支援連ニュース No.258

5月11日判決まで、いよいよ時間は残り少なくなってきました

2004/03/19 浴田由紀子

 お元気ですか。
 浴田控訴審最終弁論は、3月18日、無事に、かつ勝利的に終了いたしました。判決は、5月11日です。
 検察側の何が何でも被告人を無期懲役に重刑にすべく、「大物テロリスト」「スジガネ入りの革命家」と大々評価した大展開の「控訴趣意書」、1960年代以降の国内外の爆弾闘争をあたかも全て被告人らと関連があったと言わんばかりに網羅するいきおいの新聞コピーと国連決議インターネット情報を積み重ねての証拠提出、等々に示された国家権力のまさに物量作戦(金、人力、時間…‥)とでも呼ぶべき攻撃の前で、いかにも弱体、ひ弱さに見えた我が、被告、弁護、支援団は、しかし、その情熱と誠意、人間性の総結集によって、一年半にわたる闘争を堂々と勝利的に闘いぬいてきたのであります。
 控訴審立証は、裁判所による時間制約、証人請求に対する不採用…‥スピード審理であったにも関わらず又、何とか実現にこぎつけた本人尋問では、腰のフラつく被告人を弁護人・支援が、両サイド・前後・上下、まさに四方八方からあの手この手で支えぬき、弁護団・支援の涙ぐましい努力と熱意は、ついに、新証拠とも呼ぶべきいくつかの記録を掘り起こし、さびつき、ひからびた被告人の頭の中の埋もれていた記憶をよみがえらせる(前号で堤さん報告の「大成闘争時のアリバイ」)という奇跡まで実現させ闘いぬかれました。
 そして、18日の弁論は、寒竹、川村、内田弁護人による、3本立ての弁論として力強く、格調高く展開されました。  弁護団席の前に座って背中から、各先生方の弁論を読み上げる声を聞きながら、被告人にとって何よりも感動的であったのは、今ここに共にいる三人の先生方に象徴される浴田裁判、東アジア反日武装闘争裁判の三つの段階、そしてそれぞれの時代に共にした同志たち、弁護人、仲間たちとの出会いとやりとりのアレコレが脳裏をかすめ、みんなへのつきることのないいとおしさにつつまれていたことでした。
 始めに、控訴審から合流(再審研はずっといっしょですが)の寒竹さんは、控訴審主任弁護人として、新しい視点からの大地の牙の姿(浴田の位置と役割)を基軸に被告人とはケンケンガクガクの論議(?)も重ねながら、控訴審でつみ重ねてきた事実の集大成を展開しました。
 続いて第一審の主任弁護人であった川村さんは、「第一審最終弁論での弁護団の立場を堅持するものである」とした上で、第一審立証事項のうちこの二年間でさらに明確になったことがらについて、改めて確認し、検察立証の矛盾を明確に指摘されました。
 最後に'75年逮捕直後から「東アジア反日の同志たちとの30年の同伴者」である内田弁護人は、初めて三菱の事件を聞いた時のおもいから、今日に至る、弁護人自身とこの国の変化の中で、東アジア反日が訴えたものはたした役割を、語り「被告人たちが訴えたことは、今この国で、あたりまえの、そしてあの時代以上に切実な問題になっている。」「被告人たちはこれからも、もっともっと発言していってほしい」と、被告人そして獄内外の同志たちへの力強い連帯と激励をもって弁論を閉じられました。「よっし!!」だというのに、不覚にも被告人は、内田さんの弁論の間中、被告人の頭の中にはこの年月の様々な想いや出来事、獄内外の同志たちや出会うことのできた家族会や友人たちのことが走馬燈のように去来し、目にあふれる熱い水との格闘に追われるという失態を演じてしまいました。マッタク!!
 被告人はいささかふがいなく申し訳なかったのですが、こうして控訴審最終弁論は一連の東ア反日裁判の一つの節目を勝利的に迎え、今また戦争をする国へと坂道を下り始めたこの国の中で、あらためて、東ア反日武装闘争の初心に立ち戻って、再び、この国の今と未来とを、変えるために新たな方法・新たな役割を推し進めるものとして、再確認し合う場になりました。今私たちには、あの時代には持ちえなかった、人々と仲間たちとの広範な、熱いつながりと、そして何よりも、つみ重ねてきた経験と総括があります。まずはカンパイを!!
 あとはただ検察の物量作戦に対するこの「人間性総結集作戦」とでもいうべき我が方の誠意の大結集を冷静に公平に見ぬくことのできる裁判所であることをひたすら願うのみです。ゆだんはなりません。現今この国の状況は、赤を赤と誰もが知っていても口には出せない。白か青に染まりそうだからと言って、誰も手出しをして白を守ることは許されない。赤を緑と言いくるめ、在るものはないと信じて、政治家・官僚・警察・マスコミのウソは気付かないふりをして……侵略・占領軍への応援部隊派兵は「復興人道支援」、憲法の国際平和主義原則さえも武器を持った軍隊を他国へ派兵する口実としてはばからない時代です。独立・公平であると言われる裁判所が、この国のそうした傾向から自由であるはずと誰も言い切ることはできません。しばしばおこる公判での客観的な立証と判決の差異が我々をさけて通ってくれるという保障はないのです。しかし今私たちは、そんな時代の中でなお、皆の思いと力とを一つに結集して初志をたがえることなく、圧倒的に、勝利的に公判を進めてきた者であったことを確認しまいましょう。いかなる結果に対しても、この地平から、みんなして前に歩を進めるだけです。長い間の力強い共闘と伴走・支援をありがとう!
 傍聴席の東ア反日裁判傍聴30年の上野さんと家族会の荒井幹夫さん、智子さん、そしてもすこし若い仲間たち……光っていました。大きな声で『裁判長!!みて下さい戦争の時代を生きぬいたこの方々は30年間、ここにこうして私たちの裁判を見つめて下さっています。思いをぜひ聞いて下さい!』と叫びたい気持ちでした。
 5月11日判決まで、いよいよ時間は残り少なくなってきました。そのあとどうするか? いろいろ先をみこして準備しろ、とアドバイスを受けています。万事ややこしいことは後まわし、尻に火がついてようやくあわてるという超なまけもの被告人を、身近に知る人たちのあせりをひしひしと感じつつ……。やるべきことを、おちついて、しっかりと進めたいと思っています。
 桜は18日に咲くといわれていました。バスからは小雨の中、一分二分咲きのようでした。20日は花の中、大反戦集会が力強く行われることでしょう。持ち場からの共闘を連帯を!!
 みんなお元気で!!
                                   ゆき子


YUKICO
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