支援連ニュース No.221

荒れる統一公判も南3舎も……今は昔

2001.01.12 浴田由紀子

 お元気ですか。いよいよ21世紀という奴です。どんなかなあーと子供の頃はそれなりに期待していたように思うのですが、何か特別なことがある訳ではないんですよね。
 日本は、支持率最低、誰も「アンタが大将」と思っていない森政権で世紀越え、アメリカは、数え方しだいでドーニでもなるやり方で、どっちでもいいクジの当たりでブッシュが大統領……どこでも「政治家」なんて誰でもいい、政治で世の中が何とかなる訳じゃないと人類がしらけきっていることの証なのでしょうか。
 そんな中で私達もどうやら、パラダイムチェンジとやらを問われているのだそうですが、ウーン、四半世紀昔の出来事をひっぱり出してきて、ああだったこうだったという裁判という奴を商売にするのも、なかなかにむつかしいものがあります。東ア裁判は新世紀に持ちこしですが、第一審としてはこれが最後のとどめの東ア反日武装闘争裁判になるのですから、「正しく歴史に記録するために」じっくりやります。あとがない、ということは修正はきかないということですからね。ここでしっかりほじくって、再審にひきつげるようにしなければなりません。今年もガンバレ!
 さてその浴田裁判、暮れの22日は荒井まり子同志(今やワンパクを卒業しそうな二人の少年の母です)が証人でした。
 彼女とは帰国以来、何回か面会室で再会を楽しんでいて、昔の二人を知っている立会いの看守には「何よアンタ達、井戸端会議みたいな話ばかりしちゃって! あの頃のイキオイはどうしたの!」とひやかされたりしているのですが……まあ、そういう関係に再編し、出会い直して、今日は「共闘」という訳です。
 まり子さんは、大学に入って当時の学園闘争やベトナム反戦運動の中で将司君達に出会い、彼らの生き方に共感しつつ、自分の能力や資質にこだわってアレコレと試行錯誤しながら、じぶんなりに人々の為に働ける生き方をモサクし看護婦という仕方で実践していこうとしている中で、三菱闘争が起こり、同志達の苦闘を知って、支えたい、苦しみと責任を共有したいという思いだけで、パクられてからも、自分の無関与を主張するのではなく、同志達の苦しみや責任を分かちもつことを求めて、無実のままに、8年もの重刑を言い渡され、12年半もの獄中生活を強いられた過程を、節目節目の思いをとってもていねいに率直に話してくれました。
 本当のところ私は、まりちゃんの話を聞きながら、彼女がとっても説得力のある、人に伝わる話し方をする人なのだな、と感心したりびっくりしたりしていました。何度も話しているのに、いつもプラスチックをへだてて時間に追われる面会室だったり、食器口に口をつけて、どなるように大声で叫ばわる話し方しかしていなかったせいでしょうか、「まりちゃん大人になったなあ。」と自分の年(私達は半月ちがいの同い年です、私が下)は棚にあげて、うなづいたりしていました。
 おかしいのは、質問担当の内田さんがさかんに、「吉村さんも、宇賀神君も、みんな福祉の仕事をしたいと言っていて、あなたの門下に入ろうとしている。将来浴田君も、福祉の仕事をやるということで、あなたの門下に入ることになると思うのですが……」と売り込んでくれているのに、彼女は、クスクス笑うだけでいっこうに『ええもちろん大歓迎です、ゆきちゃんが来てくれたら、とってもたのもしい。まっていますよ』とかひとことも言わないんです。オセジとかオベンチャラとか言わない人だっては知っているけど、こんなに人を見ぬく目もあるとは知らなかった! 内田さんがあんなに売り込んでくれたのになあ……。ブツブツ……。今にみてろ、人間変わって、「内田さんの推薦は正しかった!」と言わせてみせよう。という訳で就職先を決めることはできなかったけど、まあいい先は長い。
 東拘はどうも、荒井まり子、浴田由紀子と二つの名前が並ぶと、それがどういう「枕詞」をつけられていようと、条件反射的に、戦争体制をとるようになってしまっているようだ。あの日々の原体験によっぽとこりて、トラウマになっているのかしらん? この日看守(両サイドの大男2人)は何故かビタッと私に密着して座ってメモもとりにくいほどだった。「メモとれないから、もすこしはなれて」とつついてもいっこうに動かない。そのうち後半には、部長(3人目の立会い)は、私の机の前にイスをもってきて、3方向から私を囲む……。私も始めは、何やってんだ? 位で気付かなかったけど、途中で、アッまりちゃん……南3舎・解放区……公判のたびに退廷……ゲバルト……チョーバツ……としりとりみたいに思い出して納得。東拘のオバカ!!
 しかしここまでチョーハツされて「何もなかった」じゃあ、ちょっと申し訳ないのかしら、とやさしいまりちゃんは、証言のあとでわざわざ傍聴人になって出直してきてくれたりした。
 “右手小指のツキ指”。23年ぶりに、統一公判の雰囲気を少し再現!! 良かった! しかしまあ、閉廷直後の被告人と証人の対話が、「子供の背が私をこえたよ」とか「今度子供の写真を送るわ」とか「なんとかあいつも高校卒業できそうだよ」とか……というのも、どんなもんだったかしら?! 裁判官も検察官も弁護士も傍聴人もみんなに聞かれたなあ……? 荒れる統一公判も南3舎も……今は昔……。
 ということで、弁護側証人6人のうち3人が終了。次回は和君の同志(日特金闘争)であった大島(朝倉喬司)さんが証人としてきてくれます。
 日特金の頃からの、私も知らない和君のことをしっかり聞こうとはりきっています。大島さんは、支援連ニュースの「和君を捜して」シリーズのインタビューの中で「和君が東アのことを私に言わなかったのは、彼のやさしさだと思う」と言っていました。和君と私は、ことあるごとに「大島さん達どうしてるかな」と言い合い、4月30日ヴェトナム解放のニュースを聞きながら、和君は「大島さん達どうしてるかな……」と本当に彼らに会いたそうでした。誰よりもいっしょに喜びを共にしたい“同志”だったのだと思います。
 そんな大島さんと私も26年ぶりの再会です。ワクワク・ドキドキしています。もちろん300たたきは続けなければなりません。(でもこれってホント効かないね。効果よりも進行速度の方がはやすぎるのでしょうか……なら600にするか?)
 重信同志被逮捕以来、あちこちに限りなく迷惑をかけています。理由があろうがなかろうが、関係があろうがなかろうががさやっておどして、イヤガラセして……再逮捕もくり返して……公安デカの存在理由をデッチ上げる、ということのようです。バーローですが、力を合わせて反撃していきましょう。本人は元気に、はりきっているようです。将司君やシャコ達の応援にはげまされていることでしょう。ありがとう、私からも。
 まとまりないですが、こんな調子で、今年も元気にやっていきます。今年は2月から本人尋問、暮れには結審だそうです。どうか力と知恵をいっぱい借してくださいね。みんなにもらった力と知恵とはげましを、生かしきれるとりくみにします。
 お元気で、ガンバロウ、共に!

ゆき子 

 P.S. 1588件の過激派事件を担当した警視庁公安三課が省庁再編で消滅したという記事がのっていました。フン!ですね。


YUKICO
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