支援連ニュース No.232

裁判所よまっとうな判断をすべくガンバレ!

2001.12.14 浴田由紀子

 お元気ですか。
 12月8日のゆきQ集会は、大勢の仲間、友人達の参加と協力をえられて、とても盛況だったという報告を受けています。
 うれしいです。みんなに、どうもありがとう。
 この大不況と、戦争への参加が進められる時代の中で、寒さもきびしいのに、本当に仲間達は、走りまわって準備をすすめてくれました。又参加の方々も、遠くからも近くからも、目いっぱいスケジュールを調整して来て下さいました。どうこたえたらいいのだ!! と、ドキドキしながら、私は順に届く報告に涙を流しています。今、裁判をやってきて良かった、こういう仕方でよかったのかな、という思いと同時に、もっともっとやるべきでできるはずなのに、したらないことがあったのじゃないかといいう思いも、同時に強くあります。
 最終意見陳述(これはとってもむつかしい)の準備を進めながら、私達がしたりなかったことの一つは、東アジア反日武装闘争が何故あの時代に問われたのであったか、そうして今、その視点から何が私達に問われているのかについて、もっとていねいに強調していく必要があったのではなかったかということです。
 東アジア反日武装戦線的な闘いは、あの一つの時代状況の中で生まれたのですが、それを、主体(全共闘世代の青年達・自己否定をつきつめた青年達という形での)の問題としては多くの人達がこれまでも語ってきたけど、だからこそ、主体であった被告人自身は、逆に、時代が私達に強いたものは何であったかを……それは60年代の青年が問われたものとも、ちがう「闘い」を強いるものとしてあったことを、明確にしていく必要があったのだろうということです。四半世紀おくれて裁判をやる、ということは、この時差にもとづく、時代の要請のズレをどう取り扱うかということだったのですが、ウーン、「政治の話」をするのは苦手だ、とか、自分にとっては自然だったんだけどうまく人には言えないなあ……わかる人はわかっている、という甘えのところで回避してきたように思います。で、(将司君の批判も受けて)一念発揮、最終陳述でがんばってみよう、と決意してはや一ヶ月余……むつかしいだよ。
 「9・11」以降、世界中が、「テロ」という言葉によって二分させられようとしています。この国では、左翼さえも、「9・11」の評価をめぐって対立をしている。「9・11」をどう理解(解釈)するのかと、ブッシュの「反テロという名の戦争」をどう理解するのかとは、全く別個の問題であるはずにも関らず、「9・11」を口実にして野望を実現しようとする、戦争指向勢力の論理に完全にからめとられているように思えます。ブッシュとその一派は、9・11主体とオサマビンラディン氏が“自由世界の敵”“テロリスト”というなら、自分達が今アフガンでやり、イラクで、ユーゴで…ヴェトナムで行ってきたことも、今パレスチナ人民にやっていることも又、彼の地の人々にとって“テロリスト”の所業であることを、思い知るべきです。そういうふうに問題を立てることができないマスコミとこの国の「政治家」を変えさせるところから、私達の21世紀のとりくみは始まるのだろうという気がします。
 東アジア反日武装闘争の頃、私は、こういうふうに企業に爆弾をしかけて、4,5日その機能を停止させて、彼らが「はいごめんなさい、侵略はしません、過去は反省します」と言う時代がくるとは思っていませんでした。しかし、こういう闘いを重ねることが、問題の所在を鮮明にし、無原則に、何の躊躇もなく経済的利得だけで海外へ出ていけるわけではないことを、「みんなのあたりまえの前提」にしていける時代を作り出せる、それが、東アジア反日武装戦線の当面の闘いなのだ、と思っていました。私達は、十分な知識や、技術や、経験のないままに爆弾を使うことによって、自らの武器をコントロールしえず、一生懸命に回避しようとしたにも関らず、多くの死傷者を出してしまったために、意図を正しく伝えられないで、ずい分なまわり道をしてしまったように思います。
 ことにあの時代、組織宣伝のために「武器」を使いその大きさを競い合う傾向や、訓練のために犯罪を犯すことをよしとする「左翼武闘派」が少なくなかった中で、東アの爆弾の威力も又、そのように受けとめられたのかもしれないと今は、思います。私達のなしたまわり道があらためてくやしいです。
 「9・11」は、主体が誰だか、目的が何だか、未だに不明のままですが、起こった事実をどう解釈し、どう全ての人々が対等に分かち合って生きる社会の実現に「生かしていくのか」は、今を生きる者の責任であり役割であろうと思います。それは「9・11」を支持することとは別の問題だと思っています。残念ながら、今までのところ、ブッシュ派の方が情報をにぎっている分、上手に利用しているようにみえます。しかし、だからこそ、力を合わせて時代をとり戻しましょう。
 さて裁判は次回1/11の検事の求刑です。面会の友人に「『懲役おそれるに足りず、何年でも来い』(ゆうきリンリン)なんて簡単にいってもらっちゃあこまる、私達は浴田さんは、すぐにでも出て当然と思って応援してる」と言われてしまいました。そりゃあそうだ。彼らは最後の悪あがきというべく、目いっぱいの報復求刑をあの手この手の口実を捜してきて行うのでしょう。それに動じることは何もありません。私達は、これまで、内実において検察より「おしている」と確信しているし、本来、この国の裁判所に東ア反日の闘いを裁く資格がないという原則的立場は(口では言わないけど)変っていません。加えて「超法規的釈放の効力」を裁判の公平性の大前提として求める立場もゆずるわわけではありません。自分達のとりくみと「正義」には確信をもってあとは……裁判所よまっとうな判断をすべくガンバレ! というところでしょうか。そのためにも、もうひとがんばり、被告人は、スジの通った、最終意見陳述作成にガンバレ!! こんなにいっぱい勇気と力をもらって……やれないわけがないのだぞ!!ホレ!
 寒くなります、獄中も獄外も、カゼと冷えにご用心。
 お元気でいて下さい。来年は、もうひとつ大きな「カンパイ」をみんなで出来るようにしたいものです。
 いい年にしましょう          共に!
                                 ゆき子


YUKICO
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