YUHIQ SCHEDULE MAIL No25

第二八回公判出廷記

浴田由紀子

 大成建設検事立証、中盤戦。今回から再び三人をやることになって、証人三人が並んで宣誓。今日の三人は、元気も協調性もまったくない。そもそも、いい歳のオッサンらにこういう事をやらせる方が恥ずかしいのだ。
 始めは、科研で爆発物缶体の鑑定を行なった高生氏。彼は三井でも登場して今回は二回目。またも「当時三菱の鑑定に主体的に関わっていて、大成の記憶はあまりはっきりしておりません」なぞとブッキラボウで気のない返事。当時そんなに本気でやってもないような事を“証拠”とか言って持ち出すのは無責任ちゃいますか?という気になる。
 大成の爆発後、集められた金属片について彼らは、三種類の依頼を受けて二種類の缶体と缶体との比較を命じられる。一つは石油ストーブカートリッジ六種類、他の一つは紅茶缶十二種類との異同。紅茶缶の鑑定は、前者がほぼ終了する頃に持ち込まれる。その理由を[何回も……公安が意見を聞きに来て…その中で紅茶缶が浮かんできたのではないかと思うのですが」、「捜査する間に警察官が出入りしながら“何かわかった事あるか”という事で、紅茶缶とか…」と、鑑定の過程でしっかり捜査官が介入して…という話なのだが、これまでの法廷証人達は鑑定内容に捜査官が口をはさむ事は無いような話をしとったのちゃう?まあ正直に本当の事を言うのはエエ事です。で、
(弁護人)「紅茶缶が事件で果たした役割は?検察の起訴状にも出てこないのですが、わかりますか」
(証)「いえ、私にもわからないです」???
じゃあ私たちには、もっとわからないですねエ。
 二番目の証人国見氏は、当時高輸署の巡査部長。実況検分には補助者として参加した。爆発点近くの大成一階駐車場、図面を描いた。何故、検分責任者が来ないのかの説明は、今回も検事からはない。検事は後ろめたいのか
「…提出までに本分(検分調書・責任者が書いた)を読みましたか?」
(証)「必ず読んでおります」
「その上で検分結果との誤り、食い違いはありませんでしたか」
(証)「ありませんでした」
「正確に記述していたと」
(証)「はい、間違いありません」
 などという答弁を記載させる。ところがドッコイ!
(弁護人)「…(調書の)ここに金属板とありますね。これは、あなたの図面にある“アルミ板”のことですか」
(証)「ソーです。これです」
(弁)「どうして表現がこうなっているの?」
(証)「(オタオタ…と)金属板とアルミ板。同じ意味と思うのですが!表現の食い違いと思う…(タジタジ〉」 後の質間にはなぜか「記憶にはないですね」「忘れました」ことが増える。このチームは、爆心地近くであるにもかかわらず、止めてあった車が爆発時もそこにあったものなのか否か確認していない。ガラスの欠片が落ちていたらしいが、近くに割れるようなガラスも、割れたガラスもない。どこから出てきたのか、いつから
あるのか確認していない。
(証)「実況検分のとき(爆発から三時間半後)の状況をありのままに記載しておりますから」
(弁)「(爆発の後で)誰かが割れたガラスを持ってきたのかも…」
 『そういうことはありまっせん!』とどうして言えんの?ウン?
 最後の証人田中氏もやはり補助者として検分に参加。三菱の時も上層階の検分補助を行なった写真係。爆発地から一ブロック離れた東邦生命前の路上を検分。検事はまず自分の弱点を抑えようと
「検察に送られているのは(調書)、関与した人が内容を確認して、間違えないという段階になっているという事ですか」と作文。証人に「はい、そうです」と言わせる。しかし証人は、現場保存の有無についても、現場の状況についても記憶にないことが多すぎて証言のほとんどに「たぶん」と言わざるを得ない。彼が書いた写真説明には[飛散電線」と示されている同じものを調書は「黒色ゴム管」と記し、用語の統一点検はなされていない(てんで違う用語だ!!)。
(弁)「写真の方では電線となっていますね」
(証)「(小声で)書いてあるから、たぶん電線だと断定して書いたのじゃあ…」
(弁)「佐藤さん(責任者)と?」
(証)「たぶんそうだと思います」
(弁)「(佐藤の書いた)本文では“黒色ゴム管”、あなたの説明では“電線”。どうなって
んでしょうか?」
(証)「ブツブツ…(聞き取れない)」
(弁)「当時電線とはっきりわかったの?」
(証)「ブツブツ…」
 検事は最後に、写真の一枚に車止めの見えるから遡行止め(現場保存)は、されていたのだと立証しようとしたが、ドッコイ!この写真は、彼らの検分エリアから交差点を挟んで爆心地方向を写したものなのだ。彼らのエリアが通行止めになっていたという証拠にはならない!(逆は有りうる)。油断も隙もありゃしない。ほとんどペテン師の手口だ!こんなのによう公判検事やらすなぁ、ナメトンノカ?!
 というわけで、「デッチ上げ専門」検事相手に攻防が続いています。次回には「警視庁の誇る爆弾鑑定のプロ」荻原氏も登場。我らが再審研の知恵を総結集して渡り合います。請うご期待!
 梅雨に入りました。みんなお体にはご自愛ください。久しぶりの顔も…傍聴ありがとう!
再見!


第二八回公判傍聴記

叢蛛剱児

 どうも最近、傍聴に来る面子がマンネリ化していけない。まあ時々珍しい人が、遠いところから、あるいは近いところでも仕事の合間をぬって傍聴に来てくれるのではあるが…。
 さて、今回はこの場をちょっと借りて、いつもとは違った角度で述べてみたい。
 近頃ゆきQも、そのネーミングがこの界隈でも少しは板についてきたことと思うが、やっぱり何か物足りなさを感じてしまう。今ひとつ“組織”としてうまく機能していないのではないかと思ってしまうのだ。そりゃあ「ガッチリ」とか「ゴリゴリ」とかいった「強固な組織」など、このゆきQには必要ないことだし、活動の目的上でまったく意味の無いものだ。ただ何か物足りない…。
 よく考えてみると、ゆきQは「ユキちゃんのためなら工〜ンヤコ〜ラ」と、みんながみんな自由な“方法”で救援活動に参加できるというのが言わばウリである。そうだ自由なのだ!ただ、この「自由なノリ」が独り歩きしてしまっと思うのだがどうだろうか。まず先に、問題点を述べると、情報の伝達に時間が掛かるのだ。なにも獄中からの郵便物のことだけを言っているのではないが、この直接的な原因は「連絡場所」が週に一〜二回しか人の来ない所であるということと、今どきFAXも置いていないということである。しかし、こんなことは昨日今日に始まったことではなく、みんな分かり切っていることなのだ。本質的原因はそんなことではない。「連絡場所」の機能はみんな当てにして、い・な・い・から、それなりの手段(各自の「お家芸」)で行なっているのだ。ただ、私も含めてみんなそれぞれ、伝える内容にばかり気を取られていて、その手段・方法を“集中化”させるということをあまり意識していなかったのではないかと思う。だから獄中への報告も、「この人の送るときはすぐ落手出来るが、この人の時は日数が掛かる」などや、公判や集会の呼び掛けでも「いくらビラを貼っても、チラシを配っても思ったほど効果がない」などのヌカルミにはまる、と言うか実務のつまずきが出てくる。敵権力の手中にいる獄中者から指摘されてしまっては身も蓋もない。もっとみんな自前の「お家芸」を伝授し合うということを考えても良いのではないだろうか。「自由なノリ」でやるのは結構だが、みんなが共有してこそ、はじめて本来の力が発揮出来るのだと感じる今日この頃であった…。かく言う私が一番ノリまくっているということも間題の一つであろう!!


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