更新意見陳述

                 1997年11月27日   浴田由紀子

一、本裁判の特徴と問題点

1. 1995年11月28日、第一回公判以来、今日で35回を数える本公判は、実に20数年前の19
75年の6月〜7月にかけて発行された起訴状に基づく審理を進めているという、おそらく
この国の裁判史上類を見ないきわめて異例の裁判として進行しています。
 何故そのような異常な事態が引き起こされているのか?そもそも私に対する一連の海外
侵略企業爆破斗争に関わる起訴についての裁判は、1975年、他の5人の「共同被告人」と
の統一公判として開始されました。そしてその公判に係属中であった1977年9月28日、日
本赤軍によって担われた「獄中同志奪還・日航機ハイジャック斗争」によって奪還指名され
た私は、同年10月2日、バングラディッシュ・ダッカ空港に駐機中の日航特別機内におい
て、日本政府・法務省の役人から「法務大臣の命により釈放する」と言い渡され、手錠を
はずされて、釈放されました。この時点で日本政府は、私に対する追訴権・公訴権を実
質放棄しました。
 にもかかわらず、検察はいったん公訴棄却し、釈放した私が、再び身柄拘束された機に
乗じて、放棄したはずの同じ起訴状を持ち出して、被告人を拘束し、裁判をむし返すとい
う暴挙を行っているのです。 第一回公判より一貫して「75年起訴分については、すでに
国自らによって公訴権・訴追権を放棄されたものであり、即座に公訴取り下げ、棄却の決
定が下されなければならない」とする弁護団・被告人の意見に対し、検察側は今に到って
も何ら合理的な釈明をなしえないまま、ズルズルと75年起訴に関わる立証活動を行ってい
ます。今年3月、検察側から提出された(小泉)「意見書」は、「釈放は合法的に行われ
た」と言いつつ、その合法的釈放をくつがえして、公判を再開する、あるいは「公訴権を
放棄したものではなく、公訴権の効力に影響を及ぼすものでもない」という合理的根拠に
ついては何一つ言及していない矛盾に満ちたものです。(小泉意見書への批判は、1997年
5月13日公判で行っています)
 後述するように本裁判は、1977年に行われた被告人の釈放に対する態度を不明確にして
いる事によって引き起こされるような矛盾と問題点をはらんでいます。国自らの決定によ
って引き起こされた法廷18年の「中断」による一切の不利益を被告人に科する事は、適正、
迅速な裁判を受ける権利を保証する、この国の憲法・刑事訴訟法の精神に大きく違反する
ものです。
 ‘77年、閣議決定と、法務大臣の命令によって合法的に行われた「釈放」を尊守し、本
件(75年)公訴はすみやかに取り下げられなければなりません。裁判所は、公訴棄却の決
定を下されるべきです。
2. 1995年3月の「偽造有印私文書行使」にかかわる逮捕・起訴は、不当な国際指名手配
と日本国外での違法な捜査権・警察権の行使に基づいて行われたものであり、違法・不当
な捜査押収証拠に基づく起訴は取り下げられなければなりません。
 そもそも‘95年3月、なぜに私は自らの名を付した日本国パスポートを所持していなか
ったのかが、まず問われなければなりません。
 ’77年10月2日、法務大臣の命によって私達を釈放する際、日本国は私達のパスポート
をいったん発行しました。しかし、その数日後にはそれを無効とする事によって在外にあ
る被釈放者への国としての保護義務を放棄したのです。さらに、自らが合法的に釈放した
はずの者達を、正当な理由なく国際指名手配し、私達が在外において自らの本名を名乗り、
自由に生存する事を不可能にされたために引き起こされた事態です。責任を問われるべき
は国による保護義務の放棄であって、合法的に釈放されながら、ある日突然、国外におい
て国の保護を失った被告人らでは断じてありません。
 ‘95年3月の被告人の実質的身柄拘束は、ルーマニア領土であるブカレスト・オトペニ
空港に駐機中のタロム(ルーマニア航空)機内において、日本から出向している富見永警
視らに3方を取り囲まれ、パスポートをも「管理」されるという仕方で開始されました。
警察官らは本法廷で、「浴田はルーマニアを国外退去されたものであり自分達はたまたま
ルーマニアから日本に向かう同じ飛行機に乗り合わせただけであって、浴田の逮捕身柄拘
束は日本領空内ではじめて行われた」由、発言しました。しかし、国外退去されたはずの
私は自らの着衣以外には、パスポートもお金も、チケットも腕時計すらも自分では持てな
い状態で飛行機にのせられ、「私のパスポート」を持っているという警視ら7〜8人に取
り囲まれて、「あっちへ行け」「こっちへ座れ」「ここから動くな」と行動を制限されな
がら「日本領空」へ誘導されました。明らかに警察権は「ルーマニアの領空内」で行使さ
れたのです。このように違法・不当な公訴提起は無効です。
 加えて本法廷は‘95年起訴に基づく検察側立証を積み重ねたにもかかわらず、検事は「
犯罪の事実」と被告人との関係性を何ら立証していません。のみならず、「犯罪の事実」
をうらづける唯一の証拠であったはずの「入国カード」の筆跡鑑定結果は「犯罪の事実」
とされる‘94年9月のルーマニア入国と被告人との関係を「同一性を特定しえない」とし
て否定しています。
 以上の事実だけからでも、本件起訴に対してはすみやかに公訴棄却ないしは無罪の判決
がなされなければなりません。
3. 本公判は’75年に共に起訴され、元来私もその被告人の一人であった「東アジア反日
武装戦線統一公判」と不可分一体のものとしてあります。
 「統一公判」は、ひたすら重極刑・報復判決を目的としてミノハラ裁判長らの強権的訴
訟指揮の下に、十分な審理も、弁護団・被告団の十分な立証活動も保証しないままに、拙
速裁判として強行されました。同法廷が、弁護人・被告人不在のまま開廷されたり、弁護
人を含む者達への度重なる退廷・監置等の制裁を乱発する等々、一連の「事件」と全く無
関係であった被告人の一人に「精神的無形的幇助」なるおよそ現行憲法・刑事訴訟法の精
神とかけはなれた判決を行う等々、裁判史上・刑事訴訟法上に多くの問題を残すものであ
ったことはよく知られています。
 検察官が今、いったん放棄した筈の公訴を再度持ち出し、東アジア反日武装斗争に関わ
る公判を進めようとするのであれば、本公判はしっかりと前記したミノハラ裁判の欠陥と
誤りを克服しうるものでなければなりません。
 さらに「統一公判」は、‘77年10月「内閣の決定によって法務大臣の命によって釈放さ
れた」二人の相被告人を突然奪われたのみならず、前‘75年に同様に「超法規的に」釈放
された一名を含む私達三名の検面調書を、被告・弁護団の反対尋問権を(国自らの決定と
行為によって奪い)保障しないまま被告人達の「殺意デッチ上げ」のために悪用するとい
う暴挙をも行っています。本公判において明らかにされるであろう事実の一つ一つは、は
っきりと「統一公判」の「判決」を問い返さざるをえないものになっていくでしょう。
 統一公判被告人達は現在、そのあまりの不十分、不公平、不当の故に真実を明らかにし、
公正な裁判を受けるべく再審を請求しています。
 本裁判は、統一公判を貫いた「初めに判決(量刑)ありき」というきわめて政治的で不
公平、不十分な、誤りを克服し、十分な審理の下に、真実を明らかにし、公正な裁判とし
て進められなければなりません。
4. 形式的にも実質的にも現行憲法に違反し、無効なものである「爆発物取締罰則違反」に
もとづく公訴は棄却されなければなりません。
 「爆発物取締罰則違反」は、今から百十余年もの昔、太政官布告として公布されたもの
であり、歴史的・法手続き的にすでにその効力を失っています。
 さらに、今から百十数年昔の太政官執政の時代に天皇を唯一絶対の統治機能として、天
皇の統治を支えるために施行されたこの政令が「主権在民」「基本的人権の尊重」と「平
和主義」「三権分立」を柱とする現行憲法・刑法・刑事訴訟法の精神に矛盾するものであ
る事は明確です。「爆発物取締罰則違反」は、「事実審理に基づかないアイマイな根拠で」
「想定・予測を立件の根拠にする事ができ」、「爆弾が爆発しようがしまいが」その「被害
の軽重に関係なく」「関与の度合いを問わず」「重刑を科し」「誣告」を奨励し、「かぎ
りなくイモズル式に幇助者をデッチ上げる事が出来る」等々、その内容としてきわめて危
険な予防弾圧法としてあります。
 憲法の尊守のためには、廃止こそが問われている法律です。
5. 本裁判はすでに、34回の公判を積み重ねてきましたが‘75年起訴分に関わる検察側立
証が問われたこの間の法廷において、本公判を行うことの無理と不当性とが如実に示され
ています。
 出廷したほとんどの証人は、事前に検察官と証言内容の打ち合わせを行い、関連記録も
閲覧しているにもかかわらず、多くの尋問に対して「わかりません」「わすれました」「
記憶にありません」という回答をくり返しています。また、検察側証人であるべき人々の
幾人かはすでに他界し、あるいは高齢のために出廷できず、あるいは所在不明という事で、
法廷は必要な証人を召喚し、取り調べる事もなしえない状態です。
 証人の四散・証拠(記憶)喪失の原因が18年間にわたる「公判の放棄」にある事は明ら
かです。本法廷の18年の空白は、内閣の決定によって、法務大臣の命令にもとづいて被告
人を釈放していったんは公訴を放棄しておきながら、被告人拘束の機に乗じて放棄した公
訴をむし返すという無原則によって引き起こされたものです。そのことによる裁判の不備
と不公正、その不利益は被告人に科されるべきではありません。
 裁判所は、本公判を日本国憲法と刑訴法の精神にそった、適正で迅速、公平な裁判たら
しめない‘75年起訴分に関わる公訴をすみやかに棄却し、裁判をその元来の使命もとづい
て公正に、迅速に、進められるよう求めます。

二、適正で迅速、公平な裁判のために

1. 「超法規的措置」に関する判断を明確にすることなく、本公判を進める事は、迅速・
公平な裁判を保障する憲法の精神に反するものです。‘75年の起訴状にもとづいて、18年
の空白ののちに公判が行われている。いったん合法的に釈放された者が再び同じ案件で被
告の席にひきずり出されているという異常な事態についてまず問われなければなりません。
 元来私は、他の7人の同志達と共に一連の海外侵略企業爆破斗争に関与したとして‘75
年5月に逮捕・拘束され、同年11月から「共同被告人」と共に「連続企業爆破斗争・統一
被告団」として公判に係属中でした。‘77年9月〜10月の日本赤軍による獄中同志奪還斗
争(いわゆるハイジャック)において奪還指名され、当時の閣議決定にもとづく、法務大
臣の釈放命令によって、同年10月2日未明、バングラディッシュ・ダッカ空港に駐機中の
日航特別機内で釈放された者です。
 被告人の釈放にあたっては釈放を決定した閣議・法務大臣・同矯正局長の命を受けて東
拘所長川口某・地検検事村田某らによる「出国意志確認」が行われ、翌10月1日未明、私
達は東拘をつれ出されて、同日朝6時頃、成田発の日航特別機でバングラディッシュに向
けて出国させられました。さらに10月2日未明に、バングラディッシュ・ダッカ空港に駐
機中の日航特別機内で私は、法務省の役人と名のる者(名前を聞いたかどうかも忘れてし
まいました)から「法務大臣の命により、釈放する」由の告知を受けて、手錠を外され自
由になりました。
 この時点で日本国は、私に対する公訴権・刑罰権を放棄しました。
 今年3月、検察官から提出された超法規的措置についての「意見陳述書」の中で検察官
は「釈放は」「内閣の閣議決定により、法務大臣の命により合法的手続きによって」なさ
れた。と言いながらその一方で「一時的なものであって…国が何ら公訴権を放棄したもの
ではなく、公訴権の効力に影響を及ぼすものでもない」と矛盾したことを述べています。
 同「意見陳述書」の中に「一時的である」という根拠は何一つ述べられておらず、かつ、
この国の法の下に未決被告人を「合法的に釈放しつつ」保釈金の納付も、住居の指定も、
次回公判期日の出廷の義務も告げる事なく、元来未決被告人・刑の執行猶予中の者らに発
行される筈のないパスボートを発行して国外へ送り出しておきつつ、なお公訴権を維持し
うるという法令は存在しません。
 逆に本年5月13日に到る被告・弁護団の意見陳述の中でくり返し述べてきたように、当
時私が受けた説明及び「告知」一連の処遇の中では、釈放が「一時的である」という客観
的事実はいっさい存在しません。当時の報道も、閣議決定もそうです。9月30日未明、東
拘における「出国意志確認(ひき止め工作)」の席で検事村田某らは自ら私に対し「二度
と日本に戻って来れなくなるんだぞ」「裁判で東アジア反日武装斗争の主張もできなくな
るぞ」「アラブに骨をうずめるのか」等々、彼自身、釈放が永久であることを前提にした
(ひき止めの)「説得」を行いました。検察側は、「意見陳述」において「後知恵」的に
「一時的であった」と強弁していますが、村田某の説得の中身こそが当時釈放を決定し、
命令し、実行した人々の共通の認識であり、「超法規的措置」と言われた「合法的になさ
れた釈放手続き」の客観的な意味です。釈放が一時的なものではなく「永遠」である事は
誰よりも検察当局が一番良く理解し、それ故にひき止め説得に村田恒を送って来たのです。
 検察官は今、あえて「一時的」と言う以上は、その理由を具体的客観的に、事実にもと
づいて立証されるのでなければなりません。さらに、同「意見陳述」の中で「被告人に対
する拘留状の効力により」と検察官が言うところの「拘留状」とは、いつ、誰が、どのよ
うな根拠によって、誰に対して発行されたものであるのか、被告人が「釈放命令」によっ
て釈放されるその一方で同時平行的に効力を有する「拘留状」が発行されていたというの
でしょうか、そのように矛盾した身分状態が強いられていたとするなら、その根拠と責任
は、法務省・当局によって明確にされなければなりません。
 私達は、第一回公判以来一貫して、釈放によっていったん放棄されていた公訴に関わる
’75年起訴状をこの法廷に持ち込む事は不当である。まず釈放によって‘75年起訴は、公
訴権・訴追権を国自らが失ったものであることの確認を求める由の主張を行ってきました。
 本裁判において本来ならば必要のない審理に無駄な時間と労力を費やすことなく、元来
の法廷の役割を回復するにはまず「超法規的措置」をなした閣議決定の内容・釈放指揮書
・法務大臣命令の中味・釈放の告知書及びそれらの施行の事実等々について緻密に検討さ
れ、検察官の主張する「一時的」の根拠「拘留状の効力」と共に問われなければなりませ
ん。閣議決定とは、検察官の長でもある法務大臣を含む、国の行政の最高責任者の決定で
あり、私に対してなされた「釈放の告知」は、「法務大臣の命にもとづいて釈放する」とい
うものでした。検察は自らの長の出した命令と明らかに矛盾する主張を行っているのです
から、その根拠をていねいに説明されなければならないはずです。
 そして今、被告人は、法務省内部の矛盾にみちた行為によってすみやかな、公平な裁判
を受ける権利を奪われ、再び自由を奪われ、この法廷にひきずり出されています。裁判所
は、あらゆる予断を排し、事実を客観的に正視し、三権の独立した一つの主体としての適
正・公平な判断をなされることを望みます。
2. 東アジア反日武装戦線統一公判との関連において前記したように、東アジア反日武装
戦線統一公判は、弁護人・被告人対して必要な反対立証の機会も与えることなく、ただ、
ただ報復・重刑のためのスピード裁判として強行されました。それ故、判決の重大さに比
し、十分な審理を尽くされたものとは言えません。本裁判においては、裁判所がその独自
の立場を忘れ去り、検察側の主張に追随し被告の主張には耳を傾けようとしない前裁判の
誤りをくり返すことなく、常に真実の解明に留意し、公平で公正な裁判としてその審理を
進められる事を強く求めます。
 その上で、ここでは、統一公判において、本公判で特に留意して審理されなければなら
ない点について意見を述べます。
 @証人調べは、緻密かつ公平に、公開の場で行わなければなりません。
 本件被告人の「共犯」とされている者の幾人かは、現在、前記したような不公正な審理
にもとづく裁判によって死刑判決を受け、東京拘置所において不十分な裁判のやり直し、
再審を求めて斗い続けています。他の幾人かは、不当な重刑判決によって以上に長期にわ
たる監獄生活を強いられています。また、他の幾人かは、国外によって釈放され、国は私
に対して同様、彼らへの追訴権を放棄していると思われます。
 本裁判は、今後も進められるであろうこれら「共犯者」に関わる審理・彼らに関わる記
録・証拠の採否にあたって、きわめて慎重かっ原則的、公正でなければなりません。こと
に在監中の「共同被告人」達への証人調べは公開の場で、公平に行われる事を求めます。

 A浴田供述調書の信用性についての検証は、正確になされなければなりません。
 第一次統一公判において、いったん統一被告団としてあった、大道寺あや子、浴田由紀
子と、公判係属以前に釈放されていた佐々木則夫君、三名の供述調書(検面)を、私達に
対し、国自らが釈放によってその公訴を放棄したにもかかわらず「証拠」として維持し、
統一公判被告団への「殺意認定」の根拠として悪用しました。
 元来、同供述調書は、検察と警察による不当な、ドーカツとキョーハクカンケイによる
取り調べの中で検察官が勝手に作文し、署名・指印を強いた、被告人の意志とは無関係で
あったにもかかわらず、法廷において、その内容に関わる証言の機会、弁護人・被告人達
による反対尋問の機会を保障しないままに採用しています。内閣の閣議決定と法務大臣の
命による被告人達の釈放によって、国自らがその反対尋問の機会を奪ったものであるにも
かかわらず、その不利益を被告団に強いて、裁判においてはきわめ重要かつ慎重になされ
るべき「殺意の認定」という重大事に無批判に悪用されたことは看過されるべきではあり
ません。本法廷においては、右供述調書の信用性は正確に問い返されなければなりません。

 B東アジア反日武装戦線への捜査・逮捕・取り調べが、違法かつ恣意的におこなわれた
ものであることについては、すでに76年5月に行なった意見陳述の中で述べていますが、
さらに、私が起訴されている7つの爆破事件のうち、三井をのぞくすべての「事件」につ
いて他の同志達との「共謀」とされている事について、その具体的事実が明確にされ、問
い返されなければなりません。
 また、8名の同志達の5・19一斉逮捕の口実とされ、同日自死した1名と、当時組織メ
ンバーではなかった1人の同志をのぞく6名全員の「共謀」として起訴された韓国産業経
済研究所爆破斗争について、今だ明らかでない多くの疑問点が問い返されなければなりま
せん。当時、韓産研爆破斗争に到る数ヶ月の間、逮捕された8名は全て、警視庁の特別捜
査班の尾行監視下にあったと言われています。もしそれが事実であるなら、捜査員らの尾行
監視下で一連の爆破斗争は次々と実行されたのだという事になります。何故、彼らは「爆
弾の設置を見た」と言いながら「設置された」爆弾を処理し、爆発を防がなかったのでし
ょうか。何故、次々といくつもの爆弾の爆発を許したのでしょうか。彼らは当時の全員の
「尾行記録」をちらつかせて取り調べを行ないました目そして6名に対して「共謀」起訴
を行ないましたが、第一次統一公判に於いても、一人一人の被告人に対する「共謀」の中
味は具体的に明らかにされていません。本当に起訴されたもの全員が、韓産研爆破斗争を
「共謀」し、それに関わっていたのか否か、正確・具体的に検証されなければなりません。
 裁判所は、検察の言い分を無批判に受け入れるのではなく、また、検察官は真実の求明
のために、必要な証拠・資料・証人を隠すことなく開示し、公平な裁判を進めていかれる
よう求めます。

三、違法・不当な国際指名手配と、
 日本警察による違法な捜査・逮捕手続きを
 許してはなりません

 そもそも本件公判開始に到った「偽造有印私文書行使」事件なるものは、いかにしてつ
くり出されたのか。
 日本政府は、77年10月の釈放にあたって発行したパスポートをその数週間後には、我々
が国外に居る事を知りつつ突然に無効化し、我々に対する、国としての保護義務を放棄し
ました。無効化した理由は私達には通知されていません。さらに、日本警察は合法的に、
「法務大臣の命によって」釈放された私達を釈放取り消しの告知も、法手続きも、根拠の
明確な明示もないままに国際指名手配しました。この一連のきわめて不当な、根拠の不明
瞭な出来事がその原因としてあります。以来私達は、日本国民としての国による保護を絶
たれたまま外国で生きていくためには、偽名(パスポートをも)を使用することを余儀な
くされました。根拠のない国際指名手配は、自国民にいわれなく異国において「罪を犯す
こと」を強い、生きることを困難にし、生存権そのものを剥奪する事に他なりません。国
自らが保護義務を放棄した者に対して、あるいは本名で生きえない窮地に追いやった者に
対して、そのものが、偽名を名のって生活していた事をもって、罪を問い裁く資格は、国
にはないはずです。
 現在、レバノンにおいて日本赤軍の5人の同志達が身柄を拘束され、「偽造パスポート
を使用した」として裁判に付されています。また、過日、ボリビアにおいて、75年に超法
規的に釈放された西川純同志を拘束させ、身柄を日本に強制送還させて再逮捕・拘束しま
した。彼に対しても拘束の直接的理由に「偽造パスポート」を使用したと言われています。
いずれの場合も日本警察・外務省は、根拠の不明確な国際指名手配をその口実とし、「日
本赤軍=テロリスト」というデマを流して身柄を要求するという仕方をとっています。
 しかし、今年2月15日、岡本公三同志と日本赤軍の同志達が拘束されたことを知ったレ
バノン・アラブの人々は、その即時釈放を求め「金のために我々の英雄を売るのか」と政
府に抗議しました。彼らの公判には、150人以上の弁護団が結成されました。アラブパレ
スチナの人々にとって、リッダ斗争を斗いアラブパレスチナ解放のために身を挺して共に
生きて斗ってきた岡本公三同志と日本赤軍は、英雄・血を分けた兄弟ではあっても、決して
テロリストなどではない事をあらためて明らかに示しています。彼らの判決文において、
「…裁判所はレバノンでのこれらの罪を犯すに到った理由を検討した。個人的理由でレバ
ノン国内に滞在できるかも検討した。政治的条件を考慮した。また、敵イスラエルに対す
る英雄的行為を行なったコウゾウ・オカモトを考慮した…」「…同様に被告達はレバノン
に政治亡命を求める事が可能だったのである。そうであれば偽造パスボートをレバノン入国
に必要でなく、滞在する場合でも、必要ない筈であった」と明確にその政治的存在を認め、
リッダ斗争の英雄的行為に対し、敬意を表明しています。すなわち、『事前に言ってくれ
れば政治亡命も、長期滞在も出来たのに、すでに偽造パスポートを使ってしまっていたの
で如何ともしがたい』と言っているのです。日本のマスコミ・警察の言う「テロリスト」、
「アラブに見捨てられた」「じゃま者」等々の宣伝がいかに根拠のないデタラメであるか
は、明確でしょう。日米両帝国主義の経済的圧力の前で、イスラエルの侵略と、引き継ぐ
内戦で荒廃された国土と産業の復興過程にあるレバノンが「アラブの大義」、「アラブの
英雄と日本赤軍」を守れという人民の熱望の前で苦しい判断を強いられた結果です。
 日本政府は、11月初旬に来日したレバノン首相ハリリ氏に対し、経済援助と引き換えの
身柄引き渡しを要求したと報道されています。これが日本の外交の質です。しかしハリリ氏
は、自国法の存在をあらためて強調したと報道されています。日本の経済援助と引き換え
にした身柄引き渡し要求は、他国の主権を侵害し、経済力によって経済的途上国を支配し
ようとするものです。すでにレバノンの法廷で明らかになっている事は、日本大使館員、
清がレバノン国家治安局長官アリ・マッキ准将を買収し、「アリ・マッキ=清」の独走に
よる身柄拘束の事実です。日本の新聞は、「2・15独走による日本赤軍拘束」の責任を問
われてアリ・マッキが解任された事実については、報じていません。
 私を拘束したルーマニア人グループは、私に対してその身分を「日本警察とコラボレイ
トしている者である」と名のりました。彼らは、ルーマニア当局者としての役職によって
ではなく、「日本警察とのコラボレイト」によって私を拘束したという事です。いつから
この国は、金の力、買収によって、他国当局者工作を公然と行なうことを許す国になった
のでしょうか。「経済援助」と言いくるめるカラクリを公然と行なえる国になったのでし
ようか。
 さらに、日本警察は、レバノンの同志達の身柄引き渡し要求の理由として岡本公三同志
に対する、「リッダ斗争での逮捕状」をあげています。リッダ斗争の故に岡本同志は、ア
ラブパレスチナの人々にとってかけがえのない英雄であり、血を分けた兄弟であることを、
かくも無神経に踏みにじれるこの国の外交姿勢とは、何なのでしょうか。さらに岡本公三
同志は、すでにイスラエルの刑務所において13年間の禁固刑に服し、85年にジュネーブ条
約にそって、オーストリアの仲介のもとに戦争捕虜交換として解放されました。日本政府
によるリッダ斗争での国際手配は、国際法に違反しています。当然、イスラエルも解放し
た岡本同志を手配する事はしていません。日本政府は、彼の解放に際してパスポートを発
行し、自由な生存を保障するべきであったにもかかわらず、彼に対して国としての保障を
放棄したのです。そして今、すでに刑を終了し、釈放されたリッダ斗争を口実に再逮捕を
目論んでいます。これは、二重処罰を禁じるこの国の憲法にも、国際法にも明確に違反し
ています。第二次世界大戦後、国外で戦犯として裁かれ、刑に服して帰国した人々を日本
の国は再度逮捕拘束し、罰を科しましたか。何故、岡本同志には可能なのでしょうか。
 ちなみにアムネスティインタナショナル本部は、「日本政府が岡本氏に死刑求刑をしな
いと約束しない限り、日本への引き渡しに反対する」と声明しています。
 先頃、朝日新聞「声」の欄に、一人の裁判官が「逮捕状の発行が裁判所としての十分な
検討なしに安易に警察の言いなりのままに行なわれている事への危惧」を述べていました。
それに対して、「いや、十分に慎重に検討して行なっている」という反論が載っていまし
た。おそらくどちらも事実でしょう。そして、どちらがより多くの現実であるのか……。た
とえ一部において、慎重に行なわれている事実があるとしても、貴重な、人権を擁護すべ
き裁判所において、一件の「不十分な検討」、「警察の言いなりの逮捕状発行」もあっては
ならないはずです。
 リッダ斗争での、すでに刑を終えて解放された者への国際法を無視し憲法に反する逮捕
状の発行・合法的に「国が閣議決定と法務大臣の命」によって釈放した者の再手配・自ら、
発行したパスポートの無効化の後に、偽名行使を口実にする逮捕等々に対し、どのような
検討・審議をつくされたのか。
 裁判所は、警察官の法を無視した独走「テロリスト」と言ってしまえば何でもできると
いう違法行為に対して、あくまでこの国の憲法の尊守・人権の擁護者として、自らの責務
を担われるように求めます。

四、東アジア反日武装戦線が提起した問題は

 今、21世紀に向けたこの国の立場の問題と
 して切実に問われています
 1974〜75年、私達は、海外侵略企業爆破斗争という形でしか、この国の孕む誤りと危険
性の解決に向けた斗いをなしえませんでした。
 歴史的なアジア近隣諸国人民に対する侵略と抑圧・搾取に対する何の反省も謝罪も行な
われないままに、朝鮮特需・ベトナム特需という近隣諸国人民の危機・近隣諸国人民への
米帝国主義の軍事的侵略・支配の企みに加担する事によって、戦後の経済的復興を果たし、
経済大国への道を歩み始めたこの国が、再び経済援助に名を借り、あるいは企業進出とい
う形で、米帝への軍事力に支えられてアジア各国への再侵略・支配を開始する事に対して、
二度と同じ誤りを繰り返してはならない。
「まずもって過去の侵略・支配への反省と謝罪の上に新しい近隣諸国関係を構築するので
なければ、帝国主義本国人としての歴史的責務の側から、この国が戦前・戦後一貫して変
わらぬ帝国主義であり続ける事をまず変革する事が、我々の第一の任務である」と考えて
斗いを開始しました。私達は戦犯に問われながら日米帝国主義の野望に支えられて復活し
た侵略企業(戦中の国策企業)に、その戦争責任を問い、新たに進行しつつある経済侵略
を阻止するところから、その斗いの第一歩を開始しようとしました。
 しかし、当時の私達の思想的・技術的未熟さと誤りの結果として多くの予期しえない死
傷者を生む誤りを犯しました。そのために私達が提起しようとした「戦争と侵略の責任を
問い、謝罪と反省の上に立つのでなければ真の意味でのアジア諸国人民との共生はありえ
ない。再び今、形を変えた侵略と搾取に乗り出すのは止めよう」という問いかけをきわめ
て解かりづらいものにしました。
 80年代に入って、アジア各国の人民の勇気、ことに強制連行され、あるいは従軍慰安婦と
された人々の勇気ある告発と、それに答える日本国内の良識ある人々の反省と、補償、歴
史ほりおこしの取り組みによってようやく、この国の戦争責任とそれへの謝罪の必要が公
然と語られるようになりました。しかし、そうした人々の取り組みの一方で日本政府は今
も「公式謝罪」「補償」を回避し、自民党・反動的学者の一部には、歴史的事実すらも認
めようとはせず「侵略の事実はなかった」とか「自虐史観である。子供たちに“真実”を
教えるべきではない」などと言い続けている人々がいます。
 1985年5月、西ドイツのワインゼッカー大統領は、「過去に目を閉ざすものは現在にも
盲目となる」という有名な演説を行ない、戦争責任の問題を世代を超えて教訓としていく
事を呼びかけました。一方で敗戦後52年になる今年に到ってなお、日本政府は正式の謝罪
も、真の反省も行なっていません。のみならず、それゆえに、今年の9月、日米両国は、
新ガイドライン調印という新しい同盟関係の一歩を踏み出しました。そして、この新ガイ
ドライン調印は、多くのアジアの国々からの反発と、日本軍国主義復活への危惧を引き起
こし、外務省、首相らは各国に対する「説明」のための苦しい「言い分け旅行」を問われ
ました。
 新ガイドラインは、一貫して問われてきたこの国における自衛隊の違憲性と、日米安保条
約の是非についての問題を不問にしたまま、国民と国会に計る事なく、憲法条項を超える
ものとして、この国の軍事体制の強化拡大を確認するものとしてあります。そしてそれは、
米帝国主義の世界戦略・世界支配の野望への無批判・無条件な加担。米帝の引き起こす戦
争に選択の余地なく参加することを意味するものでしかありません。その危険性を日本共
産党は「自動参戦装置」と表現しています。さらに自民党は今、「有事立法」という形で
事後処理的に、国内法「改悪」を持って「国土と国民を戦争にまき込む体制の確立」を画
策しています。誰が再び戦争を望んでいるのでしょうか。誰にとって、米帝の望む戦争へ
の加担・一緒になっての戦争参加が必要なのでしようか。
 この国がこの間「日米安保条約」に沿って行なって来た事、そして今、新ガイドライン
によって自らの帝国主義的野望・世界での経済的支配を貫徹する事に他なりません。一部
独占階級・海外侵略企業の利益擁護のためにこそ、米帝軍に国土と国民の安全を開け渡し、
福祉を切り捨てて医療補償を削減し、消費脱という名の貧者圧迫税等々、国民の生活をよ
り困難にし、弱者を切り捨てる事によって手にしてきた国民の血税を「思いやり予算」と
いう訳のわからない形で、他国の軍隊に自国の国土を開け渡し、国民の生活と安全・平和
を脅かすことに使用する事です。
 沖縄の人々は実に52年に渡る米軍基地下での生活を強いられています。「復帰前も復帰
後も日本の平和憲法が沖縄に適用されたことはありません」「戦争も軍隊もいらない平和
な暮らしがしたいだけです」という沖縄の人々の反戦・反基地の叫びに橋本政権は、使用
期限の切れた土地をひきつづき米軍に強制使用させるために、法を「改悪」してまで人民
の意志と生活を踏みにじって「米軍」を支えました。どこの国の誰のための政府なのか、
疑いたくなります。そして今、沖縄の人々が強いられてきた状況を全国全土に拡大しよう
とするものが新ガイドラインに他なりません。
 こうした一連の日本政府のやり方に、一片の民主主義も過去の戦争と侵略の反省も戦争
と武力を放棄したこの国の平和憲法尊守の精神もないことは明白です。
 今私達が、この日米帝国主義による戦争体制確立を許すことは、私達もまた、かつて戦
争を望む勢力を阻止しえない事によって戦争と侵略を肯定・加担し、アジア各国とこの国
の人民の生命と生活を奪う者となった、同じ過ちをくり返すことに他なりません。そして
また、朝鮮特需、ベトナム特需という近隣諸国人民への侵略・抑圧に加担する事によって
自らの経済的復興を果たした、アジア人民に敵対して「今日的=繁栄」を実現した日本帝
国主義本国復活の過程を踏襲する事でしかありません。同じ誤りを二度・三度とくり返す
資格は私達には、ないはずです。
 私達は過去の侵略と戦争の誤りを真に教訓として、アジア世界の人々との真の共生を求
めて斗い続けます。
 冷戦構造崩壊後の世界構造の中で、戦争を必要とし、世界各地で戦争を画策しているの
は、唯一、兵器産業と各国、各民族人民の独立・自治・共生を認めようとせず、あくまで
米帝の世界支配下におこうとする者、そしてあくなき経済搾取を求める多国籍企業・帝国
主義者のみです。
 私達が今、真にアジア諸国人民と共に生きようとするのなら、まず軍国主義・侵略戦争
と植民地支配についての謝罪を明確にし、二度と再びくり返さない事を明らかにすること、
非同盟・中立非武装の日本を確立する事です。敗戦後日本は、アジア諸国に対して経済的再
侵略を、「憲法9条を前提に振りかざしつつ、アメリカの軍事力をうしろだてにして」強行
しました。「トロイの木馬」のように、あるいは「羊の皮をかぶった狼」のように、それ
は行なわれました。そして今、自ら、木馬の扉を開け、あるいは羊の皮を脱ぎ捨てて、米
軍と手をたずさえたアジア(世界)の軍事・経済支配の主役になろうとしています。軍事
大国化をおし進め、戦争体制確立を許す事は、再びこの国のみならずアジア・世界の人々を
戦火にひきずり込む事に他なりません。
 日米軍事同盟・安保条約に断固反対し、護憲・平和と民主主義の徹底、自治と共生の拡
大こそが、世界の人々と共に生きていく21世紀のこの国の進路としてあります。
 私達はそのためにこそ、歴史と総括・教訓を生かして人々と共に斗い進めます。


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