被告人 浴 田 由 紀 子
右被告人に対する爆発物取締罰則違反等被告事件の公判手続の更新に際しての弁護人の
意見は次のとおりである。
右弁護人 内 田 雅 敏
一九九七年一一月二七日
東京地方裁判所 刑事第五部 御中
第一 被告人らが闘争によって訴えたもの
一九七四年八月から一九七五年四月までの一連の侵略企業爆破闘争によって、被告人ら
が訴えたものは何であったのかを本件裁判において明らかにする必要がある。それは
(一)日本の戦争責任
(二)日本の戦後責任
であり、また、さかのぼれば、
(三)明治維新以降の、あるいはそれ以前からの日本の植民地支配に対する責任
というきわめて重要な問題提起であった。
もちろん、被告人は一連の事件すべての刑事責任を問われているものではないのはいう
までもないが、被告人ら当時の東アジア反日武装戦線が訴えたものを、二十数年を経た現
在の視点からとらえ返すことにする。
一 被告人らが思いをはせた人びと
被告人が属した東アジア反日武装戦線・大地の牙は一九七四年一二月一〇日、大成
建設本社を爆破した際、次のような決行声明文を出している。
「東アジア反日武装職線の一翼を担い、わが“大地の牙”は、本日、大成建設(大倉
土木)を筆頭とする旧大倉財閥系企業の本拠地を爆破攻撃した。大倉組は明治維新以
来、政商「死の商人」として日本反革命軍と共にあり、台湾・朝鮮・アイヌモシリ・
沖縄・中国大陸・東南アジア侵略の尖兵をつとめ、本国下層プロレタリアからの搾取
と韓国・インドネシア・アラブ・ブラジルヘの侵略を推進している新旧日本帝国主義
の代表的企業であり、大成建設の今日は一九二二年新潟県の信濃電力信濃川水力発電
所工事現場で大量虐殺された朝鮮人労働者等、植民地人民の血と屍のうえに築かれて
いる。わが部隊は植民地主義企業、帝国主義者を地上から掃滅する戦いの一環として
今回の作戦を決行した。」
ここで注目しなければならないことは、被告人らのいう侵略企業、植民地主義企業
への強烈な非難だけではなく、その企業によって苦しめられた人びとへの熱い思いで
あろう。また、被告人らは日本と、企業の歴史を実に丹念に調査し、学習し、日本と
いう国家の暗部を切開している。だが、当時、被告人らの思いはひとり先へ進みすぎ
ていたために多数の理解を得るものではなかったといえるし、そのような時代の歴史
認識を背景としつつ、国家の側からの報復的に判決も可能だったといえないだろうか。
しかし、今、事件から二十数年の時間が経過している。
二 新憲法の意味をふり返る
右の声明文にあるとおり、日本国家は台湾・朝鮮・アイヌモシリ・沖縄を占領し、
植民地支配してきたのは歴史的事実である。国を奪われ、民族を否定され、抑圧された
人びとはもちろん激しく抵抗したが、日本国家の過酷な弾圧で長く苦しい生活を強い
られることになった。そして、日本国家はさらに侵略を拡大していったのである。
一九三一年、日本軍は柳条溝事件をきっかけに「満州」を制圧した。満州事変であ
る。また、一九三七年の蘆溝橋事件を経て日本の侵略は中国全土に広がり、さらにア
ジア、太平洋地域が日本に占領され、戦争に巻きこまれ、甚大な被害を受けることに
なったのである。
そして敗戦。日本国民は再び過ちをくり返すまいと誓い、一九四六年二月三日、新
憲法である日本国憲法を制定し、翌一九四七年五月三日に施行された。本年一九九七
年はちょうど新憲法施行五〇周年に当たる。だが、過ちの反省は生かされてきたであ
ろうか。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすること」
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」
「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
という新憲法の崇高な理想は、どうなったであろうか。われわれは、この理想を実
現できるような国家をつくりだしたといえるだろうか。否である。今こそ、新憲法の
意味をふり返り、五〇年前の原点に立ち帰る必要がある。
三 加害者としての責任の自覚
新憲法の持つ平和主義の原理とは、日本国民が被害者としての経験に基づいた戦争
の放棄にとどまるものではない。自国の国益に専念し、他国に専制と隷従を強制して
きた加害者としての日本および日本国民の反省が、新憲法の平和主義の理念なのであ
る。
しかし、反省し否定したはずの日本国家の加害者性は、復活し、巨大なものとなっ
てしまった。支配の歴史の連続性が切断されることなく、延命してしまったのである。
企業は再びアジア諸国をはじめ、世界に経済的侵略を進め、富の収奪構造は強化さ
れている。「政府開発援助」(ODA)との名のもとで行われている経済侵略も、現
地の住民の生活基盤を奪っている。日米安保条約、日米安保体制、在日米軍の存在に
より、日本は軍事的にも肥大化してきた。再び同じ道を歩いているのである。
四 戦後の日本への異議申し立て
しかし、二十数年前と比べ、状況は変化している。まず、日本国家により被害を受
けた人びとが自ら日本国および企業に対して、責任を認め謝罪し、補償を行うことを
求めていることである。さらに、この要求に対して、加害者としての責任に自覚から、
呼応し、連帯する日本人も少数とはいえ現れてきている。
日本軍に屈辱を強制された従軍慰安婦の人たちが立ち上がり、国際社会の中で日本
国家を批判し、彼女たちからみればまったく不十分ではあるとはいえ、日本国家も黙
殺できない状況が生まれた。
沖縄では「基地のない平和の島を返してほしい」という声が盛り上がり、県民投票
が成功している。また、名護の米軍基地軍事ヘリポート建設の賛否をめぐる投票も行
われるが、平和を望む住民の意志を、日本国家が完全に黙殺できない状況が生まれて
いるといえよう。
五 被告人らの訴えへの共感の広がり
以上のような状況の変化を、必ずしも楽観的に考えることはできない。とりわけ、
アジアその他の日本国家による被害者への戦争責任、戦後責任はほとんど果たされて
はいない。なんら謝罪も補償も受けないまま、多くの人びとが亡くなられていること
を思うと、まことに無責任国家としての日本に失望させられる。
しかし、戦争責任、戦後責任について、それらを認める公の発言もあり、また、鹿
島建設など戦時中に強制連行、強制労働についての責任を認める企業も一部であるが
現れている。不十分とはいえ、被告人らが侵略企業爆破を行っていた時代とは、異な
る状況が開かれてきたといえる。それはつまり、被告人らの訴えが、訴えとしては正
当性を獲得してきたのである。少なくとも無視できない問題として見直されてきたの
である。
そればかりではない。被告人らの訴えへの共感は着実に広がりを見せている。それ
はいわゆる革命運動や左翼運動、反体制運動という世界に閉ざされたものではなく、
環境問題、人権問題、死刑廃止運動、女性や在日外国人などの権利を求める運動、そ
の他多くのいわゆる市民運動や住民運動の中に広がっている。また、二十数年前には
また誕生さえしていなかった若い世代にさえ「現代史」としてのインパクトを与えて
いる。
六 被告人らの謝罪
時代状況は変化し、社会による被告人らへの評価も変化していると考えるべきであ
ろう。しかし、変わったのはそれだけではない。被告人ら自身も大きく変化してきた
のである。一昨年十一月二十八日に行われた公判廷での意見陳述で、被告人は次のよ
うに述べている。
「一九七四年から一九七五年に私達の担った海外侵略企業爆破闘争によって負傷さ
れ、あるいはかけがえのない生命を失われた方々、その御遺族の方々に対して、心か
らの謝罪を伝えたいと思います。負傷された方々と、突然御家族を奪われてしまった
方々にとって、この年月は、理屈に合わない苦しみの日々であったろうと思います。
とり返しのつかない誤りの前で、私は今適切なおわびの言葉を見い出す事が出来ませ
ん。そして、二十年間もの長いあいだ、この思いを伝えられなかった事も重ねておわ
びしなければなりません。」
いうまでもなく、被告人自身は死者を出した三菱重工爆破事件には関与しているも
のではないが、これは三菱重工爆破を行った狼に属する人たちの代弁をこえて、精神
としての共同責任に基づく真実の思いであろう。被告人のいうように「とり返しのつ
かない」ことであるが、被告人らもまた、苦しみの二十数年をすごしてきたと想像す
ることができる。
七 「やわらかな心」を持つ人たち
本年十月二十八日に発行された『戦後ニッポンを読む 狼煙を見よ』(松下竜一著、
読売新聞社刊)という本の解説で佐高信氏は次のように述べている。
「五百枚の長編を、一気に、まことに短い時間で読んだ。『東アジア反日武装戦線狼
部隊』というこの同時代人たち。大道寺将司、あや子、片岡利明、佐々木則夫、浴田
由紀子、斎藤和、黒川芳正。啄木やハイネの詩人の魂を持つ者が、そのまま革命の心
を持つようになった。」
「三菱重工爆破事件の大道寺将司らが、いわゆる『やわらかな心』を持つ人だったこ
とを示されて、重い宿題を預けられた感じだった。」
もとより弁護人は、傷つけられた被害者にしたみれば、被告人らが「やわらかな心」
の持ち主であるなどということを了解できないことは理解しているつもりである。そ
して被害の事実は変わるものではない。
第二 当事者の生の声を聞く
本件裁判は、被告人が行った行為を法律的に裁くものであるが、以上でのべたように、
歴史認識を問う現代史的教材とでもいえるものになつている。被告人らが闘争によって訴
えたものについても、賛否両論があるだろうが、少なくとも二十数年の時間の経過の中で
その訴えのいくらかは、不十分とはいえ人びとの受けいれるものとなったことは否定でき
ないのである。また、被告人らの行為を処断する感情にも、報復的なものは薄らいでいる
といえるであろう。また、そのような時代状況においては、被告人らの行為の選択も異な
ったものになったに違いない。
被告人らの訴えたもの、訴えたかったものは何だったのか、そして、それがなぜ市民を
傷つける不幸に結びついたのか。それを被告人らはもちろん、被害者らの生の声を聞くこ
とで、それぞれの法廷での立場をこえて明らかにできることを強く望むものである。
―以上―