支援連ニュース No.231

ついに全ての実質審理を勝利的に終了いたしました!!

2001.11.16 浴田由紀子

 お元気ですか、今年は少しあったかい冬になりそうということなのですが、大賛成です。雪がないのは淋しいですが、この冬々しい時代に気候まで寒くなりすぎでは、生きづらさ数倍です。
 ついにこの国は、憲法も歴史の教訓も何もかもかなぐりすてて、誰にたのまれもしないのに「期待されている」と人々に言いくるめて、戦争をする国への歩みを開始しました。こんな大きな時代の転換点が、たった10数日の“審議”で、世論を全く無視して行われたことに、おどろきと怒りを禁じえません。いったい誰が、何のために、今この国の“戦争に行く自衛隊”を必要としているのか、人々の本音を一人一人聞いて歩きたい気分です。そして、歴史の教訓を生かして、再びの戦争への道、いったん放棄したはずの道を阻止しえなかった私達は、今日まで、何をしてきたのか、と問い返したい。「正しいこと」を言うことに価値をおき、ささやかなちがいに分裂と対立をよしとし、本当に守るべきもののために力を合わせ合う、そんなとりくみをできないできたことが、どんなに私達の思いが正しくても、それを人々の生活を守るものにしえないできたのだという気がします。
 そして今再び、“日帝本国人”が、アジア・世界の人々と共に生きるためになすべき闘いが何であったのかが、明確に問われているように思います。水色の帽子をかぶろうと、草色の帽子をかぶろうと、日本の自衛隊は日本の軍隊以外の何者でもありません。世界中に軍隊と武器を輸出し、それで平和に生きのびようとする“米本土”と同じ道を歩もうとする“日本”になることは断乎阻止しなければなりません。今アフガンに対して世界中がやっていることは、現地人民の自治と保守主義を否定して、アフガン総体を支配下におこうとするもの以外の何ものでもありません。まず今、私達がなすべきことは、アフガン全土からの外国軍の撤退(もちろん空からの攻撃も含めて)を促すことであり、一部勢力への軍事援助や介入を止めさせることであり……アフガン人民自身による、アフガンの身のふり方を尊重し、その上で、生活復興のために彼らが求める援助を行うことです。侵略軍への支援といっしょに、攻撃される人民への援助物資を運ぶなんてナンセンスを許してはなりません。どうしてこういうことを、「国会のかしこい人々」が認めるのか、私は全く理解できない。

 さて浴田公判、10月30日、ついに全ての実質審理を勝利的に終了いたしました!! 6年余の長いとりくみでしたが、いっぱいの智恵と力とをみんなにもらって、ようやくここまでくることができました。塀の内や外で冷や汗を流しつづけてくれた同志達、あの手この手で支えはげましてくれた仲間達、家族会、弁護団……先輩達、みんなに感謝の気持でいっぱいです。
 10月30日公判は圧巻でした。この25年間余の東ア反日裁判闘争と支援・弁護団の総力が結集されたかのような劇的なしめくくりになりました。前回10月2日の公判直後に弁護人は、ひっこし荷物の中から、70年代に反日被告団が弁護人に送った手紙の束を発見。熱心な弁護人は、この束をチェクしてくれました。するとその中から、77年5月2日付、浴田が当時の弁護団に送った「自供調書の内容」と題する表が出てきました。そこには、この公判の中で被告人が、「75年供述調書は事実に反する、信用性のないもである」と主張したことが、そっくりそのまま書いてありました。当の被告人すら当時そのようなくわしい手紙を送ったことは忘れていましたし、何よりも、25年近くも昔の手紙を未だに保存しつづけてくれた一連の東ア反日裁判支援の存在に感動し、忙しい中で古い手紙をもう一回チェックして下さった川村弁護人の熱意に大感激しています。
 弁護団は、30日の法廷で、この手紙を証拠提出しました。検事は、「ボールペンの字が急に細くなっている」とかナントカカントカ「偽造なのではないか」という主旨の抵抗を試みましたが……当然のことながら裁判所は検事の異議を認めず証拠採用を決定しました。これで検事は、「被告の法廷供述は、アラブで智恵をつけて帰ってきて、重刑のがれのために言っているウソである。75年供述調書こそが、信用できる」と言えなくなりました。法廷供述は、大きな、客観的うらづけを得たのですから、良かったです。
 反対尋問で検事は、「被告人もかつて(70年代の裁判)は自分のことを“獄中兵士”と自称したりして、がんばっていた」と言ったうえで、「今回の裁判は、先の統一公判の総括といいますか、反省の上で教訓にしてとりくまれたと、そのように聞いてよろしいでしょうか」という主旨の質問をしてきました。『アッタリマエダイ!! いつだって私達は、同志達と仲間達と一連の一体の闘いをしとるんじゃあ!!』と思いつつ被告人はスナオに「はい」と答えました。検事の意図はどうであれ、これは、私達がこの裁判を「第二次統一公判」と位置づけ、そのように取り組んできたこと、そして今それが、この一通の手紙の発見によって、実質的に形にされたこと、への検事の「敗北宣言」ではなかったかと、かのゴーマン、オキラク、木登りブタな被告人は感じています。
 敗北状況の中で、強いられて開始した裁判でしたが、皆に支えられてここまできました。今あらためて、裁判やれて良かったゼ、と思っています。「ヤッタゼ!!」という重いでもあります。それを可能にしてくれたのは、75年の突然の私達の被逮捕以来、きびしい弾圧の中で救援活動を開始してくれた家族会、KQ、と弁護団、そして支援連、再審研、ゆきQへ、再審研弁護団と浴田裁判弁護団へとつづく持久的・継続的な仲間達のとりくみです。ありがとう!
 そしてさらに、四半世紀をへて、今、裁判をしたことの意義をさらにさらにおおきなものにするべく、最後まで気をぬかないで、取り組む覚悟です。検察は、11月28日に予定されていた求刑をひきのばしました。目いっぱいの報復求刑を行ってくるでしょうが、私達は悔いのない闘いをしてきました。まずはここまでの闘いに、「よっし!!」と、……。
 12月8日、ゆきQの仲間達は、そんな公判の現状を共有し、今の地平から再度、東ア反日の闘いをとらえ返し、次へとつなげてゆく取り組みを共にすべく集会を準備してくれています。どうぞ、みんな来て下さい。そうして新しい出会いと元気を分かち合ってほしいと願っています。獄中からも、いっぱいの感謝を、仲間達へ、弁護団へ、そしてみんなへ伝えたいです。一人一人に「おいでくださいませ」と手紙を書きたいけど、発信枠にこばまれているので、申しわけないけど、ここで伝えさせて下さい。どうか、きて、みて、たのしんで、ゆたかになって下さい。そして共に前進を!!
 このところの世界とこの国の理解のできない“変化”に毎日、「何でこんなことになるのか」と問いつつ、アンチでは、生きてゆけない、足元から価値も社会も自分達で創り出すしかない時代に来ていることを実感しています。同じ誤りをくり返してはなりません。がんばりましょう共に! 寒さときびしさにまけないで、どうかみんな、お元気でいて下さい。私はバリバリに元気です。再見!
                             ゆき子

P.S.
 (1)前号の修正。6P上段10行目。常に本音をかくすことを習慣とせざるをえなかった『地下非合法生活者の悲しい性か……「明日にも出獄じゃあ!」とスナオに言えなかった』ばっかりに……。
 『』の中が欠落していました。
 (2)1月11日公判(論告求刑) 1時30分〜 531号法廷。


YUKICO
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