支援連ニュース No.228

逃げた魚はとてつもなくデカイ

2001.08.09 浴田由紀子

 お元気ですか。夏の中休みでしょうか、8月に入って少し涼しい日が続いています。このまま秋になるというのもやっぱり反対ですね。しかしあのクソ暑い日々にも反対です。何とかならんのか? 世の中ホドホドがいい、政治も、人間も、気候も……。
 今号では、「浴田裁判全ての審理を勝利的に終了!」という報告をする予定だったのですが、残念・無念、検事君の急病のために、7月19日の検事側本人尋問は、たったの3分法廷で8月27日に延期になってしまいました。ホント、準備は完璧だったのに、残念です!
 本人尋問で「供述」をひっくり返してしまったので、検事君、予定外の仕事が増えて過労と心労で倒れてしまったのではないかと同情しています。ムダな抵抗をやめて、素直に「負け」を認めれば、病気になんかならんのにな。人間真実に逆らって生きようとしちゃあダメなんです。そんな訳で、浴田裁判、大正念場がもうすこし続きます。それにしても、7/19の「完璧コンディション」を8/27にも保てる保証はない! どうしてくれる検事君! 逃げた魚はとてつもなくデカイ!!
 さて、話は少し逆行して、226号で、利明君が、この間の将司君から、狼グループだった同志達への呼びかけに対して、「死刑廃止を理由に絶対つかまるな、というのはおかしい。残虐非道な犯罪者にも逃げろというのか。死刑廃止の主張は、自分の刑事責任を逃れるための方便ではないはず」と言っています。そうです。自分の「責任」を逃れるための方便ではありません。
 しかし私は、死刑制度というのは、「残虐非道な犯罪者」にも、その存在故に自首や逮捕をすすめることができなくする制度なのだと思っています。死刑制度を許さないということは、誰をも、死刑が予想される状況に追いこまないということです。「犯罪の種類」やその人の「特性」によって違いがあるものではありません。私達はそのようなものとして、全ての犯罪への死刑適用を反対しています。
 「刑事責任を回避してはならない」と利明君は言っていますが、私は、死刑制度はしばしば、犯罪者が潔く自らの責任を問い返し、全うすることの出来なくさせる制度であると考えています。死んでしまっては、償いも出来ないということもそうですが、それ以前に、(これは幾人かの「死刑囚」の人と文通していて特に感じるのですが)裁判が終わるまで、彼らは、自分の非をありのままに認める訳にはいかないのです。認めてしまうと「ぼう大な非」を理由に死刑にされてしまいますから。あたりまえに生きたい人間である彼らは、本能的に目の前の「死刑」を回避するためには、いっしょうけんめい自己弁護をし、被害者の非を捜し、社会や周りの責任を問い、自己正当化につとめなければなりません。それ以外に生きる道はないのです。反省の機会も、被害者に思いをよせる余裕も奪ってしまうのが死刑制度としてあります。
 何年間も手紙には「犯罪を犯してしまった自分への後悔」いじょうには、けっして被害者への思いも、謝罪の心も語ることのなかった元死刑囚の一人は、上告審で無期が確定したとたんに、殺してしまった被害者の無念や、遺族のくやしさに言及して「本当に申し分けなかった」と思いやりにあふれた手紙をくれました。これが私が死刑制度は、「極悪非道で反省のない犯罪者」を増幅生産する、誰が責任をとることも、救われることにもならない、犯罪的な制度だと死刑に反対する理由の一つです。
 同時に、国際法上でも、政治犯罪者の引渡し拒否と共に、死刑を予測される者についての引渡しを拒否することを認めています。近年では、クルドのオジャラン議長がイタリアで拘束された時、トルコは「死刑制度廃止法案」条件にしてようやく身柄引きとりをしました。レバノンで岡本同志が拘束された時も、私達はこの取り決めを送還阻止理由の一つとして、レバノン当局への要請を行いました。死刑制度反対ということは、そのようにしてまでも、「いかなる者の生命も」守るということだと思っています。そして今死刑の予測される元日本赤軍の同志達がけっしてつかまってはならない理由は、彼ら自身の「死刑」を回避させたい、同志を獄に入れないという以上に、死刑制度廃止運動の一環として、「死刑制度の存在が自分達が(権力の言う)“逃亡”をし続けなければならない根拠なのだ」と考えて、その任務を担いぬいてほしいと願っています。将司君は、「どんなに困難でも、地ベタを這いずりまわってでも、海外で生き続けるべきだ」と言っています私もそう思います。私自身ルーマニアで逮捕された時、何故「死刑にされるおそれがありますから、日本へ渡さないで下さい」と強く要求しなかったのか(実際はすでに日本警察官がドアのカゲにいる状態で、不可能ですが)くやまれてなりません。今、同志達、たとえ他国でつかまっても、あなた方は、送還を阻止させることが、この国の闘う人々に連帯するあなた方の任務です。死刑のある日本へ帰ってきてはなりません。
 昨年12月、重信同志が勾留理由開示公判で「桜が散り終わる頃には、いつ司法に身をゆだねても良い準備を完了する予定でいました」と発言したことが、将司君達に、日本赤軍の合法化路線というのは、順に投降する路線か? という不安を与える一つの根拠だろうと思います。重信同志のつもりは多分、表現された言葉とは別の所にあったと私は思っていますが、発言そのものとしては、まちがっていると思っています。少なくとも現在の日本の支配層、国家権力に反対し、闘争している者が、自ら「身をゆだねる」ことをよしとしてはなりません。この発言は、これまでのこの国と世界の闘いの歴史の中で、人民を、革命をあるいは党組織を防衛しぬくために、断乎非妥協に獄中・裁判闘争を闘いぬき、それ故に不当な重刑攻撃をうけた人々の闘いをブジョクするものです。加えて、重信同志は、デッチ上げられた罪によって不当な国際指名手配をされている身です。指名手配は、「司法」の協力なしには成立しません。司法に対してもキゼンとして対するべきです。逮捕をカクゴで、困難に立ち向かうこと、と逮捕されるつもりで、敵の磁場に入ること、敵を挑発することとは大きくちがいます。全力をつくして不当な逮捕を回避し、その結果として逮捕されてしまった者が、「権力の不当なデッチ上げ」を、司法に公正中立を求める闘いの中で明らかにする、これが順序です。
 丸岡君も、226号で書いていますが、たしかに私達は人手不足な組織でありますが、重・極刑の予測される同志が、逮捕の危険のある活動を担うことは、回避する組織です。その意味で丸岡同志の国内出張や、今回の重信同志の国内滞在は、自分達としては「丸岡は何も重刑になるような闘争は参加していないのだから、最悪逮捕されても数年の刑で守れる」という思いだけで、敵のデタラメきわまりないデッチ上げを読みきれなかった判断の誤りということかもしれません。
 “路線転換”“合法化路線”とは、敵に強いられている非合法身分のメンバーを公然とおもてに出すということではありませんし、それであっては、合法公然の人々や運動にまで、レッドカードをつけて歩くようなものです。路線政策を明確にし、公然合法的な手段によってそれを実現するということなのだと私は理解しています。そのためにも、非合法を強いられた者達の役割は、限定され、相対的独自なものとして、担われていくのだと考えています。革命の主体は、「日本赤軍」や「○○派」や「××党」なのではなく、一人一人の人民自身でなければならないのですから。ただ、意に反して表にひっぱり出された者は、開き直って公然合法活動に合流するのがやり方でしょう。本当はだれだって人々と本音で出会い共に生き闘いたいのですから。
 話がだんだんまがった上に、不十分な展開ですが、とりあえず今回はここまで。(利明批判からはじまっていつの間にか将司説得になってるなあ……。ウーン……?)
 さあ、浴田裁判、最後の大勝負をベストコンディションでやりぬくためにガンバレ! (実のところ更年期障害というのも闘争対象なのだよ。ホントーに不利だ! クーラーだってないしな…ブツブツ…)
 みんな体調に気をつけてお元気でいて下さい。小泉キケン内閣にも、しっかり気をつけましょう小泉人気のかげで、いろいろな後ろ向き既成事実作りが進んでいるように見えます。
                           共に!  ゆき子


YUKICO
inserted by FC2 system