支援連ニュース No.223

次回22日からは、本人尋問の開始です。

2001.03.17 浴田由紀子

 お元気ですか。春がちょっとゆっくりなようですが、「国」がヒヘイしているせいでしょうか。
 森喜郎という人はなかなかに根性ありですね。変わりがいない、誰も火中の栗はひろいたくないということなのでしょうが、ここまで来て、ひきずりおろせない野党が悪い、マスコミと市民がだらしない、とだんだん鉾先は「身内」に向けざるを得なくなってきます。誰かが「天皇だけじゃなく首相も象徴?」と言ってたけれど、そんなものなのでしょうか。KSDも機密秘ローエーも、検察と裁判官による証拠隠滅も、どこまで明らかにして、どこまで追求して、誰と誰をおとすかは全て、検察庁の思いのまま、森政権の命運だって、自民党だって、たずなを握っているのは、彼ら検察なのだというのが、この頃わかりやすくなりました。昔は憲兵という人々がいて左翼だけじゃなくって体制派政治家にもニラミをきかして……政局をも牛耳っていたようですが、だんだん同じようになってくるのでしょうか。「検察が大将!!」私達もいいようにやられているナア!!
 221号で将司君が、この間の日本赤軍の敗北状況に言及してくれていますが、率直に批判してくれていることはちってもありがたいです。評論家的に解説してくれる人はいても「君達いかんじゃあないか」と親身になって言ってくれる人は少ないので、しっかりと受け止めます。国外にいる同志たちへの私の思いも同感です。又、何が敗北なのか、何を破壊したのか、しばしば自らを「主体」と思っている時、自分の状況にこだわって、客観的な自分達の位置と姿を見失ってしまいます。将司君も「彼らは日本の運動状況を良く把握していないようだ」と書いていますが、全くその通りです。それが敗北を二重、三重に拡大してしまう根拠になっていると思います。
「地下活動」という活動形態の中で、直接的に人々と共同し、試され、鍛えられる回路が弱い分、いつの間にか観念的でひとりよがりな「闘い」を強めていたかもしれません。東アで、連赤で、日本共産党で……この国の革命闘争の中でくり返し教訓としてきたはずのことを、またくり返してしまっています。同志達と共に、党、組織のための、自分達の実現のための「革命任務」ではなく、真に、人々のための「任務」、人々の望む「役割」を、自覚的に把握し、検証され、鍛えられていく在り方を、あらためて我がものとする闘いを続けます。(敗因は、路線そのものにあるのではなく、全体状況とその中での主体状況認識の誤りが最大だと思っています。克服もここからですね。気持が変わっても、やることが変わっても、着ている服のことを忘れると、時々場をこわしてしまいます。)
 浴田裁判は、2月27日、一橋大学教授で、ずっと戦後補償問題、アジア日本関係史を担ってこられた田中宏先生に証言していただきました。聞き手は、戦後補償問題等で田中先生との協働をつみ重ねて来られた内田弁護人。
 大学を卒業したあと、アジア学生文化協会職員として「留学生の相談役を担当した。それが全ての出発点です」という言葉で開始された田中先生の証言は、留学生との出会いの中で、日本政府による留学生への対応や、アジア人留学生の日本のアジア政策、在留外国人政策に対する考えを聞く中で「留学生達の、日本に対する見方のきびしさを知るようになった」こと、「(不当な)外国人処遇が、歴史認識、特に戦争責任、戦後処理の問題に根ざしていること」に気付いていく経過を、一人一人の留学生達の言葉として語られました。私は被告人の立場を忘れ(メモも忘れて?)、一つ一つのエピソードを追体験しているようでした。
 弁護人の「彼ら(東ア)は、天皇列車爆破を準備した訳ですが……」という質問に対しては、インドの留学生を田舎に連れて行って村の青年達と懇談した時、「村の青年達が“日本に来ておどろいたのは何ですか?”と聞くとインド人学生が“天皇が健在で東京のど真中にいるのでびっくりした。あれでいいのか?”と問い返して応答できなかった」エピソードをあげて、「(東アの天皇列車云々は)アジアの人の日本の過去についてのきびしい目を感じていたので、それに手が届くことがようやく日本でも問題になってきたのかなと思いました」と。
 そして最後に、東アの闘いと問題提起に対して「……方法については、一定反省しているのかなと思いますが……。」「私は、たまたまアジアの青年達との非公式な会話の中で、日本のある姿を見せ付けられたのと、それに率直に反応する日本人が出てきたのかな、一定の役割をはたしたのではないか……」結ばれた。
 花岡裁判の和解成立、そして、アジア人留学生との出会いの中から、この国の戦争責任、戦後責任問題に気付き、一貫して戦後補償問題に取り組んでこられた田中先生の証言を聞きながら、私は、何が私達の“方法の違い”だったのかを考えていた。そうして気付いたことは、私達(東ア)は、被害者・抑圧されたアジアの人々、今現在、生活している一人一人によりそい、共にどう解決していくのかという立場が欠けていたのではないのか、「被害者」「被抑圧人民」と「日帝本国人」がある我々を分け、「差」を前提にして、解決の道を、自分達だけでさぐろうとしてしまったのではなかったのか、それ故に、「彼らの気持」や生活とかけはなれた解決の道=即座な武装闘争という手段を取って、新たな「犠牲者」を作り出してしまったのではなかったのか、気づきました。もっともっと生活者である、抑圧された人々によりそい、同伴しつつ、お互いを変え合っていく闘い方が問われていたように思います。私自身、ロペスさんや韓国でのオジサン達との対話によって、問題の所在に気付いたはずなのに、いつの間にか、「彼らに会うと迷惑をかける」存在になってしまったのは、何だったのか……と。
 そして今、よりそうことから、問題の解決にとりくめなかった同じ問題が、一連の闘争の「被害者」との関わり、死刑制度廃止への立場、さらには、前記した「日本赤軍」の在り方として、ひとつながりの“私の今”を問う問題としてあるように思います。「人民不在の……観念的な……」と言ってしまえば簡単なのかもしれないな、と思いつつ、法廷はまちがいなく総括を深め、「被告人」を変革する場になっています。
 そして、次回22日からは、本人尋問の開始です。「さあどうする!!」と毎日自分に問いながら……。
 みんながくれた知恵と力と声援と教訓と……そしてこの年月を、何とか結実させ、生かしぬけるものにしたいと、あせりまくっています。最後はまた、エーイ、出たとこ勝負じゃあ!! となりそうですが、とにかくガンバレ! ケツをたたきつづけて下さいね。上手にフィニッシュを決めたいです。
 先月号で検事のデタラメぶりをヒロウした山本同志は、未だに証人出廷不成立のまま、3月12日に保釈出獄しました。とりあえず良かった。裁判は続きます。そして、名によりも彼女は30年ぶりの日本暮らし、とびきりの今浦島です。リハビリにも力をかしてあげて下さい。獄中で「オバサンにはなりたくない!」と腹筋にはげんでいましたから…たよれます。
 春、着実な反撃と前進の時にしましょう。人間「やられグセ」がつくととことんいじけてしまいますからいけません。
みんなお元気で! 共に!

ゆき子 

P.S. シャコが、私の大学と近かったといってるけど、私は70〜71年明学の近くに住んで下宿人の半分は明学生。時々階段教室の授業をぬすみ聞きに通っておった。「アホな過激派学生がパクられた」話も聞いていたけど……ああ、若き日々のシャコと知り会いたかった。お互い人生かわったかもな……。


YUKICO
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