四月一五日の更新意見陳述●抜粋  浴田由紀子
                東京拘置所は公判準備妨害をやめろ

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更新意見陳述より、裁判公開を訴えた部分と、裁判資料の所持規制の問題を訴えた
部分を編集部の責任で抜粋・要約して掲載します。弁護人による更新意見とあわせ
てお読みください。
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一 本裁判の特徴とその役割(略)

二 「共犯」証人の証人調べを公開の法廷で行なうよう強く求めます。

(一)
 先月の公判廷において検事は、先の統一公判で裁かれ、すでに刑が確定している大道寺
将司、益永利明、黒川芳正各同志と、七五年、七七年にそれぞれ超法規的措置によって
釈放された佐々木則夫、大道寺あや子、各同志に関わる家宅捜査関連調書と、押収証拠
品を証拠提出しました。さらに被告人は、起訴状において彼らと「共謀・共同」をなし
たとして、元来関与しなかった事件を含めて、起訴されています。第一次統一公判の中
で、十分な審理が尽くされていないことを踏まえ、真実を明らかにするためには、彼ら
への証人尋問は本公判において欠かすことの出来ない極めて重要な位置を占めるものと
してあります。

(二)
 私達は今、この間の東拘当局による越権的介入・違法な公判準備妨害・防御権・裁判を
受ける権利の侵害等々から、今後も、本公判への介入・妨害が繰り返される可能性を危
惧せざるを得ません。ことに「確定死刑囚」とされている大道寺将司・益永利明、両同
志の証人出廷を、東拘がその本来の役割と権限を逸脱して妨害してくる可能性がありま
す。
 裁判所は、「公平で迅速な裁判」を「司法の独立」の中で全うするという本来の使命に
立って、公開の法廷での「共犯」証人調べを実現されることを求めます。

(三)
 日本国憲法は、その第三二条において「何人も裁判所において、裁判を受ける権利を奪
われない」と明記し、第三七条においてその裁判の内容を「@すべて刑事事件において
被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。A刑事被告人は、す
べての証人に対して、審問する機会を充分に与えられ〜」と規定されています。公平で
迅速な公開の裁判を受けることを「被告人の権利」として明記しています。同時にそれ
は、裁判所が検事や一部行政庁の圧力に偏り屈することなく、公平な立場で司法の独立
の中で公判を担う義務も意味します。証人がたまたま「確定死刑囚」であることをもっ
て、公平な公開な裁判を受ける被告人の権利を限定しあるいは裁判所の義務を放棄する
ことは出来ないのです。裁判所は、証人の「身分」によって独立と公平性を放棄し、被
告人の裁判を受ける権利を否定してはなりません。
 さらに、第八二条(裁判の公開)は、「裁判の対審および判決は、公開の法廷でこれを
行なう」とし、「A政治犯罪・出版に関する犯罪、またはこの憲法第三章で保証する国
民の権利が問題になっている事件の対審は、常にこれを公開しなければならない」と明
記しています。
 裁判所は東拘のいかなる圧力にも屈してはならないのです。また、東京拘置所は、裁判
が必要とする証人の公開法廷への出廷をいかなる理由であれ、拒否・妨害してはならな
いのです。もし東拘当局が「確定死刑囚」とされた二人の「共犯」同志達の証人出廷を
妨害するのなら、それはそれは行政庁である拘置所の本来の権限を超えて司法の内容に
介入し、その独立を侵害し、裁判(司法)そのものを拘置所の管理支配の下に置くこと
に他なりません。
 裁判所がそうした東京拘置所当局の圧力に屈して、同志達の証人調べを公開の法廷で行
なおうとしないのならば、それは、憲法の基本理念たる三権分立の一翼たる司法自らそ
の立場と原則・役割を否定し、放棄することに他なりません。

(四)
 東拘当局は、不当にも「確定死刑囚」とされている大道寺将司・益永利明、両同志の出
廷を妨害する理由として、「かつて『確定死刑囚』を拘置所の外に出したことがない」
「前例がない」ことを口実にするかも知れません。しかし、前例があるのかないのかは
裁判所及び被告人の関与しうることではないし、前例がなければ必要に応じて作ればい
いのです。前例がないからという理由で必要なことをやらないでいるとしたら、その社
会はかぎりない停滞と後退の腐敗した、進歩のない社会となるでしょう。人類の営みの
場とは言えません。自らその担い手である法を、正しく運用するために裁判所は毅然と
してその運用を実践してください。
 さらに東拘は、「戒護上の理由で」と言うかも知れません。しかし、東拘は毎日しっか
りと安全体制を確立した護送バスを運行して、在監者の出廷を保障しています。確定死
刑囚として他の在監者と同じ舎房にある彼らに、法的には「未決被告人に準ずる処遇」
を保障されている彼らにさらに如何なる「戒護上の必要」があるというのでしょうか。
彼らの出廷が不可能という理由があるとは思えません。東拘当局の彼らの人間性を無視
した差別的取り扱い、処遇こそが問題なのです。
 また東拘は、「確定死刑囚処遇は、死刑囚の社会的活動を認めて(想定して)いない」
由の主張をするかも知れません。しかしこれこそ現行死刑囚処遇の誤った運用の内容な
のです。
 死刑囚にとっての刑の執行とは「死刑の執行」をもって始めてなされるものであって、
他のいかなる「刑罰的処遇」も受けるいわれはありません。それに至る過程の死刑囚の
身分は、「未決被告人に準ずる」ものであることを法は明記しています。
 しかし、現行死刑囚処遇は、死刑囚に対し家族(それも全員ではなく人員を限定されて
います)以外の人々との面会・文通・差入品の授受等いっさいの交流を認めていません。
弁護人であっても、再審の準備等理由を限定して未決被告人の一般面会と同じ条件で
(すなわち看守の立ち会いの下に時間制限をされて)しか許されていません。死刑囚自
身が獄外に手紙や文章を発信しようとするためには(弁覆人宛も、家族宛もです。それ
以外の人には出来ません)すべて、理由と内容を付した「願い出」に「許可」を受けな
ければなりません。
 そのようにして、確定死刑囚は、あらゆる形での社会との接点を極端に制限されている
のみならず「第二種独居房」(私達はこれを「自殺促進房」と呼んでいます。それほど
に閉塞感・圧迫感の強い所です)という名の、外気に触れることの出来ない(窓にパン
チメタルが貼ってあって、窓が開かないため外気や風が入ってこない)夏は蒸し風呂の
ようになり、冬は日の光が通常の四〇%位(?)しか入らないため、他の房以上に冷え
込む。これ自体が拷問であるかのような房に入れられて、二四時間天井に取り付けられ
た監視カメラに覗かれながら、生活させられています。
 旧来、死刑囚処遇として行なわれていた死刑囚同士でのお茶会や、他の人々と同席して
の映画鑑賞等、交流の機会はなくなったのだと聞いています。死刑囚は完全に孤立した、
二四時間三六五日の生を強いられているのです。
 (一連の死刑囚処遇の実体については、昨年暮れに出版の、大道寺将司同志が母上に送
った手紙を編集した『死刑確定中』という本が太田出版から出版されていますから、ぜ
ひお読みになって参考になさってください)
 死刑囚への刑の確定は(その生存を国の手によって抹殺するという全くの理不尽きわま
りない)「死刑の執行」によって初めてなされるのであって今現在の人間としての生と、
社会的存在は、何人たりともそれを否定しうるものではありません。
死刑囚もまた、この国の、この社会を構成する一人の人間としてこの国の憲法に規定さ
れた義務と、権利を行使することを妨害されるべきではありません。

三 東京拘置所による、公判準備を受ける権利の妨害、裁判を受ける権利の防御権行使 を侵害・否定する処遇について訴えます。

 裁判所が、本裁判を「公平で迅速な公開の裁判」として、日本国憲法の基本原則にそっ
て遂行されるためには、必要な「共犯」証人の公開法廷出廷を実現されると同時に、現
在東京拘置所が行なっている被告人(ら)への著しい公判準備妨害・裁判内容への介入
と、裁判を受ける権利への侵害・防御権を認めない一連の処遇に対して、即座にそれら
を中止し、被告人(ら)の権利回復を保障するよう勧告されなければなりません。

(一)
 現在、東京拘置所を初めとする、全国の刑務所・拘置所において「領置品総量規制」と
いうことが行なわれています。東京拘置所においては旧来、制限のなかった領置物(房
内で使用している物と倉庫に預けている全ての図書・パンフ・衣類・雑貨…)を「三年
の間(二〇〇〇年一〇月まで)に、四六リットル(リンゴ箱位)二個半以内にしろ」と
言っています。昨年十月からこの規制の適用が開始され、東拘当局が算出した「段階的
規定量」を超えるものについては、「差入れ、購入を許可しない」というものです。こ
れは一九九七年四月二三日付、法務省令第三八号「被収容者の領置物の管理に関する規
則」によるとされていますが、この省令の違法・不当性は、まず、
@に、元来、公判への出廷・円滑な出廷を担保するために拘留されているはずの未決被
告人、あるいは再審や、行政訴訟等を行なう可能性のある受刑者の所持する訴訟書類・
資料 (公判記録・調書・起訴状の写し・法廷に提出される各種証拠等のコピー・原本
を含む)をその規制から除外していないことです。例えば検事の発行した起訴状も、い
ったん弁護人に宅下げしてからもらうとそれは、弁獲人から差し入れられた証拠書類「
パンフ類」として扱われ、規制の対象になります。そのために在監者は、必要な訴訟関
係書類も一定量以上には所持・活用することが出来なくなります。それは、防御権・弁
護権・裁判を受ける権利そのものを制約・否定し、領置品管理のために未決被告人の拘
留の目的そのものをないがしろにすることです。
Aに、規制は、二〜三ヶ月の在監者も、数年あるいは数十年に及ぶ公判を担っている者
も、家族、友人の面会や差入れ、援助のある者も、全く身寄りも援助者も帰るところも
ない者も、一律にその量を規定し「それを超える者については、宅下げ、または廃棄」
を強制していることです。これは、実質的に未決・既決在監者の財産権の否定・侵害で
す。在監者の実情を全く無視した暴挙と言わざるを得ません。今回この規制が、長期に
在監する者にターゲットを絞った、実質的な長期裁判潰し、重要事件での争い、冤罪・
再審裁判潰し、被告・弁護人の活動の妨害を意図したものであることは、前記した内容
から明らかです。女区長は公然と「女区で大量の資料を持っているのは浴田一人だから、
浴田をつぶせば、女区は完璧になる」由のことを言って、中間・現場看守を差し置い
て、自ら私の房内でのパンフの計量、差し入れ物の点検にうつつをぬかしています。た
しかに現在、東拘女区において私は、唯一の公安事件・長期裁判を維持している未決被
告人です。しかし、実際のところ連日のこの手の集中攻撃はたまりません。
Bさらに、この規制が対象としている多くの未決・既決在監者が所持している領置品の
大半が学習図書であることから、旧来この国の行政がその基本精神としてきた「犯罪者
の教育、更生のための学習」の機会を大きく制限し、自由な学習を不可能にするもので
す。これまで犯罪を犯してしまった多くの人々が獄中で学習の機会を見いだし、読書を
通じて自分自身や社会そのものをとらえ返し、人間的再生を果たしてきました。しかし
今回の規制は、社会と一般情報から隔絶された獄中者から、その機会を奪い、獄中を当
局の管理と支配のみをその機能とする人間性破壊の機関に変えていくことを意味してい
ます。

(二)
 更に問題は、本省令の施行と時を同じくして東拘で開始された「訴訟関係書類・パンフ
類」と「公判資料扱い図書」の房内所持制限です。
 旧来東拘では、訴訟関係書類(公判調書・供述調書・証拠書類等々)の房内所持に対す
る規制は、行なっていませんでした。図書については、原則「十冊まで」とし、申し出
によって「公判資料としての冊数外所持」が認められてきました。しかし、昨年十月以
来、突然に「訴訟書類は積み重ねて二メートルまで」と言い出しました。
 私は昨年の法廷においてこの突然の公判準備妨害の事実を訴え、公判の進行を可能にす
るために裁判所が「妨害の中止」を勧告されるよう要請しました。その後いったん東拘
は訴訟資料パンフでの房内での活用・公判資料図書の冊数外房内所持を認めてきました
が、四月一日に至って再びそれを制限し、不許可にしました。
 昨年東拘は、刑事五部の問い合わせに対して「この房内資料の御限は、領置物規制とは
無関係である」と回答しました。しかしこれが、領置規制と一体となった、訴訟資料総
体への規制であることは明らかです。房内にも置けない、領置もできないのですから。
そして東拘の言う、図書や書類パンフ類の領置・舎下げ(領置されている物を房内に取
り寄せること)の手続きには通常三日か四日を要します。今日必要が生じたら明口手に
入る訳じゃないのです。弁護人からの差入れについても、通信等の期間を除外して考え
ても東拘の検閲に三日から七日を要します。差入れ人が弁護人であること、内容が訴訟
関係書類であることは、なんら検閲期間を配慮するものにはなっていません。月に二回
のペースで進行する公判に適応しうるスピードではないのです。
 東拘当局は、従来申し出によって認めてきた「公判資料扱い」での図書の冊数外所持に
ついて「特別優遇措置であった」と言っていますが、何故「優遇措置」を行なわなけれ
ばならなかったのかについては一言も述べていません。私は冊数外所持を、いま流行り
の接待や賄賂で職員を抱き込んで許可されたわけではありません。東拘当局自身が「そ
の必要」を認めたからなのです。在監者一人一人が抱えている裁判の内容も、その進行
の密度もそれぞれに、時々に、違うのですから、一律に十冊と規定すること自体が無理
・不可能なのです。仮に目安としての十冊を規定するとしたら、一部必要を訴える者に
対して特別にその使用を認めることは何ら否定されるべきものではありません。それは
「優遇」ということではなく、「十冊規制」がはらむ違法性・不当性、一部被告人の不
利益の拡大を克服する手段として、適用・運用されるべきなのです。旧来、私達はその
ようなものとして十冊外の図書の使用を申請し、東拘はそれを認めてきました。
 この一連の規制・弾圧は、公平な裁判を行なうことを妨害して裁判そのものを形式的な
手続きに落とし込めようとする危険な策動です。現在この国で進められようとしている、
日米ガイドラインに沿った「有事法制化」という戦争体制づくりや「組繊犯罪対策法」
「裁判所法改革」等々一連の反動立法・現行憲法の骨抜き化の動きと一体の人民支配
・管理支配づくりの一環としてあります。このような本末転倒、裁判を拘置所の管理支
配の下に置こうとするものでしかない「領置品規制」「訴訟書類・図書の房内所持制限」
は即座に撤廃されなければなりません。
 裁判所が裁判の公平性と迅速性・法の守り手としての役割を働かせるためには、こうし
た拘置所の処遇に対しては断固としてその中止を勧告されるべきです。

(三)
 私は先日裁判所に対し、四月一五日公判期日の延期を申請いたしました。理由は東拘当
局により、必要な公判資料の活用を不可能にされ、準備を進めることが出来なくなった
からです。公判廷において公平で迅速な、裁判を受ける権利・必要な意見陳述や、反対
尋問を行なう権利を行使することが難しくなったからです。未決被告人の公判準備の機
会は、その拘留の理由である「逃亡のおそれ」「証拠隠滅のおそれ」に抵触しない限り
自由に保障されるべきです。未決被告人の拘留は決して法的に推定無罪の立場にある被
告人に懲役的・報復的拘束を強いてその基本的人権を剥奪することを許すものではない
はずです。拘置所当局は、その裁判を受ける権利・基本的人権をその拘留目的を逸脱し
て制限・侵害してはならないのです。
 第一審が三分の一位進行した現在、私は房内に常時必要な公判閑係書類を一・五メート
ル持っています。当面手元に必要のない他の一部は弁護人に宅下げし、他の一部は領置
しています。今後、公判の進行に伴ってさらに大量の資料を必要とすることは明白です。
なのに私は、今後の資料の入手、活用は保障されていないのです。確かに裁判が今の
ように一 つ一つの事件についてだけ順次審議している段階では、他の事件の関係書類
を手元に置いておくことは必ずしも必要ではないかも知れません。しかし、今後本公判
において予想される取調官の証人尋問・「共犯」同志達の証人尋問においては、毎回一
つの事件についてのみ尋問するわけではありませんし、他の人々の調書、これまでの公
判記録の内容との関連の中で尋問を準備していく必要が出てきますから、私はやはり毎
回の公判準備のために、前事件の関連記録・これまでの公判記録・第一次公判記録等々
を検討しなければなりません。その作業は二メートルという制限の中では不可能なので
す。
 公判に必要な資料の量を二メートルだの、三メートルだのと、積み重ねたときの高さで
云々しうると言う発想そのものが、裁判の尊厳を無視・否定した発想です。そのような
状態のまま、公平で迅速な公判審理を進めることは出来ないのです。
 被告人の裁判を受ける権利を否定・侵害したまま裁判の尊厳を、裁判にとって第三者で
ある東拘当局によって否定・侵害されたまま公判を続けることは、この法廷が率先して
この国の憲法に規定された基本的人権と司法の役割を否定してしまうことになると思い
ます。公判をその本来の役割を全うしうるものにするために、裁判を構成する者全てが
対等に、その義務と権利を担い、行使しうるものにしていくために、あえて期日を延期
してその修復を提案しました。
 司法が司法としての独立性と、その機能・権限を自ら放棄して、一行政機関である東拘
当局の介入越権を黙過してその下に自らを貶められることのないよう、強く訴えます。

四 東アジア反日武装闘争と私の立場

 東アジア反日武装闘争について、さらに意見を述べるつもりですが、そのために必要な
資料(例えば連続企業爆破闘争の詳しい経緯を書いた「反日革命宣言」や「共犯」同志
が一連の闘争総括を書いた「明けの星を見上げて」等)の使用を不可能にされているた
めに、準備を進めることが出来ませんでした。
 今現在、それらの資料について房内での使用許可を求め続けています。可能になった段
階で作業を進めます。今日までに作業しえなかった部分についての「更新意見陳述」の
機会を後日、求めたいと考えています。
 今日なしうる「更新意見陳述」は以上です。

補記

 さらにこの間、訴訟資料と房内所持制限がどのように在監者弾圧に悪用されているか報
告します。私は、前記したような経緯で四月に入ってから、公判準備に不可欠である数
冊の公判資料の房内活用を認められず、十冊の図書で出来る範囲の公判準備を進めてき
ました。十数冊を必要とするとき十冊に限定されているのです。
 そこに、四月某日友人から本が差し入れられたところ、女区長は、「今持っているもの
をまず出さなければ、見せない。(どんな本なのかの確認もさせないということです)
しかし差し入れの伝票には『受け取りの指印』を押せ」と言って来ました。
 いったい本の題名だけ示されて、それが小説なのか、哲学書なのか、学習書なのか…
何について書いてある本なのかも分からないままに、手持ちの必要不可欠な本を放棄
しなければそれを知ることさえ出来ないという無茶苦茶な話があるでしょうか。十冊の
必要不可欠な本にさしかえて読むに値するのか否か…バクチみたいな賭けを、本が
差し入れられる度にやれというのですか。長年、東拘にいる中堅看守でさえ「こんな話
は聞いたことがない」とあきれています。これはもう冊数制限云々ではなく、権力を持
っているものが不当にその権力を乱用して為す、裁判を受ける権利と基本的人権の侵害、
あるいはイジメです。いかなる正当性もあるものではありません。拘置所当局は、円
滑な公判を担保するために拘留している未決被告人の公判準備を侵害してはならない、
保障することがその役割なのだということを今、確認しない限りこの女区長のように、
権利も人権も奪い尽くすことがドンドン進行するだけです。
 こういう理不尽かつ感情的とも見える嫌がらせをするのは、「女の区長だろう」と女性
に対する偏見を持っている人が時々いますが女性の名誉のために言っておきますが、こ
ういう前代未聞の弾圧行為を積み重ねているのは、れっきとした男性・区長なのです。
 このような歯止めのない無原則な公判準備妨害に対し、裁判所は、「即刻妨害を中止し」
「公判準備を保障するよう」東拘当局に勧告されるように求めます。
                     以上

                     浴田由紀子


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