支援連ニュース No.239

梅雨晴れや 無期を粉砕せし日かな

2002.07.12 浴田由紀子


 お元気ですか。
 7月4日、曇りのち晴れ。〈梅雨晴れや 無期を粉砕せし日かな〉。
 判決は「懲役20年に処す。未決勾留日数中二〇〇〇日を右刑に算入する。」(残刑14年半)というものでした。
 まずは、検察求刑の「終生施設に閉じこめる無期懲役」を粉砕です。良かった!!
 いっぱいの智恵と力と勇気をみんなにもらって、弁護団や支援の仲間達、証人出廷してくれた同志や友人達、応援し監視をつづけてくれた傍聴席や面会や手紙や、みんなの熱心な取組みと誠意がみのって、ここまでくることができました。ありがとう!
 法廷で、裁判官の早口な朗読を聞いている時は、事実は全部検察の言いなり、統一公判認定をひとつもゆずらないというもので、カッカ。キリキリ、「裁判官たちはいったい何を聞いていたのだ!!」とどなり出したい気分で、「無期を粉砕した」という実感は全くなかったのですが、弁護団のホッとした顔に会い、そのあと記録をよみ直したり、いろいろな人達(東拘の労働者や住人たち)に「よかったね」とか「おめでとう」と言われ、だんだんに、実感がわいてきました。そうです、この逆風の時代の中で、終生の無期なぞというとんでもない求刑を粉砕し、「テロリスト」なぞとは言わせなかったことは、とても偉大なことではないでしょうか。
 判決は、事実については検察の主張をそのまま認め、統一公判認定をていねいにフォローしていますが、その解釈を、ソフトにし、情状においては、大きく弁護団の主張を採用するという「バランス」を考えたもののように見えます。「清水から飛び降りる決断」で、事実を書きかえさせる真実を伝えることを目指した被告人としては、その目的を全くはたせていません。しかし、良かったなと思うのは、全ての「事件」について「確定的殺意」をていねいに否定して「未必」と言い直した(これ自体私達の真意ではないので不本意ですが)上に予告電話等の「人的被害回避の努力」をそれなりに認められたことです。もうひとつは、「謝罪と反省」を「時間」という条件を前提としてであれ、認められたことです。獄内外の同志達、亡くなった同志達とその家族友人、東アの闘いを考え、伴走しようとしてくれた人々、そして誰よりも「被害者」にさせてしまった方々にとっても、27年間待ち続けていたことではなかったかと思います。納得できることがは永遠にないでしょうが、ホンのちょっとでも「そうかあ」と思ってもらえることがあるとしたら、とってもうれしいことです。「事実」を正すことは、まだできなかったけど、東ア反日武装闘争の闘争を担った者達の「本当の心と立場」の一部を書きかえさせることは、ささやかにできたのではないかと思っています。統一公判が、東ア反日武装闘争の「思想と立場」を人々に伝える大きな役割をはたして、今、ささやかに「主体の心」を伝える端緒につけたとしたら、やっぱりやって良かったよね。同志達の誠意あふれる証言や弁護団の確信にみちた熱い弁論と立証が、これを可能にしました。あらためて、あなた方に出会って、あなた方と共に闘い、生きることができて、本当に良かった。私はすばらしい出会いの中ですばらしい仲間達と共に生きている、と心から思います。27年はとてもとても長い年月だったけど、無駄な年月ではけっしてなかったし、これからも、初志を忘れず、中間達と共にあろうとするかぎり、どこにいても、何を問われるどんな役割りの人生でも、私達は共に歩を進めることができると確信します。ようやく言葉としてささやかに認められた、私達「闘争主体の真実の心」を、これからはよりたしかな実践と形にしていきたいと思っています。
 ところで、前号で大宣伝した「判決の聞き方、チェックポイント一覧表」なる『スグレモノ(!!)』は、何の役にも立たなかった!! 協力してくれた仲間達、ささやかに期待もしていたであろう仲間達ゴメンナサイ!! がっかりだね。判決の言い渡しというのが、こんなに簡単で乱暴なものだとは思わなかった。「公開公判」と言っているけど「公開」なのは、書類とりひきの儀式だけで、公判の中味ではない。傍聴人が法廷でいっしょに考える内容をくわしく知るというしくみにはなっていないのだから。
 裁判自体が、その場で真実を追究して考えるシステムになっていないせいかどうか、判決は、疑わしきは、どれだけ証拠や法廷供述と矛盾していても、検事がいうなら「犯人」。検察官の「作文(検面調書)」は、被告人の法廷での生の供述よりも信用できるという立場を完全に守り通したものになっている。あれだけていねいに検面調書作成のしくみを、説明したのに自供調書の任意性(信用性ではない!!)を全面的に認め、法廷供述を「理不尽な弁解をしているのは無視できない」なぞといって全面的にしりぞけている。自分の目と耳で直接聞いた被告の生の声、必要なら自分も直接質問できる法廷供述よりも、どんな状況で、どんな奴かもわからない検事が作った作文(法廷調書のような問答記録ではない、しっかり構成された作文)の方が信用できるというのだから、こんな不合理・理不尽はないように思う。何のためにわざわざ裁判をやっているのだ。自分の目と耳との経験や判断よりも検事の言うことの方が信用できるというのだ……裁判所はもっと自分自身に自信と誇りをもってほしい。主体性をもって、独立した立場を堅持して、判断し判決するべきだとよくわかった。こんなことだから検事になめられて、独立性を失うのだ。裁判所にも事情(政治判断)があるのかもしれないが、少なくとも、被告人のみならず、関連者の人生を左右し、かつ社会の正義をゆがめるのだ。「憲法尊守は公平と中立を旨とする、まずあなたから!! だな。
 で、そのような、未だにキリキリ、カリカリする判決要旨をかかえて、今後どあするのか、です。やりたいこと、やりのこしたことがいっぱいあります。総体として勝つためには、今私がどうするのが一番いいのか、出来るだけ多くの方の率直な意見を聞いて、全体の状況の中で決断したいと考えています。刑期だけを争う裁判なら、とりあえず良かったじゃないかと言えるけれども、被告人は欲が深い。私達は、少しでも今自分がここに生きていることを何かの役に立てたいと思うのです。一方で獄中は自分の身さえ守っていればいいけど、外はそうはいかない。仲間を獄中においているというのはそれだけで重い荷を背負って人生をやることになるのだというのは良くわかります。しかし今の時代、シャバも人生闘争、中もそれはそれで人生、どこにいても、どんな役回りでも、人間としてなすべきことは一つだし、同じなのだ、という立場で共に生き、闘う仕方を見つけたいと願っています。まずはまず〈梅雨晴れや 刑20年なる 非国民〉というところ。
 さあ、あと10ヶ月でシャコが帰ってくる、ワクワクするね。
一人ずつ一人ずつ確実にとり戻す闘いを、共に!!
 いっぱいのありがとうと、とりあえずヤッタゼ!! を
 そしてこれからも元気に、共に!!               ゆき子


YUKICO
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