支援連ニュース No.247

今年から東拘には春がありません

2003/04/17 浴田由紀子

 お元気ですか、今年から東拘には春がありません。
 ブッシュとその一派は、国連憲章も、圧倒的な国際世論も、人類の歴史と英智の全てを踏みにじり無視して、イラクへの侵略戦争を強行しました。それも、10年に渡る経済制裁と、たび重なる査察でイラクの戦力も経済もトコトン破壊しつくした、はてにです。
 ブッシュ一派の開戦理由は次々と変化しましたが、かつて理由としてのべられたことのことごとくに何の理もなかったことが日ごとに明らかになりつつ、それでもなお侵略は強行され、イラク・アラブの人々の主権も尊厳も、人類の歴史遺産も、否定され、踏みつけられ、殺され、奪われています。ミエミエのウソで世界をだまし、サギの手口で他国への侵略戦争が公然と行われたのです。
 いったい21世紀にもなって、こんなことがありうるのだろうか。そして今、ブッシュとその一派は、イラクの首都陥落・政権の倒壊を事の他安易になしえたというおごりの中で、中東全域支配、「イスラエル」のさらなる拡張に向けて次はシリア・レバノン・イランへの侵略を画策・模索しています。
 この戦争がかつてない世界中の人々のリアルタイムな環視下で進行したことに注目したいと思っています。世界になり替わって、テロ、独裁国家イラクに鉄槌を与えるべく、民主主義と正義を実践するのだと、米英軍の正当性を世界に証明すべく、数百人の報道記者が世界中から募集され、米英軍と共に侵攻しました。そうして彼らは、『世界に「真実」を伝える』べくリアルタイムで戦場を報告するという任務を担うことによって、世界中の人々を米英侵略軍の共犯者へと組織しました。
 各国・各メディアから動員された従軍記者とは、実は世界に「真実」を伝えさせないための、米英の行動に反対や批判を訴え行動させないための人質であったのです。あまりに理不尽な戦争へのマスコミの批判を阻止するために、記者を戦場に連れこんで、記者を米英軍にあづけたマスコミ各社は、米英軍に批判的で不利な報道をなしえないばかりか記者の生還のためには、米英軍を応援するしか術のない状況におかれました。そうして世界は、イラクの人々がその尊厳を踏みにじられ、殺され、生活の場も、富も全てを奪われる様子を、なす術もなくリアルタイムで環視しました。何と言うことでしょう! イラクの人々にとってテレビ画面の中に自分たちの苦しみをまるで劇をでも見るように見つめつづけた「観視者」とは、何なのでしょう。
 パレスチナの友人たちはよく、「この私たちの実情を、日本や世界の人たちに伝えてくれ」と言います。何が起こっているのかを、世界の人々が知りさえすれば、いつまでもこんなひどい暴虐をだれもほおっておきはしないのだと彼らは、世界の仲間愛や、正義ややさしさを信じきっているのです。「だれかが困っているなら、力をかすのがあたりまえ」それが彼ら自身のやり方だからです。しかし今、世界は、これだけの事実を目のあたりにしながら……彼らをうらぎりつづけた者たちなのでしょうか。
 日本政府は、明確な理由もなく、自らの憲法も、国連憲章も無視して侵略戦争を支持して、早くも「復興支援」とやらにシャシャリ出るべく画策しています。「復興」とは何か? 元々あったイラクのそれなりに豊かな生活の場も糧もあえて武力で破壊しつくしさえしなければ、復興も支援もいらない。イラクの人々は、彼らなりの豊かな生活を続けられるはずです。破壊しといて今度は復興してやる…。それを「支援」といいくるめてです。得をするのは、軍需産業とゼネコン、まさに戦争をしたのは、彼らの利権拡張のため以外の何ものでもない。
 イラクの人々にしたら、「民主化してくれるだって? 復興支援だって? チャンチャラオカシイ! 支援というなら、ひと月前に、あるいは10年前にどうしてそうしてくれなかったのだ!!」でしかないはずです。
 ブッシュ一派や小泉のような奴に政治をまかせ、権力をもたせるのはもうやめよう。やめないかぎり私たちも共犯者だ。

 さて、新東拘ですが、外は全く見えません。ラバーや鉄板をつないだ鉄板格子のすき間から飛び飛びの空(色もさだかには見えない)が見えるだけです。季節も昼夜の別さえもそのうちわからなくなるでしょう。居房は、大型倉庫の中で、のぞき窓と壁に向かったはめごろし透明ガラス付きのコンテナの中に寝起きしていると想像してもらったらいいでしょう。
 長さ1m余の蛍光灯2本が一日中輝々として、タタミ(ビニール)も床も全部ひかっています。夜間も、新聞でも文庫本でも自由に読めます。ただし運動場は日の差さない照明のないうすくらがりでツメを切ることさえもできません。明るすぎる照明と、3m以上遠くを見ることのない生活のせいでしょうか、私はとっても目が疲れて、目のまわりがピクピクしています。至る所にある段差や不合理な食器口やスイッチ、ヌードショーみたいなフロ場(改善されました)etcetc、24時間、365日を人間が「生活」を営む場であることも看守たちが、人間を相手に労働をする場であることもまるでイメージしたことのない人々がただただ「セリ」(公判)につれ出して「高値」で「奴隷労働(懲役)」として買い取らせるために、見た目は傷めずに「在庫品」を管理するために作ったのだとしかおもえません。在監者からの人間性の剥奪、ストレスの強化のみならず看守の労働強化も相当なものがあるようです。
 制約された条件の中で生きざるをえない者たちへの可能なかぎりの人間的生活の保障を……人権の尊重をという視点は、法務省にはないようです。70年代に建てられたという新舎がいかに獄中者も人であるという立場で、精神と肉体の健康を配慮したものであったかと実感せざるをえません(私は、南三舎、新舎女区、そして新東拘と三種を経験しましたが、「人間性」ということでは、明治に建てられた南三舎以下です)。
 名古屋刑務所では、「ケツが汚れていたから、消火栓の水圧で洗ってやった」と言っているそうですが、それがけっして例外的な法務省職員の発送ではないことをこの建て物は如実に示しています。10年間に1600人もが死亡する、さらに死刑で殺された人々もいます。これほどに高い死亡率の監獄は、世界にもそういくつもあるとは思えません。この国の人権感覚は、特に法務省のそれは、はっきりと後退し続けています。私たちは、長い間「先進」民主主義国日本、という自分たちへの幻想に安穏として、自分たちの国と社会の実体を見失っていたようです。
 なお、3月21日の旧女区からの移動は、通路の左右に2m間隔で警備隊が居並ぶというものものしい警備体制の中で行われたことをつけ加えておきます。

 さて、浴田控訴審ですが、ゆだんはなりません。3月24日付で検察側控訴趣意書が提出されました。
 (1)一連の企業爆破は、当時のしだいにエスカレートする武装闘争の流れの中で位置づけ現在にいたるテロの一環としてとらえられなければならない。
 (2)被告人は、常時、主体的、積極的に企業爆破の遂行という固い信念をもって一連の闘争に関わったものであり、その罪責は、斎藤にまさるともおとらない、むしろ「大地の牙」の斎藤以上に重要不可欠な役割を担うものであった。
 (3)裁判所は被告人のうわべだけのみせかけの謝罪や反省にだまされてはいけない、統一公判をみても、アラブへ行って日本赤軍に合流した事実をみてもいっさい反省した形跡も謝罪のしせいもない。第一被害者は、未だに苦しみ被告の無期刑を求めている。
 (4)他の共犯被告人ことに宇賀神、黒川との比較においても、被告人は無期刑に処されるべきである。
 等々といった内容ですが、何といってもこれまでとは検察の迫力が違います。
 第一審「論告」などでは、検察官ちゃんと記録を読んできたのかね? といいたくなるような所もありましたが、今回は、75年の「供述調書」をくり返し引用しいかに主体的、積極的で爆弾闘争遂行への固い信念の持ち主であったかにとびきりの高評価を下し(額に入れてみせびらかしたいほどです。)ています。75年、自供を続け、このようなダラダラの調書を作らせてしまった私自身との正面対決がまず問われているようです。苦しい闘いになりますが何度も何度も総括をやり直し深めることでしか、誤りを克服し、責任をもって敗北を勝利へと転化することはできないのだから。気をひきしめてとりくみます。どうか、知恵も力も、かして下さい。本人にはなかなか見えない点をどうか率直に批判もアドバイスもして下さい。だれも二度と同じ誤りをしなくてすむように、何かを伝えられたらいいなと思っています。
 何だって? シャコの出獄予定日を1ヶ月もまちがっていたって? うーん、この手のドタバタは、なーんかあの頃もしょっちゅうあったような気がするのは、私だけだろうか……。
 たまらん状況ですが、力と心をつなぎ合って、元気にやっていきましょう。シャコは、外の予定に合わせて1ヶ月位まけてもろたらどや。21年もがんばったのだから…点。鏡がないから600たたきの効果が見えない!! こまったもんだ。 共に!

 PS、今日の新聞に「横浜事件再審開始決定」のニュースです、良かった!!


YUKICO
inserted by FC2 system