意 見 書

 右被告人の裁判公開問題に関し、弁護人は次のとおり意見を述べる。
                  右弁護人 川村 理
一九九八年一一月一一日
東京地方裁判所刑事第五部 御中

             記
第一 はじめに
 (略)ところで、検察官主張の論拠が、証人の死刑確定という点にある以上、結局本
件は、死刑制度と裁判公開制度の矛盾衝突する場面であるということもできる。
 従って、本件は、正に現在の死刑制度それ自体によって突き出された異常事態である
といっても過言ではない。

第二 裁判公開の原則とは何か(略)

第三 憲法八二条の意義
(略)しかし、憲法八二条二項但書が、「政治犯罪(中略)の対審は、常にこれを公開
しなければならない」と規定したことに注目すべきである。
 すなわち、二項但書の規定する「政治犯罪」においては、本文と異なり、「公の秩序
」(他の憲法秩序との矛盾)等による裁判の非公開は承認されておらず、絶対的公開が
要求されているからである。
四 憲法八二条但書が、「政治犯罪」を特に絶対公開の場面として規定したのは、「政
治犯罪」者に、一般犯罪者とは異なる特権を与えたためではない。
 これは、戦前の日本共産党等の治安維持法裁判においては、裁判所が共産党被告団に
よる法廷闘争を封じるためと称して、非公開決定を安易に乱発し、ひいては、被告人の
基本的人権を侵害してきたという事実認識に基づいている。すなわち、明治憲法下にお
いては、逆に「政治犯罪」の場合、「公の秩序」に名を借りた密室裁判がまかりとおっ
ていたのである。現行憲法は、「政治犯罪」においてはかような事態がしばしば起こり
がちであると認識したからこそ、その公開を絶対的なものと規定し、例外を認めなかっ
たのである。「治安的配慮」等に基づく非公開裁判の実施を禁止するのが右規定の趣旨
である。
 従って、「政治犯罪」においては、他の憲法秩序、例えば「在監関係の自律性」等を
理由とする公開裁判の制約は一切認められない。これは、憲法八二条の法解釈として、
何人も否定し得ぬものであると考える。(略)

第四 在監関係の自律性と被告人の防御権(略)

第五 死刑確定者の法的地位
(略)
三 死刑確定者の拘禁目的
1 「社会からの隔離」批判
 検察官の所論は、死刑確定者の拘禁が、「社会から厳格に隔離」することを目的とす
るとしている。
 しかし、監獄法が死刑確定者の拘禁確保のために通常必要とされる以上の厳格な社会
的隔離を予定しているものであるならば、死刑確定者に関し、監獄法四五条二項、同四
六条二項等に相当する「別段ノ規定」が同法の中に存在していなければならないが、か
かる規定は全く存在しないことを直視すべきである。
 また、検察官のいう社会的隔離論が仮に正当化されるとしても、右隔離は、死刑確定
者の再犯防止・一般人の不安感防止を目的とするにとどまるのであり、その目的の達成
以上に、極度の制限をする必要はなく、仮にかかる極度の制限を正当化するとなれば、
死刑確定者の拘置に新たな保安処分的機能を付することとなりかねず、刑法四六条一項
や五一条が死刑に他の刑を併科することを禁じた趣旨に衝突することになる。すなわち
、監獄法の趣旨は、死刑確定者に対する厳格隔離それ自体を何ら予定するものでなく、
右は、死刑確定者特有の拘禁目的とは解しえない。
 従って、「社会からの厳格な隔離」を理由とする検察官の裁判非公開要求は誤りであ
る。
2 「心情の安定」批判
 検察官の所論は、「死刑確定者には、社会復帰は勿論、生への希望すら断ち切られて
いる」ため、「心情の安定」に格段の「配慮」が必要であるとし、これまで東京拘置所
が行ってきた努力を水泡に帰さしめないため、裁判非公開が必要だというものである。
 しかし、東京拘置所において現在なされている処遇は、およそ「配慮」などという日
本語が妥当するものではない。
 現在、わが国の死刑確定者は、全員、外部交通を原則不許可とされて、不利益処遇を
受けており、そのため、各地で右違法性を争って国家賠償請求訴訟等が起きていること
は公知の事実である。すなわち、東京拘置所が死刑確定者に対して行っているのは、死
刑確定者の「心情を理由」とする不利益処遇そのものであり、「配慮」などというもの
ではない。
 また、死刑確定者は、受刑者ではないのであるから、その者の意志に反して積極的、
強制的処遇を受ける義務はない。しかも、「心情の安定」という概念は極めて曖昧な主
観的概念であり、外から見ることの不可能な内心の状況である。かかる主観的基準をも
とに死刑確定者の自由を制限することは、当局の恣意的な権利制限を容認することとな
りかねず、極めて危険であると言わざるを得ない。
 さらに、これまでなされてきた国側の主張によれば、「心情の安定」なるものは、「
死刑確定者が罪を自覚し、精神安静裡に死刑の執行を受けることになるよう配慮される
べきことは刑政上当然の前提である」との問題意識のもとになされるものであり、「罪
を自覚すること」「死刑を精神安静裡に受け入れること」を指向した心情が望ましいも
のとして要求されているのである。しかし、「罪の自覚」や「死刑を精神安静裡に受け
入れること」は、個人の人生観、世界観、死生観と深く関連する事項であり、にもかか
わらず、監獄当局がそうした「心情」を害するおそれがある処遇を禁止するとなれば、
これによって死刑確定者の内心の自由に国家が介入するものとはなるべきことは火を見
るよりも明らかである。つまり、「心情の安定」を理由とした拘置所の不利益処遇は、
一定の思想状態を理由とした不利益処遇につながり、憲法一九条が禁止する思想信条の
自由に対する侵害にあたることが明らかである。
(略) 
3 以上の検討からすれば、検察官が死刑確定者に特有の拘禁目的等として挙げる「社
会からの厳格隔離」「心情の安定」はいずれも理由のないものであり、失当であること
が明らかである。
 確かに死刑確定者と刑事被告人とは、刑法上、刑事訴訟法上の地位は全く異なるかも
しれないが、監獄法上、かかる相違を処遇面にまで反映させてその人権を制限する必要
のないことはすでに検討したところから明らかである。
 従って、監獄法九条は、刑事被告人と死刑確定者の刑法上、刑事訴訟法上の地位の相
違にも関わらず、その拘禁目的や性質の類似性ゆえに、両者の処遇をおおむね同一のも
のとした趣旨と解されるのであり、このことは、証人の出廷の是非に関しても全く同様
であるといわなければならない。
 以上のとおり、監獄法の誤った解釈を前提とする検察官の所論は、理由がない。

第六 本件は死刑確定者の外部交通問題ではないこと
(略)
 検察官は、裁判が公開されれば、必然的に、証人が、「多数の支援者及び関係者と顔
を合わせることになり、その間に、実際上制限することが困難な不規則発言や目配せと
いった明示・黙示の諸々の言動等によって、連絡を取り合うなど」のおそれがあると主
張している。
 しかし、右主張は、当裁判所の法廷警察権を無能呼ばわりするに等しいものであって
、到底賛成できない。傍聴人と証人との「目配せ」「不規則」発言は、当裁判所が、法
廷警察権を適切に行使・工夫することによってこれを防止することが可能であり、かか
る認識が前提であるからこそ、現行法は、裁判所に法廷警察権を付与したのである。検
察官の所論は、かかる現行法の立脚する前提自体を無視したものである。
四 さらに検察官の所論は、益永(片岡)証人の提訴した民事事件が最高裁に継続中で
あることを取り上げ、裁判を公開すれば、最高裁の結論を待たずして、当裁判所が独自
の見解を示すことになり、三審制の根幹に抵触する疑いがあるというものである。
 しかし、右民事事件は、益永証人が、読売新聞社宛に「死刑廃止と被害者の人権」と
題する投稿を行おうとしたところ、これを東京拘置所所長が不許可としたため、その処
分取消等を求めるものであるに過ぎず(訴状写しを末尾に添付)、最高裁の判決も、右
事案の処理に必要な限りで、死刑確定者の外部交通問題に触れると予想されるに過ぎな
い。
 しかも、繰り返し述べてきたとおり、裁判の公開は、死刑確定者に外部交通権を付与
するためにあるのではなく、結果的にも死刑確定者の外部交通が帰結されるわけではな
いのであるから、右事案が最高裁の継続中に、当裁判所が、裁判を公開したとしても、
当裁判所が死刑確定者の外部交通問題について判示したことにはならず、三審制に何ら
抵触するものでないことは明らかである。

第七 公開裁判に弊害のないこと
一 公開裁判が証人の「心情の安定」に弊害のないこと
1 検察官の所論は、裁判を公開すれば、証人の「心情の安定」を害し、これまで東京
拘置所が行ってきた努力が水泡に帰すばかりか、将来の処遇にも悪影響を与えるという
ものである。
(略)
4 両証人とも、死刑確定後一〇年を経て、現在五〇歳を過ぎている。かつての事件か
らは二〇年以上を経た。それぞれがかつての闘争方法に対する自己批判を深めつつあり
、単に裁判が公開され、傍聴人の前で証言を行ったというだけのことで、安易に「往時
の武装闘争の思考」が復活するはずがない年齢に達した。
 また、両名とも、死刑確定後は、規律違反に結びつくような「対監獄闘争」は一切行
っていないうえ、「統一獄中者組合」「麦の会」の活動も確定後に停止している。なお
、「獄中の改善を闘う共同訴訟人の会」が「監獄解体及び獄中者解放」を唱えた事実は
ないし、大道寺が「統一獄中者組合」の運営委員をしていた事実もない。さらに益永(
片岡)は、かつての武装闘争については、極めて批判的な立場に転換し、「統一獄中者
組合」「麦の会」については、正式に脱会した。
5 なお、両証人の現在の心境等を疎明するため、大道寺将司著「死刑確定中」のあと
がき部分と益永利明作成の陳述書(民事事件向けに作成したものの抄本)を末尾に添付
する。
 また、「統一獄中者組合」「麦の会」の性質を疎明するためにそれぞれの機関誌の一
部を、益永(片岡)が脱会したことを証するためにその脱会届をそれぞれ末尾に添付す
る。
二 「奪回のおそれ」がないこと
1 検察官の所論は、裁判を公開すれば、必然的に証人の身柄の移動を余儀なくされ、
「支援者あるいは極左過激派集団による奪回のおそれ」があるというものである。
 そして、二一年前のダッカ事件、二四年前のクアラルンプール事件が「国民の誰しも
が予想だにしえなかった事件」だから、その主張は、杞憂ではなく、極めて現実的なお
それだという。
2 この類の主張こそ、死刑確定者の処遇をめぐる各種民事事件において、ここ一〇年
ほどにわたり、国側が、具体的根拠を何ら示さないまま、主張し続けてきたものである
。にもかかわらず、その間、「支援者あるいは極左過激派集団」による奪還闘争は、遂
に一件も起こらなかったばかりか、一九八七年の丸岡修逮捕以降、日本赤軍関係者は一
〇人以上が身柄拘束されるに至っている。国側の主張には、「狼少年」を想起させるも
のがある。
3 右のように日本赤軍関係者の相次ぐ逮捕にも拘わらず、奪還闘争は一切発生しなか
った。これは、九六年に丸岡修が東京拘置所において危篤状態に陥った際も同様であり
、日本赤軍等はこれに対して指一本動かせなかった。
 にもかかわらず、日本赤軍メンバーですらない大道寺や益永(片岡)に対する奪回の
おそれがあるなどとなぜ言えるのであろうか。
4 そして、ダッカ事件にせよ、クアラルンプール事件にせよ、在監者の身柄押送中を
「狙って」敢行された事件ではない。それぞれは、ゲリラ側が政府との交渉の末、検事
総長あるいは法務大臣の釈放指揮により超法規的釈放に至った事案であり、奪回と身柄
押送との間に因果関係自体が存在しない。
5 特に「支援者」の動向について付言すると、検察官によれば、支援者は、「現時点
でも、『死刑制度撤廃』、『死刑執行阻止』を主張してビラ配り等の活動を継続してい
る」というのである。
 しかし、ビラ配り程度の活動は、一般の労働組合や市民団体でも行っているのもので
あり、この現状から一気に非合法的な「奪還闘争」に飛躍するということが、「杞憂で
はなく、極めて現実的なおそれ」などとまで強弁するのはどう考えても一般常識から遠
くかけ離れている。
(略)
三 東京拘置所の負担、他の被告人への影響
1 検察官のいう「東京拘置所の加重な負担ないしは同地裁で実施される他の多数の被
告人の裁判に及ぼす影響」とは、仮に本件で公開裁判を実施した場合、東京拘置所にお
いて警備を本裁判に集中せざるを得ず、同日は、他の被告人の裁判が実施し得なくなる
ことなどを指していると考えられる。
2 しかし、前述のとおり、本件に過剰な警備を施す必要はそもそもない。これまでも
本裁判は、公安事件としては珍しく、法廷警備員が長期間にわたって入らない時期もあ
った事案である。勿論、警備員の不存在ゆえのトラブルは一度もなかった。
 従って、東京拘置所は、通常通りに被告人や証人の身柄を押送すればよく、他の事件
についても、特別の配慮は何ら必要がない。
3 仮に、一〇〇歩譲って本件が厳重警備必要事案であるとしても、前述のとおり、「
政治裁判」公開の絶対性から、他の裁判を中止してでも、本裁判を公開すべきである。
とりあえず、試行的にでも、公開裁判を実施してみるべきである。
 その結果、回数を経るに従い、警備上の問題が生じつつあれれば、その段階で、所在
尋問実施を再検討しても良く、また、問題のないことが判明した段階では、警備を徐々
に緩和していき、他の被告人の刑事裁判も実施すれば足りるからである。
(略)

第八 非公開裁判にこそ弊害があること
一 裁判公開原則違反(略)
二 非公開裁判は裁判遅延をもたらす(略)
三 非公開裁判は裁判の無用な紛糾をもたらす(略)

第九 本件は、刑事訴訟法一五八条の要件を満たさないこと
一 そもそも、刑事訴訟法一五八条は、被告人の同意を要件とせずに、裁判非公開を認

る規定である。これを憲法八二条との関係で言えば、一般の犯罪であればともかく、絶
対公開の要求される「政治犯罪」にこれが適用されるかぎりは違憲の疑いを濃くすると
言わざるを得ない。
 勿論、「政治犯罪」ではあっても、証人の重要性が低く、しかも証人が入院中であり
、しかも被告人が所在尋問に異議を述べないような類のケースについてまで、絶対公開
をいうわけにも行かないであろう。
 従って、弁護人の主張は、刑事訴訟法一五八条が、「政治犯罪」に関し、しかも事件
の争点に大きく関わる証人について、被告人の同意のないケースに適用される限りにお
いて、本条は違憲だというものである。
(略)

第一〇 結び
 以上に見たとおり、本件は、いかなる角度から検討しても、裁判を非公開にすべき余
地はなく、仮に裁判を非公開にすれば、国民の司法に対する不信感を助長し、被告人に
対しては、回復不可能な損害を与えるものとなる。しかも、裁判の非公開は、近時強調
される情報公開の社会的趨勢にも逆行することが明らかである。
 検察官は、裁判を公開すると、我が国の司法制度が、国際社会の信頼を損ねるかのよ
うにいうが、事態は全く逆である。証人が死刑確定者であることに便乗して、裁判非公
開を敢行することこそ、我が国の司法レベルを明治憲法下の治安裁判に引き戻す暴挙に
他ならない。ペルー国フジモリ政権下での、刑事裁判が、「テロ鎮圧」と称しては次々
に密室裁判を強行し、それがアメリカ合衆国をはじめとする先進諸国の強い非難にあっ
たことに思いをいたすべきである。 本件が非公開とされれば、刑事裁判の基本原則で
ある裁判公開の原則、公判中心主義、直接審理主義はことごとく死滅し、刑事裁判の神
が泣くであろう。
 よって、裁判は公開すべきである。
                               以  上


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