YUHIQ SCHEDULE MAIL No26

第二九回公判出廷記

浴田由紀子

 梅雨の真ん中なのにお天気は晴れ、傍聴の仲間たちは忙しい中を来てくれた。みんな疲れているみたいで動きのない、音だけの法廷を目をつぶって耳だけでフォローしている人が多い。体、大事にしてください。いつもありがとう。
 今日の証人は二人とも科研の人で、爆発物容器の塗料を調べた飯田氏と、爆発物鑑定のエキスパート荻原氏。
 検察側は今日、女性検事を主席にして「デッチ上げ専門検事」は、真ん中の席にひいている。ゆきQスケジュールメールで手口を「汚い」と書かれたので、ちょっとひかえようと思っているのかしら?
 始めに爆体に使われたと思われる石油カートリッジの塗料鑑定人。前回証人、高生氏のグループと同じ資料を使って鑑定を行なったのだが彼の鑑定書には資料リストが付いていない。弁護人は聞いた。
「別表は付いていないのですか」
「ないです」
「高生さんのものと同じ?」
「ウーン(思い出せないらしく答えない)」
と、突然検事氏が立ち上がって「同じです」
(うん?なぜアンタが答えるの?)。統一公判ではこの部分、飯田氏が「鑑定書提出日に送付するのを忘れたものです」と言っている。同じかどうかは言及されていない。検察では誰も見たことがないはずなのだ…検事なぜアンタが言えるの?(この検事はどこまでも嘘つきだ。嘘に嘘を重ねるとそのうち人間破滅するよ)
 そして、同じ資料を使った高生グループの鑑定と飯田氏たちは、なぜか違う鑑定結論を得た。
弁護人「高生さんたちの結論は聞いていましたか」
証人「化学と物理の結果は自ずと違ってきますので〜」
弁「化学と物理の結果が一致するとは限らないということ?」
証「塗装はロットNo.で違いが出てきますので、同じ製品でも違ったデータが出てくる場合があるのです。そういうことです」(ウン?だったら何故、しつこく鑑定やってんの?そもそも高生氏が指摘してる資料を飯田氏は初めにはずして分析もしてない!!トータルには全部ハズレなのだ!)
 そうして続く荻原氏は、こうした科研の各グループの報告を総合して、爆弾総体の鑑定を行なう。三井の時から二回目、なぜか今回はもうひとつ元気がない。心配です。弁護人は爆弾の威力、点火器具の不在、容器の種類、爆薬成分と構成による威力の違い、缶体の構造(紅茶缶の役割)、被害状況から見た爆弾の威力、等々について、丁寧に順に問いかけていく。弁護人にはこの間の学習の成果がある。紅茶缶の機能について聞いているとき、土田・日石の調書(荻原鑑定)を手に持って参考にしつつ質問していたら荻原氏いきなり手を出して、それをのぞき込もうとする。弁護人は、「おっと、これを見せるわけにはいきません」。この時の二人のやりとりは、参考書片手に問題の当てっこをしている高校生みたいで、法廷中楽しい笑いが…。
 荻原氏、「ならいいわい。次、言うてみい」という態度で…。彼は今回あらためて『腹腹時計』の「塩素酸カリと塩素酸ナトリウムでは、前者が強い」、「砂糖を使う場合、五キログラム以上でないと威力を期待できない」という記述を「そんなことはありません」と明確に否定した。さらに、七〇年代以降の爆弾闘争法廷で彼自身が主張してきた威力算定の基準や方法について「このデータは適切ではないと、現在の私は感じているわけです」、「…手製爆弾の威力をダイナマイトに換算したのは、私としては適切ではなかったと思うのですね。今の私としては同意しかねる」etc.etc
 七〇年代以降、彼の鑑定によってなされた多くの爆弾闘争裁判は、見直されなければならないのではないか。彼自身が今、痛苦にそのことを感じているがゆえに、この法廷で今の自分の見解を過去の自分自身の作成した鑑定書さえも否定する形で証言しているのではないかと思う。
 次に、弁護人の最後の質問。
「この爆弾は二メートルにいたK氏をも殺害するに至ってはいない。もし殺傷の意図を持つのならこれを可能にする方法は容易なのではないのですか」に対して…。
「中に釘なんかいっぱい入れてですね…。推測になりますが…(それなら)鉄板の中に(下に)爆弾を入れないほうが良かったのじゃあないかと思います」と…。一貫して荻原氏は、この爆弾の弱さ、非効率的な使用を指摘し続ける。
 時間が許すならもっともっと彼の見解を聞きたいところだ。闘争主体をして、非効率な爆弾と設置場所をあえて選択した理由もまたあったはずなのだ。起爆装置の種類、紅茶缶の用途etc.この爆弾には、解からないことが多すぎる。
 次回は、予告電話の担当者になるのか、間組闘争の証拠請求になるのか未定です。検事はこの間、自分の都合にあわせて証人の出廷を左右する奴だとわかっているから「電話を受けた人たちの所在がわかっていない」という言葉をそのまま信じるわけにはいかない。この爆弾は、予告電話の一時間以上後で、いったん敷かれた避難体制が解除になった直後に爆発した。何故なのか?誰がどういう理由で解除を判断したのか? 明らかにされなければならない。私たちは、丁寧につめていこうと思う。
 第二次統一公判は続きます。もうすぐギンギラギンの真夏です。みんなお元気で、共に闘い進めよう!再見!

ゆき子

※(科学者としての彼の勇気に私は拍手を送る。彼の「正義」が検事の圧力によって封じられることのないように…)


第二九回公判傍聴記

山崎耕一

 久しぶりに浴田さんの顔を見た。おっ、誰が差入れたのか夏らしく涼しそうにカラフルなシャツを着て、ちょっとおしゃれしている。
 今回、この公判傍聴に証人は、二人出廷していた。
 まず最初は、飯田氏。彼は元警視庁化学検査所に所属。大成爆破の鑑定を行なった。高分子(この場合、缶体内側の塗料など)の検出。つまり、爆発物容器の識別を手がけた。別にこれと言って何の変哲もないオヤジだ。ただ、今まで出てきた警察関係者の証人たちに比べれば、喋り方もその内容も、まるで学校の講義を聴いているような感じだった。この点、彼の学者肌のせいか証言内容も嘘を言おうとしていっているのでは無いことが何となく解かる。しかし私としては、こういうクソ正直な話を聞いているのは退屈である。
 さて、彼の検査の手法だが、大成で使用されたとされる缶体のストーブ・カートリッジタンクと紅茶缶、その他、など有機塗装剤の付着していた器機分析からはじめている。この時彼は同僚の青山氏と作業を分担して行なっているが、青山氏の方は主に金属物質の鑑定であり、蛍光X線分析などによって行なった。飯田氏の方は主に付着していた塗料の鑑定を赤外線高分子測定によって行ない、それぞれ受け持っていた。これら鑑定の結果を最終的に二人で教義し合って緒論を出している。これらの分析・測定方法が具体的にどのようなものであるのか、私には話を聞いていても何のことやらさっぱり解からなかったので、とりあえず聞いたままを述べると、彼らは鑑定資料として二五〇もある証拠資料全部を受け取った。その中から三点を選び出してさらにそれを分析しているが、なぜそれらを選んだかの理由については、「茶色の塗装が残っている」「多くの物の中から色が着いている物というだけ…云々」と述べていたが、これでは爆発現場に違う物質が混ざっていても解からない。そのため「物の色や汚れは重要」と述べてもいる(彼らは現場採集には立会っていない。自ら物証を選別しながら集めていればもっとスムーズに作業が運んだかもね!)。この作業の中で、青山氏も一部塗料の分析に関わっている。それは、無機ガン料測定といって塗料の中に混ざっている無機質分子(金属)をX線によって検出するというものだ。飯田氏もこの作業を「ノゾキに入っている」とだけ言っていた。
 赤外線高分子(有機物?)測定の飯田氏は、専門外なのか!?そういった意味で述べていたのかどうなのか、「高生氏が物理の検査をしていたが、そこでの結論は、違った部分なども含めてなにか聞いていましたか」との弁護人からの質間に対して飯田氏は、物理の鑑定についてシドロモドロに、でも正直に「化学とは一部違うところがある」と述べた。その理由なにか、とっさの言い訳なのか「塗料はロットナンバーで違うので、同じ製品でも違う結果が出てくることもある」なーんて苦し紛れに言っちゃって、その後たしか、物理と化学の違いについて「講義」を開いていたような記憶があるが、私はさっぱり解からなかったので次に進む。
 次の証人は、荻原氏だ。検事の先制ジャブ、「以前の証言内容や証拠の他に何か述べることはありませんか」の質間に、「アリマセン」とオヤクソク的な答えの荻原氏(しかし後でボロが出る)。「鑑定方法は」との問いに、「爆発物とはその前提条件として、容器に入っているもの点火点爆装置の付いているもの…云々」(あれっ?と思う。どうも耳が遠いらしい!)という具合に、爆弾の定義を述べていた。それでも鑑定書の起案まで彼が携わっているのだから、ちゃんと理解しているはずだ。
 弁護人からの質問では「大成の事件で現場にも臨場されたそうですが、どういった点をチェックポイントにしましたか」ではその「爆心・被害状況・本体の破片・人的被害について、どのように調べたのか云々」と聞いていたが、彼は「細かな事については、あとで報告で知りました」と答えている。ここで下手なことを言うと、前の証人の検分記録と相違点が出てしまうといけないと思ったのか!そして「三井の事件に比べてどうか?」の質問には、「大成は道路(建物と建物の間)。半分屋外である」、缶体について「三井が湯たんぽ、大成がカートリッジタンクで、湯たんぽの方が容量が多い…」と簡単に概要は述べたものの「詳しい比較まではしていない」と学者は正直に己の非を認めた!
 その後は、もうこれも延々と「講義」のお時間になってしまったので勉強の苦手な私にとっては聞いているのが苦痛であったが、弁護人は何やらこちら側に有利な証言をいくつか引き出していたようだ。


『ゆきQ総会』報告

ミーティング&持ち込み立食会

 『帰国者の裁判を考える会』の集会の翌日、六月二九日に日本キリスト教会館で行なわれた私たち『ゆきQ総会』は、いくらこの時期に「総会」をやると言っても、巷で毎年行なわれるような「企業の株主総会」とは、まったく違う。よって(当たり前だ)総会星は来なかった!
 まずはミーティング(総会)の内容だが、議案がいくつか提出されたので報告する。

○浴田裁判について:これまでの三井・大成に続いて、その後の事件関係の調書・資料のコピーなどがあるので、それぞれ役割分担を決めた。

○『ゆうき凛々』編集者選任:次回の持回り編集者を決めた。前任者からの推薦にて!決定…。

○『スケジュールメイル』について:これについて意見がいくつか出た。まず、公判期日はし っかり載せるように!とのこと(前もって何日かまとめて載せましょう)。
その他、表紙の奥付に発行日・発行者名を載せるように!とのこと(次号からそうします)。

O『ゆきQ』Tシャツ:前回作ったTシャツの文字が『赤い懸橋』になっていたがそれを『日本赤軍』と間違って読んでしまっていた。しかしこの失敗にメゲズ、新たにTシャツを作ることにした。ついては、このイラストをどうしようかと検討したところ『T君に描かせよう』となったので提案した。これがホントの「T・シャツ」になるかどうかは知らないが、本人も了解してくれた。

○合宿について:『ゆきQ』『支援連』『再審研』『帰国者の裁判を考える会』など各団体が、浴田裁判の中で、観点のリンクする部分を含めて、今後の救援方針なども協議しよう!ということで、この秋、山にこもって「合同合宿」を行なうことになった。詳細説明・参加ご希望の方は、『支援連』事務所にTELで問合せいください。 −以上のことが話し合われた−

 なおこの後、立食会の方は「カネを掛けずに手間掛けて!」のスローガンのもとに各自宅から食べ物・酒を持ち込んで行なわれたが、かなり「豪勢」になったようだ!誕生日者へのプレゼント贈呈もあったし、紙芝居あり、即興の歌唱あり、飛入り参加者ありの楽しい一日だった。獄中会員『参加者達』にも分けてあげたかった。


水族館虜則場
そまよえる日本人迷路の参 風の荊棘 を観て…

 まずこの劇を観おわって感じたことは、何か切なさを覚えずにはいられなかった。それは、ハツピーエンドではなく主人公のサラが最後に死んでしまうという結末だけではない。物語全体がなんと言うか、人間の「死」について考えさせるものであったからであろう。劇中にもさまざまな人の「死」が語られていたが、なかでも死んだ人間を蘇らせるというシナドの一族の「秘術」が、実はマヤカシであるかのごとく、現代の臓器移植の問題へとリンクさせられている。「滅びゆく一族」という絶望を乗り越えるため、軍に協力し仲間を裏切ってまでも権力を獲得した緑十字病院の院長もかつて、アユタチ(族長)を殺し、自らシナドの「秘術」を奪ったが結局、一族の理想とは程遠い臓器移植という「肉体部品」の再生にとりつかれてしまう。そこでは、臓器提供者である死体にその境遇(体を切り刻まれる)を嘆くさまを語らせることによって、いっそう「死」に対する切ない思いを強調しているようであった。さらには、人間の相憎など清算しきれない情念…親・子・孫という血縁を超えた「業」、人生の儚さが浮き彫りにされていた。
 民俗的観点で言えば、このシナドの一族は、「一般的日本人」の仏教的感覚から見ると、まったく異端なもの(死者を蘇らす「秘術」は勿論、一片の田畑も耕さぬ生活)である。劇中でも述べられていたとおり彼らは、漂白の民・列島先住民の子孫であるかに想起される。実際に、縄文時代は死者の再生を信じて、卵型の棺に死者を納めて埋葬したという。大陸文化が普及するにつれてそれは、権力者たちの古墳へと受け継がれていくのだが、現代に至っては、私にもあの都庁の高層ビルが権力者のデッカイ墓標のように見えてくる。また、劇中で、青島と院長をダブらせて描かれていたが、両者共に己の理想を抱いて権力の座に着いたものの権力維持という現実にのみ押し流されてしまい、本来の目的を見失っているという点で似ているからなのだろうか。
 千代次さんや、他の役者さんたちの表現の豊かさには驚いた。私は演技についてはまったく何もわからないのだが、あらためて劇という表現のスゴさに感心した。人が別の人格を演じるということは、その別の人生までも体現しなくてはならないのだなと、感じさせるものがあった。桃山氏と一緒に出演していた子供のさりげない表情が良かった。ホームレスと子供、というコンビはどことなくチャップリンの映画を思い出す。寂しさの中にもホノボノとしたものがあった。
 「もうちょっと付け足してほしいな」と思うことを若干述べさせてもらえば、『FISH BONE 23号』の冒頭にも「平地人を戦慄せしめよー。」とあった。この一文に表現されているような、おそらく「平地人」の常識では理解の及ばないであろう文化を、劇中の“シナドの一族・歩き筋”と呼ばれたヤマビトの「失われた」生活様式について詳しく表現してほしかった。そしてなぜ彼らが日本軍と共に「満州」に行かなければならなかったのか知りたい。劇中で、彼らシナドの生活の価値観が説明されていたのだが、予備知識のない人だと理解しずらいのではないかと思う。果たして「平地人=日本人」は、どう考えるだろうか。そして、そもそも百年に一度行なわれるシナドの“蘇りの法”とは一体、なんだったのか。「たくさんのホウキ星の降る夜に、池の辺にシナドの衆が集って夜通し楽しく語り明かす」これこそ、この島国の至るところにチリヂリに散っていった漂白の民が一同に集って行なわれる祭りであり、そして、もはやそこでしか彼らが自らのアイディンティティーを取り戻すことが出来なくなってしまった、まさに一族にとっての“蘇りの法”なのではなかったのかと、私は思うのであるが…。

1997.6/23  叢蛛剱児

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