支援連ニュース No.225

私達の絆は、「地獄の底まで共に!」だ。

2001.05.12 浴田由紀子

 お元気ですか。
 この国は、「変革の時代」、「革命児小泉」がソーリダイジンになって、さて、どっちに向いて加速するのでしょうか。森君が「IT革命」がどうのこうのと言っている間は、私もまだ余裕だったのですが、ここえきて、ついこの間まで「変革」とか「改革」とか「革命」なんてのは、“うちら用語”で、歴史を飛躍的に前進させる、「人民開放」の為の言葉、左翼の専売特許と信じていたのに、いつの間にか、「右傾化」「歴史後退=反動」の方法論に奪われてしまったように見えます。
 新聞の投書欄(読売)を見ていると、みんな「変革」だの「改革」だの言葉だけでワクワクして、いきなり支持。中味がどっちを向いているかなんてことを気にしている人は、少ないように見えます。「革命」が流行るのでしょうか。むかあし、むかし、こうゆうふうにしてみんなが「変化」を求めて、あのナチスヒットラーも、天皇も出てきて、戦争もおしすすめられたのではなかったっけ?! 私なんか人間が、欲ばりのせいでしょうか、みてみい左翼が、「革命なんていうのは過激だ」の何だのって、びびったり腰の引けたことばかり言っているから、商売道具もっていかれて、商売ガタキの看板にされてしもたヤンケとくやしがっています。
 今のような沈滞で不安な時代に、誰だって「革命」がいいにきまっています。「猫も杓子も後退し、口あたりのよいことしか言わなくなった中」で、人々は「革命」の看板をかかげて、反対を向いて走るバスに、行き先もたしかめずに乗りこもうとしている。看板用語を奪われてしまって、これから、私達自身をどう呼べばいいのだろうか。
 さて、その自称革命派30年選手の「日本赤軍、解散」というのが、デカデカと新聞にのった。「宣言」の内容を細かくは把握できていないのだが、「解散」自体には賛同しつつ、「宣言」の在り方に『これじゃあいけない、こんなはずじゃあなかった』と違和感をもってしまっている。くわしいことは、全体を把握してから言うべきだと思うけど、何故今「解散」なのか、共に生き、闘って来た同志や友人達、そして、「あいつらいろいろ問題あるゼ」と思いつつも、反弾圧戦線をあるいはこの国の革命を、共に闘い支えて下さった人々に対して、まず第一に伝えうるものでなければならなかったように思う。さらに、「解散」は、これまでの日本赤軍としての活動のすべてを、人々との出会いや共働、信頼や絆を、「清算する」ということとしてではなく、日本赤軍として、アラブの地で生まれ、日本の革命に責任を持つ者として、人々と、革命の前進に役に立ちたいと願いながら、そうなりえなかったこと、いつの間にか、人々に検証され鍛えられる回路を失い、「つもり」が遂に人々に害毒を流し人々の闘いを困難におとしめてしまうものになった現実、そして、このまま今までの在りようを続けていくことが、人々と革命の「利益」を守りえない実情であること、それ故に、今、私達は、真に、誰の為に、何を目指して、誰と共に、どう闘い生きていくのかを、一人一人が出発点に立ってとらえ返す為に、なしえなかったことへの総括実践として、「解散」を選択するものであることを、明らかにしなければなりません。それ故に、私達の同志、友人と、人々への責任と信頼・絆は、何ら変わるものではないことを、もっと明確にしなければならなかったろうと思います。組織としてなしたことの責任(階級的責任というのかもしれません)は、組織を構成した全ての者達が、かわることなく担いつづけてゆくのだと思っています。
 私自身は、77年のダッカ闘争で日本赤軍に合流し、同志達から多くのことを学び、人民の闘いと革命主体の変革への確信をしっかりと築けたと思っています。団結と統一を、人々の力の統一にはたす、私達の役割、人民の生活原理に学び、人民の現実の中で試され、鍛えられながら、自分が何をしたいと思うのか、自分達の価値観を人々におしつけるのではなく、人々が、彼ら自身を主体とする革命を担いぬくために、我々に何が求められているのか、自らを変革しつつ、その役割を担いぬいていこう(党の役割)そうすることが、日本の革命運動と、70年代私達自身が担った闘いの総括実践であるのだと考えて、生き、闘ってきました。今、何故、私達はそう闘いぬけなかったのか、を、再び人々と、同志友人達と出会い直す中で問い直し、克服する闘いへと歩を進めたい、と思います。
 獄内外で孤立した闘いを強いられている同志・友人達への思いは「解散なんてクソッタレ!」です。お家が破産したって、家族の絆が破れる訳じゃあないように、私達の絆は、「地獄の底まで共に!」だ。
 浴田裁判は「順調に」進行しています。4月20日、本人尋問第二回を行いました。大地の牙結成から、三井闘争、将司君との連絡員を時系列にそって進めました。前回の失敗を猛反省して、今回はそれなりに戦略戦術を持って(?)おちついて証言できたつもりです。ただねえ、「将司君の第一印象は?」という質問がなかったので、「田宮二郎似のハンサムが来るなんてのは、大サギで、だまされたなと思いました」というのを、言いそびれてしまったのがとても残念です。(もっとも、この「サギ」の責任は将司君にはなく、連絡員を引きついだ「二人組」にあります。)
 本人は、それなりにやったぜ、と思っていますが、傍聴の仲間達はどう聞いてくれたでしょうか。「アンタヤッパリ確信犯!」という感想と「ここまでケガ人が出ないように配慮してるなんて、無罪だ。アメリカのバクゲキや地雷はどうなんだ」という感想のみが届いています。キビシイゼェー。
 次回5月17日には81歳の浴田母が証人です。あの席に母を座らせたくはありませんが、加えて、50にもなって、自分が選んでやったことの後始末に母ちゃんを呼んでくるブザマに……。当日は欠席したろかしら、とか、フクメン参加にしたろかしらとか……。35年前に父は「アンタタチが大きゅうなってちゅうことは、父様らあが、頭を下げて歩く先がそれだけふえるちゅうことじゃから。」と言っていましたが、これでおしまいにして、あとは役割交替にしたい! 甘えます。
 ドンドンドンドン、総括問われることが、雪ダルマ式にふくらみます。だんだん丸岡流になってきて(こういう時だけ引き合いに出してゴメン)不義理もネズミ算式に拡大です。ごめんなさい。しっかりと、知恵と力をうけとりながら、がんばっています。
 どの方面からもくいのない闘いを進めます。みんなに、ありがとう! どうかこりないで、これからも批判も、シッタゲキレイも、時には「甘い声」もかけて下さい。
 前進を、共に! お元気で。
                                  ゆき子


YUKICO
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