ゆうき凛々 38号

浴田由紀子の大道寺さん再会公判報告 七月七日・第七回

 7回にわたった大道寺同志証人尋問も、いよいよ最終回になった。前回までに私達は、基本的に証人尋問を通してやるべきことはやれた。もう一度第一回目からの記録に目を通して、おちこぼれのないことを確認し、かつ「直接対話」を今すこし重ねることにする。
 浴田直接質問は、前回上手にできなかった。暴投につぐ暴投で、証人をトコトン苦しめてしまっ」たので、今回は用心に用心を重ねて、早目に質問テーマを提案して、問い方は、何度も修正する。(反省と教訓として、質問は、実際に声を出して言ってみること、そうするとセンテンスをスッキリさせるしかなくなるみたいだ。)準備の過程で、証人と弁護人からの伝言、というか注意事項が届いた。その中にひとこと、「くれぐれも、しめっぽくならないように」。いわれてるなあ。なめられとるなあ……。とりあえず弁護人には、「かなり“オリコー”にやっていると思うのですが、もちろん、そんなことにはならないでしょう」と大見栄を切った。さて、こうなると、何が何でも当日は、「快晴。降水確率0%」で決めなければならない。ここは「女のイジ」じゃあ。
 当日は、梅雨のまっただ中であるにもかかわらず、お天気は晴れ、風もあってむしあつさもない。「しめっぽくなんかなるかい。それに今日は七夕だ!」同志達とのデイト用に母が用意してくれたとっておきのポロシャツを着こんで、看守に「あっ、今日はまた、いつもと全然ちがうかっこうにしてる」なぞとひやかされながら(普段は、Tシャツの上からベージュのハラマキなぞしてて……テツスタイル)準備はOK。
 いつもは少しおくれ目に到着なのだが、連休もなれて来たセイか、10時少し前には証人も到着。水色の長袖カッターシャツのそでをまくって夏スタイルになっている。まわりが日に焼けて来た分証人の色の白さが妙に目立つ。(東拘は、在監者全てに、太陽光を保障しろ、非人間的な居住環境による、健康ハカイをやめろ!)何かの書類に証人がサインをして、いよいよ、開廷。

 失敗の原因は再審準備中に明らかになった

 尋問はまず始めに川村先生から5/10公判調書の訂正確認。続いて補充質問として、帝人の爆弾を不発だと考えて全員で回収に行ったことについて。「全員で行くのは、組織全員が一網打尽になって危険だという心配はなかったのですか」証人「そういう危険性もとう全ありましたけれど、それ以上に不発爆弾に誰かが手をふれる等して、犠牲者を出してはならないと考えました。……二人で行けばいいようなもんだけど、他のメンバーも自分達が行くと主張したので、(全員で行くことになりました)。」それでも「殺意をもって」誰がやれるだろうか。
 続いて、浴田供述調書にある「三菱の威力云々」についての「発言」が事実に反していることの確認。さらに、セジット作成が3回の実験ことごとくに失敗することになった根拠として、「バインダーノート」の「セジット製法」に記載が誤っていたこと。にも関わらず彼らは一貫して失敗の根拠を起爆装置に求め、ノートの記載を疑うことは全くなかった。それに気付いたのは、実に、判決確定後の再審の準備段階になってからであった。

 被告人から直接質問する

 いよいよ誰にとってもキョーフの被告人直接質問。(証人は少しキンチョーしてなかったか?)私が話し始めようとすると、裁判官はあわてて、「マイクを用意しなければ〜」と言い出す。「いいえかまんません。今日は、大きな声でやります」と自信に満ちて(!!)被告人は、それを制する。質問は(1)斉藤同志との関係(2)現在の状況と反日思想との関係(3)家族のこと、について。
 今回私は、自分の質問に対する回答をいっさいメモしなかった。それは、証人の言葉の奥をものぞき見、聞きとりたいと思ったからだ。(言葉そのものは、調書に正確に書かれてくる。)じーっと、証人をにらみつけて、答えを促されるるのは、証人としては圧迫感があったて、こたえづらくさせてしまったかもしれない(それに報告だって正確にできないじゃあないか)と今は少し反省している。そのせいか、証言は、思っていたよりもあっさりと言葉少なだったかもしれない。
 まず一点目で被告人は無謀にも(?)「どうして、斎藤君と大道寺君は68年以来の知り合いだと言ってくれなかったのでしょうか」と、グチった。(スマンかったなあ。グチるためにグチったのちゃうよ。当時の関係性や、地下活動グループの在り方の「実体」を客観的に示す事実としておさえておいた方がいいと思っただけだからね。)
 二点目、現在の政治状況と反日思想について、「当時の我々の闘いの不十分性、誤りの影響が今の状況を生む一因になっている面がある」という主旨のことを話してくれた。さらに、被告人が今の状況の中で、反日思想として提起したことの実現は、「平和的・生存権」「共存権」の問題としてこの国の憲法を尊守していくことの中で、一定可能なのではないかと考えるようになった、由のことを言ったのに対しては、「かつて武装闘争を担った私達がそう言ってしまうことだけではいけないのではないかと思う」という主旨の証言で、足元を見失って暴走しそうな被告人の姿勢にしっかりとクギをさしてくれた。(この点については、もっと学習し、総括を深めていきたい。)
 被告人:「いろいろな人々が同志の今の状況や考えを知りたいと思っています。その人々へ、今、もっとも伝えたいことは、どんなことでしょうか?」
証人:「それはもっといろいろ言えということ?」と逆質問の上で、「物理的には、外部交通権の制限で困難が大きい。」「みんなには、まあ、元気でやっているとでも。」ダッテ!!(インタビューアーコメントとりとしては失格だな? スマン!)
 最後に家族のこと、父母達が死刑制度廃止や反戦平和運動に参加するようになった経緯と、今、平均年令75才を越えた彼らへの想いを聞いた。
 証人:「彼らの人格や生き方から、多くのことを教えられ、学んできました。私達が逮捕されて始めて子供達が何をやっているのか知らされて、非常につらい条件に耐えで支援を続けてきてくれた。ことに、とても感謝しています。」
 被告人:「私の質問は以上です。」

 検事の再質問

 被告人質問が終わって、4月から新任の検察官が再主尋問。当初「半日やる」と言っていたのに何故か、30分位に短縮。どうしたのだ?!
 検事の質問は、弁護側が逆立証した(きわめて正攻法で、実にクリアーに行われた)事について何とかするというよりも、「サマツなコボレをひろった」という風に見えた。しかし、質問のしかたは、遠方から切り込むようにみせてハメル、というやり方みたいだ。
 例えば、検事:「狼内部での民主主義的決定が強調されていましたが、どういう意味あいで、当時考えていましたか」
 証人:「連赤敗北の総括と、狼の前のグループでの経験から、……人間関係を民主的にやるのが一番いいということです。」
 検事:「具体的には、どういう意思疎通を」
 証人:「端的には、指導部と被指導部が分かれていないということです。」
つづいて検事は、間闘争の準備過程ですでに尾行に気付いていた片岡同志が会議に参加していないことを問題にし、それは「民主的な運営と矛盾するではないか」と言いたいらしい。しかし、
 証人:「それは、彼と狼メンバーで話し合って決めたことなのですから。」検事は、……会議に参加はしていなくても、「民主的なんだから共謀の内実は成立している」と言わせたいのかもしれないが、……こういうのをヒッカケ尋問とでもいうのだろうか。
 声明文の意味について、第一次統一公判での本人尋問の証言と今回がちがうと言い出す。「その理由は?」
 証人:「それは声明文の意味のとらえ方というより、当時の私の姿勢とか、裁判所との関係とか、そういうことだったのではないかと思います。」“もうムダな抵抗はお止めなさい”と言いたいところだが。
 検事:「(被告人と斎藤さんが)夫婦という“実質的な関係”にあったとすると、斎藤さんと被告人の間の意志は(全部?)疎通されていると思われますが」という質問に至っては私は、思わず吹き出しそうになってしまった。あなた方にいわれたかあないよ! 彼らの仲間の一部には、「浮気をはげみにして仕事をしている」ような人々もいる。彼らは、それをも含めて意志を疎通するほどの“実質的に夫婦関係”なのかしらと逆に聞きたい。なぞと余計なことを考えていると、さすが証人はジェントルマンで! 「夫婦という関係だけでならそうでしょうけど、同志関係というかいっしょに闘いを進めようとしているのですから、世間一般の関係で理解することはできないのじゃないですか」。
 最後に検事は、「6月15日の公判で“被告人には、1日も早く出獄してほしい”と述べていましたがどういう意味ですか、被告人が処罰を受けるのは望まないということですか」なぞと聞く。彼らは、共犯証人に「検事様、裁判官様、どうぞこいつをとことんいためつけてやって下さい」と言ってもらおうとでも思っていたのだろうか。
 証人:「私は彼女の情状証人としても来ていますので」! 静かに検事がメモを置く。

 大道寺証言終了、ありがとう!

 最終バッター内田先生「かつての全共闘世代が今の反動化を推進する人々と、反対する人々に明確に二分極化していることについてどう考えますか」
 証人:「君が代・日の丸についての政府見解というのを読んで“冗談じゃあない”と思いました。保守からさえも疑問が出ているのに一般の人々はあまりに反応がにぶすぎるので、心配している。もっとおこってもらいたいなという感じを持っています。」
 裁判長が「終わりました。どうもごくろう様でした」と言って、11時。ちょうど1時間で第7回大道寺同志証人尋問は終わった。
 立ち上がりぎわに被告人と弁護団の方へ、
証人は、「じゃあ。元気で!」。
手錠をされ、刑務官にはさまれて、近づいた内田先生とひとことふたこと言葉を交わして……右肩をちょっと落としたいつもの歩き方で彼は退廷していった。「再び戦場で会おう」と言った日も、私が見たのはベージュのトレンチコートの少し下がった右肩だった。
 この次会う時は、もっと「成長」してみせるから。それまで、また持ち場でガンバローウ。

 益永君はメガネを新調して証言にのぞむ

 長いようでアッという間のSAIKAI公判第一投、大道寺同志の部は、いっぱいの「成果」をかかえて終わりました。非公開という許しがたい条件の中でしたが、やれてよかったと心から思っています。準備に応援に力をつくしてくれた仲間達、弁護団にそして、元気と確信を分け伝えてくれた将司同志にありがとう。
 秋からは、利明同志です。シャバで会う機会のなかった、そして、第一次統一公判の時代に私自身の狭さ、まちがいのために、率直に心を通わせることのできなかった私は、あの頃の不十分と誤りを克服して再会し、絆を確認し合いたいと思っています。
 利明君は、法廷で、資料と法廷をいちどに見られるように、メガネを遠近両用に直したそうです。
 私の300たたきは続けます。そて、どんな報告ができるでしょうか、たのしみです。
 9月29日SAIKAI公判第二投(益永利明同志証人尋問)は開始されます。
 そして、第一投の経験と教訓を生かして、しっかり準備を進めるぞ。

(99.7.8)

rinirn
inserted by FC2 system