ゆうき凛々 37号

浴田由紀子の再会公判報告 五月二四日・第五回

99.5.28 浴田由紀子

 朝からくもり空、と中雨も降っていたようですが、この日の証人調べは、ひじょうにおちついた、おだやかなムードで、藤田・川村両弁護人の尋問として進行しました。
 もっとも、そう感じているのは、前回公判で直接尋問を担当し、「何はともあれ、いちおうやったぜ」という気分でいるリポーターだけかもしれません。
 前回からわずか二週間でしたが間に24回目の5・19をはさんで、田舎の母と面会できたり家族会があったり、なんとなくいろいろなことがあったような気がする。今年も家族会が元気に再会してくれたことは、共に喜びたい。支えつづけてくれたみんなにありがとう。
 少し前から母には「春用のちょっとオシャレな服を差し入れてほしい」とたのんでおいた。もちろんデイト用なのだが、母の方は、そうは思わなかったらしい(元々機能第一でオシャレに無縁な娘だとなげいている人なので)。面会の時「今の公判で将司君達と会うから、少し、おしゃれにしてみたいと思って」と理由を説明すると「まあ、そねえな余裕があるそやらね(そんな余裕があるのかしらね)」と笑っていた。たしかに! 余裕は出て来たのですよ、5回目になって! 母からの服は間に合わなかったが、とっておきの「るいさん手作りのブラウス」を着ていたことにする。気がつくかなあ? つかないだろうな……。又、尋問に立って「これはるいさんの形見のブラウスですが、どうです、私に似合っているでしょうか」なぞと聞けばいいのだが。
 今回の証人同志は、顔色が良くなっているみたいだ。ヘルペスもひっこんだようだ。前回とちがって少し余裕に見えるのは、「何がどう出てくるかわからない、シドロモドロの直接尋問」は今日はもうないということで精神的に余裕なのだろう。
 始めに藤田先生が、前回からの続きで、浴田との接触の内容を日をおって質問していく。

公開裁判でなくて良かった!??

 三菱・三井闘争の総括内容、雷管を大地の牙に渡すことになった経緯について。当時彼らは、三菱の爆弾が予想に反する強力なものになった根拠は、「手製雷管が強力だったからではないか」と考えた。ペール缶に入れた「セジット」が実験で三回も不発だった「セジット」とは全く別のものになっていたことについては、まだこの時は気付いていなかったようだ。予測を超える威力や、全く考えてもみなかった死傷者の発生に動揺しした彼らは、三菱爆破の科学的検証をする冷静さを失ってしまったのかもしれない。とにかく「不発の爆薬をさえも爆発させることのできる手製雷管の“威力”」を説明する。ヒューズ方式の起爆装置の安定性に不安をもっていた大地の牙は、その後、雷管をまわしてもらうことになる。
 こうして、大道寺・浴田による連絡会議は、スムーズに、狼・大地の牙の連携強化、同志関係の強化をおしすすめるはずであったが……。
 公安に名前を知られマークされているおそれのある斉藤君に代わって、さっそうと登場したはずの「牙の連絡員」は、第一回目の会合でいきなり「私は全然経験がないけど〜」と「武装闘争とか運動やって来て初っぱなにそういうふうに言われたことはなかったので、まあちょっと困ったなあ〜」と地下組織連絡員としては対応に困る話を持ち出すに留まらず、次々と彼らが「全く想定していない」話を持ち出して彼を困らせたり、おどろかせたりしたらしい(詳しくは略)。
 たった11回の連絡会議の一回一回で、何を話したかをていねいにほりおこしていくのだが、そこで浮き彫りにされるのは、私が考えていた以上に疲れはて、不安をかくさず、病人だったり、ケガ人だったり、消耗しきってひとことごとに涙ぐむ、何かをたづねてもすぐには答えられない、相手をするには、ホトホト困りはてるしかない、ボロボロの「大地の牙の連絡員」の姿だ。
 「75年の暮れに公判が行われて、その公判で10ヶ月ぶりに(浴田と)再会しました。私達や傍聴席に笑顔を見せる浴田さんを見て、“ああこういう人だったのか、こういう明るさもあったのか”という印象をそのとき持ったことが記憶に残っています。」スマンかったなあ、心配かけたなあ。言われていることは、いちいち事実だから反論はできないけど「冗談がゲタをはいて歩いている」と言われた私も……。(内心あんなに気どっていたつもりなのになあ、と思い“公開裁判でなくって良かったぜ”とこのごに及んでなお、「とりつくろう」ことを考える私であった。)
 大成爆破闘争のあと、何故事前の計画とちがう作戦になったのか。連絡員の浴田は、説明ができない。ここに至って狼グループは、牙の連絡員への批判を強め、連絡員の交替を求めるようになる。おりしも、さそりグループの参加によって、三グループの連絡会議を一本化する話も浮上してきた。それを契機に浴田は連絡員を交替(クビですね)することになる。
 弁護人:「斉藤君から浴田さんに交替した理由は、斉藤さんが、マークされていることだったのですが、それとのかね合いでどうだったのですか。」
 証人:「時間がたって斉藤君が昔のままの生活をしているのじゃあないと聞いたので、前年の9月頃とはちがうということで(マークされていないという)確認があったわけじゃあないけど、だいじょうぶだろうということで。」
 弁護人は聞いた。「大地の牙の連絡員が斉藤君に変わって、うち合わせに変化が生じましたか。」
 証人:「やっぱり、かなりちがいます。(斉藤君は)ひじょうにテキパキしている。即断即答。その場で考えて結論を出すことをしていましたからペース、テンポが全然違います。」(被告人は)わるかったなあ、みんなを困らせていたなあ、それにしてもみんな、良くつき合ってくれたなあとあらためて思う。
 大地の牙は、大成爆破のあと、負傷した人々に対して何らかの方法で謝罪することを考える。浴田のその話を聞いて、「気持ちはわかるけど、(自分達が)逮捕されてもかまわないというようなものとして受けとったのでまずいのじゃあないか、謝罪の仕方というのは、そういうことではないのじゃあないかということを話して、……思いとどまってもらいました。」「狼自身も三菱のあと、同じ“責任”について考え、カプセルを持つに至った経緯を説明して、“そういう責任をとるということを立てた上で、闘っていくことの方が大切なのではないか”と説得しました。」後日、大地の牙も希望してカプセルを持つことになる。
 12月の末に証人同志は、会合の席でちょっとオシャレなチョコレートを浴田に渡す。弁護人は「そのことを覚えていますか」と聞いた。証人は、「アーァ、(笑いながら)待ち時間にパチンコでとったので、……まあ、ちょっとはげますつもりで……」。ナンダイ。『ロマンのカケラ』もない奴だな! その日ちょうど私の誕生日だった。(私しゃてっきりそのせいだったとおもっていたのに……)
 最後に弁護人は、3ヶ月間11回の接触の中で、浴田についてどう感じたかを聞く。人柄は、健康は、学歴は、左翼活動経験や知識は、反日思想の理解度は、政治関心は、友人は、爆弾知識は……etc,etc。(諸般の事情により、証人の回答は、略、――エ? 何か報告者に都合の悪い話は省略してんじゃないかって? まあ、深く考えないで次へ進もう。)
 そして、大地の牙での浴田の位置については、「斉藤君は、活動歴、思想傾向からいっても自分が頭ごなしに、命令する人ではなかったので対等な関係を作ろうとしていたと思うが、そういうのを目指しながら、まだそうなっていなかった。浴田さんが訓練中といいますか、彼女自身、自分はわかっていないかけだしですと口にしていたが、それは本音だったと思います。斎藤さんに教えられてやっていたのだと思います。」「まだあの当時は、経験不足だったのじゃあないかな、という気がします。私は、牙の連絡員と会うとき、もっと闘争の話や互いに刺激し合って話し合っていくイメージを予定して出ていったのですけど、そうはならなかったですね。あとで斉藤君と会った時の話し合いとか関係とは違っていましたから。」
 弁護人:「(95年に)帰国後の浴田さんと比べてみてどうですか。」
 証人:「強制送還された時の新聞を読んだのですが、“日本赤軍幹部”と出ていまして、“あの浴田さんが幹部になっているのか”と驚きました。信じがたいというか、……まあ、20年たってはいるのですが。彼女の冒陳を読んだ時、当時とは違うな、政治的にも、人間的にも、大きくなったなあという印象を持ちました。当時とは全然違います。」と言ってくれたぞ! 将司君はやさしい! オーイ同志達! ちったあましになったらしい。(しかし本当に、「浴田」に“幹部”とつけるとは、マスコミも警察も、日本赤軍をナメとるなあ)

 三部隊のさまざまな性格と事情について

 続いて川村先生。三者会談の開始から、東アジア反日武装闘争全般について統括的に聞いていく。まず、三者会議について、その目的と性格、あくまで三部隊の情報交換、連絡、意見調整の場であって、拘束力を持たないものであったことを確認する。
弁護人:「三部隊を統一して一つの指揮のもとにという発想は?」
証人:「全くありません。」
弁護人:「互いの(部隊の)実情を深く知ろうとしない(私達はパクられるまで、各部隊が何人構成なのかさえ知らなかった)。実情を知らない相手と組むことはできるのでしょうか。」
証人:「それが不思議といえば不思議ですが、当時の状況として、同じような状況の中で生きて、同じような状況の中で闘ってきているので、具体的な闘争に参加した場所とかは違っても、細部がわからなくても、信頼しあえるものを持っていたのですね。」たしかに。“あれだけの信頼”は不思議なことかもしれない。何の疑問も不安も持つことなく、お互いに「とてつもないヒミツ」をうち開け、共同の闘いを担い、カプセルを共有した、誰に強いられたわけでもなかった。
弁護人:「三つのグループのスタンスの違いということでは?」
証人:「大地の牙とさそりには距離があったと思います。その間に狼があった。」「黒川君は都立大学で全共闘。羽田闘争で逮捕されているんです。全共闘のあと山谷で寄せ場の闘いに参加した彼はマルクス主義。マルクス主義はルンプロを否定的にとらえるので、正統派マルクス主義ではないのですが。寄せ場で彼は、論客で、寄せ場活動家で黒川君を知らない人はいないほどです。さそりには、部落研の人もいました。山谷はアイヌ、朝鮮、部落等日本の矛盾の焦点の中で活動していましたから、当然日本の中の民族問題に関心はあったけど、彼のグループの関心の一番は、下層労働者の解放でした。
 一方斉藤君は、室蘭の出身なのですね。富士鉄室蘭という企業城下町、そういう所で育った。その中で階級階層意識は、素朴な形で考えていたと思います。室蘭には、近くにアイヌ居住地があって侵略責任を早い段階から考えていた。富士鉄は戦前朝鮮人が酷使されて殺されたり、戦後も大きな争議があって、そうした問題意識をもって(東京に)出て来たのですね。アナキストあるいは、直接行動主義の人々といっしょに活動しながらマルクス主義とは一線を画してやっていた人です。日本の直接侵略の問題を研究したりもしていました。」
 さらに休憩をはさんで、各グループの意思決定の仕方の違いや、例えば狼グループでは作戦のたびに全メンバー参加を原則としているのに対し大地の牙は、現場には一人でいく。そうした違いについて。
証人:「一番大きいのは、グループの結成期間のちがいがあったと思います。」「(もう)一つは、思想的な問題があったと思う。斉藤君はとにかく、権威、権力を排そうとしていたと思うので、思想的に個の自立を目指そうと考えて(一人で担った作戦形態)浴田さんへの訓練的要素もあったのではないでしょうか。とにかく個の自立からグループを作っていこうとしていた。狼は、専門的にやっていて、各同志が専門的な技術を持っていました。そこと疎外という問題が出てくる可能性があるかもしれませんが、互いに学び合う等の中で、全員参加ということを意識してきました。」
 とんでもない経験不足でわけのわからない人をかかえた斉藤同志の苦労に、当時の将司君達がどれだけの思いをよせていたのかがヒシヒシと伝わってくる。当時の私は、経験不足でかけ出しで……と自覚してはいても、そのために「従属するものだ」と感じたことはなかった。どんなに不十分でも、まちがっていても、ていねいに話を聞いてくれ、理解させようと努力してくれた同志達の顔が目にうかぶ。和君の「一日一時間の学習会」を私はしばしば「メンドーだ」と思っていたが、同志が私のためについやしてくれた努力にどれだけ応ええていたろうかと、あらためて思う。
 続いて質問は、1月28日に開始された「三者会議」の具体的内容について、いわゆる「黒手帳」(将司君の当時の帳面)にそって一つ一つ、つめていく。
 問題は、間組闘争を三グループの同時爆破闘争へとにつめていく課程だ。当初、間組闘争を提起したさそりは、工事現場への攻撃を計画する。それに対して狼と大地の牙は、「テメンゴール作戦と名づけ国際連帯を言いながら、その内実を示さないわけにはいかない。」と、「トップテロをやってもいい」という大胆な提起をもちらつかせながら、本社・中枢部への攻撃を行うべきだと、攻撃ポイントの変更をせまる。
 「キソダニ作戦だけでしたら、工事現場でもよかったと思います。“テメンゴール”ということでなければ三部隊の同時爆破ということにはならなかったでしょう。」「本気で考えてはいない“テロ”」を提起しつつ闘争10日前になってもまだ三グループの具体的な攻撃ポイントは決まっていなかった。
 片岡(益永)同志はこの頃、尾行に気付いて、すでに会合にはほとんど参加していなかった。「テロ」の話を聞いて彼は猛反対をする。狼グループにしても、「テロ計画を具体的に立てたということではなく、さそりとの関係で言い出したことですので(中止に)誰も異論はありませんでした。片岡君は突然聞いたのでびっくりしたのでしょう。」こうして三グループ同時爆破へと進むことになった。
 一方狼内部では、三者会議に、黒川、斉藤というグループリーダー的存在が参加することによって三者会議が実質的な「決定機関」になってしまうことへの危惧が出されて、そうしないための保障を求める。「より密な連携」を求める将司君へのクギをさすような意見も出る。「三者会議が、独断専行しないことの手だては何かと言われて、応えられず、暴言を吐いてしまいました」というその日の手帳に彼は、「(樹)[注・暗号]よりの疑問に対して話がかみ合わないまま、結論を急いでしまった。自分の短気さ、思いあがりを徹底的に反省すべきである。暴言を吐き、(樹)を著しく恥かしめ、悲しませた点を充分に反省しなければならない。説明を順序立ててわかり易く行い、相手の話をジックリと聞き、充分に検討した上で答えるべきである。過去の失敗、そして今後のchiとの関わりに向けてきつい教訓とすべし」と記す。
 三者会議では、二度、三度その基本的位置付けを「三グループの連携・調整機関である」と認識される。
 時間が来て、今回は閉廷、次回に続く。
           ★ ★ ★
 閉廷の後、裁判長は今後の予定について、弁護団・検察官とうち合わせて(検察はあと半日やるといっている)「あと二回」。
 手錠をかけられ、退廷の準備をしている証人と被告人にも弁護団から「あと二回です」と言ってくれて、証人は「エーッ、もう二回もやるのー」と言っている。デートいやなんか? 私なんか、「たったの二回だけ」と思うのにな。質問する方は、(被告人の場合、ほとんどすわって聞いているだけ)入れかわりたちかわりだけど、答える証人は、一人で全ゆる方面の質問にこたえなければならないのだから、たしかに、たいへんだー。
 とにかく、あと二回、じっくり会おうぜ。
 まだ、「みんなの分」はすんでいない。最後に私も、もう一度今度こそ上手に、質問をしたいものだと思っている。
 SAIKAI公判を、次のステップへと飛躍させるために。
 仲間達に報告したいことは、もっともっとあるのですが。
  再見!


rinirn
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