支援連ニュース No.256

気持ちはまだクラクラしていますが

2004/01/20 浴田由紀子

 お元気ですか。いつになくきびしい年の始めです。
 ついに自衛隊は、武器を持ってイラクの大地に足を踏み入れました。米侵略占領軍への加担を「人道支援・国際貢献」と言い換えてです。どうして、誰の為に、なにをしに、何ひとつ、明確に人々を納得されるものではないままに、この国にとっても、国際関係においても歴史的な大きな転換が強行されました。
 こんな日を二度と招来させない為に、私たちは「闘い」を開始し、力をつなぎ合ってきたのではなかったのか、何をどうすれば良かったのか、そして今、何が出来るのかとくやしくてなりません。
 イラクの人々にとって今もっとも必要な国際支援とは、侵略占領軍をただちに撤退させること、この侵略者どもと長年の経済制裁によって破壊され疲弊させられた産業と社会基盤、教育や医療を回復するための経済・物質的支援以外ではないはずです。わざわざ何億もの金を使って武器をもった日本人に来てもらって「給水」をしてもらわなくても、同じ「金」と器材をくれれば何十倍何百倍の「人道支援」がかなうはずです。小泉らの言う国際貢献・人道支援がそれを必要とする人々の為でも、この国の「世界の中での地位と役割」の為でもない、この国にいるはずのない「軍隊」に戦場体験をさせ、出兵・戦闘参加の既成事実を作ることでしかないことは明確です。
 戦争や軍隊が理不尽でなかったことは、かつて一度もないけど、これほどにスジの通らない矛盾に満ちた詭弁のよせあつめによって民主主義国の、明らかに憲法をふみはずす歴史的転換が行われてしまうこと、情報が公開され、発達した情報網と、思想信条、意見表明と行動の自由が保障された国で、公然と行われることが何よりも恐ろしいと思います。
 戦力を放棄し、軍事力による「平和」を望まない民主憲法をもつ国の構成員として、「軍事力に反対」「日米安保に反対」と主張する以上に、それにかわる、この国と世界の「平和」のための方策をジンテーゼとして生み出し十分に育まれてこなかったことが、今の敗北状況を作ってしまったのではないのか。その意味で軍事力を放棄した国の市民としての責任を全うしえてこなかったのではなかったかと思えます。政府まかせ、人まかせにしてではない民主主義の実体作り、国際主義の実践を今からでも作り合っていくことが急務なのでだと思えます。
 先日、長い間支援してくれている友人が、「ようやく解放されたイラクの人々を援助するためにイラクへ行きます」と言っていました。具体的にイラクのどういう人々の所でどんな活動をするのかは聞けませんでしたが、私は何かとっても異和感をぬぐい去ることができませんでした。うまく整理できないけど、何かがちがうんじゃあないかという思いです。イラクの人々は「ようやく解放されて」なんかいないし、今彼らに必要な支援は、一方で軍隊を送り込んだ遠い国からやってきてくれて「連帯します、支援します」ということではなく、自国の政府が、米を支援することを止めさせること、米の撤退を促すこと、その上でイラクの人々の復興に彼らが求める援助をしていくことなのではないのかと思うからです。大本営のようなマスコミを使ったイラク戦争宣伝にうまくのせられたままの「左派国際主義」のように思えます。「助けに来たと思わないで、現実を学習させてもらいに来たと考えて、自分はイラクの人々の味方のつもりでも、人々にとって今“日本人は米の味方”なのだということを忘れないで、気をつけて」と送ることしかできませんでした。この国の変革にまず、この国を構成する一人として責任を持つことをおいて真の国際主義実践はないのだという私の立場はガンコに変わりません。
 さてその30年一日のガンコは、尻に火のついた控訴審日程で真価を問われようとしています。イャアー むつかしい、理由は何もないのに、むつかしい。どう言やあこの私らの真意が伝わるんじゃあ、と人生全て「実行行為で示す」をモットーにしてきた力仕事派はつらい。力をつくしてやってきた自分たちに自信を持ってもうひとがんばり。Re派への不当な重刑弾圧に道を開くことは阻止すべく、がんばります。知恵と力の応援は多いにうけつけです。どうかよろしく。
 すでに前号で報告していただきましたが、12月22日母良子が他界しました。気持ちはまだクラクラしていますが、母生前のご厚遇にそして、仲間たちからのお悔やみとはげましに感謝の気持ちでいっぱいです。
 娘として何もしてやれないままに、この30年近くは、理不尽な苦労をさせ、淋しいなさけない思いをさせてしまっいました。しかし母は、95年以降、支援の友人たち、弁護人の先生方、家族会の方々に出会いあるいは再会して、はげまされ、支えられ、ようやくに本音を語り気がねなく子供への思いを行為させていただいて、本当に解放されたようでした。「元気の素をもろおて、またがんばれよ」と上京のたびに語り「あんたは、友達だけはとってもええね。どおしてこねにええ友達がおってくれてそやら、ありがとう思おて、大事にしてじゃあないといけんよ」が口ぐせでした。
 昨夏発病後は、Iさんをはじめ大勢の方々に手紙や電話あるいは山口まで行ってはげましていただき10月中旬には「上京大作戦」で最後の面会を実現して、私なりの「別れ」をさせていただきました。さらに「由紀ちゃんの手と目のかわりに」と葬儀にかけつけて家族を支えても下さりました。そうして母は大勢の方々にていねいに送ってもらいました。私は今「母さま、みんなにようしてもろおてじゃって、本当に良かったね」と心から思っています。いつも母が「なんちゃうかほうもんやら」と往っていたうに、こうして共に生きてくれる仲間たち友人たちのいることが、母にしてやれた私の最大の親孝行だとおもっています。みんなにありがとう。
 戦争に青春を奪われ、痛みの中から私たちを平和に育ててくれた母たちの世代が、大切に育んでくれたものを、さらに大きく育てていくことそして子供たちへ孫たちへとひきついでいくことが私たちのなすべきことだろうと思っています。そしてまずなによりも、私は一日も早く自由になって安心させなければなりませんね。ガンバレ!
 さむさときびしい政状にご用心、お元気で共に!
                                      ゆき子

 PS. 当所の規定により年賀状を12月初旬に出してしまってたいへんに失礼をいたしました。


YUKICO
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