 次回は、シャコ自身の総括や、獄中での経験、そしてせまりくる出獄に向けて、様々な思いを聞こう。私自身も、ちっとは何か「質問」をしてみたいと考えている。もう二人もやっているから、今度はちっとは上手にやりたいものだと、今、いろいろに工夫をしている。
 今回シャコは、尋問のスキ間に「あついねー」とこつそり言ってくれたことを、つけ加えておこう。
 ルンルンのシャコ証人裁判をかみしめていた翌8日、ナント、日本赤軍の重信房子同志が大阪で逮捕されたというニュース!! 私達も、こりない人々ではある。とにかく今は、とばっちり弾圧を断乎阻止しなければと気をもんでいる。そして、同志達、もうこれ以上一人の逮捕者も許容できないガケップチにいることを、肝に命じてほしい。逮捕されないことが、革命と仲間を守る今、同志達の最大の任務であることを! 強く勇壮なだけが革命家の勇気ではないことを!
 そして私達は、再び、三たび、難局を勝利の土台へ!
 お元気で、ガンバロウ共に!

ゆき子 

YUKICO
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