出廷記●第49・50回公判         浴田由紀子

第49回公判(9月11日)
 長ーい夏休みを終えて、9月11日公判の陣の幕はおとされた。この日は午前中に西川君の公判があったり、地裁前でSAIKAIビラまきをやってくれたり、でいつもより多くの仲間が傍聴に結集してくれた。何故か女性陣はみんな元気そうなのに、男性達はいきなりハスにすわって頭の位置を固定する人もいて……みんな過労と多忙の中をありがとう。力を合わせてまずSAIKAI実現の勝利を必ずともにしよう。
 秋の陣第一弾は、川村先生による、「共犯、確定死刑囚証人尋問についての意見陳述」から。
 福岡の第二次Tシャツ訴訟に東拘所長山下進が提出した「上申書」を批判。山下上申書にいう確定死刑囚の「出廷困難」とは不可能を意味するものではない事、「民事への出廷保証は予定されていない」という主張は本件に適用しえないものであること。確定死刑囚であるからといって、戒護を強化する合理的理由は存在せず、公開の裁判を受けるという被告人の基本的人権は制約されてはならないこと、東拘による公判介入を許さず、法を厳守して「公判期日における証人調べこそ我が裁判所の唯一の選択肢である」ことを強調した。この件に関して、公判後の打ち合わせで、10月14日に検察側が意見をのべ、27日に弁護団・被告がそれぞれに反論する。裁判所の決定は27日ないしは11月11日になることが話し合われている。いよいよだ。
 今日の証人は、佐々木同志関連の家宅捜索・検証等とその後の物の検分にあたった警察官3名。
 始めに、佐々木同志の逮捕を指揮し、彼から取り上げたカギを使ってアパートに入りこんで、検分と押収を行った大野庄二。三菱直後から、企業爆破捜査に関与し、「全ての現場に行っております」というのだから、ただの「ヤトワレ人」ではなかった。
 まず、被疑事実は韓産研なのに令状には「殺人・同未遂」と書いてあったのですか?
  「と思います。」
  「おかしいと思わなかった?」
  「韓産研の現場から見ると、三菱事件との同一性から、そんなに不思議には思いませんでした。」
  「押収するべき物の中にペール缶、ユタンポ等がありますね。これらの缶体と韓産研の爆弾の関係については、説明を受けたのですか?」
  「ペール缶は、連続企業爆破の事件で使用されたということで、〜この団体のうらづけとして……」
  「しかし、令状は韓産研・韓産研以外で使用された物が押収証拠というのはおかしいと思いませんか?」
  「思いません。」
 というわけで、警察は請求令状にいう被疑事件と無関係な他の事件の証拠もまとめて押収できるような令状を請求する。裁判所は、それらの物と事件の関係を確認することもなく、許可を出す。捜査・押収は大ブロシキ、「等」や「その他」にも支えられてほとんどフリーハンドに行われる。一方、代用監獄での取り調べは、被疑事実になんか関係ない。いきなり「三菱をやっただろ……」ということで進む。
 「別件」で逮捕して、何回も何回も再逮捕をくり返して…「自供」もデッチ上げも…全て保障されるしくみが、この捜査・押収令状の「大ブロシキ」に端的に示されている。死傷者のカケラもいなかった事件に他で出ている死傷者を前提にして「殺人同未遂」の逮捕状だの押収令状だのを出せる裁判所の役割とは、何なのだろうか。ケーサツは強い!
 第1日目の立会人は消防署の職員。とどのように入ったのか?
  「カギは?」
  「佐々木逮捕の所持品で押収したも物を使って開けました。」
  「そういうことはよくあるの?」
  「たまたま押収品にありましたから」
  「とった?」(ちょっとムっとしている)「あんまり普通じゃないのでは?」
  「現場ではよくやることですよ」とヘーゼン!
 押収品が消えてどこで何に使われてもワカランナー。“逆もまた可なり”となるから……ケーサツはコワイ。
 続く証人は安藤秀夫。佐々木同志逮捕時に彼からカプセルを取り上げた。さらに大道寺宅から押収した薬品類の処分を担当。まず佐々木同志逮捕を前日に下命されて、当日朝6時から待機していたのだが、「現場で本人を逮捕するまで写真も見た事がなかった」というトーシロー?
 薬品の処分は、奥多摩の山の中にある私企業(日本カートリッジ)の敷地内で「水にとかして、土にうめた」というのだ! 「専門家は同席していなかった」。これって普通「犯罪」じゃあないの、危険物遺棄(危険物取扱い法違反、廃棄物処理法違反ect.ect)。ケーサツは悪い! 都民の水源近くに水銀だのなんだの“水に溶かして”埋めたんだ!
 最後に、佐々木宅での押収品(機械と材料)で大道寺宅で押収した「腹腹時計Vol2」に記された雷管製造が可能かどうか、を鑑定した証人池谷浩。
 工業高校卒業の知識を生かして任命されたというのだが高校卒業後の15年間工作機械にさわる仕事はいっさいしていない。ユニマットは「この時に始めて見た」という「プロ」。
  「ユニマットを使ったことはなかったか」
  「これより大きな旋盤だとかは操作しております(学生時代にバイトをしていた)」
  大きい機械と小さいもので操作に違いはありますか?」
  「はい、大きい方が操作はむつかしいです。」(と普通のプロは言わない。私かてネジ工場や特殊工機会社でバイトしとったけど、大きな旋盤はかけ出しの兄ちゃん達が荒けずりに使って、小型は精密用にベテランがやっとったなあ)。まずこのあたりから裁判官・弁護人・被告人・傍聴もみーんなトーシローとなめた態度のハッタリが開始される。
 彼らはユニマット等の機械を組み立ててみた。そうして、「これらの機械でVol2の雷管の製造は可能」かつ「被疑者の中にこれらの機械を使用して手製雷管を作った者がおると推定される」とまで調書に書いてある。
  「実際にVol2の手順で作業はやっていない?」
  「はい」
  「実際にVol2の手順で雷管が完成できるのかどうかが一番たいせつなのに、どうして現実に作業をしなかったのですか?」
  「質問内容がわからないです」(とぼけて)……
  「どうして作ってみなかったのですか?」
  「この部分はひじょうに危ない危険な部分です〜」とごまかし……
  「いや、機械作業の部分です。」
  「これと同じものは作っておりません。」
  「機械は作動したけど削れるか否かはわからないということですね」
  「……作れると解釈してもらってけっこうです。」
(エーッ!知りたいのは事実や。解釈が何になるのだ!)
 検証は6月3,4日に行われた。
  「被疑者はすでに自供している事は知っていましたか?」
  「知っておりません」
  「供述調書を読んだ記憶は?」
  「ありません」
のにどうして、“被疑者の中に〜雷管を作ってた者がいる”と断定出来たのだ?!
  「この時点では佐々木が作ったとは断定していない」しかし「佐々木宅は製造工場になっているので、それらグループの複数の者がたずさわっていたということで、断定している。逮捕された者の中に必ずいると確信を持っていました」
 というのだが……。自供があったのも知らない、調書も見ていない、ただ機械だけを見て、ためし作りもしないでこれだけの“断定”が出来るのはたいしたものだ。予言者みたいな“優秀な捜査官”とでもいうのだろうか。彼のような人を数人集めれば警視庁も科捜研なんかいらないのにな。しかし日本の裁判は、「予言者」の推測や、科学的根拠のない判断で……やつぱり判断してしまうのだろうか……。
 闘いは続く。

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第50回公判(9月29日)

 ついに“第二次統一公判”も50回に達した。SAIKAI実現に向けてツメの段階にある。ほぼ3年、50回もの公判を戦闘的に担い、支え、はげまして下さっている弁護団と支援の仲間達に、心からありがとうを言います。「公判闘争をいっしょに闘って良かった」と言える勝利を必ず手にしましょう。これからもよろしく。
 今日の証人は黒川芳正同志関連の家宅捜索、検証のデカ3人。
 始めは、5月19日当日芳正同志の逮捕を指揮し、そのまま彼のアパートの捜索・検証を行った田原達夫。彼らは、アパート・フジヤ荘を1ヶ月位前から監視下におき、田原自身何回か行った事もあった。この部屋での特徴は、「壁に毛布とパテによる“防音装置”がほどこしてあった」というのだが、
  「防音の効果を生じているのかどうかは調査されました?」
  「調査といいますと?」
  「機能をはたしているのか否かは?」
  「いえ、状況からそのように〜」
  「どの程度かは?」
  「やっていないです。」
 というわけで「防音装置」と言えるのかどうかは、彼らの推量でしかない。検証調書と捜査・押収調書をてらすと、部屋にあったものはことごとくもち出されたケハイだが……
  「いえいえ、持っていったのは1部であります」というのだから……
 続いて、5月末から7月にかけて数回にわたって黒川同志の両親の家や共栄サービスという事務所を捜索した。現役デカ(品川署・署長)の谷浩治。さすが現役だけあって、弁護人の質問に対して非協力的なことこの上ない。「よく覚えておりません」「わかりません」そして、時々「そのとおりです」とブッキラボーに言うだけ。
  「共栄サービスというのは黒川とどういう関係?」
  「わかりません」(そんなこたあないでしょうが、いくら何でも、検事と打ち合わせもしてるし、調書だって読み通して来ただろうに……。)
  「5月31日捜査の被疑事件は?」
  「三菱、大成、三井…(と列挙)」
  「いや5/31」
  「3通のとおっしゃりましたので……共通しておりますね」(と言いわけ)そして「記憶にございません。」!
 警察というのは、現役の間は、過去の記憶は皆無に等しくなって、これほどまでに無責任になるものなのかと証人を見ていて思う。少なくともちっとは「エライサン」になったのだから、堂々として、部下に自分達のやった仕事には、20年たっても30年たっても、確信と誇りを示したらんかい! 敵ながら、なさけない。
 最後に、5月19日当日、黒川同志両親の家を捜索した行方正代。「昭和58年に退職」というので、今度は少しは「記憶」がありそう。
  「家宅捜索にあたって、上司からの注意事項はありませんでしたか?」
  「はい。食料以外は(捜査・押収の)対象になるんだと言われました」
 エーッ! そんなムチャクチャな……! 「捜索・差押さえるべき物」というリスト、あれだけでずいぶん大ブロシキ、ヤリタイほうだいのフリーハンドと思っていたのに、こんな指揮まで出していたのだ! ケーサツはムチャクチャだ! 何でもカンでも手当たりしだいもって来て、聞かれたら「“等”にあたります」なんてのは、序の口だ。そんなだから、明らかに被疑者のものでない、他の家族の私室からも大量に押収し、リストの所有者欄には堂々と他の家族の名前が並ぶ。「令状は建物全部に出されておりましたので」というのだが“気をつけう、隣は何をする人そぞ”この国に個人の権利やプライバシーはない。
  「No6以下は所有者が弟になっています。本件との関係で弟は被疑者ではないのでは?」
  「と思いますけどね」
  「弟が所有しているものがどうして本件の証拠品なのか。どう判断された?」
  「そのヘンは良くわかりません。」 オイオイ…。
  「誰の所有か立会人に確認はしていないのですか?」
  「記憶がうすれてよくわからないですね」(誰の所有か)「考えなかったというわけじゃあないと思うけど、記憶が確かでありません。」
 現役はトコトーン「覚えていない」、退職者は「記憶が確かじゃない」20年以上たって、何一つ正確に立証することの出来ない裁判を続けて、裁判官達はどう真実を理解することができるというのだろうか。こんな状態でも、証人を数ならべ形さえ整えは「立証できる」とでも検事達は考えているのだろうか。
 検事はこの日、6人の同志達全員の検面調書を証拠請求して来た。もちろん、全て「不同意」にした。弁護人の「不同意」に対して検事は何やら叫んでいたが、よく聞きとれなかった。
 じっくり、しっかり、たしかな「共犯証人調べ」を進めようじゃないか。コソコソやろうとしないで、堂々と、公開の法廷で、人々の監視下で。
 秋、本番、みんなして再会を!
 がんばりましょう、共に!
                            ゆき子(98.10.2)

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『ゆうき凛々』33号 丸ちゃんのページ Q&Aについて

Q11 A11についてもっとていねいに答えると
             ・・・・・・
 「入党」の意志をそっと、それらしき人に伝えてください。
(ただし、獄中者はダメです。獄中にいる者は党員権ハクダツ中ですから。出獄後一年以内の者もダメです。回復準備期間中ですから。)
 その上で、「1年間の予備期間を経て審査を受ける……」とありますが、何か入社テストみたいなものがあるわけではなくって、党員2名以上の推薦と、1年間の活動総括をふまえた本人の意思の表明にもとづいて、判断します。
 本人が入りたいのにダメということはまずあまりなくって、入ってほしいのに「希望しない」とフラレルことは、あるみたいやなあ、そんなことないか? 「入るは固く出るは安し」て何か日本の大学みたいで中味からっぽのイメージ?! そんなことないよ。        (浴田)


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