支援連ニュース No.253

12月2日控訴審第一回に向けて、着々と準備を進めています

2003/10/17 浴田由紀子

 お元気ですか。
 久しぶりに運動場で、格子のスキ間に見える空が真っ青だった。叫び出したい衝動にかられる。体中に力をためて、あ―――とひとこと力いっぱいはき出すだけでいい。95年警視庁の留置所にいる時、毎日夕方になると、どこの房からも大声の歌が聞こえてきて、房対抗で歌合戦みたいなことをしていた。他の時間帯はそんなことをすると看守が「ダメ」としかりつけて止めさせるのだけど、夕方30分位、何も言わずにいる時間帯があって、けっこうそれでみんなストレスを発散させていたように思う。音痴でめったに人前では歌わない私も、みんなと声を合わせて新しい歌をうたったりした。
 女区の独居と雑居が同じフロアーにあるここでは、雑居の人たちの歓声がきこえてくる。ワアワア・ガヤガヤと、何だか笑い合っているようすがよくわかる。その一方で独居から届く声は決まって抑圧を感じさせる叫びだ。看守は決まって「うるさい。」としかりつけている。いいじゃないか、みんな叫びたいのだ。少々叫ばしたって、歌わしたって……それでみんなの精神のバランスが保てるのならとおもうのだが……看守のヒステリックな「うるさい!」という声がだんだんエスカレートしてくるのと正比例して、叫びは悲壮感にかわっていく。静かにすべき午睡時間があるように、大声を出しても歌ってもいい自由放声時間を設けたら、どうだろう、少なくとも夜中のうしみつどきに絶叫する人は減るのじゃあないかしら。こういうのって「みんなで渡ればこわくない」かしら?! さて私は、最初に、どんな言葉だ叫ぼうかしら、やっぱり「バカヤロー」だろうか、それとも「あいしてるよ――」だろうか………。
 さて、たいへんご心配をおかけしています「和君の本」の原稿は、去る10月14日(あとがき)というのを何枚か私メが書いて編集長に速達で発送いたしました。まあこれから、差し戻しだの修正動議だのまだ若干の紆余曲折はあるのでしょうが、いちおうカードはそろった。(遅れていた他の筆者の原稿も届いているようです)形はできたぜというところでしょうか。
 と、ここまでくるとこの人は、例によって「ヤッタゼ状態」。さて、売り込み先をどうしよう、誰と誰に提灯持ち書評をお願いして、誰と誰にサクラ感想文を書いてもらって、支援連読者へのディスカウントはどの位可能なのだろうか、贈呈というのは、どこまでやれるんだろうか……しかし内容に批判がきたらどうしょーか、やっぱり来るんだろうなあ、仲間うちのパンフと違っていろいろな人にみられるのだからなあ、もちっと心に余裕をもって書き直すかなあ……とこわいなあとかとかとか……と夜もねむれない。しめ切りに追われていた時は、グウスカねていたのにな。
 という訳で本はもうすぐできるでしょう。どうか大いに宣伝をしまくって下さいね。各地の書店、図書館等には、発売日前日には予約が殺到している位のいきおいで、前評判を立てておくのはどうでしょうか。「前評判だけが勝負」ということにはならないはずですが、まあねむれない夜には、そのようなこともいちおう考えざるをえません。何といっても「本にのせる文章」を書いたのは生まれてはじめてですからドキドキなのです。
 私たちは、和君を知る可能なかぎりいろいろな人たちの話を聞こうとしたけど、和君の秘密主義、原則主義の壁に遮られて、かないませんでした。もしかしてこの本が店に並んで、いろいろな分野での和君の旧友たちが「私は彼のこんな面も知っているのですよ」なんてことを知らせてくれたりしたらいいなと思っている。その時には、支援連ニュースは、「続・和君を捜して」とか「さらに、今、和君の全貌にせまる」とか新しいシリーズが大忙しになるかもしれない。たのしみにしていよう。

 8月初めに向井さんが亡くなられたことを、ふうさんが、二人名前の「風」で知らせてくれた。読みながら、涙がタラタラ流れて止まらなかった。そして「こんなにも“生涯の同志”をやれて、向井さんよかったじゃあないですか」とすなおに思えた。かなしみよりさびしさより、とってもあったかい、つつまれるような思いがのこった。
 向井さんとは、直接話をする機会はなかったけど、何回も傍聴に来てもらった。何よりも短い手紙でいつもはげましてもらった。おちこみそうになると向井さんの手紙やハガキを何回も読み直したり、パンフと対話して、また、元気をもらっていた。これからもそうして対話を続けられると思っている。
 75年、被逮捕の直後、本当に誰れにも「支援」や「支持」などたのめないという思いの時代の向井さんたちの公然の「支援」はとっても心強かった。紙の上だけで、身を遠くして「評する」文化人や「知識人」が少なくない中で向井さんはいつでも思想を行動する人だったことにとても多くのことを、教えられた。向井さんは非暴力直接行動で、私たちは「直接的・具体的に……暴力で敵の機能中枢を〜」ということで、手段としては対極にあったのだろうと思うけど、こんなに向井さんと親しく「共に闘える」実感をもちつづけられたは、向井さんにとっても、私たちにとっても真髄は「直接」という所にあったからではないかという気がしている。自身のありのままの思いをありのままに具体的に行為する、一人の人間として、他人の服をかりたり、他人の道具をかりたりかざったりごまかしたりしないで、というところで、裸で出会えるようなそんな安心感がいつもあったようだ。そうして向井さんはきっと、大勢の人々とありのままに直接に一人一人の人間と人間として出会って、ありのままであるが故に自然につながり合って、育てあって、一人一人の生き方をそのまま行動(運動)の形にしてきたのだなと思う。95年に帰ってきて再々総括を進めるうえで、そんな向井さんたちの思想を自らの行動にする運動(生き方)に気付かされること教えられることが少なくなかった。特に「あっけなく解散してしまった革命組織」のことを考えるたびに向井さんと話したいと思うことがいっぱいあった。今はもうできない。
 それでもボチボチの私たちの歩みを見守り続けて下さると確信してこれからも「対話」を続けていこう。向井孝さん、長い間ありがとうございました。とょっとゆっくりして下さい。

 浴田公判は、12月2日控訴審第一回に向けて、着々と準備を進めています。弁護団は寒竹里江先生に続いて、川村理先生、内田雅敏先生に参加していただいてさらに強力陣形です。被告人は例によって「もう勝っている」なぞとほざいたりしていますが、ゆだんさせないように統制しつつ、ガンバロウ! 余計な刑はうたせないように、是は是、非は非として、原則的に闘っていきます。これからも、知恵と力をかして下さい。
 丸岡君は9月中旬仙台へ移監になったようです。病身で加えて組織は「敗北」の中で解散という中での、長期の証人出廷は、心身ともにたいへんだったと思います。彼の「証言」を旧JRA総括、この国の変革のための教訓へと生かしていくことが、ここからの私たちの新しい仕事だと思っています。今は、「ごくろうさま、ちょっとゆっくり体力の回復を…」とやさしい言葉を……と思いつつ、その舌の根のかわかないうちに「和君の本」の提灯持ちにやとったろかしら、なぞと考えているのだが……。
 「いいや丸岡にはまかせとうない!!」という勇者。提灯持ち候補募集中!!
 お元気で、秋をしっかり楽しんで下さい。共に!
                                ゆき子


YUKICO
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