支援連ニュース No.250

6月17日にシャコに会えました

2003/07/18 浴田由紀子

 お元気ですか。
 6月17日にシャコに会えました。
 シャコは、何の予告もなく突然にやってきました。
 21年目のシャバぐらし、一人じゃあ道も歩けないのだろうから、会えるのはもうすこし先だな、とのんびりかまえていた私は、大あわてです。新東拘は前とちがって、面会人の告知があってしばらくしてから迎えの看守がくるのではなく、いきなり迎えに来てしまいますから、大あわて。きどる間も、かまえる間もなく、面会室にかけつけて……。「ヤア……」「ところで……」と、まるで昨日もいっしょにいたかのようにシャコと面会しました。
 カンドーの面会とか、300タタキの効果とか、夢のまた夢。まるでシャコには、はぐらかされっぱなしです。
 2000年10月の証人尋問の時だって、将司君が「端然として寡黙な人」なぞと前宣伝してくれていたから、私の方にもそれなりのキバリ方は必要だろうかと心づもりをしていたら……なんのことあない、まじめにヒョーキンなおニーサンだったのだが、今度もやられてしまった。てれかくしに「きどりそこねたじゃあないか」とさっそく手紙を書いたら、シャコから返事がきて、「面会は突然でかえってよかったみたい。心の準備とか三百叩きなんかやって構えられていたら、また大ツブの涙なんか流されたらたーまらんからなあ!!ナハハハ。私には、涙より笑いであーる。ま、Sさんのようにイイ男であれば、涙も出たのだろうが、オレっちじゃあなあ――。」と書いてあった。
 女心のわからん奴じゃあ。1回位きどらしてくれたっていいじゃあないか。しかし、男心というのもフクザツで私には当分わかりそうもない。
 そんなわけで、これからはシャコに自由に手紙が書ける。返事がもらえる。会うことだってできるとは、何とすばらしいことだろうか。シャコには、これからが大変だと思うけど、仲間たちの力もかりながら、思いっきりやりたかったことをやってほしいいと思う。

☆ついこの間、この国を再び戦争をする国に変えるための有事法が成立して、今度はそのはずみの中で、早々に自衛隊を戦争に参加させる為のイラク派兵法が成立されようとしている。こんな重大なことが、それこそ、敗戦後半世紀以上にもわたってこの国の姿を問うための基軸ともいうべき問題であったことが、何故こんなにも簡単に、トントン調子や勢いで決められてしまうのか、とても理解できない。三月に米英がイラクに侵略戦争を開始しようとした時には、この国でも何万もの反対デモ集会が行われたといわれるが、その人々は、今この国の転換を、どうして、あの時自分たちが反対した「イラクへ侵略戦争を仕かける米英と同じ国」に自分たちの住む、主権を持つ(責任を持つ)この国がなってしまうのだということに抗わないのだろうか、と思ってしまう。
 小泉与党の「イラク派兵法」の論理には、ブッシュが戦争を開始するにあたって並べたデタラメと同様にあるいはそれ以上に何の正当性もない。まさにブッシュ一派のごきげんをとるために、この国の人々の安全と平和と富と誇りと英智と……の全てをうり渡すに等しい法案だと思うのだが。マスコミや、知識人やのもののわかっているはずの人々も、政治家たちも、どうしてこうもおとなしいのか。

 幼い少年が幼いが故に殺人事件を犯してしまったら、「親を市中ひきまわしにしろ」と青少年の育成を担当する立場の大臣が公言する、「子を生まない女に年金はやらない」と前首相が公言する。「レイプするのは元気がいい」と国会議員が公言して、囲りがそれを擁護する、こんな不道徳で不法で人間観の疑わしい人々に政治や、国の運命をまかせてしまっている私たちとは、いったいどういう社会に生きようとしているのだろうか。せめて自分たちが生きる社会、子供たちに引きつぐ社会については、しっかりと、「これを私たちは作ってきました」と言える関わりをしていきたいと思う。
 最近、元赤軍派議長塩見孝也の『赤軍派始末記』という新刊を手にした。内容については、別のところで書きたいと思うが、あの時代、若者たちは、良くも悪くも世界を見つめ、一つの時代の中に自らを位置づけて、世界に対して人々に対して自らの社会的な責任を主体的にはたそうとしていた。一人一人が社会を世界を今担っているのだという自覚にもえていた。あの大勢だった人々は今どうしてしまったのだろうかと、帰国以来8年余を塀の中で思いつづけている。何度も60年代、70年代の革命的高揚を破壊したのは、連赤や東アの誤りにみちた武装闘争路線、ソ連や中国のまちがった共産主義国家建設なのだと批判された。私たちの誤りをこえてなお、天下国家と世界と人類の未来を、やはり一人一人が担いつづける。人のせいにして、困難をにげ出さないでほしいと、言える資格はやっぱり私たちにはないのだろうな。
 もうひとつ、小嵐九八郎の『蜂起には至らず、新左翼死人列伝」という本が出版された。斎藤さんのこと(若干の事実まちかいはあるが)語られている。この国と世界とを変革する闘いの途上で倒れた多くの同志・仲間たちの、生と死の姿が、いまだ「蜂起に至りえてはいない」この国の新左翼運動の実体を如実に語っていることにおどろかされている。彼らを死なしめた、「闘い」の質そのものをこえて、我々は、「蜂起」に向かわなければならないのだと、『和君の本』の最終修正に日夜、ほーけつつページをめくっている。『革命』への……同じ未来を共に担うはずであった人々への筆者の熱い心がひしひしと伝わるいい本です。
 空調の入った東拘で、昼夜も、天気も、季節もなくなった夏を…。9月1日控訴趣意書しめきりにむけてラストスパートです。みんなお元気で、共!
                            ゆき子


YUKICO
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