第二三回公判出廷記

(97.1.30)  浴田由紀子

 快晴?東拘出発日は、オウムの人達が大勢出かけるからかバタバタして、ちょっと遅れて出発。高速に乗ると、遠くに丹沢連峰秩父連山、そしてぼんやりとだが空に溶け込んだ富士山が見渡せる。新宿の高層ビル街あれは池袋だ、あっちは中野か…オノボリサンは…。一二月二四日の公判の時、獄中の仲間が「イブの銀座を楽しんてきてください」と手紙をくれたけど…モグラ生活を強いられている仲間達に「一日も早くあの山へ一緒に行こうぜ!」と思ってしまう。
 前回までに三井物産館爆破闘争、検事立証を終わって(はじめに検事は、三井で不同意のままになっている(爆心地付近の実況検分者」吉越某氏の「死亡証明書」を提出)、今回からはいよいよ『第一次統一公判でも行なった』“大成建設”に入る。三菱、三井、帝人という当時、日帝の第一級の歴史的海外侵略企業に対し、次々と爆破攻撃が行なわれた。これに続いて、大成建設爆破闘争は、七四年一二月一○日『大地の牙』部隊によって担われた。
 警察が当時、朝日新聞社から「任意提出書」を取れないままに、「押収」したとされるこの「声明文」の全文を紹介すると…、

『第二声通告、東アジア反日武装戦線の一翼を担い、わが“大地の牙”は本日(十日)、大成建設(大倉土木)を筆頭とする旧大倉財閥系企業の本拠地を爆破攻撃した。大倉組は明治維新以来、政商「死の商人」として日本反革命軍と共にあり、台湾、朝鮮、アイヌモシリ、沖縄、中国大陸、東南アジア侵略の先兵をつとめ、本国下層プロレタリアからの搾取と韓国・インドネシア・アラブ・ブラジルの侵略を推進している新旧日本帝国主義の代表的企業であり、大成建設の今日は一九二二年、新潟県の信濃電力信濃川水力発電所工事現場で大量虐殺された朝鮮人労働者等、植民地人民の血と屍の上に築かれている。わが部隊は植民地企業、帝国主義者を地上から掃滅する闘いの一環として今回の作戦を決行した。
一九七四年一二月一○日、東アジア反日武装戦線“大地の牙”情報部』…(「反日革命宣言」より)と記されている。

 今回の公判は“大成”審理をはじめるにあたって検事側の証拠請求手続きだ。事前に彼らが出した「証拠リスト」に対して我々は、「同意」・「不同意」かを回答。これについては、法廷で証人を呼んで調べるのかを打合わせるのだ。検事側から出された証拠、六二項目のうち、我々が同意したものは、二三項目(主に診断書や領置書)、不同意二六項目(主にデカの実況検分調書や鑑定書)、留保一三項目(負傷者の検事調書と声明文の「押収」)・検事は、机の上にセピア色になった調書の山の中から「同意書類」をひっぱり出して、概略(ほとんど表題)を読み上げた。この検事は時々、ニヤケル癖のある奴だがこの時も、なぜかルンルン…番号を間違えたりして、「アッ…ソウデスネ♪』なんか、リズムをつけて言ったり…??「せめられる」数が減るんだから嬉しいのは解るけど…
 これからの公判では「不同意」のものについては「証人」達が遣って来て、次々と脂汗流したり、しらばっくれたり、正直に本当のことを言ってくれるだろう。さて何人の人が出廷可能か?出された証拠は全て「統一公判」と同じものだ。そんな調子で、番号や難しそうな言葉が、頭の上を飛び交って…「被告人」は、キョロキョロ弁護人と裁判長と検事の顔をアッチ見たり、コッチ見たりしているうちに、「次回は二月一八日…証人は、只野・小倉・大録」と裁判長が言って、閉廷した。
 わずか二五分間の開廷だった!(遠くから傍聴に来てくれた仲間には、とても申し訳なかった。そして、ありがとう)私達は、奴らがデッチ上げた「三グループによる共謀共同」というストーリーをこれからは武器に転化する。第一次統一公判“シャコ裁判”の教訓と蓄積を、そして何よりも二○年の月日を、新たな武器に再編して、しっかりと闘い進めます。
 獄内外の同志達、いよいよ第二次統一公判への出番だぞ!!仲間達、智恵と力を、四方八方から寄せてください。そして、再見!


第二三回公判出廷記

(九七・二・一九) 浴田由紀子

 今回から大成建設爆破闘争の審理が始まる。第一次統一公判において、より緻密に余裕を持って推してゆくことになる。二○年前の第一次統一公判記録は私の手元にある。
 今回の証人は、爆破された大成建設ビル、三階〜五階を検分した只野某。六階〜八階と屋上の小倉某。そして向かいの大倉ビル一階〜三階の大録某の三名。
 はじめに只野氏から、六○代後半。五年前に退職して今は銀行に勤めている。当時は三田署に勤務。「公安総務の、大野さんの指揮下に入って大成の現場検証をやってくれ」と言われて駆けつける。爆破の約二時間後である。彼は今回証人出廷するにあたって自分の古いメモを調べ直してきたのだが、メモにないことについては「記憶にありませんねえ」…検分で「印象に残っているのは網ガラスが歪んだり、ひびが入ったり、小さなガラス片が落ちていたということで他には記憶はありませんねえ」…「当時のメモを持っているのですが、今ちょっと見てもいいですか」と左右ポケットに手をやる。…私なんかこういう態度を見ると“誠実に答えようとしているのか”次々出てきた現役のデカ達が事前にいくらでも資料をあたれる立場にありながら、それを見ているのかいないのか(バンコクに来てタイホ執行した佐藤なんかついこの間のことなのに「記憶にございません」とか言って誤魔化そうとするのに比べて)…「その心意気や良し」と思ってしまうのだ。
 続く証人、小倉某は、その現役警察官。荏原署に勤務。弁護人は聞いた。「証人は、出廷するにあたってこの事件のことは覚えていましたか?」…「いました」。「思い出すようなことがありましたか?」…「はい、警察に入りましてこういう事件はありませんでしたので、一生忘れることは出来ないです」(“ほう、さすが現役!頼もしいやんけ”と思ったら…甘い!そして、忘れられない中身をもう少し聞きたいところだが…まてまて、今は調書の検証を…)。当時、月島署にいた彼らは応援に駆けつける。一時頃には現場に着いて、一時半に開始。ところが…この人は!「一生忘れることが出来ない」わりには、誰が現場で指揮を出したのか、ピルの前の道路はどんな状態だったのか、このビルは高かったのか低かったのか、爆心地はどこか…事々に「覚えておりません」と来た!「一生」何が「忘れられないのか」やっぱり聞いてみたい。“逮捕者達のツメの垢でも煎じて飲んでから、出直してこい”と思ってしまう。
 最後に七〇代後半、現在無職の大録氏は、メチャクチャ元気が良い。時間と共に調子が出てくる。彼は当時、赤坂署凶行犯捜査係。
 第一次統一公判にも証人出廷した。外出から帰ってきたら、現場支援の指示を受けて駆けつけた。到着は、二時ちょっと前に「…ここが爆発現場。このビルがやられて、君はこっちのビルをやってくれ、中は手をつけていないから」と言われて、「早く行った人は現場で一端、集結したんですが私、遅れて行って…“遅かった”って誰かが文句言ったような記憶があるんです」というわけで、二時三十分から検分開始。ところが手をつけられていないはずの現場は、開いていたシャッターが降ろされ、コケていた自転車は立ち上がっていたのだが!?「それは現場保存のためだから」と(裁判官が納得!)。
 弁護人は聞いた。「爆弾事件の検分で注意することはありますか?」…「細かくやれということは仲間同士でよく言っておりました」…「どうして?」…「とにかく大ざっぱなんですよ。ところが爆弾はあとが困るから細かくやれと云々」???「私らやっている仕事、大ざっぱなんですよ。強行犯とか強盗とか『コノヤロー!』と言って追いかけるようなところですから」???(廷内に爆笑、いちばん笑っとったの東拘の看守ちゃうか?)
 というわけで、彼らは「細かく」検分をやったのだが、肝心のひびの入ったガラスやコケた自転車の爆心地からの距離が調書にない。
 弁護人は聞いた。「爆弾の威力を検証するために重要になると思うのですが」…図面をめくって…「書いてないですね。ずいぶん正確にやつたつもりですが」…「ここだけちょっとミスをしたと?」…「いえ、ミスとは思いませんが、ちょっと落ちたと思います」と、ちょっと声がおちる。大録氏も事前に調書を読み直し、記憶を掘り起こしてそれなりに確信を持って答えているようだった。検事は各証人へのオザナリな質問に、あとはイスに斜めにもたれ掛かって眠っている!(目を閉じているだけじゃない証拠に、みなの笑いで目を開けたら、目が真赤!)なんやねん、やる気がないなら裁判はじめたりすんな!現役警察官が証人の時、このネムリが深そうに見えるのは考えすぎか?最後に、今日も三井調書の写真をめぐって見せるというのをやった。検事はご苦労なのだが…私に任せてくれりゃあ好きにめくって見るのに…一枚一枚めくって時々とばしそうになると私は「ウンッ!?」と声を出して訂正を迫って…。今日の法廷を終了!
 次回は三人の実況検分者が証人です。今や『証人の年齢で法廷のオモシロサを予測する』というのは余りに不謹慎だろうか?
 傍聴席の仲間達、今日もありがとう!みんな元気そうだった。来れなかった仲間達、法廷は元気です!…。「エッ!」というニュースもあったりするけど、国内戦線拡大だ!ガンバロウ、共に!
                           再見!


第二三回公判傍聴記

ワッタン・カタノーブ

 この日の公判は検事側が三名の証人を出してきた。いずれも当時、警察官として実況検分にたずさわった者達であり、大成建設爆破の直後に大至急で呼び集められた、“臨時任務者”達であったのだ。
 まず最初の証人は、現在、四国興銀に勤務。当時は警視庁三田署に配属されていた只野某。彼は大成建設ビルの三階・四階・五階を担当して実況検分を行なっていたようだ。一緒に検分を行なったものは、彼以外に補助者に山本某、巡査部長の根元某、他二名だ。立会人の丸山某から、指示・説明(どの様な内容だったか覚えていない)を受けたそうだ。
 彼は、弁護人の質問に対し「このような爆弾事件の担当は初めてだった」と答えている。まず当時、彼が他の捜査から三田署に戻ってすぐに、事件発生の連絡があったとのこと。そして現場に着いたら「保安総務の指揮に入れ」との指示を受け、保安課の大野某から現場任務の割当て、指示を受けたそうだ。彼は自分の任務について「爆弾だから、破片がどれくらい飛び散っているか」、「部屋を計ったり、図面を書いたり」、「鑑識の根本と検分した」等々、述べていた。
 次の証人は、現荏原警察署の署長の小倉某。当時は月島署の刑事課捜査係長として勤務。彼の場合は、さすがに現職なりにハッキリものを喋るが、惚けるところも、ちゃんとポイントを突いている。この実況検分の補助者は、三枝、小西、松崎、青木、そして保安課の草薙であった。現場立会人は、大成建設の役員(取締役)坂口某である。
 弁護人から、この実況検分を担当した感想は、と聞かれると「こういう事件は、一生忘れることは出来ない」と自信ありそうに述べた。また、この他に公安が担当するような事件を扱ったことは?との質問に、彼は「公安部が、やるような事件を扱ったことは少ないが、過去に三回ほどある」と述べていた。なお、彼らが担当したフロアは、六階、七階、八階、屋上であり、彼自身は写真とりなどを指示していた。彼らが担当の現場に到着したときは他の警察官らは、その階にはいなかったらしい。だが、一般社員達は、ビルの中でかなり慌てている状態だったようだ。被害のようすは?怪我人は?との問いに対し、「私の担当フロアでは聞いていない」、「血痕等の跡もなかった」といっていた。そして、「ガラスの破片が散らかっていた」というようなこともいっていた。その他、検分中に採取して領置した物として金属玉?(パチンコ玉状)があったそうだ。
 三人目の証人は、『三度目の正直』という言葉があるように他の二人と比べ、割と率直に!?話してくれたようだ。
 今は職業無職。当時は、赤坂署の凶行犯捜査係長として勤務の大録某。実況検分は大成建設ビルの向かい側の建物、大倉ビル本館の一階から三階までを担当した。彼と一緒に検分したのは、同じ捜査係の松坂某、青野某だった。立会人は、大倉ビル本館の管理人の岸某という人物だ。弁護人から彼に「この件意外に爆弾関係の検分を担当したことはありますか」との質問に、「これ以前に派出所に爆発物らしきものが仕掛けられたという通報があって出かけたことがある」と述べていたが、具体的にどのような事件だったのかは、本人も本当に忘れているらしかった。彼らも、やはりこのときは「臨時に編成された体制で実況検分を行なった」と述べている。彼の証言によると「一一時過ぎに体制を組んで、手の空いている者が検分を頼まれた。とにかく行って、現場の本部の指示に従うようにと…」、「現場に遅れて行ったら、他の者(先に到着していた者)に文句を言われた覚えがある」と、そういうことはよく覚えている人だ。この建物は、一階の入口付近が駐車場で検分中もテナント従業員が中にいたらしい。一階駐車場のシャッターが閉まっていた(爆発時開いていた)のは、「現場保存のため閉めたと推測する」と彼は言っていた。{『現場保存のため』だったら、損傷の可否を調べるためにも開けたままにしとけ!}「爆破直後は倒れていた自転車が行ってみると起こされていた」と言う。{オイそれが“現場保存”か!}そして、領置した物として二〜三センチ四方の、少し焦げがあるような紙片があったと述べていた。

◎話しは替わるが、レバノンで日本赤軍メンバーが「身柄拘束」された件で日本権力は、マスコミを通じて散々ブラスをかけまくってくれている。
 マスコミの流す“大本営発表”を鵜呑みにする「ノーテンキな奴ら」は別としても、客観的認識を持った皆さんは、国内の赤軍派OBだけに聞きに行かないで!東京拘置所に囚われている当事者(日本赤軍)側の発言・発表にも、耳を傾けてほしい。…真実が解るだろう。


(速報) 二・二五丸岡結審

 この日、東京高裁にてハイジャック容疑・旅券法違反容疑で裁かれていた丸岡修さんの結審が行われた。まず弁護人から趣意説明。「ハイジャック容疑は控訴するに値する充分な意義がある」…「被告はドバイ・ダッカ事件の時、飛行機には搭乗していない。まったくの冤罪で、無罪である」と述べた。また、パスポートの件についても「被告が逮捕時に持っていた旅券は彼自身の名義ではないが、七二年以降、彼が指名手配され、以後、正式旅券は失効したまま再発行申請することが出来ずに、そのまま放置棄却されてしまったもの」とも述べた。そして違法捜査のことにも触れ、「ドバイ・ダッカ事件の目撃証言も証拠が曖昧。客観的に証言されていないし、検察の写真『証拠』も信憑性にかける」と述べた。さらに浴田・証言を引用して「リーダーと思っていたその男は、骨っぽい男…背丈もそんなに大きくない…四角錐を逆さまにしたような顔…東南アジア系の様な顔だった」と述べ、乗客の証言も「顎が張っている…カマキリの様な顔」と言っていることなどからも、マルプチャ顔の丸岡「犯人」を否定している。また、写真判定にしても弁護人は「浴田さんはハイジャック犯が誰か、リーダーが誰かなどについては一切喋らなかったが、この浴田の証言の重要性に鑑みればハイジャック犯については、これ以外今まで何ひとつ論議されていない」と述べた。最後に、丸岡さんの「上申書四」を被告人弁論意見として弁護人が代読。本件とその他、獄中医療問題についても若干ふれた。
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