支援連ニュース No.259

『30年目の伝言』

2004/04/21 浴田由紀子

 お元気ですか。
 イラクで行われている「イラクの民主化・復興支援」という名の世界中からよってたかっての侵略・占領戦争は、逆に占領に参加する国々の真の姿を白日の下にさらし、自らの「民主主義社会」の成熟度と、「自由世界」の実体を問い直させるものになっているようです。
 小泉政権は、イラクを訪れ、反米英・反占領を闘う勢力によって拘束された五人の青年たちの人間性と、イラク人民の窮状に同伴せんとする彼らの活動、そして彼らを支える大勢の友人や家族たちの反戦・反占領政策の叫びによって、同時にサラヤムジャヘディン声明に示されるイラクの人々の高潔で誇りに満ちた姿勢と、日本人民への信頼と連帯の精神によって、「救われた」。
 政府の無策・無能・無責任・無慈悲・冷血……を今政府とマスコミの一部は、「自己責任」という目新しい言葉で隠蔽しようとしている。(小泉政権の世論操作能力、マスコミ操作力はあなどっちゃあいけない)。自己責任とは何だ!! 救出費用も自分で払えと言っているが、もう、外務省とか内閣とか政府とかいってこの国の人々の税金で養われているのはやめたらどや(ブッシュから雇用されてんのかと思うもの)。
 旧JRAをレバノンから強制連行するのにチャーター便まで手配して(それも二重払いだったようだが)あれだけの大判振舞だったのに、小泉政権としては「感謝状」を送ってもいいほどの人々に対してこの言いざまはないだろう。
 あろうことか、五人の拘束が続く間逃げまわっていた小泉は「解決」のとたんに「いかに努力し、むつかしい交渉だったか」を語り始めた。五人の解放が、「ブッシュの武力だのみ」にしか策のない日本政府・小泉内閣の「努力」とは無関係に実現したものであり、むしろそれは、一貫して五人を窮地に追いやる方向でしかなかったことが誰の目にも明らかであるにも関らず……なんというハジシラズ!!
 アラブには「オマミ・アケル」という言葉がある。直訳すると「いり豆を食べる」ということのようだが、しばしば他の組織が担った有効な闘争のあとで複数の組織からの闘争声明が出されるような時に言われる。誰かが他人の成果を我が物にしようとしているのだ。
 朝日新聞によるとそれでも小泉内閣支持は50%、政府の対応評価が64%もあるそうだ。(もっとも回答率48%だけど)
 トイレのカベの反戦落書は有罪になる。反戦ビラ入れも逮捕拘束されて起訴される、学校の式典には「視学官」がやってきて君が代をうたわない教員は処罰される。報道は情報統制され……国の戦争政策に反対する者は、たとえ国の政策の故に危険にさらされても守ってはもらえないのみならず「自己責任」といって政府の方針に従わせるために要する費用まで支払わされる……。
 とりあえずまだこの国の人々に向けられた銃口を確認することはできない。しかし「民主主義」社会に…といい、反戦という時、私たちはまず、自らが作り出している足元からの非民主主義・非反戦の実体を自覚し、この現実を変えていくことからしか、真にイラクの人々に対して、あるいは世界中の開放を求める人々に対して共通の闘いを担い、彼らの抑圧者にはならないという責任をはたすことはできないのではないかと思う。日ごとに「戦前戦中の物語」の中にはいりこんでいくようなこの国の実体を、何とか「イラク」にてり返された現実からとらえ返し、イラクの人々の信頼と連帯に応えうる者たりうるべく、変え合っていこう。五人を帰してくれてありがとうは、あなた方の信頼に応えます、ということであるはずだ。

 『30年目の伝言』
 N君から、私が学生時代(15才〜21才)の写真三様のコピーが届いた。「Aさんの所に和君が置いていた物の間にあったそうです。」と添え書きがあった。写真は私が和君に渡したのではない。何故和君が持っていたのかもわからない。何故Aさんの所に置かれていたのかも、何故今頃発見されることになったのかもわからない……。ナゾ解きの数日の後にようやくN君に会えて判明したことは、昨年暮れにAさんは約30年ぶりに書庫の整理をした。すると和君や規夫君が置いて行ったものがでてきて、この写真も「わかるように」置いてあったそうです。
 和君は、他人の写真を持ち歩いたり人に見せたり、他所へ忘れ物をしてきたりする人ではないから、これは明らかに、意識的に「Aさんに見つけてもらうべく」そこに置かれたのでしょう。
 和君は、東アでいっしょにやっている時、何回も「私に何かあったらAさんに相談しなさい」と言っていました。私は「そんな会ったこともない知らない人に相談しなくても私には、仲間がいるし……」と思っていたし、第一和君に何かある時に私が一人だれかに相談できる状態でとりのこされるなんてことはありえないと思っていたから、全て本気で聞いてはいませんでした。それにAさんだって全く知らない私に相談されたって困るはずです。
 そして今、30年たって、『ナンゾノトキハワ、コノ娘ヲヨロシク』という和君からAさんへのメッセージはようやくに届いたのでした。置いておくはずのない他人の写真を無言で置いて行くという和君流のやり方で、残されたメッセージはしかし! ここが和君の気が効いていそうでクソドジ 大誤算!! Aさんは30年間も書庫を開けなかったのですから……大マヌケ!! まあ、メッセージが届こうと届くまいとAさんはかけつけて支援に走りまわってくれたのだからいいけど……。和君がいかなる種類のドジであったか、『和君の本』の校了には間に合わなかったので、ここでバクロしておきます。それにしても30年もたってなお、「女・男を泣かせる」とはけっこうニクイ奴かも……。
 次号では、判決報告と『和君の本』の刊行報告ができることでしょう。状況がきびしい時にいっぱいの「ヤッタゼ!!」感を手にしたいものです。
 みんな、お元気で。  再見                              ゆき子

PS.
 丸岡君は4月13日に八王子医療刑務所に移監になったそうです。少しはましな治療が受けられるのでしょうか。専門医のいる所で不安のない闘病をという思いは変わりません。


YUKICO
inserted by FC2 system